朝のうち少し雨が降ったが午後からは殆ど降らず。
風もさほど強くはなくまさに嵐の前の静けさであった。
台風10号は今朝鹿児島に上陸し九州各地に被害をもたらす。
特に大分の被害が大きく気掛かりでならない(徳さん大丈夫ですか?)
竜巻の被害もあったようで無残な光景を目の当たりにした。
現在は長崎の島原市付近に在り北北東に向かっているようである。
台風の速度が遅いためまだこれから被害が拡大することだろう。
明日は我が身であるがとても他人事には思えなかった。
高知県西部に最接近するのは明日から明後日にかけてのこと。
四万十川もかなり増水しており不安がつのるばかりである。
仕事は平常通り。車検の車が2台入庫しており休業どころではなかった。
幸い雨が止んでくれたので1台は完了し納車を済ませる。
もう1台は部品待ちで仕方なく台風一過まで預かることになった。
工場のシャッターが飛ばされたり屋根が破損する可能性もあり
気か気ではなかったがこればかりはどうすることも出来ない。
今夜はシャッターを閉め切り明日、明後日と臨時休業とする。
どうか大きな被害なく無事に通り過ぎてくれることを祈るばかりだった。

息子が仕事だったので朝からけい君を預かっていた。
随分と背が伸びたこと。顔もきりりっと少年っぽくなっていた。
あやちゃんやめいちゃんと遊ぶのを楽しみにしていたようだが
娘婿が休みだったので二階には一切上がらなかったそうだ。
それも憐れであったが娘婿に気を遣うよりは良かったのかもしれない。
お昼にはマックのハンバーガーを食べたそうだ。
てっきり娘婿が気に掛けてくれたものだと思ったのだが
夫がけい君の分のお金を渡して買って来て貰ったのだそうだ。
けれどもめいちゃん達と一緒に食べることは出来なかったらしい。
他人の子供ではない。れっきとした甥っ子なのだけれど
いったいどのような隔たりがあるのだろうと思う。
肩身の狭い思いを強いられるけい君があまりにも不憫であった。
夕方息子が迎えに来て夕食も食べずに帰って行った。
明日も息子は仕事だそうでけい君を預かることになる。
台風でなかったらいつも独りぼっちで留守番をしているのだそうだ。
猫を飼っているがどんなにか心細いことだろう。
母親に会いたいとは一言も口にしないらしい。
そうして逞しく成長して行くのだと思う。
再来年にはもう中学生だった。どれ程立派になることだろう。
4時には帰宅していたので短歌はそれなりに書けた。
雨雲を確かめながら帰る道ラジオは浜田省吾だったし
夏すみれ折れてしまった庭先で守れなかった我を悔やんで
前触れの風の声聴く遠からず嵐は徒歩でゆっくり進む
※明日の夜もし停電になっていたら日記はお休みします。
台風の影響が出始め時おり激しい雨となった。
高知県西部には大雨洪水警報が出ており
午後3時過ぎ「高齢者等の避難」が呼び掛けられる。
台風の速度は非常に遅く進路の変化も見られた。
昨日は瀬戸内海を通過する進路であったが今日は高知県直撃である。
過去の伊勢湾台風並みの猛烈な台風らしく怖ろしくてならない。
どれ程の被害が出ることだろう。もう避けられはしないのだ。
帰宅したら夫が家中の雨戸を閉めてくれていた。
出来る限りの備えは整ったが果たして大丈夫なのかと不安になる。
暴風圏内に入ったら家の瓦が吹き飛ばされてしまうかもしれない。
後は停電である。とても短時間で復旧するとは思えない。
夫はいざとなったら車の中に避難すれば良いさと笑っているのだった。
明日から明後日に掛けて最接近とのこと。
ただただ怯えながら身構えることしか出来ない。

整形外科のリハビリの日だった。もしやと思い早めに病院へ行く。
やはり悪天候のためキャンセルが多くあり直ぐに順番が来た。
施術後に診察があり待合室の椅子に腰掛けしばし待つ。
殆どの患者さんがスマホを操作しており「時代」を感じた。
私はスマホを持たない主義なので全くの無縁である。
病院中にエリアメールが鳴り響きそっとポケットからガラケーを出す。
メールを確認すると素早くポケットに押し込んだのは云うまでもない。
4時半には診察が終り予定よりも随分と早かったが
今日は「ほか弁」の約束をしていたので車中から注文をした。
受け取りに行ったら店員さんが「いつも有難うございます」と言ってくれる。
「こちらこそ助かっています」と笑顔を交したことだった。
本当にどれ程助かっていることだろう。ほか弁は我が家の神様である。
嬉しかったのはめいちゃんが洗濯物を畳んでくれていたこと。
エリアメールが鳴ってから怖くなっておじいちゃんと一緒に居たのだそうだ。
夫は晴れの日も雨の日もエアコンの効いた茶の間に洗濯物を運んでくれる。
私が汗だくにならないようにと気遣ってくれているのだった。
「ついでに畳む練習もしたら」と言ったこともあるが
それは流石に出来ないそうで笑い飛ばしていた。
雨は降ったり止んだりで今は止んでいる。
風もさほど吹いてはおらず静かな夜となった。
嵐の前の静けさなのかもしれない。
今日はまだ短歌を書いていないのだが寝る前に書けるだろうか。
例え日課でもたまには休めば良いのにとも思う。
私の「こだわり」は半端なくとことん追い詰めようとしているようだ。
嵐ならそうと云ってはくれまいか覚悟の夜を折りたたむため
台風の影響だろうか風が強くずいぶんと涼しかった。
雨も降らず気温30℃の晴天となる。
しかし油断は禁物だろう。明日は午後から大雨になるそうだ。
進路が今日も少し変わっており何処に上陸するのか分からない。
九州南部から豊後水道を抜けて瀬戸内海を通過するコースである。
高知県西部は直撃を免れそうだが右側になってしまうので
大荒れの天気になりそうである。いったいどれ程の嵐だろうか。
非常に強い勢力とのこと。不安が募るばかりであった。
義父は昨夜12時前に帰宅したらしい。
やはり疲れた様子であったがそれよりも新しい運搬車が嬉しくてならず
朝からずっと眺めておりまるで子供のようであった。
苦労して作ったお米が運搬車に変わったのである。
本当にそれで良かったのだろうかとふと思う。
母が生きていたらどれほど嘆いたことだろうか。
母の初盆のお供えに頂いたゼリーや水羊羹が沢山あり
直ぐ近くの社協のデイサービスに全て寄付をした。
利用者さん達のおやつにと喜んでくれて嬉しくてならない。
こちらは処分のつもりだったが引き取ってもらい本当に良かった。

仕事が一段落していたので3時に退社する。
FMラジオは懐メロでピンキーとキラーズだった。
確か私が小学生の頃に流行った歌である。
懐かしくてつい口ずさんでしまったが知っている人がいるのだろうか。
リスナーは若者が多いのではと思いなんだか複雑な気分になった。
サニーマートで買い物をし4時に帰宅。
「銭形平次」も気になったがまずは日課の短歌であった。
今日は調子が良く1首5分の早業で書き上げる。
昨日とは大違いで今日の短歌は我ながら好きだなと思った。
感性はすっかり廃れているが日によってはっと目覚める時がある。
その時がチャンスなのだがそうそう問屋は卸さない。
元々才能なんて在りはしないのだからそんなもんだろう。
あがいてあがいて崖っぷちに立つしかない運命である。
どんな日もあるが今日はなんだか誇らしくてならなかった。
無花果のほとばしる実を頬張りて母だったのかあの置手紙
手に取れば残り少ない夏のこと欠片に記す名さえ知らずに
こぼれ種いつかの夏の朝顔が芽を出している初秋の庭に
朝のうちは青空が見えていたが午後には土砂降りの雨になる。
台風の影響もあり大気が非常に不安定になっているようだ。
その台風であるが日毎に進路が変わっており戸惑うばかりである。
大きく西にふくれたようになり四国よりも九州が危険になった。
おそらく鹿児島辺りに上陸するのではないだろうか。
その後日本列島を縦断するコースになりそうだ。
各地に多大な被害を与えるのは確実に思える。
帰宅したら夫が孫達のサイクルハウスを解体し
庭の物干竿も撤去してくれていた。
私は花を避難させたかったが両手で鉢植えを抱えることが出来ない。
夫に頼めば「そんなもん」と言うに決まっているからと諦めてしまう。
最初は水曜日に最接近と聞いていたが今日には金曜日になっていた。
どんなに遅れてもコースから外れることはないだろう。
今も土砂降りの雨が降っている。帰路に就いている義父達が心配だった。
お昼過ぎに加賀市を出たようなので今夜遅くの帰宅となるだろう。

仕事は月末の支払いを全て終わらす。その方が安心だった。
台風だからと云って取引先に迷惑を掛ける訳にはいかない。
資金繰りも順調だったのでそれが何よりだった。
同僚に留守番を頼み2時に退社。その足で法務局へと向かう。
購入した搬送車の名義変更に会社の印鑑証明が必要であった。
準備さえ整えて置けば義父の機嫌を損なうこともないだろう。
「よく気が利くな」と言ってもらいたいのが本心であった。
買い物を済ませ3時半に帰宅する。今日も時間の余裕があり嬉しい。
早速パソコンに向かい短歌を書いたがイマイチであった。
「こんなもん」と思ったがようは才能がないのだろう。
自分が満足できない短歌は本当にろくでもない代物である。
「まっいいか」と開き直り発作のように発信してしまった。
そうして自己嫌悪に陥る。私はいつまで経っても駄目だと思った。
気を取り直すように夫と「銭形平次」を見る。
最後の捕り物の時に十手で刀と張り合うのが不思議でならない。
十手では斬ることが出来ないのだ。もちろん殺めてはいけないのだが
刀を捌くその十手のなんと勇ましいことだろう。
思わず「やれ〜」と声が出てしまうのだった。
そうして平次の一文銭が矢のように飛ぶのが爽快であった。
「めでたし、めでたし」で終ると本当にほっとする。
夫は私とのそんなひと時がとても気に入っているようだ。
老いれば老いるほどそれは必要な時間に思える。
いつも部屋に閉じ籠って書き物ばかりしている私であった。
何を書いても良いが本名で書くなと言われたのはもう随分と昔のことである。
けれども私は本名が好きだ。だってそれが本物の「わたし」なのだもの。
猛暑日の一歩手前。江川崎では37℃を超えていたようだ。
陽射しは強かったが心地よく吹き抜ける風に秋の気配を感じた。
台風10号は進路を少し西寄りに変えそのまま北上すると
高知県に上陸するかもしれないとのこと。
一気に不安がつのり心細くてならなくなった。
自然の猛威には逆らえずもう受け止めるしかないだろう。
今朝は庭先の花に水遣りをしていたら朝顔が発芽しているのを見つける。
毎年こぼれ種から芽が出ていたのだが今年はもう駄目だろうと諦めていた。
まさか晩夏になり芽が出るとは思ってもいなかった。
大切に育てたら秋の真っ最中に花が咲くかもしれない。
種が生きていたのだ。なんだか感動で胸がいっぱいになった。

朝のうちにサニーマートへ。昨日に懲りて開店と同時に行く。
駐車スペースさえ確保していたらもう安心である。
日曜日恒例の酒類の買い出し。今日も多くカゴにてんこ盛りだった。
セルフレジで精算を済ませたらなんと9千円を越し痛い出費である。
マイカゴに荷物を入れカートに載せようとしたが上手くいかない。
床に少し傾斜があるのだろうかカートがするすると逃げて行く。
いつもなら店員さんが気づいて駆け寄って来てくれるのだが
忙しかったのだろう。今日は気づいてはくれなかった。
そうしたら隣のレジに居た茶髪のサーファー風の青年が気づいてくれて
重いマイカゴをカートに載せてくれて何と助かったことだろう。
丁寧にお礼を言ったら「いやいや」と言いながら照れ臭そうに笑っていた。
足を悪くしてから親切が有難く身に沁みることが多くなった。
それも決して当たり前のことではないことを肝に銘ずる。
私も誰かに手を貸すことが出来るだろうか。
親切に声を掛けることが出来るだろうかと思う。
杖に甘えてはいけない。もっともっと障害を抱えている人もいるのだ。

午後は2時間程寝ただろうか。加賀市に向かった義父達が気掛かりであった。
早朝7時に出ても10時間は掛かるのだそうだ。
神戸だろうか京都だろうかと頭の中でルートを辿っていた。
友人はまだ60代だが義父は80歳の高齢である。
遠距離運転がどんなにか堪えるだろうと心配でならなかった。
午後5時。加賀市内のホテルに到着したと電話があり胸を撫で下ろす。
いつもの元気はなくすっかり疲れ切った様子の声であった。
今夜は軽く酒盛りとのこと。明日に響かないことを願っている。
道中どうか安全に。きっと無事に帰って来てくれますように。
今日も午睡後に短歌を書いたが時間の余裕があるのが嬉しかった。
ふと毎日がスローライフならと夢のようなことを考える。
平日の気忙しさに追い詰められている自分を感じずにいられない。
それでも書くことを諦めずにいるのは性(さが)なのかと思う。
生きていく上でこれだけは譲れないと思う大切なことであった。
一生掛かっても認められることはないだろう。
それは大きなジレンマであるが負けるわけにはいかなかった。
私は「わたし」以外の何者でもないのだ。
その私の生きた証をなんとしても残したいと思っている。
水浴びる子の傍らで母の声遠い昔の私と娘
秋匂う風は踊りて口笛が吹き抜けていく切なき午後に
琴線に触れるばかりの君の声波長は縁と思い知ること
午後7時外気温30℃間もなく陽が沈もうとしている。
猛暑は和らいでいたが大気が非常に不安定らしく
遠雷が聞こえ突然雨が降り出しそうな空模様だった。
午前中はカーブスへ行っていたが午後は殆ど寝て過ごす。
横になってしまうと10分も起きていられないのだ。
「可愛らしいトド」と言ったのは和田アキ子だったが
私の場合は醜いトドとしか言いようがないだろう。
完全なる無気力状態である。脱力感は半端なかった。
カーブスの帰りにサニーマートへ寄ったのだが
「感謝祭」とかでもの凄い人で溢れていた。
駐車場も満車状態でとても近くには停められない。
随分と離れたところから必死の思いで歩いた。
足の痛みは昨日程ではなくなっておりなんとか歩ける。
湿布がまだ貼れないのでスティック状の鎮痛薬を塗っていた。
腰のあたりまでまんべんなく塗ったのが効いているようだった。
なんとしても痛みと上手く付き合っていかなければならない。
義父から電話がありお米の出荷が無事に終わったとのこと。
どうやら捕らぬ狸の皮算用ではなかったようだ。
来週早々には代金が振り込みになるので嬉しさが伝わってくる。
稲作の苦労はとてつもなく大きく報われるべきであると思う。
都会ではお米が品薄と聞いたがもう大丈夫なのではないだろうか。
ただ台風が接近しており東北などの稲作地帯に被害がないことを祈る。
高知県も影響がありそうだが幸い直撃はなさそうであった。
けれども油断は禁物である。最低限の備えは必要だろう。
午睡から目覚めたらもう4時前であった。
冷たいコーヒーを飲みながら短歌を書く。
良いのか悪いのか自分ではまったく判断が出来ない。
少なからず「いいね」は頂けるがそれは決して評価ではないのだ。
例の山上秋恵さんがいつも「いいね」をしてくれていて
それが今の私にとっては大きな励みとなっている。
いや救われていると言ったほうがふさわしいだろう。
崖っぷちに立っている私の背にそっと触れてくれるのだった。
人間には誰にだって限界があるのだと思う。
例えば燃え尽きてしまうこと。一切の気力を失うこと。
それでも生きることを諦めてはならない。
「生きてさえいれば」と微かな望みが必ずあるのだと思う。
午後8時。外気温28℃。星の見えない夜となった。
さるすべりまだ百日に届かぬと命の限り咲き誇る夏
今朝は晴れていたが突然土砂降りの雨になり驚く。
大気が余程不安定だったのだろう。
夫から電話があり洗濯物が間に合わなかったと嘆く。
留守番の任務を果たせなかったことを済まなそうに詫びていた。
大丈夫。そのために乾燥機があるではないか。
「じゃあスイッチ入れるぞ」そう言って電話は切れた。
夫が家に居てくれて本当に助かっている。
それは決して当たり前のことではないのだとつくづく思う。
今朝はもうひとつハプニングがあった。
職場に着くなりのことで小さなおならが出てしまったのだが
あろうことか便も一緒に出てしまったのだった。
おそるおそるトイレで確かめたらナプキンを通り越し下着も汚れている。
こんな失態は初めてのことですっかり焦りまくってしまった。
とても仕事どころではなくなり家へ帰ろうかと思ったが
はっと思い出したのは母の紙パンツであった。
亡くなった後に処分をしたのだがもしやと思い探してみたら
ビニール袋の中に一枚だけ入っているのを見つける。
もう迷っている場合ではない。履くしかないと決心した。
狭いトイレに持ち込み必死の形相となる。
痛む左足を上げることが出来ないのだ。涙ならぬ滝のような汗が流れた。
なんとしても履かなければいけない。紙パンツとの闘いである。
15分程トイレに籠っていただろうか。やっと履けた時の大きな安堵。
履き心地に違和感はなく紙パンツのCMにも出られそうだった。
これも母の形見である。いざと云う時のために母が残してくれたのだろう。
まさかこんなに早く履く時が来るとは思ってもいなかったが
母のおかげだと思うと目頭が熱くなるのだった。
一枚きりの紙パンツである。もう二度と失態があってはならない。
用心のために富士薬品の「はら薬」を服用した。
それが効いたのかおならも出ることもなく一日をやり過ごせた。
たかがおならではないのだ。今後は「おなら警報」だと肝に銘ずる。

仕事は忙しさの峠を越え今日は随分と楽だった。
同僚は稲刈りのため休んでおり義父と二人でぼちぼちと仕事をする。
石川行の日程が決まりその準備もあった。
台風10号が接近しておりなるべく早く日曜日に発つことになる。
一泊して月曜日に車を引き取りに行くのだそうだ。
石川県加賀市とのこと。有名な温泉もあるらしい。
義父も友人も楽しみでならない様子であった。
途中で必ず電話をするように伝え2時過ぎに退社する。
取引先に用事があり寄り道をしたので帰宅は4時であった。
時間の余裕があることが嬉しくてならない。
短歌を書き終えて洗濯物を畳んでから夫と「銭形平次」を見ていた。
たまにしか見れないが癖になるような面白さである。
明日は休めるので怒涛の今週が終わった。
足の痛みに耐えながらよく頑張ったと思う。
疎かにしていることを数えたらきりがないだろう。
それよりも出来たことを数える日々でありたいものだ。
つくづくと誰を想って鳴くのやら夏の欠片につくつく法師
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