ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年11月28日(木) 精一杯

晴れの予報だったが朝方少しだけ雨が降った。

丁度洗濯物を干し始めた時でがっかりである。

よほど大気が不安定だったのだろう。

日本海側では大荒れの天気だったようだ。

日中は嘘のようによく晴れたが気温はあまり上がらず

今季の最低気温だったことを夕方のニュースで知った。

日に日に寒さが更新されることだろう。もう真冬が近い。


朝の山道を行けばいつの間にかつわぶきの花が姿を消していた。

散ったのか枯れたのか花の命は短いものだ。

辺りの山も緑が薄れ所々に紅葉が見られるがほんの僅かであった。

次第に冬枯れて行く景色を今年も見届けなくてはいけない。




工場の仕事が途切れた。今週はもう車検の予約もなく

このまま師走になってしまうのだろう。

明日で車検切れになるお客さんに連絡をしてみたが

既に他の工場で車検済みとなっており残念である。

常連さんではなかったので仕方ないことだなと思う。


同僚があまりにも手持ち無沙汰にしていたので

私の車の車内清掃を頼んでみたら嫌がらずにやってくれて助かる。

几帳面な性格だけあって隅々まで丁寧に掃除機を掛けてくれた。

有難いことである。持つべきものは弟のような同僚であった。


午後は義父と工場の蛍光灯の交換作業である。

梯子では届かずフォークリフトにパレットを積み重ねてやっと届く。

てっきり同僚が上がるだろうと思っていたらなんと義父である。

とても81歳とは思えない身軽さでひょいひょいと飛び乗った。

落下すれば軽症では済まない。はらはらしながら見守るばかりである。

築50年が近い工場のことで蛍光灯の交換は初めてだったらしい。

ずいぶんと明るくなった。これなら義父の夜なべ仕事も捗るだろう。


急ぎの事務仕事もなく2時半に退社する。

明日はいよいよ月末の支払いをしなければいけない。

同僚のお給料もなんとかなりそうだった。

何だか武者震いをしているようでふっと可笑しくなる。

明日はきっと心地よい達成感に満たされることだろう。


夕食の支度が忙しい。あれもこれもと作っていた。

そうしたら知らない携帯番号から着信があり

工場の道路沿いに展示してある中古車の問い合わせであった。

大いに脈ありである。これは何としても売りたいと思う。

一気に販売意欲が強まりすっかり営業の顔になっていた。



夕食の支度は整ったが今夜はめいちゃんのダンス教室とのこと。

娘婿も一緒に行くそうで帰宅してから食べるのだそうだ。

早くて8時半だろう。あやちゃんも我慢して待っている。

今夜は手を抜いていないので美味しい顔が楽しみであった。


出来る事をといつも思う。しんどい時もいっぱいあるけれど

頼りにされている事ほど嬉しいことはなかった。

私は精一杯なのだ。それは「生きる」事と同じなのではないだろうか。



2024年11月27日(水) 一か八か

おおむね晴れ。気温は高からず低からずで過ごし易い一日だった。

11月も残り少なくなったがしばらくは穏やかな日が続きそうだ。


今朝はいつもより10分程早く家を出る。

書類に目を通し監査で不備が無いようにしておきたかった。

本来は抜き打ち監査なのだが今日来ることが分っており

ラッキーなことだと思う。おまけに8時半に電話があった。

そうして9時には二名の監査員がやって来る。

とても愛想の良い人達で一気に緊張が解されていた。

ざっと書類に目を通すと義父との談義が始まりその場も和む。

話し上手な義父だけあって監査員の人達も笑顔を見せてくれた。

30分程で監査終了である。幸い深く追求されることもなかったのだ。

一年に一度のことなのでこれでもう来年まで安泰である。


ひと山越えて次は月末の資金繰りであったが

例の事故車の修理が完了しておりお客さんが即金で支払ってくれた。

分割を頼まれたらどうしようと思っていただけに何とも有難い。

半分は義父の手当てになったが残りは会社の資金になる。

ぎりぎりではあったがこれで月末を乗り越えられそうだった。

まるで綱渡りのようであるがもう落下することはないだろう。

先月もそうだったがやはり母が助けてくれているとしか思えない。




整形外科のリハビリのある日だった。

それが大変なことになり途方に暮れるばかり。

退社する寸前に咳き込んでしまって失禁をしてしまったのだ。

ナプキンも失禁パンツも役に立たずズボンを濡らしてしまったのである。

一度帰宅してズボンを履き替えようかと思ったがもう時間がない。

幸い股の部分が湿っているだけだったので強行手段を選ぶ。

一か八かである。こればかりは療法士のU君次第であった。

どきどきはらはらであったが少し痛みがあることを伝えると

股を開いたり閉じたりする療法は控えてくれたのだった。

良かったバレずに済んだ。なんとほっとしたことだろうか。

しかし今後も要注意である。履き替えようのズボンを用意さえしていれば

急場を凌げる。リハビリの無い日でもそれは役に立つだろう。

いやズボンだけではいけない。下着も同じくである。


それにしてもずいぶんとゆるくなったものだ。

笑い話ではなくこれはいささか深刻なモンダイであった。

やはりやがては紙パンツを履かねばならなくなるだろう。

他人事のように思っていたが我が身に降りかかって来た。


老いることは愉快でもあるが切なく嘆かわしいことでもある。

そんな老いと上手く付き合って行かねばならない。



2024年11月26日(火) 踏んだり蹴ったり

久しぶりに雨の一日。土砂降りの時間帯もあった。

夕方には止み一番星が見えると何とほっとする。

明日からしばらくはまた冬晴れの日が続きそうだ。


職場のすぐ近くに2本の銀杏の木があり

今朝は雨に打たれながらも輝くような黄金色であった。

以前は休憩時間に散歩をすることもあったが

今は到底無理である。写真を撮ることも出来ない。

車で通りすがりに仰ぎ見るだけになってしまった。


やがてはらはらと散り始めることだろう。

裸木になって北風に煽られながらすくっと立つ姿が目に見えるようだ。




ずっと働きづめだった義父が今日は休みを取っていた。

雨で農作業も出来ずお忍びで何処かに出掛けていたようだ。

あれこれと詮索をしないこと。余程のことが無い限り電話もNGである。

81歳の義父にもプライベートがある。自由奔法に過ごすことだ。

しかしとても一人とは思えず例の女性の顔が真っ先に浮かぶ。

同僚も同じことを考えていたらしくついつい噂話になってしまった。

老いらくの恋であろうか。まだまだ一花咲かせられるのかもしれない。

とにかく要らぬ口を叩いてはならない。好きなようにさせてやりたかった。


降りしきる雨に戸惑いながら随分と早く2時に退社する。

眠気もあり早く帰って炬燵で横になりたくてならなかった。

サニーマートで買い物を済ませ3時には帰宅する。

今日は娘が臨時の休みになっておりとても助かった。

台所の流しも綺麗に片付けてくれていて洗濯物も畳んでくれていた。

思わず「天国みたい」と夫に嬉しさを伝えずにはいられない。

早速炬燵に足を突っ込み30分程うたた寝をする。


同僚から電話があり私が帰ってから陸運支局の抜き打ち監査が来たらしい。

コロナ禍前は毎年の事だったがここ3年程遠ざかっていた。

社長であり検査員でもある義父が不在ではどうすることも出来ず

また明日出直して来ると言って帰って行ったそうだ。

こればかりは義父に知らせなければならず電話をしたが繋がらない。

いったい何処で何をしているのだろうと思わずにはいられなかった。


日が暮れてからやっと連絡が取れたが義父も焦っている様子である。

書類の不備はないと思うのだがあれこれと気になることが多かった。

とことん調べられたら不都合なことも無きにしも非ずである。

最悪の場合は罰せられ指定工場の取り消しになる恐れも考えられた。

「まあ明日のことよ」と義父を宥めて電話を切ったが

きっとなんとかなるだろうと思って明日に備えたいと思っている。


月末の資金繰りもままならず踏んだり蹴ったりであるが

くよくよ思い詰めていても何も変わらないのだと思う。

「何だってかかってこいや」ここは強気で乗り切るしかない。


私はそれほど強くはないが強くなろうとする「こころ」を持っている。





2024年11月25日(月) よいしょよいしょ

朝の気温は6℃と初冬らしい寒さとなる。

山里はもっと冷え込み4℃だったようだ。

まだまだ序の口の寒さである。やがて氷点下の朝を迎えることだろう。


職場に着くなり看板猫のみい太に追い掛け回される。

よほど空腹だったのだろう朝食の催促であった。

常連客のお客さんが来るのを待たせていたのだがうるさい程に鳴く。

すっかり猫係になっているお客さんには申し訳なかったが

先に餌を与えると脇目も振らずにがつがつとよく食べる。

お腹がいっぱいになるとふらりと散歩に出かけるのが日課であった。

もう野良猫だった頃の面影はなく何と幸せな猫だろうと思う。



仕事はお昼前にやっと車検のお客さんが来てくれた。

咽頭腫瘍の手術をしたそうで殆ど声が出ず憐れでならない。

それでも理容師として老人ホームなどに出張しているのだそうだ。

お店を持たなくてもそれで十分に食べていけるらしい。

もう70代だがまだまだ元気に働けそうに見える。


同僚は早速車検整備に取り掛かり工場にも活気が出て来た。

義父も負けてはいない。連休中も仕事をしていたらしく

長いこと預かっていた厄介な修理を完了させていた。

もう一台は自損事故でほぼ全損状態だった車の修理である。

高額にならなように配慮し中古部品で修理をしていた。

それもほぼ完了である。義父は満面の得意顔であった。

そんな時はとにかく褒める。「よいしょよいしょ」である。

その上に労いと感謝の気持ちをしっかりと伝えなければいけない。

それが今後の活力となり自信に繋がっていくのだろう。


事務仕事も忙しかったが法務局へ行かねばならず2時半に退社した。

いつもは空いている法務局であったが今日は少し混雑していて

待ち時間の長いこと。番号札を握りしめてひたすら待つ。

お客さんの代行であったが無事に謄本を受け取ることが出来た。


サニーマートで適当に買い物をし帰宅したらもう4時である。

新しい時代劇は「三匹が斬る」であった。

確か以前にも放送していたので新シリーズなのかもしれない。

高橋英樹、役所広司、春風亭小朝に加えまだあどけない杉田かおる。

ずいぶんと古い時代劇であったが見応えはありそうだった。

大相撲ロスの夫にも楽しみが出来て良かったと思う。


私は帰宅すると今日の出来事をまくしたてるのだが

夫は特に変わったことが無い限り無口を貫くことが多い。

それでも私の話に耳を傾けてくれ相槌を打ってくれるのが嬉しい。


もうすぐ46年目の結婚記念日が来るが後4年で金婚式である。

何としても元気でその日を迎えたいと願って止まない。



2024年11月24日(日) 小春日和に

気温は20℃に満たなかったが風もなく穏やかな小春日和となる。

SNSを見ていると「晩秋」と表現している人が多く

何となく違和感を感じるのは私だけだろうか。


立冬を過ぎ小雪を迎えたからには季節は「初冬」である。

「それは違いますよ」と決して云ってはならないもどかしさがあった。

季節は次第に真冬に向かっている。後一週間もすればもう師走なのだ。



毎年紅葉を見に行くのを楽しみにしているのだが

今年は夫の気が向かず即答で却下された。

近場にある「黒尊渓谷」であっても運転するのが億劫らしい。

さすがに独りで行けばいいとは云わなかったが寂しいものである。

年内のドライブはもう無理かもしれない。すっかり諦めモードになった。


ごろごろと寝てばかりいるのも飽きてしまって

断捨離を兼ねて衣替えをしていた。

秋物を仕舞い押し入れから冬物を引っ張り出す。

川仕事用の防寒着などは思い切って捨てることにした。

もう二度と着ることはないだろう。それも寂しいものである。

若い頃から着ていた物もあり懐かしくてならない。


断捨離の衣類は市のリサイクルに出すことにしている。

燃えるゴミとして出すのはどうしても抵抗があった。

リサイクルの仕組みには詳しくはないのだが

発展途上国へ送ったり他の何かに再生されているようだ。

日曜日でも受け入れてくれるのだが今日は持って行かなかった。

年末までにまた整理をすればもっと増えるだろうと思う。



午後は少しお昼寝をしてから夫と一緒に大相撲の千秋楽を観ていた。

十両から幕内までけっこう見応えがある。

夫は早くも相撲ロスになり掛けていて明日からの楽しみがないと云う。

「時代劇でも見れば」と告げると「それしかないな」と苦笑いしていた。

「破れ奉行」はもう終っていて次のドラマが始まっているはずである。

私も早く帰れた日には一緒に見れるので楽しみにしていよう。


例年なら海苔網を広げる作業をしている頃であった。

もう川へ行くこともないだろう。夫が少し憐れにも思える。

する仕事がないのだ。身体には楽だが精神的には辛いのではないだろうか。



夕飯は「水炊き」鶏肉と北海道産のタラをメインにする。

昨日搾った柚子と直七が役に立つ。とても美味しいポン酢が出来た。

あやちゃんは葛切りが大好物でにこにこの笑顔である。


昨夜は随分と遅かったらしく11時前に夕食を食べていた。

「待つけん」と言っていたあやちゃんも待ちくたびれたことだろう。

決して要らぬ口を叩いてはならず娘達の方針に逆らってはいけない。

けれども少しは気遣ってやって欲しいと願うこれも老婆心であった。


まあるくまあるく平穏であることが一番に思う。

例え家族であっても干渉してはならない。

何が正しくて何が間違っているかも口に出してはいけないのだ。


満天の星空であった。明日もきっと小春日和になるだろう。










2024年11月23日(土) 柚子と直七

冬型の気圧配置とか。その割に西日本は暖かく過ごし易かった。

札幌は雪。能登の被災地は冷たい雨だったようだ。


昨日は柚子農家さんから柚子をたくさん頂き

同僚は直七をこれもたくさん持って来てくれた。

勤労感謝の日でカーブスが休みだったので朝から果汁を搾る。

搾り機があれば簡単なのだが我が家にはそれがなく

半分に切っては手で絞らなければいけなかった。

けれどもそれが面白い。一時間程かかったが全て搾り終える。

柚子が五百ミリと直七は一リットルもあった。

これだけあれば一年は持ち美味しいポン酢醤油が出来る。

湯豆腐やしゃぶしゃぶには欠かせない物だ。


台所だけではなく家中に良い香りが漂っていた。

柑橘系の香りは心身ともに癒される気がする。

なんと有難く幸せなことだろう。




夫は高齢者講習のため自動車学校へ行っていた。

「とうとう俺もか」と苦笑いしながら出掛ける。

お昼には帰って来て誇らしげに終了証書を見せてくれた。

「次はお前の番だぞ」何だか少しも実感が湧かない。

もう2年もすればれっきとした高齢者なのだ。

車に乗れなくなったらどうしようと心細くもある。


このところ長距離運転が億劫になってしまった夫だが

本音は苦手になったのだろう。自信もないのかもしれない。

ドライブも近場が多くなり遠出をすることも全く無くなった。

元気なうちにと思うが「思い出作り」にも限界が生じる。


20代の頃には四国一周もした。

子供が出来てからは九州旅行にも行ったことがある。

別府の温泉街で一時停止を怠り反則切符を切られこともあった。

それさえも思い出となり随分と長い歳月が流れてしまったようだ。


高齢者の事故が後を絶たないこの頃である。

リスクを避けることを一番に考えなければいけないのだろう。




娘達がめいちゃんのダンス教室から「一条さん」に行くようで

まだ帰って来ておらずあやちゃんは夕食を食べられずに居る。

憐れに思い声を掛けたが「待つけん」の一点張りであった。

3年前までは家族揃って出掛けていたのが嘘のようである。

娘達も諦めているのかあやちゃんを誘うことをしなくなった。

もう留守番が当たり前になっているのだろう。

いつまでこんなことが続くのだろうと思うが

私達祖父母が口出しは出来ずそっと見守るしかなかった。

永遠は在り得ないと思うのだ。それにはきっかけが必要に思う。

そのきっかけは誰が作るのだろう。母親である娘なのではないだろうか。


老婆心ばかりがつのるが愛情には違いない。

背中を押すことが許されないのなら手を繋ぐことは出来るだと思う。

そこには大きな「拒絶」があるが手を差し出すことを諦めてはならない。


どんな気持ちで待っているのだろう。

娘達よどうか早く帰って来てやって下さい。



2024年11月22日(金) オムライス

二十四節気の「小雪」寒さが進みそろそろ雪が降る頃とされているが

北海道以外はまだ初雪も観測されてはいない。

温暖化の影響もあるのだろう今日も思いがけない程の小春日和となった。


四万十市では「一条大祭」が始まり今夜は前夜祭となっている。

昔からこの頃は厳しい寒さとなり雪がチラつくこともあった。

ここ数年は暖かい日が多く冬の風物詩とも呼べなくなっている。


「お客」と云って各家で無礼講の宴会をするのが習いであった。

無礼講なので案内がなくても勝手に上がり込みお酒をご馳走になる。

それはすっかり伝統行事になっていたのだが

コロナ禍からこっち自粛する家が多くなっているらしい。


随分と昔のことだが結婚する前にガソリンスタンドに勤めていた。

その頃はまだ飲酒運転の取り締まりも緩く

ガソリンを入れに来たお客さんにお酒を振舞うこともあった。

社長の家では大宴会をしており押し掛けるお客さんも多い。

今では考えられないことだがその当時はそれが普通のことだったのだ。


スタンドは男性陣に任せ女性陣は皆社長宅に手伝いに行かされていた。

皿鉢料理はもちろんだが大鍋で「おでん」を煮込んでおり

具が残り少なくなると近くのスーパーに買い出しに行かされる。

竹輪でも蒟蒻でもいいとにかく鍋に放り込めば良かったのだ。

思い出せば愉快なことであるが任務を果たすのに必死であった。


「一条大祭」は「一条さん」と呼ばれ市民に親しまれている。

思い出は数々あるが一番はこの「おでん騒動」であった。

毎年一条さんが来るたびに真っ先に思い出している。





金曜日だったが整形外科のリハビリのある日だった。

おまけに三週間に一度の診察もあり時間が気になってしょうがない。

リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長いのだ。

以前は遅くなると「ほか弁」を買い求めていたのだが

普段の手抜きにそれ以上の手抜きは出来ないと思う。

娘の帰りが遅くても一人でやれるだけのことを頑張っていた。


四時過ぎに診察が終わる。薬局で薬を受け取ると直ぐに買い物に走る。

タタキ用の藁焼き鰹。お総菜売り場できつね色の鯵フライを買う。

メインはオムライスだった。卵を買い忘れてはならない。


帰宅したらぎりぎりセーフである。大急ぎで洗濯物を畳む。

「さあ作ろう」台所で奮闘していたらあやちゃんが来てくれた。

手伝う気は全くない様子で「今夜は何?」と笑顔で訊いてくれる。

昨夜もそうだったが声を掛けてくれるだけで嬉しくてならない。

「オムライスよ」と応えると「やったあ」と喜んでくれた。


ほっこりと優しい気持ちになる。それはあやちゃんも同じだろう。

つんつんしたり無視したりされたら誰だって辛くなる。

ほんのささやかなことではあったがオムライスにケチャップで

「あや」と書いた。


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