秋分の日。昼夜の長さが同じになり次第に秋が深まっていく頃。
彼岸の中日でもありお墓参りに行くのが習いであった。
雨のせいでもあったが我が家は行かず疎かにしてしまう。
私はもちろんだが夫も義妹も足腰が弱くなりお寺の裏山に登るのが
随分と辛くなってしまったのだった。ご先祖様も許してくれるだろう。
雨は幸い小康状態で雷雨も長続きせず午後からは曇り空になった。
能登の被災地も豪雨の峠を越えたようで何よりであったが
大きな水害となりその傷跡のなんと痛々しいことだろう。
明日からしばらくは晴天が続きそうだが復旧作業が大変だと思う。
停電になっていないか水道は使えるのか心配事は絶えなかった。
励ます言葉も見つからない。ただただ心を痛めるばかりである。

午後からめいちゃんの「ダンス発表会」があり市内の文化施設へ。
今春出来たばかりの新しい施設で行くのは初めてだった。
一時の開演で直ぐにめいちゃんが登場しわくわくと嬉しい。
ジュニアの部、シニアの部とあり交互にダンスを披露してくれた。
これまでの発表会でも目にしていたのだがシニアパワーの凄いこと。
白髪頭のご婦人が真っ白いドレスを着て華麗に踊るのである。
どう見ても80歳は過ぎているように見えた。
やれば出来るものなのだと感動せずにはいられない。
めいちゃんは我が孫ながらとにかく可愛いかった。
ついつい他の子と比べてしまうのだがダンスはイマイチである。
上には上が居るものでめいちゃんより上手な子が大勢いた。
けれどもなんと楽しそうに踊っていることだろう。
好きこそものの上手なりと云うではないか。大好きなのが一番である。
あやちゃんと仲良しだったお友達も出演していたが
もう中学生ではないかと思うほど立派に成長していた。
「ここにあやちゃんが居れば」とつい叶わないことを思う。
ダンス教室を止めたことは大きな挫折だったことだろう。
仲良しだったお友達も今ではすっかり遠のいてしまった。
寂しくはないか。辛くはないかと気遣うのは老婆心に他ならない。
あやちゃんには自分の世界がありそこで自由気ままに生きている。
その世界に踏み込んではいけないと改めて思うきっかけになった。
夕飯に好物の「肉じゃか」を作る。
「めっちゃ美味しい」と言ってくれてどんなに嬉しかったことか。
顔を見るのは一日にほんの数分のことだったが
暗い顔をしている時は滅多になかった。
にこにこ笑顔。今はどんな状況であれ確実に未来へ羽ばたこうとしている。
晴れてはいたが時おり空が暗くなる。
雨が降るかもしれないと夫が「洗濯物がかり」をしてくれた。
外に干してあった大量の洗濯物を乾燥機に入れてくれたのだった。
「すまんねえ、ありがとうね」とお礼を言ったら
「ほんまにありがたいと思うちょるがか」と笑い飛ばしていた。
当たり前だとは決して思っていない。どれ程助かることだろうか。
お昼に悲痛なニュースが流れる。
能登の被災地が豪雨に見舞われ大変な水害になっていた。
河川が氾濫し仮設住宅も浸水しているとのこと。
地震の復旧作業をしていた人が土砂に呑み込まれ命を落としていた。
どうしてこれ程までに能登ばかりをと思わずにいられない。
気の毒を通り越して理不尽でならず心が痛むばかりであった。
台風14号は温帯低気圧に変わったが明日も大雨の怖れがありそうだ。
どうかもうこれ以上の被害が無いことを祈る事しか出来ない。
神よ仏よと思う。本当に存在するのならどうして見捨てようとするのか。

午前中はカーブスに行っていたが午後はひたすら寝て過ごす。
三連休は少しも嬉しくなくむしろ憂鬱でもあった。
仕事がしたくてならないのだ。何と貧乏性なことだろう。
どれほど疲れを感じても仕事あってこその自分に思える。
経営に携わるようになってもう6年程だろうか。
自転車操業はとにかくペダルを踏み続けなければいけない。
4時前に目覚め一度自室に籠ったが短歌は書けなかった。
全く書く気にならないのだ。ぼんやりと煙草を吸うばかり。
発作のようなものだと思う。そうなればもう自然に任すしかない。
「洗濯物がかり」の夫が乾燥機から出してくれて
エアコンの効いた茶の間に運び込んでくれていた。
それもどれ程助かることだろう。感謝しきれない程だ。
洗濯物を畳みながら夫と一緒に大相撲を観ていた。
夕食はあやちゃんのリクエストで手作り餃子を作る。
包むのを手伝ってくれるかと思いきやその気はなさそうだった。
娘が手早く包み50個の餃子が出来る。
我が家の餃子は何処のお店で食べる餃子よりも美味しい。
それだけは自慢で私の得意料理であった。
餃子が焼けるまで夫は「鰹のタタキ」で晩酌である。
目を輝かせながら食い入るように大相撲を観ていた。
大の里が豊昇龍に勝ち何と今年2度目の優勝を果たす。
夫は舞い上がるように喜びもっとビールが飲みたいと言う。
大の里は石川県出身の力士であった。
能登の被災地の人達もどんなにか喜んだことだろう。
しかし今日の水害で観戦どころではなかったのかもしれない。
それを思うと手放しでは喜べずとても複雑な気持ちになった。
何があっても負けない。そんな勇気と希望に繋がればと願う。
午後8時。残業だった娘婿が帰宅し娘達の夕食が始まったようだ。
あやちゃんもきっと喜んで食べてくれているだろう。
そろそろ短歌が書きたくなって来た。
酔いは程々。そろりそろりとあちらへ参りましょうか。
狐の嫁入り。晴れて陽が射しているのにぽつぽつと雨が降る。
よほど大気が不安定だったのだろう。
朝の道では山に虹が掛かっており思いがけずに嬉しかった。
日中は猛暑日にこそならなかったが厳しい残暑となる。
高知県では四万十市が一番の暑さだったようだ。
上には上があり静岡市では39℃を超す猛烈な暑さを記録する。
人間なら高熱である。どれ程の人が耐えたことだろうか。
紅い彼岸花が一気に咲いた。亡き祖母を思い出さずにはいられない。
明後日が命日である。もう19年の歳月が流れた。
私は母よりも祖母に似ていて鏡を見ると祖母の面影が蘇る。
自分の顔を見て懐かしいと思うのも不思議なことなのだろう。
昨年「紅い道」と云う詩を書き県の文芸賞に応募したのだが
あまりにも感傷的だったせいか見事に落選した。
けれどもあの詩の中にこそ祖母が生きているような気がしてならない。
今年も締め切りが迫っているがどうしようかと迷っている。
SNSで発信した詩は未発表にはならず規約に反するのだそうだ。

今朝は出勤して驚く。工場に飼料米の一トン袋が四個も座っていたのだった。
今日が稲刈りの予定だったので義父が徹夜で荷造りをしたのだろう。
なんと今朝の7時まで掛かったのだそうだ。あまりにも無謀である。
一睡もしていないのに寝る時間を惜しみ今日も忙しなく動いていた。
稲刈りは天候がイマイチで延期となった。
あともう少しで終わるのだそうだ。雨さえ降らなければと残念でならない。
それにしても義父のタフなこと。もう直ぐ81歳とはとても思えなかった。
車検が2台完了。それも義父の助けが無ければ不可能だった。
明日は予約が入っておらず同僚も通院の予定である。
三連休は有難くはないがもうする仕事が無くなってしまった。
納車があり3時半に退社。いつもより遅くなってしまい大急ぎで帰る。
買い物を済ませ4時半に帰宅したが日中雨は全く降らなかったそうだ。
「よう乾いちょるぞ」と夫が自慢気に洗濯物を指差す。
大相撲を観ながら畳んでいると直ぐに5時になってしまった。
半額でゲットした鯵の開きを焼く。後は「豚ニラもやし」だった。
お惣菜の「ヤンモニョチキン」はいつも不評なのだが仕方ない。
サニーマートのお惣菜はもう飽きてしまったのだろう。
大相撲を観ながら夕食。大の里と琴桜は同体となり取り直しになった。
夫の鼻息の荒いこと。いつもの穏やかな夫とは別人に思える。
大の里が勝ったら「よっし、よっし」と増々鼻息が荒くなるのだった。
食後二階の自室に上がったら階下から大声で叫んでいる。
休場中の貴景勝が引退のニュース速報が流れたようだった。
まだ28歳の若さで残念であるがもう首の痛みが限界らしかった。
夫と大相撲は切り離すことが出来ず今の彼の一番の楽しみである。
毎場所のことだが大相撲が終わると気が抜けたようになるのだった。
私はどうだろう。ただ淡々と日々を過ごすだけである。
仕事のことで頭を悩ましながら常に時間に追われている。
夜明け前の一時間と今こうしている寝る前のひと時であった。
この日記を書き終えると「寝酒」と称して短歌を書いているが
先日ある方から「明日も仕事ですよ」とコメントを頂いた。
寝酒がそれ程までに悪いことだろうかと思う。
若い頃からもう何年も続けて来た私の「眠り薬」なのだった。
ほろ酔って短歌を書いて何が悪いのだろうと思う。
酔ってはいけない理由があるのなら教えて頂きたいものだ。
惜しむ時間ばかりである。「いま」しか書けないことがある。
それは私が「わたし」ではいけないのと同じことではないだろうか。
| 2024年09月19日(木) |
明日に向かうしかない |
午後6時40分。辺りはもう薄暗くなっている。
微かに見える雲は鱗雲でこれも小さな秋なのだろう。
連日の真夏日が続いているが夕暮れが早くなると風が変わってくる。
暑さ寒さも彼岸まで。週末から雨の日が多くなりそうだが
一雨ごとに秋らしくなるだろうと期待せずにはいられない。
仕事は相変わらずの忙しさであったが義父が時間を割いてくれ
車検で入庫していた車のエアコンを直してくれ大助かりだった。
お昼に平田町まで納車に行っていたが寒いくらいにエアコンが効く。
高齢のお客様で大喜びしてくれこちらもなんと嬉しかったことだろう。
いつも順調とは限らないが今日はとても良い日に思えた。
午後になりまた急きょの稲刈りとなる。
今日の助っ人は一人であったが近場なので十分とのこと。
ひっきりなしに軽トラックでお米が運び込まれて来る。
乾燥機は全部で4機あるが3機は満杯であり残りの1機を満杯にするらしい。
後は1トン袋に入れて出荷するのだがそれも大変な作業であった。
気のせいかもしれないが義父が酷くやつれているように見える。
今朝も朝食を食べる暇がなかったのだそうだ。
お昼前に地区の民生委員の人が出来たての「ちらし寿司」を届けてくれ
義父は余程空腹だったのだろうガツガツと貪るように食べていた。
好きでやっている稲作であるがなんだか憐れにも思えて来る。
この先どんどん高齢になるのだ。少しでも楽をさせてやりたいものだ。

3時に退社。その足で整形外科へ向かった。
病院前の駐車場が満車状態で仕方なく第二駐車場へ行ったが
そこも沢山の車で埋まっておりやっと奥の方へ停めることが出来る。
杖なしではとても病院まで歩けそうになかったが
一か八かだと思い自分を試してみることにした。
ふうふうと辛く汗が流れたがなんとか辿り着くことが出来る。
そのことを受付の女性に話したら「偉かったですね」と褒めてくれた。
私もやれば出来るときっと自慢気な顔をしていたのだろう。
今日はリハビリ後に診察があったので帰宅が遅くなりそうだった。
買い物も出来ないだろうと今朝娘に相談したら
ダンス教室が終わってから食料を買って帰るとのこと。
そうなれば例の如く「ほか弁」である。ラッキーと喜んだのは言うまでもない。
予定では5時半のつもりだったが思いがけずに早く済んだ。
サニーマートへ寄ろうと思えば可能だったがもうその気はない。
「ほっかほか亭」まで走りいつものおかずを買って帰った。
大相撲を観ながら食べていたら大の里が負けてしまう。
霧島も高安も居るし優勝は無理かもしれないと思った。
夕食後の短歌はお休み。気忙しかったせいか全く書く気になれない。
そもそも「ほか弁」では短歌にもなりそうになかった。
寝る前に書くことにして今ここでこれを記している。
なんとなく虚しいのは老いのせいだろうか。
達成感と充実感は同じようでありながら何処が違うのだろうと思う。
日々やれるだけのことはやっているつもりではあるが
どうしてこんなに虚しいのか分からなかった。
報われたいのか。認められたいのか。自問自答するばかりである。
老い先短いこの身にどれ程の光が降り注ぐことだろう。
奇跡などそうそう在りはしないのだ。
生きたことよりも生きることなのだろう。
自分らしさを貫きながら明日に向かうしかない。
明け方まで小雨が降っており中秋の名月は見られず。
夜明け前に見る月はいっそう綺麗なので残念であった。
今夜は十六夜の月になるのだろうか。それが満月らしい。
素人考えでは中秋の名月こそが満月のように思えてならない。
明日は彼岸の入り。今日は白い彼岸花が咲いているのを見つけた。
いつも行っている郵便局の近くだったのでいつの間に咲いたのだろうと思う。
小さな秋に気づかないことが多い。心に余裕のない証拠かもしれない。
職場は一日中乾燥機の音が鳴り響いていた。
仄かにお米の匂いがする。なんだか郷愁を誘うような匂いである。
子供の頃によく遊びに行った祖父の家の匂いに似ていた。
義父は工場に居てくれたが乾燥機に付きっきりで仕事にはならない。
何処か故障しているのだろうか乾燥具合が良くないのだそうだ。
田んぼの稲はまだ残っており明後日また稲刈りをするらしい。
仕事は立て込んでおり同僚が一生懸命頑張ってくれていたが
またエアコン修理があり義父の助けがなければどうしようも出来ない。
何事も順調にとはいかないもので私は頭を悩ますばかりであった。

3時に退社。FMラジオは「五つの赤い風船」特集をしており
なんとも懐かしい「遠い世界に」が流れていた。
フォークソングは青春時代を彷彿とさせ切なさも蘇って来る。
買い物を済ませ4時に帰宅したがもう短歌は書かないことにした。
二階の自室には西日が射し込みとてつもないような暑さである。
とにかく無理に書こうとしないことだ。どうせろくなものしか書けない。
エアコンの効いた茶の間で洗濯物を畳み夫と大相撲を観る。
直ぐに5時になりもう夕食の支度であった。
5時半には夫が晩酌を始めるので気忙しくてならない。
私は毎晩ノンアルビールを飲むのだが今朝冷やし忘れていたようだ。
仕方なく麦茶を飲みながら夕食を食べる。
娘が「オクラの肉巻き」を食べたがっていたので下拵えだけした。
夫はオクラが嫌いなので急いで作っても無駄なのである。
食後一首だけ短歌を書いた。
「カイワレの日」なのだそうだ逞しく真っ直ぐに育った芽を食す
短歌と一緒に「鰹とカイワレの酢浸し」の写真を載せる。
短歌はお粗末だが食後の一首も良いものだなと思った。
なんだか楽しくてならない。もちろん書きたくて書いているのだ。
好きなように書きながら好きなように生きる。そんな人生に憧れている。
いや「憧れ」は違うかもしれない。そんな「夢」かもしれない。
叶う叶わないは別として「これだけは譲れない」と思うことなのだ。
日々試されているのならとことん試されたい。
出来るのか出来ないのか。書けるのか書けないのか。
| 2024年09月17日(火) |
いいじゃないか妄想も |
曇りのち晴れて真夏の暑さとなる。
陽射しはきつかったが木陰に立つと思いがけないほどの涼風が吹く。
終らない夏はなく秋は確実に近づいているようだ。
山里の職場に着くなり義父が慌てており忙しなく動き回っていた。
友人の助言があり急きょ稲刈りをすることになったのだそうだ。
雨の後で田んぼは泥濘になっていて義父は気が進まなかったようだが
友人は仕事を休み駆け付けて来てくれるのでもう延期は出来ない。
「誰の田んぼか分からんなったぞ」と苦笑いをしながらであった。
いざやるとなったら何と早いこと。他の友人も直ぐに来てくれた。
総勢4名でまるで兵隊さんのように勇ましく出掛けて行く。
今回の稲刈りは「飼料米」で家畜の餌になるのだそうだ。
牛は草を食べるので豚や鶏だろうと思われる。
お国が買い取ってくれるので保障もあるとのこと。
とにかく家畜の為である。精を出せねばなるまい。
お昼前に義父の彼女?がお弁当を持って来てくれた。
いつもお世話をかけているのでお礼を言ったがつんつんと愛想が悪い。
いそいそと事務所のテーブルを片付けてくれたので
日頃からろくに掃除も出来ないことを詫びたら「なんで?」と訊かれた。
足が不自由でも掃除くらい出来るじゃないかと言わんばかりである。
これにはいささか参ってしまい酷く責められたように感じたのだった。
触らぬ神に祟りなしである。もう二度と自分からは口を聞くまいと思う。
午後は10月から始まるOBD検査の準備のために
システムサポートのO君が来てくれていた。
新しい診断機とノートパソコンもO君が手配してくれたのだった。
領収証が無いと国からの補助を受けられないので
有り金をはたいて支払いを済ます。なんとも痛い出費であった。
例の大口の入金を首を長くして待つしかない。
補助金の申請をするのに手間が掛かりO君に後を任せ3時に退社する。
私が居ても何の役にも立たないのだからお先に失礼をした。
サニーマートで買い物を済ませ4時に帰宅したのだが
二階の自室に籠ったものの短歌の「た」の字も浮かんで来ない。
これは駄目だなと潔く諦め大量の洗濯物を畳むことにする。
だんだんと疲れが出て来たのだろう。10分だけ横になっていた。
夕食後に一首だけ書ける。ろくな短歌ではなかったが良しとした。
どんな日もあるものだ。今日はこんな日なのだと思う。
このところずっと寝る前にも短歌を書いているので
焦りを感じることは殆ど無い。書きたい時に書くのが一番なのだろう。
その酔っぱらった短歌が我ながら気に入っており愉快でならない。
まるで誰かに恋をしているような短歌になってしまうのだ。
誤解される方も居るだろうがもう恋とは無縁の老いぼれであった。
そっか、酔った挙句の妄想なのかもしれない。
いいじゃないか妄想も。それは少しだけ夢に似ている。
雨のち晴れ。少しも爽やかさはなく今日も不快な蒸し暑さとなる。
汗は尋常とは思えず俯けばぽたぽたと落ちるのだった。
先日彼岸花の話をしたがやはり全国的に開花が遅れているのだそうだ。
なんでも最低気温が20℃を切らないと咲かないらしい。
今朝など27℃で到底無理な話である。
北海道では10℃を切っている地域が多くもう暖房が必要とのこと。
日本は小さな島国だが北と南とでは随分と差があるようだ。
しかし油断をしていたら一気に気温が下がることもあるだろう。
季節の変わり目、体調管理に留意しなければならない。

鶏頭の苗を買い求めに行くこともせず日がな一日怠惰に過ごす。
最低限の家事と食料を買いに行った以外は殆ど寝ていた。
月曜日のお休みは少しも嬉しくなく仕事に行きたくてならない。
生活のリズムが狂ってしまうと精神的にも良くないようだ。
鬱々とどうしようもないことを思い悩むことが多い。
劣等感のかたまりである。認められたい欲との闘いである。
午後4時には目覚め自室にしばらく籠っていたのだが
とにかく煙草の量が半端なく我ながらうんざりしてしまう。
「チェーンスモーカー」なのだ。ひっきりなしに火を点ける。
以前に医師から「吸うことがストレスだ」と言われたことがあったが
それも一理あると思った。まるで鎖に縛られているようなのだ。
かと言って禁煙の苦しさはもう二度と味わいたくはなかった。
愚かな者である。このまま一生救われることはないかもしれない。
短歌は15分程で書けたが随分と陰鬱な短歌になってしまった。
ありのままだとそうなる。希望の光など何処にも在りはしないのだ。
雲ばかり西からの陽を受けながら透明になる午後四時の空
気怠さを紫煙にまかせ廃れいくこの惨めさよこのやるせなさ
夏草が秋の衣を羽織る頃はだかになって我は彷徨う
どんな時もあって良しと発信したが少し後味が悪かった。
果たして私の「イメージ」とはと考えずにはいられない。
感性は廃れ老いは深まりもう手の施しが無いのでないか。
それでいて生きようと必死になってあがいているように思う。
あと20年も生きられるとは思ってもいない。
もしそれが叶えばもはや奇跡ではないだろうか。
書きながら一生を終えられることは私の「夢」であった。
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