ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月24日(木) 失敗は成功のもと

曇りのち雨。小雨ではあるが今も静かに降り続いている。

日中の気温は20℃程で随分と肌寒く感じた。

小雨なので傘を差さずにいたが濡れるとなんと冷たいことだろう。

何か羽織るものを着て来れば良かったと悔やまれた。


朝の山道ではお遍路さんが二人。午後には雨に濡れてしまっただろう。

余程の大雨でない限り雨合羽を着るお遍路さんは少ない。

野宿ならばお風呂にも入れないので気の毒でならなかった。

長靴を履いて歩くお遍路さんもまずいない。

雨が降れば靴も濡れ余計に歩くのが辛くなるだろう。

それでも嘆きもせずに次の札所を目指す。

延光寺さんまでは車だと40分程であるが歩くと一日がかりだった。

過酷な道のりに思えるがそれがお遍路の真の姿なのだろう。




仕事はそこそこの忙しさであった。

郵便局の専属工場なので今日は新車バイクの登録があった。

書類を整えて役場に行きナンバーを交付して貰う。

その足で直ぐに郵便局へ届けたのだったが

後で役場の職員が誤ったナンバーを交付したことが分り大騒ぎとなる。

よく確かめようとしなかった私にも落ち度があった。

事後処理は役場の職員が全てしてくれて助かったが

気づくのが遅れていたら大変なことになるところだった。

110ccのバイクに50ccのナンバーを交付していたのである。


過ちは誰にでもあることで私も大きな過ちを起こす。

それも帰宅してから義父の電話で発覚したことだった。

お客さんに届ける車検証が別のお客さんと入れ替わっていたのだ。

義父が確かめてくれなかったらそのまま届けるところだった。

「そそっかしいにも程があるぞ」と義父からお叱りを受ける。

もちろん間違えた記憶が全くなかった。

ボケが始まったのだろうかと本気で思ったほどだ。

失敗は成功のもとである。もう二度と同じ過ちをしてはならない。




仕事を終えてから週一のリハビリへ。駐車場が空いていて助かる。

傘を差さねばならず杖を付かずになんとか受付まで辿り着く。

よっこらしょと椅子に座るなり名前を呼ばれておどろく。

おそらくキャンセルがあったのだろう。早めに来て正解だった。

理学療法士はいつものU君であったが今日も痛い処に手が届く。

なんとも丁寧に揉み解してくれて夢見心地であった。

保険適応なのでわずか780円の支払いである。

なんだかそれでは申し訳ないような施術であった。

U君とも話したのだが一週間の何と早いことだろう。

直ぐに今年が終わりそうだねと笑い合ったことだった。


私は射手座だが前半は内に向かい後半は外に向かうのだそうだ。

今はもう後半だが果たして外に向かっているのだろうか。

相変わらず報われない一年だったようにも思える。

けれども如何程の努力だったろうかと疑問にも思えるのだった。


報われないのはきっと努力が足らないのだろう。

かと云ってこれ以上いったい何をすれば良いのか分からない。

日々精一杯である。仕事も家事もそうして書きながら生きることも。



2024年10月23日(水) 友となり町から来たる

二十四節気の「霜降」朝晩が冷え込み霜が降りる頃。

季節はもう晩秋のはずなのだが今日も夏日となった。

異常としか思えない気候である。なんだか不気味にさえ思う。

今日はまるで梅雨の晴れ間のような青空であったが

明日からまたしばらくは雨の日が多くなりそうである。


花たちは散る時を知っているのか秋桜が散り始めた。

一足先に咲いていたキバナコスモスはもう姿が見えない。

東北地方では山茶花が咲き始めているそうだ。

冬を代表する花である。やがては四国も咲き始めるだろう。

紅葉の季節もやって来るがまだ樹々の緑が鮮やかであった。

植物は健気に季節を知らせようとしているのだろう。

その気持ちを受け止めてやらねばならない。




仕事はまずまずの忙しさで午前中に古い友人が訪ねて来てくれた。

差し入れにとミルク味ののど飴を持って来てくれたのだ。

私の声枯れと咳の酷さを気に掛けてくれたのだろう。

そっと手渡してくれたその心遣いがとても嬉しくてならない。


彼女とは30年来の友人であるが最近は疎遠になっていた。

お互いの暮らしに精一杯で付き合いどころではなかったのだ。

以前はよく手紙を交していて今も大切に手元に置いてある。

晩婚だった彼女は大いに恋に悩み辛い思いをすることも多かった。

私は年上でもあり良き相談相手となっていたのだろう。

でも肝心な時には何の役にも立てなかったのかもしれない。

それでも彼女は私を姉のように慕ってくれたのだった。


結婚し女の子が生まれその娘さんはもう大学生になっている。

莫大な学費に苦労しながらも夫婦共働きで頑張っているのだった。

60歳を過ぎそろそろ老後の心配もしなければいけない。

姑さんと同居をしておりまだまだこれからの苦労にも思われる。


今日は車検代の支払いに来てくれていたのでゆっくりと話せず

「またきっと会おうね」と約束をして帰って行った。

私にとっては数少ない友人の一人である。

もしもの時にはお葬式に来てくれるだろうかとふっと考えていた。


人生色々。結婚は縁に他ならないが「運命」にも似ている。

「あの時出会わなければ」と誰もが思うことだろう。

赤い糸で繋がっていたのならきっと出会ってしまうのだ。


その糸を自ら切るようなことがあってはならない。

どれほどか細くても例え縺れていてもその手を離さないことだ。



2024年10月22日(火) 愛しい一日

午後から雨が降り始め今も降り続いている。

宮崎では線状降水帯が発生し大雨になっているようだ。

能登の水害が頭を過り何とも心配である。


「秋の長雨」と云うが秋雨前線が消滅すれば次は寒波だろう。

気象庁の3ヶ月予報では西日本は暖冬傾向で

北日本では大雪になる可能性が大きいそうだ。

自然のなすがままである。いったいどんな冬が待ち受けているのだろう。



今朝は久しぶりに朝顔が咲いていて嬉しかった。

やはり下の方の葉は枯れているが花芽は元気なようだ。

最後まで見守ってやらねばならない。きっと種を付けるだろう。


ビオラも何と可愛らしいこと。実は娘が植えてくれたのだった。

夫の言う通りでろくに植えることも出来ない私である。

それでも花を諦めない。既に冬の庭のことを考えている。




仕事はお昼過ぎまで忙しかったが午後は来客もなかった。

義父は午前中に乗用車で出掛けたきりお昼になっても帰って来ない。

行き先を告げずに出掛けることはよくあることで「またか」と思う。

3時まではと机にへばりついていたがなんだか嫌になってしまった。

同僚に正直に話しお先に失礼することにする。


2時半にはもうサニーマートへ着いており珍しいこと。

タイムセールには早過ぎたがゆっくりと買い物が出来た。

煙草も買わなければいけない。財布が一気に軽くなる。

そこで思い留まることが出来たらどれ程救われるだろうか。

貧乏人のくせに煙草を買うなんてと心の鬼が嘲笑うばかりである。


3時過ぎに帰宅。あまりに早いので夫が驚いていた。

いつも買い物の荷物を家の中まで運んでくれるのだ。

それがどれ程助かり有難いことだろうといつも思う。

「当たり前」のことなど何ひとつ在りはしないのだ。


洗濯物も乾燥機から取り出してくれていた。

皴にならないように部屋中に広げてくれている。

おしゃべりをしながら畳むのも楽しいものだった。


4時からは待ってましたの「破れ奉行」である。

最初から見れるのがわくわくと嬉しくてならない。

これも一人で見たら面白くはないだろうと思う。

夫はどうだろう?私が傍に居た方が良いのだろうか。

老いるばかりの二人であったが共有出来る楽しみがあった。


夕飯は「親子丼」夫も孫達も好物なので花丸の夕食である。

娘は帰宅しても真っ先に子供達に声を掛けることをしなかった。

娘婿と二人でさっさと晩酌を始めてしまうのである。

それもどうかなと思うのだが決して意見を言ってはならない。

黙って様子を見ていると気配を感じた孫達が階下へ降りて来る。

そうしてやっと家族団欒となるのだった。

決して絵に描いたような家族には見えないがそれが「平和」なのだろう。


私はお風呂に入りながら色んなことを考えている。

仕事の事だったり詩や短歌の事だったり孫達の未来だったり。

そうして終る一日が愛しくてならなかった。


明日のことなど誰にも分からない。決めることも出来ないだろう。

けれども生きてさえいれば愛しい一日が待っているのだと思う。



2024年10月21日(月) 夢は夜ひらく

昨夜から風が強く今もまだ唸り続けている。

北風とばかり思っていたら東北東の風なのだそうだ。

そのせいか気温はあまり下がらず寒さを感じなかった。


山里は朝から雨となり久しぶりにまとまった雨となる。

畑の作物等には恵みの雨となったことだろう。

雨雲レーダーを見ると四万十市内は降っておらず

山里ばかりの雨だったようだ。やはり高い山があるからだろう。



月曜日の仕事は特に忙しく落ち着きを失くしていたようだ。

大切な書類が見当たらなくなったり通帳を忘れてATMに行ったり。

あれもこれもと急いでしまうとついミスをしてしまうものだ。


来客は若い頃に憧れていたY君であった。

昔は会話も叶わなかったのに今は何でも話せるのが不思議である。

農家なので長靴と作業着の時が多かったが

今日はいかにも秋らしい薄手のセーターを着ていてよく似合っていた。

70歳らしくそれなりに白髪も目立つが凛々しい顔は昔と変わらない。

「いい男だな」と思うと年甲斐もなく胸がドキドキするのだった。

当時の私の恋心に気づいていたかは定かではないが

私は封印出来ずにいる。彼はいつまで経っても憧れの人であった。




午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社する。

FMラジオは「園まり」特集でおどろくほど古い。

今の若者が知る由もない。すっかり高齢者向きである。

「夢は夜ひらく」が流れていた。歌詞をしっかりと憶えていたのだった。

私が10歳の子供の頃の歌である。きっと母が好きだったのだろう。

母ばかりではなく父も歌が好きで我が家にはステレオがあった。


嘘と知りつつ愛したの。あなたひとりが命なの。

口ずさんでいて母に叱られたことを一気に思い出した。

家にはレコードがたくさんあって聴き放題だったのだ。


当時の母はまだ28歳の若さであった。

夢もあっただろうと思う。やりたいこともいっぱい。

そんな母が恋をしてしまったことをどうして責められようか。

人生の歯車が狂ってしまってもう後戻り出来なくなったのだろうと思う。


けれどももう過ぎ去った事であり母ももうこの世にいない。

母が生きていたとしてもそれは「禁句」であった。


夢はほんとうに夜ひらくのだろうか。

恋とは無縁の老いた我が身を何か得体の知れないものが襲って来る。

逃げなくてはいけない。振り向いてはいけない。


私の夢が夜にひらくことは決してありはしない。



2024年10月20日(日) 一喜一憂

秋らしい爽やかな晴天。風があり随分と涼しく感じた。

このまま秋が深まりやがては寒さがやってくるのだろう。

北海道北部では初雪が舞ったそうでおどろく。


朝のうちにサニーマートへ買い物に行っていたが

皆さん秋らしい服装をしており半袖姿が少し恥ずかしく感じた。

けれども寒いとは思わないのだ。私にとっては快適な気温である。

冬物かと思われるセーターを着ている人もいて暑くないかと気遣う。

臨機応変にと思う。寒さを感じたら長袖を着れば良い。


地場産市場へも行きやっとビオラの苗を買い求める。

5個で3百円の安さ。持ち帰るとまた夫に叱られてしまった。

ろくに植えることも出来ないくせにと云うのだ。

この人とは価値観が違うのだとつくづく思う。


大月町の遅咲きの向日葵もやはり見には行けなかった。

億劫なのもあるが車の運転が苦手になっているようだった。

先週も出掛けたから勘弁してくれと云う。とても無理強いは出来ない。


地区の秋祭りでもあったがお神輿は出ず何とも寂しい。

せめて近くで外食をと願ったがそれも却下されていまった。

そんなに行きたけりゃ一人で行けと云うので何とも悲しい。

とにかく外出するのが億劫でならないようだ。


自室に籠っていると煙草ばかり吸ってしまうのでどうしようもない。

夫と一緒にテレビを見ようと茶の間に行ったのだが

何だか怖ろしいような洋画を見ていた。

吸血鬼がうようよ居て残虐な場面が多く映し出されていた。

夫にとってはスリル満点で面白くてならないようだったが

私にはとても無理である。気分が悪くなりまた自室へと戻って行った。


煙草は一箱があっという間である。自分でも病気としか思えない。

何とかしなければと思うのだがどうしても自制することが出来ない。



午後はネットフィリックスとかで「極悪女王」を見た。

昨日娘がダウンロードしてくれて見放題になったのだそうだ。

女子プロレスラーの「ダンプ松本」の物語でとても興味深い。

プロレスなので酷く乱暴なシーンもあったが怖いとは思わなかった。

人間味あふれる良き作品だと思う。心がほっこりと温かくなった。


3時を過ぎ娘が洗濯物を取り入れ畳んでくれていたのが嬉しい。

365日私の役目だと決めつけていた。「夢に餅」とはこのことだ。

夕食の鶏の唐揚げも揚げてくれてとても美味しかった。

夫が珍しく娘婿を誘い一緒に晩酌を始めたのもほっこりと絵になる。

いつもは無口な娘婿も酔えば饒舌になり夫も楽しそうだった。

こんな日曜日がこれからもずっと続けば良いなと思う。



思うように行かないことがあっても思いがけないことがある。

些細なことで落ち込んでいてはいけないのだとつくづく思った。


夫も私もどうしようもなく老いて行くけれど

明るい未来がきっと待っていることだろう。

一喜一憂しながらではあるが一歩二歩と歩んで行きたいものだ。










2024年10月19日(土) 嬉し涙

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始める。

雨音が耳に心地よい程の雨にはなりそうになかった。


なんとなく渇いている。それは心の隅っこのようだ。

水なしでは生きられない魚ではないはずだが

もしかしたら水すましのように浮かびたいのかもしれない。


足りないものがあっても欲しがってはいけない。

愚かな欲に囚われてはいけないと思うばかりである。


大月町に遅咲きの向日葵がたくさん咲いているのだそうだ。

明日見に行きたいと夫に告げるなり即却下された。

悲しむほどのことではないがなんだか余計に渇きを感じてならない。




カーブスは良き気分転換となった。心地よく汗を流すと

気分も明るくなり溌溂として来る。

70代に見えるお仲間さんが声を掛けてくれて嬉しかった。

「今日も頑張りましたね」その一言がとても励みになる。

俯くと汗がぽたぽたと床に落ちる。まるで身体の嬉し涙のようだ。



午後は2時間程お昼寝をし目覚めてから夫と録画映画を見ていた。

「武士の家計簿」である。なんと14年も前の作品のようだ。

幕末に実在していた武士の役を堺雅人が演じていて興味深い。

お家の一大事になる程家計がとても苦しかったようだ。

それは現代にも通じるところがありどれ程の人が貧困に耐えていることだろう。

裕福な暮らしをしている人はほんの一握りのように思えてならない。


我が家も貧困家庭であるが最低限の暮らしが出来るだけで幸せに思う。

三食をちゃんと食べることが出来て住む家があるだけで十分なのだ。

欲を云えばきりがない。ただただ日々に感謝するばかりであった。


映画は2時間程だったが見終わった後はとても感動していた。

家計簿は今でも現存しているのだそうだ。この目で見てみたいと思った。



夕食はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」だった。

例の如くで夫と先に食べたが私はあまり好まず

お豆腐をしゃぶしゃぶせずにそのままお醤油を垂らして食べる。

夫は野菜を一切食べず豚肉だけをしゃぶしゃぶしていた。


その後娘達が食べ始めたがあやちゃんの姿が見えない。

娘に訊こうと思ったが機嫌が悪くなりそうで何も言えなかった。

家族団欒には持って来いの「しゃぶしゃぶ」なのにと残念に思う。

家族が食べ終わってから独りぼっちで食べるのも寂しいものである。

あやちゃんの好きなように。それが娘の方針のようだった。


一切の干渉をしない。注意することも叱ることもしない。

寝たい時に寝て起きたい時に起きるそんな日々が2年近くも続いている。

来春には卒業式もあるがおそらく出席することはないだろう。

娘も悩んだ挙句の現状なのだと理解を示すしかないないのだと思う。


毎晩寝る前には部屋をノックし「おやすみい」と声を掛けている。

あやちゃんも必ず「おやすみい」と応えてくれるのが嬉しい。



2024年10月18日(金) 秋の日の刺青

朝方まで雨が降っていたが日中は思いがけずに晴れる。

気温が異常な程に高くなりほぼ30℃の暑さであった。

熊本県の水俣では32℃を超え日本一を記録したようだ。

そうかと思えば北海道では週末に雪が降るかもしれないと云う。

それが本来の気候なのだろう。北海道の秋はとても短い。


ここ数日朝顔が咲かずもう駄目なのかもと諦めかけていた。

確かに蕾があるのにどうしてだろうと不思議でならない

ようく見ると下の方の葉が枯れかけているではないか。

雨が降ったので安心していたがどうやら水不足のようである。

玄関の軒下なので雨が十分に届かなかったのかもしれない。

また無残な目に遭わせてしまうところだった。

慌てて水遣りをしたがどうか持ち直して欲しいものだ。




職場のお客さんは高齢者が多いが、今日は若者のお客さんが来てくれた。

大阪出身らしいが山里がとても気に入り移住を決めたのだそうだ。

古民家を購入し来月から正式に住民となる予定であった。

山里のレモン農園で働いておりこれまでも多少お付き合いはあったが

礼儀正しく真面目そうな青年で大いに好感が持てる。


しかし全身に刺青を施していて義父がそれさえなければと苦言を漏らす。

今時の若者にはよくあることで刺青もおしゃれのひとつだと聞く。

私はまったく気にならなかったが義父は大いに気になるようだ。

レモン農園は毎日の仕事がなく農園主からアルバイトの相談もあった。

整備士の資格は持っていないようだが手先がとても器用なのだそうだ。

簡単な整備は出来るそうでアルバイトには持って来いである。

しかし義父は大反対で農園主に即刻断ったのであった。


民間車検場は公務員ではないが国の仕事の一環には違いない。

たとえアルバイトでも刺青を施した者を雇うわけにはいかないのだそうだ。

私もそれには納得出来た。何かトラブルがあってからでは遅いのだ。

しかし確かに偏見である。見た目よりも人間性を重視するべきだろう。

複雑な思いが募るが義父に逆らうことがどうして出来ようか。


青年はブレーキの修理で来てくれていたのだが

待ち時間のあいだ義父と意気投合して話し込んでいた。

愛想もないのではとハラハラしていたので何とほっとしたことだろうか。

「来月から晴れて住民になります」と丁寧にお辞儀をして帰って行った。

義父も稀にみる好青年だと感じたようでとても機嫌が良かった。


人を見かけで判断してはいけないのだとつくづく思う。

心にまで刺青をする人が居るだろうか。

素直で明るく正直に生きている青年がとても尊く思えた。




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