曇りの予報だったが青空が見え隠れしていた。
「洗濯物がかり」の夫が「乾いたのになあ」と嘆く。
今朝天気予報を信じた私が乾燥機に放り込んでしまったのだ。
私も同じように嘆く。これが二人の共通の話題であった。
残念ながら朝顔が咲いておらず肩を落とした。
流石に真夏のようにはいかないのだろう。
けれども蕾が見えており明日の希望につながる。
どうでも良いようなことだが一喜一憂するのが私の性質だった。
日がな一日ごろごろと寝て過ごす。明日が待ち遠しくてならない。
退屈ほど辛いことはない。かと言って何もする気にならないのだ。
あれもこれもと頭の中は仕事のことでいっぱいになっていた。
来週にはまた三連休を控えており今から途方に暮れている。

SNSで少し辛いことがあった。とても楽観視など出来ない。
神経質な性質のせいかどうしても自分を責めてしまうのだ。
まだ未熟かもしれないがれっきとした大人である。
まさかこの歳になって追い詰められるとは思ってもいなかった。
ネット歴が長いせいか過去にも何度がそんなことがあった。
その度に学んだことはいったい何処に行ってしまったのだろう。
掟のようなことかもしれないが特定の人と親しくなり過ぎてはいけない。
あたかも魂が触れ合っているように感じるがそれはとても脆い。
きっかけさえあれば直ぐに捩れてしまうものなのだ。
「傷ついた」と思った時には同時に相手を傷つけている。
哀しいのは私だけではないのだと己を慰めるしかなかった。
また互いに縁を手繰り寄せることが出来ればそれに越したことはない。
「にんげんだもの」その一言で解決出来ればどんなに救われるだろうか。
再び互いの信頼を取り戻すには必要な「時」がある。
秋が深まりやがて冬が来れば出会った頃の春もきっと訪れるだろう。
曇り日。気温は高くはなかったが少し蒸し暑く
やはり梅雨時のようであった。
10月の朝顔。こぼれ種から育ったそれは逞しく伸び
一日置きに花を咲かせてくれるのだった。
今朝はお休みで昨日の花がしぼんでいるのが見えた。
終わった花を摘んでやるべきかと迷う。
これも調べてみるべきだろう。どんな状態が好ましいかだ。
ようく見ると花芽が次々に出来ている。12月まで咲くかもしれない。
「自分のペースで咲く」それは人にも当てはまることだろう。
皆と一緒でなくても良い。咲きたい時に咲けば良いのだ。

午前中にカーブスへ行っていたがうっかり杖を忘れていた。
忘れる位だから今朝は痛みもなく調子が良かったのだろう。
しかしなんと心細いこと。筋トレは出来てもボードで足踏みが出来ない。
これまでどれ程杖に助けられていたかを思い知った。
コーチの女の子に励まされながら何とか一周することが出来る。
筋トレの後はストレッチだが汗が滝のように噴き出て来た。
成果はないように思えてもしっかり効いている証拠である。
困ったのは次の買い物であった。時間帯のせいか専用駐車場は満車だった。
仕方なく一般スペースへ停めたがもちろん颯爽とは歩けない。
やっと入口に辿り着き備えてあるカートにしがみついた。
カートさえあれば買い物は出来るがその後がまた一苦労である。
車までカートを押して行っても元の場所に戻さなくてはいけない。
「よっし」と気合を入れて両手に荷物を持ち必死で歩いた。
赤い羽根の共同募金とか申し訳ないがそれどころではなかった。
幸い声を掛けられることもなかったので逃げるように遠ざかる。
駐車スペースさえ空いていればそんな苦労をせずに済んだが
車椅子の人もいるだろう。身体の不自由な人は沢山いるのだと思う。
たかが左足一本ではないか。歩こうと思えば歩けるのだ。

午後はお昼寝をする前に動画を観た。
SNSで親しくしている人から是非にと薦められたのだった。
昨夜のうちにメールが届いていたのだが早寝の私のことである。
今朝まで気が付かずなんだか無視したような形になってしまった。
「おうち診療所」そんな医療施設があることを今まで知らずにいた。
小児がんなど難病の子供が家族と一緒に暮らせる「おうち」なのである。
4歳のいっちゃんは小児がんと闘っており余命宣告を受けていた。
天国へ行くことをいっちゃんに話すご両親の気持ちは何とも悲痛である。
最期はお母さんに抱っこされて安らかに息を引き取った。
まだ4歳の幼い命である。「辛い」の一言でどうして済まされようか。
こんなことはあってはならないと思うが現実はとても厳しく
今もって沢山の幼い命が失われていることを忘れてはならない。
おうち診療所
曇り日。今は小雨がぽつぽつと降っている。
気温からしてなんだか梅雨時の夜のようだ。
やはりセイタカアワダチソウだった。
今日は近くで見ることが出来て葉の形を確認する。
ブタクサの葉は蓬のようにギザギザがあるらしいが
そうではなく真っ直ぐに平らな葉だったのだ。
見渡すと辺り一面のセイタカアワダチソウである。
花粉症の夫は見ただけで鼻がむず痒いと言っていたが
ただの勘違いであり花粉症には全く影響がないのである。
じゃあブタクサはと思い見渡してもそれらしい花は咲いていなかった。
植物のことを調べるのは面白い。ひとつお利口さんになったようだ。

義父は予定通りに高知市の陸運支局へと向かう。
会社は民間車検場であるが大型車の中古新規登録が出来ないのだ。
高知市までは4時間近く掛かり一日仕事である。
忘れ物はないか書類に不備がないかと朝から大騒ぎであった。
午前中の検査には間に合わず午後の予約となる。
義父を送り出してから気が抜けたようになった。
同僚も同じらしくまるでのらくら一等兵と二等兵のようである。
仕事は立て込んでいたがそこそこにしか出来なかった。
8月末に購入した運搬車である。検査までなんと長い道のりだったことか。
外注先の工場にお世話にならなければとても無理であった。
義父から無事完了の報告があるのを待っていたが未だ連絡がない。
不備があれば大騒ぎするはずだからきっと大丈夫だったのだろう。
法務局へ行く用事があり2時過ぎに退社した。
こんなに早く帰れるのは久しぶりである。
FMラジオでは「アルフィー」の特集をしており何と嬉しい。
今年は結成50周年なのだそうだ。
昔好きだった人の影響で私もすっかりファンになっていた。
4時前に帰宅。自室で一服してから夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。
ラストの悪者を成敗するシーンが好きでたまらない。
決して血の海にはならないのだ。悪者が次々に息絶えて行く。
今の世では考えられないことだが奉行の刀は将軍様から授かった物で
人を殺めても罪にはならないのだそうだ。
その悪者たちはそれぞれに病死とか急死として葬られるのである。
今週はずっと残業続きで帰宅が遅かったので今日はほっとした。
夕飯の支度まで横になることも出来て幸せとしか云いようがない。
毎日そう出来たらこの上ないことだが所詮無理な話だろう。
どんなに疲れても出来ることを精一杯に尽くしたいと思う。
夕方、あやちゃんの担任の先生と保健室の先生が訪ねて来てくれた。
週に一回は必ず来てくれて頭が下がる思いである。
しかし今日も駄目だった。「会いたくない」の一言で済ます。
どんなに宥めてもその意思は固くどうすることも出来ないのだ。
無理強いはいけないと学校からも指示を受けており
本当に申し訳なかったが夫が対応し引き取ってもらった。
昼間は「今日は先生が来るから」と笑顔で話していたらしい。
それがいざとなったら拒否である。いったい何が原因なのだろう。
理解出来ないことばかりで心配ばかりが募るこの頃であった。
娘は今日も6時半に帰宅。あやちゃんには声も掛けない。
「いつまでもこの家には居ないから」と言っていたが
子供達はいったいどうなってしまうのだろうと思う。
一人は引きこもり。一人は鍵っ子にするつもりだろうか。
私達じいもばあも何があっても家族だと思っている。
どれほど蔑まれてもこれほどまでに愛しい者があるだろうか。
雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。
能登の被災地も雨になっており気掛かりである。
再び豪雨などあってはならないことだ。
福井沖で発見された遺体はやはりあの少女だったようだ。
死因は窒息死とのこと。どんなにか苦しかったことだろう。
DNA鑑定でなければ身元が判明しなかったのは
残念ながら遺体が酷く傷んでいたものと思われる。
せめて直ぐに発見されていたらと思うと居たたまれない。
ご両親やご家族の心痛を思うと胸が張り裂けそうであった。
やっとご両親に会えたのだ。しかし帰る家はもうない。
悲惨な現実に圧し潰されてしまいそうだ。

今朝のことセイタカアワダチソウとブタ草は違う植物だと知った。
詳しく調べてみたがよく似ていて写真では判別し難い。
その上秋の花粉症の原因はブタ草の方らしいのだ。
セイタカアワダチソウの花粉は重く飛散することはないのだそうだ。
花はよく似ているが葉の形が違うのだそうである。
しかし普段から近くで見ることはあまりなく比べようがない。
もしかしたらずっとセイタカアワダチソウだと誤認していたのかも知れない。
そのブタ草かも知れない花が日に日に黄色くなっている。
何とも秋らしい風景であった。
義父はすっかり元気なり今日も工場の仕事に励んでくれた。
明日はやっと新しい運搬車の登録に行けるようになる。
その為にはまた臨時ナンバーが必要で市役所へと赴く。
流石に宿毛市役所は行き難く四万十市役所で手続きをした。
係の職員がまたM君で早くも再会が叶う。
新人職員とは思えない手際の良さに驚く。
来週の月曜日にはナンバーを返却に行くのでまた会えることだろう。
整形外科のリハビリもあったので帰宅がすっかり遅くなってしまった。
夫に入浴時間を少し遅らせてもらいなんとか夕食が整う。
ご飯が少なかったのでナポリタンを作った。
6時半に娘が帰宅しそのまま急いでダンス教室へと向かう。
残業はめったにないのだが今日は忙しかったのだろう。
仕事にはもう慣れたのだろうか。そんな会話も全く在りはしない。
今日は失禁をしてしまいGパンを汚してしまった。
入浴前にその現状をありありと確かめショックでならない。
汚れた下着を丸めてゴミ箱に放り込んだ。
今からこれでは10年後はどうなっているのだろう。
紙パンツのお世話になるのも近いのではないかと思う。
情けないったらありゃしない。もうすっかり糞ばばあである。
秋晴れの朝であったが次第に雲が広がり午後には雨が降り始める。
台風の影響ではなく秋雨前線が停滞しているのだそうだ。
残念ながら能登の被災地も雨になってしまった。
どうか再び豪雨にならないことを祈るばかりである。
彼岸花が盛りを過ぎたのだろう少しずつ枯れ始めている。
白い花は糸のようになり項垂れているが
紅い花は何とも憐れでまるで幽霊のようにも見える。
紫陽花もそうだったが散れない花の最後は悲哀に満ちていた。
「死人花」とも呼ばれている彼岸花はまさに「死」である。
やがては茎も跡形もなく消えてしまうのだが毒を持つ根は残るのだった。
決して死んでしまうわけではないが「死」を連想せずにはいられない。

今朝は緊急事態発生。義父が体調を崩し寝込んでしまっていた。
食当たりかもしれないが昨夜から激しい嘔吐とのこと。
病院へ連れて行こうとしたが嫌がりしばらく様子を見ることにする。
夏の間の疲労で胃が弱っているのかもしれなかった。
今日も仕事が立て込んでおり義父の代理で外注先へ向かう。
例の新しい運搬車の修理を依頼してあったのだが
臨時ナンバーを付けっぱなしにしており返却を迫られていた。
とにかくナンバーだけでもと思い出向いたのだが
もう修理が完了しているとのこと。車も引き取らなければならない。
会社まで戻り義父に相談したら「何としても行く」と言い出す。
無理をさせたくはなかったが胃薬を飲ませお昼まで様子を見ていた。
すると「あの胃薬はよう効くのう」となり吐き気が治まったようだ。
早速また二人で外注先へと走る。これでやっと一件落着となった。
会社へ戻り着くなり義父がナンバーを外してくれて
私は宿毛市役所へと急いだ。お咎めを受けるのではとはらはらである。
宿毛市役所は新庁舎となってから初めて行ったのだが
ロビーのなんと広いことだろう。杖を付きながらキョロキョロしていたら
親切そうな男性職員が駆け寄って来てくれて係まで案内してくれた。
昨日の四万十市役所でもそうだったが「杖」の力は偉大である。
優しく親切にしてもらい頭が下がる思いであった。
係の女性職員も笑顔でお咎めもなくなんとほっとしたことだろう。
会社へ戻り着くともう3時前になっていたが義父が車検をしてくれていた。
私だけ退社するわけにも行かず車検書類の準備を整える。
義父のおかげで2台の車検が完了し思いがけずに嬉しかった。
今朝の様子では今日は無理だと思っていたから大きな安堵である。
やっと4時に退社。朝からなんと目まぐるしかったことだろう。
疲れはあったがそれよりも達成感の方が勝っていた。
仕事をしていると「順調」こそが支えになる。
トラブルがあれば忽ち窮地に立たされるのだ。
誰一人倒れてはならない。今日ほどそう思った日はなかった。
この私だってまだ死ぬわけにはいかない。
雲一つない晴天。風は涼しく感じたが気温は30℃を超える。
10月に真夏日などかつてあっただろうか。
明日からしばらくは雨の日が続くとのこと。秋が深まるかもしれない。
昨夜もここに記したが福井沖の日本海で行方不明の少女が見つかったようだ。
まだ正式な発表はないが間違いないだろうと思う。
ご両親は着衣の写真だけしか見せてもらえなかったらしい。
たとえ遺体であってもどんなにか抱きしめたいことだろう。
DNA鑑定をしなければいけないらしくなんとももどかしく感じる。
悲痛としか云えない。悲しみよりももっと大きな痛みであった。
どんなにか怖かったことだろう。激流に呑み込まれた尊い命を想う。
雨が憎い。神様が憎い。どれほど憎んでも失った命は還って来ない。

朝一の納車があり幼馴染の家の前を通った。
そうしたら先日命日に届けたカランコエがそのまま放置されていた。
どうしよう困ったことになったと気が焦るばかりである。
騒ぎ立てるのも気が引けたが幼馴染のお姉さんに連絡をしてみた。
住んでいるはずのご主人も娘さんも移転していることを知る。
今は空家状態になっているそうで全く知らずにいたのだった。
お姉さんの計らいで無事にご主人の元に届けることが出来た。
水遣りもしてくれて仏壇に供えてくれたそうで何ともほっとする。
ほんのささやかな気持ちだったのだが伝わって本当に良かった。
四万十市役所に用事があり2時半に退社する。
申請用紙を記入していたら職員の男性が優しく声を掛けてくれた。
お互いが顔を見合わせなんと驚いたことだろう。
バドミントン時代の仲間であったM君である。
会うのは10年ぶり位だろうか彼はもう40歳になったのだそうだ。
M君は右半身に障害があったがそれは熱心にバドを頑張っていた。
私とダブルスを組んで試合に出たこともある。
もちろんぼろ負けだったがなんと懐かしいことだろうか。
仕事中のM君と長話も出来ず後ろ髪を引かれるように別れた。
障害があるためにずっと就職に苦労していたことを思うと
市の職員に採用され本当に良かったと思う。
まだまだこれからの人生なのだ。きっと素晴らしい未来が待っているだろう。
今日はもうひとつ嬉しいことがあった。
義父が猪の被害に遭った稲「十和錦」を作っている農家を探しており
もしかしたらと旧友に電話をしてみた。何とほぼ20年ぶりである。
米農家をしており昔「十和錦」を買ったことがあったのだ。
しかし残念ながら今は他の品種を作っているとのこと。
義父がすぐ横で返事を待っていたので用件だけのあっけない電話であった。
4時に帰宅。Gパンを短パンに着替えていたらその旧友から着信がある。
あまりにあっけない通話だったので掛け直してくれたのだった。
ゆっくりとお互いの近況を話すことが出来て嬉しかった。
車でほんの一時間の町に住んでいるのになんと疎かにしていたことか。
お互いに老いたけれど会おうと思えば会える距離である。
けれども若い頃のように颯爽と出掛けることが出来なくなってしまった。
ふと私のお葬式には来てくれるだろうかと思う。
縁起でもない話だけれどそんな年頃になったのだろう。
高校時代、文芸部の仲間でもあった。
彼女はもう詩を書いていないのかもしれない。
彼女の詩がとても好きだったことを一気に思い出す。
曇り時々晴れ。ぽつぽつと小雨が降る時間帯もあった。
秋雨前線と二つの台風があり爽やかな秋晴れとは行かないようだ。
能登地方は晴天の日が続いており必死の捜索活動が続いている。
今日は例の14歳の少女の制服が見つかったそうだ。
しかし発見には及ばず何とも痛ましく残念でならない。
制服はおそらく部屋の壁に掛けてあったのだろう。
きっと近くに居るような気がしてならない。
もう少しなのだ。一刻も早く見つかることを祈るばかりである。
母の命日であったが月末の仕事に追われそれどころではなかった。
母が見守っていてくれているはずだと信じて
精一杯のことを遣り遂げた一日だった。
お昼前にやっと大口の入金がある。どれほど待ち兼ねたことだろう。
おかげで取引先への支払いを全て終えほっと肩の荷を下ろす。
「何とかなったのだ」と思う。まるで奇跡のようにも思えた。
仕事は次々に入っており小口の入金も絶えることはないだろう。
とにかく自転車を漕ぎ続けることだ。決して休んではならない。
いつもは無関心な義父も今日ばかりは心配だったのだろう。
報告をすると「それは良かった」と笑顔を見せてくれた。
気の早い話だが私の気持ちはもう年末に向かっており
何としても乗り越えようと気合が入っている。
どうかこのまま順調に進むことが出来ることを祈るばかりである。

午後からも忙しく4時前に退社。ラジオからは「秋桜」が流れていた。
声枯れが酷く口ずさむことも出来なかったが大好きな歌だった。
買い物を済ませ5時前に帰宅する。もう横になる時間もない。
夫が乾燥機から洗濯物を出してくれていたが
籠にぎゅうぎゅう詰めに押し込んであり皴もつれになっていた。
いつもは座敷に広げてくれているのだが今日はどうしたことだろう。
怒るのも可哀想に思い黙って洗濯物を畳んだ。
毎日「洗濯物がかり」を頑張ってくれている夫には感謝しかない。
夕飯は珍しく二品作る。親子丼とあんかけ豆腐だった。
親子丼は直ぐに出来たがお豆腐を揚げるのが大変である。
揚げながらあんかけを作ろうとしたら片栗粉を切らしていた。
仕方なく小麦粉を代用したが白っぽいあんになってしまった。
でも味は良かったようで夫は文句も言わずに食べてくれる。
お刺身用に「びんよこ」を買って来ていたが私達は食べず
娘が帰宅してから切るように冷蔵庫に入れて置く。
最近めいちゃんがお刺身をよく食べるようになって
一節では足らなくなってしまったのだった。
食費は嵩む一方であるが娘には言えず何とかやり繰りをしている。
そうそう半額の食材は手に入らず家計は火の車であった。
あちらもこちらも大変だがきっと何とかなるだろう。
とにかくくよくよと思い悩んではいけない。
一か八かの勢いで日々を全うして行きたいと思っている。
9月が終わる。家中のカレンダーを10月にした。
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