ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月17日(木) ひとは突然に死ぬ

曇り一時雨。ぽつぽつと小雨で直ぐに止んでしまった。

まとまった雨が降れば一気に秋が深まるのではないだろうか。


桜の狂い咲きだとか。こちらでは見かけないがちらほらと咲いているようだ。

珍しくて愛でる人も居るようだがなんとも異常な秋である。

春に再び咲くことが出来るのだろうかと心配でならない。


お昼に俳優の西田敏行さんの訃報が速報で流れる。

好きな俳優さんだけになんともショックでならなかった。

発見された時にはもうベットで冷たくなっていたのだそうだ。

おそらく昨夜のうちに息を引き取っていたのではないだろうか。

まだ詳しい報道がなく憶測でしかないが

家族はどうして気づかなかったのだろうと思わずにいられない。

独り暮らしではなかったはずなのだ。それがとても残念に思う。


ひとは突然に死ぬ。その現実を思い知らされたような訃報であった。

76歳、まだまだこれからの人生だったことだろう。

どうすることも出来ずただただ冥福を祈ることしか出来ない。





整形外科のリハビリの日であったが退社が遅くなりぎりぎり間に合う。

病院前の駐車場は満車で第二駐車場から必死の思いで歩く。

無理をしてはいけないと今日は杖のお世話になった。

受付を済ますなり直ぐに名前を呼ばれ息を整えることも出来ない。

理学療法士はいつものU君であった。

口数は少ないが腕は良く患者さんからも一目置かれているようだ。

主治医の計らいで専属にしてもらったのだが気の毒でならない。

私のように太っていて身体が固いのは余計に力が要るだろう。

それでもとことん揉みほぐしてくれる。それが有難くてならなかった。

帰りのエレベーターの中でお礼を言ったら「大丈夫ですよ」と言ってくれる。

直ぐにまた次の患者さんが待っているのだ。頭が下がるばかりである。


買い物を終え4時半に帰宅。自室で一服してから茶の間に行った。

「破れ奉行」はラストしか見れなかったが十分に思う。

「てめえらを斬る」その一言が聞きたかったのかもしれない。


煙草を少し控えめにしていたせいか今日は咳が殆ど出なかった。

咳をしてみないと頭痛が治っているのかよく分からない。

それも可笑しな話であるがおそらくもう大丈夫なのだろう。

体調の変化で不安に陥るのにもすっかり慣れてしまった。


生きてさえいればと思うが眠ったまま死ぬことも在り得る。

それは夫も同じであり互いの異変に気づかなければいけない。


毎晩寝る前に父と母の遺影に手を合わせている。

「また明日の朝会おうね」それは約束であり希望にも等しい。



2024年10月16日(水) 追い詰められて

曇り日。雨が降りそうで降らず午後には薄陽が射し始める。

気温は30℃にもなり蒸し暑くてならない。


朝の道。休憩所で休んでいるお遍路さんを見かけた。

車を停めて声をかけてみようかと思いながら通り過ぎてしまう。

何か熱心に書き物をしていた。旅の記録を綴っていたのかもしれない。

雨が降らなければ良いなと思う。延光寺さんまでは随分と遠い。


今朝は少し頭痛があった。軽く咳をしただけでずきずきと痛む。

若い頃には偏頭痛があったが最近では珍しいことである。

何か脳に異変が起きているのではないかと不安になった。

煙草を吸えば咳が出る。ならば吸わなければ良いのだが

吸い始まてしまうと留まることを知らず情けなくてならない。

おそらく重度の依存症なのだろう。それも病には違いなかった。



朝のうちに近くのJAへ行き「三原米」を買い求める。

ブランド米だけあって10キロで6千円を超えおどろく。

その足で郵便局へ行きゆうパックで弟に送った。

そうでもしなければ弟の気持ちが収まらないだろう。

機嫌を取るわけではないが姉として出来ることをと思ったのだ。


義父は「十和錦」の袋詰めをしていたが思ったよりも数があったらしく

弟に「送ってやれや」と言ってくれたがもう後の祭りであった。

さすがに買い求めて送ったとは言えない。当て付けのようになってしまう。

義父には適当に胡麻化して弟よりも他の人にと勧めた。

毎年注文してくれている人に不都合を掛けてはいけない。

お米の件はそれで落着となりもう頭を悩ますこともないだろう。

弟も持つべきものは姉と喜んでくれるに違いない。


仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。

ゆっくりと買い物をし4時前には帰宅していた。

実は「破れ奉行」を見たかったのだ。

夫も一緒に見ようと待っていてくれていたようだ。

50年近く昔の時代劇なので役者さんの若々しいこと。

「これはあの人だね」と言っても名前が出て来ないのも愉快であった。


「てめえらを斬る」今日も悪人が次々と成敗された。

それが少しも残虐でないところがとても好ましい。

見終わってから10分程うたた寝をしていたようだ。

とろりとろりと何とも心地よい眠りであった。


それからは大急ぎで夕飯の支度である。

あらあらという間に夫の晩酌が始まるので待ったなしであった。

平日は毎日その繰り返しであるが主婦冥利に尽きると言っておこう。


夕食後いつもの薬に加えて鎮痛剤を服用する。

頭痛の原因も喫煙だとしたらもう目も当てられないと思う。

追い詰めているのは他の誰でもない私自身である。

そんな「わたし」を救えるのも私しかいないのだ。



2024年10月15日(火) 愛の終着

明け方まで小雨が降っていたが日中は曇り空。

今日も夏日となり蒸し暑さを感じた。

10月も中旬だと云うのにエアコンのお世話になる。

そんなことがかつてあっただろうかと思う。


夏野菜の胡瓜がまだ獲れているのだそうだ。

しかも畑ではなくベランダで栽培していると聞きおどろく。

よほど管理が良いのだろうが毎朝収穫しているそうだ。


そこではっと閃く。来年は庭先に胡瓜を植えてみたらどうだろう。

大きめのプランターを買ってミニ菜園にするのだ。

そう考えただけでわくわくとして来る。

しかし夫が手伝ってくれるだろうか。

「胡瓜なんて買えばいい」と言われたら一気に夢が破れてしまう。


亡き姑さんが残してくれた畑はすっかり荒れ果ててしまった。

今の時期なら大根やほうれん草の種を蒔き楽しみなことだろう。

輪転機は在るが耕すこともままならない不自由な身である。

夫が野菜作りに目覚めることなどとうてい無理な話であった。




やっと三連休が終り火曜日からのスタートである。

大袈裟かもしれないが武者震いをしてしまう朝であった。

あれもこれもと仕事の事ばかり考えて気分は独楽鼠である。


出勤時間は30分であったが今朝は何故か煙草を吸いたくなかった。

このまま止めてしまえるかもしれないと目の前が明るくなる。

職場に着いてもそれは変わらず喫煙所に向かうこともしなかった。

しかし義父の「すったもんだ」が始まり一気に辛くなる。

決して怒らせてはいけないので神経を尖らせていたのだろう。

居ても立ってもいられなくなりとうとう煙草を吸ってしまった。

吐き気がし咳き込む。そうしてまた自己嫌悪に陥るばかりである。


追い打ちを掛けるように弟から電話がありお米の催促であった。

先日から催促があったのだが延ばし延ばしにしていたのだ。

おそるおそる義父に話すと機嫌が悪く「困ったなあ」の一言である。

最後の稲刈りも終りそこそこの収穫はあったのだが

「十和錦」は例年の三分の一しかなかったのだそうだ。

毎年の注文にとても追いつかず義父も頭を悩ませていた。


弟に訳を話すとこれもまた機嫌が悪い。「もういい」と投げ遣りである。

おまけに母の遺骨を返してくれないかと言うので寝耳に水であった。

先日から「分骨」の相談は受けていたのだがまさか「返せ」とは。

いくら弟であってもあまりにも酷いのではないかと思った。


幼い頃から母親べったりの子供であったがその執着心には呆れる。

弟には母に捨てられた記憶が無いのだろうかとその心中を疑う。

私は13歳。弟は10歳だった。あの寒い冬の日の朝のことを。

私達姉弟はアパートに置き去りにされたのだ。


生前の母はまるで遺言のように生まれ故郷のお墓に拘っていた。

弟はそれをしっかりと憶えており母の願いを叶えてやりたいのだろう。

私もそれは気になっていたが義父にどうして告げられようか。

最期を看取ってくれたのは義父である。母はどんなにか安らかに

息を引き取ったことだろうと思う。もう何も思い残すこともないと。

それは私たち子供には到底理解出来ない愛の終着だったのではないだろうか。


弟にはしばらく日を置いてゆっくり説得しようと思っている。

きっと分かってくれるだろう。どれ程の愛情であっても

それ以上に敵わない愛情がこの世にはあるのだ。





2024年10月14日(月) リベンジ

曇り日。気温は夏日であったが心地よい涼風が吹く。

エアコンも扇風機も要らず自然の風のなんと有難いことだろう。


今朝は朝顔が咲いておらず。ようく見ると固い蕾があった。

それは必ず咲くと云う約束であり希望である。

一喜一憂せずに咲く時を静かに待とうと思う。


花すべりはもう終ったようだ。さすがに夏の花である。

しかし枯れてはおらず茎を伸ばし切っており健気であった。

越冬出来るかどうかは調べてみないと分からない。

引き抜いて処分するにはあまりにも憐れに思う。


空いたプランターがあるのでビオラの苗を買って来ようか。

そう思うだけで何も出来ないのがもどかしくてならない。

一輪の朝顔だけが頼りであった。花の無い庭先の何と寂しいことだろう。




夫に昨日のリベンジを申し出る。却下覚悟であったが

思いがけずに了承してくれてほっと嬉しかった。

10時に家を出て市の山間部へと向かう。

途中で息子のマンションの前を通り車が在ることを確かめる。

けい君が独りぼっちでなくてとてもほっとした。


山間部の川登地区から有岡へ抜ける県道を走る。

何処かに「ポツンと一軒家」がありそうでわくわくしたが

所々に集落があり必ず二軒は並んでいるのだった。

そうそう在りはしないと夫と笑い合いながら先へと進む。


「一風」は11時開店なので思ったよりも早く着きそうである。

夫の提案で「横瀬ダム」に立ち寄ることにした。

来るのは二度目であったが壮大な眺めに感動を覚える。

このダムが出来たおかげで下流地域の水害が無くなったのだそうだ。

夫が自慢気に話す。なんだかダムの管理職員のようであった。


寄り道をしても早く着き過ぎ駐車場で10分程待つ。

まさか今日も12時開店ではないだろうなと玄関を確かめた。

貼り紙が無かったので今日こそリベンジが叶いそうである。

幼馴染のなっちゃんが出迎えてくれて早速ラーメンセットを頼んだ。

先日の法事でもお世話になっておりしっかりとお礼も伝える。

昨日も宴会の予約がありとても忙しかったのだそうだ。


あっさり系の中華そば。今日はちゃんと煮卵も入っていた。

前回は少し味が薄く感じたが今日は完璧であった。

半チャーハンも顎が落ちそうなほど美味しい。

「満足、満足」と夫も上機嫌で私も嬉しくてならなかった。

「また連れて来てね」と言うと「おう!」と声も弾んでいる。


半日であったが休煙も叶う。禁断症状も全く感じない。

もしかしたらこのまま断煙出来るかもしれないと思ったが

そうは問屋が卸さず帰宅したら元の木阿弥であった。

吸わないのは昼寝をしている時間だけで起きてしまえばどうしようもない。

立て続けに吸ってしまい一箱があっという間である。

なんと情けないことだろう。今日ほど自己嫌悪に陥ったことはなかった。


吸えば激しい咳である。その度に尿漏れもある。

不潔で汚らしい「ばばあ」そのものであった。



夕食後はまた被害妄想に陥る。

先日のSNSでの「ブロック」が相当堪えているらしい。

ブロックをされたら自分もブロックをするべきだが

いくら考えてもそうすることが出来なかった。

それだけ信頼していた人である。

私の落ち度は認めるがせめてもと思う気持ちが募るばかりであった。

もしかしたらこの日記を読んでくれているかもしれない。

それが最後に残された私の「希望」に他ならなかった。


縁とはどうしてこれ程までに私を苦しめるのだろう。

そうしてどうして私はその「糸」を断ち切ろうとしないのだろう。









2024年10月13日(日) おでん日和

爽やかな秋晴れであったが日中の気温は30℃に近かった。

湿度が低く今が一番過ごし易い季節なのだろう。


地場産市場の店先には「ビオラ」が並び始めた。

寒さに強い花なので春先まで楽しめるはずなのだが

まだ植える気にならず眺めるだけであった。

足が不自由になってから億劫なことがどんどん増えて行く。

身体を動かせば心も動くのだ。諦めてはいけないのだと思う。


絶好の行楽日和となり夫と意気投合しプチドライブに出掛けていた。

家に居ても退屈でごろごろと寝るばかりである。

土佐清水市から宿毛市へと向かい一時間半程の距離だった。

久しぶりに海を見る。陽を浴びてきらきらと輝きとても綺麗。


こうして出掛けると煙草から遠ざかっていられる。

まったく吸いたいとは思わないのだ。

もちろん禁断症状も出ず気分はとても良かった。

夫にはそんな話は出来ないが決して我慢しているのではない。

それを日常に当てはめれば禁煙など簡単なことに思える。


昼食はいつもの「一風」と決めて11時過ぎに到着したが

今日はどうしたことか12時開店の貼り紙がしてあった。

仕方なく四万十市内へと向かい国道沿いのレストランへ行った。

昔から「ひいらぎ」であったが店内は「ぞうさん亭」に変わっており

まるで初めて来たように戸惑ってしまう。

メニューはステーキとハンバーグがメインでラーメンなど在りはしない。

今更昔のことを言っても仕方なくステーキと海老フライのセットを頼んだ。

後から知ったことだが鉄板焼きの専門店になったのだそうだ。

家族連れが多くなんと賑やかなこと。夫の機嫌がいささか悪くなった。

待ち時間も長く苛々して来る。やっと運ばれて来たのだが

ステーキソースがやたら甘くどうやら子供向きのようであった。

海老フライは大きかったがナイフで切ると衣が剥がれてしまう。

夫の顔色が増々悪くなりなんとも居心地が悪い昼食となる。


食べ終えて外に出るなり「もう二度と来んぞ」と夫が言う。

私も同じであった。今日の昼食は大失敗だったと思う。

「一風」さえ開いていればこんなことにはならなかったのだが

何か事情があったのだろう。まあこんな日もあるものである。


帰宅して直ぐに卵と大根を茹でた。

今夜はおでんの予定で朝のうちに材料を買い込んであった。

お昼寝をし過ぎて目覚めたらもう4時。急いでおでんを仕込む。

弱火でぐつぐつと煮込めば家中にいい匂いが漂う。

なんと平和な匂いだろうと思った。おでん程の幸せがあるだろうか。

これから鍋料理が多くなるが「おでん日和」が一番である。



あれこれと思い悩むことも無きにしも非ず。

けれどももう過ぎ去った事だと思い封印しようとしている。

考えれば考えるほど納得がいかないことだった。

かと云ってもう何も伝えることが出来ない。

私はそれ程までに無礼な人間だったのだろうか。





2024年10月12日(土) 空回り

10月とは思えない夏日が続いているが

真夏の猛暑に比べれば随分と過ごしやすく感じる。


朝顔はまだまだ元気。もしかしたら冬まで咲き続けるかもしれない。

その健気さが愛しくてならず咲いた朝のなんと嬉しいことだろう。


朝ドラ「カーネーション」を見てから急いで病院へ向かう。

7時からの受付なので少し出遅れ16番であった。

駐車場に友人の車を見つけ思いがけずに嬉しい。

待合室で肩を並べゆっくりと語り合うことが出来た。


彼女は昨年最愛のご主人を亡くされどれほど辛かったことだろう。

「日にち薬」だと励まして来たがずいぶんと明るくなっていた。

微笑みながら思い出話が出来るのも日にち薬のおかげだと思う。

県外に住む娘さんが同居を勧めてくれているらしいが

70歳までは働くのだと言ってなんとも頼もしかった。

けれども毎朝見送ってくれたご主人はもういない。

疲れて帰って来ても独りぼっちの孤独に耐えているようだった

明日は我が身だと思う。夫に先き立たれたら途方に暮れるしかない。

「最愛」とはそう云うことである。失うのが怖くてならなかった。


先に受診を終えた彼女を見送りやっと私の順番が来る。

血液検査の結果を持参していたが再度検査をした。

主治医は今日も穏やかな笑顔で接してくれなんと安らぐことだろう。

血液検査も整形外科より詳しい数値が出ていたようだ。

細菌感染は無く特に異常はないと聞き胸を撫で下ろした。

相変わらずの咳と声枯れが続いていたので喉を診て貰ったら

やはり赤くなっており軽い炎症があるとのこと。

それで白血球の数値が高くなっているようだった。


原因はもちろん喫煙である。医師も同意見であった。

しかし医師は禁煙を強要することをしなかった。

それはおそらく私の意思に任せると云うことなのだろう。

とうとうここまで来たかと思う。全てが自業自得なのであった。


受診を終えて駐車場に戻るなり立て続けに煙草を吸った。

「いけない、いけない」と思いつつ自制することが出来ない。

まるで麻薬のように支配されていることを思い知る。

断ち切らない限り永遠に悩み続けなければいけない。

酷く追い詰められていることをもっと自覚しなければと思った。


幸い「肺がん」の不安は薄れたが複雑な気持ちは募る。

油断していたらきっと落とし穴があるだろう。

その時に後悔してももう遅いのだ。


いったいこの先私はどうすれば良いのだろう。

ぐるぐると同じところを空回りしているような気がする。






2024年10月11日(金) 藁にも縋る

爽やかな秋晴れであったがやはり今日も夏日となる。

寒さは苦手なので過ごし易く思うのだが

突然に寒くなるのだけは勘弁して欲しいものだ。

私にとって冬ほど怖ろしい季節はなかった。

血圧がぐんと高くなり卒倒するのではないかと不安でならない。

そのまま死んでしまえば諦めもつくが半身不随にでもなれば

夫や娘達にどれほど迷惑を掛けることだろう。

考えたくもなかったが負の感情がつのるばかりであった。

もっと楽観的に生きていけたらどんなにか楽だろうか。




仕事は来客が多く嬉しい悲鳴を上げていた。

午後一番にタイヤ交換を予約してくれていたお客様がお昼前に来る。

待たせるわけには行かず同僚がお昼休みを犠牲にしてくれた。

義父は最後の稲刈りの準備をしていたが「もう昼飯じゃな」と

居室に向かうなり直ぐに工場に戻って来る。

今朝仕掛けたはずのご飯が炊けていなかったのだそうだ。

うっかりして炊飯器のスイッチを押し忘れていたのだろう。

「炊けるまで待つ」と言っていたがあまりにも可哀想なので

急いでお弁当を買いに走った。一緒に同僚のお惣菜も買い求める。

同僚は3時からの通院を控えていたのでそのまま2時まで居てくれる。

どんなにかお腹が空いただろうと気遣わずにはいられなかった。

買って来ていたポテトサラダを見るなり3日連続だと苦笑いする。

独り暮らしなので毎日お惣菜を買っているのは知っていたが

昨日もポテトサラダだったとは知る由もなかった。

玉子焼きや煮物を詰め合わせたお惣菜セットも手渡す。


義父はお弁当を食べ終わるなり稲刈りに出掛けた。

やっと「十和錦」であるが猪の被害に遭っているので僅かである。

半日もあれば終わるそうで今日は手伝い手も居なかった。

籾米を軽トラックで運ぶのは私でも出来たのだが

今日は市の胸部レントゲン検診があり3時には退社しなければいけない。

義父は一人でも大丈夫と言うので手伝うことも出来なかった。


3時半には地元の集会所まで帰り着く。

胸部レントゲンのせいかいつになく緊張していたようだ。

もし異常が見つかれば4ヶ月以内に連絡があるのだそうだ。

頭から「肺がん」が離れない。とても4ヶ月は待てないと思った。

「死」の恐怖がひしひしと押し寄せて来るばかりである。


明日は主治医の診察があるそうなので受診することに決めた。

予約制ではないので早朝から出掛けなければならないが

藁にも縋る思いである。「大丈夫」の一言を聞きたくてならない。

ようく調べたら白血球の数値はストレスでも高くなるのだそうだ。

今のところ大きなストレスはないが「隠れストレス」の可能性もある。

とにかく信頼している主治医に委ねるしかないだろう。


死んでしまえば全て終りだが生きてさえいればまだ未来がある。

目標は米寿であった。あと20年の命がどうか叶いますように。







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