| 2024年09月19日(木) |
明日に向かうしかない |
午後6時40分。辺りはもう薄暗くなっている。
微かに見える雲は鱗雲でこれも小さな秋なのだろう。
連日の真夏日が続いているが夕暮れが早くなると風が変わってくる。
暑さ寒さも彼岸まで。週末から雨の日が多くなりそうだが
一雨ごとに秋らしくなるだろうと期待せずにはいられない。
仕事は相変わらずの忙しさであったが義父が時間を割いてくれ
車検で入庫していた車のエアコンを直してくれ大助かりだった。
お昼に平田町まで納車に行っていたが寒いくらいにエアコンが効く。
高齢のお客様で大喜びしてくれこちらもなんと嬉しかったことだろう。
いつも順調とは限らないが今日はとても良い日に思えた。
午後になりまた急きょの稲刈りとなる。
今日の助っ人は一人であったが近場なので十分とのこと。
ひっきりなしに軽トラックでお米が運び込まれて来る。
乾燥機は全部で4機あるが3機は満杯であり残りの1機を満杯にするらしい。
後は1トン袋に入れて出荷するのだがそれも大変な作業であった。
気のせいかもしれないが義父が酷くやつれているように見える。
今朝も朝食を食べる暇がなかったのだそうだ。
お昼前に地区の民生委員の人が出来たての「ちらし寿司」を届けてくれ
義父は余程空腹だったのだろうガツガツと貪るように食べていた。
好きでやっている稲作であるがなんだか憐れにも思えて来る。
この先どんどん高齢になるのだ。少しでも楽をさせてやりたいものだ。

3時に退社。その足で整形外科へ向かった。
病院前の駐車場が満車状態で仕方なく第二駐車場へ行ったが
そこも沢山の車で埋まっておりやっと奥の方へ停めることが出来る。
杖なしではとても病院まで歩けそうになかったが
一か八かだと思い自分を試してみることにした。
ふうふうと辛く汗が流れたがなんとか辿り着くことが出来る。
そのことを受付の女性に話したら「偉かったですね」と褒めてくれた。
私もやれば出来るときっと自慢気な顔をしていたのだろう。
今日はリハビリ後に診察があったので帰宅が遅くなりそうだった。
買い物も出来ないだろうと今朝娘に相談したら
ダンス教室が終わってから食料を買って帰るとのこと。
そうなれば例の如く「ほか弁」である。ラッキーと喜んだのは言うまでもない。
予定では5時半のつもりだったが思いがけずに早く済んだ。
サニーマートへ寄ろうと思えば可能だったがもうその気はない。
「ほっかほか亭」まで走りいつものおかずを買って帰った。
大相撲を観ながら食べていたら大の里が負けてしまう。
霧島も高安も居るし優勝は無理かもしれないと思った。
夕食後の短歌はお休み。気忙しかったせいか全く書く気になれない。
そもそも「ほか弁」では短歌にもなりそうになかった。
寝る前に書くことにして今ここでこれを記している。
なんとなく虚しいのは老いのせいだろうか。
達成感と充実感は同じようでありながら何処が違うのだろうと思う。
日々やれるだけのことはやっているつもりではあるが
どうしてこんなに虚しいのか分からなかった。
報われたいのか。認められたいのか。自問自答するばかりである。
老い先短いこの身にどれ程の光が降り注ぐことだろう。
奇跡などそうそう在りはしないのだ。
生きたことよりも生きることなのだろう。
自分らしさを貫きながら明日に向かうしかない。
明け方まで小雨が降っており中秋の名月は見られず。
夜明け前に見る月はいっそう綺麗なので残念であった。
今夜は十六夜の月になるのだろうか。それが満月らしい。
素人考えでは中秋の名月こそが満月のように思えてならない。
明日は彼岸の入り。今日は白い彼岸花が咲いているのを見つけた。
いつも行っている郵便局の近くだったのでいつの間に咲いたのだろうと思う。
小さな秋に気づかないことが多い。心に余裕のない証拠かもしれない。
職場は一日中乾燥機の音が鳴り響いていた。
仄かにお米の匂いがする。なんだか郷愁を誘うような匂いである。
子供の頃によく遊びに行った祖父の家の匂いに似ていた。
義父は工場に居てくれたが乾燥機に付きっきりで仕事にはならない。
何処か故障しているのだろうか乾燥具合が良くないのだそうだ。
田んぼの稲はまだ残っており明後日また稲刈りをするらしい。
仕事は立て込んでおり同僚が一生懸命頑張ってくれていたが
またエアコン修理があり義父の助けがなければどうしようも出来ない。
何事も順調にとはいかないもので私は頭を悩ますばかりであった。

3時に退社。FMラジオは「五つの赤い風船」特集をしており
なんとも懐かしい「遠い世界に」が流れていた。
フォークソングは青春時代を彷彿とさせ切なさも蘇って来る。
買い物を済ませ4時に帰宅したがもう短歌は書かないことにした。
二階の自室には西日が射し込みとてつもないような暑さである。
とにかく無理に書こうとしないことだ。どうせろくなものしか書けない。
エアコンの効いた茶の間で洗濯物を畳み夫と大相撲を観る。
直ぐに5時になりもう夕食の支度であった。
5時半には夫が晩酌を始めるので気忙しくてならない。
私は毎晩ノンアルビールを飲むのだが今朝冷やし忘れていたようだ。
仕方なく麦茶を飲みながら夕食を食べる。
娘が「オクラの肉巻き」を食べたがっていたので下拵えだけした。
夫はオクラが嫌いなので急いで作っても無駄なのである。
食後一首だけ短歌を書いた。
「カイワレの日」なのだそうだ逞しく真っ直ぐに育った芽を食す
短歌と一緒に「鰹とカイワレの酢浸し」の写真を載せる。
短歌はお粗末だが食後の一首も良いものだなと思った。
なんだか楽しくてならない。もちろん書きたくて書いているのだ。
好きなように書きながら好きなように生きる。そんな人生に憧れている。
いや「憧れ」は違うかもしれない。そんな「夢」かもしれない。
叶う叶わないは別として「これだけは譲れない」と思うことなのだ。
日々試されているのならとことん試されたい。
出来るのか出来ないのか。書けるのか書けないのか。
| 2024年09月17日(火) |
いいじゃないか妄想も |
曇りのち晴れて真夏の暑さとなる。
陽射しはきつかったが木陰に立つと思いがけないほどの涼風が吹く。
終らない夏はなく秋は確実に近づいているようだ。
山里の職場に着くなり義父が慌てており忙しなく動き回っていた。
友人の助言があり急きょ稲刈りをすることになったのだそうだ。
雨の後で田んぼは泥濘になっていて義父は気が進まなかったようだが
友人は仕事を休み駆け付けて来てくれるのでもう延期は出来ない。
「誰の田んぼか分からんなったぞ」と苦笑いをしながらであった。
いざやるとなったら何と早いこと。他の友人も直ぐに来てくれた。
総勢4名でまるで兵隊さんのように勇ましく出掛けて行く。
今回の稲刈りは「飼料米」で家畜の餌になるのだそうだ。
牛は草を食べるので豚や鶏だろうと思われる。
お国が買い取ってくれるので保障もあるとのこと。
とにかく家畜の為である。精を出せねばなるまい。
お昼前に義父の彼女?がお弁当を持って来てくれた。
いつもお世話をかけているのでお礼を言ったがつんつんと愛想が悪い。
いそいそと事務所のテーブルを片付けてくれたので
日頃からろくに掃除も出来ないことを詫びたら「なんで?」と訊かれた。
足が不自由でも掃除くらい出来るじゃないかと言わんばかりである。
これにはいささか参ってしまい酷く責められたように感じたのだった。
触らぬ神に祟りなしである。もう二度と自分からは口を聞くまいと思う。
午後は10月から始まるOBD検査の準備のために
システムサポートのO君が来てくれていた。
新しい診断機とノートパソコンもO君が手配してくれたのだった。
領収証が無いと国からの補助を受けられないので
有り金をはたいて支払いを済ます。なんとも痛い出費であった。
例の大口の入金を首を長くして待つしかない。
補助金の申請をするのに手間が掛かりO君に後を任せ3時に退社する。
私が居ても何の役にも立たないのだからお先に失礼をした。
サニーマートで買い物を済ませ4時に帰宅したのだが
二階の自室に籠ったものの短歌の「た」の字も浮かんで来ない。
これは駄目だなと潔く諦め大量の洗濯物を畳むことにする。
だんだんと疲れが出て来たのだろう。10分だけ横になっていた。
夕食後に一首だけ書ける。ろくな短歌ではなかったが良しとした。
どんな日もあるものだ。今日はこんな日なのだと思う。
このところずっと寝る前にも短歌を書いているので
焦りを感じることは殆ど無い。書きたい時に書くのが一番なのだろう。
その酔っぱらった短歌が我ながら気に入っており愉快でならない。
まるで誰かに恋をしているような短歌になってしまうのだ。
誤解される方も居るだろうがもう恋とは無縁の老いぼれであった。
そっか、酔った挙句の妄想なのかもしれない。
いいじゃないか妄想も。それは少しだけ夢に似ている。
雨のち晴れ。少しも爽やかさはなく今日も不快な蒸し暑さとなる。
汗は尋常とは思えず俯けばぽたぽたと落ちるのだった。
先日彼岸花の話をしたがやはり全国的に開花が遅れているのだそうだ。
なんでも最低気温が20℃を切らないと咲かないらしい。
今朝など27℃で到底無理な話である。
北海道では10℃を切っている地域が多くもう暖房が必要とのこと。
日本は小さな島国だが北と南とでは随分と差があるようだ。
しかし油断をしていたら一気に気温が下がることもあるだろう。
季節の変わり目、体調管理に留意しなければならない。

鶏頭の苗を買い求めに行くこともせず日がな一日怠惰に過ごす。
最低限の家事と食料を買いに行った以外は殆ど寝ていた。
月曜日のお休みは少しも嬉しくなく仕事に行きたくてならない。
生活のリズムが狂ってしまうと精神的にも良くないようだ。
鬱々とどうしようもないことを思い悩むことが多い。
劣等感のかたまりである。認められたい欲との闘いである。
午後4時には目覚め自室にしばらく籠っていたのだが
とにかく煙草の量が半端なく我ながらうんざりしてしまう。
「チェーンスモーカー」なのだ。ひっきりなしに火を点ける。
以前に医師から「吸うことがストレスだ」と言われたことがあったが
それも一理あると思った。まるで鎖に縛られているようなのだ。
かと言って禁煙の苦しさはもう二度と味わいたくはなかった。
愚かな者である。このまま一生救われることはないかもしれない。
短歌は15分程で書けたが随分と陰鬱な短歌になってしまった。
ありのままだとそうなる。希望の光など何処にも在りはしないのだ。
雲ばかり西からの陽を受けながら透明になる午後四時の空
気怠さを紫煙にまかせ廃れいくこの惨めさよこのやるせなさ
夏草が秋の衣を羽織る頃はだかになって我は彷徨う
どんな時もあって良しと発信したが少し後味が悪かった。
果たして私の「イメージ」とはと考えずにはいられない。
感性は廃れ老いは深まりもう手の施しが無いのでないか。
それでいて生きようと必死になってあがいているように思う。
あと20年も生きられるとは思ってもいない。
もしそれが叶えばもはや奇跡ではないだろうか。
書きながら一生を終えられることは私の「夢」であった。
曇り日、時おり雨がぱらつく。一日中不快な蒸し暑さであった。
明日も今日と同じような空模様になりそうだ。
一雨ごとにと秋を想うが夏の名残のなんとしぶといことだろう。
エアコン無しではとても過ごせず朝から滝のように汗が流れる。
短い髪はびしょ濡れになりぽたぽたと滴が落ちていた。
昨夜はどうした訳か夜中に何度も目が覚めてしまい
その度に左足がうずきなんとも辛い夜であった。
日中は杖が無くてもあるけるほど回復しているのだが
安静時に痛むのはいったいどうしたことだろう。
いつものように午前四時にアラームが鳴ったが直ぐには起きられず
そのまま二度寝をしてしまいもう四時半になっていた。
夫が気遣ってくれもっと寝るように言ってくれたのだが
詩を書きたい一心で布団から抜け出してしまった。
書きたくてたまらないのに書けないかもしれないと思う。
焦りを感じることは滅多にないのだが今朝は追い詰められていた。
ゆっくりと息をしながらその息を言葉にして行く。
自分でも不思議でならなかったが自然と言葉が湧き出て来た。
走り書きのような詩であったがそれがありのままだと思う。
自分らしさとはきっとそう云うことなのだろう。

朝食後、酷い眠気に襲われ倒れ込むように寝ていた。
だらしないことだが日曜日で幸いに思う。
8時から活動を開始し流しに山積みだった食器を洗った。
洗濯物は外干し出来ず乾燥機のお世話になる。
9時前にサニーマートへ行き駐車スペースを確保した。
今日も一週間分の酒類を買わなければならず
入口に一番近いスペースに車を停める。
今夜は娘達の夕食もありあれこれと頭を悩ませたが
鶏もつ煮の食材、揚げるだけの海老フライ等を買い求める。
鶏もつ煮には葱が必須だが青葱のなんと高いことだろう。
仕方なく白葱を一本買ったがそれも決して安くはなかった。
猛暑が続いたせいだろう。野菜類は驚くほど高騰している。
昼食にはローソンの冷やし中華と助六寿司を食べた。
満腹となりそのまま寝入り込んだのは言うまでもない。
なんと4時間も寝ていたようだ。我ながら呆れ返る。
夫はもっと呆れており「異常ではないか」と心配していた。
気怠さを引き摺ったまましばし自室に籠る。
短歌も書かなければいけないのでなく一心に書きたいのだった。
今日は風景を気にせず思うままに書いてみた。
真っ直ぐでなければいけない理由などなかったのだ今曲がり角
海鳴りが聴こえる町に居た頃は傷つきやすく泣き虫だった
灰色の空に浮かべる夢ひとつ雨ならそうと伝えてほしい
堅苦しさがなく好きだなと思う。たまには己惚れてみなければいけない。
小雨が降ったり止んだり。その割に気温は高くなんとも蒸し暑かった。
台風の影響なのだろう。生温い風が吹き海鳴りも聴こえる。
轟々と飛行機の爆音に似て思わず空を仰ぐほどだった。
台風は現在奄美地方の南を北上しており本土には影響がなさそうだが
またフィリピン沖に新たな台風の卵が発生しており油断は出来ない。
台風14号となれば本土に近づく恐れがあるかもしれない。
朝食時にNHKを見ていたら俳人の「夏井いつき」さんが出演していた。
テレビではよく見かける方で上品な顔立ちに似合わずユーモアも備えている。
はて?年齢はいくつくらいだろうと夫と語り合っていた。
夫は80歳位ではないかと云う。私はまだ70代ではないかと思う。
白髪頭をひっつめており老けて見えるがなんと溌溂としていることか。
食後気になってならずネットで調べてみたらとても驚く。
なんと見た目よりずっと若く私よりも年下の67歳であった。
愛媛県愛南町の出身で若い頃から国語教師をしていたとのこと。
退職した現在は松山市に在住しているのだそうだ。
愛南町と云えば宿毛市からすぐの県境の町でとても身近に感じる。
そこで潮風に吹かれながら少女時代を過ごしたのであろう。
同時代を生きて来たのだと思うと一気に親近感が湧いて来たのだった。
俳人として名を上げ今では芸能界でも有名な方である。
同年代とは云え私とは雲泥の差であった。
これは憧れずにいられない。今日からファンになろうと思う。
まるで星のような方に思えてならなかった。
運の良し悪しではないのだ。才能あってこその成功なのではないだろうか。

今日はめいちゃんの10歳の誕生日であった。
我が家で生まれ我が家ですくすくと成長した可愛い孫である。
良く気が利く優しい子に育ってくれてなんとも感慨深かった。
今夜はお祝いをと考えていたのだが娘に却下される。
そんなこともあるだろうと思っていたのでショックではなかった。
家族で焼き肉を食べに行くのだと夕方出掛けて行く。
当然であるかのようにあやちゃんは留守番である。
またまたそこで老婆心が芽生えて来てしまうのも無理はないだろう。
ステーキを焼いていたのであやちゃんを誘ったのだが
「今は食べたくない」と言い張り部屋から出て来てはくれなかった。
家族断絶とまではいかないが哀切が漂うような夕暮れ時であった。
娘達はもう帰宅していて今からケーキを食べるようだ。
もちろんお誘いはないので少しいじけながらこれを記している。
もうどうでもいいやと不貞腐れているのかもしれない。
この10年はあっという間の歳月だった。
今ではどちらが居候なのか分からなくなってしまったが
私達夫婦も老いに任せ随分と小さくなったように思う。
老いては子に従えと云うがなんだか酷く粗末に扱われている気がする。
いつだったかめいちゃんが「家族の絵」を描いてくれたことがあった。
その絵は宝物のように今も壁に飾ってあるのだが
真っ先に「おじいちゃん、おばあちゃん」を描いてくれていた。
めいちゃんにとっては私達も家族なのだろう。
それだけが救いであり私達夫婦の励みになっている。
歳月は流れるばかり。10年後のめいちゃんに会いたくてならない。
晴れたり曇ったり。相変わらずの厳しい残暑であった。
明日から明後日に掛けては雨になりそうだ。
台風が南の海上を北上しているせいなのかもしれない。
そのせいか九州北部では9月とは思えない猛暑となったようだ。
37℃を超え体温を超えるような危険な暑さである。
職場の百日紅は殆ど散ってしまったが
大きな樹ともなるとそのぶん生命力が強いのだろう。
まだ鮮やかに咲いている樹をあちらこちらで見かける。
「百日」と云われているがおそらくもう過ぎているのではと思う。
紅だけではなく白い花もありそのコントラストは見事であった。
彼岸の入りも近くなり例年なら彼岸花が咲き始める頃だが
今年は暑さのせいだろうかまだ見ることが出来ない。
昔はお墓の近くによく咲いていた。根に毒があるので
遺体を野生動物から守るための知恵だったのだろう。
血を吸って紅くなる「死人花」とも呼ばれていたのはそのせいである。
子供の頃には触れてはならない怖い花であったが
そう教えてくた祖母が亡くなった時に「紅い道」を目にしたのだった。
その記憶があまりにも鮮やかで彼岸花を見ると祖母を思い出すようになった。
今年も命日が近くなった。あの「紅い道」はきっと今もあるだろう。

義父が精力的に動いてくれたおかげで仕事が大いに捗る。
例の大口の入金は来週早々には振り込まれるようだ。
もう思い悩むこともない。どれほど助かることだろうか。
溺れる者は藁をもつかむと云うが溺れる寸前で救助されたのである。
同僚が通院のため早退。私も少し早めに退社した。
ラジオからは山口百恵の「秋桜」が流れていたが
カラオケの十八番だったのはいつの事かもう歌うことも出来なかった。
それがなんだか情けなくて秋桜を聴きながら目頭が熱くなる。
同時にもう母がこの世にいないことをしみじみと感じた。
買い物を済ませ4時前に帰宅。直ぐに二階の自室に籠る。
制限時間は30分であったが今日は15分で短歌が書けた。
相変わらず良し悪しは分からないが自分では満足である。
さらりっと書けた時はいつもそうでなんとも心地よいのだった。
考えれば考えるほど書けなくなる。それは詩も同じである。
ようするに「発作」なのだろう。これは私の持病かもしれない。
親子雲寄り添う空に名残り陽が初秋を告げて後を追う風
ボート部の一年生かぎこちなく四万十下る川面光らせ
目に映る風景だけが頼りなり詠み人になる老いた我が身も
三首目の通り目に映る風景だけが頼りだった。
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