ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月20日(日) 一喜一憂

秋らしい爽やかな晴天。風があり随分と涼しく感じた。

このまま秋が深まりやがては寒さがやってくるのだろう。

北海道北部では初雪が舞ったそうでおどろく。


朝のうちにサニーマートへ買い物に行っていたが

皆さん秋らしい服装をしており半袖姿が少し恥ずかしく感じた。

けれども寒いとは思わないのだ。私にとっては快適な気温である。

冬物かと思われるセーターを着ている人もいて暑くないかと気遣う。

臨機応変にと思う。寒さを感じたら長袖を着れば良い。


地場産市場へも行きやっとビオラの苗を買い求める。

5個で3百円の安さ。持ち帰るとまた夫に叱られてしまった。

ろくに植えることも出来ないくせにと云うのだ。

この人とは価値観が違うのだとつくづく思う。


大月町の遅咲きの向日葵もやはり見には行けなかった。

億劫なのもあるが車の運転が苦手になっているようだった。

先週も出掛けたから勘弁してくれと云う。とても無理強いは出来ない。


地区の秋祭りでもあったがお神輿は出ず何とも寂しい。

せめて近くで外食をと願ったがそれも却下されていまった。

そんなに行きたけりゃ一人で行けと云うので何とも悲しい。

とにかく外出するのが億劫でならないようだ。


自室に籠っていると煙草ばかり吸ってしまうのでどうしようもない。

夫と一緒にテレビを見ようと茶の間に行ったのだが

何だか怖ろしいような洋画を見ていた。

吸血鬼がうようよ居て残虐な場面が多く映し出されていた。

夫にとってはスリル満点で面白くてならないようだったが

私にはとても無理である。気分が悪くなりまた自室へと戻って行った。


煙草は一箱があっという間である。自分でも病気としか思えない。

何とかしなければと思うのだがどうしても自制することが出来ない。



午後はネットフィリックスとかで「極悪女王」を見た。

昨日娘がダウンロードしてくれて見放題になったのだそうだ。

女子プロレスラーの「ダンプ松本」の物語でとても興味深い。

プロレスなので酷く乱暴なシーンもあったが怖いとは思わなかった。

人間味あふれる良き作品だと思う。心がほっこりと温かくなった。


3時を過ぎ娘が洗濯物を取り入れ畳んでくれていたのが嬉しい。

365日私の役目だと決めつけていた。「夢に餅」とはこのことだ。

夕食の鶏の唐揚げも揚げてくれてとても美味しかった。

夫が珍しく娘婿を誘い一緒に晩酌を始めたのもほっこりと絵になる。

いつもは無口な娘婿も酔えば饒舌になり夫も楽しそうだった。

こんな日曜日がこれからもずっと続けば良いなと思う。



思うように行かないことがあっても思いがけないことがある。

些細なことで落ち込んでいてはいけないのだとつくづく思った。


夫も私もどうしようもなく老いて行くけれど

明るい未来がきっと待っていることだろう。

一喜一憂しながらではあるが一歩二歩と歩んで行きたいものだ。










2024年10月19日(土) 嬉し涙

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始める。

雨音が耳に心地よい程の雨にはなりそうになかった。


なんとなく渇いている。それは心の隅っこのようだ。

水なしでは生きられない魚ではないはずだが

もしかしたら水すましのように浮かびたいのかもしれない。


足りないものがあっても欲しがってはいけない。

愚かな欲に囚われてはいけないと思うばかりである。


大月町に遅咲きの向日葵がたくさん咲いているのだそうだ。

明日見に行きたいと夫に告げるなり即却下された。

悲しむほどのことではないがなんだか余計に渇きを感じてならない。




カーブスは良き気分転換となった。心地よく汗を流すと

気分も明るくなり溌溂として来る。

70代に見えるお仲間さんが声を掛けてくれて嬉しかった。

「今日も頑張りましたね」その一言がとても励みになる。

俯くと汗がぽたぽたと床に落ちる。まるで身体の嬉し涙のようだ。



午後は2時間程お昼寝をし目覚めてから夫と録画映画を見ていた。

「武士の家計簿」である。なんと14年も前の作品のようだ。

幕末に実在していた武士の役を堺雅人が演じていて興味深い。

お家の一大事になる程家計がとても苦しかったようだ。

それは現代にも通じるところがありどれ程の人が貧困に耐えていることだろう。

裕福な暮らしをしている人はほんの一握りのように思えてならない。


我が家も貧困家庭であるが最低限の暮らしが出来るだけで幸せに思う。

三食をちゃんと食べることが出来て住む家があるだけで十分なのだ。

欲を云えばきりがない。ただただ日々に感謝するばかりであった。


映画は2時間程だったが見終わった後はとても感動していた。

家計簿は今でも現存しているのだそうだ。この目で見てみたいと思った。



夕食はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」だった。

例の如くで夫と先に食べたが私はあまり好まず

お豆腐をしゃぶしゃぶせずにそのままお醤油を垂らして食べる。

夫は野菜を一切食べず豚肉だけをしゃぶしゃぶしていた。


その後娘達が食べ始めたがあやちゃんの姿が見えない。

娘に訊こうと思ったが機嫌が悪くなりそうで何も言えなかった。

家族団欒には持って来いの「しゃぶしゃぶ」なのにと残念に思う。

家族が食べ終わってから独りぼっちで食べるのも寂しいものである。

あやちゃんの好きなように。それが娘の方針のようだった。


一切の干渉をしない。注意することも叱ることもしない。

寝たい時に寝て起きたい時に起きるそんな日々が2年近くも続いている。

来春には卒業式もあるがおそらく出席することはないだろう。

娘も悩んだ挙句の現状なのだと理解を示すしかないないのだと思う。


毎晩寝る前には部屋をノックし「おやすみい」と声を掛けている。

あやちゃんも必ず「おやすみい」と応えてくれるのが嬉しい。



2024年10月18日(金) 秋の日の刺青

朝方まで雨が降っていたが日中は思いがけずに晴れる。

気温が異常な程に高くなりほぼ30℃の暑さであった。

熊本県の水俣では32℃を超え日本一を記録したようだ。

そうかと思えば北海道では週末に雪が降るかもしれないと云う。

それが本来の気候なのだろう。北海道の秋はとても短い。


ここ数日朝顔が咲かずもう駄目なのかもと諦めかけていた。

確かに蕾があるのにどうしてだろうと不思議でならない

ようく見ると下の方の葉が枯れかけているではないか。

雨が降ったので安心していたがどうやら水不足のようである。

玄関の軒下なので雨が十分に届かなかったのかもしれない。

また無残な目に遭わせてしまうところだった。

慌てて水遣りをしたがどうか持ち直して欲しいものだ。




職場のお客さんは高齢者が多いが、今日は若者のお客さんが来てくれた。

大阪出身らしいが山里がとても気に入り移住を決めたのだそうだ。

古民家を購入し来月から正式に住民となる予定であった。

山里のレモン農園で働いておりこれまでも多少お付き合いはあったが

礼儀正しく真面目そうな青年で大いに好感が持てる。


しかし全身に刺青を施していて義父がそれさえなければと苦言を漏らす。

今時の若者にはよくあることで刺青もおしゃれのひとつだと聞く。

私はまったく気にならなかったが義父は大いに気になるようだ。

レモン農園は毎日の仕事がなく農園主からアルバイトの相談もあった。

整備士の資格は持っていないようだが手先がとても器用なのだそうだ。

簡単な整備は出来るそうでアルバイトには持って来いである。

しかし義父は大反対で農園主に即刻断ったのであった。


民間車検場は公務員ではないが国の仕事の一環には違いない。

たとえアルバイトでも刺青を施した者を雇うわけにはいかないのだそうだ。

私もそれには納得出来た。何かトラブルがあってからでは遅いのだ。

しかし確かに偏見である。見た目よりも人間性を重視するべきだろう。

複雑な思いが募るが義父に逆らうことがどうして出来ようか。


青年はブレーキの修理で来てくれていたのだが

待ち時間のあいだ義父と意気投合して話し込んでいた。

愛想もないのではとハラハラしていたので何とほっとしたことだろうか。

「来月から晴れて住民になります」と丁寧にお辞儀をして帰って行った。

義父も稀にみる好青年だと感じたようでとても機嫌が良かった。


人を見かけで判断してはいけないのだとつくづく思う。

心にまで刺青をする人が居るだろうか。

素直で明るく正直に生きている青年がとても尊く思えた。





2024年10月17日(木) ひとは突然に死ぬ

曇り一時雨。ぽつぽつと小雨で直ぐに止んでしまった。

まとまった雨が降れば一気に秋が深まるのではないだろうか。


桜の狂い咲きだとか。こちらでは見かけないがちらほらと咲いているようだ。

珍しくて愛でる人も居るようだがなんとも異常な秋である。

春に再び咲くことが出来るのだろうかと心配でならない。


お昼に俳優の西田敏行さんの訃報が速報で流れる。

好きな俳優さんだけになんともショックでならなかった。

発見された時にはもうベットで冷たくなっていたのだそうだ。

おそらく昨夜のうちに息を引き取っていたのではないだろうか。

まだ詳しい報道がなく憶測でしかないが

家族はどうして気づかなかったのだろうと思わずにいられない。

独り暮らしではなかったはずなのだ。それがとても残念に思う。


ひとは突然に死ぬ。その現実を思い知らされたような訃報であった。

76歳、まだまだこれからの人生だったことだろう。

どうすることも出来ずただただ冥福を祈ることしか出来ない。





整形外科のリハビリの日であったが退社が遅くなりぎりぎり間に合う。

病院前の駐車場は満車で第二駐車場から必死の思いで歩く。

無理をしてはいけないと今日は杖のお世話になった。

受付を済ますなり直ぐに名前を呼ばれ息を整えることも出来ない。

理学療法士はいつものU君であった。

口数は少ないが腕は良く患者さんからも一目置かれているようだ。

主治医の計らいで専属にしてもらったのだが気の毒でならない。

私のように太っていて身体が固いのは余計に力が要るだろう。

それでもとことん揉みほぐしてくれる。それが有難くてならなかった。

帰りのエレベーターの中でお礼を言ったら「大丈夫ですよ」と言ってくれる。

直ぐにまた次の患者さんが待っているのだ。頭が下がるばかりである。


買い物を終え4時半に帰宅。自室で一服してから茶の間に行った。

「破れ奉行」はラストしか見れなかったが十分に思う。

「てめえらを斬る」その一言が聞きたかったのかもしれない。


煙草を少し控えめにしていたせいか今日は咳が殆ど出なかった。

咳をしてみないと頭痛が治っているのかよく分からない。

それも可笑しな話であるがおそらくもう大丈夫なのだろう。

体調の変化で不安に陥るのにもすっかり慣れてしまった。


生きてさえいればと思うが眠ったまま死ぬことも在り得る。

それは夫も同じであり互いの異変に気づかなければいけない。


毎晩寝る前に父と母の遺影に手を合わせている。

「また明日の朝会おうね」それは約束であり希望にも等しい。



2024年10月16日(水) 追い詰められて

曇り日。雨が降りそうで降らず午後には薄陽が射し始める。

気温は30℃にもなり蒸し暑くてならない。


朝の道。休憩所で休んでいるお遍路さんを見かけた。

車を停めて声をかけてみようかと思いながら通り過ぎてしまう。

何か熱心に書き物をしていた。旅の記録を綴っていたのかもしれない。

雨が降らなければ良いなと思う。延光寺さんまでは随分と遠い。


今朝は少し頭痛があった。軽く咳をしただけでずきずきと痛む。

若い頃には偏頭痛があったが最近では珍しいことである。

何か脳に異変が起きているのではないかと不安になった。

煙草を吸えば咳が出る。ならば吸わなければ良いのだが

吸い始まてしまうと留まることを知らず情けなくてならない。

おそらく重度の依存症なのだろう。それも病には違いなかった。



朝のうちに近くのJAへ行き「三原米」を買い求める。

ブランド米だけあって10キロで6千円を超えおどろく。

その足で郵便局へ行きゆうパックで弟に送った。

そうでもしなければ弟の気持ちが収まらないだろう。

機嫌を取るわけではないが姉として出来ることをと思ったのだ。


義父は「十和錦」の袋詰めをしていたが思ったよりも数があったらしく

弟に「送ってやれや」と言ってくれたがもう後の祭りであった。

さすがに買い求めて送ったとは言えない。当て付けのようになってしまう。

義父には適当に胡麻化して弟よりも他の人にと勧めた。

毎年注文してくれている人に不都合を掛けてはいけない。

お米の件はそれで落着となりもう頭を悩ますこともないだろう。

弟も持つべきものは姉と喜んでくれるに違いない。


仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。

ゆっくりと買い物をし4時前には帰宅していた。

実は「破れ奉行」を見たかったのだ。

夫も一緒に見ようと待っていてくれていたようだ。

50年近く昔の時代劇なので役者さんの若々しいこと。

「これはあの人だね」と言っても名前が出て来ないのも愉快であった。


「てめえらを斬る」今日も悪人が次々と成敗された。

それが少しも残虐でないところがとても好ましい。

見終わってから10分程うたた寝をしていたようだ。

とろりとろりと何とも心地よい眠りであった。


それからは大急ぎで夕飯の支度である。

あらあらという間に夫の晩酌が始まるので待ったなしであった。

平日は毎日その繰り返しであるが主婦冥利に尽きると言っておこう。


夕食後いつもの薬に加えて鎮痛剤を服用する。

頭痛の原因も喫煙だとしたらもう目も当てられないと思う。

追い詰めているのは他の誰でもない私自身である。

そんな「わたし」を救えるのも私しかいないのだ。



2024年10月15日(火) 愛の終着

明け方まで小雨が降っていたが日中は曇り空。

今日も夏日となり蒸し暑さを感じた。

10月も中旬だと云うのにエアコンのお世話になる。

そんなことがかつてあっただろうかと思う。


夏野菜の胡瓜がまだ獲れているのだそうだ。

しかも畑ではなくベランダで栽培していると聞きおどろく。

よほど管理が良いのだろうが毎朝収穫しているそうだ。


そこではっと閃く。来年は庭先に胡瓜を植えてみたらどうだろう。

大きめのプランターを買ってミニ菜園にするのだ。

そう考えただけでわくわくとして来る。

しかし夫が手伝ってくれるだろうか。

「胡瓜なんて買えばいい」と言われたら一気に夢が破れてしまう。


亡き姑さんが残してくれた畑はすっかり荒れ果ててしまった。

今の時期なら大根やほうれん草の種を蒔き楽しみなことだろう。

輪転機は在るが耕すこともままならない不自由な身である。

夫が野菜作りに目覚めることなどとうてい無理な話であった。




やっと三連休が終り火曜日からのスタートである。

大袈裟かもしれないが武者震いをしてしまう朝であった。

あれもこれもと仕事の事ばかり考えて気分は独楽鼠である。


出勤時間は30分であったが今朝は何故か煙草を吸いたくなかった。

このまま止めてしまえるかもしれないと目の前が明るくなる。

職場に着いてもそれは変わらず喫煙所に向かうこともしなかった。

しかし義父の「すったもんだ」が始まり一気に辛くなる。

決して怒らせてはいけないので神経を尖らせていたのだろう。

居ても立ってもいられなくなりとうとう煙草を吸ってしまった。

吐き気がし咳き込む。そうしてまた自己嫌悪に陥るばかりである。


追い打ちを掛けるように弟から電話がありお米の催促であった。

先日から催促があったのだが延ばし延ばしにしていたのだ。

おそるおそる義父に話すと機嫌が悪く「困ったなあ」の一言である。

最後の稲刈りも終りそこそこの収穫はあったのだが

「十和錦」は例年の三分の一しかなかったのだそうだ。

毎年の注文にとても追いつかず義父も頭を悩ませていた。


弟に訳を話すとこれもまた機嫌が悪い。「もういい」と投げ遣りである。

おまけに母の遺骨を返してくれないかと言うので寝耳に水であった。

先日から「分骨」の相談は受けていたのだがまさか「返せ」とは。

いくら弟であってもあまりにも酷いのではないかと思った。


幼い頃から母親べったりの子供であったがその執着心には呆れる。

弟には母に捨てられた記憶が無いのだろうかとその心中を疑う。

私は13歳。弟は10歳だった。あの寒い冬の日の朝のことを。

私達姉弟はアパートに置き去りにされたのだ。


生前の母はまるで遺言のように生まれ故郷のお墓に拘っていた。

弟はそれをしっかりと憶えており母の願いを叶えてやりたいのだろう。

私もそれは気になっていたが義父にどうして告げられようか。

最期を看取ってくれたのは義父である。母はどんなにか安らかに

息を引き取ったことだろうと思う。もう何も思い残すこともないと。

それは私たち子供には到底理解出来ない愛の終着だったのではないだろうか。


弟にはしばらく日を置いてゆっくり説得しようと思っている。

きっと分かってくれるだろう。どれ程の愛情であっても

それ以上に敵わない愛情がこの世にはあるのだ。





2024年10月14日(月) リベンジ

曇り日。気温は夏日であったが心地よい涼風が吹く。

エアコンも扇風機も要らず自然の風のなんと有難いことだろう。


今朝は朝顔が咲いておらず。ようく見ると固い蕾があった。

それは必ず咲くと云う約束であり希望である。

一喜一憂せずに咲く時を静かに待とうと思う。


花すべりはもう終ったようだ。さすがに夏の花である。

しかし枯れてはおらず茎を伸ばし切っており健気であった。

越冬出来るかどうかは調べてみないと分からない。

引き抜いて処分するにはあまりにも憐れに思う。


空いたプランターがあるのでビオラの苗を買って来ようか。

そう思うだけで何も出来ないのがもどかしくてならない。

一輪の朝顔だけが頼りであった。花の無い庭先の何と寂しいことだろう。




夫に昨日のリベンジを申し出る。却下覚悟であったが

思いがけずに了承してくれてほっと嬉しかった。

10時に家を出て市の山間部へと向かう。

途中で息子のマンションの前を通り車が在ることを確かめる。

けい君が独りぼっちでなくてとてもほっとした。


山間部の川登地区から有岡へ抜ける県道を走る。

何処かに「ポツンと一軒家」がありそうでわくわくしたが

所々に集落があり必ず二軒は並んでいるのだった。

そうそう在りはしないと夫と笑い合いながら先へと進む。


「一風」は11時開店なので思ったよりも早く着きそうである。

夫の提案で「横瀬ダム」に立ち寄ることにした。

来るのは二度目であったが壮大な眺めに感動を覚える。

このダムが出来たおかげで下流地域の水害が無くなったのだそうだ。

夫が自慢気に話す。なんだかダムの管理職員のようであった。


寄り道をしても早く着き過ぎ駐車場で10分程待つ。

まさか今日も12時開店ではないだろうなと玄関を確かめた。

貼り紙が無かったので今日こそリベンジが叶いそうである。

幼馴染のなっちゃんが出迎えてくれて早速ラーメンセットを頼んだ。

先日の法事でもお世話になっておりしっかりとお礼も伝える。

昨日も宴会の予約がありとても忙しかったのだそうだ。


あっさり系の中華そば。今日はちゃんと煮卵も入っていた。

前回は少し味が薄く感じたが今日は完璧であった。

半チャーハンも顎が落ちそうなほど美味しい。

「満足、満足」と夫も上機嫌で私も嬉しくてならなかった。

「また連れて来てね」と言うと「おう!」と声も弾んでいる。


半日であったが休煙も叶う。禁断症状も全く感じない。

もしかしたらこのまま断煙出来るかもしれないと思ったが

そうは問屋が卸さず帰宅したら元の木阿弥であった。

吸わないのは昼寝をしている時間だけで起きてしまえばどうしようもない。

立て続けに吸ってしまい一箱があっという間である。

なんと情けないことだろう。今日ほど自己嫌悪に陥ったことはなかった。


吸えば激しい咳である。その度に尿漏れもある。

不潔で汚らしい「ばばあ」そのものであった。



夕食後はまた被害妄想に陥る。

先日のSNSでの「ブロック」が相当堪えているらしい。

ブロックをされたら自分もブロックをするべきだが

いくら考えてもそうすることが出来なかった。

それだけ信頼していた人である。

私の落ち度は認めるがせめてもと思う気持ちが募るばかりであった。

もしかしたらこの日記を読んでくれているかもしれない。

それが最後に残された私の「希望」に他ならなかった。


縁とはどうしてこれ程までに私を苦しめるのだろう。

そうしてどうして私はその「糸」を断ち切ろうとしないのだろう。








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