ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月03日(木) ブタ草と糞ばばあ

雨のち曇り。幸い大雨にはならずに済む。

能登の被災地も雨になっており気掛かりである。

再び豪雨などあってはならないことだ。


福井沖で発見された遺体はやはりあの少女だったようだ。

死因は窒息死とのこと。どんなにか苦しかったことだろう。

DNA鑑定でなければ身元が判明しなかったのは

残念ながら遺体が酷く傷んでいたものと思われる。

せめて直ぐに発見されていたらと思うと居たたまれない。

ご両親やご家族の心痛を思うと胸が張り裂けそうであった。

やっとご両親に会えたのだ。しかし帰る家はもうない。

悲惨な現実に圧し潰されてしまいそうだ。




今朝のことセイタカアワダチソウとブタ草は違う植物だと知った。

詳しく調べてみたがよく似ていて写真では判別し難い。

その上秋の花粉症の原因はブタ草の方らしいのだ。

セイタカアワダチソウの花粉は重く飛散することはないのだそうだ。


花はよく似ているが葉の形が違うのだそうである。

しかし普段から近くで見ることはあまりなく比べようがない。

もしかしたらずっとセイタカアワダチソウだと誤認していたのかも知れない。


そのブタ草かも知れない花が日に日に黄色くなっている。

何とも秋らしい風景であった。



義父はすっかり元気なり今日も工場の仕事に励んでくれた。

明日はやっと新しい運搬車の登録に行けるようになる。

その為にはまた臨時ナンバーが必要で市役所へと赴く。

流石に宿毛市役所は行き難く四万十市役所で手続きをした。

係の職員がまたM君で早くも再会が叶う。

新人職員とは思えない手際の良さに驚く。

来週の月曜日にはナンバーを返却に行くのでまた会えることだろう。


整形外科のリハビリもあったので帰宅がすっかり遅くなってしまった。

夫に入浴時間を少し遅らせてもらいなんとか夕食が整う。

ご飯が少なかったのでナポリタンを作った。

6時半に娘が帰宅しそのまま急いでダンス教室へと向かう。

残業はめったにないのだが今日は忙しかったのだろう。

仕事にはもう慣れたのだろうか。そんな会話も全く在りはしない。



今日は失禁をしてしまいGパンを汚してしまった。

入浴前にその現状をありありと確かめショックでならない。

汚れた下着を丸めてゴミ箱に放り込んだ。

今からこれでは10年後はどうなっているのだろう。

紙パンツのお世話になるのも近いのではないかと思う。

情けないったらありゃしない。もうすっかり糞ばばあである。





2024年10月02日(水) 枯れ行く彼岸花

秋晴れの朝であったが次第に雲が広がり午後には雨が降り始める。

台風の影響ではなく秋雨前線が停滞しているのだそうだ。

残念ながら能登の被災地も雨になってしまった。

どうか再び豪雨にならないことを祈るばかりである。


彼岸花が盛りを過ぎたのだろう少しずつ枯れ始めている。

白い花は糸のようになり項垂れているが

紅い花は何とも憐れでまるで幽霊のようにも見える。

紫陽花もそうだったが散れない花の最後は悲哀に満ちていた。

「死人花」とも呼ばれている彼岸花はまさに「死」である。

やがては茎も跡形もなく消えてしまうのだが毒を持つ根は残るのだった。

決して死んでしまうわけではないが「死」を連想せずにはいられない。




今朝は緊急事態発生。義父が体調を崩し寝込んでしまっていた。

食当たりかもしれないが昨夜から激しい嘔吐とのこと。

病院へ連れて行こうとしたが嫌がりしばらく様子を見ることにする。

夏の間の疲労で胃が弱っているのかもしれなかった。


今日も仕事が立て込んでおり義父の代理で外注先へ向かう。

例の新しい運搬車の修理を依頼してあったのだが

臨時ナンバーを付けっぱなしにしており返却を迫られていた。

とにかくナンバーだけでもと思い出向いたのだが

もう修理が完了しているとのこと。車も引き取らなければならない。

会社まで戻り義父に相談したら「何としても行く」と言い出す。

無理をさせたくはなかったが胃薬を飲ませお昼まで様子を見ていた。

すると「あの胃薬はよう効くのう」となり吐き気が治まったようだ。


早速また二人で外注先へと走る。これでやっと一件落着となった。

会社へ戻り着くなり義父がナンバーを外してくれて

私は宿毛市役所へと急いだ。お咎めを受けるのではとはらはらである。


宿毛市役所は新庁舎となってから初めて行ったのだが

ロビーのなんと広いことだろう。杖を付きながらキョロキョロしていたら

親切そうな男性職員が駆け寄って来てくれて係まで案内してくれた。

昨日の四万十市役所でもそうだったが「杖」の力は偉大である。

優しく親切にしてもらい頭が下がる思いであった。

係の女性職員も笑顔でお咎めもなくなんとほっとしたことだろう。


会社へ戻り着くともう3時前になっていたが義父が車検をしてくれていた。

私だけ退社するわけにも行かず車検書類の準備を整える。

義父のおかげで2台の車検が完了し思いがけずに嬉しかった。

今朝の様子では今日は無理だと思っていたから大きな安堵である。


やっと4時に退社。朝からなんと目まぐるしかったことだろう。

疲れはあったがそれよりも達成感の方が勝っていた。

仕事をしていると「順調」こそが支えになる。

トラブルがあれば忽ち窮地に立たされるのだ。


誰一人倒れてはならない。今日ほどそう思った日はなかった。

この私だってまだ死ぬわけにはいかない。



2024年10月01日(火) 縁さえあれば

雲一つない晴天。風は涼しく感じたが気温は30℃を超える。

10月に真夏日などかつてあっただろうか。

明日からしばらくは雨の日が続くとのこと。秋が深まるかもしれない。


昨夜もここに記したが福井沖の日本海で行方不明の少女が見つかったようだ。

まだ正式な発表はないが間違いないだろうと思う。

ご両親は着衣の写真だけしか見せてもらえなかったらしい。

たとえ遺体であってもどんなにか抱きしめたいことだろう。

DNA鑑定をしなければいけないらしくなんとももどかしく感じる。

悲痛としか云えない。悲しみよりももっと大きな痛みであった。

どんなにか怖かったことだろう。激流に呑み込まれた尊い命を想う。

雨が憎い。神様が憎い。どれほど憎んでも失った命は還って来ない。





朝一の納車があり幼馴染の家の前を通った。

そうしたら先日命日に届けたカランコエがそのまま放置されていた。

どうしよう困ったことになったと気が焦るばかりである。

騒ぎ立てるのも気が引けたが幼馴染のお姉さんに連絡をしてみた。

住んでいるはずのご主人も娘さんも移転していることを知る。

今は空家状態になっているそうで全く知らずにいたのだった。

お姉さんの計らいで無事にご主人の元に届けることが出来た。

水遣りもしてくれて仏壇に供えてくれたそうで何ともほっとする。

ほんのささやかな気持ちだったのだが伝わって本当に良かった。



四万十市役所に用事があり2時半に退社する。

申請用紙を記入していたら職員の男性が優しく声を掛けてくれた。

お互いが顔を見合わせなんと驚いたことだろう。

バドミントン時代の仲間であったM君である。

会うのは10年ぶり位だろうか彼はもう40歳になったのだそうだ。

M君は右半身に障害があったがそれは熱心にバドを頑張っていた。

私とダブルスを組んで試合に出たこともある。

もちろんぼろ負けだったがなんと懐かしいことだろうか。

仕事中のM君と長話も出来ず後ろ髪を引かれるように別れた。

障害があるためにずっと就職に苦労していたことを思うと

市の職員に採用され本当に良かったと思う。

まだまだこれからの人生なのだ。きっと素晴らしい未来が待っているだろう。


今日はもうひとつ嬉しいことがあった。

義父が猪の被害に遭った稲「十和錦」を作っている農家を探しており

もしかしたらと旧友に電話をしてみた。何とほぼ20年ぶりである。

米農家をしており昔「十和錦」を買ったことがあったのだ。

しかし残念ながら今は他の品種を作っているとのこと。

義父がすぐ横で返事を待っていたので用件だけのあっけない電話であった。


4時に帰宅。Gパンを短パンに着替えていたらその旧友から着信がある。

あまりにあっけない通話だったので掛け直してくれたのだった。

ゆっくりとお互いの近況を話すことが出来て嬉しかった。

車でほんの一時間の町に住んでいるのになんと疎かにしていたことか。

お互いに老いたけれど会おうと思えば会える距離である。

けれども若い頃のように颯爽と出掛けることが出来なくなってしまった。


ふと私のお葬式には来てくれるだろうかと思う。

縁起でもない話だけれどそんな年頃になったのだろう。


高校時代、文芸部の仲間でもあった。

彼女はもう詩を書いていないのかもしれない。

彼女の詩がとても好きだったことを一気に思い出す。







2024年09月30日(月) 自転車操業

曇り時々晴れ。ぽつぽつと小雨が降る時間帯もあった。

秋雨前線と二つの台風があり爽やかな秋晴れとは行かないようだ。

能登地方は晴天の日が続いており必死の捜索活動が続いている。

今日は例の14歳の少女の制服が見つかったそうだ。

しかし発見には及ばず何とも痛ましく残念でならない。

制服はおそらく部屋の壁に掛けてあったのだろう。

きっと近くに居るような気がしてならない。

もう少しなのだ。一刻も早く見つかることを祈るばかりである。



母の命日であったが月末の仕事に追われそれどころではなかった。

母が見守っていてくれているはずだと信じて

精一杯のことを遣り遂げた一日だった。


お昼前にやっと大口の入金がある。どれほど待ち兼ねたことだろう。

おかげで取引先への支払いを全て終えほっと肩の荷を下ろす。

「何とかなったのだ」と思う。まるで奇跡のようにも思えた。

仕事は次々に入っており小口の入金も絶えることはないだろう。

とにかく自転車を漕ぎ続けることだ。決して休んではならない。

いつもは無関心な義父も今日ばかりは心配だったのだろう。

報告をすると「それは良かった」と笑顔を見せてくれた。


気の早い話だが私の気持ちはもう年末に向かっており

何としても乗り越えようと気合が入っている。

どうかこのまま順調に進むことが出来ることを祈るばかりである。





午後からも忙しく4時前に退社。ラジオからは「秋桜」が流れていた。

声枯れが酷く口ずさむことも出来なかったが大好きな歌だった。

買い物を済ませ5時前に帰宅する。もう横になる時間もない。

夫が乾燥機から洗濯物を出してくれていたが

籠にぎゅうぎゅう詰めに押し込んであり皴もつれになっていた。

いつもは座敷に広げてくれているのだが今日はどうしたことだろう。

怒るのも可哀想に思い黙って洗濯物を畳んだ。

毎日「洗濯物がかり」を頑張ってくれている夫には感謝しかない。


夕飯は珍しく二品作る。親子丼とあんかけ豆腐だった。

親子丼は直ぐに出来たがお豆腐を揚げるのが大変である。

揚げながらあんかけを作ろうとしたら片栗粉を切らしていた。

仕方なく小麦粉を代用したが白っぽいあんになってしまった。

でも味は良かったようで夫は文句も言わずに食べてくれる。


お刺身用に「びんよこ」を買って来ていたが私達は食べず

娘が帰宅してから切るように冷蔵庫に入れて置く。

最近めいちゃんがお刺身をよく食べるようになって

一節では足らなくなってしまったのだった。

食費は嵩む一方であるが娘には言えず何とかやり繰りをしている。

そうそう半額の食材は手に入らず家計は火の車であった。


あちらもこちらも大変だがきっと何とかなるだろう。

とにかくくよくよと思い悩んではいけない。

一か八かの勢いで日々を全うして行きたいと思っている。


9月が終わる。家中のカレンダーを10月にした。



2024年09月29日(日) 歳月は「薬」

曇り日。気温は高くなかったが蒸し暑さを感じる。

九州では初秋とは思えない程の暑さになったようだ。

台風18号が北上しており進路が気になるところだが

能登にだけは接近しないで欲しいと願わずにいられない。

あの14歳の少女は今日も見つからなかったようだ。

ご家族の気持ちを思うとなんとも痛ましくてならない。



10時からの法事で早めに山里へと向かう。

お供えする精進料理だが今はドライフードがあり便利になっている。

昔は高野豆腐を煮たりお白和えを作ったりしたものだ。

せめて一品でも手作りの物を供えてやりたかったが

結局は何も作れず母や義祖母に申し訳なかった。


お寺さんが少し早めに来てくれて読経が始まる。

難しいお経ではなかったのでなんとも心に沁みた。

ほっこりと優しい気持ちになり母や義祖母を偲ぶ。


法事は亡くなった人のためにするのではなく

生きて残された人達のためにするのだと思う。

一周忌、三回忌、七回忌と歳月は「薬」に他ならない。

どれ程の寂しさも辛さも時が癒してくれるのだろう。


弟達が不参加だったので10名ほどのささやかさであった。

会食はいつもお世話になっている「一風」へと向かう。

料理はお任せしてあったが十分に準備してくれていた。

伯母の孫である健君のなんと可愛らしいことだろう。

鮪の握り寿司が大好きだそうで追加で注文した。

にこにこと美味しそうに食べてくれて心が和む。

めいちゃんも連れて来てやれば良かったのだが

娘達は今日も外出で不参加を申し出ていた。

弟にも話したのだが母の一周忌だけではないのでその方が良いだろう。


義父を頭に男性陣は生ビールを飲み大いに盛り上がっていた。

酒盛りが好きだった母。賑やかなのが好きだった義祖母も喜んだことだろう。


そうして無事に法事が終り肩の荷が下りた気がした。

母の命日は明日だが私には月末の仕事が待っている。

「あんたは偉いねえ」と母に言って貰えるように精一杯でありたい。

酔っぱらった義父が私だけが頼りだと言ってくれたのがとても嬉しかった。







2024年09月28日(土) ご機嫌如何?

薄曇りの空。風が無かったせいか蒸し暑さを感じた。

すっきりと秋らしい気温になるのはいつのことだろう。


待ち侘びていた秋桜が咲き始めた。

まだ一輪二輪だが嬉しくてならない。

昨日は気づかなかったのだ。秋桜に申し訳ない。


背高泡立ち草も三角の帽子が黄色くなり始めている。

「ブタ草」とも呼ばれ嫌う人が多いが私は好きであった。

花に何の罪があるのだろう。外来種の駆除対象になっているようだ。

いったいいつ頃日本に渡って来たのだろう。

子供の頃には全く見た記憶がなかった。




朝のうちにお供え物などを買いその足で山里へ向かう。

義父も居てくれたが伯母が手伝いに来てくれ大いに助かる。

「お団子」を作って持って来てくれたのだ。

法事には欠かせないものなので伯母の心遣いが身に沁みる。


併修なので母と義祖母の遺影と位牌を飾る。

なんだか母の顔が歪んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

義祖母はおっとりとした優しい人であったが

母とは折り合いが悪くしょっちゅういざこざが絶えなかったのだ。

母が義祖母を虐めるのである。荒々しい声で怒鳴ることもあった。

特に義祖母が寝たきりになってからの母の態度は目に余る程だった。

優しさには優しさが返って来ると云うが母は最期まで冷酷を貫く。

いったい何が母をそうさせたのだろうと未だに理解出来ない。


そんな二人の併修である。母の機嫌が良いわけはなかった。

けれども共にあの世で暮らせば心が通じ合うこともあるだろう。

そう思わなければ救われないような気持になった。


2時間程で準備を終え帰宅した。後は明日の法事を待つだけである。

それにしてもこの一年のなんと早かったことだろう。

母の遺品の整理もせずほったらかしのままである。

忙しさのせいにしているがそれが私の薄情さでもあるだろう。

ゆっくりと母と向き合うことをしなかった一年でもある。




午後は少しお昼寝をしてから短歌を一首だけ書いた。

やはり書きたい時に書くのが一番のようだ。

SNSで「#短歌写真部」とハッシュタグを付けて発信すれば

自動的に「NHK短歌」に投稿したことになる仕組みになっている。

つい最近まで知らなかったが何事も試してみなければと思った。

溺れる者は藁をもつかむ。まさにその諺通りである。



朝から出掛けていた娘達がやっと帰って来たようだ。

何処に行くとも教えてはくれなかったので心配していたところである。

いつも留守番のあやちゃんが不憫でならないが

大きなお世話の老婆心に他ならないだろう。

とにかく一切の干渉を断つこと。それが我が家の掟であった。

最初のうちは寂しさを感じたが今ではもうすっかり慣れてしまった。


家族のようで家族ではない。それぞれの暮らしを楯に今夜も更けていく。



2024年09月27日(金) ご褒美の生クリーム

朝の涼しさもつかの間。日中は真夏日となり暑さが堪える。

江川崎では34℃を超え日本一の暑さだったようだ。

秋の気配は感じるものの潔くは去れない夏の「迷い」を感じる。

地球温暖化、異常気象と当たり前のように云われているが

季節感の薄れに戸惑うことの多いこの頃である。


出勤前に幼馴染の家へ行き玄関先にカランコエをそっと置いておく。

ご主人も娘さんも居るのだが敢えて声を掛けずに立ち去った。

もう8年目の命日であるがつい昨日のように悲しみが押し寄せて来る。

かつてあれほど泣き崩れたことがあっただろうか。

まるで片腕を失ったような喪失感であった。




義父が居てくれたおかげで仕事が捗り午前中に納車を済ます。

同僚は通院日で午後から休みになっていた。

今週の車検は全て順調に終り肩の荷が下りたような気がする。

明日は一般修理の予約が入っており同僚は忙しくなりそうだ。


義父の姉と妹に当たる伯母たちが来てくれて法事の準備をしてくれた。

母の一周忌と義祖母の7回忌を併修にすることになっている。

明後日のことだが気が気ではなく私もそわそわとしていた。

仕事の片手間に準備は出来ず伯母たちの助けがとてもありがたい。

明日はカーブスを休み私も準備をする予定である。


それにしてもこの一年の何と早かったことだろう。

母はもうこの世に居ないけれど未だに信じられずにいる。

母の夢を見る度に「生きている」と思う。

母の顔も声も鮮明に「この世」にあるのだった。





午後から開店休業状態だったので2時に退社する。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行っていた。

市営住宅なのでもう一人のお客さんも加わりしばし雑談をする。

車のトラブルは全て任せるからと言ってくれて嬉しかった。

「信用」と「信頼」は商売の大切な基本である。



サニーマートで買い物を終えて外に出たら甘い匂いが漂っていた。

移動販売のクレープ屋さんが来ていたのだった。

甘い物は滅多に食べないが今日は何となく食べたくてならない。

頑張ったご褒美だと思い「チョコバナナ」を注文する。


それが予想以上にボリュームがあり驚く。

これでもかと思う程の生クリームであった。

クレープはかぶりつくものらしいが何と食べ難いこと。

Tシャツを汚してしまったが気にせずに平らげる。

胃の中は生クリームでもう勘弁して下さい状態になっていた。

美味しかったがもう二度と食べてはならないと思う。


おかげで夕食は殆ど食べられず胃もたれに悩まされていた。

夫はへらへらと笑うばかりである。

けれどもご褒美は必要。今日は華金ではないか。


やれるだけのことを全うしたのだと思う。

頑張ったのではない。ひたすら生き抜いたのだろう。


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