文化の日。爽やかな秋晴れとなる。
気温は夏日だったが蒸し暑さを感じることもなく過ごし易い一日だった。
あやちゃんを独り残して出掛ける訳にもいかず一日中の家籠り。
休みの日はいつも朝からごろごろと寝てばかりいるのだが
今日は珍しく掃除に目覚め台所の片づけから始めた。
しかし杖なしでは10分も立っていられず直ぐにギブアップである。
左足が棒のように固くなりずきずきと痛むのだった。
無理をして頑張ってはいけないのだとつくづくと思う。
夫に弱音を吐いていたら掃除機を掛けてくれなんと助かったことだろう。
食器棚の横にはお菓子などが散乱しており何とも片付かない。
そうだと思いつきホームセンターへキッチンワゴンを買いに走った。
親切な定員さんが車まで運んでくれてとても有難くてならない。
杖を付かずに入店したのだがレジまで運ぶのが一苦労だったのだ。
娘が留守なので賞味期限切れのお菓子でも勝手に捨てる訳にはいかない。
とにかく片付けて置けば明日にでも娘が処分するだろう。
キッチンワゴンは正解だった。おかげですっきりと片付く。
午後には運送屋さんから電話があり注文していた食卓テーブルが届いた。
またまた大忙しとなり古いテーブルとの入れ替えである。
家を建てた時から使っており傷も多く脚もがくがくになっていた。
4人掛けのテーブルだったが今度は思い切って6人掛けとする。
もう家族6人で食事をすることはないが大は小を兼ねるだろう。
思いがけずに安価だったので買ったのだが何とベトナム製でおどろく。
けれども丈夫でかなり重くあやちゃんに手伝ってもらい組み立てた。
薄汚れた台所だったが新しいテーブルで見違えるようになる。
椅子は古いままだがまた余裕が出来たら新しくしようと思う。
娘達の反応はどうだろう。今更6人掛けなんてと言われること覚悟である。
娘からは何の連絡もなかったが夕食のこともあり私から電話した。
帰宅は遅くなるとのことで夕食は不要だそうだ。
あやちゃんのことは一言も言わない。気にもならないのだろうか。
私と夫は大いに気になっている。夕食は好物のオムライスを作った。
新しいテーブルで3人で食べようと思ったのだが
今日は気が向かないらしく「後からたべるけん」と部屋から出て来ない。
無理強いもいけないだろうとそっとしておいたら
私がお風呂に入っている間に部屋に運び独りで食べたようだった。
「おばあちゃん美味しかった」その一言が嬉しくてならない。
以前のようにつんつんと反抗的になることは一切なくなっている。
私が留守の平日にも茶の間へ来て夫とたわいない話をしているそうだ。
昨夜は夫が「寂しいのかもしれんな」とふっと口にした。
2歳からお姉ちゃんになってずっと甘えることを我慢して来たのだろう。
娘は手の掛かるめいちゃんに付きっきりでもう10年が経った。
それは当たり前のことかもしれないが「寂しさ」には違いないと思う。
階下が賑やかになって来た。娘達がやっと帰宅したようである。
真っ先に娘婿が二階に上がりあやちゃんに声を掛けていた。
そうでなくてはいけないのだとまた老婆心が騒いでいる。
何があっても我が家は平和だった。
家族のようで家族ではないのかもしれないがこの上なく幸せだと思っている。
雨のち晴れ。熱低の影響か午前中は強い風が吹いていた。
幸い雨は強雨ではなかったが各地に大雨を降らせたようだ。
松山市では記録的短時間降雨となり道路が冠水していたらしい。
松山城のお堀の水が溢れて道路に水が流れ込んでいる映像を見た。
11月になってからの豪雨。これも異常気象としか思えない。
もう災害はあってはならないがいつ何があるか分からないものだ。
午後には天気が回復し爽やかな秋晴れとなった。
しばらくは晴天が続きそうだが今度は寒気が流れ込んで来るようだ。
季節は待ったなしである。11月は「立冬」「小雪」と節気が続く。
朝のうちに小一時間ほど朝寝をしカーブスへ行っていた。
車の外気温が25℃になっておりおどろく。
蒸し暑さのせいか汗が噴き出るように流れ心地よく身体を動かす。
運動不足には持って来いだろう。カーブスだけは続けなければと思う。
買い物をし帰宅したら娘達が高知市へと出掛けていた。
一泊するかもしれないと今朝話していたが夫には何も告げなかったようだ。
あやちゃんは当然のように置き去りだが「頼む」の一言もなかったらしい。
俺達が居なかったら遊びにも行けんのになと夫は不服顔である。
娘にしてみれば居るのが当たり前なのだろう。
いつまでも同居はしないと言っているが同居せずにはいられないと思う。
あやちゃんに声を掛けたら何も知らないと応える。
それと置き去りにされたのではなく一緒に出掛けるのが嫌だったそうだ。
けれどもちゃんと話してやって欲しい。知らないではあまりに不憫だった。
台所のテーブルの上にはカップ麺とボンカレーが置いてあった。
あやちゃんの昼食と夕食のつもりらしいが侘しいものである。
一言がなくてもそれくらい私が用意するのにと思った。
夕食時にはあやちゃんを誘って3人で食べた。
普段は一緒に食べることなど全くないので微笑ましくてならない。
にこにこと笑顔である。どれほどほっとしたことだろう。
フライドポテトが好きなので揚げたら喜んで食べてくれる。
それからカレーよりもパスタが食べたいと言い冷食のパスタをチンした。
食べたい物をちゃんと伝えてくれるだけで嬉しいものである。
入浴後にまた声を掛け好きな時間にお風呂に入るように伝えた。
すると素直に返事をし直ぐにお風呂に入ってくれたのだった。
普段は深夜に入ることが多くこれも珍しいことである。
両親も妹も不在だが独りぼっちではないと思ってくれているのだろう。
干渉をし過ぎてもいけないが放任も程々でなければいけないように思う。
まだ12歳の子供なのだ。独りぼっちでどうして生きて行けよう。
娘からは何の連絡もないのでおそらく帰宅は明日なのだろう。
それも昼間なのか夜になるのか全く分からなかった。
「関係ないでしょ」と言われたらそれまでだが何とも侘しいものである。
今夜は満天の星空となった。一番星を見つけた時にまた蝋燭に見えて
目の錯覚と思い目を凝らしたがやはりどうしても蝋燭にしか見えない。
名残りの風に吹かれながらその炎はゆらゆらと揺れるばかりであった。
霜月は雨で始まる。朝のうちは小雨であったが次第に本降りとなった。
台風21号が秋雨前線を刺激しているのだそうだ。
明日には熱帯低気圧に変わりそうだが強い雨に用心しなければならない。
豪雨災害が多かった年だけに誰しも不安な気持ちになることだろう。
今朝は義父の飼っているメダカの水槽に再びホテイアオイが咲いていた。
夏の花であるが調べてみたら越冬することもあるらしい。
水もだんだんと冷たくなる季節に咲けば奇跡にしか思えなかった。
「よしよし」と声を掛けながら義父がメダカに餌を与えている。
猫と同じく家族同然なのだろう。とても穏やかな顔をしていた。
工場の仕事は連休前のせいか車検の車は入庫しておらず
厄介な一般修理の車が3台とトラクターの修理であった。
義父が故障の原因を究明し同僚に手解きする手順である。
病院ならば院長先生のようなものだ。義父の診立ては完璧であった。
事務仕事は月末の締めを終わらすと特に急ぎの仕事もなく
午後はついダラダラとしてしまい生欠伸が出る。
早目に帰宅し横になりたくてたまらなかったが
今日は整形外科のリハビリのある日だった。
毎週木曜日だが予約が取れず今日になってしまったのだ。
雨がけっこう降っていたのでもしやと思い早目に出掛ける。
やはり思った通りでキャンセルが出ており直ぐに順番が来た。
高齢者が多いので雨の日の通院を諦めてしまうのだろう。
今日はリハビリ後に診察もあったのでラッキーとしか云いようがない。
おかげでいつもよりもずっと早く4時半には帰宅出来ていた。
「破れ奉行」は諦め自室で10分程煙草を吸ってから茶の間に行く。
山のような洗濯物を畳んでいたらもう5時になっていた。
夕食の支度をしなければならずあたふたと忙しい。
整形外科で医師から「どうした?いつもの元気がないぞ」と言われた。
金曜日はいつもそうなのだ。もうすっかり燃え尽きている。
来月には68歳である。体力に限界があって当然ではないだろうか。
70歳にはまだ2年あるがいったいいつまで仕事をするのかと思う。
あと10年とすればもうよぼよぼのお婆さんであった。
母がそうであったように私も仕事をしながら生涯を終える運命かもしれない。
気力が弱っているせいかなんだか虚しくてならなかった。
仕事は決して嫌いではないはずなのにどうしたことだろう。
何事も始めれば終るのだがそのゴールが全く見えない。
走ることは出来ないが杖を付きながらとぼとぼと歩き続けている。
「ああいい人生だったな」そんなゴールが望みだった。
こうして書き残すこともまた私の「歩み」になることだろう。
晴れたり曇ったり。10月も晦日となり流石に夏日にはならなかった。
週間予報では来週から一気に気温が下がりそうである。
「立冬」も近くなりそれが当然のことに思う。
また苦手な冬がやって来るが耐えなければいけないのだろう。
今朝は生きていた。眠ったまま死ぬことはなかったようだ。
仕事のことで頭がいっぱいになっており無事に職場に着く事しか考えていない。
通勤途中で事故にでも遭ったら大変なことになってしまう。
助手席のバックには会社の現金を残らず保管してあったのだ。
もし夜中に強盗に襲われてもこれだけは渡すまいと思っていたくらいである。
無事に職場に着きなんとほっとしたことだろうか。
9時になるのを待ち兼ねてATMへ走り全ての支払いを済ませた。
残った現金は預金に入れ来月の運転資金とする。
それから小口の集金にまわり午前中には月末の仕事を終えていた。
大きな安堵で肩の荷が下りたせいか眠くてならず
お昼には机に突っ伏し30分程眠ることが出来た。
なんとも心地よい達成感である。我ながら大した者だと思う。
母の助けがあってこその事だったが諦めずにいて良かったのだ。
帰り道にも市内のお客さんと会う約束をしており集金が叶う。
なんと半年前の車検代だった。催促もせずにそっとして置いたのだが
これも母のおかげだろうか思いがけない入金となる。
いつもより随分と早く3時半には帰宅していた。
今週もあやちゃんの担任の先生が来てくれるらしく
夫とまた一悶着あったようだった。
どうやら先週約束したことを反故にするつもりらしい。
部屋はもぬけの空で雲隠れをしていた。
もしやと思い私達の寝室を覗いたら夫のベッドに潜り込んでいるのだった。
それには夫も根負けしたのだろう。約束は約束に違いないが
どうして無理強いが出来ようかと思ったようだ。
玄関のチャイムが鳴り先生が来てくれたが全て夫に任せる。
「すいません、すいません」としきりに謝っている声が聞こえた。
何だか夫が酷く憐れに思えたがあやちゃんを責める訳にはいかない。
その後で「もう帰った?」と呑気にケロッとしているのだ。
先生にも任務があり仕事として来てくれているのだと思う。
少しでも前向きになって欲しいと願ってくれてもいるだろう。
けれどもあやちゃんには少しも伝わっていないのではないだろうか。
いくら子供でも人としてどうかなと思わずにいられない。
他人の思いやりを無駄にするような人にはなって欲しくなかった。
ちゃんと先生に会って「ありがとう」と言える子になって欲しい。
これは私の考えであって夫や娘とは全く違うようだ。
だからこそ私は要らぬ口を挟んではいけないのだと思う。
けれども複雑な気持ちは日に日につのるばかりであった。
夕飯の支度をしていたらあやちゃんが笑顔でやって来て
「おばあちゃん、今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。
幾日ぶりだろうか久しぶりに爽やかな秋晴れとなる。
気温は24℃と高めであったが蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
今朝は出勤すると看板猫の「みい太」が運搬車の荷台に座っていた。
「そんなところで何しよるの?降りて来なさいや」と声を掛けると
私の言葉が通じたのか直ぐに飛び降り来て「みゃおう」と鳴く。
さあ朝ご飯の時間である。猫係の常連のお客さんの車が見えると
駆け寄って行って餌の催促をするのだった。
お客さんも毎朝の楽しみにしており何とも微笑ましい光景である。
夏の間は少し食欲が落ちていたが最近はよく食べるようになった。
量が足らない時もあり「もっと食べたい」としきりに鳴き出す。
「癖になるけんやったらいかんぞ」義父からのお達しであるが
追加の餌を与えないとそれはしつこく追い掛け回すのだった。
こちらが根負けしてこっそりと餌を与えたらまたガツガツと食べ始める。
それも愉快でならず朝から笑顔が溢れる職場であった。
独り暮らしの義父にとっては家族も同然になっており
みい太のことを話す時の義父の穏やかな顔がとても好きだなと思う。

「金は天下の回り物」今日もまるで奇跡のように転がり込んでくる。
丁度一年前のタイヤ代を支払いに来てくれたお客さんもいた。
車検完了のお客さんは即金でありどれ程助かったことだろう。
月末の支払いどころか来月末の支払いも出来そうになる。
これを安泰と云わず何と言おう。まるで夢を見ているようであった。
母のおかげだとしか思えない。ずっと見守ってくれているのだ。
生前はお金の苦労ばかりしていたからこそ私の苦労が分るのだろう。
神様仏様よりも「お母様」であると昨日からずっと感謝している。
明日の準備は整い肩の荷が下りたが、根っからの不安症な者だから
今日死んだらどうしようと思い始めていた。
帰り道で交通事故に遭うかもしれない。今夜突然死するかもしれない。
死ななくても夜中に強盗に襲われお金を全部盗られてしまうかもしれない。
考え出したら切りがなく不安で一杯になってしまった。
大げさな話だが何としても生きて明日に臨まなければいけない。
お母様がきっと守ってくれるだろう。やっとそう思えるようになった。
黄昏時に一番星を見つける。それがとても不思議に輝いていた。
蝋燭の炎のように見えたのだ。それもゆらゆらと揺れているではないか。
目の錯覚かもしれないとも思ったがそれは確かに星の輝きであった。
死んでしまったら何もかも終りとは限らない。
魂はより近くに在り愛しい者たちを守ろうとする。
時には身代わりになり再び死ぬこともあるだろう。
けれども魂は永遠であり夜空の星の如く決して消えることはない。
曇り日。時おり霧雨が降る。まるで春先の雨のようだった。
気温は20℃程で蒸し暑くはないはずだが何故か薄っすらと汗をかく。
太っているせいかもしれないが随分と汗っかきになったようだ。
今朝は「つわぶきの花」の詩を書いた。
書こうと思って書いたわけではなく自然と頭に浮かんで来たのだった。
書いた後の何と清々しかったことだろう。
いつも読んでくれている大阪の詩人さんが声を掛けてくれて
今まで書いた詩をまとめて詩集を出す予定はないのかと訊かれる。
そうして私の詩集を読みたいとまで言ってくれたのだった。
これほどの励みがかつてあっただろうか。何とも嬉しくてならない。
しかし残念ながら詩集を出す予定などあるはずがなかった。
まだまだ未熟である上に経済的な余裕が全くない。
貧乏人に詩集など到底無理な話であった。
返答に戸惑ったが本当の事がどうして言えよう。
「柴田トヨさんが目標です」と咄嗟に応える。
100歳の詩集を出すのだ。それが私の夢でもあった。
その為には何としても元気で長生きをしなければならない。
夢は叶えるためにあるのだそうだ。生きてこその夢である。

今朝は母の遺影に手を合わせ「お金が転がり込んで来ますように」と祈った。
そうしたら出勤するなりお客さんが支払いに来てくれて驚く。
金庫は空っぽだったのでおつりが無く焦りまくってしまった。
私の財布からと同僚からも借りて何とかその場を凌いだ。
お客様は神様である。朝一からこんなに嬉しいことがあるだろうか。
お昼前にもお客さんが支払いに来てくれた。
新札の一万円札ばかりでこれもまた嬉しい。
二人分を合わせると何とか月末を乗り越えられそうだった。
欲を云えばもう少しと思っていたら午後からもお客さんが来てくれる。
7月分の支払いだったので思いがけずに何と嬉しいことだろう。
今日はいったいどうしたことかと不思議にさえ思った。
ふっと事務所の机の前に貼ってある母の写真と目が合う。
「そうか、お母さんやね」と思わず声を上げていた。
母が助けてくれたとしか思えない。奇跡のような一日であった。
もう思い悩むこともない。安心して月末を迎えられそうだ。
仕事も順調にあるのだからまたお金が転がり込んで来るだろう。
自転車操業なのだからとにかくペダルをこぎ続けなくてはいけない。
不安が一気に無くなると目の前がぱあっと明るくなった。
ゲンキンな話だが「何でもかかってこいや」と思えるようになる。
油断をしていたらまた窮地に陥るかもしれないが
笑う門には福来るである。とにかく笑顔で頑張ろうと思った。
嘆いたりくよくよしていたら貧乏神に捕まってしまうだろう。
難破船のような会社であるが前途洋々と船を漕ぎ出して行く。
秋晴れは程遠く今日も曇り空のまま日が暮れる。
雨が降り続けば「秋霖」(しゅうりん)と云うのだそうだ。
学が無い者だから調べてみて初めて知ることが多い。
朝の峠道ではっとしたのは「つわぶき」の花が沢山咲いていたこと。
先週の金曜日にも通っているのにまったく気がつかなかった。
峠道には所々に谷がありその岩陰に鮮やかな黄色の花が見える。
向日葵を小さくしたような花だが一輪に幾つか花を付けるのが特徴だった。
日本古来の花なのだろうか気になって調べてみたら
長崎県に「つわぶきの花」と云う名の温泉宿があるのだそうだ。
ネットの画面はそればかりで肝心の花のことが分らなかった。
その温泉宿にはおそらくつわぶきの花が沢山咲いているのだろう。
旅行などとても無理だが何だか訪れてみたくなった。

月曜日らしく仕事は忙しかったが預金通帳を記入して愕然とする。
今日は自動車保険の引き落とし日であったが12万円も引かれていた。
全部で15台ほどあるが新しい運搬車の保険料が2ヶ月分加算されている。
保険料の把握はしていたがいざ引き落とされると戸惑うものだ。
預金残高は後わずかであった。月末を乗り越えられるかと一気に不安になる。
大口の入金があるはずなのだがおそらく月末になるだろう。
もしその入金が来月になれば会社は火の車となってしまう。
同僚にお給料も支払わねばならず頭の中が「お金」一色になった。
そこで「なんとかなる」と思いたい。お金は天下の回り物である。
回っている限り転がり込んで来るだろうと思うことにした。
これまでどれ程の危機を乗り越えて来たことだろう。
私はいつも試されている。神様なのか仏様なのか知る由もないけれど。
お昼休憩が取れなかったので少し早めに帰ろうとしていたら
義父に呼び止められネットで調べ物をしていたら3時前になってしまった。
義父の許しを得て逃げるように帰って来る。
サニーマートで買い物をし店内の百円ショップへ行ったのだが
明日必要な封筒が在庫切れになっておりがっかりだった。
仕方なく隣接するセリアまでカートを押しながら歩く。
わずか50メートル程だったが何ときついことだろう。
目当ての封筒は買うことが出来たがまた車まで歩かなければいけない。
往復百メートルの距離に汗が噴き出て今にも倒れそうになった。
丁度その時、両手に杖を持ちとても辛そうに歩いている老女に会う。
声を掛けずにどうしていられようか。まるで未来の私であった。
「カートを持って来ましょうか」と問うと「かまん、かまん」と。
訊けば買い物ではなく店内のATMまで行くのだそうだ。
見る限り車の運転はとても無理に思える。
おそらく介護タクシーを利用していたのではないだろうか。
僅かな年金を引き出すのであればとても憐れに思えた。
もし独り暮らしなら尚更である。不自由な両足で何と難儀なことだろう。
そう思うとまだ片足だけで家族に恵まれている自分が申し訳なかった。
欲を云えばきりがなく今の幸せを大切にしたいとつくづく思う。
帰宅するなり夫に話したら「明日は我が身だと思えよ」と言われた。
夜になりぽつぽつと雨が降り始めている。
明日も雨なら「秋霖」なのだなと少しお利口さんになったようだ。
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