ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年11月17日(日) 走馬灯のように

雨上がりの晴天。陽射しが降り注ぎぽかぽかと暖かい。

「小春日和」は冬の季語だがまだ冬とは思えず

「秋晴れ」と云った方が相応しいだろう。


夫に手伝ってもらって炬燵布団とカーペットを干した。

明後日から冬らしくなるようなのでもう冬支度である。

朝の温度が低くなると温風ヒーターも必要になるだろう。

そろそろ灯油の準備もしておかなければならない。



ほうれん草の種蒔きどころではなくごろごろと寝てばかり。

3年前までは川仕事に出掛けていたのが嘘のように思う。

夫も私も楽になったがこの上なく怠惰に過ごすようになった。

長年頑張ったご褒美だと思えば有難いことである。

あとどれ程の老後が残っているのか分かる由もないが

ゆったりと穏やかに過ごしたいものだと思う。





午後の昼寝から目覚めてふと思い立ち3年前の日記を読み返していた。

青さ海苔の収穫が僅かにあった最後の年の事である。

他の誰でもない私が「嘆いてはいけない」と書いてあった。

まだ希望を捨ててはいなかったのだ。翌年こそはと思っていたのである。

その頃はまだ足の痛みもなくお大師堂にもお参りに行っていた。

手を合わせどれ程の事を願ったり感謝したことだろうか。


すべてが過ぎ去ったことであるが「歩み」だったのだと思う。

長い人生のほんの一部分かもしれないが掛け替えのない日々であった。


一年生になったばかりのめいちゃん。三年生のあやちゃんもいた。

色んなやり取りや会話が記されており懐かしくてならない。

もう保育園の送り迎えをしなくても良くなった私にあやちゃんが

「おばあちゃん楽になったね」と言ってくれた日もあった。

優しくて思い遣りのある子だったのだ。それは今でも変わらないと思う。


ぐるぐると回り続ける秒針。そうして時が刻まれて行く。

決して後戻りが出来ないけれど思い起こすことはいくらでも出来る。

今この時も二度とないが書き残すことは出来るのだ。


この日記も22年目となったが私達家族の歴史のように思う。

まだ嫁ぐ前の娘のこと。結婚すると言って突然家を出た息子のこと。

私は恋をしていてまだほんの少し「おんな」だったこと。

父の死。夫の失業。愛犬あんずの死。姑さんの死。母の死。

数え切れない程の出来事が走馬灯ように浮んで来るのだった。


何よりもこの長い年月を寄り添ってくれた人達が居ることを忘れてはならない。

読んでくれる人達のおかげで今まで書き続けることが出来たのだった。


あやちゃんの願いでSNSのリンクを外してしまったので

今後は家族の目にも触れることはないだろう。

死後のことを考えるとなんだか儚くてならないが

私の存在が消えてしまうのではないのだと思いたい。


明日も書けるだろうか。まさか最後ではあるまい。

いつもいつもそう思いながら一日を書き残している。





2024年11月16日(土) しゃぶしゃぶ日和

小雨が降ったり止んだり。まるで梅雨時のようであったが

明日は快晴の予報でほっと胸を撫で下ろしている。

炬燵布団を干して冬支度をしなければならない。


畑はあっても耕すことが出来ず荒れ放題であるが

プランターにほうれん草の種を蒔いてみたらどうだろう。

そんな突飛なことを思いついたりして可笑しくてならない。

素人の考えそうなことだが試してみる価値はあるかもしれない。

それに行動力が備わるかどうかがモンダイである。



土曜日は「カーブス休暇」私だけ仕事を休ませて貰っているので

疎かには出来ずほんの少し気合を入れて出掛けていた。

思いがけず友人の娘さんに会えて嬉しい。

メンバーは年配者が多いが若いメンバーも居るのだった。

若いことは素晴らしいことだと思う。活き活きとした笑顔が輝いている。

皆さん筋トレコースを二周するのだが私は一週にしている。

足が不自由なのもあるが心拍数が異常に高くなるのだった。

それでも汗が噴き出して来る。今日も心地よく汗を流すことが出来た。


帰りにサニーマートへ寄ったら駐車場で「おはよう」と声がする。

いつもガソリンを入れているスタンドの女の子だった。

車も顔も覚えてくれているのだなと嬉しく思う。

私も結婚前はガソリンスタンドに勤めていたが

お客さんの車はすっかり覚えており道で会ってもよく手を振っていた。

「覚える」ことはとても大切なことだなと思うのだ。

お客はもう他の店に行こうとは思わないだろう。すっかり常連になる。



午後は例の如くでごろごろと寝てばかりいたが

三時には大相撲中継が始まり夫と一緒に観ていた。

夫の解説入りなのでけっこう面白く楽しい。


夕飯はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」にしたが

六時からダンス教室が在り食べずに出掛けて行った。

夫と二人で先に食べ終えていたのだが珍しくあやちゃんが顔を見せる。

よほどお腹が空いていたのだろう母親たちを待てないと言う。

豚肉が好きでエノキ茸が大好きだった。

「おばあちゃんがしゃぶしゃぶしょうかね」と云うと素直に頷く。

こんなことは滅多にないことで嬉しくてならならない。

独りぼっちの食卓ではあったがとても美味しそうに食べてくれた。


「甘え」ではないかもしれないが頼りにしてくれているのだろう。

もしも別居していたらどんなにか寂しい思いをさせていただろうと思う。


学校の話題は禁物である。どんなに些細な事でも刺激してはならない。

あやちゃんには自分で決めた生活のリズムがあった。

それは私達が考えるよりずっと大切なことなのではないだろうか。


入浴後そっと声を掛けた。「お風呂入りたくなったら入ったよ」と

そうしたら「うん、分かった」と明るい声が聴こえた。





2024年11月15日(金) 私はクレーマー

朝から降り始めた雨が今も降り続いている。

気温は20℃程で幸い冷たい雨ではなかったが

なんだか初冬の雨には思えず春先の雨のようであった。


父の命日であったが何も出来ず一日が暮れる。

お墓もなく遺骨は弟の家にそのままであった。

人並みの事が出来ない。最初は不憫でならなかったが

弟家族と共に暮らしているのだと思えるようになった。

生前の父は弟の家を訪ねても玄関から一歩も立ち入らなかったそうだ。

いったい何に遠慮していたのだろう。その理由は未だ分からぬままである。


もう21年の歳月が流れた。つい昨日の事に思えてならない。

最後に会った日から僅か9日後のことであった。

誰にも看取られずにアパートの一室で孤独死を遂げたのだった。

テレビを点けたまま下着姿で息絶えているのを

訪ねて来た友人に発見された。それは16日の夜のことである。

死後24時間を経過していた。なんと憐れな最期だったことだろう。


その夜は父の亡骸に添い寝した。それが少しも寂しくはなかったのだ。

きっと父の魂がずっと傍に居てくれたのだろう。

私はそれ以来父に守られ続けている。





仕事を終えてサニーマートで買い物をしていたら

なんとサニーマートから着信があった。

昼間ホームページの「意見要望」からメールを送信していたからだろう。

クレーマーにはなりたくなかったがそう思われても仕方ない。

お惣菜売り場の揚げ物がいつも揚げ過ぎているため改善を願った。

家族には不評で先日は固くて食べられなかったのだ。


店長さんと揚げ物担当と思われる女性と会った。

まさかこれ程までに大事になるとは思っておらず恐縮の至りである。

詳しい話を聞けば増々気の毒になって頭が下がるばかりであった。


揚げ物は全て会社のマニュアル通りに揚げているのだそうだ。

食材ごとに揚げ時間が決められておりタイマーを備え付けているらしい。

決してわざと揚げ過ぎていないことを初めて知った。

ただあまりの忙しさにうっかり遅れてしまうこともあるだろう。

ロボットではないのだものそれは当然のことだと思う。

こちらは揚げて貰っている作って貰っている方である。

毎日どれ程助かっていることだろうか。


女性店員さんはとても険しい顔をしてずっと俯いていた。

もしかしたら私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。

朝から晩まで一日中揚げ物をしている人の苦労を考えてもいなかった。

失敗する時もあるのだ。マニュアル通りには決して行かない。


クレーマーの後悔はあったが不思議と気分が良かった。

話してみないと分からないものだなと思う。

きっとこれからも揚げ物を買い続けることだろう。


足の悪い私を気遣ってくれて店長さんが「どうかお気をつけて」と

言ってくれたのがとても嬉しかった。






2024年11月14日(木) 綺麗さっぱり

曇り日。天気は下り坂のようだ。

気温は20℃を超えていたが風があり随分と涼しく感じた。


朝の道。国道の「伊豆田トンネル」を通過中に

リヤカーを引っ張りながら歩くお遍路さんを見かけた。

暗かったので荷物の様子まではよく分からなかったが

生活必需品一式を積んでいるように見えた。

確実に野宿である。何と苦労な旅だろうと憐れにも思える。

交通量の多いトンネル内を歩くのも危険が伴うだろう。

逆打ちだったので東に向かう。次の札所は四万十町の岩本寺だった。

しばらくは海岸線だが「片坂」の厳しい峠はどんなにか辛いに違いない。

故郷を捨てた職業遍路さんなら尚更のこと不憫でならなかった。




義父が高知市へ出張。今日は整備振興会の理事会があった。

スーツ姿に赤いネクタイがよく似合う。とても81歳には見えない。

「忘れ物はないかね?気を付けて行ったよ」

義理の娘であるがまるで妻であるかのように送り出す。

その後は同僚と肩の力を抜きぼちぼちと仕事をこなすばかりである。


来客があり新車購入が決まる。明日にでも契約をと言ってくれた。

早く義父に報せたかったが会議中なので明日の朝にすることに。

以前から脈はあったのだがはっきりとした返事はなかったのだ。

やっと決心してくれたことがとても嬉しくてならない。

営業は私の得意分野であるが最終的には義父に任すことにしている。

そうして立ててやることも私の仕事であった。


来客が途切れた頃を見計らって2時過ぎに退社する。

娘が家に居てくれるので何とも気楽であった。

「さあ今夜は何を作ろうか」買い物にも気合が入っていた。


4時前に帰宅したら洗濯物は畳んでくれていたが夫も娘も姿が見えない。

娘の車は在ったので咄嗟に義妹に何かあったのではないかと思う。

すぐ近所なので駆け付けることは出来たがその前に夫に電話してみた。

そうしたら娘と一緒に青さ海苔の作業場に居たのだった。

娘婿が早めに帰宅していたので機材の後始末をしていたらしい。

鉄製なので業者に運び込めば買い取ってくれるのだそうだ。

海苔の洗い機、網の洗い機等を処分することになった。

もうこれでとうとう「海苔養殖業」ともお別れである。

40年以上もの歳月を思うとしみじみと思い起こすことも多いが

綺麗さっぱりである。何と潔い最後なのだろうと思う。


夫の一存であったが作業場は娘婿に譲ることに決まっていた。

好きなように使えば良いと言ってあり娘婿は大喜びだった。

財産など何もないのだ。譲るものがあるだけでも良かったと思う。


乳飲み子の娘を背負いどれほど精を出したことだろう。

息子は土手から土筆を摘んで来て心を和ませてくれた。

もう二度と戻れないあの頃が懐かしくてならない。


ブランド品であった「四万十川の青さ海苔」は全滅してしまった。





2024年11月13日(水) 心を亡くす

小春日和も明日までだろうか。明後日から週末は雨となり

来週から一気に冬らしくなりそうである。

急激な温度差に身体がついて行けるだろうかと不安になってしまう。

流石にまだ雪の季節は遠いと思うが木枯らしが吹き始めるだろう。

どれほどあがいても冬となる。いつまでも秋ではいられない。


今朝の山道、峠道にはお遍路さんが多く6人も見かけた。

皆荷物は小さくおそらく夜明け前に民宿を出たのだろう。

半袖姿のお遍路さんもいた。日中は汗ばむ程の陽気である。

峠道は険しい。余程の体力が必要に思う。

それなのに颯爽と歩く姿には感動せずにはいられなかった。


歩き遍路は私の夢であったがこの足では到底無理である。

バスツアーも考えたがバスから札所まで歩くのも困難に思えた。

長年の夢を簡単に諦めたくはないが現実はとても厳しい。

せめてもと歩き遍路さんに心を預けている日々であった。

「一緒に連れて行って下さいね」と願うばかりである。




今日は怒涛の忙しさであった。もちろんお昼休憩もない。

午後も来客があり同僚もパニック状態になっていた。

肝心の義父はまた農作業に目覚めトラクターで田起こしである。

稲刈りを終えた田んぼは孫生え(ひこばえ)がぐんぐんと伸びている。

その緑は鮮やかで美しくもあるがとても厄介なものらしい。

全ての田んぼを耕すには大変な苦労となりそうだった。


突然の来客に手間取り同僚の予定が大きく狂う。

今日中に納車しなければいけない車があり残業を頼むしかなかった。

しぶしぶであったが引き受けてくれてどれ程助かったことだろう。

後ろ髪を引かれるような思いであったが3時半に退社する。

いつもより遅くなってしまってまた余裕を失くしてしまいそうだった。


買い物を済ませ4時半に帰宅。夫と大量の洗濯物が待っている。

めいちゃんも下校しており友達と一緒に宿題をしていた。

毎日の宿題なので遊ぶこともままならず可哀想だなと思う。

昔は下校するとランドセルを放り投げて遊びに行ったものだ。

「ちびまる子ちゃん」や「のび太君」の時代である。


夕食は簡単に「牛丼」にしたが喜んでくれたのは夫だけだった。

娘が帰宅し明日から一週間休みになったのだそうだ。

病院の検査室である。何か大きなミスをしたのではないかと気遣う。

例の如くであまり詳しくは話してくれなかったが

決してクビではないとのことでほっと胸を撫で下ろした。

どうやら県立の総合病院から研修生が来るらしい。

娘は休みを喜んでいるようなので何よりと思うことにした。

私もその分少しでも楽をさせて貰えるだろう。


「忙しい」と云う字は「心を亡くす」と書くが

つくづくとそう感じるばかりの日々であった。

何だか得体の知れない渦に巻き込まれているようなのだ。

もがけば溺れる。浮かぶには体重が重すぎるのかもしれない。

それは冗談だが心が重くなるのは事実であった。


「なるようになる」「なんとかなる」楽観出来れば救われるが

私はいつだって「どうしよう困った」の連続である。


心を亡くせば詩も短歌もこの日記さえも書けなくなるのだと思う。










2024年11月12日(火) どうどうどう

穏やかな晴天。今日もほぼ夏日に近い気温だった。

冬が始まっているとは思えず初秋のようでもある。

少し暑さを感じるが爽やかな風のおかげで過ごし易い。


朝の山道を行けば野生の山茶花がぽつぽつと咲き始めていた。

真っ白い花で鬱蒼とした樹々の間から可憐な姿を見せている。

「野生」と云ったが定かではない。ただ人里からは離れており

誰かが植えたとはとても思えないのだった。


峠道にはつわぶきの花。人家が見え始めると鶏頭の花が咲いている。

畑には大根だろうか蕪だろうか若い緑が初々しく萌えていた。


自然に囲まれたなんと長閑な山里なのだろう。

毎朝そんな道を辿れることが有難くてならない。




同僚が通院のため午前中は休んでいた。

県立の総合病院で脳のCT検査をするらしく気掛かりであった。

還暦を迎え身体のあちこちに支障が生じているようである。

ヘルニア、白内障、心房細動と数え切れない程の病気があった。

通院は月に3回程だがその度に義父の機嫌がいささか悪くなる。

従業員を思い遣る気持ちはあっても口に出して云うことはないのだ。

その分私がカバーしているつもりだが足らない時もあるだろう。

日頃から口数の少ない同僚は文句ひとつ云ったことはない。

辛抱強く精一杯に会社のために身を粉にして働いてくれているのだった。


午後一時には出勤して来てくれて助かる。

特に急ぎの仕事はなかったが居てくれるだけで心強い。

それとなく検査の結果を訊ねてみたが詳しいことは分からなかった。

ただ一月後にまた再検査をしなければいけないのだそうだ。

大事に至らなければ良いが何とも気掛かりである。



する仕事はあったが明日にすることにして2時半に退社した。

日が短くなり少しでも早めに帰宅したくてならなかった。

買い物も30分は掛かってしまうしメニューも思い浮かばない。

サニーマートのお総菜売り場はもう何の希望もなかった。

夫の好きな物、娘達や孫達の好きな物。頭がパニックになってしまう。


4時前に帰宅。例の如く自室で一服してから茶の間に行く。

大相撲を観ながら大量の洗濯物を畳み終えた。

それから少し横になったのだが5時まで寝ていたようだった。


娘の居ない平日の夕飯作りにもすっかり慣れて来たのだが

立ち仕事が辛くなり流し台に寄り掛かりやっとの思いである。

夫は呑気にビールを飲んでおりついつい腹立たしくなるのだった。

やっと食卓に座ったかと思うと「めし入れてくれや」である。

お茶碗を放り投げたくなる。もう苛々の絶頂であった。



どうどうどう。まるで暴れ馬を宥めているような気分になる。

きっと心の余裕が足らないのだろう。

ゆとりさえあれば「何だって来い」とこなせるのだと思う。

出来ることしか出来ないが百点満点とはいかない。


あーあ今日は50点だったかもしれないな。

私の半分は何処に消えてしまったのだろう。




2024年11月11日(月) 空が広くなった日

穏やかな晴天。気温が異常な程に高くなり25℃と夏日になった。

流石にもうエアコンは点けなかったが長袖では汗ばむ程の陽気である。

季節は初冬のはずなのに信じられず戸惑うばかりであった。


今朝は職場に着くなりやまももの木が伐採されておりおどろく。

樹齢はいかほどなのか定かではないがかなり大きな木であった。

梅雨時にはたわわに紅い実を付け食べることも出来たのだが

実が落ちて雨に濡れると地面にへばりつき厄介でもあった。

夏の間は大きな木陰となり風が吹くと何と涼しかったことだろう。

けれどもこれから寒い季節になると鬱蒼とした茂みが冷たさを増すのだ。


父の発案だろうか。友人がチェーンソーで薙ぎ倒したらしい。

急に思い立ったとは思えず以前から考えていたことかもしれない。

確か母が植えた木だと聞いていた。もちろん母の許しなどないが

生きていればどんなにか嘆いたことだろうと思う。


しかし辺りが随分と明るくなった。空も広く見えるのだ。

父の友人曰く。切ってもまた直ぐに大きくなるのだそうだ。

それだけ生命力の強い木なのだろう。ちょっとした心機一転である。




月曜日の仕事は忙しくてんてこ舞いをしていたが

整形外科のリハビリがあり2時半過ぎに終らせてもらった。

今週は木曜日の予約が取れず今日しか空きがなかったのだ。

休むことも考えたがリハビリのおかげで足の痛みが薄れている。

出来る限りと思ったのだ。いつも藁にも縋る思いであった。

次回は10日後で何だか心細くてならない。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。夫は大相撲に夢中である。

とにかく一服をと思い二階の自室に行ったら室温が28℃もあった。

冷たいコーヒーが美味しい。煙草を立て続けに2本も吸う。

そこで新たな煙草を買い忘れていたことに気づく。

今夜の分はなんとか足りそうだが明日の早朝の分が無かった。

そこで潔く諦めてしまえば良いのだがそうは自分が許さない。

こそこそと近くのローソンへ走る。まるで密売人に会うみたいだった。


ああ嫌だ嫌だ。いったいいつまでこんなことを続けるのだろうと思う。

断ち切れない事実に圧し潰されてしまいそうになる。

無様な愚か者とどれ程自分を責めても一向に救われることはない。

開き直るのもそろそろ限界だと思う。このままでは雑魚の開きである。



ハーフムーンなのだそうだ。どうした訳か窓からは見えない。

星はたくさん輝いているのに月は何処に行ったのだろう。

私みたいな者に見られてたまるものかと姿を隠したのかもしれない。

そうか、そうか、そこまで私を蔑むのかと涙も出やしないのだ。


落ちぶれた者である。けれどもたったひとつ誇りに思うのは

この精一杯の「いのち」であった。


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