朝の肌寒さもつかの間。日中は今日も夏日となった。
時おり雲が広がったものの陽射しは強く暑さを感じる。
今朝は朝顔が咲いており嬉しくてならず
めいちゃんに見せようと外から呼んでいたら
娘から「朝からうるさい」とお叱りを受ける。
めいちゃんが一年生の時に学校から貰って来た朝顔なのだ。
こぼれ種であってもめいちゃんの朝顔に違いないのだけれど。
今朝はもうひとつ嬉しいことがあってSNSの例の方が
私の詩を読んでくれたらしく反応があった。
もうこれで大丈夫だと思ったのだ。これからも繋がっていられると。
ここ数日のわだかまりが一気に消えなんとほっとしたことだろう。
しかし午前中に思いがけないメールが届く。
先日のいざこざの時に私が発した言葉を酷く気にしているようだった。
これはいけないと思ったが仕事中で忙しく直ぐに返信出来なかったのだ。
何としても丸く収めなければと焦る。このままでは取り返しがつかなくなる。
お昼になるのを待ち兼ねてメールのページを開いて唖然とした。
「私のような無礼な人はブロックします」と追ってメールが届いていた。
直ぐに返信するべきだったのだ。時はもう遅かりきである。
確認すると確かにブロックされておりもう返信も出来なくなっていた。
その方の投稿も一切見ることが出来ず完全なシャットアウトである。
今朝の嬉しさもありなんだか寝耳に水のような出来事であった。
よほど傷ついていたのだろうと思う。それは私以上にである。
わずか5ヶ月のふれあいであったがずっと昔から知っている方のように思えた。
だからこそ一気に親しくなれたのだろうと思う。
今回のことはその親しさが裏目に出てしまったのかもしれない。
結局は取り返しのつかない事となりお互いが傷つくことになってしまった。
その後で気づいたのだが昨夜私が寝入った後に短歌を読んでくれていたようだ。
コメントを頂いていたのに今朝は全く気づかなかった。
それも返信なしのままなのでまるで無視したような結果となっていた。
今更悔やんでもどうしようも出来ないが悔やんでも悔やみきれない。
「ブロック」は度重なる私の落ち度のせいとしか思えなかった。
もう詫びることも出来ない現実に圧し潰されてしまいそうだった。
心優しく繊細な方だったのだ。心は脆くとても傷つきやすい。
その上に信頼し合っていたのだから裏切られたように思ったのだろう。
けれども私は仕打ちだとは思わない。彼のことは一生忘れはしない。
不穏なSNSの世界で彼ほど信じられる方が他にいただろうか。
もう十分に悲しんだ。後はただひたすらに生き抜くだけである。

週一のリハビリのあった日。今日はリハビリ後に診察があった。
先日の血液検査の結果が出ており医師も心配顔である。
白血球の数値が異常に高く内科での再検査を勧められた。
これも寝耳に水であった。足の痛みはあってもこんなに元気なのにと思う。
白血病。がん。心筋梗塞。どれも可能性があるらしい。
まさか整形外科でそんな話を聞く事になろうとは夢にも思っていなかった。
帰宅して早速ネットで調べてみたが間違いではなかった。
なるべく早い方が良いだろう。内科の主治医に相談しなければならない。
一瞬怖ろしくなってしまって「死ぬのか」と思った。
喫煙が原因で「肺がん」になっているのではないか。
いや「心筋梗塞」も在り得る。全て煙草のせいとしか云いようがない。
今すぐ止めなくちゃと思いつつ引っ切り無しに吸ってしまうのだ。
なんだか気が狂ったようである。まるで自殺行為としか思えない。
死ぬのなら書かなくてはならない。詩を短歌をこの日記も。
私が「わたし」として生きていたことを残して置きたくてならない。
久しぶりの快晴。朝は19℃と少し肌寒く感じたが
日中は25℃を超え10月とは思えない夏日となった。
北海道では氷点下の処もあったそうで驚く。
関東では初冬の寒さとなり札幌よりも気温が低かったらしい。
日本は小さな島国であるが地域によってこんなにも差があるのだ。
朝の山道ではお遍路さんが二人。一人は逆打ちであった。
どちらも荷物は小さく近辺の宿に泊まっていたのだろう。
以前はよく野宿のお遍路さんを見かけたが最近は殆ど見ない。
Mさん以外にも顔見知りの職業遍路さんが何人か居たのだが
何処かの町で居を定め落ち着いているのかもしれない。
風の噂でGさんは癌を患っていると聞いたことがあったが
治療をするにも托鉢暮らしでは病院にも行けなかったことだろう。
何とも憐れで不憫でならない。それもGさんの選んだ人生である。
Wさんは父の命日に二年続けて会いお経を唱えてくれたことがあった。
Wさんも所持金が少なく一日一食を貫き栄養失調になっていた。
「いつ死んでも良いのだ」と言った。寂しげな顔が忘れられない。
お大師堂から足が遠のきもう2年が過ぎたようだ。
これまで頂いた沢山のご縁は私にとって人生の宝物に他ならない。

仕事は今日もぼちぼちの忙しさであった。
義父は昨夜飲み過ぎたらしく二日酔いでお昼まで寝ていた。
よほど嬉しかったのだろう。飲み会は義父の一番の楽しみである。
けれども81歳になった高齢者にはいささか厳しさもあるのだろう。
車検整備が完了した車があったのでお昼のうちに車検を終わらす。
私のお昼休みはなかったがいつものことであった。
一時からは国会中継を見たいと言いまた居室へと戻って行く。
午後は来客があり早目には終れず3時過ぎに退社した。
FMラジオは「谷村新司特集」でしみじみと耳を傾ける。
昨日が命日だったのだ。何と惜しい命だったことか。
けれども歌声は永遠に残り癒し続けてくれるだろう。
買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。
めいちゃんの友達が遊びに来ており二階は賑やかである。
水曜日は下校時間が早いので思う存分に遊べるのだ。
他の日は宿題に悩まされており可哀想でならない。
昔は学校から帰るとランドセルを放り投げ夕方まで遊んだものだ。
今の子供達は帰宅しても勉強である。そんな世の中になってしまった。
洗濯物を畳みながら「破れ奉行」を見たがもうラストに近かった。
悪者を成敗する時に奉行が「てめえ達を斬る」と大声で叫ぶ。
片っ端し斬り殺すのだが決して血を見せないのが良い処である。
きっと女子供が見ても怖がらないように配慮されているのだろう。
「配慮」は大切に思う。それは人を思い遣ることに等しい。
SNSで受けたダメージは未だ消えずにいるが
今日はその人の誠実さをつくづくと感じた。
発信されているポスト(投稿)に共感せずにはいられないのだ。
真から心根の優しい人なのだろう。そうしてとても正直であった。
だからこそ私に対しても本音をぶつけて来たのだと思う。
お互いが傷つけ合ってしまったのだ。私の落ち度もかなり大きい。
遠ざかるべきではないのだと今日は思った。
何かの仕打ちのように容易く後姿を見せてはいけない。
「配慮」あってこその縁である。たったひとつきりの魂ではないか。
二十四節気の「寒露」露が冷たく感じられる頃。
秋は日に日に深まっているようにも感じるが
日中は25℃とまだまだ夏の名残がある。
都心では一気に気温が下がり寒さを感じたようだ。
朝の道の秋桜もほぼ満開となり心を和ませている。
峠道に差し掛かる手前の地区にはお遍路さんの休憩所があるのだが
数日前から溢れんばかりの秋桜が花瓶に活けられている。
地元の方の温かなもてなしに頭が下がる思いである。
残念ながらお遍路さんの数は少ない。今朝も一人も見かけなかった。
おそらくこの夏の猛暑で出足が鈍っているのだろう。
秋が深まれば一気に増えるのではないだろうか。
そう云えば職業遍路のMさんにしばらく会っていない。
最後に会ったのはいつだったか忘れるほどである。
初孫が生まれて娘さんが同居を勧めてくれていると言っていた。
迷っている風であったが山梨へ帰ったのかもしれない。
10年以上も毎日歩き続けて来たのだ。
ゆっくりと休み穏やかな老後を過ごしてくれていたら何よりに思う。

今日は義父の81歳の誕生日だった。
そわそわと落ち着かないのは自動車免許の更新が気になっていたようだ。
高齢者講習は既に終えており合格していたのだが
ずっと目の調子が悪く不合格になるのではと不安だったようだ。
どうしようどうしようと迷っていたが決心したのか午前中に出掛けた。
お昼にはにこにこと笑顔で帰って来て合格とのこと。
私も嬉しくてならず義父と一緒に喜び合った。
免許を失効してしまえば仕事も出来なくなってしまうのだ。
それだけはあってはならないことである。
今夜は友人たちが誕生日のお祝いをしてくれるそうで楽しみにしていた。
今頃は大いに酔っぱらって盛り上がっていることだろう。
独居老人ではあるが友人に恵まれており有難いことである。
午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社した。
4時前には帰宅しておりゆっくりと寛ぐことが出来る。
もちろん「破れ奉行」も見た。何度見ても面白い。
20年以上も昔の時代劇だがとても新鮮に感じる。
今は時代劇そのものが廃れておりとても残念でならない。
頭から離れないのは「太平楽」であった。
神経質な私にとって人から言われたことはかなり尾を引く。
もちろんそう言われたのはこれまで生きて来て初めてのことだった。
「勝手気ままに振る舞うこと」「でたらめな言い分」など。
周りの状況や他の人の様子を気にせずに、悠長に過ごしているさまや
好き勝手な言動をあらわす言葉なのだそうだ。
SNSで最も信頼していた人からそう言われたのだからダメージは大きい。
最初は時が経てばと思っていたがどうやら修復は無理なようである。
昨日から一切の繋がりが絶えてしまったようだ。
哀しみよりもこんな理不尽なことがあるのかと嘆くばかりである。
去る者は追わない主義なので私も後姿を見せるしかない。
いったい誰だったのだろうと思う。私が出会った「魂」とは。
今日も天気予報が外れおおむね晴れとなる。
山里では午後にわか雨が降ったが市内は降らなかったそうだ。
「洗濯物がかり」の夫にとっては乾く乾かないが重要な問題のようだ。
今朝はどんよりと曇っていたのでまた乾燥機に放り込んでしまった。
7時50分出勤。外に出ると朝顔が咲いており嬉しくてならない。
愛でる時間はなかったが声を掛けてから出掛ける。
花にも「こころ」があるような気がしてならない。
目も耳も口もあるのではないだろうか。
昼間は10月とは思えないほどの暑さとなった。
まだ事務所にはエアコンが必要でいったいいつまでだろうと思う。
長期予報では11月になると一気に寒くなるのだそうだ。
このままでは冷房と暖房がバトンタッチしそうである。

さあ仕事と意気込んでいただけになんと面白いことだろう。
後から後からする仕事があり忙しさを愉しんでいた。
金曜日には一日がかりで登録に行っていた義父もほっと寛いだ様子。
新しい運搬車のナンバーは「1010」であった。
古い運搬車も車検があるのでこれからは2台となるのだが
自動車税など経費を考えると少しばかり頭が痛い。
けれども義父の嬉しそうな顔には負けてしまうのだった。
義父と相談し古い方は農機具用に。新しい方は顧客専用とする。
事故車などを運搬するとかなりの利益が生じるのだった。
義父と顔を見合わせ「どんどん儲けようぜ」と笑い合った。

市役所に臨時ナンバーの返却に行かねばならず2時半過ぎに退社。
M君は対応中で忙しそうにしていたので声を掛けられず残念だった。
仕事ぶりはとても頼もしく若い頃のM君とは別人にも思える。
情報処理の専門学校を出ており頭脳明晰と見た。
しかも明徳義塾高校卒である。身障者であっても彼は本当に凄い。
若い頃にはまともな就職に恵まれずどれほど苦労したことだろう。
障害者施設で毎日リサイクルの空き缶を踏み潰していた頃もあった。
今思えばどんなにか惨めで辛かったことだろうと思う。
障害者雇用は社会的問題になっているが彼は「光」になったのだ。
4時に帰宅。洗濯物を畳みながら夫と「破れ奉行」を見ていた。
私は子供の頃から血を見るのが苦手であった。
残虐なシーンなどあると逃げてしまいたいほど怖くてならない。
目を背けてはならない史実であってもそれは同じである。
それがどうして許されないことなのか分からなかった。
SNSのその人は「太平楽」と言ったのだ。
「平和な国の民の特権」だとも言った。
確かに私は平和な国の民である。もちろん戦争も知らない。
それではいけないと云うのなら私はどう生きれば良いのだろう。
毎朝般若心経を唱えながら「どうか家族をお守りください」と手を合わす。
それはおそらく私が死ぬまで続くことではないだろうか。
曇りの予報だったが青空が見え隠れしていた。
「洗濯物がかり」の夫が「乾いたのになあ」と嘆く。
今朝天気予報を信じた私が乾燥機に放り込んでしまったのだ。
私も同じように嘆く。これが二人の共通の話題であった。
残念ながら朝顔が咲いておらず肩を落とした。
流石に真夏のようにはいかないのだろう。
けれども蕾が見えており明日の希望につながる。
どうでも良いようなことだが一喜一憂するのが私の性質だった。
日がな一日ごろごろと寝て過ごす。明日が待ち遠しくてならない。
退屈ほど辛いことはない。かと言って何もする気にならないのだ。
あれもこれもと頭の中は仕事のことでいっぱいになっていた。
来週にはまた三連休を控えており今から途方に暮れている。

SNSで少し辛いことがあった。とても楽観視など出来ない。
神経質な性質のせいかどうしても自分を責めてしまうのだ。
まだ未熟かもしれないがれっきとした大人である。
まさかこの歳になって追い詰められるとは思ってもいなかった。
ネット歴が長いせいか過去にも何度がそんなことがあった。
その度に学んだことはいったい何処に行ってしまったのだろう。
掟のようなことかもしれないが特定の人と親しくなり過ぎてはいけない。
あたかも魂が触れ合っているように感じるがそれはとても脆い。
きっかけさえあれば直ぐに捩れてしまうものなのだ。
「傷ついた」と思った時には同時に相手を傷つけている。
哀しいのは私だけではないのだと己を慰めるしかなかった。
また互いに縁を手繰り寄せることが出来ればそれに越したことはない。
「にんげんだもの」その一言で解決出来ればどんなに救われるだろうか。
再び互いの信頼を取り戻すには必要な「時」がある。
秋が深まりやがて冬が来れば出会った頃の春もきっと訪れるだろう。
曇り日。気温は高くはなかったが少し蒸し暑く
やはり梅雨時のようであった。
10月の朝顔。こぼれ種から育ったそれは逞しく伸び
一日置きに花を咲かせてくれるのだった。
今朝はお休みで昨日の花がしぼんでいるのが見えた。
終わった花を摘んでやるべきかと迷う。
これも調べてみるべきだろう。どんな状態が好ましいかだ。
ようく見ると花芽が次々に出来ている。12月まで咲くかもしれない。
「自分のペースで咲く」それは人にも当てはまることだろう。
皆と一緒でなくても良い。咲きたい時に咲けば良いのだ。

午前中にカーブスへ行っていたがうっかり杖を忘れていた。
忘れる位だから今朝は痛みもなく調子が良かったのだろう。
しかしなんと心細いこと。筋トレは出来てもボードで足踏みが出来ない。
これまでどれ程杖に助けられていたかを思い知った。
コーチの女の子に励まされながら何とか一周することが出来る。
筋トレの後はストレッチだが汗が滝のように噴き出て来た。
成果はないように思えてもしっかり効いている証拠である。
困ったのは次の買い物であった。時間帯のせいか専用駐車場は満車だった。
仕方なく一般スペースへ停めたがもちろん颯爽とは歩けない。
やっと入口に辿り着き備えてあるカートにしがみついた。
カートさえあれば買い物は出来るがその後がまた一苦労である。
車までカートを押して行っても元の場所に戻さなくてはいけない。
「よっし」と気合を入れて両手に荷物を持ち必死で歩いた。
赤い羽根の共同募金とか申し訳ないがそれどころではなかった。
幸い声を掛けられることもなかったので逃げるように遠ざかる。
駐車スペースさえ空いていればそんな苦労をせずに済んだが
車椅子の人もいるだろう。身体の不自由な人は沢山いるのだと思う。
たかが左足一本ではないか。歩こうと思えば歩けるのだ。

午後はお昼寝をする前に動画を観た。
SNSで親しくしている人から是非にと薦められたのだった。
昨夜のうちにメールが届いていたのだが早寝の私のことである。
今朝まで気が付かずなんだか無視したような形になってしまった。
「おうち診療所」そんな医療施設があることを今まで知らずにいた。
小児がんなど難病の子供が家族と一緒に暮らせる「おうち」なのである。
4歳のいっちゃんは小児がんと闘っており余命宣告を受けていた。
天国へ行くことをいっちゃんに話すご両親の気持ちは何とも悲痛である。
最期はお母さんに抱っこされて安らかに息を引き取った。
まだ4歳の幼い命である。「辛い」の一言でどうして済まされようか。
こんなことはあってはならないと思うが現実はとても厳しく
今もって沢山の幼い命が失われていることを忘れてはならない。
おうち診療所
曇り日。今は小雨がぽつぽつと降っている。
気温からしてなんだか梅雨時の夜のようだ。
やはりセイタカアワダチソウだった。
今日は近くで見ることが出来て葉の形を確認する。
ブタクサの葉は蓬のようにギザギザがあるらしいが
そうではなく真っ直ぐに平らな葉だったのだ。
見渡すと辺り一面のセイタカアワダチソウである。
花粉症の夫は見ただけで鼻がむず痒いと言っていたが
ただの勘違いであり花粉症には全く影響がないのである。
じゃあブタクサはと思い見渡してもそれらしい花は咲いていなかった。
植物のことを調べるのは面白い。ひとつお利口さんになったようだ。

義父は予定通りに高知市の陸運支局へと向かう。
会社は民間車検場であるが大型車の中古新規登録が出来ないのだ。
高知市までは4時間近く掛かり一日仕事である。
忘れ物はないか書類に不備がないかと朝から大騒ぎであった。
午前中の検査には間に合わず午後の予約となる。
義父を送り出してから気が抜けたようになった。
同僚も同じらしくまるでのらくら一等兵と二等兵のようである。
仕事は立て込んでいたがそこそこにしか出来なかった。
8月末に購入した運搬車である。検査までなんと長い道のりだったことか。
外注先の工場にお世話にならなければとても無理であった。
義父から無事完了の報告があるのを待っていたが未だ連絡がない。
不備があれば大騒ぎするはずだからきっと大丈夫だったのだろう。
法務局へ行く用事があり2時過ぎに退社した。
こんなに早く帰れるのは久しぶりである。
FMラジオでは「アルフィー」の特集をしており何と嬉しい。
今年は結成50周年なのだそうだ。
昔好きだった人の影響で私もすっかりファンになっていた。
4時前に帰宅。自室で一服してから夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。
ラストの悪者を成敗するシーンが好きでたまらない。
決して血の海にはならないのだ。悪者が次々に息絶えて行く。
今の世では考えられないことだが奉行の刀は将軍様から授かった物で
人を殺めても罪にはならないのだそうだ。
その悪者たちはそれぞれに病死とか急死として葬られるのである。
今週はずっと残業続きで帰宅が遅かったので今日はほっとした。
夕飯の支度まで横になることも出来て幸せとしか云いようがない。
毎日そう出来たらこの上ないことだが所詮無理な話だろう。
どんなに疲れても出来ることを精一杯に尽くしたいと思う。
夕方、あやちゃんの担任の先生と保健室の先生が訪ねて来てくれた。
週に一回は必ず来てくれて頭が下がる思いである。
しかし今日も駄目だった。「会いたくない」の一言で済ます。
どんなに宥めてもその意思は固くどうすることも出来ないのだ。
無理強いはいけないと学校からも指示を受けており
本当に申し訳なかったが夫が対応し引き取ってもらった。
昼間は「今日は先生が来るから」と笑顔で話していたらしい。
それがいざとなったら拒否である。いったい何が原因なのだろう。
理解出来ないことばかりで心配ばかりが募るこの頃であった。
娘は今日も6時半に帰宅。あやちゃんには声も掛けない。
「いつまでもこの家には居ないから」と言っていたが
子供達はいったいどうなってしまうのだろうと思う。
一人は引きこもり。一人は鍵っ子にするつもりだろうか。
私達じいもばあも何があっても家族だと思っている。
どれほど蔑まれてもこれほどまでに愛しい者があるだろうか。
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