朝は肌寒いほどだったが日中は真夏日となる。
本格的な秋にはまだ程遠いのだろう。
もうしばらく夏の名残を楽しむのも良いかもしれない。
やがては寒い冬がやって来るが一年で最も苦手な季節である。
例年なら柿の実が色づき始めるころ。
職場には2本の柿の木があるが今年は一個も実を付けていない。
おそらく大繁殖していたカメムシの影響ではないだろうか。
葉ばかりの柿の木のなんと寂しげなことだろう。
今朝は板金塗装済みの車があり義父と納車に行っていた。
すぐ近くに義父の田んぼがあるので様子を見に行く。
先日から猪の被害にあっており義父も気が気ではないようだ。
最後に植えた稲で「十和錦」という銘柄の匂い米である。
もちろん食糧米だが猪も美味しいお米を知っているのだろう。
飼料米には目もくれず匂い米ばかり食べに来るのだった。
田んぼを見て唖然とする。もう稲刈りの必要もないほど荒らされていて
田んぼの片隅に僅かに稲が残っているだけなのだ。
幸い全部の田んぼではなさそうだが義父の失望は大きかった。
来月になれば最後の稲刈りを予定している。このままでは一刻を争う。
仕事は今日も忙しく飛び込みで一般修理のお客さんもあった。
完全予約制なのだが無下に断るわけにもいかない。
仕方なく今日の予約のお客さんに午後まで待ってもらうことにした。
私が段取りをするものだから同僚の機嫌がすこぶる悪い。
義父は田んぼの草刈りに出掛け全く知らん顔である。
例の大口の入金は今日も無かったが小口の入金がけっこうあった。
金庫が潤う。このまま行けば月末を乗り越えられるかもしれない。
落胆よりも希望である。笑う門には福来ると云うではないか。
とにかくくよくよしないことだ。笑顔を忘れずにいよう。

整形外科のリハビリの日だったので2時に退社。
予約時間まで余裕があたので先に法務局へ行く。
母が亡くなって取締役が減り新しい謄本が必要だった。
義父はしきりに私に専務をと勧めてくれていたが
夫と相談の上、辞退してしまったのだった。
責任が重過ぎるのだそうだ。今まで通りの事務員で居ろと云う。
私は「専務おばば」に少し憧れていた。職業は「会社役員」である。
なんだかめっちゃかっこいい肩書に思えてならなかったのだ。
リハビリを終えてサニーマートでゆっくりと買い物をする。
お惣菜を2種類買って後は2品ほど作ることにした。
「茹で卵と胡瓜のサラダ」「エリンギのオイスターソース炒め」
セルフレジで精算を済ませて入口近くの花屋さんで足を止めた。
可愛らしいピンクのカランコエの鉢がとても気に入る。
自分の為ではなかった。明日は幼馴染の命日なのでそっと届けようと思う。
助手席にカランコエを宝物のように載せて家に帰った。
帰宅して洗濯物を畳みながら夫と一緒に「暴れ奉行」を見る。
もう4時半だったのでラストが近かったがそのラストが豪快で面白い。
悪人たちが次々に成敗されるのだが決して残虐ではなかった。
血が流れるシーンは殆ど無く安心して見ていられるのだ。
夕食後も短歌は書かずただ沈む夕陽を仰いでいた。
私は「わたし」以外の何者でもなかったが
存在すると云うことはもしかしたら奇跡かもしれないと思う。
夜明け前には小雨が降っていたが日中は次第に晴れて来る。
真夏日にこそならなかったが陽射しには夏の名残を感じた。
朝の道では県道沿いにキバナコスモスが満開になっている。
秋桜より早く咲くが同じ仲間なのだそうだ。
肝心の秋桜はまだ何処にも咲いておらず心待ちにするばかり。
やはり猛暑が続いたせいだろうか草花も戸惑っているようだった。
私はどんな花も好きだが秋桜が一番好きである。
特に白い秋桜が好きで見つけた時のなんと嬉しいことだろう。
清楚な純白。穢れを知らない乙女のような花であった。
子供の頃からの憧れはこの歳なっても変わりはしないのだ。
花言葉は「優美、純潔」いささか私には縁遠い言葉である。

仕事は相変わらずの忙しさ。それが面白くてならない。
午後からシステムサポートのO君が診断機のメーカーの人と来てくれた。
来月から始まるOBD検査の手順を教えに来てくれたのだ。
複雑のようでありながらやってみると結構簡単であった。
ただ義父はノートパソコンを一切使うことが出来ない。
仕方なく私と二人係で検査をしなければいけなくなりそうだ。
もうすぐ68歳の私と81歳になる義父との高齢コンビである。
お国が決めた事なので問答無用であるがどうなることだろうか。
O君たちが帰ってから車検を一台仕上げる。
納車に行っていたらすっかり遅くなり4時になっていた。
昨日も遅かったので焦りながら帰路に就く。
今日こそはちゃんとした夕飯をと思っていたのだが
結局はサニーマートのお惣菜ばかり買ってしまう。
5時に帰宅すると大量の洗濯物が待っていた。
急いで畳んでいると夫が早くもお風呂に入ろうとする。
せめて畳み終えるまで待ってくれないかと引き止めた。
とにかく毎日同じ時間にお風呂に入りたがる。
5時半には晩酌を始めるのも同じであった。
そこで腹を立てるような私ではなかったがつい苛立ってしまう。
「イカのお刺身」を買って来ていたので夫に与え
急いで茄子と豚バラを炒める。お惣菜ばかりではあんまりだろう。
一品は作りたい。簡単な物でもあれば食卓が映えて来る。
食後やっと一息。自室の窓から暮れていく空を眺めていた。
煙草が美味しく立て続けに2本も吸ってしまった。
慌ただしい一日だったが今日も全うしたのだなと思う。
入浴後にはこの日記を書くのが日課だが
投票ランキング上位に食い込んでおりとても励みになっている。
以前は一人だけだったが最近になり増えているようだった。
劣等感のかたまりである私にとっては神様のように思える。
こんな日記でも読んでくれる人が居てくれるだけで有難いことだ。
ある日突然に書けなくなる日も来るだろう。
そうなればもう死んだも同然のように思えてならない。
どうかどうか明日も書かせてください。
ノートパソコンを閉じる時にはいつも手を合わせている。
爽やかな秋晴れの朝であったがそれもつかの間のこと。
10時頃には厚い雲に覆われ雨が降り出してしまった。
「洗濯物がかり」の夫の云う通りになる。
気温も上がらず随分と秋らしくなった。
吹き抜ける風のなんと心地よいことだろう。
職場の百日紅はもうすっかり散ってしまったが
まだあちらこちらに咲いているのを見かける。
もうとっくに百日は過ぎているはずであった。
なんと健気で逞しい花だろうか。
なんだか夏の忘れ形見のように思えてならない。

連休明けの仕事は活気があってよろしい。
義父も待機してくれていて順調に仕事が捗る。
驚いたのは連休の間に稲刈りを終わらせていたこと。
もう荷造りも出来ており工場には8トンの飼料米が積まれていた。
近いうちに出荷するようだが価格は期待できないとのこと。
食糧米よりずっと安値でくたびれ儲けとなりそうである。
国の補助金が無ければとても採算は取れないだろう。
車検の予約が次々に入っておりもう10月の半ばまで埋まった。
これから年末に掛けてが勝負だと思う。
とにかく稼がなければならない。まるで金の亡者のようになる。
例の大口の入金は今日も無く肩を落とすばかりであった。
相手先に問い合わせたらもう少し待って欲しいとのこと。
月末までに入金が無ければ会社はどん底になってしまうのだ。
資金の余裕が無いと大風呂敷も広げられない。
あまり催促をするのもみっともないと義父から注意を受けた。

仕事が忙しく4時半に退社。もうサニーマートへ寄る時間がない。
いつもは自動車専用道路を通るのだが今日は国道を走った。
国道沿いの「ちきん館」に寄り「丸っぽ鶏」を買い求める。
5時過ぎに帰宅したがもう横になる時間もなかった。
「丸っぽ鶏」は鶏の姿そのままのローストチキンである。
夫に解してもらっている間に大量の洗濯物を畳む。
よっこらしょと立ち上がったら軽く眩暈がした。
仕事は辛くはないのだが身体は正直になっているらしい。
まだまだゴールは見えないのだ。気合で乗り切るしかないだろう。
食後やっと自室で寛ぐ。煙草さえあれば生きていけると思った。
もしそれで寿命が縮まっても自業自得なのだ。
我慢するのはもう二度と御免だと思う。好きなように生きたい。
届いていた短歌雑誌をぱらぱらと捲って見たが
当然のように私の短歌は何処にも見当たらなかった。
このままでは一生救われることはないだろう。
「めげる」何度でもめげる。そうしてまた這い上がって行く。
あとどれくらいの生涯だろう。まさか今日が最後ではあるまい。
可能性を信じること。希望を失わないことである。
暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものである。
今朝は一気に気温が下がり肌寒さを感じた。
日中も30℃に届かずエアコン無しでも過ごせるほどに。
先日までの猛暑が嘘のようであった。
北海道では山に初雪が降ったようだ。
もうストーブの季節である。
能登の被災地は晴れていたようだがなんと悲惨な有り様だろう。
死者も7人に増えまだ行方不明者の捜索が続いている。
一人で留守番をしていた14歳の少女は家ごと土砂に流されてしまった。
どんなにか怖ろしかったことだろう。地獄としか云いようがない。
地震にも負けず残った家が跡形もなく消えてしまったのだ。
ご両親の気持ちを思うと心が締め付けられるように痛んでならない。
能登の人達に何の罪があるのだろう。神も仏も恨みたくなってくる。

こぼれ種から芽を出していた朝顔が咲いた。
紫に白い筋の入った可愛らしい花である。
季節外れではあるがまだ蕾を付けており明日もきっと咲くだろう。
自然の営みのなんと感動的なことだろう。奇跡の朝顔に思える。
咲かそうと思って蒔いた種ではないのだ。
2年ものあいだ土の中で眠っていた尊い命である。
午後、固定電話を解約した。祝日でもネットで簡単に出来て助かる。
家族がみな携帯電話を持っており全く使っていなかったのだ。
着信があっても迷惑電話ばかりで通話拒否をし続けていた。
詐欺被害の多い昨今である。固定電話が必要とはもう思えなくなった。
以前はよくあやちゃんのお友達から掛かって来ていたが
もう一年以上も誰からもなかった。
お友達ももうスマホの時代なのだろう。
あやちゃんはまだ持っておらず仲間外れかもしれなかった。
けれどもタブレットとパソコンさえあれば十分なのだそうで
子供部屋に置いてあった固定電話の子機を片付けてしまったのだ。
「友達」を諦めてしまったのだろう。それも憐れなことである。
午後2時間程お昼寝。3時には目覚めていたが今日も短歌は書かない。
やはり書きたい時に発作のように書くのが一番に思う。
大相撲が終り夫は気が抜けたように過ごしていたが
4時から「暴れ奉行」と云うかなり古い時代劇を観ていた。
「子連れ狼」はもう終ってしまったのだそうだ。
気になったので調べてみたらなんと47年前の時代劇である。
主役の萬屋錦之助はもうこの世にいなかった。
若い頃の千昌夫、大谷直子などが出演しており興味深い。
夫がまた楽しみな番組があり良かったなと思う。
私も早く帰れた日には一緒に見ようと思った。
明日はやっとする仕事があるのだが金策で頭を悩ませている。
例の大口の入金が遅れており月末に間に合うだろうかと心配だった。
29日には母の一周忌を控えておりお布施も用意しなければいけない。
「何とかなるだろう」そう思えるほど私は楽天家ではなかった。
生まれ持った性分とは厄介なものである。
私は父に似たのか神経質でくよくよと思い悩むのが常であった。
母ならばきっと笑い飛ばしてくれたことだろう。
目の前の荒海に飛び込む勇気はなかったが
難破船にしがみつく気力はありそうだった。
成るようになってこそ生きている甲斐があるのだろう。
秋分の日。昼夜の長さが同じになり次第に秋が深まっていく頃。
彼岸の中日でもありお墓参りに行くのが習いであった。
雨のせいでもあったが我が家は行かず疎かにしてしまう。
私はもちろんだが夫も義妹も足腰が弱くなりお寺の裏山に登るのが
随分と辛くなってしまったのだった。ご先祖様も許してくれるだろう。
雨は幸い小康状態で雷雨も長続きせず午後からは曇り空になった。
能登の被災地も豪雨の峠を越えたようで何よりであったが
大きな水害となりその傷跡のなんと痛々しいことだろう。
明日からしばらくは晴天が続きそうだが復旧作業が大変だと思う。
停電になっていないか水道は使えるのか心配事は絶えなかった。
励ます言葉も見つからない。ただただ心を痛めるばかりである。

午後からめいちゃんの「ダンス発表会」があり市内の文化施設へ。
今春出来たばかりの新しい施設で行くのは初めてだった。
一時の開演で直ぐにめいちゃんが登場しわくわくと嬉しい。
ジュニアの部、シニアの部とあり交互にダンスを披露してくれた。
これまでの発表会でも目にしていたのだがシニアパワーの凄いこと。
白髪頭のご婦人が真っ白いドレスを着て華麗に踊るのである。
どう見ても80歳は過ぎているように見えた。
やれば出来るものなのだと感動せずにはいられない。
めいちゃんは我が孫ながらとにかく可愛いかった。
ついつい他の子と比べてしまうのだがダンスはイマイチである。
上には上が居るものでめいちゃんより上手な子が大勢いた。
けれどもなんと楽しそうに踊っていることだろう。
好きこそものの上手なりと云うではないか。大好きなのが一番である。
あやちゃんと仲良しだったお友達も出演していたが
もう中学生ではないかと思うほど立派に成長していた。
「ここにあやちゃんが居れば」とつい叶わないことを思う。
ダンス教室を止めたことは大きな挫折だったことだろう。
仲良しだったお友達も今ではすっかり遠のいてしまった。
寂しくはないか。辛くはないかと気遣うのは老婆心に他ならない。
あやちゃんには自分の世界がありそこで自由気ままに生きている。
その世界に踏み込んではいけないと改めて思うきっかけになった。
夕飯に好物の「肉じゃか」を作る。
「めっちゃ美味しい」と言ってくれてどんなに嬉しかったことか。
顔を見るのは一日にほんの数分のことだったが
暗い顔をしている時は滅多になかった。
にこにこ笑顔。今はどんな状況であれ確実に未来へ羽ばたこうとしている。
晴れてはいたが時おり空が暗くなる。
雨が降るかもしれないと夫が「洗濯物がかり」をしてくれた。
外に干してあった大量の洗濯物を乾燥機に入れてくれたのだった。
「すまんねえ、ありがとうね」とお礼を言ったら
「ほんまにありがたいと思うちょるがか」と笑い飛ばしていた。
当たり前だとは決して思っていない。どれ程助かることだろうか。
お昼に悲痛なニュースが流れる。
能登の被災地が豪雨に見舞われ大変な水害になっていた。
河川が氾濫し仮設住宅も浸水しているとのこと。
地震の復旧作業をしていた人が土砂に呑み込まれ命を落としていた。
どうしてこれ程までに能登ばかりをと思わずにいられない。
気の毒を通り越して理不尽でならず心が痛むばかりであった。
台風14号は温帯低気圧に変わったが明日も大雨の怖れがありそうだ。
どうかもうこれ以上の被害が無いことを祈る事しか出来ない。
神よ仏よと思う。本当に存在するのならどうして見捨てようとするのか。

午前中はカーブスに行っていたが午後はひたすら寝て過ごす。
三連休は少しも嬉しくなくむしろ憂鬱でもあった。
仕事がしたくてならないのだ。何と貧乏性なことだろう。
どれほど疲れを感じても仕事あってこその自分に思える。
経営に携わるようになってもう6年程だろうか。
自転車操業はとにかくペダルを踏み続けなければいけない。
4時前に目覚め一度自室に籠ったが短歌は書けなかった。
全く書く気にならないのだ。ぼんやりと煙草を吸うばかり。
発作のようなものだと思う。そうなればもう自然に任すしかない。
「洗濯物がかり」の夫が乾燥機から出してくれて
エアコンの効いた茶の間に運び込んでくれていた。
それもどれ程助かることだろう。感謝しきれない程だ。
洗濯物を畳みながら夫と一緒に大相撲を観ていた。
夕食はあやちゃんのリクエストで手作り餃子を作る。
包むのを手伝ってくれるかと思いきやその気はなさそうだった。
娘が手早く包み50個の餃子が出来る。
我が家の餃子は何処のお店で食べる餃子よりも美味しい。
それだけは自慢で私の得意料理であった。
餃子が焼けるまで夫は「鰹のタタキ」で晩酌である。
目を輝かせながら食い入るように大相撲を観ていた。
大の里が豊昇龍に勝ち何と今年2度目の優勝を果たす。
夫は舞い上がるように喜びもっとビールが飲みたいと言う。
大の里は石川県出身の力士であった。
能登の被災地の人達もどんなにか喜んだことだろう。
しかし今日の水害で観戦どころではなかったのかもしれない。
それを思うと手放しでは喜べずとても複雑な気持ちになった。
何があっても負けない。そんな勇気と希望に繋がればと願う。
午後8時。残業だった娘婿が帰宅し娘達の夕食が始まったようだ。
あやちゃんもきっと喜んで食べてくれているだろう。
そろそろ短歌が書きたくなって来た。
酔いは程々。そろりそろりとあちらへ参りましょうか。
狐の嫁入り。晴れて陽が射しているのにぽつぽつと雨が降る。
よほど大気が不安定だったのだろう。
朝の道では山に虹が掛かっており思いがけずに嬉しかった。
日中は猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。
高知県では四万十市が一番の暑さだったようだ。
上には上があり静岡市では39℃を超す猛烈な暑さを記録する。
人間なら高熱である。どれ程の人が耐えたことだろうか。
紅い彼岸花が一気に咲いた。亡き祖母を思い出さずにはいられない。
明後日が命日である。もう19年の歳月が流れた。
私は母よりも祖母に似ていて鏡を見ると祖母の面影が蘇る。
自分の顔を見て懐かしいと思うのも不思議なことなのだろう。
昨年「紅い道」と云う詩を書き県の文芸賞に応募したのだが
あまりにも感傷的だったせいか見事に落選した。
けれどもあの詩の中にこそ祖母が生きているような気がしてならない。
今年も締め切りが迫っているがどうしようかと迷っている。
SNSで発信した詩は未発表にはならず規約に反するのだそうだ。

今朝は出勤して驚く。工場に飼料米の一トン袋が四個も座っていたのだった。
今日が稲刈りの予定だったので義父が徹夜で荷造りをしたのだろう。
なんと今朝の7時まで掛かったのだそうだ。あまりにも無謀である。
一睡もしていないのに寝る時間を惜しみ今日も忙しなく動いていた。
稲刈りは天候がイマイチで延期となった。
あともう少しで終わるのだそうだ。雨さえ降らなければと残念でならない。
それにしても義父のタフなこと。もう直ぐ81歳とはとても思えなかった。
車検が2台完了。それも義父の助けが無ければ不可能だった。
明日は予約が入っておらず同僚も通院の予定である。
三連休は有難くはないがもうする仕事が無くなってしまった。
納車があり3時半に退社。いつもより遅くなってしまい大急ぎで帰る。
買い物を済ませ4時半に帰宅したが日中雨は全く降らなかったそうだ。
「よう乾いちょるぞ」と夫が自慢気に洗濯物を指差す。
大相撲を観ながら畳んでいると直ぐに5時になってしまった。
半額でゲットした鯵の開きを焼く。後は「豚ニラもやし」だった。
お惣菜の「ヤンモニョチキン」はいつも不評なのだが仕方ない。
サニーマートのお惣菜はもう飽きてしまったのだろう。
大相撲を観ながら夕食。大の里と琴桜は同体となり取り直しになった。
夫の鼻息の荒いこと。いつもの穏やかな夫とは別人に思える。
大の里が勝ったら「よっし、よっし」と増々鼻息が荒くなるのだった。
食後二階の自室に上がったら階下から大声で叫んでいる。
休場中の貴景勝が引退のニュース速報が流れたようだった。
まだ28歳の若さで残念であるがもう首の痛みが限界らしかった。
夫と大相撲は切り離すことが出来ず今の彼の一番の楽しみである。
毎場所のことだが大相撲が終わると気が抜けたようになるのだった。
私はどうだろう。ただ淡々と日々を過ごすだけである。
仕事のことで頭を悩ましながら常に時間に追われている。
夜明け前の一時間と今こうしている寝る前のひと時であった。
この日記を書き終えると「寝酒」と称して短歌を書いているが
先日ある方から「明日も仕事ですよ」とコメントを頂いた。
寝酒がそれ程までに悪いことだろうかと思う。
若い頃からもう何年も続けて来た私の「眠り薬」なのだった。
ほろ酔って短歌を書いて何が悪いのだろうと思う。
酔ってはいけない理由があるのなら教えて頂きたいものだ。
惜しむ時間ばかりである。「いま」しか書けないことがある。
それは私が「わたし」ではいけないのと同じことではないだろうか。
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