ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年09月29日(日) 歳月は「薬」

曇り日。気温は高くなかったが蒸し暑さを感じる。

九州では初秋とは思えない程の暑さになったようだ。

台風18号が北上しており進路が気になるところだが

能登にだけは接近しないで欲しいと願わずにいられない。

あの14歳の少女は今日も見つからなかったようだ。

ご家族の気持ちを思うとなんとも痛ましくてならない。



10時からの法事で早めに山里へと向かう。

お供えする精進料理だが今はドライフードがあり便利になっている。

昔は高野豆腐を煮たりお白和えを作ったりしたものだ。

せめて一品でも手作りの物を供えてやりたかったが

結局は何も作れず母や義祖母に申し訳なかった。


お寺さんが少し早めに来てくれて読経が始まる。

難しいお経ではなかったのでなんとも心に沁みた。

ほっこりと優しい気持ちになり母や義祖母を偲ぶ。


法事は亡くなった人のためにするのではなく

生きて残された人達のためにするのだと思う。

一周忌、三回忌、七回忌と歳月は「薬」に他ならない。

どれ程の寂しさも辛さも時が癒してくれるのだろう。


弟達が不参加だったので10名ほどのささやかさであった。

会食はいつもお世話になっている「一風」へと向かう。

料理はお任せしてあったが十分に準備してくれていた。

伯母の孫である健君のなんと可愛らしいことだろう。

鮪の握り寿司が大好きだそうで追加で注文した。

にこにこと美味しそうに食べてくれて心が和む。

めいちゃんも連れて来てやれば良かったのだが

娘達は今日も外出で不参加を申し出ていた。

弟にも話したのだが母の一周忌だけではないのでその方が良いだろう。


義父を頭に男性陣は生ビールを飲み大いに盛り上がっていた。

酒盛りが好きだった母。賑やかなのが好きだった義祖母も喜んだことだろう。


そうして無事に法事が終り肩の荷が下りた気がした。

母の命日は明日だが私には月末の仕事が待っている。

「あんたは偉いねえ」と母に言って貰えるように精一杯でありたい。

酔っぱらった義父が私だけが頼りだと言ってくれたのがとても嬉しかった。







2024年09月28日(土) ご機嫌如何?

薄曇りの空。風が無かったせいか蒸し暑さを感じた。

すっきりと秋らしい気温になるのはいつのことだろう。


待ち侘びていた秋桜が咲き始めた。

まだ一輪二輪だが嬉しくてならない。

昨日は気づかなかったのだ。秋桜に申し訳ない。


背高泡立ち草も三角の帽子が黄色くなり始めている。

「ブタ草」とも呼ばれ嫌う人が多いが私は好きであった。

花に何の罪があるのだろう。外来種の駆除対象になっているようだ。

いったいいつ頃日本に渡って来たのだろう。

子供の頃には全く見た記憶がなかった。




朝のうちにお供え物などを買いその足で山里へ向かう。

義父も居てくれたが伯母が手伝いに来てくれ大いに助かる。

「お団子」を作って持って来てくれたのだ。

法事には欠かせないものなので伯母の心遣いが身に沁みる。


併修なので母と義祖母の遺影と位牌を飾る。

なんだか母の顔が歪んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

義祖母はおっとりとした優しい人であったが

母とは折り合いが悪くしょっちゅういざこざが絶えなかったのだ。

母が義祖母を虐めるのである。荒々しい声で怒鳴ることもあった。

特に義祖母が寝たきりになってからの母の態度は目に余る程だった。

優しさには優しさが返って来ると云うが母は最期まで冷酷を貫く。

いったい何が母をそうさせたのだろうと未だに理解出来ない。


そんな二人の併修である。母の機嫌が良いわけはなかった。

けれども共にあの世で暮らせば心が通じ合うこともあるだろう。

そう思わなければ救われないような気持になった。


2時間程で準備を終え帰宅した。後は明日の法事を待つだけである。

それにしてもこの一年のなんと早かったことだろう。

母の遺品の整理もせずほったらかしのままである。

忙しさのせいにしているがそれが私の薄情さでもあるだろう。

ゆっくりと母と向き合うことをしなかった一年でもある。




午後は少しお昼寝をしてから短歌を一首だけ書いた。

やはり書きたい時に書くのが一番のようだ。

SNSで「#短歌写真部」とハッシュタグを付けて発信すれば

自動的に「NHK短歌」に投稿したことになる仕組みになっている。

つい最近まで知らなかったが何事も試してみなければと思った。

溺れる者は藁をもつかむ。まさにその諺通りである。



朝から出掛けていた娘達がやっと帰って来たようだ。

何処に行くとも教えてはくれなかったので心配していたところである。

いつも留守番のあやちゃんが不憫でならないが

大きなお世話の老婆心に他ならないだろう。

とにかく一切の干渉を断つこと。それが我が家の掟であった。

最初のうちは寂しさを感じたが今ではもうすっかり慣れてしまった。


家族のようで家族ではない。それぞれの暮らしを楯に今夜も更けていく。



2024年09月27日(金) ご褒美の生クリーム

朝の涼しさもつかの間。日中は真夏日となり暑さが堪える。

江川崎では34℃を超え日本一の暑さだったようだ。

秋の気配は感じるものの潔くは去れない夏の「迷い」を感じる。

地球温暖化、異常気象と当たり前のように云われているが

季節感の薄れに戸惑うことの多いこの頃である。


出勤前に幼馴染の家へ行き玄関先にカランコエをそっと置いておく。

ご主人も娘さんも居るのだが敢えて声を掛けずに立ち去った。

もう8年目の命日であるがつい昨日のように悲しみが押し寄せて来る。

かつてあれほど泣き崩れたことがあっただろうか。

まるで片腕を失ったような喪失感であった。




義父が居てくれたおかげで仕事が捗り午前中に納車を済ます。

同僚は通院日で午後から休みになっていた。

今週の車検は全て順調に終り肩の荷が下りたような気がする。

明日は一般修理の予約が入っており同僚は忙しくなりそうだ。


義父の姉と妹に当たる伯母たちが来てくれて法事の準備をしてくれた。

母の一周忌と義祖母の7回忌を併修にすることになっている。

明後日のことだが気が気ではなく私もそわそわとしていた。

仕事の片手間に準備は出来ず伯母たちの助けがとてもありがたい。

明日はカーブスを休み私も準備をする予定である。


それにしてもこの一年の何と早かったことだろう。

母はもうこの世に居ないけれど未だに信じられずにいる。

母の夢を見る度に「生きている」と思う。

母の顔も声も鮮明に「この世」にあるのだった。





午後から開店休業状態だったので2時に退社する。

帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行っていた。

市営住宅なのでもう一人のお客さんも加わりしばし雑談をする。

車のトラブルは全て任せるからと言ってくれて嬉しかった。

「信用」と「信頼」は商売の大切な基本である。



サニーマートで買い物を終えて外に出たら甘い匂いが漂っていた。

移動販売のクレープ屋さんが来ていたのだった。

甘い物は滅多に食べないが今日は何となく食べたくてならない。

頑張ったご褒美だと思い「チョコバナナ」を注文する。


それが予想以上にボリュームがあり驚く。

これでもかと思う程の生クリームであった。

クレープはかぶりつくものらしいが何と食べ難いこと。

Tシャツを汚してしまったが気にせずに平らげる。

胃の中は生クリームでもう勘弁して下さい状態になっていた。

美味しかったがもう二度と食べてはならないと思う。


おかげで夕食は殆ど食べられず胃もたれに悩まされていた。

夫はへらへらと笑うばかりである。

けれどもご褒美は必要。今日は華金ではないか。


やれるだけのことを全うしたのだと思う。

頑張ったのではない。ひたすら生き抜いたのだろう。



2024年09月26日(木) 専務おばば

朝は肌寒いほどだったが日中は真夏日となる。

本格的な秋にはまだ程遠いのだろう。

もうしばらく夏の名残を楽しむのも良いかもしれない。

やがては寒い冬がやって来るが一年で最も苦手な季節である。



例年なら柿の実が色づき始めるころ。

職場には2本の柿の木があるが今年は一個も実を付けていない。

おそらく大繁殖していたカメムシの影響ではないだろうか。

葉ばかりの柿の木のなんと寂しげなことだろう。


今朝は板金塗装済みの車があり義父と納車に行っていた。

すぐ近くに義父の田んぼがあるので様子を見に行く。

先日から猪の被害にあっており義父も気が気ではないようだ。

最後に植えた稲で「十和錦」という銘柄の匂い米である。

もちろん食糧米だが猪も美味しいお米を知っているのだろう。

飼料米には目もくれず匂い米ばかり食べに来るのだった。


田んぼを見て唖然とする。もう稲刈りの必要もないほど荒らされていて

田んぼの片隅に僅かに稲が残っているだけなのだ。

幸い全部の田んぼではなさそうだが義父の失望は大きかった。

来月になれば最後の稲刈りを予定している。このままでは一刻を争う。


仕事は今日も忙しく飛び込みで一般修理のお客さんもあった。

完全予約制なのだが無下に断るわけにもいかない。

仕方なく今日の予約のお客さんに午後まで待ってもらうことにした。

私が段取りをするものだから同僚の機嫌がすこぶる悪い。

義父は田んぼの草刈りに出掛け全く知らん顔である。


例の大口の入金は今日も無かったが小口の入金がけっこうあった。

金庫が潤う。このまま行けば月末を乗り越えられるかもしれない。

落胆よりも希望である。笑う門には福来ると云うではないか。

とにかくくよくよしないことだ。笑顔を忘れずにいよう。



整形外科のリハビリの日だったので2時に退社。

予約時間まで余裕があたので先に法務局へ行く。

母が亡くなって取締役が減り新しい謄本が必要だった。

義父はしきりに私に専務をと勧めてくれていたが

夫と相談の上、辞退してしまったのだった。

責任が重過ぎるのだそうだ。今まで通りの事務員で居ろと云う。

私は「専務おばば」に少し憧れていた。職業は「会社役員」である。

なんだかめっちゃかっこいい肩書に思えてならなかったのだ。



リハビリを終えてサニーマートでゆっくりと買い物をする。

お惣菜を2種類買って後は2品ほど作ることにした。

「茹で卵と胡瓜のサラダ」「エリンギのオイスターソース炒め」


セルフレジで精算を済ませて入口近くの花屋さんで足を止めた。

可愛らしいピンクのカランコエの鉢がとても気に入る。

自分の為ではなかった。明日は幼馴染の命日なのでそっと届けようと思う。

助手席にカランコエを宝物のように載せて家に帰った。


帰宅して洗濯物を畳みながら夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。

もう4時半だったのでラストが近かったがそのラストが豪快で面白い。

悪人たちが次々に成敗されるのだが決して残虐ではなかった。

血が流れるシーンは殆ど無く安心して見ていられるのだ。



夕食後も短歌は書かずただ沈む夕陽を仰いでいた。

私は「わたし」以外の何者でもなかったが

存在すると云うことはもしかしたら奇跡かもしれないと思う。








2024年09月25日(水) 秋桜を待つ

夜明け前には小雨が降っていたが日中は次第に晴れて来る。

真夏日にこそならなかったが陽射しには夏の名残を感じた。


朝の道では県道沿いにキバナコスモスが満開になっている。

秋桜より早く咲くが同じ仲間なのだそうだ。

肝心の秋桜はまだ何処にも咲いておらず心待ちにするばかり。

やはり猛暑が続いたせいだろうか草花も戸惑っているようだった。


私はどんな花も好きだが秋桜が一番好きである。

特に白い秋桜が好きで見つけた時のなんと嬉しいことだろう。

清楚な純白。穢れを知らない乙女のような花であった。

子供の頃からの憧れはこの歳なっても変わりはしないのだ。

花言葉は「優美、純潔」いささか私には縁遠い言葉である。



仕事は相変わらずの忙しさ。それが面白くてならない。

午後からシステムサポートのO君が診断機のメーカーの人と来てくれた。

来月から始まるOBD検査の手順を教えに来てくれたのだ。

複雑のようでありながらやってみると結構簡単であった。

ただ義父はノートパソコンを一切使うことが出来ない。

仕方なく私と二人係で検査をしなければいけなくなりそうだ。

もうすぐ68歳の私と81歳になる義父との高齢コンビである。

お国が決めた事なので問答無用であるがどうなることだろうか。


O君たちが帰ってから車検を一台仕上げる。

納車に行っていたらすっかり遅くなり4時になっていた。

昨日も遅かったので焦りながら帰路に就く。

今日こそはちゃんとした夕飯をと思っていたのだが

結局はサニーマートのお惣菜ばかり買ってしまう。


5時に帰宅すると大量の洗濯物が待っていた。

急いで畳んでいると夫が早くもお風呂に入ろうとする。

せめて畳み終えるまで待ってくれないかと引き止めた。

とにかく毎日同じ時間にお風呂に入りたがる。

5時半には晩酌を始めるのも同じであった。

そこで腹を立てるような私ではなかったがつい苛立ってしまう。

「イカのお刺身」を買って来ていたので夫に与え

急いで茄子と豚バラを炒める。お惣菜ばかりではあんまりだろう。

一品は作りたい。簡単な物でもあれば食卓が映えて来る。


食後やっと一息。自室の窓から暮れていく空を眺めていた。

煙草が美味しく立て続けに2本も吸ってしまった。

慌ただしい一日だったが今日も全うしたのだなと思う。



入浴後にはこの日記を書くのが日課だが

投票ランキング上位に食い込んでおりとても励みになっている。

以前は一人だけだったが最近になり増えているようだった。

劣等感のかたまりである私にとっては神様のように思える。

こんな日記でも読んでくれる人が居てくれるだけで有難いことだ。


ある日突然に書けなくなる日も来るだろう。

そうなればもう死んだも同然のように思えてならない。

どうかどうか明日も書かせてください。

ノートパソコンを閉じる時にはいつも手を合わせている。







2024年09月24日(火) 夏の忘れ形見

爽やかな秋晴れの朝であったがそれもつかの間のこと。

10時頃には厚い雲に覆われ雨が降り出してしまった。

「洗濯物がかり」の夫の云う通りになる。


気温も上がらず随分と秋らしくなった。

吹き抜ける風のなんと心地よいことだろう。


職場の百日紅はもうすっかり散ってしまったが

まだあちらこちらに咲いているのを見かける。

もうとっくに百日は過ぎているはずであった。

なんと健気で逞しい花だろうか。

なんだか夏の忘れ形見のように思えてならない。




連休明けの仕事は活気があってよろしい。

義父も待機してくれていて順調に仕事が捗る。

驚いたのは連休の間に稲刈りを終わらせていたこと。

もう荷造りも出来ており工場には8トンの飼料米が積まれていた。

近いうちに出荷するようだが価格は期待できないとのこと。

食糧米よりずっと安値でくたびれ儲けとなりそうである。

国の補助金が無ければとても採算は取れないだろう。


車検の予約が次々に入っておりもう10月の半ばまで埋まった。

これから年末に掛けてが勝負だと思う。

とにかく稼がなければならない。まるで金の亡者のようになる。

例の大口の入金は今日も無く肩を落とすばかりであった。

相手先に問い合わせたらもう少し待って欲しいとのこと。

月末までに入金が無ければ会社はどん底になってしまうのだ。

資金の余裕が無いと大風呂敷も広げられない。

あまり催促をするのもみっともないと義父から注意を受けた。




仕事が忙しく4時半に退社。もうサニーマートへ寄る時間がない。

いつもは自動車専用道路を通るのだが今日は国道を走った。

国道沿いの「ちきん館」に寄り「丸っぽ鶏」を買い求める。

5時過ぎに帰宅したがもう横になる時間もなかった。

「丸っぽ鶏」は鶏の姿そのままのローストチキンである。

夫に解してもらっている間に大量の洗濯物を畳む。

よっこらしょと立ち上がったら軽く眩暈がした。

仕事は辛くはないのだが身体は正直になっているらしい。

まだまだゴールは見えないのだ。気合で乗り切るしかないだろう。


食後やっと自室で寛ぐ。煙草さえあれば生きていけると思った。

もしそれで寿命が縮まっても自業自得なのだ。

我慢するのはもう二度と御免だと思う。好きなように生きたい。


届いていた短歌雑誌をぱらぱらと捲って見たが

当然のように私の短歌は何処にも見当たらなかった。

このままでは一生救われることはないだろう。

「めげる」何度でもめげる。そうしてまた這い上がって行く。


あとどれくらいの生涯だろう。まさか今日が最後ではあるまい。

可能性を信じること。希望を失わないことである。



2024年09月23日(月) 奇跡の朝顔

暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものである。

今朝は一気に気温が下がり肌寒さを感じた。

日中も30℃に届かずエアコン無しでも過ごせるほどに。

先日までの猛暑が嘘のようであった。


北海道では山に初雪が降ったようだ。

もうストーブの季節である。

能登の被災地は晴れていたようだがなんと悲惨な有り様だろう。

死者も7人に増えまだ行方不明者の捜索が続いている。

一人で留守番をしていた14歳の少女は家ごと土砂に流されてしまった。

どんなにか怖ろしかったことだろう。地獄としか云いようがない。

地震にも負けず残った家が跡形もなく消えてしまったのだ。

ご両親の気持ちを思うと心が締め付けられるように痛んでならない。

能登の人達に何の罪があるのだろう。神も仏も恨みたくなってくる。




こぼれ種から芽を出していた朝顔が咲いた。

紫に白い筋の入った可愛らしい花である。

季節外れではあるがまだ蕾を付けており明日もきっと咲くだろう。

自然の営みのなんと感動的なことだろう。奇跡の朝顔に思える。

咲かそうと思って蒔いた種ではないのだ。

2年ものあいだ土の中で眠っていた尊い命である。



午後、固定電話を解約した。祝日でもネットで簡単に出来て助かる。

家族がみな携帯電話を持っており全く使っていなかったのだ。

着信があっても迷惑電話ばかりで通話拒否をし続けていた。

詐欺被害の多い昨今である。固定電話が必要とはもう思えなくなった。


以前はよくあやちゃんのお友達から掛かって来ていたが

もう一年以上も誰からもなかった。

お友達ももうスマホの時代なのだろう。

あやちゃんはまだ持っておらず仲間外れかもしれなかった。

けれどもタブレットとパソコンさえあれば十分なのだそうで

子供部屋に置いてあった固定電話の子機を片付けてしまったのだ。

「友達」を諦めてしまったのだろう。それも憐れなことである。



午後2時間程お昼寝。3時には目覚めていたが今日も短歌は書かない。

やはり書きたい時に発作のように書くのが一番に思う。

大相撲が終り夫は気が抜けたように過ごしていたが

4時から「暴れ奉行」と云うかなり古い時代劇を観ていた。

「子連れ狼」はもう終ってしまったのだそうだ。


気になったので調べてみたらなんと47年前の時代劇である。

主役の萬屋錦之助はもうこの世にいなかった。

若い頃の千昌夫、大谷直子などが出演しており興味深い。

夫がまた楽しみな番組があり良かったなと思う。

私も早く帰れた日には一緒に見ようと思った。



明日はやっとする仕事があるのだが金策で頭を悩ませている。

例の大口の入金が遅れており月末に間に合うだろうかと心配だった。

29日には母の一周忌を控えておりお布施も用意しなければいけない。

「何とかなるだろう」そう思えるほど私は楽天家ではなかった。


生まれ持った性分とは厄介なものである。

私は父に似たのか神経質でくよくよと思い悩むのが常であった。

母ならばきっと笑い飛ばしてくれたことだろう。


目の前の荒海に飛び込む勇気はなかったが

難破船にしがみつく気力はありそうだった。

成るようになってこそ生きている甲斐があるのだろう。






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