ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年12月05日(木) 月の近くで輝く星

晴れの予報だったが雲が広がり肌寒い一日となる。

陽射しがあるとないとでは随分と違うものだ。

週末にかけて寒気が南下してくるらしい。

まだ雪の心配はなさそうだが用心に越したことはないだろう。

二十四節気の「大雪」も近い。季節はもう真冬である。


SNSでは北海道の雪。今朝は20センチ程積もったようだ。

北海道も広いので南と北とでは違いがあるはずだが

まるでSNSの決まり事であるかのように住んでいる地域は非公開だった。

個人を特定出来ないように自分のことを「北国のおじさん」と云ったりする。

個人情報は守られるべきだが本名ではいけない理由があるのだろうか。

不信感がつのる程ではないが堂々と名乗って欲しいといつも思う。

とにかく色んな人がいる。そんな場所にふっと疲れを感じる時も多い。

私のように個人を特定出来る場合にはありのままではいけない。

そのせいか上辺だけの「いい顔」をする時もある。

そんな日々の中で詩や短歌だけは自分らしさを貫こうとしているのだった。





仕事は今日もあたふた。飛び込みのタイヤ交換もあり引き受ければ

段取りが悪いと義父に叱られてしまった。

かと云ってどうして断ることが出来よう。何とかなると思ったのだ。

けれども結局は同僚に負担を掛けてしまい車検整備が止まってしまった。

義父も忙しく苛立っていたのだろう。いつ雷が落ちるか分からない。


午後は何とか順調に仕事が捗る。もう大丈夫と2時半に退社した。

本来なら3時までなのだが最近は早めに帰ることが多い。

日も短くなり帰宅してからの家事も待っている。

10分でも横になりたいと願う私の身勝手な都合でもあった。


すっかり日が暮れた頃、あやちゃんの担任の先生と保健室の先生が

来てくれたのだが今日も会いたくないと言って断らねばならなかった。

保健室の先生は来週から産休に入るのだそうだ。

しばらく来られないから是非に会いたいと言ってくれたようだ。

「赤ちゃんが生まれるがぞ」と夫が言い聞かしてくれたが駄目である。


まだ12歳の子供なのかもしれないが「ひと」としてどうだろうと思う。

なんだか日に日に大切なことを失っているような気がしてならない。

娘からは決して厳しく言ってはならないと釘を刺されているが

云うべきことを言わずにいては心の成長も在り得ないように思うのだ。

あやちゃんはまるで「会わない」ノルマを達成したかのように笑顔になった。

「俺たちの出番はないからな」夫も複雑な気持ちを抱え込んでいる。



今夜は少しふっくらとした三日月が見える。

すぐ近くで輝いている星は木星なのだそうだ。

「月の近くで輝く星」とネットで検索したのだった。

検索すれば何でも分る世の中になったが「こころ」は永遠に謎である。

その「こころ」に右往左往しながらみんな生きているのだろう。











2024年12月04日(水) 霜柱

陽射しはたっぷりとあったが午後から冷たい風が吹く。

最高気温が昨日よりも6℃も低かったようだ。

明日はまだ低くなるそうでいよいよ本格的な冬となるだろう。


今朝は55年前の朝の事を詩に書いた。

私にとっては決して封印出来ない記憶である。

陰鬱な詩にならないように心掛けたつもりであるが

なんだかお涙頂戴みたいな詩になってしまった。

けれども書きたくてならなかった詩であることには違いない。

記憶は死ぬまで付きまとうことだろう。それで良いと思っている。

やがては心から母を赦せる日が来るのかもしれない。




特別な日であることが頭から離れず今日ほど不安な日はなかった。

通勤途中に事故を起こし死ぬかもしれないと思う。

ハンドルを握る手が小刻みに震えていた。

無事に職場に着きみい太の姿を見ると安堵の気持ちでいっぱいになる。

いつもと変わらない朝なのだ。いったい何に怯えていたのだろう。


いざ仕事を始めると悪夢から覚めたように生き生きとして来る。

来客も多く笑顔で会話が弾む。話し相手が欲しかったのかもしれない。

お客さんが愉快な話ばかりして笑わせてくれたのだった。


冬タイヤ交換の予約も入いりまたまたホワイトボードがいっぱいになる。

くたばるわけにはいかないのだ。とにかく仕事が一番だと思う。

天下の回り物である「お金」のことで頭がいっぱいになっていた。

まるで金の亡者のようであるが稼げる時に稼がねばならない。


整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。

駐車場で古い友人のお母さんに会いしばし話し込む。

もう30年近く通っているそうで途方に暮れるような話であった。

私はまだ2年目だが先が長いことだろう。覚悟が必要である。


リハビリ室に向かうエレベータの中でU君が「誕生日ですね」と

言ってくれ「おめでとうございます」と笑顔を見せてくれて嬉しかった。

ちっともめでたくなんかないと思っていたのだが有難くてならない。

55年前の記憶が一気に薄れる。いったいどれ程の拘りなのだろうか。


生前の母は既に封印していたようだった。

そのせいか一度も謝罪したことはなかった。

母にとっては人生最大の汚点だったのだろう。

触れられたくない過去は誰にでもあるのだと思う。


最後に今朝書いた詩をここに残して置きたい


      霜柱


  十三歳の誕生日であった
  目覚めると母の姿がなく
  寒々とした部屋の片隅に
  置手紙さえなかったのだ

  外に出ると一面の霜である
  弟を起こし伯母の家へ行く

  霜柱を踏むさくさくと踏む

  離れて住む父に知らせなくては
  そればかりを考えていた

  霜柱を踏むさくさくと踏む

  伯母の家がやたら遠く感じる
  優しい伯母の顔が目に浮かんだ

  弟は歩きながら泣いていたが
  私は涙ひとつこぼさなかった

  霜柱を踏むさくさくと踏む

  母は私を生んだその日に
  捨てることを選んだのである

  霜柱を踏むさくさくと踏み続けた





2024年12月03日(火) やるじゃん

連日の小春日和。今日は昨日よりも暖かくなり汗ばむ程の陽気となる。

紅葉の季節は晩秋だが今年は全国的に遅れているのだそうだ。

見頃は12月の中旬だと聞きおどろくばかりである。

樹々も戸惑っていることだろう。それだけ寒さが必要なのだった。


山里は杉や檜が多く山が燃えるように紅く染まることはないが

銀杏の木やもみじはあちらこちらに植えられており目を楽しませてくれる。

決して遅れているようには見えないのだがまだこれからなのだろう。

師走の紅葉もまた風情があり見応えがあるものだ。


冬の花は山茶花。ほぼ満開となり心を和ませてくれている。

隣家にも薄桃色の山茶花が咲いておりまるで我が家の庭のように思う。

奥さんはもうかなり高齢になり滅多に姿を見ることはないが

山茶花が咲いていることにはきっと気づいているだろう。

すぐ近所に住む亡きご主人の弟さんがいつも庭の手入れをしているようだ。




仕事は今日も一日車検が入庫していた。

義父の友人の息子さんの紹介で初めてのお客さんである。

午後には車検が完了し義父が納車に行ってくれた。

決して失礼があってはならない。丁重に感謝の気持ちを伝え

今後のお付き合いへと発展さす為だった。

同僚には任せられず「俺が行かんとな」と社長の任務を果たす。

今日ほど義父が頼もしく思ったことはなかった。

田舎の小さな車検場である。新規のお客様はとても貴重であった。


仕事が一段落し3時に退社する。

今日はサニーマートのお総菜売り場をスルーした。

いつもいつも手抜きなのだ。今日こそは頑張ろうと思う。

5時半には間に合わなかったが6時には夕食の支度が整う。


娘が帰宅し「やるじゃん」と褒めてくれて嬉しかった。

「明日は何にする?」と訊くので特に考えてもいなかったのだが

私の誕生日なのを覚えていてくれたのだった。

夫は例の如くですっかり忘れていたらしく「そうか、そうか」と喜ぶ。

娘が「ステーキにしよう」と云うのでそうすることにした。

自分では少しも祝う気持ちなどなかったのだが有難いことであった。


嫁いでから初めての誕生日を思い出す。

その日夫と私は入籍をしたがいつもと変わらない夜であった。

何と寂しかったことだろう。婚家には誕生日を祝う習慣が無かったのだ。

偶然だったが姑さんが私専用のお箸を買って来てくれていた。

誕生日とは知らずにふっと思いついたことだったのだろう。

そうとは分かっていてもそのお箸がとても嬉しかったことが忘れられない。

姑さんには良い思い出が殆ど無いが唯一それが「宝物」のように思えた。


67歳最後の夜である。今のところ夢も希望もない。

ただまた一歩「死」に近づくのだなと思うばかりであった。

なんだか「生きたい」欲に圧し潰されてしまいそうだ。



2024年12月02日(月) 師走の波

最高気温がほぼ20℃。昨日より更に暖かくなる。

このまま暖冬かとも思うがそうは行かないようだ。

予報では週末にかけて真冬並みの寒波が到来しそうである。

寒さほど怖ろしいことはないが過剰に不安がってはいけないのだろう。

寒さからしっかりと身を守り体調管理を怠ってはならない。


今朝はここ10年で初めてではないかと思うほどの洗濯物であった。

10キロの洗濯槽に入りきらずぎゅうぎゅうと押し込みスイッチを入れた。

故障するのではないかと思う。洗濯機も苦しかったことだろう。


夫が庭先まで運んでくれたが「こりゃあ重いぞ」と苦笑いしていた。

夜が明けるのを待ち兼ねて干し始めたが干場が足らないくらいである。

愚痴を言ってはならないが面白半分に放り込んだとしか思えない。

干す者の身になれ。畳む者の身になれとぼやかずにいられなかった。

けれども私がやらないで誰がすると思えばこれも辛抱である。

日中はたっぷりの陽射しが降り注ぎ洗濯物も嬉しかったことだろう。





仕事は一気に車検予約が舞い込み嬉しい悲鳴である。

あっという間にホワイトボードが埋められて行く。

同僚には負担を掛けるが何としてもこなして行かなければならない。

25日までが勝負だと思っている。それがまた大きな山となり聳える。

経営も同じく資金繰りさえ順調であれば無事に年を越せるだろう。

寸志であってもボーナスも支給したい。荷は重いが負けるわけにはいかない。

毎年のことであるが師走の波に押し流されてしまいそうだ。

試されているのだろう。それならばとことん試して頂こうではないか。


一日車検が入庫していたので完了を待ち3時前に退社する。

FMラジオではピンクレディー特集をしており何とも懐かしい。

丁度二十歳の時だったと記憶している。二人は同世代であった。


夕飯の献立もそこそこに帰宅すれば洗濯物の大山である。

「三匹が斬る」を見ながらちまちまと畳んだ。

大量の洗濯物を取り入れるのも大変だったことだろう。

夫の手助けが今日ほど有難いことはなかった。

自力では出来ないことが日に日に増えて行くこの頃である。

それでも出来る事を精一杯にやり遂げなければいけない。


ある日突然と思う不安はいつまで経っても消えずにいる。

毎日が奇跡なのかもしれないのだ。一日の終りには命が愛しくてならない。



2024年12月01日(日) 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

風もなく穏やかな晴天。今日こそ小春日和なのだろう。

とうとう師走になってしまったが北風小僧も一休みである。


今朝は朝刊が届かず。これまでも何度かあったが

配達員はかなりの高齢女性なので気遣うことの方が多い。

噂ではあるが認知症になり掛けているのだそうだ。

数年前から新規の配達員を募集しているが未だ見つからないようである。

雨の日も風の日も嵐の日も雪の日も。その苦労は並大抵ではなかった。

気の毒でならないが毎朝夜明け前に届く新聞のなんと有難いことだろう。

今朝のように届かなかった日には販売店へ電話するようにしている。

直ぐ川向なので届けてくれるのだがそれも気の毒なことであった。

中には直接高齢女性の家へ電話をし怒鳴る人もいるらしい。

それはあまりにも配慮に欠けるのではないだろうか。

毎朝届くのが当たり前ではない。感謝の気持ちを忘れてはならないと思う。


日曜日の朝刊には「高新文芸」が掲載される。

毎週短歌の投稿を続けているが今朝も敢えなく落選であった。

たまに忘れた頃に入選することもあるが自信作とは限らない。

いったいどんな基準で選んでいるのだろうかと不可解にも思える。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」である。ようは諦めないことだろう。





ぽかぽか日和に誘われて何かしなくてはと思うだけであった。

結局また炬燵に潜り込み朝寝もすれば昼寝もする。

すっかりトドのようで自分でも呆れ返ってしまうのだった。

3時に目覚めふと苗屋さんへ行ってみようかと思ったが行動に移せない。

庭の片隅に娘婿が葱を植えており二度ほど収穫をした。

そのプランターにまだ空きが在りリーフレタスを植えてみたかったのだ。

車で5分の苗屋さんに行けない。何とも情けないことである。


ずっと気になっていたのだが娘がやっと孫達の衣替えをしたようだ。

二人とも昨日まで夏の恰好をしており寒そうでならなかった。

サイズダウンした衣類が多かったのがごみ袋に入れていたので

ストップを掛け市のリサイクルに持って行くと言ったら機嫌が悪い。

「生ごみと一緒に焼くのは可哀想やろ」とつい声を荒げてしまった。

着ていた頃の孫達の姿が目に浮かび懐かしくてならない。

どうしてそれがゴミだろう。娘とは価値観が異なるようである。



夕飯はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」にしたが

娘夫婦が食べ始めても孫達は二人揃って顔を見せなかった。

また後から食べるのだろうか。老婆心が疼くばかりである。

余計な口出しをしないこと。夫からも強く言われており我慢しかない。

娘夫婦の子育ての方針は全く理解出来ず戸惑うばかりであった。



夕暮れ時に窓から一番星が見えていたが今は真っ暗である。

晴れているはずだが雲の悪戯かもしれなかった。

明日は今日よりも暖かくなるのだそうだ。

たっぷりの陽射しを浴び師走の道を歩み出して行きたい。





2024年11月30日(土) 破れ障子

とうとう霜月も晦日。北風が強く冬らしい一日となる。

SNSでもやっと「秋」が終りになりそうだ。

「初冬」ではなく「晩秋」と表現する人が多くずっと違和感を感じていた。

暦通りには行かないのかもしれないが季節感をもっと大切にして欲しいものだ。


「小春日和」は初冬の季語らしい。今日も陽射しはたっぷりとあったが

冷たい北風が吹きとても小春日和とは呼べなかった。

これから真冬になるが少しでも穏やかな晴天があることを願うばかりである。



朝のうちに一時間程炬燵に潜り込みうたた寝をした。

平日なら仕事に向かっている時間である。なんと幸せなことだろうか。

よっこらしょと起き上がり土曜日恒例のカーブスへ向かう。

暖房がよく効いており直ぐに汗が流れ始めた。

前回までは扇風機が回っていたのだがもう使用しないのだそうだ。

冬に汗を流すのが目的だろう。それは何とも心地よいことである。


昼食後はまた炬燵に潜り込み3時までお昼寝をしていた。

「寝溜め」だろうか。週末はとにかく寝ていることが多い。

夫が寝室の障子の破れを夜までに何とかしろとうるさい。

昨夜も風が強かったので隙間風が入り込み寒かったのだそうだ。

私も破れ障子を見る度にうんざりしていた。

年末までに障子の張替えをしなければと考えていたのだが

「そのうちに」と思っているうちに直ぐに年末がやって来るだろう。


はっと思いつきカーテンにしたらどうだろうと閃く。

善は急げである。夫の了解を得て直ぐにホームセンターへ走った。

うぐいす色に白い花模様のカーテンを見つけ即買いである。

カーテンレールも買いわくわくしながら家に帰った。

夫が早速にレールを取り付けてくれカーテンを吊るすと何と素晴らしい

和室が洋室のようになり見違えるようになった。

嬉しくてならず一度部屋を出てからも何度も覗きに行く。

もう破れ障子に悩むこともないのだ。最高の気分である。



娘達は夕食不要とのこと。何も作らずに済み楽をさせてもらった。

てっきり外食かと思っていたのだが食材を買って来ていたようだ。

私と夫が席を立つなりステーキを焼き始めたのでおどろく。

家計のやり繰りで精一杯でステーキどころではなかったのだ。

悪く考えれば当てつけのようにも思えるが余程食べたかったのだろう。

娘達の自腹なので文句も云えず香ばしい匂いを嗅ぐばかりである。

夫に云わせれば好きなようにさせてやるのが一番なのだそうだ。

今後も在り得ることだろう。一切の口出しは禁物だと思う。



明日も晴れるのか満天の星空である。

師走になればこれまで以上に急ぎ足で日々が流れて行く。

どうしようもなく押し流されてしまいそうだが

少しでも丁寧に過ごしたいものである。


私はいったい何処に流れ着くのだろう。

生きてさえいればと思うが心細さがつのるばかりであった。













2024年11月29日(金) いい肉の日

雲が多かったが概ね晴れ。北風が身震いするほど冷たかった。

師走も目前である。木枯らしが吹く季節になることだろう。


朝から武者震い。気負いをそのままに山里の職場に向かった。

9時になるのを待ち兼ねてATMへと走る。

取引先への送金を終えると何とほっとしたことか。

不都合だけは避けなければならないと気が張っていたのだろう。

義父に報告したら「今月もようやったな」と褒めてくれ嬉しかった。

波は荒いが沈むことなく海を彷徨っている難破船である。

錨を下ろす日もあるだろう。そうして空を見上げる穏やかな日も。


午後には義父が手掛けたトラクターの修理代が入る。

農機具店よりもずっと安いとお客さんは上機嫌だった。

来店したついでにと軽トラックのオイル交換も申し出てくれる。

幼馴染の同級生K君であった。待ち時間の間に会話が弾む。


懐かしい同級生達の名前が次々に出て来た。

既に亡くなってしまった友もいる。親友だったMちゃんのことも

懐かしさよりも失ってしまった悲しみの方が勝る。

もう7年を過ぎたがMちゃんの顔が目に浮かぶたびに辛くてならない。

T君も死んだ。H君も死んだ。死はそれ程までに身近なのである。


直ぐに70歳になるなあ。しみじみとK君が呟く。

信じたくはなかったがそれが現実でなくて何だろうと思う。

後を追うように寿命が尽きていく。それはどうしようも出来ないことだ。

「お互い長生きをしようね」他にはどんな言葉も見つからない。





月末の仕事も一段落していたので2時半に退社する。

今日は「いい肉の日」なのですき焼きにしようと決めていた。

精肉売り場に直行し愕然とする。格安の輸入肉が全く置いていない。

高級な和牛ばかりがこれでもかとあり仕方なく2パック買った。

白菜も高い。長ネギも高い。貧乏人にはこれ程辛いことはない。


娘が臨時の休みだったので帰宅してからの何と楽なこと。

すき焼きの準備もちゃちゃっとしてくれて大助かりだった。

いつものように夫と先に食べ始めたのだが

後のことは全く考えずお肉ばかりよく食べる。

ビールを飲みご飯を食べ終えてからもまだ箸を伸ばしていた。

食い意地が張っているのかもしれないがこれにはいささか参る。

私はお肉を食べずお豆腐しか食べていなかったので尚更であった。

家族6人が揃って食べることが出来るのが一番であったが

それは今後も在り得ないことだと思う。

気を遣い過ぎてもいけないがささやかな遠慮も必要ではないだろうか。


娘夫婦が食べ始めても孫達は顔を見せなかった。

後から食べるらしいがお肉は残してあるのだろうか。

些細なことかもしれないが気になって仕方ない夜のことである。


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