久方の曇り日。猛暑は和らいだが風もなくかなりの蒸し暑さだった。
夕方のこと。ツクツクボウシが声を限りに鳴き逝く夏を感じる。
やがてヒグラシも切なげに鳴き始めることだろう。
どの蝉も儚い命である。八日目の蝉の姿を思わずにいられない。
娘達があやちゃんを残し高知市へと出掛ける。
私達も何処かへ出掛けようかと思っていたのだが
あやちゃんを独り残すのも気掛かりであった。
夫も運転が億劫らしく気が進まない様子である。
朝のうちに買い物に行っていたが相変わらずの酒類の多さ。
冷房の効いている店内であっても汗だくになってしまう。
ドラッグにも行っていたので帰宅が少し遅くなってしまった。
「もう出掛けるのはよそう」夫の一言に迷わず頷いていた。
お昼にほか弁をと思いあやちゃんに声を掛けたら
酷く機嫌が悪く「要らない馬鹿」と声を荒げる。
馬鹿は余分だと思い少しお説教をしたら増々怒るのだった。
何度目かの反抗期だろうか。ストレスも溜まっているのだろう。
夫が「もう相手にするな」と言うので以後一切口出しをしない。
夫と二人分だけの「鶏そば」を買って来て昼食を済ませた。
なんとも虚しい。なんとも寂しい。可愛い孫でありながら
なんだかとてつもなく大きな距離を感じた。
夕食も夫と二人で出来合いの物で済ませたが
娘達が帰ってくると誕生日らしくお寿司を買って来ていた。
もちろん私達は完全無視で家族団欒を絵に描いたような様子である。
同居を始めてもうすぐ10年になるがとうとうここまで来たかと思う。
私と夫はもはや居候で家族とは認められていないのだろう。
お寿司が食べたかったのではない。いじけているわけではないが
「ここまでするか」と思うととてつもなく寂しくてならなかった。
昼間あれほど機嫌の悪かったあやちゃんがにこにこの笑顔である。
それはそれでほっとしたがあまりの変わりように戸惑う。
祖父母の存在などもうどうでも良いのだろうと悲しくもあった。
43年前の夜を思い出す。産声を上げなかった娘に泣き叫んだこと。
助産婦さんが娘を逆さにしお尻を叩きやっと泣いてくれたこと。
夏に生まれた子はおひさまの匂いがし愛しくてならなかった。
朗らかで優しい子に育ってくれてただただ感謝しかなかったのだ。
娘はもう私を母とは呼ばない。
「おばあ」と呼びながらつんつんとぶつかってくるばかりである。
| 2024年08月17日(土) |
雨降って地は固まるのか |
お盆が明けると秋めいてくるものだが
まだまだ「処暑」を迎えるまでは厳しい暑さが続きそうだ。
今日は江川崎が39.6℃で群馬の舘林と並び全国一の暑さになった。
「ふるさとは暑さを誇り四万十の水も温みて子等の背を焼く」
水遊びをする子供等の姿が目に浮かび一首書いてみた。
市内も36.6℃と猛暑日であったが午後突然の雷雨がある。
土砂降りとなりなんと心地よい雨音だったことだろう。
熱を帯びていた地面がまるで転がるように喜んでいた。
ちょうどお昼寝中の事で異変に気付いた夫が洗濯物を取り入れてくれる。
おかげで雨に濡らすこともなく大いに助かった。
持つべきものは夫であり娘は全く役に立たない。
その娘が明日誕生日なので一日早く今夜は焼き肉パーティーをした。
パーティーと言っても名ばかりでいつものように夫と先に食べる。
お肉の残り具合も気になりたらふくとは行かなかったが
〆に目玉焼きも食べてお腹がいっぱいになる。
明日は出掛けるそうで夕飯は不要とのこと。
最近の週末はそんな日が多くなり私も楽をさせてもらっている。
昨年の誕生日は最悪であやちゃん以外皆コロナに感染し大変だった。
もう二度とあんな辛さは御免だと思うが再びの感染もあり得るだろう。
感染予防には気を付けているが相手は見えないウィルスである。
以前のような恐怖心は薄れたが不安はいつまでも付いて回るだろう。
日常生活に制限はない。だからこそ用心しなければならない。

週一のカーブスのため仕事は休ませてもらっていたが
義父の稲刈りのこと。同僚の仕事のことが気になってならなかった。
そんなに気になるなら仕事に行けばいいと夫は言うのだが
カーブスを止めてしまったら一切の運動が無くなってしまう。
以前のように歩くこともままならない現実がのしかかってくる。
とにかく筋力を作ること。そのためにもカーブスは必須であった。
今日はお仲間さんの一人が声を掛けてくれて
股関節の手術を勧めてくれたのだが真剣にはなれなかった。
以前は40日程の入院が必要だったが今は2週間で退院出来るらしい。
けれどもその2週間の家事はどうする。仕事はどうするかだった。
それほどまでに自分を評価しているわけではないけれど
たとえ3日でもどうして疎かに出来ようかと思う。
幸いリハビリの効果が大きく日に日に足の痛みが楽になっている。
このまま10年は過ごせるのではないかと過信せざるを得ない。
もし駄目でもあの世まで持って行くことも可能である。
それも良いではないかと思うのだ。死ねば痛みとは無縁になるだろう。
あれこれと考えながら心はけっこう忙しい。
自分の「在り方」も心細くてならないが
生きてさえいれば叶うこともきっとあるだろう。
ああいい人生だったと思えるような最期を迎えたいものだ。
夜明け前には秋の虫の声が聞こえるようになったが
日中は今日も厳しい残暑となった。
江川崎よりも気温が高くなり全国二位となる。
ほぼ40℃に近い猛烈な暑さである
山里はやはり稲刈りで大変な忙しさであった。
義父の友人が三人も手伝いに来てくれていて大助かりである。
皆それぞれに仕事があるだろうになんと申し訳ないことだろう。
今年は天候に恵まれ大豊作とのこと。苦労の甲斐があったようだ。
私と同僚は工場を守るのに精一杯だった。
お盆明けを待ち兼ねていたように来客が押し寄せて来る。
しかし残念ながらエアコン修理はお断りするしかない。
稲刈りが一段落するまではどうしようも出来ないのだ。
田舎の小さな車検場だからこそまかり通るのだろう。
事務仕事が一段落してから母の祭壇を片付けていた。
お供え物の果物等は直ぐに食べないと傷んでしまう。
我が家へ持ち帰ることにしたが林檎はすでに傷んでいた。
わずか数日のことなのになんとも切ないものだ。
母が未練を残さぬように送り火を焚かねばならなかったが
風が思いのほか強く上手く焚けない。
そもそも中腰で座ることが出来なかった。
仕方なく膝を付いて這うようにしながら火を点ける。
けれども強い風に煽られ直ぐに消えてしまうのだった。
日陰ではあったが汗が滝のように流れとうとう諦めてしまった。
松の枝は持ち帰ることにして我が家で送り火を焚くことにする。
昨夜も母の夢を見たのだった。それもリアルな夢であり
お金が無くなってしまった母が万引きをしたのだった。
卵一ケースでも立派な犯罪である。
弁償しなければ帰るに帰れないと言うので親身にならざるを得ない。
母の財布には5百円玉が4個入っていた。
卵は買えたはずなのにどうして万引きなどしたのだろうと思う。
弁償を済ませたら母は牛ではなく馬を引き連れていた。
追いやるつもりなどないのに急いで帰るつもりだったのだろう。
決して迷惑ではなかったのに遠慮していたのかもしれない。
送り火は大きな炎となり燃えたぎった。
母が迷わずあの世に帰れるようにと手を合わす。
そうしてまた来年帰って来てねと声を掛けた。
母と過ごしたお盆が終わった。
母はずっと私の傍に居てくれたのだ。
日中は入道雲に覆われていた西の空が茜色に染まった。
今まで気づかなかったが入道雲は消えてしまうのだろうか。
昼間だけの雲だとしたらなんと不思議なことである。
お盆休みの最終日。てっきり今日が盆明けだと勘違いしていた。
夫に送り火の話をしていたら「明日だぞ」と言われる。
「調べるが好きじゃないか」と言われ早速ググってみた。
正式には13日が盆入りで16日が盆明けであるが
地域によって違うようで15日を盆明けとする処もあるらしい。
しかし一日でも長くと願うのが人の世の常であろう。
我が家は明日の夕方送り火を焚くことになった。
明日なら母の送り火も焚くことが出来るだろう。
夕方までは待てないが仕事を終えてから焚こうと思っている。
昨夜も記したが本当につかの間のことであった。
気持は既に来年のお盆に向かっているようだ。

週一のリハビリの日で3時過ぎに整形外科へと向かう。
「南海トラフ地震情報」が発表されてから一週間が経った。
幸い何事もなく過ぎたが決して油断は出来ないだろう。
政府からも終了の発表があったが安心してはいけないと思う。
かと言って毎日怯えながら暮らす訳にもいかず
心構えをしながら日常を過ごしていかなければならない。
「その時はその時のことぞ」と夫の言葉に頷いていた。
平穏無事はもはや奇跡にも等しい。
感謝する気持ちも大切なことなのに違いない。
リハビリを終えてから帰宅していたら仕事の電話があった。
明日まで待ってもうらことにしたが気が急いてならない。
また忙しくなるのだろう。なんだか武者震いをしているようだ。
義父の稲刈りも気になってならず順調に捗っていることをひたすら願う。
明日になってみなければ何も分からない。
それがまるで得体の知れない物のように思えて不安が付きまとう。
そうして試されているのだろうが身も心も切羽詰まって来るのだった。
何事も崖っぷちに立ってみるべきなのだろう。
決して平坦な道を歩いているのではなかった。
ゴールはきっと真っ青な海なのに違いない。
日暮れが少しずつ早くなっているようだ。
午後7時25分。外はもう薄暗くなっている。
日中の猛暑も少しずつ和らいでいる。
吹き抜ける風にささやかな秋の気配を感じた。
昨夜は予想通りに母の夢を見た。
正確には母が我が家に来てくれた夢であった。
真夜中に目を覚ますと母が隣で寝ているのである。
夫を起こしたら母も目を覚ましお風呂に入りたいと言う。
「シャワーでえいろ?」と訊くと「ゆっくり浸かりたい」と応え
夫がお風呂を溜めに行ってくれたのだった。
それはとてもリアルな光景で夢だとはすぐに気づかない。
お風呂上がりの母のなんとさっぱりとした顔だろう。
何か語り合いたかったが眠気が襲って来てすぐに寝入ってしまった。
目覚めたらもう母の姿はなくやっとそれが夢だったことに気づく。
昨夜寝る前に母の遺影に語り掛けたのだった。
「寂しかったらうちへおいでね」ときっとそれが伝わったのだろう。
母は人一倍霊感の強い人だった。そんな母に私も似ているところがある。
だからこそ通じ合うことが出来たのではないだろうか。
母はあの世から確かに帰って来ているのだと確信した出来事であった。
今朝は夫と一緒に山里へ向かった。
独りぼっちでどんなにか寂しいことだろう。
義父は今日も稲刈りらしく準備をしているところだった。
「今夜も泊まりにおいでよ」母の位牌に手を合わせ帰って来る。
明日はもう帰らなくてはいけないのだ。それがとても切なかった。
ずっと薄情な娘だったのだ。母は私を赦してくれたのだろう。
同時に私も母を赦すことが出来たように思う。
そう信じることで「絆」のようなものが生まれたのを感じた。
死後の世界を知る由もないがきっと幸せなのに違いない。
そうして毎年の盆帰りを楽しみに暮らして行くことだろう。
愛する者たちを守り続けることを使命のように思いながら。
やはり猛暑は和らいでいるようだ。
夜明け前には秋の虫がちりりと鳴くようになった。
日中は厳しい残暑に思えたが江川崎はランキング外であり
関西や中部地方が上位を占めていた。
台風5号は熱低となり日本海へと抜けたが
新たな台風が3つも発生し北上している。
幸い四国には影響がなさそうだが関東や東北は大荒れになりそうだ。
帰省中の人も多いことだろう。ひたすら無事を祈るばかりである。
山里では稲刈りが始まっており義父はお盆どころではなさそうだ。
夕方電話したら「もう迎え火は焚かんぞ」と厳しい口調であった。
人並みの事をと思うがこればかりはどうしようもなかった。
義父の忙しさは予想していた通りであり母もきっと理解してくれるだろう。
憐れではあったが私が山里へ駆け付けることは無理な話である。
我が家では我が家の「迎え火」を焚きご先祖様をお迎えした。
その時に母に声を掛けた。「こちらへ帰っておいで」と。
夫はそれはあり得んと言う。位牌のある場所へ帰るのだと言って聞かない。
それが霊界のしきたりだとしても母なら破る可能性もある。
好きなように自由に帰りたい場所へ行くことが出来るだろうと。
お茶目な母の事である。「間違えちゃった」と声が聞こえるようだ。
おそらく今夜は夢で会えるだろう。きっと笑顔で居てくれるに違いない。

今回が最後となる同人誌が届いた。
掲載費の振込用紙が同封されているだけでD氏からの一言は何もなかった。
長い付き合いであったが最後はこんなもんだろうと気持ちが醒める。
恨む気持ちなど全く無いがD氏の冷酷さを感じずにはいられない。
もう二度と関わる事はない。それが救いのように思えた。
私は我が道を行く。そんな大それたことではないかもしれないが
こつこつと地道に「書く」ことを貫いて行きたいと思う。
どんな困難が待ち受けていようと負けるつもりはなかった。
後ろ指を差されれば折り曲げても前へ進みたいと思っている。
いつか必ず訪れる最期の日のために書いている。
詩も短歌も私にとっては遺書のようなものだ。
お盆を前にして少し猛暑が和らいだのか
今日は江川崎もさほどの暑さではなかったようだ。
ランキング上位は関東地方が占めており厳しい残暑だったことが分る。
台風5号は今朝岩手県大船渡市辺りに上陸し
東北地方を横断する最悪のコースとなった。
雨台風だったのか河川が氾濫し水害のニュースが流れる。
お米の産地でもあり農作物の被害も大きいことだろう。
まして台風には慣れていない地域のこと気の毒でならなかった。
追い打ちをかけるように台風6号が発生する。
台風に発達するだろう熱低も二つ発生しており今後の心配が募る。
地震はもちろんのことだが自然の猛威に人は逆らうことが出来ない。
明日は我が身だとその度に思う。とても他人事ではなかった。

朝のうちにちーちゃんに会いに行っていた。
「もんちょるかね」と声を掛けると「おう来てくれたか」と声が聞こえる。
なんと懐かしい声だろう。目頭が熱くなるばかりであった。
正式なお盆は明日からだがちーちゃんは早めに帰って来たので
他の人よりも長くゆっくりと自宅で過ごせることだろう。
奥さんのなっちゃんもそれを喜んでおり「おとうは得した」と笑った。
川漁にも行けるね。鰻を獲って来てくれるね。と喜びあう。
これからも毎年帰って来てくれるのだ。お盆が楽しみなるだろう。
「死」は決して絶望ではないのだと改めて思う。
姿は見えなくなっても魂は永遠に在り続けるのに違いない。

午後は少しお昼寝をしてから夫と一緒に高校野球を観ていた。
明徳義塾は常連校であるが県内出身の選手はゼロに等しい。
北海道出身の選手が3人も居ると知り驚く。
けれども高知県代表には違いなく応援せずにはいられなかった。
結果は圧勝であっさりと初戦突破であった。
もう少し接戦でも良かったなと夫と語り合ったことだった。
オリンピックが終りよさこい祭りも終わった。
お盆が終われば少しずつ秋めいて来ることだろう。
そうして季節は流れて行くのだがなんとなく切ないものである。
私は置き去りにされて行くように思い心細くてならない。
花が終われば種になるが私はおそらく散ったままだろう。
それがそのまま浮かばれない人生へと繋がって行く気がするのだった。
「認められない」ことはそう云うことなのではないだろうか。
ちーちゃんはいつも新聞の歌壇を見てくれていて
「出ちょったなあ」と自分の事のように喜んでくれたのだった。
「在りし日の君の姿を船に乗せ大河輝く光に満ちて」
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