ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月27日(日) 後悔はいくらでもしよう

曇り日。陽射しのある時間帯もあったが日が暮れると小雨が降り始める。

やはり10月とは思えない蒸し暑さで扇風機が必要だった。


朝顔はもう咲きそうにない。今朝見ると葉全体が黄色くなっていた。

水は遣り続けていたが花芽はもう見当たらなくなっている。

不思議なことに種も見当たらずいったいどうしたことか。


ビオラは小さいながらも健気に咲いている。

娘が植えてくれたので尚更に嬉しい。

後は葉牡丹があれば冬の庭になるだろう。


外出は叶わずほぼ一日中家の中に籠っていた。

出掛けたのは買い物と選挙だけである。

投票所は地区の集会所で立会人は見知った顔であった。

一人は友人のご主人でもう一人は昔のバド仲間である。

敢えて杖を付かずに行ったのだがバド仲間のKさんが驚いたのか

「大丈夫かよ」と心配そうに声を掛けてくれた。

もうバドミントンどころではなくなり歩くのがやっとである。

返れるものならあの頃に戻りたいが到底無理な話であった。


昼食を終えてからまた茶の間で横になりお昼寝体制に入る。

とにかく自室に行ってはならないと言い聞かすばかりだった。

この世から煙草が消えてしまえば良いのにと本気で思う。

そのくせ今朝はカートン買いをするのだから矛盾だらけである。


一時間程眠っただろうか。もう寝るのも飽きてしまったようだった。

当然の事だが昼寝をし過ぎると夜の睡眠に響く。

昨夜も熟睡出来ずすっかり自業自得であった。

何もかもだがいい加減にしなくてはならない。

その加減が制御出来なくなっている自分に苛立ちさえ感じる。

何だか泥沼の中を必死になって歩いているような気がするのだ。

その泥沼が果てしなく続いているとしか思えなかった。



夕飯は「すき焼き」家族皆の好物である。

私はお豆腐しか食べないが夫は牛肉をこれでもかと食べる。

そうなるだろうと思い安価な輸入肉を2パック買って来ていた。

それでも2千円である。煙草だと4個分に相当するのだ。

煙草を買わなければ美味しい和牛が買えたのにと思う。


後悔はいくらでもしよう。でも自制出来ないことには変わりない。

明日はやっと仕事である。少しでも節煙出来ればと思っている。


泥沼ならば汚れてしまえば良いのだろうか。

雨が降れば洗い流してくれるのだろうか。





2024年10月26日(土) 老婆心と愛情

連日の曇り日。しばらく秋晴れは望めそうにない。

蒸し暑さもあり半袖で十分であった。

秋物の出番はなくすぐに冬物になってしまいそうだ。


宿毛市郊外の畑で秋桜が満開になっているそうだ。

見るだけで良いからと夫に頼んでみたがやはり却下される。

もう何を言っても無理なようで諦めるしかなさそうだ。


道端の秋桜はもうすっかり散ってしまって枯れ始めている。

その秋桜は稲刈り後に種を蒔いたのだそうで遅咲きになるのだろう。

とても貴重に思えるのだが夫とは価値観が全く違うようだった。


家に居ると煙草ばかり吸ってしまう。何とかして逃れたいが

意思の弱さもあるのだろう。雁字搦めになるばかりであった。


茶の間でテレビでも見ようと思い行ってみたら

夫が朝から「暴れん坊将軍」を見ていた。

ネットフィリックスでは一日中見られるのだそうだ。

私も嫌いではないのでしばらく一緒に見ていたが

何となくそわそわと落ち着かなくなりまた自室へと戻る。

そうしてまた煙草である。我ながら呆れ返って情けなくてならない。

情緒不安定なのだろうか。何だか自分が壊れているような気がする。



10時になるのを待ち兼ねてカーブスへ行った。

これはこれで良き気分転換となりそれなりに楽しいのだ。

心地よく汗を流し元気な自分が嬉しくてならない。

けれどもそれもつかの間の事。家に帰ればまた元の木阿弥となる。

昼食をお腹一杯に食べとにかく寝ることである。

寝てさえいれば煙草を吸わなくても良いのだ。

そこで気づくのは吸いたくて吸っているのはないと云うこと。

ここまで来れば病的な依存症であることは間違いないと思う。


結局3時まで寝ていた。向井理が主演のドラマ風の夢を見ていたようだ。

もう少しでラストだったのに残念ながら目が覚めてしまう。

何だか最終回の途中で壊れてしまったテレビのようであった。

今夜続きが見られたら良いがそれは無理な話だろう。


4時までまた自室に籠りSNSのタイムラインを追っていた。

小泉今日子が絶対に選挙に行きましょうと訴えている。

私達夫婦は必ず行くが娘達は全く興味がない様子であった。

とにかく自民党の票を一票でも少なくしなくてはならない。

日本国民としてそれは当然の事のように思う。


一時間で10本の煙草。後悔以上にもう自滅である。

ここまで落ちぶれたかとひたすら自責の念に駆られるばかりであった。

明日も外出が無理ならどうしようと途方に暮れている。

夫に訳は話せなかった。話せたらどんなにか救われるだろうか。



夕食は娘達とは別々にそれぞれが食べたい物とする。

私達はサニーマートのお惣菜で簡単に済ませたが

娘達は「キムチ鍋」を作ったようで今もまだ家族団欒をしている。

あやちゃんがにこにこと笑顔で何とも微笑ましく感じた。


めいちゃんは二従兄弟のまあちゃんの家にお泊りなのだそうだ。

夕食もご馳走になるらしくリュックを背負い出掛けて行った。

気のせいかもしれないがめいちゃんが不在だとあやちゃんのテンションが高い。

両親を独り占め出来るからかもしれなかった。

それだけ普段はじっと耐えているのではないだろうか。

甘えたくても甘えられない。それは2歳でお姉ちゃんになってから

ずっと続いている宿命のようなものかもしれない。


すっかり大人びて見えるあやちゃんであったが根はまだ子供なのだ。

干渉は禁じられているが声を掛けたくてたまらない時がある。


何が正解で何が間違いなのか。老婆心よりも大切な愛情が必要に思う。







2024年10月25日(金) トンネルの出口

曇り日。昨日の肌寒さが嘘のような夏日となる。

風も吹かずなんと蒸し暑かったことだろう。

我慢出来ずとうとう事務所のエアコンを稼働させてしまった。

10月も終りに近づいているのに異例の事である。

そうしてまた一気に肌寒い日がやって来るのだろう。

正直からだが付いていけない。これ程堪えることはなかった。


「桜紅葉」だろうか。桜の葉が少し色づいて来ている。

やがては散ってしまい裸木になってしまうだろう。

その散るさまが目に浮かびふっと切なさを感じる。

けれどもそうして寒い冬を乗り越えてこそ花を咲かすのだった。

「寒さなければ花は咲かず」私はこの言葉がとても好きである。



金曜日のせいか仕事が忙しくお昼休憩も取れなかった。

お客さんから問い合わせがあり代書事務所へ電話をしたら

忙しくて対応できないと断られてしまった。

その口調がとても荒くてなんだかとても残念でならなかった。

どれ程忙しくても配慮を怠ってはならないのだと思う。

それは私にも云えることで良き教訓になったようだった。


工場も車検整備があり忙しかったが同僚は午後から休みになっていた。

二つの病院を掛け持ちするのだそうで仕方ないことだったが

お昼にタイムカードを押すなり無言のまま帰ってしまった。

社長である義父も事務所に居たのにせめて一言が欲しかったと思う。

いくら通院だと云え義父も不愉快な気持ちになったようだった。

従業員の健康が一番の事だが休むのが当たり前になってはいけない。


その後義父から相談があり金曜日の通院を土曜日に出来ないものかと。

そのことを同僚に話してみてくれと云うのだった。

私も気が重かったが嫌とは云えず引き受けるしかなかった。

来週早々に話してみようと思っているが同僚も気を悪くするだろう。

あちらを立てればこちらが立たずになりそうで困ったものである。





午後も急ぎの事務仕事があり完了してから3時に退社した。

今週の疲れが一気に襲って来たようでしんどくてならない。

案の定運転中に酷い眠気がありやっとの思いで市内まで辿り着く。

眠気には煙草が即効だが先日から帰りの車内での喫煙を止めていた。

それがせめてもの「けじめ」に思ったのだ。

代わりに飴玉をしゃぶっている。丁度2個で市内まで帰ることが出来る。


サニーマートで買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。

家の中から夫とあやちゃんの大きな話し声が聞こえていて気になる。

何事かと思えば今日は夕方また担任の先生が来てくれるのだそうだ。

今日こそはと夫が宥めている最中であった。

あやちゃんは「絶対に嫌!」と言い張りトイレに閉じ籠ってしまう。

私が声を掛けようとしたら「お前は黙っていろ」と叱られてしまった。


両親は仕事で不在である。夫にしてみれば大きな責任があるのだろう。

昼間はおじいちゃんと二人きりなのだ。話し相手にもなっているようだ。

それなりに二人の間には信頼もあり「絆」のようなものもある。


5時過ぎに担任の先生と保健室の先生が来てくれたが

やはり駄目だった。「絶対に会いたくない」と言い張り拒否する。

しかし来週には会えるかもと夫に告げたのだそうだ。

それが約束なのかは分からないが少しでも気持ちが動いたのだと思う。

夫も誠心誠意尽くしていた。それが努力でなくてなんだろう。

可愛い孫のために「俺じゃなくては」と一生懸命なのだった。


トンネルの出口は見えているが一歩も前へ進めないのだろう。

暗いトンネルの中で蹲っている姿が目に浮かぶ。

どれ程の葛藤だろうか。あやちゃんの心中は誰にも分からなかった。








2024年10月24日(木) 失敗は成功のもと

曇りのち雨。小雨ではあるが今も静かに降り続いている。

日中の気温は20℃程で随分と肌寒く感じた。

小雨なので傘を差さずにいたが濡れるとなんと冷たいことだろう。

何か羽織るものを着て来れば良かったと悔やまれた。


朝の山道ではお遍路さんが二人。午後には雨に濡れてしまっただろう。

余程の大雨でない限り雨合羽を着るお遍路さんは少ない。

野宿ならばお風呂にも入れないので気の毒でならなかった。

長靴を履いて歩くお遍路さんもまずいない。

雨が降れば靴も濡れ余計に歩くのが辛くなるだろう。

それでも嘆きもせずに次の札所を目指す。

延光寺さんまでは車だと40分程であるが歩くと一日がかりだった。

過酷な道のりに思えるがそれがお遍路の真の姿なのだろう。




仕事はそこそこの忙しさであった。

郵便局の専属工場なので今日は新車バイクの登録があった。

書類を整えて役場に行きナンバーを交付して貰う。

その足で直ぐに郵便局へ届けたのだったが

後で役場の職員が誤ったナンバーを交付したことが分り大騒ぎとなる。

よく確かめようとしなかった私にも落ち度があった。

事後処理は役場の職員が全てしてくれて助かったが

気づくのが遅れていたら大変なことになるところだった。

110ccのバイクに50ccのナンバーを交付していたのである。


過ちは誰にでもあることで私も大きな過ちを起こす。

それも帰宅してから義父の電話で発覚したことだった。

お客さんに届ける車検証が別のお客さんと入れ替わっていたのだ。

義父が確かめてくれなかったらそのまま届けるところだった。

「そそっかしいにも程があるぞ」と義父からお叱りを受ける。

もちろん間違えた記憶が全くなかった。

ボケが始まったのだろうかと本気で思ったほどだ。

失敗は成功のもとである。もう二度と同じ過ちをしてはならない。




仕事を終えてから週一のリハビリへ。駐車場が空いていて助かる。

傘を差さねばならず杖を付かずになんとか受付まで辿り着く。

よっこらしょと椅子に座るなり名前を呼ばれておどろく。

おそらくキャンセルがあったのだろう。早めに来て正解だった。

理学療法士はいつものU君であったが今日も痛い処に手が届く。

なんとも丁寧に揉み解してくれて夢見心地であった。

保険適応なのでわずか780円の支払いである。

なんだかそれでは申し訳ないような施術であった。

U君とも話したのだが一週間の何と早いことだろう。

直ぐに今年が終わりそうだねと笑い合ったことだった。


私は射手座だが前半は内に向かい後半は外に向かうのだそうだ。

今はもう後半だが果たして外に向かっているのだろうか。

相変わらず報われない一年だったようにも思える。

けれども如何程の努力だったろうかと疑問にも思えるのだった。


報われないのはきっと努力が足らないのだろう。

かと云ってこれ以上いったい何をすれば良いのか分からない。

日々精一杯である。仕事も家事もそうして書きながら生きることも。



2024年10月23日(水) 友となり町から来たる

二十四節気の「霜降」朝晩が冷え込み霜が降りる頃。

季節はもう晩秋のはずなのだが今日も夏日となった。

異常としか思えない気候である。なんだか不気味にさえ思う。

今日はまるで梅雨の晴れ間のような青空であったが

明日からまたしばらくは雨の日が多くなりそうである。


花たちは散る時を知っているのか秋桜が散り始めた。

一足先に咲いていたキバナコスモスはもう姿が見えない。

東北地方では山茶花が咲き始めているそうだ。

冬を代表する花である。やがては四国も咲き始めるだろう。

紅葉の季節もやって来るがまだ樹々の緑が鮮やかであった。

植物は健気に季節を知らせようとしているのだろう。

その気持ちを受け止めてやらねばならない。




仕事はまずまずの忙しさで午前中に古い友人が訪ねて来てくれた。

差し入れにとミルク味ののど飴を持って来てくれたのだ。

私の声枯れと咳の酷さを気に掛けてくれたのだろう。

そっと手渡してくれたその心遣いがとても嬉しくてならない。


彼女とは30年来の友人であるが最近は疎遠になっていた。

お互いの暮らしに精一杯で付き合いどころではなかったのだ。

以前はよく手紙を交していて今も大切に手元に置いてある。

晩婚だった彼女は大いに恋に悩み辛い思いをすることも多かった。

私は年上でもあり良き相談相手となっていたのだろう。

でも肝心な時には何の役にも立てなかったのかもしれない。

それでも彼女は私を姉のように慕ってくれたのだった。


結婚し女の子が生まれその娘さんはもう大学生になっている。

莫大な学費に苦労しながらも夫婦共働きで頑張っているのだった。

60歳を過ぎそろそろ老後の心配もしなければいけない。

姑さんと同居をしておりまだまだこれからの苦労にも思われる。


今日は車検代の支払いに来てくれていたのでゆっくりと話せず

「またきっと会おうね」と約束をして帰って行った。

私にとっては数少ない友人の一人である。

もしもの時にはお葬式に来てくれるだろうかとふっと考えていた。


人生色々。結婚は縁に他ならないが「運命」にも似ている。

「あの時出会わなければ」と誰もが思うことだろう。

赤い糸で繋がっていたのならきっと出会ってしまうのだ。


その糸を自ら切るようなことがあってはならない。

どれほどか細くても例え縺れていてもその手を離さないことだ。



2024年10月22日(火) 愛しい一日

午後から雨が降り始め今も降り続いている。

宮崎では線状降水帯が発生し大雨になっているようだ。

能登の水害が頭を過り何とも心配である。


「秋の長雨」と云うが秋雨前線が消滅すれば次は寒波だろう。

気象庁の3ヶ月予報では西日本は暖冬傾向で

北日本では大雪になる可能性が大きいそうだ。

自然のなすがままである。いったいどんな冬が待ち受けているのだろう。



今朝は久しぶりに朝顔が咲いていて嬉しかった。

やはり下の方の葉は枯れているが花芽は元気なようだ。

最後まで見守ってやらねばならない。きっと種を付けるだろう。


ビオラも何と可愛らしいこと。実は娘が植えてくれたのだった。

夫の言う通りでろくに植えることも出来ない私である。

それでも花を諦めない。既に冬の庭のことを考えている。




仕事はお昼過ぎまで忙しかったが午後は来客もなかった。

義父は午前中に乗用車で出掛けたきりお昼になっても帰って来ない。

行き先を告げずに出掛けることはよくあることで「またか」と思う。

3時まではと机にへばりついていたがなんだか嫌になってしまった。

同僚に正直に話しお先に失礼することにする。


2時半にはもうサニーマートへ着いており珍しいこと。

タイムセールには早過ぎたがゆっくりと買い物が出来た。

煙草も買わなければいけない。財布が一気に軽くなる。

そこで思い留まることが出来たらどれ程救われるだろうか。

貧乏人のくせに煙草を買うなんてと心の鬼が嘲笑うばかりである。


3時過ぎに帰宅。あまりに早いので夫が驚いていた。

いつも買い物の荷物を家の中まで運んでくれるのだ。

それがどれ程助かり有難いことだろうといつも思う。

「当たり前」のことなど何ひとつ在りはしないのだ。


洗濯物も乾燥機から取り出してくれていた。

皴にならないように部屋中に広げてくれている。

おしゃべりをしながら畳むのも楽しいものだった。


4時からは待ってましたの「破れ奉行」である。

最初から見れるのがわくわくと嬉しくてならない。

これも一人で見たら面白くはないだろうと思う。

夫はどうだろう?私が傍に居た方が良いのだろうか。

老いるばかりの二人であったが共有出来る楽しみがあった。


夕飯は「親子丼」夫も孫達も好物なので花丸の夕食である。

娘は帰宅しても真っ先に子供達に声を掛けることをしなかった。

娘婿と二人でさっさと晩酌を始めてしまうのである。

それもどうかなと思うのだが決して意見を言ってはならない。

黙って様子を見ていると気配を感じた孫達が階下へ降りて来る。

そうしてやっと家族団欒となるのだった。

決して絵に描いたような家族には見えないがそれが「平和」なのだろう。


私はお風呂に入りながら色んなことを考えている。

仕事の事だったり詩や短歌の事だったり孫達の未来だったり。

そうして終る一日が愛しくてならなかった。


明日のことなど誰にも分からない。決めることも出来ないだろう。

けれども生きてさえいれば愛しい一日が待っているのだと思う。



2024年10月21日(月) 夢は夜ひらく

昨夜から風が強く今もまだ唸り続けている。

北風とばかり思っていたら東北東の風なのだそうだ。

そのせいか気温はあまり下がらず寒さを感じなかった。


山里は朝から雨となり久しぶりにまとまった雨となる。

畑の作物等には恵みの雨となったことだろう。

雨雲レーダーを見ると四万十市内は降っておらず

山里ばかりの雨だったようだ。やはり高い山があるからだろう。



月曜日の仕事は特に忙しく落ち着きを失くしていたようだ。

大切な書類が見当たらなくなったり通帳を忘れてATMに行ったり。

あれもこれもと急いでしまうとついミスをしてしまうものだ。


来客は若い頃に憧れていたY君であった。

昔は会話も叶わなかったのに今は何でも話せるのが不思議である。

農家なので長靴と作業着の時が多かったが

今日はいかにも秋らしい薄手のセーターを着ていてよく似合っていた。

70歳らしくそれなりに白髪も目立つが凛々しい顔は昔と変わらない。

「いい男だな」と思うと年甲斐もなく胸がドキドキするのだった。

当時の私の恋心に気づいていたかは定かではないが

私は封印出来ずにいる。彼はいつまで経っても憧れの人であった。




午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社する。

FMラジオは「園まり」特集でおどろくほど古い。

今の若者が知る由もない。すっかり高齢者向きである。

「夢は夜ひらく」が流れていた。歌詞をしっかりと憶えていたのだった。

私が10歳の子供の頃の歌である。きっと母が好きだったのだろう。

母ばかりではなく父も歌が好きで我が家にはステレオがあった。


嘘と知りつつ愛したの。あなたひとりが命なの。

口ずさんでいて母に叱られたことを一気に思い出した。

家にはレコードがたくさんあって聴き放題だったのだ。


当時の母はまだ28歳の若さであった。

夢もあっただろうと思う。やりたいこともいっぱい。

そんな母が恋をしてしまったことをどうして責められようか。

人生の歯車が狂ってしまってもう後戻り出来なくなったのだろうと思う。


けれどももう過ぎ去った事であり母ももうこの世にいない。

母が生きていたとしてもそれは「禁句」であった。


夢はほんとうに夜ひらくのだろうか。

恋とは無縁の老いた我が身を何か得体の知れないものが襲って来る。

逃げなくてはいけない。振り向いてはいけない。


私の夢が夜にひらくことは決してありはしない。


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