ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月31日(木) 肩の荷

晴れたり曇ったり。10月も晦日となり流石に夏日にはならなかった。

週間予報では来週から一気に気温が下がりそうである。

「立冬」も近くなりそれが当然のことに思う。

また苦手な冬がやって来るが耐えなければいけないのだろう。


今朝は生きていた。眠ったまま死ぬことはなかったようだ。

仕事のことで頭がいっぱいになっており無事に職場に着く事しか考えていない。

通勤途中で事故にでも遭ったら大変なことになってしまう。

助手席のバックには会社の現金を残らず保管してあったのだ。

もし夜中に強盗に襲われてもこれだけは渡すまいと思っていたくらいである。

無事に職場に着きなんとほっとしたことだろうか。

9時になるのを待ち兼ねてATMへ走り全ての支払いを済ませた。

残った現金は預金に入れ来月の運転資金とする。

それから小口の集金にまわり午前中には月末の仕事を終えていた。


大きな安堵で肩の荷が下りたせいか眠くてならず

お昼には机に突っ伏し30分程眠ることが出来た。

なんとも心地よい達成感である。我ながら大した者だと思う。

母の助けがあってこその事だったが諦めずにいて良かったのだ。


帰り道にも市内のお客さんと会う約束をしており集金が叶う。

なんと半年前の車検代だった。催促もせずにそっとして置いたのだが

これも母のおかげだろうか思いがけない入金となる。


いつもより随分と早く3時半には帰宅していた。

今週もあやちゃんの担任の先生が来てくれるらしく

夫とまた一悶着あったようだった。

どうやら先週約束したことを反故にするつもりらしい。

部屋はもぬけの空で雲隠れをしていた。

もしやと思い私達の寝室を覗いたら夫のベッドに潜り込んでいるのだった。

それには夫も根負けしたのだろう。約束は約束に違いないが

どうして無理強いが出来ようかと思ったようだ。


玄関のチャイムが鳴り先生が来てくれたが全て夫に任せる。

「すいません、すいません」としきりに謝っている声が聞こえた。

何だか夫が酷く憐れに思えたがあやちゃんを責める訳にはいかない。

その後で「もう帰った?」と呑気にケロッとしているのだ。


先生にも任務があり仕事として来てくれているのだと思う。

少しでも前向きになって欲しいと願ってくれてもいるだろう。

けれどもあやちゃんには少しも伝わっていないのではないだろうか。

いくら子供でも人としてどうかなと思わずにいられない。

他人の思いやりを無駄にするような人にはなって欲しくなかった。

ちゃんと先生に会って「ありがとう」と言える子になって欲しい。


これは私の考えであって夫や娘とは全く違うようだ。

だからこそ私は要らぬ口を挟んではいけないのだと思う。

けれども複雑な気持ちは日に日につのるばかりであった。


夕飯の支度をしていたらあやちゃんが笑顔でやって来て

「おばあちゃん、今夜は何?」と訊いてくれて嬉しかった。




2024年10月30日(水) 一番星とお母様

幾日ぶりだろうか久しぶりに爽やかな秋晴れとなる。

気温は24℃と高めであったが蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。


今朝は出勤すると看板猫の「みい太」が運搬車の荷台に座っていた。

「そんなところで何しよるの?降りて来なさいや」と声を掛けると

私の言葉が通じたのか直ぐに飛び降り来て「みゃおう」と鳴く。

さあ朝ご飯の時間である。猫係の常連のお客さんの車が見えると

駆け寄って行って餌の催促をするのだった。

お客さんも毎朝の楽しみにしており何とも微笑ましい光景である。

夏の間は少し食欲が落ちていたが最近はよく食べるようになった。

量が足らない時もあり「もっと食べたい」としきりに鳴き出す。

「癖になるけんやったらいかんぞ」義父からのお達しであるが

追加の餌を与えないとそれはしつこく追い掛け回すのだった。

こちらが根負けしてこっそりと餌を与えたらまたガツガツと食べ始める。

それも愉快でならず朝から笑顔が溢れる職場であった。


独り暮らしの義父にとっては家族も同然になっており

みい太のことを話す時の義父の穏やかな顔がとても好きだなと思う。




「金は天下の回り物」今日もまるで奇跡のように転がり込んでくる。

丁度一年前のタイヤ代を支払いに来てくれたお客さんもいた。

車検完了のお客さんは即金でありどれ程助かったことだろう。

月末の支払いどころか来月末の支払いも出来そうになる。

これを安泰と云わず何と言おう。まるで夢を見ているようであった。


母のおかげだとしか思えない。ずっと見守ってくれているのだ。

生前はお金の苦労ばかりしていたからこそ私の苦労が分るのだろう。

神様仏様よりも「お母様」であると昨日からずっと感謝している。


明日の準備は整い肩の荷が下りたが、根っからの不安症な者だから

今日死んだらどうしようと思い始めていた。

帰り道で交通事故に遭うかもしれない。今夜突然死するかもしれない。

死ななくても夜中に強盗に襲われお金を全部盗られてしまうかもしれない。

考え出したら切りがなく不安で一杯になってしまった。

大げさな話だが何としても生きて明日に臨まなければいけない。

お母様がきっと守ってくれるだろう。やっとそう思えるようになった。



黄昏時に一番星を見つける。それがとても不思議に輝いていた。

蝋燭の炎のように見えたのだ。それもゆらゆらと揺れているではないか。

目の錯覚かもしれないとも思ったがそれは確かに星の輝きであった。


死んでしまったら何もかも終りとは限らない。

魂はより近くに在り愛しい者たちを守ろうとする。

時には身代わりになり再び死ぬこともあるだろう。

けれども魂は永遠であり夜空の星の如く決して消えることはない。




2024年10月29日(火) 生きてこその夢

曇り日。時おり霧雨が降る。まるで春先の雨のようだった。

気温は20℃程で蒸し暑くはないはずだが何故か薄っすらと汗をかく。

太っているせいかもしれないが随分と汗っかきになったようだ。


今朝は「つわぶきの花」の詩を書いた。

書こうと思って書いたわけではなく自然と頭に浮かんで来たのだった。

書いた後の何と清々しかったことだろう。


いつも読んでくれている大阪の詩人さんが声を掛けてくれて

今まで書いた詩をまとめて詩集を出す予定はないのかと訊かれる。

そうして私の詩集を読みたいとまで言ってくれたのだった。

これほどの励みがかつてあっただろうか。何とも嬉しくてならない。

しかし残念ながら詩集を出す予定などあるはずがなかった。

まだまだ未熟である上に経済的な余裕が全くない。

貧乏人に詩集など到底無理な話であった。


返答に戸惑ったが本当の事がどうして言えよう。

「柴田トヨさんが目標です」と咄嗟に応える。

100歳の詩集を出すのだ。それが私の夢でもあった。

その為には何としても元気で長生きをしなければならない。

夢は叶えるためにあるのだそうだ。生きてこその夢である。



今朝は母の遺影に手を合わせ「お金が転がり込んで来ますように」と祈った。

そうしたら出勤するなりお客さんが支払いに来てくれて驚く。

金庫は空っぽだったのでおつりが無く焦りまくってしまった。

私の財布からと同僚からも借りて何とかその場を凌いだ。

お客様は神様である。朝一からこんなに嬉しいことがあるだろうか。


お昼前にもお客さんが支払いに来てくれた。

新札の一万円札ばかりでこれもまた嬉しい。

二人分を合わせると何とか月末を乗り越えられそうだった。

欲を云えばもう少しと思っていたら午後からもお客さんが来てくれる。

7月分の支払いだったので思いがけずに何と嬉しいことだろう。

今日はいったいどうしたことかと不思議にさえ思った。


ふっと事務所の机の前に貼ってある母の写真と目が合う。

「そうか、お母さんやね」と思わず声を上げていた。

母が助けてくれたとしか思えない。奇跡のような一日であった。

もう思い悩むこともない。安心して月末を迎えられそうだ。

仕事も順調にあるのだからまたお金が転がり込んで来るだろう。

自転車操業なのだからとにかくペダルをこぎ続けなくてはいけない。

不安が一気に無くなると目の前がぱあっと明るくなった。

ゲンキンな話だが「何でもかかってこいや」と思えるようになる。


油断をしていたらまた窮地に陥るかもしれないが

笑う門には福来るである。とにかく笑顔で頑張ろうと思った。


嘆いたりくよくよしていたら貧乏神に捕まってしまうだろう。

難破船のような会社であるが前途洋々と船を漕ぎ出して行く。



2024年10月28日(月) 金は天下の回り物

秋晴れは程遠く今日も曇り空のまま日が暮れる。

雨が降り続けば「秋霖」(しゅうりん)と云うのだそうだ。

学が無い者だから調べてみて初めて知ることが多い。


朝の峠道ではっとしたのは「つわぶき」の花が沢山咲いていたこと。

先週の金曜日にも通っているのにまったく気がつかなかった。

峠道には所々に谷がありその岩陰に鮮やかな黄色の花が見える。

向日葵を小さくしたような花だが一輪に幾つか花を付けるのが特徴だった。

日本古来の花なのだろうか気になって調べてみたら

長崎県に「つわぶきの花」と云う名の温泉宿があるのだそうだ。

ネットの画面はそればかりで肝心の花のことが分らなかった。

その温泉宿にはおそらくつわぶきの花が沢山咲いているのだろう。

旅行などとても無理だが何だか訪れてみたくなった。



月曜日らしく仕事は忙しかったが預金通帳を記入して愕然とする。

今日は自動車保険の引き落とし日であったが12万円も引かれていた。

全部で15台ほどあるが新しい運搬車の保険料が2ヶ月分加算されている。

保険料の把握はしていたがいざ引き落とされると戸惑うものだ。


預金残高は後わずかであった。月末を乗り越えられるかと一気に不安になる。

大口の入金があるはずなのだがおそらく月末になるだろう。

もしその入金が来月になれば会社は火の車となってしまう。

同僚にお給料も支払わねばならず頭の中が「お金」一色になった。

そこで「なんとかなる」と思いたい。お金は天下の回り物である。

回っている限り転がり込んで来るだろうと思うことにした。

これまでどれ程の危機を乗り越えて来たことだろう。

私はいつも試されている。神様なのか仏様なのか知る由もないけれど。


お昼休憩が取れなかったので少し早めに帰ろうとしていたら

義父に呼び止められネットで調べ物をしていたら3時前になってしまった。

義父の許しを得て逃げるように帰って来る。


サニーマートで買い物をし店内の百円ショップへ行ったのだが

明日必要な封筒が在庫切れになっておりがっかりだった。

仕方なく隣接するセリアまでカートを押しながら歩く。

わずか50メートル程だったが何ときついことだろう。

目当ての封筒は買うことが出来たがまた車まで歩かなければいけない。

往復百メートルの距離に汗が噴き出て今にも倒れそうになった。


丁度その時、両手に杖を持ちとても辛そうに歩いている老女に会う。

声を掛けずにどうしていられようか。まるで未来の私であった。

「カートを持って来ましょうか」と問うと「かまん、かまん」と。

訊けば買い物ではなく店内のATMまで行くのだそうだ。

見る限り車の運転はとても無理に思える。

おそらく介護タクシーを利用していたのではないだろうか。

僅かな年金を引き出すのであればとても憐れに思えた。

もし独り暮らしなら尚更である。不自由な両足で何と難儀なことだろう。

そう思うとまだ片足だけで家族に恵まれている自分が申し訳なかった。


欲を云えばきりがなく今の幸せを大切にしたいとつくづく思う。

帰宅するなり夫に話したら「明日は我が身だと思えよ」と言われた。


夜になりぽつぽつと雨が降り始めている。

明日も雨なら「秋霖」なのだなと少しお利口さんになったようだ。







2024年10月27日(日) 後悔はいくらでもしよう

曇り日。陽射しのある時間帯もあったが日が暮れると小雨が降り始める。

やはり10月とは思えない蒸し暑さで扇風機が必要だった。


朝顔はもう咲きそうにない。今朝見ると葉全体が黄色くなっていた。

水は遣り続けていたが花芽はもう見当たらなくなっている。

不思議なことに種も見当たらずいったいどうしたことか。


ビオラは小さいながらも健気に咲いている。

娘が植えてくれたので尚更に嬉しい。

後は葉牡丹があれば冬の庭になるだろう。


外出は叶わずほぼ一日中家の中に籠っていた。

出掛けたのは買い物と選挙だけである。

投票所は地区の集会所で立会人は見知った顔であった。

一人は友人のご主人でもう一人は昔のバド仲間である。

敢えて杖を付かずに行ったのだがバド仲間のKさんが驚いたのか

「大丈夫かよ」と心配そうに声を掛けてくれた。

もうバドミントンどころではなくなり歩くのがやっとである。

返れるものならあの頃に戻りたいが到底無理な話であった。


昼食を終えてからまた茶の間で横になりお昼寝体制に入る。

とにかく自室に行ってはならないと言い聞かすばかりだった。

この世から煙草が消えてしまえば良いのにと本気で思う。

そのくせ今朝はカートン買いをするのだから矛盾だらけである。


一時間程眠っただろうか。もう寝るのも飽きてしまったようだった。

当然の事だが昼寝をし過ぎると夜の睡眠に響く。

昨夜も熟睡出来ずすっかり自業自得であった。

何もかもだがいい加減にしなくてはならない。

その加減が制御出来なくなっている自分に苛立ちさえ感じる。

何だか泥沼の中を必死になって歩いているような気がするのだ。

その泥沼が果てしなく続いているとしか思えなかった。



夕飯は「すき焼き」家族皆の好物である。

私はお豆腐しか食べないが夫は牛肉をこれでもかと食べる。

そうなるだろうと思い安価な輸入肉を2パック買って来ていた。

それでも2千円である。煙草だと4個分に相当するのだ。

煙草を買わなければ美味しい和牛が買えたのにと思う。


後悔はいくらでもしよう。でも自制出来ないことには変わりない。

明日はやっと仕事である。少しでも節煙出来ればと思っている。


泥沼ならば汚れてしまえば良いのだろうか。

雨が降れば洗い流してくれるのだろうか。





2024年10月26日(土) 老婆心と愛情

連日の曇り日。しばらく秋晴れは望めそうにない。

蒸し暑さもあり半袖で十分であった。

秋物の出番はなくすぐに冬物になってしまいそうだ。


宿毛市郊外の畑で秋桜が満開になっているそうだ。

見るだけで良いからと夫に頼んでみたがやはり却下される。

もう何を言っても無理なようで諦めるしかなさそうだ。


道端の秋桜はもうすっかり散ってしまって枯れ始めている。

その秋桜は稲刈り後に種を蒔いたのだそうで遅咲きになるのだろう。

とても貴重に思えるのだが夫とは価値観が全く違うようだった。


家に居ると煙草ばかり吸ってしまう。何とかして逃れたいが

意思の弱さもあるのだろう。雁字搦めになるばかりであった。


茶の間でテレビでも見ようと思い行ってみたら

夫が朝から「暴れん坊将軍」を見ていた。

ネットフィリックスでは一日中見られるのだそうだ。

私も嫌いではないのでしばらく一緒に見ていたが

何となくそわそわと落ち着かなくなりまた自室へと戻る。

そうしてまた煙草である。我ながら呆れ返って情けなくてならない。

情緒不安定なのだろうか。何だか自分が壊れているような気がする。



10時になるのを待ち兼ねてカーブスへ行った。

これはこれで良き気分転換となりそれなりに楽しいのだ。

心地よく汗を流し元気な自分が嬉しくてならない。

けれどもそれもつかの間の事。家に帰ればまた元の木阿弥となる。

昼食をお腹一杯に食べとにかく寝ることである。

寝てさえいれば煙草を吸わなくても良いのだ。

そこで気づくのは吸いたくて吸っているのはないと云うこと。

ここまで来れば病的な依存症であることは間違いないと思う。


結局3時まで寝ていた。向井理が主演のドラマ風の夢を見ていたようだ。

もう少しでラストだったのに残念ながら目が覚めてしまう。

何だか最終回の途中で壊れてしまったテレビのようであった。

今夜続きが見られたら良いがそれは無理な話だろう。


4時までまた自室に籠りSNSのタイムラインを追っていた。

小泉今日子が絶対に選挙に行きましょうと訴えている。

私達夫婦は必ず行くが娘達は全く興味がない様子であった。

とにかく自民党の票を一票でも少なくしなくてはならない。

日本国民としてそれは当然の事のように思う。


一時間で10本の煙草。後悔以上にもう自滅である。

ここまで落ちぶれたかとひたすら自責の念に駆られるばかりであった。

明日も外出が無理ならどうしようと途方に暮れている。

夫に訳は話せなかった。話せたらどんなにか救われるだろうか。



夕食は娘達とは別々にそれぞれが食べたい物とする。

私達はサニーマートのお惣菜で簡単に済ませたが

娘達は「キムチ鍋」を作ったようで今もまだ家族団欒をしている。

あやちゃんがにこにこと笑顔で何とも微笑ましく感じた。


めいちゃんは二従兄弟のまあちゃんの家にお泊りなのだそうだ。

夕食もご馳走になるらしくリュックを背負い出掛けて行った。

気のせいかもしれないがめいちゃんが不在だとあやちゃんのテンションが高い。

両親を独り占め出来るからかもしれなかった。

それだけ普段はじっと耐えているのではないだろうか。

甘えたくても甘えられない。それは2歳でお姉ちゃんになってから

ずっと続いている宿命のようなものかもしれない。


すっかり大人びて見えるあやちゃんであったが根はまだ子供なのだ。

干渉は禁じられているが声を掛けたくてたまらない時がある。


何が正解で何が間違いなのか。老婆心よりも大切な愛情が必要に思う。







2024年10月25日(金) トンネルの出口

曇り日。昨日の肌寒さが嘘のような夏日となる。

風も吹かずなんと蒸し暑かったことだろう。

我慢出来ずとうとう事務所のエアコンを稼働させてしまった。

10月も終りに近づいているのに異例の事である。

そうしてまた一気に肌寒い日がやって来るのだろう。

正直からだが付いていけない。これ程堪えることはなかった。


「桜紅葉」だろうか。桜の葉が少し色づいて来ている。

やがては散ってしまい裸木になってしまうだろう。

その散るさまが目に浮かびふっと切なさを感じる。

けれどもそうして寒い冬を乗り越えてこそ花を咲かすのだった。

「寒さなければ花は咲かず」私はこの言葉がとても好きである。



金曜日のせいか仕事が忙しくお昼休憩も取れなかった。

お客さんから問い合わせがあり代書事務所へ電話をしたら

忙しくて対応できないと断られてしまった。

その口調がとても荒くてなんだかとても残念でならなかった。

どれ程忙しくても配慮を怠ってはならないのだと思う。

それは私にも云えることで良き教訓になったようだった。


工場も車検整備があり忙しかったが同僚は午後から休みになっていた。

二つの病院を掛け持ちするのだそうで仕方ないことだったが

お昼にタイムカードを押すなり無言のまま帰ってしまった。

社長である義父も事務所に居たのにせめて一言が欲しかったと思う。

いくら通院だと云え義父も不愉快な気持ちになったようだった。

従業員の健康が一番の事だが休むのが当たり前になってはいけない。


その後義父から相談があり金曜日の通院を土曜日に出来ないものかと。

そのことを同僚に話してみてくれと云うのだった。

私も気が重かったが嫌とは云えず引き受けるしかなかった。

来週早々に話してみようと思っているが同僚も気を悪くするだろう。

あちらを立てればこちらが立たずになりそうで困ったものである。





午後も急ぎの事務仕事があり完了してから3時に退社した。

今週の疲れが一気に襲って来たようでしんどくてならない。

案の定運転中に酷い眠気がありやっとの思いで市内まで辿り着く。

眠気には煙草が即効だが先日から帰りの車内での喫煙を止めていた。

それがせめてもの「けじめ」に思ったのだ。

代わりに飴玉をしゃぶっている。丁度2個で市内まで帰ることが出来る。


サニーマートで買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。

家の中から夫とあやちゃんの大きな話し声が聞こえていて気になる。

何事かと思えば今日は夕方また担任の先生が来てくれるのだそうだ。

今日こそはと夫が宥めている最中であった。

あやちゃんは「絶対に嫌!」と言い張りトイレに閉じ籠ってしまう。

私が声を掛けようとしたら「お前は黙っていろ」と叱られてしまった。


両親は仕事で不在である。夫にしてみれば大きな責任があるのだろう。

昼間はおじいちゃんと二人きりなのだ。話し相手にもなっているようだ。

それなりに二人の間には信頼もあり「絆」のようなものもある。


5時過ぎに担任の先生と保健室の先生が来てくれたが

やはり駄目だった。「絶対に会いたくない」と言い張り拒否する。

しかし来週には会えるかもと夫に告げたのだそうだ。

それが約束なのかは分からないが少しでも気持ちが動いたのだと思う。

夫も誠心誠意尽くしていた。それが努力でなくてなんだろう。

可愛い孫のために「俺じゃなくては」と一生懸命なのだった。


トンネルの出口は見えているが一歩も前へ進めないのだろう。

暗いトンネルの中で蹲っている姿が目に浮かぶ。

どれ程の葛藤だろうか。あやちゃんの心中は誰にも分からなかった。







 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加