ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年09月07日(土) 露ほどの秋

二十四節気の「白露」大気が冷え始め露を結ぶ頃。

いよいよ本格的な秋かと思えるがそうは問屋が卸さず

今日も全国的に厳しい残暑となった。

江川崎は36℃を超え全国3位の猛暑日となる。

やはり彼岸まではまだまだ夏の名残があるだろう。


夏すみれは持ち直してくれ今朝は元気に咲いてくれていたが

紫と白があり白の方はすっかり枯れてしまっていた。

もうそうなればいくら水遣りをしても駄目だろう。

夏の花である。紫の方も秋まで咲き続けるとは思えなかった。

最後までと思う。無残に死なせるわけにはいかない。




朝のうちに一時間程朝寝。なんともだらしない有り様である。

10時にカーブスへ行ったが駐車場が満車状態であった。

仕方なく近くの文化センターに停めさせてもらったが

道路を横断せねばならず汗だくになって歩く。

普段から歩き慣れていないせいかふうふうと息が上がっていた。


カーブスでは「お友達紹介」とかであれこれと景品をもらった。

紹介したつもりはなかったのだがSNSで知り合った友人が居て

入会時に私の名前を出してくれたのだそうだ。

それはとても思いがけなく嬉しいことであった。


彼女は昨年最愛のご主人を亡くされ独り寂しく暮らしていた。

いつまで経っても悲しみは癒えず気遣わずにはいられなかったのだ。

「始めてみよう」と思ったとのこと。きっと良き転機となるだろう。

身体を動かせばきっと心も動き出すのに違いない。

少しでも前向きに明るい気持ちになれることを願わずにいられなかった。


私も仲間が増えてやる気が出て来たように思う。

足の痛みに負けず出来ることを頑張って続けようと思った。




昼食後、ふと思い立って美容院へ行っていた。

癖毛なので汗をかくとぼさぼさになりなんと鬱陶しかったことだろう。

思い切り短くカットしてもらい栗色の髪に染めてもらった。

まるで生まれ変わったような気分である。

とにかく行動するべきだと思う。自ら変わるきっかけを作るべきなのだ。


帰宅後はお昼寝。目覚めたら4時近くになっていた。

日課の短歌をと思い自室に籠っていたが今日はいささか調子が悪い。

いつもは直ぐに頭に浮かんでくるのだが今日は駄目だった。

まあどんな時もあるだろう。決して焦ってはならない。

結局30分かかりなんとか3首を書き終える。

如何なものか。良し悪しは相変わらず自分で判断することは出来ない。


洗濯物を畳んでから恐る恐る通知をチェックしたら「いいね」があった。

僅かではあったがそれがどれ程励みになることだろう。

まるで「いいね」中毒のように愚かな私であったが

詩も短歌もそうして救われているのだと思う。

それは同時に他からは一切認められないことに等しい。

SNSあってこその私だと云っても過言ではないだろう。


そんな生き方があっても良いのだと思いたい。

まるでネットの海を漂う海月のようでもあった。


露ほどの秋なのだろう陽は西に夏の記憶が傾いている

赤とんぼ群れから外れ独り飛ぶ空に故郷があるかのように

子の背には夏の塗り絵が描いてあり汗かく度に思い出となる



2024年09月06日(金) 明日は咲こう

朝の涼しさもつかの間。今日も厳しい残暑となる。

ただ今までと確かに違うのは風の色であった。

風に色なんかあるはずはないのだが

熱を帯びた夏風とは違いとても爽やかである。

それは空の色だろう。空がそのまま映っているようだ。

明日は「白露」終らない夏など在りはしないのだ。


帰宅したら夏すみれがぐったりと項垂れていた。

今朝は元気に咲いていたので水遣りを怠ったせいだろう。

昼間の陽射しがよほど堪えたのだろうと思う。

慌てて水遣りをしたがなんとか持ち直して欲しいものだ。


花すべりは逞しい。水をあまり欲しがらず陽射しにも強かった。

しかし夕方になると花を閉じるので平日は見ることが出来ないのだ。

留守中の庭先を彩ってくれているのだと思えばなんとも健気であった。





仕事は順調とは行かず来週まで尾を引きそうである。

新しい運搬車の車検整備が完了したのだが

ABSセンサーを交換したにも関わらず警告灯が消えないのだった。

他に原因があると思われるが義父にも分からず頭を悩ませている。

仕方なく大型車専門の業者に依頼することになったが

臨時ナンバーが必要で今日は手続きが間に合わなかった。

大枚をはたいて購入した車である。しかも遠く石川県まで行ったのだ。

何としても乗れるようにしてやりたいと手を合わすばかりである。


義父の落胆は大きくかなり焦っているようだった。

それもそのはず飼料米の稲刈りが迫っている。

猪が出没し稲を食い荒らしているのだそうだ。

一刻も早く稲刈りをしなければ収穫量にかなり響くだろう。

神様仏様である。私もなんだか追い詰められたような気分であった。




買い物を済ませ4時に帰宅。短歌を後回しにして「子連れ狼」を見る。

今日も沢山の人が殺められたので夫に「罪にならないのか?」と訊いた。

もちろん大罪なのだそうだ。奉行所も捕えようと必死になっているらしい。

しかし奉行所の役人も「拝一刀」には敵わないのだそうだ。

刺客は今で云う殺し屋である。その報酬で生き延びているのだろう。

どれほど残虐なシーンがあっても幼い大五郎に救われる思いであった。

そうでなければ成り立たない時代劇なのだと思う。


見終わってから短歌を書いた。夕食の支度まで15分程ある。

窓の外は夕焼け空でとても穏やかな気持ちになれた。

大きく深呼吸をしながら指先が勝手に動き出すのを待つ。

「即興」と云うより「オン書き」であった。

詩も短歌も全てそうして書いている。そうでなければ書けない。

そうしてそのまま発信してしまうのだから書き直すことは出来ないのだ。

賛否両論はあると思うがそれが私の書くスタイルであった。


だからいつまで経っても認められないのだと自覚している。

けれどもこのまま最期を迎えても私は悔やみはしない。

人はひと私はわたしであることを貫き通したいと思っている。


夕暮れて蕾に変わる花がある眠る夜なら明日は咲こう



2024年09月05日(木) 私のあがき

9月になってから夕暮れが早くなったようだ。

毎日少しずつのことだったのだろう。

さほど気にも留めずに過ごしていた証拠である。

あたふたとするばかり。他にも気づかないことがるのかもしれない。

「小さな秋みいつけた」自然は健気にそんな声を待っている。


今朝は車検受けのため夫の車で出勤した。

不慣れなせいか緊張してしまい肩に力が入る。

とにかく落ち着こうと煙草を二本吸ってしまう。

車中に匂いが残らないように窓を全開にして走った。

もし見つかればどんなにか叱られてしまうだろう。

我慢することがどうしても出来ない。

わずか30分の距離なのに自分をコントロール出来ないのだ。

バレなければ良いと思っている。なんと狡い性分だろうか。




車検は予約してあったのでスムーズに捗る。

同僚も機嫌よく整備してくれたので何よりだった。

お客さんとは違って儲けにはならないのだ。

正規の工賃など支払う余裕などあるはずもなかった。

車検整備後には手洗い洗車のサービスもあるのだが

さすがにそれは遠慮する。同僚に申し訳なくてならない。

あまりに汚れていたので同僚は洗いたがっていた。


義父も忙しくしていたのだが手を休め完成検査をしてくれる。

二人で書類を作成しやっと車検完了であった。

3時に退社。同僚に「ありがとうね」とお礼を言ったら

「何のこと?」と首を傾げ上手く伝わらなかったようだ。

同僚にしてみれば仕事以外の何物でもなかったのだろう。

私は同僚のそんな生真面目さがけっこう好きである。


買い物を済ませ4時に帰宅。「子連れ狼」に間に合ったが

その前に短歌を書き終えておきたかった。

今日も一首5分の早業である。我ながら感心するばかりだ。

「ええい、これでどうだ」と投げるように発信した。

昔ながらの中華そばにはとても敵わないが

即席めんも食べてみればけっこう美味しいものである。

胡椒も少し。それでこそ一味違ってくるのだった。



「子連れ狼」は予想以上に面白かった。

刺客なので人が必ず斬り殺されてしまうのだが

そんな残酷さの中にも人情味あふれる温かさが垣間見える。

大五郎のなんと凛々しいことだろう。とても3歳には思えなかった。


この子役の男の子は現在25歳になっているのだそうだ。

もう芸能界には存在せずユーチューバーをしているらしい。

いかにも今時の若者らしく微笑ましく感じた。

明日も少しでも早く帰宅して夫と一緒に見たくてならない。



午後8時ともなれば外はもうすっかり夜の帳が下りている。

私はと云えば寝酒の真っ最中でほろ酔い状態であった。

後は寝るだけであるがここ数日寝る前にまた短歌を書いている。

まるで発作のように書きたくてたまらなくなるのだった。


それが殆ど記憶にないのがまた愉快でならない。

朝一番に確認して思わず「おお!」と声が出る時もある。

そんな愉しみもあるから人生は面白いのだろう。


生きて来たし生きている。私のあがきはまだまだ続きそうだ。



2024年09月04日(水) 思いがけないほどに

おおむね晴れ。今朝は22℃と随分と涼しかった。

暑さ寒さも彼岸までである。厳しい残暑もあと少しだろう。


こぼれ種から芽が出ていた朝顔がぐんぐんと育っている。

なんと逞しいことだろうかと感動さえ覚えるのだった。

花が咲けば感激である。涙が出てしまうかもしれない。


咲かそうと思い植えた花よりも思いがけなく咲く花がいい。

ひともそうで在りたいものだ。思惑など一切ないのである。


私は欲深い者だからついつい大きな期待をしてしまうのだが

それが思い通りに行かなかった時の落胆は大きい。

かと云って全く期待しないのも虚しいものである。




仕事中に酷い眠気に襲われ机に突っ伏す。

そのまま15分程眠っていたようだった。

その後も気怠さが続き仕事が全く手に付かない。


幸い義父が稲の消毒に出掛けていたので早退することにした。

例の部品は新品を注文したのでもう一段落である。

しかし諄いことに「探せばきっとあったはずだ」とまだ言っていた。

いかにも私の手落ちのように言うので少しむっとする。

機嫌を損ねないように接するのは並大抵のことではなかった。

義父の性格は分かり切っていてもそれがストレスになっていく。


とにかく逃げるように帰った。煙草を二本も吸ってしまう。

声は擦れる一方でもう鼻歌も歌えなくなる。

手遅れにならないうちに歯止めをと思うがなんと情けないことだろう。

止められない止まらないジレンマとの闘いである。


買い物を済ませ3時過ぎに帰宅。つかの間のスローライフであった。

短歌を書き終えてから夫と一緒に「銭形平次」を見る。

最初から見ることはめったにないことでわくわくと嬉しい。

今日も一文銭が勇ましく飛ぶ。なんとも爽快で好きな場面だった。


見終わってから夫が「もう今日でお終い」と言うので驚く。

知らずに見ていたのだが今日が最終回だったのだそうだ。

まだまだ見たい番組だったので残念でならない。

明日からは「子連れ狼」とのこと。それも良いかもと思う。

夫と少しでも一緒に見られる時間を大切にしたいものだ。


5時半を過ぎ夫と夕食を食べていたらお向かいの奥さんが思いがけず

こんがりと焼けた「鰻の蒲焼」を持って来てくれた。

ご主人と「はえ縄漁」をしていて四万十川の天然鰻である。

買えば高価な物でまるで夢のようであった。

娘婿が度々「素潜り漁」のお裾分けをしておりそのお礼だと言う。

勝手に食べて良いものかと思ったが夫と一切れずつご馳走になる。

帰宅した娘婿に報告したが機嫌が良かったのでほっとした。

天然鰻は身が引き締まっておりとても美味しい。

そうしてとても懐かしい味がした。

昔はこれでもかと云うほど食べていたのだから当然のことである。


先日夫が四万十川の「漁業組合」を脱退した。

40年以上も続けて来た「川漁師」とももうお別れとなる。

苦労ばかりの歳月であったがなんと感慨深いことだろう。

乳飲み子の娘を背負って私も必死で頑張って来た。

「思い出」と云うより私達夫婦の「歴史」のように思えてならない。







2024年09月03日(火) あと幾日か誰も知らない

晴れたり曇ったり。残暑は厳しく今日も真夏日となった。

関東ではゲリラ豪雨とのこと。冠水した道路の映像が流れる。

突然の豪雨にどれほどの人が戸惑ったことだろうか。

いったいいつになったら安定した天気が続くのかと思う。


職場の百日紅が散り始め小豆のような小さな実が成っている。

以前にも思ったのだがその実を土に埋めてみたらどうだろう。

もしかしたら芽が出て大きな樹になるかもしれない。

思い立ったら直ぐにと思うが結局は何も出来ないのだった。

子供のように純真な心があればと思う。好奇心のかたまりである。




事務仕事はさほど忙しくなかったが義父に振り回された一日。

運搬車の「ABSセンサー」を交換しなければいけなくなり

新品は驚くほど高価なので中古部品を探すことになった。

取引先の部品屋では見つからず私に矛先が向かって来たのである。

とにかくネットで探せと言い渡され血眼になって探していた。

専門の部品屋が見つけられないのをどうして私が見つけられようか。

お昼休憩もそこそこに3時過ぎまで探したがやはり駄目である。

けれども義父は諦めずまた明日探せと言うのであった。

いっそのこと新品をとも思っている。痛い出費であるが仕方あるまい。




買い物を済ませ4時半に帰宅。どっと疲れが襲って来る。

短歌どころではなかったがどうしても休む気になれない。

自室に籠り15分で3首書き終えた。我ながらたいしたものである。

まるでお湯を注げば3分で出来るチキンラーメンのようだ。

良し悪しはともかくとして「臨む」姿勢が大切なのだと思う。

休むことは容易いかもしれないがそれでは全う出来ないのだ。


茶の間で洗濯物を畳みながら「銭形平次」を見た。

ラストの10分であったが一文銭が飛ぶところが見れたので満足である。

せめて以前のように2時で仕事が終われたらと思うが無理な話だった。

スローライフは夢のように遠い。死ぬまで働く運命かもしれない。


朝は7時50分に家を出ているが一日はあっという間だった。

最低限の家事だけは疎かに出来ず精一杯の日々である。

そんな暮らしの中で如何にして自分を貫くかであった。

時間が足らないなどとどうして嘆くことが出来ようか。


一生認められなくても「わたし」を貫く。

それこそが生き甲斐のように思えてならない。


空白のこころに咲いた百日紅あと幾日か誰も知らない

雑草も憐れに思い水を遣る春には確か花だったこと

向日葵の種を啄む鳥がいる咲かせる夢を見るかのように




2024年09月02日(月) どうにかこうにか

朝の涼しさに秋の気配を感じるようになった。

夜明けも少しずつ遅くなっているようだ。

しかし日中はまだ残暑が厳しく今日も真夏日となる。


台風崩れの熱低はまだ悪さをしており

何処かで必ず大雨を降らせている。

日本中が秋晴れとなるのはいったい何時のことだろう。


台風11号は幸い日本には影響がないようだが

太平洋上には新たな熱低が次々に出来ており先が思いやられる。

不安は尽きず常に心構えが必要なようだ。



仕事は月末の〆などがありそこそこの忙しさであった。

精一杯やり繰りをしていても預金残高が乏しい。

今日は社会保険料が引き落とされておりかなりの痛手である。


工場は買ったばかりの運搬車の車検整備をしており

義父が段取りをしては同僚が整備を任されていた。

前後のブレーキに不備があり危険な状態なのだそうだ。

おまけにABSランプが点灯したまま消えない。

そんな状態でよく無事に石川から帰って来れたものだ。

修繕費は嵩むがなんとしても直さなくてはいけない。


3時に退社。今日ものど飴をしゃぶりながら帰る。

喉の悪化が進んでおりすっかりガラガラ声になってしまった。

また以前のように声が出なくなるのかもしれない。

防ぐには禁煙しかない。それが大きなストレスとなる。

煙草は嗜好品だと云うが私にとっては精神安定剤であった。

禁煙の苦しさはもう二度と味わいたくはなかった。


4時に帰宅。夫が「銭形平次」を見始めていたが諦める。

日課の短歌を書くためにしばし自室に籠っていた。

どうにかこうにかである。良し悪しは自分では全く分からない。


洗濯物を畳み終えるともう夕食の支度であった。

大急ぎで作り5時半には夫と二人で食べ始める。

6時には娘が帰って来るのだがほぼ毎日のように機嫌が悪い。

仕事の疲れかとも思うが私に八つ当たりするのだった。

今日もさっさと台所を明け渡せと言わんばかりである。

急いで食器を洗う。それからお風呂に入りいま「ここ」であった。

とにかく娘達の家族団欒を邪魔してはいけないようだ。

ひとつ話し掛ければみっつも荒い言葉が返って来る。

今日はそんなに母が憎いのだろうかと悲しくなった。


私は全ての家事をこなしているが家政婦ではない。

家族と認めて欲しいわけではないが母に違いなかった。

思い遣ればうるさがられる。全てが余計なことのようである。

嘆いてはいけないがしんどいなと思った。

このままでは一生報われないのに違いない。

あの優しかった娘はいったい何処に行ってしまったのだろう。


夫は口癖のように「相手にするな」と言う。

干渉しない。話し掛けてもいけないのだろうか。


寝る前にはいつも孫達に声を掛ける。

あやちゃんもめいちゃんもちゃんと「おやすみぃ」と言ってくれて嬉しい。




2024年09月01日(日) 雲ひとつない

9月になりささやかな秋の訪れだろうか。

今朝は24℃と随分と涼しい朝であった。

風はもちろん無色透明なのだが秋の色となる。


心配していた台風はお昼に熱低に変わったようだ。

しかし雨雲はまだ健在と見えて所々に雨を降らす。

幸い大雨の地域はなかったようで何よりだった。


気になるのはフィリピン沖の熱低である。

台風のたまごなのに違いなく不安は尽きない。

日本に接近しないことを祈るばかりである。




日曜日恒例の酒類の買い出し。開店と同時に行くつもりだったが

また朝寝をしてしまいすっかり遅くなってしまった。

やはり夫の言う通りネット通販を利用するべきなのかもしれない。

しかしポイントが貯まるのが嬉しく迷うところであった。

それに一気にカードから引き落とされるのも辛いものである。

酒類だけではなく夕食の材料、洗剤やシャンプーも買わなければならない。

今日もほぼ9千円の出費であった。ポイントは450も付く。

貯まったポイントを使うのもまた楽しみでならないのだ。


午後は「24時間テレビ」を見ていたがいつの間にか寝ていた。

3時頃目を覚まし日課の短歌を書く。

自分では気に入っていても相当粗悪なものらしい。

その証拠に高知新聞の歌壇ではまったく相手にされない。

ずっと落選続きで落胆するばかりであった。

「励み」とはいったい何だろうと思わずにはいられなかった。

こちらは一縷の望みを掛けているがとことん踏みにじる。

それを恨んでも仕方なくやはり自分の落ち度なのだろう。

そこで「なにくそ」と奮い立たなければいけないのだと思う。

しかしちっぽけなプライドが邪魔をし増々落ち込むのであった。


SNSはあくまでも「評価」ではないけれど

「いいね」にどれほど励まされていることだろう。

今日も山上秋恵さんが「いいね」をしてくれて天にも昇る気持ちだった。

一瞬もう新聞投稿を諦めようかとも思ったのだが

いつも楽しみにしてくれている恩師や友人の顔が目に浮かんだ。

それは一人や二人ではなかったのだ。


詩はもちろんのこと短歌も崖っぷちなのだと思う。

とことん追い詰められ虐げなければならない。

それでこそ「わたし」が生きられるような気がしている。


まだ暑き9月の空に投げ出した想いは遥か雲ひとつない


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