北風が強くなる予報だったが穏やかな冬晴れとなる。
北日本や北陸では大雪となったようだ。
夕方のニュースで札幌の雪を見た。
今は音信不通になってしまった古い友人達を思い出す。
雪には慣れていると思うがどんなにか厳しい寒さだろうか。
もう糸を辿るつもりはなかった。縁とは儚いものである。
自ずから切るか切られるかである。不思議と寂しさは感じない。
午前中に近所に住む90歳近いご老人が訪ねて来てくれた。
特に用事がある訳でもなく散歩がてらに顔を見せてくれたのだろう。
よく畑仕事をしている姿を見かけていたが今日は休みのようだった。
冬野菜の事などを話していたが耳が遠くなっているらしく
すっかりちぐはぐな会話になってしまった。
「仕事の邪魔をして済まんかったのう」そう言って10分程で帰って行く。
話し相手が欲しかったのかもしれずなんだか後味が悪かった。
数年前に奥さんに先立たれ独り暮らしのご老人である。
その奥さんは私の母と同い年なのだそうだ。
義父の甥っ子が冬タイヤの交換に来てくれていて
義父と並んで話している姿を見てどきっとする。
若い頃の義父にそっくりでまるで息子のようであった。
母がもし子供を生んでいたらと思う。
男の子とは限らないが50歳位の息子が存在しただろう。
義父にとっては会社の後継ぎとなりどれ程心強かったことか。
好きな米作りだけに励む姿が目に浮かぶようであった。
しかし母はもう子供が生めない身体になっていた。
まだ20代の頃である。卵巣を摘出する手術を行ったのだ。
その時実父が「もう弟も妹も要らないな」と言ったことをよく憶えている。
実父にとってはまさか母が第二の人生を送るとは思いもしなかっただろう。
そこで運命の歯車が大きく狂ってしまったのかもしれない。
母も義父もどんなにか子供が欲しかったことだろう。
母が亡き今となって義父が憐れに思えてならなかった。
けれどもそれが運命だとしたらもう受け止めるしかないのだと思う。
つい決して在り得ないことを考えてしまったが
私を含め誰もが運命に翻弄されて生きて来たのだと思う。
そこに「間違い」はないのだ。予め決められていたことなのだろう。
だからこそ運命に逆らってはいけないのだと思う。
そうして誰もが死んでいく。それも運命であった。
冬晴れの予報だったが青空は見られずしゅんしゅんと寒い一日となる。
冬の優しい陽射しの有難さをつくづくと感じた。
昨夜は熱が出るかもしれないと思いつつ眠ったのだが
今朝はすっきりと気分が良く鼻水も治まっていた。
夜中に咳き込むこともなく久しぶりに熟睡が出来る。
その上に足の痛みもずいぶんと楽になっていた。
ゲンキンなもので「よっし、今日は楽勝だ」と思う。
ちょっとした不調で気分が滅入るものだ。
いつも元気溌溂とは行かないが身体の機嫌を取りながらである。
若い頃のような活力はもうないがやる気を出すことは出来るのだった。
それで十分に思う。欲を云えばきりがないのだもの。
朝の道の皇帝ダリヤがいつの間にか姿を消していた。
枯れてしまって切り落とされてしまったのかもしれないが
つい先日まで花を咲かせていたのが嘘のようである。
切り落とされてもまた来年咲くのだろうか。
詳しいことは調べてみないと分からないが
一年草には思えずひたすら来年のことを考えている。
職場のすぐ近くの銀杏の木もすっかり葉を落としてしまった。
寒空に裸木のなんと切ないことだろうか。
侘しい思いが込み上げて来てしんみりとするばかりである。
根元には黄金色の葉が一面に敷き詰められているが
それもやがては風に運ばれて消えてしまうことだろう。
ひしひしと冬である。もうどうしようもなく冬であった。

朝から仕事が忙しく師走らしさを感じる。
午後も来客があり残業になってしまった。
帰宅すればもう4時半を過ぎており横になる暇もない。
夫が洗濯物を取り入れてくれていたが生乾きであった。
「そんなはずはない乾いていたぞ」と云うので一悶着ある。
いつもなら乾燥機に入れてくれるのにと文句を言ってしまった。
仕事の疲れもあり苛々していたのだろう。夫には悪いことをした。
「一日中遊んでいるくせに」そんなことは口が裂けても言えない。
サニーマートのお惣菜ばかりの夕食であった。
娘が帰宅し詫びれば「別にええよ」と笑顔を見せてくれる。
その後が驚きであった。娘婿が伊勢海老を調理し始める。
娘はパスタを湯がきペペロンチーノであった。
そっか、そうなのかといささかショックである。
買って来たお惣菜には一切手を付けないのだった。
それなら何も買って来なければ良かったといじけてしまうのである。
伊勢海老が食べたかった訳でもパスタが食べたかった訳でもないが
なんだか踏みにじられたような敗北感を感じた。
しかしこれくらいのことでめげていては先が続かないだろう。
私は私の出来ることをせっせとやるしかないのだと思う。
もう寝室に行っている夫がこんこんと咳をしている。
日中も咳が酷く私の咳止めを服用したのだそうだ。
あまり長引くようなら病院で診てもらった方が良さそうだ。
日に日に寒さが厳しくなっている。体調を崩し易い季節であった。
家族がみな健康に。毎日そればかりを祈っている。
昨日程ではなかったが今朝も厳しい冷え込みとなる。
寒さのせいか足の痛みが酷くなり何とも辛いこと。
家の中では杖なしで歩けていたのに今朝は歩けなくなっていた。
何のこれしきと思う。嘆いたとて痛みが薄れることはない。
夜が明けるのを待ち兼ねて洗濯物を干す。
両手を使わないと干せないので一苦労だった。
足を引き摺りながらやっとの思いである。
いつもは運転中に痛むことはないが今朝は痺れたような痛みがあった。
とにかく我慢である。仕事を休むわけにはいかない。
何とか職場に着いたが平野部よりも2℃程気温が低かった。
咳は相変わらずだが風邪でも引いたのか鼻水が止まらない。
踏んだり蹴ったりである。なんだか微熱もあるような気もする。
馬鹿は風邪を引かないと云うが嘘っぱちなのだろう。
負けるもんかと仕事に励んだ。これくらいのことでと思うばかり。
咳き込めば失禁がありナプキンも役に立たない。
とうとうお昼までにズボンを濡らしてしまい笑い話のようだった。
こればかりはどうしようもなく笑ってごまかすしかない。
お昼休憩は在って無いようなものだが今日は車で少し仮眠する。
陽射しが降り注ぎ何と暖かかったことだろう。
陽だまりはまるで天の贈り物のようだ。
市内のauショップに行かなければならず2時半に退社した。
ずっとカード支払いにしていたのが未納になっており
カードの更新手続きをしなければならなかった。
今後も在り得ることなので預金引き落としに変更する。
店員さんのアドバイスで12月分も支払って来た。
1月からの引き落としだがもう未納になることはないだろう。
夕食後いつものように入浴をしたがやはり不安が押し寄せて来る。
まずどんなふうに死ぬのだろうと思う。
心地よく湯船に浸かりながら意識が薄れて行くのだろうか。
その時に備え付けの呼び出しブザーを押せるのだろうか。
押せなかったらそのまま湯船の中で息絶えてしまうのだろう。
今夜のお風呂は長いねと娘が様子を見に来る。
その時にはもう遅いのだ。私の魂は狼狽えるばかりであった。
いやだいやだそんな死に方はしたくない。
ゆっくりと湯船に浸かるのも怖くカラスの行水となってしまう。
パジャマを着ながら「よし大丈夫だった」とほっとするのだった。
毎晩こんな有り様では身が持たないだろう。
不安はそのうち薄れて行くと思うがもうしばらくの辛抱である。
元来入浴は一日の疲れを癒す至福のひと時であるべきだった。
それがいつから不安の種になってしまったのだろう。
老いるばかりのこの身をこの命を何としても守らなければいけない。
今朝は一段と寒く全国的に今季一番の冷え込みだったようだ。
「北国のおじさん」が何処に住んでいるのか定かではないが
氷点下10℃と聞けば北海道の内陸部ではないかと思われる。
雪も20センチ程積もっているらしく厳しい寒さであった。
根雪となればまだその上に雪が降り積もるだろう。
毎朝「雪はね」をしてから仕事に行くのだそうだ。
南国土佐では想像もつかない暮らしを強いられている。
四万十市も今朝は1℃まで気温が下がっていたらしい。
4時に目覚めた時には5℃だったのであまり気にならなかったが
車のフロントガラスが凍る寸前であった。
しかしまだ初霜は降りていない。それも直ぐに霜の季節になるだろう。
血圧は幸い正常値であったが用心に越したことは無く
とにかく暖かくして過ごすことを心掛けている。
光熱費を気にせずに電気も灯油も使い放題であった。
貧困家庭ではあるが我慢は命取りになるだろう。
暑ければ熱中症。寒ければ心臓麻痺と命は常に危険に晒されている。

午前中は目まぐるしい程の忙しさだった。
段取りが悪いとまた義父の雷が落ちるので気が気ではない。
同僚に指図するのも気が引けるが伝えなくては前へ進めない。
同僚がまるでロボットのように思えて憐れでならなかった。
義父は田んぼの草刈りに行きたくてそわそわと落ち着かない。
私が段取りさえちゃんとすれば行けるのにと言わんばかりであった。
ばたばたしながらではあったがお昼前に田んぼへと送り出した。
やっと一息である。なんだか「隠れストレス」ではないかと思う。
午後は郵便局へ行き年賀状を購入した。
取り合えず百枚にしたが何と高いことだろう。
今年は取引先から次々に年賀状廃止の連絡が届き戸惑っている。
我が社もと思うのは当然だろう。しかしそこは思い切れない。
義父に相談したらお客さんだけには出すべきだと云う。
私もそれに賛成だった。やはり礼を尽くすべきだと思う。
筆ぐるめで作成した年賀状をプリントする。
明日から少しずつ宛名を書き込むつもりであった。
宛名も印刷ではあまりにも手を抜くため毎年手書きを心掛けている。
そうして出来る限り一筆添えるのが習いであった。
最近の郵便事情はとても悪くなるべく早めに出した方が良さそうだ。
年賀状の準備を始めた時点で気分が押し詰まって来る。
カレンダーを見ながらまだまだと思っていてもあっという間だろう。
急がず慌てずであるがなんだか背中を押されているようだ。
私は今年も達成出来ず完全燃焼には程遠かった。
いくら命を楯に書き続けていても手ごたえは殆ど無いに等しい。
きっと欲深いからだろう。もっともっとと求めるばかりである。
その上に老いが重なり諦めることが随分と多くなった。
来年はいったいどんな年になるのだろう。
生きてみなければ分からないことがどんどん増えていくばかりである。
晴れの予報だったが朝方みぞれのような雨が降る。
もう少し気温が低ければ雪になっていたことだろう。
何とも冷たい雨に真冬の訪れを感じた。
昨夜は夜中に酷く咳き込み眠れない夜となる。
あまりの苦しさに息が止まるのではないかと思った。
夫も起こしてしまって迷惑をかけてしまう。
寝る前に龍角散を服用していたのだが効かなかったようだ。
一度布団から出て咳止めシロップを飲んだが
かなり古い物で消費期限はとっくに切れていた。
それでも効き目があり何とか咳が治まる。
自業自得なのは承知していて煙草と飲酒が原因なのだろう。
寝る前に喉を刺激してはいけないのだそうだ。
分っていても止めることが出来ない。病的なほどの中毒である。
4時に目覚めたが声枯れが酷く声が出難い。
以前のように声が出なくなることも在り得るだろう。
今ならまだ間に合う。重症化しないうちに何とかしなければと思う。
しかし私は制御不能であった。自分ではもうどうすることも出来ないのだ。
この大馬鹿者めと自分を責めつつ今も飲酒と煙草を続けているのだった。
いったいどうなってしまうのだろう。大きな落とし穴が見えている。

気分転換を兼ねて朝のうちに美容院へ行っていた。
予約制ではないので待ち時間は長かったがさほど苦にはならず
さっぱりと短くカットして貰い少し明るめのカラーに染めてもらう。
美容師さんは娘の同級生で会話も弾み良き気分転換となった。
白髪でぼさぼさだった髪もすっきりし生まれ変わったような気分である。
サニーマートで買い物をしていたら娘達と会い「見て見て」と思う。
めいちゃんが直ぐに気づいてくれて嬉しくてならない。
お昼に茹で卵と大根を茹でておでんを煮込み始めた。
大好きな餅巾着も忘れずに入れる。
ことことと弱火で煮込んでいたら家中が「おでん日和」になった。
ドラッグで新しい咳止めを買って来たので枕元に置く。
おまじないのようでもあるがきっと役に立つだろう。
今夜は少し安心して眠れそうである。
飲酒は深酒をすることはないが煙草は一晩で一箱吸う時があった。
決して愛煙家ではない。吸いたくて吸っているのではないのだ。
それならば直ぐに止めてしまえば良いと誰もが思うだろう。
それが出来ないから苦しみ喘ぎ続けなければいけない。
これ程までに愚かな人間である。
けれども生きたくてならずもがき続けているばかりであった。
二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃である。
北海道は雪。能登の被災地も雨が雪に変わったようだ。
季節はもう真冬となり遠く遥かな春を待つばかりとなった。
今朝はSNSのスペースで大阪の詩人E君と話すことが出来た。
繊細な「光」のような詩を書く人で私の好きな詩人さんである。
不思議だったのは初めて話すような気がまったくしないこと。
なんだか古い友人のように思えて懐かしくてならなかった。
詩は「独り」で書くものであり誰かと群れながら書くものではない。
私はまるで一匹狼のように書き続けて来たように思う。
そうしてそれは評価をされることもなく地に埋もれ続けて来た。
道端の石ころのようなものである。時には蹴られることもある。
口惜しい思いも沢山しながらであったが嘆くことはしなかった。
劣等感のかたまりであっても自分を見失わないことである。
そんな石ころのような私をE君は見つけてくれたのだ。
蹴りもせず投げもせず手のひらに載せてくれたのだった。
今日ほど石ころで良かったと思ったことはない。
これからも石ころで在り続けようと心に誓う。
先日「是非に詩集を」と言ってくれたのもE君だった。
私は百歳になったらと応えたがおそらくそれまでに定命が尽きるだろう。
焦る気持ちもあったがそこにはもう諦めしかなかった。
石ころはどんなに磨いても宝石にはなれない。
しかし今朝E君と話して少し目の前が明るくなった気がする。
経済的な余裕がなくても詩集を出すことが出来るのだそうだ。
E君は既に9冊の詩集を出しておりそれが何よりの証拠だと云う。
夢のような話であるが夢ならば叶えなければと思った。
「いつかそのうち」ではいけない。私にはもう時間がないのだ。
ひしひしと死が迫って来る。どうにも逃れられそうにない。
この大きな不安は得体の知れない沼のようなものである。
そんな沼をどうして見て見ぬ振りが出来ようか。
引き摺り込まれる前に成し遂げなければいけないことがあるのだ。
大げさな表現をするが命を楯に立ち向かうべきだろう。
死んでしまえば全てが終りである。
その終りを見ることは出来ないからこそ「いま」見なければならない。
冬晴れとはいかず雲の多い一日。幸い風がなく過ごし易く感じる。
日中の気温は15℃程。明日から次第に低くなりそうだ。
帰宅してから中山美穂の訃報が舞い込み衝撃が走る。
浴槽に浸かったまま亡くなっていたそうで憐れでならない。
はっきりした死因はまだ発表されていないが
「ヒートショック」ではないかと噂が流れている。
もしそうだとしてもあまりに若過ぎるのではないだろうか。
ちょうど更年期の年頃で日頃から血圧が高かったとも考えられる。
体調不良だったようで今夜予定されていたコンサートは中止になっていた。
仕事に追われかなり無理を重ねていたのかもしれない。
ある日突然の死。それは私の一番恐れていることでもあった。
ただただ冥福を祈ることしか出来ないが残念でならない。
入浴イコール死の恐怖は最近薄れていたのだが
またぶり返し神経が擦り減ってしまいそうになる。
以前のように動悸がすることもなくなっていたが
今夜はさすがに怖く脱衣所と浴室の暖房を点けた。
用心に越したことはない。今夜死ぬわけにはいかないと思う。
父方の伯母が二人揃ってヒートショックで亡くなっていた。
その伯母の命日も近くなり厳しい寒さだったことだろうと察する。
独り暮らしだった伯母は浴室で息絶え朝まで発見されなかった。
なんと憐れなことだろう。なんと孤独な最期だったことか。
親友のMちゃんも8年前に浴室で亡くなっていたが
彼女は「くも膜下出血」が死因であった。
たまたまご主人が出掛けており発見が遅くなってしまったのだそうだ。
早期なら助かる病気である。もう運命としか云いようがない最期だった。
どんな死に方をするのか自死でない限り選ぶことは出来ない。
闘病の末なら覚悟も出来るがそれもどれ程の辛苦だろう。
運命だとしてもあまりにも残酷に思えてならない。
私はとことん長生きをして老衰で死にたいと思うが
それが「夢」なのだとしたら叶うとは限らないだろう。
神様も仏様も夢を叶えることは苦手なのだと思う。
じゃあどうなるかであるが「死」は身近であり避けられないことだ。
永遠の命など在り得ずひとは必ず死ぬのである。
だからこそ与えられた生を全うしなければならない。
「ああいい人生だった」そう思えるような生き方をしなければならない。
志半ばで絶たれることもあるだろう。もっともっと生きたかったと。
その時に少しでも生きた証を残して置ければと願って止まない。
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