ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年11月24日(日) 小春日和に

気温は20℃に満たなかったが風もなく穏やかな小春日和となる。

SNSを見ていると「晩秋」と表現している人が多く

何となく違和感を感じるのは私だけだろうか。


立冬を過ぎ小雪を迎えたからには季節は「初冬」である。

「それは違いますよ」と決して云ってはならないもどかしさがあった。

季節は次第に真冬に向かっている。後一週間もすればもう師走なのだ。



毎年紅葉を見に行くのを楽しみにしているのだが

今年は夫の気が向かず即答で却下された。

近場にある「黒尊渓谷」であっても運転するのが億劫らしい。

さすがに独りで行けばいいとは云わなかったが寂しいものである。

年内のドライブはもう無理かもしれない。すっかり諦めモードになった。


ごろごろと寝てばかりいるのも飽きてしまって

断捨離を兼ねて衣替えをしていた。

秋物を仕舞い押し入れから冬物を引っ張り出す。

川仕事用の防寒着などは思い切って捨てることにした。

もう二度と着ることはないだろう。それも寂しいものである。

若い頃から着ていた物もあり懐かしくてならない。


断捨離の衣類は市のリサイクルに出すことにしている。

燃えるゴミとして出すのはどうしても抵抗があった。

リサイクルの仕組みには詳しくはないのだが

発展途上国へ送ったり他の何かに再生されているようだ。

日曜日でも受け入れてくれるのだが今日は持って行かなかった。

年末までにまた整理をすればもっと増えるだろうと思う。



午後は少しお昼寝をしてから夫と一緒に大相撲の千秋楽を観ていた。

十両から幕内までけっこう見応えがある。

夫は早くも相撲ロスになり掛けていて明日からの楽しみがないと云う。

「時代劇でも見れば」と告げると「それしかないな」と苦笑いしていた。

「破れ奉行」はもう終っていて次のドラマが始まっているはずである。

私も早く帰れた日には一緒に見れるので楽しみにしていよう。


例年なら海苔網を広げる作業をしている頃であった。

もう川へ行くこともないだろう。夫が少し憐れにも思える。

する仕事がないのだ。身体には楽だが精神的には辛いのではないだろうか。



夕飯は「水炊き」鶏肉と北海道産のタラをメインにする。

昨日搾った柚子と直七が役に立つ。とても美味しいポン酢が出来た。

あやちゃんは葛切りが大好物でにこにこの笑顔である。


昨夜は随分と遅かったらしく11時前に夕食を食べていた。

「待つけん」と言っていたあやちゃんも待ちくたびれたことだろう。

決して要らぬ口を叩いてはならず娘達の方針に逆らってはいけない。

けれども少しは気遣ってやって欲しいと願うこれも老婆心であった。


まあるくまあるく平穏であることが一番に思う。

例え家族であっても干渉してはならない。

何が正しくて何が間違っているかも口に出してはいけないのだ。


満天の星空であった。明日もきっと小春日和になるだろう。










2024年11月23日(土) 柚子と直七

冬型の気圧配置とか。その割に西日本は暖かく過ごし易かった。

札幌は雪。能登の被災地は冷たい雨だったようだ。


昨日は柚子農家さんから柚子をたくさん頂き

同僚は直七をこれもたくさん持って来てくれた。

勤労感謝の日でカーブスが休みだったので朝から果汁を搾る。

搾り機があれば簡単なのだが我が家にはそれがなく

半分に切っては手で絞らなければいけなかった。

けれどもそれが面白い。一時間程かかったが全て搾り終える。

柚子が五百ミリと直七は一リットルもあった。

これだけあれば一年は持ち美味しいポン酢醤油が出来る。

湯豆腐やしゃぶしゃぶには欠かせない物だ。


台所だけではなく家中に良い香りが漂っていた。

柑橘系の香りは心身ともに癒される気がする。

なんと有難く幸せなことだろう。




夫は高齢者講習のため自動車学校へ行っていた。

「とうとう俺もか」と苦笑いしながら出掛ける。

お昼には帰って来て誇らしげに終了証書を見せてくれた。

「次はお前の番だぞ」何だか少しも実感が湧かない。

もう2年もすればれっきとした高齢者なのだ。

車に乗れなくなったらどうしようと心細くもある。


このところ長距離運転が億劫になってしまった夫だが

本音は苦手になったのだろう。自信もないのかもしれない。

ドライブも近場が多くなり遠出をすることも全く無くなった。

元気なうちにと思うが「思い出作り」にも限界が生じる。


20代の頃には四国一周もした。

子供が出来てからは九州旅行にも行ったことがある。

別府の温泉街で一時停止を怠り反則切符を切られこともあった。

それさえも思い出となり随分と長い歳月が流れてしまったようだ。


高齢者の事故が後を絶たないこの頃である。

リスクを避けることを一番に考えなければいけないのだろう。




娘達がめいちゃんのダンス教室から「一条さん」に行くようで

まだ帰って来ておらずあやちゃんは夕食を食べられずに居る。

憐れに思い声を掛けたが「待つけん」の一点張りであった。

3年前までは家族揃って出掛けていたのが嘘のようである。

娘達も諦めているのかあやちゃんを誘うことをしなくなった。

もう留守番が当たり前になっているのだろう。

いつまでこんなことが続くのだろうと思うが

私達祖父母が口出しは出来ずそっと見守るしかなかった。

永遠は在り得ないと思うのだ。それにはきっかけが必要に思う。

そのきっかけは誰が作るのだろう。母親である娘なのではないだろうか。


老婆心ばかりがつのるが愛情には違いない。

背中を押すことが許されないのなら手を繋ぐことは出来るだと思う。

そこには大きな「拒絶」があるが手を差し出すことを諦めてはならない。


どんな気持ちで待っているのだろう。

娘達よどうか早く帰って来てやって下さい。



2024年11月22日(金) オムライス

二十四節気の「小雪」寒さが進みそろそろ雪が降る頃とされているが

北海道以外はまだ初雪も観測されてはいない。

温暖化の影響もあるのだろう今日も思いがけない程の小春日和となった。


四万十市では「一条大祭」が始まり今夜は前夜祭となっている。

昔からこの頃は厳しい寒さとなり雪がチラつくこともあった。

ここ数年は暖かい日が多く冬の風物詩とも呼べなくなっている。


「お客」と云って各家で無礼講の宴会をするのが習いであった。

無礼講なので案内がなくても勝手に上がり込みお酒をご馳走になる。

それはすっかり伝統行事になっていたのだが

コロナ禍からこっち自粛する家が多くなっているらしい。


随分と昔のことだが結婚する前にガソリンスタンドに勤めていた。

その頃はまだ飲酒運転の取り締まりも緩く

ガソリンを入れに来たお客さんにお酒を振舞うこともあった。

社長の家では大宴会をしており押し掛けるお客さんも多い。

今では考えられないことだがその当時はそれが普通のことだったのだ。


スタンドは男性陣に任せ女性陣は皆社長宅に手伝いに行かされていた。

皿鉢料理はもちろんだが大鍋で「おでん」を煮込んでおり

具が残り少なくなると近くのスーパーに買い出しに行かされる。

竹輪でも蒟蒻でもいいとにかく鍋に放り込めば良かったのだ。

思い出せば愉快なことであるが任務を果たすのに必死であった。


「一条大祭」は「一条さん」と呼ばれ市民に親しまれている。

思い出は数々あるが一番はこの「おでん騒動」であった。

毎年一条さんが来るたびに真っ先に思い出している。





金曜日だったが整形外科のリハビリのある日だった。

おまけに三週間に一度の診察もあり時間が気になってしょうがない。

リハビリは直ぐに終ったが診察までの待ち時間が長いのだ。

以前は遅くなると「ほか弁」を買い求めていたのだが

普段の手抜きにそれ以上の手抜きは出来ないと思う。

娘の帰りが遅くても一人でやれるだけのことを頑張っていた。


四時過ぎに診察が終わる。薬局で薬を受け取ると直ぐに買い物に走る。

タタキ用の藁焼き鰹。お総菜売り場できつね色の鯵フライを買う。

メインはオムライスだった。卵を買い忘れてはならない。


帰宅したらぎりぎりセーフである。大急ぎで洗濯物を畳む。

「さあ作ろう」台所で奮闘していたらあやちゃんが来てくれた。

手伝う気は全くない様子で「今夜は何?」と笑顔で訊いてくれる。

昨夜もそうだったが声を掛けてくれるだけで嬉しくてならない。

「オムライスよ」と応えると「やったあ」と喜んでくれた。


ほっこりと優しい気持ちになる。それはあやちゃんも同じだろう。

つんつんしたり無視したりされたら誰だって辛くなる。

ほんのささやかなことではあったがオムライスにケチャップで

「あや」と書いた。



2024年11月21日(木) 遅咲きの秋桜

日中はたっぷりの陽射しが降り注ぎ小春日和となった。

遅咲きの秋桜だろうか。山里の県道沿いにひっそりと咲いている。

それが赤みがかった葡萄色の花ではっとするような鮮やかさなのだ。

そんな道をお遍路さんの鈴の音がちりんちりんとこだましていた。


職場に着くともう隣の敷地へ大工さんが来て仕事を始めている。

今年中には完成すのではないだろうかとても立派で大きな家であった。

今後はお隣さんとしてお付き合いをしなければならないが

まだ若者らしく礼儀知らずなのだろう。一度も顔を見せたことがない。

子供が4人いるらしい。これからはさぞかし賑やかになることだろう。



今日は車検の予約が入っておらず同僚ものんびりであった。

工場内の片づけや整理をしたりして過ごす。

違反行為ではあるが燃えるゴミはドラム缶で焼く。

お隣さんが住むようになるとすぐに苦情が来ることだろう。

昔は工場周辺は田んぼばかりだったそうだ。

新しい県道が出来てから少しずつ様変わりして来た。

長閑な田舎であるが県道の交通量も多くなって来ている。


私が子供時代を過ごしたのは9歳から3年間であったが

その当時住んでいた官舎はもう取り壊され更地になっている。

ブロック塀と植木だけは残っており当時の面影が僅かに残っていた。

南天の木があるのだ。雪が降ると雪うさぎの赤い目になった。

弟とキャッチボールをした庭の辺りには砂利が敷かれてある。

父も母も弟もいた。「ゆう」と云う名の猟犬もいた。

遠い日の記憶が鮮やかに蘇って来るとても懐かしい場所である。





来客もなく特に急ぎの仕事もなかったので2時で終わらせてもらう。

夫のパジャマを買い求めたくて「しまむら」に寄っていた。

冬のパジャマはあるのだが薄手の秋物を欲しがっていた。

もしかしたら半額品があるかもと期待していたが全て冬物である。

あれこれと見て回って長袖Tシャツとスエットパンツを買う。

これでやっと今夜から夏の恰好を止めてくれそうだ。

帰宅して見せたらまるで子供のように喜んでいた。


3時半には帰宅していたので洗濯物を畳んでから横になる。

大相撲を観ているつもりだったがいつの間にか5時まで寝ていた。

炬燵はまだ通電していないが足を突っ込むだけで天国のようである。



玄関のチャイムが鳴ってあやちゃんの担任の先生が来てくれた。

いつものように夫が応対しあやちゃんを呼びに行く。

今日こそはと思っていたのだが気が向かないのだそうだ。

夫が説得していたが無理で先生を待たせるばかりである。

仕方なく帰って貰ったが何とも気の毒でならなかった。


夕食の支度をしていたらあやちゃんが笑顔で傍に来て

「おばあちゃん今夜は何?」とケロッとした様子である。

先生に会うのがよほど気が重かったのだろうか。

それをを吹っ切ったような安堵の気持ちが窺われた。


些細な事のように思えるがあやちゃんにとっては重大なことなのだろう。

ノルマとして受け止めてしまえば自分を追い詰めてしまう。

それを避けるために自我を守り続けているとしか思えなかった。

あっという間の一年である。きっと「これから」なのだろう。

随分と長いトンネルであったが出口から射し込む光があるのに違いない。



2024年11月20日(水) ニラのナムル

朝の寒さは日毎に強まっているようだが日中はずいぶんと暖かい。

今日は特に風がなかったのでぽかぽかの小春日和になった。


国道沿いの皇帝ダリアのなんと逞しいことだろう。

車が停められたら写真を撮ってみたいのだが

交通量の多い朝のことで他人様に迷惑をかけるだろう。

四万十川と国道の間にある小さな畑の片隅である。

朝陽が川面に光り皇帝ダリアもきらきらと輝いているのだった。

おそらくすぐ近くの民家の畑なのだろう。

育ち始めた冬野菜と皇帝ダリアはとても相性が良さそうだ。


写真を撮らなくなってずいぶんと経った。

目がそのままシャッターならどんなに良いだろうかと思う。




朝一で車検の車を引き取りに行く。

もう80歳が近い高齢のお客さんだった。

息子さんも長い付き合いで私のパソコンの師匠でもある。

四万十市内の電器店に勤めていたが今年の春に閉店となってしまった。

次の勤め先も決まらないままの理不尽な解雇だったらしい。

ハローワークに行っても特技を活かせる仕事が見つからず

悩みに悩んだ挙句とうとう精神を病んでしまったのだそうだ。

母親であるお客さんから相談を受けたが何の手立てもなかった。

とにかくゆっくりと休ませてあげることが一番に思える。

明るく朗らかな青年だっただけに残念でならない。

仕事さえ見つかれば気力も湧いてくるかもしれないが

全く畑違いの仕事に就くのも憐れに思えるのだった。


2時過ぎには車検が完了し同僚と納車に行く。

庭の小菊が満開になっており陽射しを浴びていた。

息子さんには会えなかったがどうかどうかと手を合わす。

きっと光が射す日が来るだろうと信じたくてならなかった。



3時前に退社し帰り道のお客さんに車検証を届けに行く。

車が見当たらず何処かに出掛けているようだったが

玄関が開いていたので下駄箱の上に置いて来た。

ボックスティッシュとかぼすジュースを添える。

お孫さんのベビーカーが置いてあり何とも微笑ましい。


買い物を済ませ4時に帰宅したら夫が心配顔で「めいがまだ帰らん」と。

水曜日は短縮授業なので下校時間がいつもより早いのだ。

校庭で一輪車の練習をしているかもしれないと思い見に行こうとしたら

お向かいのご主人に会って今日は通常通りの授業なのだそうだ。

お向かいのせりちゃんとは仲良しでいつも一緒に帰って来る。

「もうそろそろ帰ってくるよ」と言ってくれてほっとした。


娘が帰宅してから話したら娘もすっかり忘れていたそうだ。

「そう云えばそんなこと言いよった」と母親とは思えないセリフである。

けれども何事もなかったのだから良しとしよう。


めいちゃんは「ニラのナムル」が大好物で一人で全部平らげる。

流し台の前で並んだらずいぶんと背が高くなっており驚いた。

来春にはもう5年生なのだ。信じられない程の成長である。


泣き虫でかん虫で甘えん坊のめいちゃんであったが

両親の期待を一気に引き受けているように感じる。

最近あやちゃんと一緒に夕食を食べなくなった。

子供心に気を遣っているのだろう。

その健気な姿にほろりとせずにはいられない。



2024年11月19日(火) きつね色のコロッケ

今朝は今季一番の冷え込みとなる。

日中もあまり気温が上がらず師走並みの気温となった。


詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったニュースが流れる。

92歳の天寿を全うしたようだった。

「空に小鳥がいなくなった日」と云う詩集を持っているが

いつから私の手元にあったのだろう。

ずいぶんと若い頃に買い求めていたようだ。


夫に亡くなったことを話したら「はあ?誰やそれは」と訊かれた。

夫にとっては全く無関係なのだ。いや無関心と云うべきか。

どれほど有名な詩人であっても知らない人もいることに驚く。

生涯を書き尽くした人である。多くの人の心にその詩は残るだろう。




同僚も出勤し頭数が揃うと「さあやるぞ」と気合が入る。

早速オイル交換と車検のお客さんが来てくれて有難いこと。

義父も例の厄介な修理に力を尽くしていた。


オイル交換のお客さんに珈琲を淹れてしばし語り合っていた。

義父の親戚に当たる女性なのだがとにかくよくしゃべる。

これは血筋かもしれないと思うと少し愉快でもあった。

話しが諄いのもよく似ている。義父の実の娘ではないかと思う程だった。


車検は一日車検なので今日中に仕上げなければいけない。

2時には整備が終わっていたが車内の清掃、洗車に時間が掛かる。

3時過ぎに検査を終え書類を整えてやっと完了であった。

4時前に退社。今日はすっかり遅くなってしまう。

サニーマートへ行って驚いたのは「きつね色のコロッケ」であった。

つい先日まで「たぬき色」だったのが嘘のようである。

あまりに美味しそうだったので6個買い求めた。

どうやら私のクレームを真摯に受け止めてくれたようである。

要らぬ口を叩いたのではと気になっていたのだが

まさかこんなに早く改善されるとは思ってもいなかった。

他の揚げ物をゆっくり見る時間はなかったが明日からが楽しみである。

クレーマーと呼ばれようと言ってみるものだなと思った。


5時前に帰宅。もう横になる時間はなく洗濯物を畳む。

めいちゃんのランドセルが玄関に在り姿は見えなかった。

夫に訊けばお友達と一輪車の練習に出掛けたらしい。

放課後は一度帰宅してから校庭に行かなければいけないようだ。

日はすっかり短くなり直ぐに薄暗くなってしまう。

下校後に遊んでしまえばもちろん宿題は出来なかった。

老婆心に他ならないがどうして毎日宿題を出すのだろうと思う。

勉強は学校だけで十分なのではないだろうか。


夫に云わせれば土曜日が休みになっているからだそうだ。

その分学習不足になるので宿題で補っているらしい。

それも納得出来なくもないがそれほどに学習が大切とは思えなかった。


夕飯時も宿題である。娘がトレーに載せて二階へと運ぶ。

もう8時になるがまだ終わらないようで可哀想でならない。

こればかりは例え私がクレーマーでも改善することはないだろう。

けれどもせめて一日だけでも自由にさせてやって欲しいものである。


「きつね色のコロッケ」は好評で全て完食であった。

これが私の手作りならもっと喜んで貰えることだろう。

もう何年も作ったことはないが孫達に食べさせてやりたいものである。








2024年11月18日(月) 明日はどうしよう

陽射しはたっぷりとあったが北風の冷たい一日。

西高東低の気圧配置となりとうとう冬の訪れである。

夕方から気温が下がり始めておりちゃんちゃんこを羽織った。

娘達が暖房を点けており少しでも節電しようと我慢している。


入浴後の夫はまだ半袖と短パン姿であった。

寒くはないそうでまるで若者のようである。

年寄りの冷や水にならなければ良いがと気遣わずにはいられない。


血圧は正常値。少しずつ寒さに慣れなければと思う。

急激に血圧が高くなり死ぬことはないと主治医は言ったが

どうしてそんなことが信じられようか。

おそらく医師は私の不安症を和らげるためにそう言ったのだろう。

暗示に掛かるのが一番危険である。「大丈夫、大丈夫」と念じよう。





月曜日であったが同僚が高知市へ出張のため開店休業となりそうだった。

整備の講習会に参加しなければならず早朝から出掛けたようだ。

義父はてっきり農作業だと思い込んでいたのだが

長いこと預かっている厄介な修理に精を出していた。

おそらく開店休業にする訳にはいかないと思ったのだろう。

それが何と驚くほど働くこと。昼食も食べようとはしない。

これまでも手を尽くしてきたがまだ完璧ではないのだそうだ。

お客さんが様子を見に来たら80%と応える。

あと20%なのだ。何としても直そうとする意気込みを感じた。


事務仕事は一段落していたので2時半で終らせてもらう。

帰り際に「ちゃんとお昼を食べたよ」と言い残して帰路に就く。

後ろ髪を引かれるような気持であったが早く家に帰りたかった。

炬燵に潜り込んで横になることばかり考えていたのだった。


娘の休みは一週間だとばかり思い込んでいたのだが

私の聞き間違いだったのだろう。今日から通常通り出勤していた。

また全ての家事が圧し掛かって来る。こればかりは仕方ないことである。

如何に手を抜くかだがそれにも限界があり出来ることをと思う。

夕飯はホットプレートで鉄板焼きにして急場を凌いだ。

明日はどうしよう。悩みの種がどんどん増えて行きそうであった。


話しが前後するが帰宅した時に夫が作業場に行ってみるかと言う。

先日から娘達が片付けていたので私も気になっていた。

「これを見てみろ」夫が指差した先に大きな冷蔵庫がある。

中古品のようであったが中は綺麗でまだ上等に見えた。

いったい何のために。それが一番の疑問だったので

夫とあれこれと詮索せずにはいられなかった。

私は近いうちの別居のために準備をしているのではないかと。

夫は娘婿の友人達の溜まり場になるのでビールを冷やすのだと言う。

どちらが正解かは分からないが何だか不可解なことであった。


私達の知らない処で何かが動き出しているような気がしてならない。

娘との会話は殆ど無く何を考えているのか全く分からない。

同じ一つ屋根の下に暮らしながらもはや2世帯の我が家であった。


別居は覚悟しているが「いま」であってはならないのだ。

今日もあやちゃんは何度も茶の間に下りて来て夫と話したそうだ。

きっと炬燵が嬉しかったのだろう。ほんわかと優しい気持ちになる。


一番に何を守るべきか。娘達には言えないことが多過ぎるこの頃であった。




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