ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月15日(木) 消えた入道雲

日中は入道雲に覆われていた西の空が茜色に染まった。

今まで気づかなかったが入道雲は消えてしまうのだろうか。

昼間だけの雲だとしたらなんと不思議なことである。



お盆休みの最終日。てっきり今日が盆明けだと勘違いしていた。

夫に送り火の話をしていたら「明日だぞ」と言われる。

「調べるが好きじゃないか」と言われ早速ググってみた。

正式には13日が盆入りで16日が盆明けであるが

地域によって違うようで15日を盆明けとする処もあるらしい。

しかし一日でも長くと願うのが人の世の常であろう。

我が家は明日の夕方送り火を焚くことになった。

明日なら母の送り火も焚くことが出来るだろう。

夕方までは待てないが仕事を終えてから焚こうと思っている。

昨夜も記したが本当につかの間のことであった。

気持は既に来年のお盆に向かっているようだ。




週一のリハビリの日で3時過ぎに整形外科へと向かう。

「南海トラフ地震情報」が発表されてから一週間が経った。

幸い何事もなく過ぎたが決して油断は出来ないだろう。

政府からも終了の発表があったが安心してはいけないと思う。

かと言って毎日怯えながら暮らす訳にもいかず

心構えをしながら日常を過ごしていかなければならない。

「その時はその時のことぞ」と夫の言葉に頷いていた。

平穏無事はもはや奇跡にも等しい。

感謝する気持ちも大切なことなのに違いない。


リハビリを終えてから帰宅していたら仕事の電話があった。

明日まで待ってもうらことにしたが気が急いてならない。

また忙しくなるのだろう。なんだか武者震いをしているようだ。

義父の稲刈りも気になってならず順調に捗っていることをひたすら願う。


明日になってみなければ何も分からない。

それがまるで得体の知れない物のように思えて不安が付きまとう。

そうして試されているのだろうが身も心も切羽詰まって来るのだった。


何事も崖っぷちに立ってみるべきなのだろう。

決して平坦な道を歩いているのではなかった。

ゴールはきっと真っ青な海なのに違いない。



2024年08月14日(水) 母の寝息

日暮れが少しずつ早くなっているようだ。

午後7時25分。外はもう薄暗くなっている。

日中の猛暑も少しずつ和らいでいる。

吹き抜ける風にささやかな秋の気配を感じた。



昨夜は予想通りに母の夢を見た。

正確には母が我が家に来てくれた夢であった。

真夜中に目を覚ますと母が隣で寝ているのである。

夫を起こしたら母も目を覚ましお風呂に入りたいと言う。

「シャワーでえいろ?」と訊くと「ゆっくり浸かりたい」と応え

夫がお風呂を溜めに行ってくれたのだった。

それはとてもリアルな光景で夢だとはすぐに気づかない。

お風呂上がりの母のなんとさっぱりとした顔だろう。

何か語り合いたかったが眠気が襲って来てすぐに寝入ってしまった。

目覚めたらもう母の姿はなくやっとそれが夢だったことに気づく。


昨夜寝る前に母の遺影に語り掛けたのだった。

「寂しかったらうちへおいでね」ときっとそれが伝わったのだろう。

母は人一倍霊感の強い人だった。そんな母に私も似ているところがある。

だからこそ通じ合うことが出来たのではないだろうか。

母はあの世から確かに帰って来ているのだと確信した出来事であった。



今朝は夫と一緒に山里へ向かった。

独りぼっちでどんなにか寂しいことだろう。

義父は今日も稲刈りらしく準備をしているところだった。

「今夜も泊まりにおいでよ」母の位牌に手を合わせ帰って来る。

明日はもう帰らなくてはいけないのだ。それがとても切なかった。

ずっと薄情な娘だったのだ。母は私を赦してくれたのだろう。

同時に私も母を赦すことが出来たように思う。

そう信じることで「絆」のようなものが生まれたのを感じた。


死後の世界を知る由もないがきっと幸せなのに違いない。

そうして毎年の盆帰りを楽しみに暮らして行くことだろう。


愛する者たちを守り続けることを使命のように思いながら。








2024年08月13日(火) 母の迎え火

やはり猛暑は和らいでいるようだ。

夜明け前には秋の虫がちりりと鳴くようになった。

日中は厳しい残暑に思えたが江川崎はランキング外であり

関西や中部地方が上位を占めていた。


台風5号は熱低となり日本海へと抜けたが

新たな台風が3つも発生し北上している。

幸い四国には影響がなさそうだが関東や東北は大荒れになりそうだ。

帰省中の人も多いことだろう。ひたすら無事を祈るばかりである。



山里では稲刈りが始まっており義父はお盆どころではなさそうだ。

夕方電話したら「もう迎え火は焚かんぞ」と厳しい口調であった。

人並みの事をと思うがこればかりはどうしようもなかった。

義父の忙しさは予想していた通りであり母もきっと理解してくれるだろう。

憐れではあったが私が山里へ駆け付けることは無理な話である。


我が家では我が家の「迎え火」を焚きご先祖様をお迎えした。

その時に母に声を掛けた。「こちらへ帰っておいで」と。

夫はそれはあり得んと言う。位牌のある場所へ帰るのだと言って聞かない。

それが霊界のしきたりだとしても母なら破る可能性もある。

好きなように自由に帰りたい場所へ行くことが出来るだろうと。

お茶目な母の事である。「間違えちゃった」と声が聞こえるようだ。

おそらく今夜は夢で会えるだろう。きっと笑顔で居てくれるに違いない。




今回が最後となる同人誌が届いた。

掲載費の振込用紙が同封されているだけでD氏からの一言は何もなかった。

長い付き合いであったが最後はこんなもんだろうと気持ちが醒める。

恨む気持ちなど全く無いがD氏の冷酷さを感じずにはいられない。

もう二度と関わる事はない。それが救いのように思えた。


私は我が道を行く。そんな大それたことではないかもしれないが

こつこつと地道に「書く」ことを貫いて行きたいと思う。

どんな困難が待ち受けていようと負けるつもりはなかった。

後ろ指を差されれば折り曲げても前へ進みたいと思っている。


いつか必ず訪れる最期の日のために書いている。

詩も短歌も私にとっては遺書のようなものだ。



2024年08月12日(月) 置き去りの夏

お盆を前にして少し猛暑が和らいだのか

今日は江川崎もさほどの暑さではなかったようだ。

ランキング上位は関東地方が占めており厳しい残暑だったことが分る。


台風5号は今朝岩手県大船渡市辺りに上陸し

東北地方を横断する最悪のコースとなった。

雨台風だったのか河川が氾濫し水害のニュースが流れる。

お米の産地でもあり農作物の被害も大きいことだろう。

まして台風には慣れていない地域のこと気の毒でならなかった。


追い打ちをかけるように台風6号が発生する。

台風に発達するだろう熱低も二つ発生しており今後の心配が募る。

地震はもちろんのことだが自然の猛威に人は逆らうことが出来ない。

明日は我が身だとその度に思う。とても他人事ではなかった。




朝のうちにちーちゃんに会いに行っていた。

「もんちょるかね」と声を掛けると「おう来てくれたか」と声が聞こえる。

なんと懐かしい声だろう。目頭が熱くなるばかりであった。

正式なお盆は明日からだがちーちゃんは早めに帰って来たので

他の人よりも長くゆっくりと自宅で過ごせることだろう。

奥さんのなっちゃんもそれを喜んでおり「おとうは得した」と笑った。

川漁にも行けるね。鰻を獲って来てくれるね。と喜びあう。

これからも毎年帰って来てくれるのだ。お盆が楽しみなるだろう。


「死」は決して絶望ではないのだと改めて思う。

姿は見えなくなっても魂は永遠に在り続けるのに違いない。




午後は少しお昼寝をしてから夫と一緒に高校野球を観ていた。

明徳義塾は常連校であるが県内出身の選手はゼロに等しい。

北海道出身の選手が3人も居ると知り驚く。

けれども高知県代表には違いなく応援せずにはいられなかった。

結果は圧勝であっさりと初戦突破であった。

もう少し接戦でも良かったなと夫と語り合ったことだった。


オリンピックが終りよさこい祭りも終わった。

お盆が終われば少しずつ秋めいて来ることだろう。

そうして季節は流れて行くのだがなんとなく切ないものである。


私は置き去りにされて行くように思い心細くてならない。

花が終われば種になるが私はおそらく散ったままだろう。

それがそのまま浮かばれない人生へと繋がって行く気がするのだった。

「認められない」ことはそう云うことなのではないだろうか。


ちーちゃんはいつも新聞の歌壇を見てくれていて

「出ちょったなあ」と自分の事のように喜んでくれたのだった。


「在りし日の君の姿を船に乗せ大河輝く光に満ちて」



2024年08月11日(日) よさこいよさこい

少しずつ日が短くなっていて日暮れが早くなった。

今はほうずき色の空。暑かった一日に幕を下ろそうとしている。


相変わらずの猛暑で今日は江川崎が全国一だった。

夫に報告すると「何を喜んでいるんだ」と笑われてしまう。

余程の目立ちたがり屋なのだろう。一番はやっぱり嬉しい。



今朝は従兄弟のちーちゃんの初盆供養があった。

お寺さんが多忙とのことで午前八時からと案内がある。

夫婦で押しかける訳にもいかず夫が一人で焼香に行った。

ちーちゃんが帰って来る。なんと嬉しいことだろう。

面影を探し続けた8ヶ月であった。

もう居ないのだと思い知る度に寂しさが胸に込み上げるばかり。

ひとはどうしようもなく死んでしまう現実が悲しくてならなかった。

「今日は忙しいかもしれんぞ」と夫が言うので

明日焼香に行こうと思っている。ちーちゃんに会いたくてたまらない。




娘達があやちゃんを残して「よさこい祭り」を観に行った。

どれ程の混雑だろうと気になったが快く送り出す。

踊るのが大好きなめいちゃんがどんなにか喜ぶことだろう。

夫と私はテレビのライブ放送を観ていた。

猛暑にも負けず笑顔の踊り子さん達に感動を覚える。

「地震騒動」で急きょ出場を辞退したチームもあるそうだ。

残念でならないか無事に開催されたことを喜ぶべきだろう。

大地震の不安よりも「いま」を楽しむことである。

もしも最悪の事態になってもそれはその時のことだと思う。



午後7時20分。まだ完全に日は暮れていないが

西の空にか細い三日月がぽっかりと浮かんでいる。

まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心がほっこりと和む。


詩も短歌も精一杯の日々が続いている。

なんだか毎日試されているような気がしてならない。

「書けるもんなら書いてみろ」何処からかそんな声が聞こえて来る。

老いぼれにもそれなりの感性があった。それを誇りに思いたい。


「ふるさとの気温が今日も日本一子供の頃の夏が懐かし」



2024年08月10日(土) お盆玉

朝風の涼しさもつかの間のこと。日中は今日も厳しい残暑となる。

江川崎は今日も全国一の暑さであったが午後には愛知県豊田市に抜かれた。

わずか0.9℃の差である。お日様の頑張りが足らなかったのだろう。

どうせ暑くなるのならとことん上を目指して欲しいと馬鹿なことを思う。


山里は平野部よりも少し気温が低く35℃程であった。

風があり木陰に立つと思いがけない涼風が吹き抜ける。

確実に秋が近づいているのを感じほっと空を仰いだ。



明日から15日までお盆休みとなるため今日は仕事だった。

預かっている車の整備を済ませ納車しなければならない。

ボーナスの支給は出来ないが寸志の「お盆玉」の準備をする。

昔はお盆と年末は掻き入れ時であったが今は無縁となった。

現金収入は殆ど無く預金を崩すしか手段はない。

その預金も底を尽きかけていたが思い切って引き出した。

後は野となれ山となれである。きっとなんとかなるだろう。


「お盆玉」を一番喜んでくれたのは義父であった。

なんとも嬉しそうに受け取ってくれて満面の笑顔になる。

これまで毎月の役員報酬もまともに支払えずにいたのだった。

そうして経営難を乗り越えて来た。我ながらよくやったと思う。



朝のうちに母の初盆の準備をした。

事務所に山積みになっていたお供え物も運び入れる。

胡瓜で馬を作り茄子で牛を作った。

母の好きだった葡萄。林檎や梨、ビールとコーヒーも供える。

仕事中だった義父も様子を見に来て「おお完璧や」と言ってくれた。

これまで義父に任せっきりだったがやっと娘らしいことが出来た。


13日には迎え火を焚かねばならずそれだけは義父に託す。

母はきっと胡瓜の馬に乗って大急ぎで帰って来てくれるだろう。

とにかくやれるだけのことをやったのだ。母も赦してくれるに違いない。

いつまでも薄情な娘ではいられない私はそればかりを思っている。


魂のありかを知りたい。母はいったい何処から帰って来るのだろう。





2024年08月09日(金) 「平穏」を噛みしめる

秋は名のみの陽射しの強さよ。連日の猛暑日が続いており

江川崎では39.3℃を記録したようだ。

午前中は全国一であったが午後から三重県の桑名市に抜かれてしまう。

なんと40.4℃の驚異的な暑さであった。

毎日のランキングを見るのが日課となってしまって

決して喜ぶべきことではないのに一喜一憂している。



昨日の地震はやはり「南海トラフ巨大地震」の前兆であるらしい。

一週間以内に襲って来る可能性があるとのことで気が気ではなかった。

今日かも知れない明日かも知れないと不安は募るばかりである。

備えながら日常生活を送るようにと言われても途方に暮れてしまう。

それはその時何処に居るのかでも随分と違って来るだろう。

出来ることなら家族がみな揃っている時間帯を望むが

そうそう理想どうりにはいかないだろう。

夫に言わせれば「その時はその時のことよ」それが正解だと思う。

とにかく身を守らなければ避難することもままならないだろう。

当たって砕けろではないが身構えるように過ごすしかなかった。




今朝は職場に着くなりトラブルがあった。

半年前に中古車を購入してくれたお客さんが怒鳴り込んで来る。

いつもは穏やかな人なのに余程腹が立っていたのだろう。

急にエアコンが効かなくなったのだそうだ。

お孫さんのために購入してくれていたので「孫が死ぬぞ」と怒鳴る。

幸い義父が居てくれたので直ぐに対応してくれて助かった。

どうやらエアコンの故障ではなくオーバーヒートが原因のようだった。

中古車の場合一年間は保障しているので無償で修理が可能だったが

「もう新車にするか」と義父と意気投合し早速に購入することになる。

めでたしめでたしで一件落着となりなんとほっとしたことだろう。

「怒鳴って済まんかったな」と私に握手を求めて来た。

いつもの穏やかな笑顔である。握った手のひらのなんと暖かいこと。





今夜は夫が息子のマンションに行っている。

入浴後の晩酌も我慢しささっと夕食を食べてから出掛けて行った。

息子は準夜勤で10時までの勤務だと云うこと。

いつもならけい君は独りで留守番をしているのだが

地震騒動で余程心細くなったのだろう。

もし今夜大地震が来たらと思うととても独りでは置いていられない。

息子が帰宅するまで一緒に居てあげたらどんなにか安心なことか。


本来なら我が家で預かるのが一番なのだが

もはや居候化した私達に決める権利はないように思う。

息子とけい君が不憫でならなかったが穏便に済ますのが得策のようだ。


日々は流れて行く。その流れに逆らってはいけない。

もがけばもがく程泥沼に足を取られるのに違いない。

誰にも辛い思いをさせずに「平穏」を噛みしめる日々であることを願う。


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