晴れの予報だったが朝方みぞれのような雨が降る。
もう少し気温が低ければ雪になっていたことだろう。
何とも冷たい雨に真冬の訪れを感じた。
昨夜は夜中に酷く咳き込み眠れない夜となる。
あまりの苦しさに息が止まるのではないかと思った。
夫も起こしてしまって迷惑をかけてしまう。
寝る前に龍角散を服用していたのだが効かなかったようだ。
一度布団から出て咳止めシロップを飲んだが
かなり古い物で消費期限はとっくに切れていた。
それでも効き目があり何とか咳が治まる。
自業自得なのは承知していて煙草と飲酒が原因なのだろう。
寝る前に喉を刺激してはいけないのだそうだ。
分っていても止めることが出来ない。病的なほどの中毒である。
4時に目覚めたが声枯れが酷く声が出難い。
以前のように声が出なくなることも在り得るだろう。
今ならまだ間に合う。重症化しないうちに何とかしなければと思う。
しかし私は制御不能であった。自分ではもうどうすることも出来ないのだ。
この大馬鹿者めと自分を責めつつ今も飲酒と煙草を続けているのだった。
いったいどうなってしまうのだろう。大きな落とし穴が見えている。

気分転換を兼ねて朝のうちに美容院へ行っていた。
予約制ではないので待ち時間は長かったがさほど苦にはならず
さっぱりと短くカットして貰い少し明るめのカラーに染めてもらう。
美容師さんは娘の同級生で会話も弾み良き気分転換となった。
白髪でぼさぼさだった髪もすっきりし生まれ変わったような気分である。
サニーマートで買い物をしていたら娘達と会い「見て見て」と思う。
めいちゃんが直ぐに気づいてくれて嬉しくてならない。
お昼に茹で卵と大根を茹でておでんを煮込み始めた。
大好きな餅巾着も忘れずに入れる。
ことことと弱火で煮込んでいたら家中が「おでん日和」になった。
ドラッグで新しい咳止めを買って来たので枕元に置く。
おまじないのようでもあるがきっと役に立つだろう。
今夜は少し安心して眠れそうである。
飲酒は深酒をすることはないが煙草は一晩で一箱吸う時があった。
決して愛煙家ではない。吸いたくて吸っているのではないのだ。
それならば直ぐに止めてしまえば良いと誰もが思うだろう。
それが出来ないから苦しみ喘ぎ続けなければいけない。
これ程までに愚かな人間である。
けれども生きたくてならずもがき続けているばかりであった。
二十四節気の「大雪」本格的に雪が降り出す頃である。
北海道は雪。能登の被災地も雨が雪に変わったようだ。
季節はもう真冬となり遠く遥かな春を待つばかりとなった。
今朝はSNSのスペースで大阪の詩人E君と話すことが出来た。
繊細な「光」のような詩を書く人で私の好きな詩人さんである。
不思議だったのは初めて話すような気がまったくしないこと。
なんだか古い友人のように思えて懐かしくてならなかった。
詩は「独り」で書くものであり誰かと群れながら書くものではない。
私はまるで一匹狼のように書き続けて来たように思う。
そうしてそれは評価をされることもなく地に埋もれ続けて来た。
道端の石ころのようなものである。時には蹴られることもある。
口惜しい思いも沢山しながらであったが嘆くことはしなかった。
劣等感のかたまりであっても自分を見失わないことである。
そんな石ころのような私をE君は見つけてくれたのだ。
蹴りもせず投げもせず手のひらに載せてくれたのだった。
今日ほど石ころで良かったと思ったことはない。
これからも石ころで在り続けようと心に誓う。
先日「是非に詩集を」と言ってくれたのもE君だった。
私は百歳になったらと応えたがおそらくそれまでに定命が尽きるだろう。
焦る気持ちもあったがそこにはもう諦めしかなかった。
石ころはどんなに磨いても宝石にはなれない。
しかし今朝E君と話して少し目の前が明るくなった気がする。
経済的な余裕がなくても詩集を出すことが出来るのだそうだ。
E君は既に9冊の詩集を出しておりそれが何よりの証拠だと云う。
夢のような話であるが夢ならば叶えなければと思った。
「いつかそのうち」ではいけない。私にはもう時間がないのだ。
ひしひしと死が迫って来る。どうにも逃れられそうにない。
この大きな不安は得体の知れない沼のようなものである。
そんな沼をどうして見て見ぬ振りが出来ようか。
引き摺り込まれる前に成し遂げなければいけないことがあるのだ。
大げさな表現をするが命を楯に立ち向かうべきだろう。
死んでしまえば全てが終りである。
その終りを見ることは出来ないからこそ「いま」見なければならない。
冬晴れとはいかず雲の多い一日。幸い風がなく過ごし易く感じる。
日中の気温は15℃程。明日から次第に低くなりそうだ。
帰宅してから中山美穂の訃報が舞い込み衝撃が走る。
浴槽に浸かったまま亡くなっていたそうで憐れでならない。
はっきりした死因はまだ発表されていないが
「ヒートショック」ではないかと噂が流れている。
もしそうだとしてもあまりに若過ぎるのではないだろうか。
ちょうど更年期の年頃で日頃から血圧が高かったとも考えられる。
体調不良だったようで今夜予定されていたコンサートは中止になっていた。
仕事に追われかなり無理を重ねていたのかもしれない。
ある日突然の死。それは私の一番恐れていることでもあった。
ただただ冥福を祈ることしか出来ないが残念でならない。
入浴イコール死の恐怖は最近薄れていたのだが
またぶり返し神経が擦り減ってしまいそうになる。
以前のように動悸がすることもなくなっていたが
今夜はさすがに怖く脱衣所と浴室の暖房を点けた。
用心に越したことはない。今夜死ぬわけにはいかないと思う。
父方の伯母が二人揃ってヒートショックで亡くなっていた。
その伯母の命日も近くなり厳しい寒さだったことだろうと察する。
独り暮らしだった伯母は浴室で息絶え朝まで発見されなかった。
なんと憐れなことだろう。なんと孤独な最期だったことか。
親友のMちゃんも8年前に浴室で亡くなっていたが
彼女は「くも膜下出血」が死因であった。
たまたまご主人が出掛けており発見が遅くなってしまったのだそうだ。
早期なら助かる病気である。もう運命としか云いようがない最期だった。
どんな死に方をするのか自死でない限り選ぶことは出来ない。
闘病の末なら覚悟も出来るがそれもどれ程の辛苦だろう。
運命だとしてもあまりにも残酷に思えてならない。
私はとことん長生きをして老衰で死にたいと思うが
それが「夢」なのだとしたら叶うとは限らないだろう。
神様も仏様も夢を叶えることは苦手なのだと思う。
じゃあどうなるかであるが「死」は身近であり避けられないことだ。
永遠の命など在り得ずひとは必ず死ぬのである。
だからこそ与えられた生を全うしなければならない。
「ああいい人生だった」そう思えるような生き方をしなければならない。
志半ばで絶たれることもあるだろう。もっともっと生きたかったと。
その時に少しでも生きた証を残して置ければと願って止まない。
晴れの予報だったが雲が広がり肌寒い一日となる。
陽射しがあるとないとでは随分と違うものだ。
週末にかけて寒気が南下してくるらしい。
まだ雪の心配はなさそうだが用心に越したことはないだろう。
二十四節気の「大雪」も近い。季節はもう真冬である。
SNSでは北海道の雪。今朝は20センチ程積もったようだ。
北海道も広いので南と北とでは違いがあるはずだが
まるでSNSの決まり事であるかのように住んでいる地域は非公開だった。
個人を特定出来ないように自分のことを「北国のおじさん」と云ったりする。
個人情報は守られるべきだが本名ではいけない理由があるのだろうか。
不信感がつのる程ではないが堂々と名乗って欲しいといつも思う。
とにかく色んな人がいる。そんな場所にふっと疲れを感じる時も多い。
私のように個人を特定出来る場合にはありのままではいけない。
そのせいか上辺だけの「いい顔」をする時もある。
そんな日々の中で詩や短歌だけは自分らしさを貫こうとしているのだった。

仕事は今日もあたふた。飛び込みのタイヤ交換もあり引き受ければ
段取りが悪いと義父に叱られてしまった。
かと云ってどうして断ることが出来よう。何とかなると思ったのだ。
けれども結局は同僚に負担を掛けてしまい車検整備が止まってしまった。
義父も忙しく苛立っていたのだろう。いつ雷が落ちるか分からない。
午後は何とか順調に仕事が捗る。もう大丈夫と2時半に退社した。
本来なら3時までなのだが最近は早めに帰ることが多い。
日も短くなり帰宅してからの家事も待っている。
10分でも横になりたいと願う私の身勝手な都合でもあった。
すっかり日が暮れた頃、あやちゃんの担任の先生と保健室の先生が
来てくれたのだが今日も会いたくないと言って断らねばならなかった。
保健室の先生は来週から産休に入るのだそうだ。
しばらく来られないから是非に会いたいと言ってくれたようだ。
「赤ちゃんが生まれるがぞ」と夫が言い聞かしてくれたが駄目である。
まだ12歳の子供なのかもしれないが「ひと」としてどうだろうと思う。
なんだか日に日に大切なことを失っているような気がしてならない。
娘からは決して厳しく言ってはならないと釘を刺されているが
云うべきことを言わずにいては心の成長も在り得ないように思うのだ。
あやちゃんはまるで「会わない」ノルマを達成したかのように笑顔になった。
「俺たちの出番はないからな」夫も複雑な気持ちを抱え込んでいる。
今夜は少しふっくらとした三日月が見える。
すぐ近くで輝いている星は木星なのだそうだ。
「月の近くで輝く星」とネットで検索したのだった。
検索すれば何でも分る世の中になったが「こころ」は永遠に謎である。
その「こころ」に右往左往しながらみんな生きているのだろう。
陽射しはたっぷりとあったが午後から冷たい風が吹く。
最高気温が昨日よりも6℃も低かったようだ。
明日はまだ低くなるそうでいよいよ本格的な冬となるだろう。
今朝は55年前の朝の事を詩に書いた。
私にとっては決して封印出来ない記憶である。
陰鬱な詩にならないように心掛けたつもりであるが
なんだかお涙頂戴みたいな詩になってしまった。
けれども書きたくてならなかった詩であることには違いない。
記憶は死ぬまで付きまとうことだろう。それで良いと思っている。
やがては心から母を赦せる日が来るのかもしれない。

特別な日であることが頭から離れず今日ほど不安な日はなかった。
通勤途中に事故を起こし死ぬかもしれないと思う。
ハンドルを握る手が小刻みに震えていた。
無事に職場に着きみい太の姿を見ると安堵の気持ちでいっぱいになる。
いつもと変わらない朝なのだ。いったい何に怯えていたのだろう。
いざ仕事を始めると悪夢から覚めたように生き生きとして来る。
来客も多く笑顔で会話が弾む。話し相手が欲しかったのかもしれない。
お客さんが愉快な話ばかりして笑わせてくれたのだった。
冬タイヤ交換の予約も入いりまたまたホワイトボードがいっぱいになる。
くたばるわけにはいかないのだ。とにかく仕事が一番だと思う。
天下の回り物である「お金」のことで頭がいっぱいになっていた。
まるで金の亡者のようであるが稼げる時に稼がねばならない。
整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。
駐車場で古い友人のお母さんに会いしばし話し込む。
もう30年近く通っているそうで途方に暮れるような話であった。
私はまだ2年目だが先が長いことだろう。覚悟が必要である。
リハビリ室に向かうエレベータの中でU君が「誕生日ですね」と
言ってくれ「おめでとうございます」と笑顔を見せてくれて嬉しかった。
ちっともめでたくなんかないと思っていたのだが有難くてならない。
55年前の記憶が一気に薄れる。いったいどれ程の拘りなのだろうか。
生前の母は既に封印していたようだった。
そのせいか一度も謝罪したことはなかった。
母にとっては人生最大の汚点だったのだろう。
触れられたくない過去は誰にでもあるのだと思う。
最後に今朝書いた詩をここに残して置きたい
霜柱
十三歳の誕生日であった 目覚めると母の姿がなく 寒々とした部屋の片隅に 置手紙さえなかったのだ
外に出ると一面の霜である 弟を起こし伯母の家へ行く
霜柱を踏むさくさくと踏む
離れて住む父に知らせなくては そればかりを考えていた
霜柱を踏むさくさくと踏む
伯母の家がやたら遠く感じる 優しい伯母の顔が目に浮かんだ
弟は歩きながら泣いていたが 私は涙ひとつこぼさなかった
霜柱を踏むさくさくと踏む
母は私を生んだその日に 捨てることを選んだのである
霜柱を踏むさくさくと踏み続けた
連日の小春日和。今日は昨日よりも暖かくなり汗ばむ程の陽気となる。
紅葉の季節は晩秋だが今年は全国的に遅れているのだそうだ。
見頃は12月の中旬だと聞きおどろくばかりである。
樹々も戸惑っていることだろう。それだけ寒さが必要なのだった。
山里は杉や檜が多く山が燃えるように紅く染まることはないが
銀杏の木やもみじはあちらこちらに植えられており目を楽しませてくれる。
決して遅れているようには見えないのだがまだこれからなのだろう。
師走の紅葉もまた風情があり見応えがあるものだ。
冬の花は山茶花。ほぼ満開となり心を和ませてくれている。
隣家にも薄桃色の山茶花が咲いておりまるで我が家の庭のように思う。
奥さんはもうかなり高齢になり滅多に姿を見ることはないが
山茶花が咲いていることにはきっと気づいているだろう。
すぐ近所に住む亡きご主人の弟さんがいつも庭の手入れをしているようだ。

仕事は今日も一日車検が入庫していた。
義父の友人の息子さんの紹介で初めてのお客さんである。
午後には車検が完了し義父が納車に行ってくれた。
決して失礼があってはならない。丁重に感謝の気持ちを伝え
今後のお付き合いへと発展さす為だった。
同僚には任せられず「俺が行かんとな」と社長の任務を果たす。
今日ほど義父が頼もしく思ったことはなかった。
田舎の小さな車検場である。新規のお客様はとても貴重であった。
仕事が一段落し3時に退社する。
今日はサニーマートのお総菜売り場をスルーした。
いつもいつも手抜きなのだ。今日こそは頑張ろうと思う。
5時半には間に合わなかったが6時には夕食の支度が整う。
娘が帰宅し「やるじゃん」と褒めてくれて嬉しかった。
「明日は何にする?」と訊くので特に考えてもいなかったのだが
私の誕生日なのを覚えていてくれたのだった。
夫は例の如くですっかり忘れていたらしく「そうか、そうか」と喜ぶ。
娘が「ステーキにしよう」と云うのでそうすることにした。
自分では少しも祝う気持ちなどなかったのだが有難いことであった。
嫁いでから初めての誕生日を思い出す。
その日夫と私は入籍をしたがいつもと変わらない夜であった。
何と寂しかったことだろう。婚家には誕生日を祝う習慣が無かったのだ。
偶然だったが姑さんが私専用のお箸を買って来てくれていた。
誕生日とは知らずにふっと思いついたことだったのだろう。
そうとは分かっていてもそのお箸がとても嬉しかったことが忘れられない。
姑さんには良い思い出が殆ど無いが唯一それが「宝物」のように思えた。
67歳最後の夜である。今のところ夢も希望もない。
ただまた一歩「死」に近づくのだなと思うばかりであった。
なんだか「生きたい」欲に圧し潰されてしまいそうだ。
最高気温がほぼ20℃。昨日より更に暖かくなる。
このまま暖冬かとも思うがそうは行かないようだ。
予報では週末にかけて真冬並みの寒波が到来しそうである。
寒さほど怖ろしいことはないが過剰に不安がってはいけないのだろう。
寒さからしっかりと身を守り体調管理を怠ってはならない。
今朝はここ10年で初めてではないかと思うほどの洗濯物であった。
10キロの洗濯槽に入りきらずぎゅうぎゅうと押し込みスイッチを入れた。
故障するのではないかと思う。洗濯機も苦しかったことだろう。
夫が庭先まで運んでくれたが「こりゃあ重いぞ」と苦笑いしていた。
夜が明けるのを待ち兼ねて干し始めたが干場が足らないくらいである。
愚痴を言ってはならないが面白半分に放り込んだとしか思えない。
干す者の身になれ。畳む者の身になれとぼやかずにいられなかった。
けれども私がやらないで誰がすると思えばこれも辛抱である。
日中はたっぷりの陽射しが降り注ぎ洗濯物も嬉しかったことだろう。

仕事は一気に車検予約が舞い込み嬉しい悲鳴である。
あっという間にホワイトボードが埋められて行く。
同僚には負担を掛けるが何としてもこなして行かなければならない。
25日までが勝負だと思っている。それがまた大きな山となり聳える。
経営も同じく資金繰りさえ順調であれば無事に年を越せるだろう。
寸志であってもボーナスも支給したい。荷は重いが負けるわけにはいかない。
毎年のことであるが師走の波に押し流されてしまいそうだ。
試されているのだろう。それならばとことん試して頂こうではないか。
一日車検が入庫していたので完了を待ち3時前に退社する。
FMラジオではピンクレディー特集をしており何とも懐かしい。
丁度二十歳の時だったと記憶している。二人は同世代であった。
夕飯の献立もそこそこに帰宅すれば洗濯物の大山である。
「三匹が斬る」を見ながらちまちまと畳んだ。
大量の洗濯物を取り入れるのも大変だったことだろう。
夫の手助けが今日ほど有難いことはなかった。
自力では出来ないことが日に日に増えて行くこの頃である。
それでも出来る事を精一杯にやり遂げなければいけない。
ある日突然と思う不安はいつまで経っても消えずにいる。
毎日が奇跡なのかもしれないのだ。一日の終りには命が愛しくてならない。
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