日中はたっぷりの陽射しが降り注ぎ小春日和となった。
遅咲きの秋桜だろうか。山里の県道沿いにひっそりと咲いている。
それが赤みがかった葡萄色の花ではっとするような鮮やかさなのだ。
そんな道をお遍路さんの鈴の音がちりんちりんとこだましていた。
職場に着くともう隣の敷地へ大工さんが来て仕事を始めている。
今年中には完成すのではないだろうかとても立派で大きな家であった。
今後はお隣さんとしてお付き合いをしなければならないが
まだ若者らしく礼儀知らずなのだろう。一度も顔を見せたことがない。
子供が4人いるらしい。これからはさぞかし賑やかになることだろう。
今日は車検の予約が入っておらず同僚ものんびりであった。
工場内の片づけや整理をしたりして過ごす。
違反行為ではあるが燃えるゴミはドラム缶で焼く。
お隣さんが住むようになるとすぐに苦情が来ることだろう。
昔は工場周辺は田んぼばかりだったそうだ。
新しい県道が出来てから少しずつ様変わりして来た。
長閑な田舎であるが県道の交通量も多くなって来ている。
私が子供時代を過ごしたのは9歳から3年間であったが
その当時住んでいた官舎はもう取り壊され更地になっている。
ブロック塀と植木だけは残っており当時の面影が僅かに残っていた。
南天の木があるのだ。雪が降ると雪うさぎの赤い目になった。
弟とキャッチボールをした庭の辺りには砂利が敷かれてある。
父も母も弟もいた。「ゆう」と云う名の猟犬もいた。
遠い日の記憶が鮮やかに蘇って来るとても懐かしい場所である。

来客もなく特に急ぎの仕事もなかったので2時で終わらせてもらう。
夫のパジャマを買い求めたくて「しまむら」に寄っていた。
冬のパジャマはあるのだが薄手の秋物を欲しがっていた。
もしかしたら半額品があるかもと期待していたが全て冬物である。
あれこれと見て回って長袖Tシャツとスエットパンツを買う。
これでやっと今夜から夏の恰好を止めてくれそうだ。
帰宅して見せたらまるで子供のように喜んでいた。
3時半には帰宅していたので洗濯物を畳んでから横になる。
大相撲を観ているつもりだったがいつの間にか5時まで寝ていた。
炬燵はまだ通電していないが足を突っ込むだけで天国のようである。
玄関のチャイムが鳴ってあやちゃんの担任の先生が来てくれた。
いつものように夫が応対しあやちゃんを呼びに行く。
今日こそはと思っていたのだが気が向かないのだそうだ。
夫が説得していたが無理で先生を待たせるばかりである。
仕方なく帰って貰ったが何とも気の毒でならなかった。
夕食の支度をしていたらあやちゃんが笑顔で傍に来て
「おばあちゃん今夜は何?」とケロッとした様子である。
先生に会うのがよほど気が重かったのだろうか。
それをを吹っ切ったような安堵の気持ちが窺われた。
些細な事のように思えるがあやちゃんにとっては重大なことなのだろう。
ノルマとして受け止めてしまえば自分を追い詰めてしまう。
それを避けるために自我を守り続けているとしか思えなかった。
あっという間の一年である。きっと「これから」なのだろう。
随分と長いトンネルであったが出口から射し込む光があるのに違いない。
朝の寒さは日毎に強まっているようだが日中はずいぶんと暖かい。
今日は特に風がなかったのでぽかぽかの小春日和になった。
国道沿いの皇帝ダリアのなんと逞しいことだろう。
車が停められたら写真を撮ってみたいのだが
交通量の多い朝のことで他人様に迷惑をかけるだろう。
四万十川と国道の間にある小さな畑の片隅である。
朝陽が川面に光り皇帝ダリアもきらきらと輝いているのだった。
おそらくすぐ近くの民家の畑なのだろう。
育ち始めた冬野菜と皇帝ダリアはとても相性が良さそうだ。
写真を撮らなくなってずいぶんと経った。
目がそのままシャッターならどんなに良いだろうかと思う。

朝一で車検の車を引き取りに行く。
もう80歳が近い高齢のお客さんだった。
息子さんも長い付き合いで私のパソコンの師匠でもある。
四万十市内の電器店に勤めていたが今年の春に閉店となってしまった。
次の勤め先も決まらないままの理不尽な解雇だったらしい。
ハローワークに行っても特技を活かせる仕事が見つからず
悩みに悩んだ挙句とうとう精神を病んでしまったのだそうだ。
母親であるお客さんから相談を受けたが何の手立てもなかった。
とにかくゆっくりと休ませてあげることが一番に思える。
明るく朗らかな青年だっただけに残念でならない。
仕事さえ見つかれば気力も湧いてくるかもしれないが
全く畑違いの仕事に就くのも憐れに思えるのだった。
2時過ぎには車検が完了し同僚と納車に行く。
庭の小菊が満開になっており陽射しを浴びていた。
息子さんには会えなかったがどうかどうかと手を合わす。
きっと光が射す日が来るだろうと信じたくてならなかった。
3時前に退社し帰り道のお客さんに車検証を届けに行く。
車が見当たらず何処かに出掛けているようだったが
玄関が開いていたので下駄箱の上に置いて来た。
ボックスティッシュとかぼすジュースを添える。
お孫さんのベビーカーが置いてあり何とも微笑ましい。
買い物を済ませ4時に帰宅したら夫が心配顔で「めいがまだ帰らん」と。
水曜日は短縮授業なので下校時間がいつもより早いのだ。
校庭で一輪車の練習をしているかもしれないと思い見に行こうとしたら
お向かいのご主人に会って今日は通常通りの授業なのだそうだ。
お向かいのせりちゃんとは仲良しでいつも一緒に帰って来る。
「もうそろそろ帰ってくるよ」と言ってくれてほっとした。
娘が帰宅してから話したら娘もすっかり忘れていたそうだ。
「そう云えばそんなこと言いよった」と母親とは思えないセリフである。
けれども何事もなかったのだから良しとしよう。
めいちゃんは「ニラのナムル」が大好物で一人で全部平らげる。
流し台の前で並んだらずいぶんと背が高くなっており驚いた。
来春にはもう5年生なのだ。信じられない程の成長である。
泣き虫でかん虫で甘えん坊のめいちゃんであったが
両親の期待を一気に引き受けているように感じる。
最近あやちゃんと一緒に夕食を食べなくなった。
子供心に気を遣っているのだろう。
その健気な姿にほろりとせずにはいられない。
今朝は今季一番の冷え込みとなる。
日中もあまり気温が上がらず師走並みの気温となった。
詩人の谷川俊太郎さんが亡くなったニュースが流れる。
92歳の天寿を全うしたようだった。
「空に小鳥がいなくなった日」と云う詩集を持っているが
いつから私の手元にあったのだろう。
ずいぶんと若い頃に買い求めていたようだ。
夫に亡くなったことを話したら「はあ?誰やそれは」と訊かれた。
夫にとっては全く無関係なのだ。いや無関心と云うべきか。
どれほど有名な詩人であっても知らない人もいることに驚く。
生涯を書き尽くした人である。多くの人の心にその詩は残るだろう。

同僚も出勤し頭数が揃うと「さあやるぞ」と気合が入る。
早速オイル交換と車検のお客さんが来てくれて有難いこと。
義父も例の厄介な修理に力を尽くしていた。
オイル交換のお客さんに珈琲を淹れてしばし語り合っていた。
義父の親戚に当たる女性なのだがとにかくよくしゃべる。
これは血筋かもしれないと思うと少し愉快でもあった。
話しが諄いのもよく似ている。義父の実の娘ではないかと思う程だった。
車検は一日車検なので今日中に仕上げなければいけない。
2時には整備が終わっていたが車内の清掃、洗車に時間が掛かる。
3時過ぎに検査を終え書類を整えてやっと完了であった。
4時前に退社。今日はすっかり遅くなってしまう。
サニーマートへ行って驚いたのは「きつね色のコロッケ」であった。
つい先日まで「たぬき色」だったのが嘘のようである。
あまりに美味しそうだったので6個買い求めた。
どうやら私のクレームを真摯に受け止めてくれたようである。
要らぬ口を叩いたのではと気になっていたのだが
まさかこんなに早く改善されるとは思ってもいなかった。
他の揚げ物をゆっくり見る時間はなかったが明日からが楽しみである。
クレーマーと呼ばれようと言ってみるものだなと思った。
5時前に帰宅。もう横になる時間はなく洗濯物を畳む。
めいちゃんのランドセルが玄関に在り姿は見えなかった。
夫に訊けばお友達と一輪車の練習に出掛けたらしい。
放課後は一度帰宅してから校庭に行かなければいけないようだ。
日はすっかり短くなり直ぐに薄暗くなってしまう。
下校後に遊んでしまえばもちろん宿題は出来なかった。
老婆心に他ならないがどうして毎日宿題を出すのだろうと思う。
勉強は学校だけで十分なのではないだろうか。
夫に云わせれば土曜日が休みになっているからだそうだ。
その分学習不足になるので宿題で補っているらしい。
それも納得出来なくもないがそれほどに学習が大切とは思えなかった。
夕飯時も宿題である。娘がトレーに載せて二階へと運ぶ。
もう8時になるがまだ終わらないようで可哀想でならない。
こればかりは例え私がクレーマーでも改善することはないだろう。
けれどもせめて一日だけでも自由にさせてやって欲しいものである。
「きつね色のコロッケ」は好評で全て完食であった。
これが私の手作りならもっと喜んで貰えることだろう。
もう何年も作ったことはないが孫達に食べさせてやりたいものである。
陽射しはたっぷりとあったが北風の冷たい一日。
西高東低の気圧配置となりとうとう冬の訪れである。
夕方から気温が下がり始めておりちゃんちゃんこを羽織った。
娘達が暖房を点けており少しでも節電しようと我慢している。
入浴後の夫はまだ半袖と短パン姿であった。
寒くはないそうでまるで若者のようである。
年寄りの冷や水にならなければ良いがと気遣わずにはいられない。
血圧は正常値。少しずつ寒さに慣れなければと思う。
急激に血圧が高くなり死ぬことはないと主治医は言ったが
どうしてそんなことが信じられようか。
おそらく医師は私の不安症を和らげるためにそう言ったのだろう。
暗示に掛かるのが一番危険である。「大丈夫、大丈夫」と念じよう。

月曜日であったが同僚が高知市へ出張のため開店休業となりそうだった。
整備の講習会に参加しなければならず早朝から出掛けたようだ。
義父はてっきり農作業だと思い込んでいたのだが
長いこと預かっている厄介な修理に精を出していた。
おそらく開店休業にする訳にはいかないと思ったのだろう。
それが何と驚くほど働くこと。昼食も食べようとはしない。
これまでも手を尽くしてきたがまだ完璧ではないのだそうだ。
お客さんが様子を見に来たら80%と応える。
あと20%なのだ。何としても直そうとする意気込みを感じた。
事務仕事は一段落していたので2時半で終らせてもらう。
帰り際に「ちゃんとお昼を食べたよ」と言い残して帰路に就く。
後ろ髪を引かれるような気持であったが早く家に帰りたかった。
炬燵に潜り込んで横になることばかり考えていたのだった。
娘の休みは一週間だとばかり思い込んでいたのだが
私の聞き間違いだったのだろう。今日から通常通り出勤していた。
また全ての家事が圧し掛かって来る。こればかりは仕方ないことである。
如何に手を抜くかだがそれにも限界があり出来ることをと思う。
夕飯はホットプレートで鉄板焼きにして急場を凌いだ。
明日はどうしよう。悩みの種がどんどん増えて行きそうであった。
話しが前後するが帰宅した時に夫が作業場に行ってみるかと言う。
先日から娘達が片付けていたので私も気になっていた。
「これを見てみろ」夫が指差した先に大きな冷蔵庫がある。
中古品のようであったが中は綺麗でまだ上等に見えた。
いったい何のために。それが一番の疑問だったので
夫とあれこれと詮索せずにはいられなかった。
私は近いうちの別居のために準備をしているのではないかと。
夫は娘婿の友人達の溜まり場になるのでビールを冷やすのだと言う。
どちらが正解かは分からないが何だか不可解なことであった。
私達の知らない処で何かが動き出しているような気がしてならない。
娘との会話は殆ど無く何を考えているのか全く分からない。
同じ一つ屋根の下に暮らしながらもはや2世帯の我が家であった。
別居は覚悟しているが「いま」であってはならないのだ。
今日もあやちゃんは何度も茶の間に下りて来て夫と話したそうだ。
きっと炬燵が嬉しかったのだろう。ほんわかと優しい気持ちになる。
一番に何を守るべきか。娘達には言えないことが多過ぎるこの頃であった。
雨上がりの晴天。陽射しが降り注ぎぽかぽかと暖かい。
「小春日和」は冬の季語だがまだ冬とは思えず
「秋晴れ」と云った方が相応しいだろう。
夫に手伝ってもらって炬燵布団とカーペットを干した。
明後日から冬らしくなるようなのでもう冬支度である。
朝の温度が低くなると温風ヒーターも必要になるだろう。
そろそろ灯油の準備もしておかなければならない。
ほうれん草の種蒔きどころではなくごろごろと寝てばかり。
3年前までは川仕事に出掛けていたのが嘘のように思う。
夫も私も楽になったがこの上なく怠惰に過ごすようになった。
長年頑張ったご褒美だと思えば有難いことである。
あとどれ程の老後が残っているのか分かる由もないが
ゆったりと穏やかに過ごしたいものだと思う。

午後の昼寝から目覚めてふと思い立ち3年前の日記を読み返していた。
青さ海苔の収穫が僅かにあった最後の年の事である。
他の誰でもない私が「嘆いてはいけない」と書いてあった。
まだ希望を捨ててはいなかったのだ。翌年こそはと思っていたのである。
その頃はまだ足の痛みもなくお大師堂にもお参りに行っていた。
手を合わせどれ程の事を願ったり感謝したことだろうか。
すべてが過ぎ去ったことであるが「歩み」だったのだと思う。
長い人生のほんの一部分かもしれないが掛け替えのない日々であった。
一年生になったばかりのめいちゃん。三年生のあやちゃんもいた。
色んなやり取りや会話が記されており懐かしくてならない。
もう保育園の送り迎えをしなくても良くなった私にあやちゃんが
「おばあちゃん楽になったね」と言ってくれた日もあった。
優しくて思い遣りのある子だったのだ。それは今でも変わらないと思う。
ぐるぐると回り続ける秒針。そうして時が刻まれて行く。
決して後戻りが出来ないけれど思い起こすことはいくらでも出来る。
今この時も二度とないが書き残すことは出来るのだ。
この日記も22年目となったが私達家族の歴史のように思う。
まだ嫁ぐ前の娘のこと。結婚すると言って突然家を出た息子のこと。
私は恋をしていてまだほんの少し「おんな」だったこと。
父の死。夫の失業。愛犬あんずの死。姑さんの死。母の死。
数え切れない程の出来事が走馬灯ように浮んで来るのだった。
何よりもこの長い年月を寄り添ってくれた人達が居ることを忘れてはならない。
読んでくれる人達のおかげで今まで書き続けることが出来たのだった。
あやちゃんの願いでSNSのリンクを外してしまったので
今後は家族の目にも触れることはないだろう。
死後のことを考えるとなんだか儚くてならないが
私の存在が消えてしまうのではないのだと思いたい。
明日も書けるだろうか。まさか最後ではあるまい。
いつもいつもそう思いながら一日を書き残している。
小雨が降ったり止んだり。まるで梅雨時のようであったが
明日は快晴の予報でほっと胸を撫で下ろしている。
炬燵布団を干して冬支度をしなければならない。
畑はあっても耕すことが出来ず荒れ放題であるが
プランターにほうれん草の種を蒔いてみたらどうだろう。
そんな突飛なことを思いついたりして可笑しくてならない。
素人の考えそうなことだが試してみる価値はあるかもしれない。
それに行動力が備わるかどうかがモンダイである。
土曜日は「カーブス休暇」私だけ仕事を休ませて貰っているので
疎かには出来ずほんの少し気合を入れて出掛けていた。
思いがけず友人の娘さんに会えて嬉しい。
メンバーは年配者が多いが若いメンバーも居るのだった。
若いことは素晴らしいことだと思う。活き活きとした笑顔が輝いている。
皆さん筋トレコースを二周するのだが私は一週にしている。
足が不自由なのもあるが心拍数が異常に高くなるのだった。
それでも汗が噴き出して来る。今日も心地よく汗を流すことが出来た。
帰りにサニーマートへ寄ったら駐車場で「おはよう」と声がする。
いつもガソリンを入れているスタンドの女の子だった。
車も顔も覚えてくれているのだなと嬉しく思う。
私も結婚前はガソリンスタンドに勤めていたが
お客さんの車はすっかり覚えており道で会ってもよく手を振っていた。
「覚える」ことはとても大切なことだなと思うのだ。
お客はもう他の店に行こうとは思わないだろう。すっかり常連になる。
午後は例の如くでごろごろと寝てばかりいたが
三時には大相撲中継が始まり夫と一緒に観ていた。
夫の解説入りなのでけっこう面白く楽しい。
夕飯はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」にしたが
六時からダンス教室が在り食べずに出掛けて行った。
夫と二人で先に食べ終えていたのだが珍しくあやちゃんが顔を見せる。
よほどお腹が空いていたのだろう母親たちを待てないと言う。
豚肉が好きでエノキ茸が大好きだった。
「おばあちゃんがしゃぶしゃぶしょうかね」と云うと素直に頷く。
こんなことは滅多にないことで嬉しくてならならない。
独りぼっちの食卓ではあったがとても美味しそうに食べてくれた。
「甘え」ではないかもしれないが頼りにしてくれているのだろう。
もしも別居していたらどんなにか寂しい思いをさせていただろうと思う。
学校の話題は禁物である。どんなに些細な事でも刺激してはならない。
あやちゃんには自分で決めた生活のリズムがあった。
それは私達が考えるよりずっと大切なことなのではないだろうか。
入浴後そっと声を掛けた。「お風呂入りたくなったら入ったよ」と
そうしたら「うん、分かった」と明るい声が聴こえた。
朝から降り始めた雨が今も降り続いている。
気温は20℃程で幸い冷たい雨ではなかったが
なんだか初冬の雨には思えず春先の雨のようであった。
父の命日であったが何も出来ず一日が暮れる。
お墓もなく遺骨は弟の家にそのままであった。
人並みの事が出来ない。最初は不憫でならなかったが
弟家族と共に暮らしているのだと思えるようになった。
生前の父は弟の家を訪ねても玄関から一歩も立ち入らなかったそうだ。
いったい何に遠慮していたのだろう。その理由は未だ分からぬままである。
もう21年の歳月が流れた。つい昨日の事に思えてならない。
最後に会った日から僅か9日後のことであった。
誰にも看取られずにアパートの一室で孤独死を遂げたのだった。
テレビを点けたまま下着姿で息絶えているのを
訪ねて来た友人に発見された。それは16日の夜のことである。
死後24時間を経過していた。なんと憐れな最期だったことだろう。
その夜は父の亡骸に添い寝した。それが少しも寂しくはなかったのだ。
きっと父の魂がずっと傍に居てくれたのだろう。
私はそれ以来父に守られ続けている。

仕事を終えてサニーマートで買い物をしていたら
なんとサニーマートから着信があった。
昼間ホームページの「意見要望」からメールを送信していたからだろう。
クレーマーにはなりたくなかったがそう思われても仕方ない。
お惣菜売り場の揚げ物がいつも揚げ過ぎているため改善を願った。
家族には不評で先日は固くて食べられなかったのだ。
店長さんと揚げ物担当と思われる女性と会った。
まさかこれ程までに大事になるとは思っておらず恐縮の至りである。
詳しい話を聞けば増々気の毒になって頭が下がるばかりであった。
揚げ物は全て会社のマニュアル通りに揚げているのだそうだ。
食材ごとに揚げ時間が決められておりタイマーを備え付けているらしい。
決してわざと揚げ過ぎていないことを初めて知った。
ただあまりの忙しさにうっかり遅れてしまうこともあるだろう。
ロボットではないのだものそれは当然のことだと思う。
こちらは揚げて貰っている作って貰っている方である。
毎日どれ程助かっていることだろうか。
女性店員さんはとても険しい顔をしてずっと俯いていた。
もしかしたら私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
朝から晩まで一日中揚げ物をしている人の苦労を考えてもいなかった。
失敗する時もあるのだ。マニュアル通りには決して行かない。
クレーマーの後悔はあったが不思議と気分が良かった。
話してみないと分からないものだなと思う。
きっとこれからも揚げ物を買い続けることだろう。
足の悪い私を気遣ってくれて店長さんが「どうかお気をつけて」と
言ってくれたのがとても嬉しかった。
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