ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年11月14日(木) 綺麗さっぱり

曇り日。天気は下り坂のようだ。

気温は20℃を超えていたが風があり随分と涼しく感じた。


朝の道。国道の「伊豆田トンネル」を通過中に

リヤカーを引っ張りながら歩くお遍路さんを見かけた。

暗かったので荷物の様子まではよく分からなかったが

生活必需品一式を積んでいるように見えた。

確実に野宿である。何と苦労な旅だろうと憐れにも思える。

交通量の多いトンネル内を歩くのも危険が伴うだろう。

逆打ちだったので東に向かう。次の札所は四万十町の岩本寺だった。

しばらくは海岸線だが「片坂」の厳しい峠はどんなにか辛いに違いない。

故郷を捨てた職業遍路さんなら尚更のこと不憫でならなかった。




義父が高知市へ出張。今日は整備振興会の理事会があった。

スーツ姿に赤いネクタイがよく似合う。とても81歳には見えない。

「忘れ物はないかね?気を付けて行ったよ」

義理の娘であるがまるで妻であるかのように送り出す。

その後は同僚と肩の力を抜きぼちぼちと仕事をこなすばかりである。


来客があり新車購入が決まる。明日にでも契約をと言ってくれた。

早く義父に報せたかったが会議中なので明日の朝にすることに。

以前から脈はあったのだがはっきりとした返事はなかったのだ。

やっと決心してくれたことがとても嬉しくてならない。

営業は私の得意分野であるが最終的には義父に任すことにしている。

そうして立ててやることも私の仕事であった。


来客が途切れた頃を見計らって2時過ぎに退社する。

娘が家に居てくれるので何とも気楽であった。

「さあ今夜は何を作ろうか」買い物にも気合が入っていた。


4時前に帰宅したら洗濯物は畳んでくれていたが夫も娘も姿が見えない。

娘の車は在ったので咄嗟に義妹に何かあったのではないかと思う。

すぐ近所なので駆け付けることは出来たがその前に夫に電話してみた。

そうしたら娘と一緒に青さ海苔の作業場に居たのだった。

娘婿が早めに帰宅していたので機材の後始末をしていたらしい。

鉄製なので業者に運び込めば買い取ってくれるのだそうだ。

海苔の洗い機、網の洗い機等を処分することになった。

もうこれでとうとう「海苔養殖業」ともお別れである。

40年以上もの歳月を思うとしみじみと思い起こすことも多いが

綺麗さっぱりである。何と潔い最後なのだろうと思う。


夫の一存であったが作業場は娘婿に譲ることに決まっていた。

好きなように使えば良いと言ってあり娘婿は大喜びだった。

財産など何もないのだ。譲るものがあるだけでも良かったと思う。


乳飲み子の娘を背負いどれほど精を出したことだろう。

息子は土手から土筆を摘んで来て心を和ませてくれた。

もう二度と戻れないあの頃が懐かしくてならない。


ブランド品であった「四万十川の青さ海苔」は全滅してしまった。





2024年11月13日(水) 心を亡くす

小春日和も明日までだろうか。明後日から週末は雨となり

来週から一気に冬らしくなりそうである。

急激な温度差に身体がついて行けるだろうかと不安になってしまう。

流石にまだ雪の季節は遠いと思うが木枯らしが吹き始めるだろう。

どれほどあがいても冬となる。いつまでも秋ではいられない。


今朝の山道、峠道にはお遍路さんが多く6人も見かけた。

皆荷物は小さくおそらく夜明け前に民宿を出たのだろう。

半袖姿のお遍路さんもいた。日中は汗ばむ程の陽気である。

峠道は険しい。余程の体力が必要に思う。

それなのに颯爽と歩く姿には感動せずにはいられなかった。


歩き遍路は私の夢であったがこの足では到底無理である。

バスツアーも考えたがバスから札所まで歩くのも困難に思えた。

長年の夢を簡単に諦めたくはないが現実はとても厳しい。

せめてもと歩き遍路さんに心を預けている日々であった。

「一緒に連れて行って下さいね」と願うばかりである。




今日は怒涛の忙しさであった。もちろんお昼休憩もない。

午後も来客があり同僚もパニック状態になっていた。

肝心の義父はまた農作業に目覚めトラクターで田起こしである。

稲刈りを終えた田んぼは孫生え(ひこばえ)がぐんぐんと伸びている。

その緑は鮮やかで美しくもあるがとても厄介なものらしい。

全ての田んぼを耕すには大変な苦労となりそうだった。


突然の来客に手間取り同僚の予定が大きく狂う。

今日中に納車しなければいけない車があり残業を頼むしかなかった。

しぶしぶであったが引き受けてくれてどれ程助かったことだろう。

後ろ髪を引かれるような思いであったが3時半に退社する。

いつもより遅くなってしまってまた余裕を失くしてしまいそうだった。


買い物を済ませ4時半に帰宅。夫と大量の洗濯物が待っている。

めいちゃんも下校しており友達と一緒に宿題をしていた。

毎日の宿題なので遊ぶこともままならず可哀想だなと思う。

昔は下校するとランドセルを放り投げて遊びに行ったものだ。

「ちびまる子ちゃん」や「のび太君」の時代である。


夕食は簡単に「牛丼」にしたが喜んでくれたのは夫だけだった。

娘が帰宅し明日から一週間休みになったのだそうだ。

病院の検査室である。何か大きなミスをしたのではないかと気遣う。

例の如くであまり詳しくは話してくれなかったが

決してクビではないとのことでほっと胸を撫で下ろした。

どうやら県立の総合病院から研修生が来るらしい。

娘は休みを喜んでいるようなので何よりと思うことにした。

私もその分少しでも楽をさせて貰えるだろう。


「忙しい」と云う字は「心を亡くす」と書くが

つくづくとそう感じるばかりの日々であった。

何だか得体の知れない渦に巻き込まれているようなのだ。

もがけば溺れる。浮かぶには体重が重すぎるのかもしれない。

それは冗談だが心が重くなるのは事実であった。


「なるようになる」「なんとかなる」楽観出来れば救われるが

私はいつだって「どうしよう困った」の連続である。


心を亡くせば詩も短歌もこの日記さえも書けなくなるのだと思う。










2024年11月12日(火) どうどうどう

穏やかな晴天。今日もほぼ夏日に近い気温だった。

冬が始まっているとは思えず初秋のようでもある。

少し暑さを感じるが爽やかな風のおかげで過ごし易い。


朝の山道を行けば野生の山茶花がぽつぽつと咲き始めていた。

真っ白い花で鬱蒼とした樹々の間から可憐な姿を見せている。

「野生」と云ったが定かではない。ただ人里からは離れており

誰かが植えたとはとても思えないのだった。


峠道にはつわぶきの花。人家が見え始めると鶏頭の花が咲いている。

畑には大根だろうか蕪だろうか若い緑が初々しく萌えていた。


自然に囲まれたなんと長閑な山里なのだろう。

毎朝そんな道を辿れることが有難くてならない。




同僚が通院のため午前中は休んでいた。

県立の総合病院で脳のCT検査をするらしく気掛かりであった。

還暦を迎え身体のあちこちに支障が生じているようである。

ヘルニア、白内障、心房細動と数え切れない程の病気があった。

通院は月に3回程だがその度に義父の機嫌がいささか悪くなる。

従業員を思い遣る気持ちはあっても口に出して云うことはないのだ。

その分私がカバーしているつもりだが足らない時もあるだろう。

日頃から口数の少ない同僚は文句ひとつ云ったことはない。

辛抱強く精一杯に会社のために身を粉にして働いてくれているのだった。


午後一時には出勤して来てくれて助かる。

特に急ぎの仕事はなかったが居てくれるだけで心強い。

それとなく検査の結果を訊ねてみたが詳しいことは分からなかった。

ただ一月後にまた再検査をしなければいけないのだそうだ。

大事に至らなければ良いが何とも気掛かりである。



する仕事はあったが明日にすることにして2時半に退社した。

日が短くなり少しでも早めに帰宅したくてならなかった。

買い物も30分は掛かってしまうしメニューも思い浮かばない。

サニーマートのお総菜売り場はもう何の希望もなかった。

夫の好きな物、娘達や孫達の好きな物。頭がパニックになってしまう。


4時前に帰宅。例の如く自室で一服してから茶の間に行く。

大相撲を観ながら大量の洗濯物を畳み終えた。

それから少し横になったのだが5時まで寝ていたようだった。


娘の居ない平日の夕飯作りにもすっかり慣れて来たのだが

立ち仕事が辛くなり流し台に寄り掛かりやっとの思いである。

夫は呑気にビールを飲んでおりついつい腹立たしくなるのだった。

やっと食卓に座ったかと思うと「めし入れてくれや」である。

お茶碗を放り投げたくなる。もう苛々の絶頂であった。



どうどうどう。まるで暴れ馬を宥めているような気分になる。

きっと心の余裕が足らないのだろう。

ゆとりさえあれば「何だって来い」とこなせるのだと思う。

出来ることしか出来ないが百点満点とはいかない。


あーあ今日は50点だったかもしれないな。

私の半分は何処に消えてしまったのだろう。




2024年11月11日(月) 空が広くなった日

穏やかな晴天。気温が異常な程に高くなり25℃と夏日になった。

流石にもうエアコンは点けなかったが長袖では汗ばむ程の陽気である。

季節は初冬のはずなのに信じられず戸惑うばかりであった。


今朝は職場に着くなりやまももの木が伐採されておりおどろく。

樹齢はいかほどなのか定かではないがかなり大きな木であった。

梅雨時にはたわわに紅い実を付け食べることも出来たのだが

実が落ちて雨に濡れると地面にへばりつき厄介でもあった。

夏の間は大きな木陰となり風が吹くと何と涼しかったことだろう。

けれどもこれから寒い季節になると鬱蒼とした茂みが冷たさを増すのだ。


父の発案だろうか。友人がチェーンソーで薙ぎ倒したらしい。

急に思い立ったとは思えず以前から考えていたことかもしれない。

確か母が植えた木だと聞いていた。もちろん母の許しなどないが

生きていればどんなにか嘆いたことだろうと思う。


しかし辺りが随分と明るくなった。空も広く見えるのだ。

父の友人曰く。切ってもまた直ぐに大きくなるのだそうだ。

それだけ生命力の強い木なのだろう。ちょっとした心機一転である。




月曜日の仕事は忙しくてんてこ舞いをしていたが

整形外科のリハビリがあり2時半過ぎに終らせてもらった。

今週は木曜日の予約が取れず今日しか空きがなかったのだ。

休むことも考えたがリハビリのおかげで足の痛みが薄れている。

出来る限りと思ったのだ。いつも藁にも縋る思いであった。

次回は10日後で何だか心細くてならない。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。夫は大相撲に夢中である。

とにかく一服をと思い二階の自室に行ったら室温が28℃もあった。

冷たいコーヒーが美味しい。煙草を立て続けに2本も吸う。

そこで新たな煙草を買い忘れていたことに気づく。

今夜の分はなんとか足りそうだが明日の早朝の分が無かった。

そこで潔く諦めてしまえば良いのだがそうは自分が許さない。

こそこそと近くのローソンへ走る。まるで密売人に会うみたいだった。


ああ嫌だ嫌だ。いったいいつまでこんなことを続けるのだろうと思う。

断ち切れない事実に圧し潰されてしまいそうになる。

無様な愚か者とどれ程自分を責めても一向に救われることはない。

開き直るのもそろそろ限界だと思う。このままでは雑魚の開きである。



ハーフムーンなのだそうだ。どうした訳か窓からは見えない。

星はたくさん輝いているのに月は何処に行ったのだろう。

私みたいな者に見られてたまるものかと姿を隠したのかもしれない。

そうか、そうか、そこまで私を蔑むのかと涙も出やしないのだ。


落ちぶれた者である。けれどもたったひとつ誇りに思うのは

この精一杯の「いのち」であった。



2024年11月10日(日) 備えあれば憂いなし

晴れのち雨。曇りの予報だったが思いがけずに晴れる。

夕方からぽつぽつと雨が降り始めたところだ。

沖縄や奄美地方ではまだ雨が降り続いており気遣わずにはいられない。


昨夜はこの日記を書き終えるなり突然停電となり戸惑った。

パソコンは充電してあるので切れなかったがネットは繋がらなくなる。

娘がスマホで調べたところ四国全域の停電と知りおどろく。

原因がまだ分からないとのことで長引く可能性があった。

私はスマホを持たない主義だが一気に必要性に迫られていた。

緊急時にパソコンは全く役に立たないのである。


一瞬真っ暗闇になったが娘が日頃から備えてあり

懐中電灯はもちろんのこと電池式の卓上ライトがとても役に立った。

階段、台所、トイレとあちらこちらに明かりが灯る。

「備えあれば憂いなし」とは正にこのことであった。


私はパソコンの明かりを頼りに窓辺から月を眺めていた。

「一切れのオレンジ」である。それなのに何と明るいことだろう。

雫のような光が土手の芒をぼんやりと浮かび出している。

古代から月は人類の希望だったのに違いない。


一時間半ほどして停電は復旧したが電気の有難さが身に沁みた。

決して当たり前のことではないのだ。失って初めて気づくことである。




例の如く特に予定のない日曜日だった。

買い物に行っただけで後は殆ど寝て過ごす。

お昼に巨大なお好み焼きを作った。夫はビールを私もノンアルを飲む。

「週末の楽しみやな」と頷き合う。ささやかな幸せである。


3時まで寝ていたが目覚めたら夫が大相撲を観ていた。

彼の一番の楽しみである。場所中はとても機嫌が良い。

新大関の「大の里」の活躍に期待せずにはいられなかった。

2週間などあっという間である。そうして冬が深まっていく。

そろそろ炬燵を出しても良いなと夫が言った。

まだ扇風機を片付けていなくて笑い話のようである。



今夜は残念ながら月を仰ぐことが出来ないが

昨夜よりもふっくらとしていることだろう。

満月になれば大潮となり「いのち」が左右されるのが不思議でならない。

人の命は引力と深い関りがあるとしか思えなかった。

先日「死ぬならば満月」と書いたのはそのせいである。


12月になれば直ぐに68歳となるがかなり戸惑っている。

おそらく焦りだろう。何ひとつ遣り遂げられないでいるのだ。

このまま誰にも認められずに一生を終えることになるかもしれない。

それはそれで与えられた運命だからもがいても仕方ないことだと思う。


けれどもここまで追い詰められ蔑まされていて良いのだろうか。

残された時間はまだあるのか。そう思うと嘆かずにはいられなかった。


生きてさえいればと思うがどうしてこうも心細いのだろう。



2024年11月09日(土) 一切れのオレンジ

朝の冷え込みが緩み日中も穏やかな晴天となる。

奄美地方では線状降水帯が発生し水害を招いたようだ。

いつも台風の進路に当たる地域で雨には慣れているはずだが

今回の雨は予想を上回るほどの豪雨だったらしい。

幸い命を落とされた方はいないようだが大きな水害となり心を痛めている。

断水にもなっておりまだ復旧の目途が立たないらしく気の毒でならない。

同じ日本なのに本土は晴天である。これほど心苦しいことがあるだろうか。

それにしても11月になってからの豪雨とは異常気象としか思えない。

一刻も早く雨が止むことをひたすら祈るばかりであった。




朝のうちにカーブスへ行き心地よく汗を流す。

娘が勤めている病院の看護師さんが体験に来ており言葉を交わした。

小児科の看護師さんで孫達がお世話になっていたので懐かしい。

ついつい娘のことを話してしまったのだが後から酷く叱られる。

強い口調で「余計なことを話すな」と機嫌を損ねてしまったようだ。

同じ病院なので「よろしく」の意味を込めて話したのだが

娘にとっては母親がでしゃばる事ではなかったのだろう。

夫にも叱られしゅんとする。些細なことが大きな後悔となった。

私はいつも一言多いのだそうだ。もっと自覚しなければならない。



お昼のうちに茹で卵を作り大根も下茹でした。

2時間程お昼寝をしてからおでんを煮込む。

「おでん日和」は嬉しいもので家中にいい匂いが漂う。

平日には作れないので尚更のことであった。

幸せだなと思う。夕飯がとても楽しみだった。


娘は孫達にカレーを作る。これも平日には作れず久しぶりである。

いつもは甘口だが今日は中辛なのだそうだ。

孫達も成長したのだなと微笑ましく思った。

だんだんと大人の味になっていくのだろう。

やがては辛口も大辛も食べられるようになるはずだった。


例の如くで夫と先に食べ終えた頃娘婿が帰って来た。

詫びなければいけないことがある。今朝は炊飯が間に合わなかったのだ。

毎晩寝る前にお米を仕掛けるのだが昨夜は残りご飯があったので

朝炊けば良いと安気に思っていたのがいけなかった。

今朝炊飯器の中を見たら二人分しかなくて焦りまくる。

大急ぎでお米を研ぎ早炊きコースで炊いたがもう遅かりしであった。

朝食を食べ損ねた娘婿になんと申し訳ないことをしたのだろう。

少しでも手を抜こうとするのは私の悪い癖であった。


昨夜「出来ることしか出来ない」と書いたが

出来ることをしようしないところが私の欠点でもある。



午後8時を過ぎ空を見上げるともう三日月ではなく半月になっていた。

月齢には詳しくないので「一切れのオレンジ」と名付ける。

月を見ていると不思議と癒される。ほっこりと優しい気持ちになるのだった。

私は永遠にはなれないが月は永遠に空に浮かび続ける。

満月かもしれないと最期の夜に想いを馳せていた。








2024年11月08日(金) 出来ることしか出来ない

今朝も初冬らしい冷え込み。きりりっとした寒さが心地よい。

日中は20℃程で暑からず寒からずの快適な気温だった。

一年中こんな気候ならばと思ったがそれでは季節がなくなる。

春には春の花が咲き。夏の花。秋の花。冬には冬の花を咲かせてやりたい。

人は暑さに耐え寒さに耐える。そうして逞しくなっていくのだろう。



ゆるりと仕事。心配していた義父はすっかり元気になっていた。

お昼過ぎに車検が一台完了し今週の仕事が一段落する。

厄介な一般整備は後を絶たず義父が一人で頑張っていた。

同僚では手に負えずどれほど助かることだろうか。

「何としても直すぞ」その意気込みには頭が下がる思いである。

そうして顧客との信頼を強めていく「商売」とはそう云うものだろう。



内科の薬がもう少しで切れるため掛かりつけの病院へ行く。

2時に仕事を終わらせてもらって早めに向かった。

薬は2ヶ月分処方されるため次回はもう来年である。

薬漬けではあるがあっという間の一年だった。

血圧も不安症も落ち着いていて何よりである。

ただ酷く咳き込むのは一向に治らずもう医師に相談も出来ない。

自業自得なので仕方ないが夜中の咳にはすっかり参っている。

煙草さえ止められたらと思うがずるずると吸い続けるばかりだった。

自分で自分の首を絞めているのだからもうどうしようもない。


来年では遅すぎるかなと思いインフルエンザの予防接種もした。

ちくりと痛い。これでは子供が泣くはずだと思った。

看護師さんも今年は特に痛いような気がすると言い笑い合う。

病院の職員は皆早めに接種を済ませているのだそうだ。


買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。

途中からであったが「破れ奉行」を見る。

何だかラストがいつもと違うなと思ったら最終回だったようだ。

もう来週からは見れないと思うと残念だったが爽快な気分でもある。

今の時代にはこれほどの面白い時代劇などなかった。

「てめえらを斬る」忘れられないセリフとなる。

今は悪人で溢れ返っている世の中だった。誰も斬り捨てることなど出来ない。



娘は残業だったらしく6時半に帰宅する。

娘婿と孫達は先に夕食を食べ始めていた。

相変わらずの献立なのに喜んで食べてくれて何と嬉しいことだろう。

娘も「お腹が空いた」と言って直ぐにテーブルに付いていた。


出来ることしか出来ない。それ以上もそれ以下もなかった。

毎日試されているのかも知れないが在りのままを貫いている。

その上に日々の心細さは増しこの先どうなるのかと思う。


私が突然に死んでしまったら夕食は誰が作るのだろう。

そんな事を考えていると途方に暮れてしまうのだった。

必要とされているのならとことん生きなければならない。

死ぬわけにはいかないのだと強く思った。


失うことは容易いことだろうか。目も耳も足も在る。

何よりも「こころ」が在り精一杯の「いのち」が在るのだった。



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