少しずつ日が短くなっていて日暮れが早くなった。
今はほうずき色の空。暑かった一日に幕を下ろそうとしている。
相変わらずの猛暑で今日は江川崎が全国一だった。
夫に報告すると「何を喜んでいるんだ」と笑われてしまう。
余程の目立ちたがり屋なのだろう。一番はやっぱり嬉しい。
今朝は従兄弟のちーちゃんの初盆供養があった。
お寺さんが多忙とのことで午前八時からと案内がある。
夫婦で押しかける訳にもいかず夫が一人で焼香に行った。
ちーちゃんが帰って来る。なんと嬉しいことだろう。
面影を探し続けた8ヶ月であった。
もう居ないのだと思い知る度に寂しさが胸に込み上げるばかり。
ひとはどうしようもなく死んでしまう現実が悲しくてならなかった。
「今日は忙しいかもしれんぞ」と夫が言うので
明日焼香に行こうと思っている。ちーちゃんに会いたくてたまらない。

娘達があやちゃんを残して「よさこい祭り」を観に行った。
どれ程の混雑だろうと気になったが快く送り出す。
踊るのが大好きなめいちゃんがどんなにか喜ぶことだろう。
夫と私はテレビのライブ放送を観ていた。
猛暑にも負けず笑顔の踊り子さん達に感動を覚える。
「地震騒動」で急きょ出場を辞退したチームもあるそうだ。
残念でならないか無事に開催されたことを喜ぶべきだろう。
大地震の不安よりも「いま」を楽しむことである。
もしも最悪の事態になってもそれはその時のことだと思う。
午後7時20分。まだ完全に日は暮れていないが
西の空にか細い三日月がぽっかりと浮かんでいる。
まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心がほっこりと和む。
詩も短歌も精一杯の日々が続いている。
なんだか毎日試されているような気がしてならない。
「書けるもんなら書いてみろ」何処からかそんな声が聞こえて来る。
老いぼれにもそれなりの感性があった。それを誇りに思いたい。
「ふるさとの気温が今日も日本一子供の頃の夏が懐かし」
朝風の涼しさもつかの間のこと。日中は今日も厳しい残暑となる。
江川崎は今日も全国一の暑さであったが午後には愛知県豊田市に抜かれた。
わずか0.9℃の差である。お日様の頑張りが足らなかったのだろう。
どうせ暑くなるのならとことん上を目指して欲しいと馬鹿なことを思う。
山里は平野部よりも少し気温が低く35℃程であった。
風があり木陰に立つと思いがけない涼風が吹き抜ける。
確実に秋が近づいているのを感じほっと空を仰いだ。
明日から15日までお盆休みとなるため今日は仕事だった。
預かっている車の整備を済ませ納車しなければならない。
ボーナスの支給は出来ないが寸志の「お盆玉」の準備をする。
昔はお盆と年末は掻き入れ時であったが今は無縁となった。
現金収入は殆ど無く預金を崩すしか手段はない。
その預金も底を尽きかけていたが思い切って引き出した。
後は野となれ山となれである。きっとなんとかなるだろう。
「お盆玉」を一番喜んでくれたのは義父であった。
なんとも嬉しそうに受け取ってくれて満面の笑顔になる。
これまで毎月の役員報酬もまともに支払えずにいたのだった。
そうして経営難を乗り越えて来た。我ながらよくやったと思う。
朝のうちに母の初盆の準備をした。
事務所に山積みになっていたお供え物も運び入れる。
胡瓜で馬を作り茄子で牛を作った。
母の好きだった葡萄。林檎や梨、ビールとコーヒーも供える。
仕事中だった義父も様子を見に来て「おお完璧や」と言ってくれた。
これまで義父に任せっきりだったがやっと娘らしいことが出来た。
13日には迎え火を焚かねばならずそれだけは義父に託す。
母はきっと胡瓜の馬に乗って大急ぎで帰って来てくれるだろう。
とにかくやれるだけのことをやったのだ。母も赦してくれるに違いない。
いつまでも薄情な娘ではいられない私はそればかりを思っている。
魂のありかを知りたい。母はいったい何処から帰って来るのだろう。
| 2024年08月09日(金) |
「平穏」を噛みしめる |
秋は名のみの陽射しの強さよ。連日の猛暑日が続いており
江川崎では39.3℃を記録したようだ。
午前中は全国一であったが午後から三重県の桑名市に抜かれてしまう。
なんと40.4℃の驚異的な暑さであった。
毎日のランキングを見るのが日課となってしまって
決して喜ぶべきことではないのに一喜一憂している。
昨日の地震はやはり「南海トラフ巨大地震」の前兆であるらしい。
一週間以内に襲って来る可能性があるとのことで気が気ではなかった。
今日かも知れない明日かも知れないと不安は募るばかりである。
備えながら日常生活を送るようにと言われても途方に暮れてしまう。
それはその時何処に居るのかでも随分と違って来るだろう。
出来ることなら家族がみな揃っている時間帯を望むが
そうそう理想どうりにはいかないだろう。
夫に言わせれば「その時はその時のことよ」それが正解だと思う。
とにかく身を守らなければ避難することもままならないだろう。
当たって砕けろではないが身構えるように過ごすしかなかった。

今朝は職場に着くなりトラブルがあった。
半年前に中古車を購入してくれたお客さんが怒鳴り込んで来る。
いつもは穏やかな人なのに余程腹が立っていたのだろう。
急にエアコンが効かなくなったのだそうだ。
お孫さんのために購入してくれていたので「孫が死ぬぞ」と怒鳴る。
幸い義父が居てくれたので直ぐに対応してくれて助かった。
どうやらエアコンの故障ではなくオーバーヒートが原因のようだった。
中古車の場合一年間は保障しているので無償で修理が可能だったが
「もう新車にするか」と義父と意気投合し早速に購入することになる。
めでたしめでたしで一件落着となりなんとほっとしたことだろう。
「怒鳴って済まんかったな」と私に握手を求めて来た。
いつもの穏やかな笑顔である。握った手のひらのなんと暖かいこと。

今夜は夫が息子のマンションに行っている。
入浴後の晩酌も我慢しささっと夕食を食べてから出掛けて行った。
息子は準夜勤で10時までの勤務だと云うこと。
いつもならけい君は独りで留守番をしているのだが
地震騒動で余程心細くなったのだろう。
もし今夜大地震が来たらと思うととても独りでは置いていられない。
息子が帰宅するまで一緒に居てあげたらどんなにか安心なことか。
本来なら我が家で預かるのが一番なのだが
もはや居候化した私達に決める権利はないように思う。
息子とけい君が不憫でならなかったが穏便に済ますのが得策のようだ。
日々は流れて行く。その流れに逆らってはいけない。
もがけばもがく程泥沼に足を取られるのに違いない。
誰にも辛い思いをさせずに「平穏」を噛みしめる日々であることを願う。
| 2024年08月08日(木) |
何があっても私は「わたし」 |
晴れたり曇ったり。ほんの少し暑さが和らいだように感じたが
江川崎では39.9℃とまた全国一の猛暑を記録したようだ。
同じ四万十市でも山間部と平野部では随分と違うことに驚く。
四万十川の中流域であっても川風の影響を受けないのだろう。
不思議なものである。地形に熱がこもりやすいのかもしれない。
仕事の疲れだろうか鬱ほどではないが気分が落ち込む。
SNSでは毎朝必ず声を掛けてくれる人がいるのだが
これまでのように直ぐに返信出来なくなってしまった。
心苦しくもあるが時間を置いてお昼にやっと返信している。
今朝はなんとか配慮して貰えないものかと思った。
そんな勝手がまかり通るわけがないことは重々承知している。
決してコミュニケーションが苦手なわけではないのだ。
ただ社交辞令の連続に気分が付いて行かなくなっている。
おそらく明日も明後日も続くことだろう。
仕事は相変わらず義父に振り回されており精神的に疲れる。
今朝はエアコン修理を待ち兼ねたお客さんから苦情があり
「もう直さんでもえい」と言われて車を引き取って行かれた。
とにかく日数が掛かるのだ。義父にしか出来ない仕事である。
義父も精一杯なだけになんとも残念でならなかった。
昨日高知市の専門店へ預けた搬送車も修理不可能とのこと。
義父の落胆は大きくひたすら嘆くばかりであった。
会社には新しく買い替える余裕など全くなく困り果てている。
なんだか酷く追い詰められたような気分になり落ち込むばかりであった。
けれども投げ遣りになってしまったら元も子もない。
今までの努力を水にしてしまうわけにはいかないのだ。
それは難破船の沈没にも等しい。もう絶体絶命でもある。
今日はなんとか乗り越えたが明日のことは分からない。
お盆休みを目前にしてこれほど窮地に立たされるとは思ってもいなかった。

3時過ぎに退社。週一のリハビリは4時の予約であった。
リハビリを終えたらレントゲンを撮り診察を待つ。
やっと名前を呼ばれ診察室に入るなり地震のアラームが鳴り響く。
大勢の患者さんが居て一斉に鳴り出したものだから一瞬パニックになった。
幸い大きな揺れではなかったが横揺れが長かったように感じる。
院長先生の指示で取り合えず皆外に出たが直ぐに落ち着いた。
日向灘が震源地で宮崎が震度6弱の大きな揺れだったようだ。
四万十市は震度2だったことを後になって知る。
南海トラフとの関連性も調査中とのことで気が気ではなかった。
しばらくは余震もありそうで油断は出来ない。
大地震の前触れではないことをひたすら祈るばかりである。
診察の結果は良好。とにかく現状維持に努めなければいけない。
完治は在り得なくても自分の足で歩けることが肝心に思えた。
私にも「前途」は在るのだろう。
悲観からは何も生まれないことを改めて肝に銘じた。
何があっても私は「わたし」なのだ。
決してのんべんだらりと生きてなどいない。
二十四節気の「立秋」暦の上ではもう秋である。
けれども何処吹く風と今日も猛暑日となった。
おそらく処暑までは厳しい残暑が続くことだろう。
私は夏の退くさまがなんとなく好きである。
それはどの季節にも云えることだが
潔く去って行く季節などありはしないのだ。
燃え尽きたように去る夏。寄り添うように訪れる秋。
そんな「別れ」の光景にはつい感傷的になってしまうものだ。

早朝から義父は高知市へ。今日は搬送車の修理の為だった。
これまでも故障はあって部品を注文しては自分で直していたのだが
今回は複雑な部分らしく専門店へ出向くしかなかったようだ。
搬送車はもちろん会社でも使用するが殆どが農機具の搬送に使っている。
稲刈りを目前に控えどれ程困惑したことだろう。
困ったのはエアコンも故障していることだった。
灯台下暗しではないがお客さん優先で後回しになってしまっていた。
早朝に出掛けたが日中の猛暑にはさすがに参ったらしく
「暑うてたまらんぞ」と泣きそうな声で電話が掛かって来た。
なんとか無事に専門店へ辿り着いたがしばらく預けなければならず
仕方なく列車を利用して帰って来たようだ。
夕方の電話では「稲刈りが出来んぞ」と嘆きまくっていた。
憐れでならないがこればかりはどうしようもないことである。
大手は10日から一週間盆休みなのだそうだ。
部品は入っても修理は再来週からになるだろう。
義父の気が鎮まってくれれば良いが先が思い遣られるばかりである。
午後、身体の怠さと眠気が酷く2時に退社した。
自販機で缶コーヒーを買い煙草を吸いながら帰る。
まだ水曜日なのに明日は大丈夫なのかと不安になった。
買い物を済ませ帰宅するなり横になったのだが
夫が「八丁堀の七人」を見始めて一緒に見ることにした。
最終回だったようだ。どの番組も最終回はなかなかよろしい。
夕食後、夕陽を仰ぎつつ短歌を二首書く。
短歌の場合は「詠む」が正解らしいが
なんだか私には相応しくないように思えてならない。
「かっこつけるんじゃない」歌人でもないくせにと思う。
詩もそうだが一生掛かっても認められることはないだろう。
「秋隣風の噂も聞きそびれきみ棲む街に夕陽が落ちる」
短歌には季語は必要ないのだが「秋隣」と云う言葉が好きだった。
「あきとなり」これは立秋前の夏の季語であるらしい。
けれども立秋に相応しく思えてならなかった。
隣に秋がいるのだ。そう思うだけでほっとする。
終らない夏はないがすべてのことがいつかは終るのだろう。
大気が余程不安定なのだろう。今日も雷雨があったらしい。
山里では一滴も降らなかったので帰宅してから知る。
空が暗くなった時に夫が早めに洗濯物を取り入れてくれたのだそうだ。
「どうだ、俺も役に立つぞ」と言わんばかりに得意げな顔をして見せる。
土砂降りの雨だったそうで洗濯物が濡れずに済み何よりだった。
一雨降れば気温が下がるはずだがそうは問屋が卸さず
西日が射す二階の自室は38℃にもなっていた。
猛暑には慣れたが汗が滝のように噴き出る。
先月の電気代が3万円を超えていて大いに家計に響くが
エアコン無しでどうして過ごすことが出来よう。

仕事は相変わらずの忙しさだった。
朝一にタイヤ交換に来てくれた高齢のお客さんが
「迷惑かもしれんがのう」と言ってお茄子を沢山持って来てくれる。
毎朝収穫していてとても食べ切れないのだそうだ。
迷惑だなんてとんでもない。笑顔で有難く頂いたのは言うまでもない。
義父と同僚と3人で分ける。同僚は肉炒めにすると言っていた。
同僚はお母さんと二人暮らしだったが昨年老人施設に入居したのだった。
自炊にもすっかり慣れた様子で微笑ましく思う。
今日もエアコン修理が2台入庫した。
一台はスイッチの故障。もう一台はガス漏れである。
義父の見立ては完璧で頭が下がるばかりであった。
「お盆休みまでに直さんといかんな」義父もやる気になってくれる。
そんなこんなで今日は機嫌が良くほっとしたことだった。
3時に退社。事務も忙しかったのでなんだか疲れを感じる。
仕事は好きだが疲れるとつい「もう嫌だな」と思ってしまう。
若い頃のようにリセット出来なくなってしまったのだ。
買い物を済ませ帰宅するとポストに「詩誌」が届いていた。
SNSを通じて知り合った詩人さんが送ってくれたのだ。
とても新鮮な魅力を感じる。きっと良き刺激となるだろう。
ふと仲間に入れてくれまいかと思ったが身の程知らずだと直ぐに気づく。
世のなか捨てる神あれば拾う神ありとは限らないのだ。
けれどもこれまで参加していた詩誌を追放されてから
前途が随分と明るくなったような気がする。
もうくよくよと思い詰めることもないだろう。
「未来」と云うほどの時はもう残っていないかもしれない。
いつが最後になるかも分からない崖っぷちに立っている。
飛び込む勇気はないがいつまでも風に吹かれていたいものだ。
猛暑も一休み。山里では午後雷雨があった。
つかの間のことであったが一気に気温が下がる。
「立秋」も近くなんだか希望のように思えて来た。
終らない夏など決してありはしないのだ。
今朝の山道では鉄砲百合を多く見かける。
少し調べてみたら「高砂百合」が本当のようだ。
初夏に咲く鉄砲百合の仲間ではあるが花の形が違うらしい。
素人目では見分けがつかず私はずっと鉄砲百合だと思っていた。
山肌に咲いていることが多く群生しているようだった。
純白で清楚な花は本来の百合の姿なのに違いない。

週末にはもうお盆休みに突入するためか仕事の忙しいこと。
車検の入庫や相変わらずエアコン修理も多かった。
義父の機嫌がすこぶる悪い。苛立ちがピークになっているようだ。
朝の内はしぶしぶ仕事をしてくれたが直ぐにまた田んぼへ走る。
お昼になっても帰らず今日も昼食抜きであった。
畔の草刈りがそれ程までに大切なのかと思う。
恐る恐る訊けば稲刈り前に済ましておかなければいけないのだそうだ。
今年は特に夏草の成長が著しく何処も大草になっているらしい。
その分稲の成長も早く気が急くばかりなのだろう。
村でも一二を争う作付け数であった。その苦労は並大抵のことではない。
とにかく機嫌を損ねないこと。それは少なからずストレスになっていく。
そうして上手に回していかなければいけない。それも私の仕事であった。
お盆が近くなりお供え物を持って来てくれる人も多くなった。
仏壇にはまだ供えられず事務所に山積みになっている。
そのまま放置出来ないことは義父も心得ているようだ。
私は何も手伝えず心苦しくてならないが義父に任せるしかなかった。
迎え火を焚けば母が帰って来るのだろうか。
多忙な義父の傍らで寛ぐことが出来るのだろうか。
いっそのこと我が家へと思ったが二ヵ所で迎え火を焚いてはいけないらしい。
霊が迷うのだろう。そうして帰る場所を見失ってしまったら
母があまりにも憐れで可哀想に思えて来る。
もしかしたら「帰らんでもえい」と拗ねているかもしれなかった。
そんな母をどうやって宥めたら良いのだろう。
初めての盆帰りである。母には楽しみに帰って来て欲しかった。
声も聴こえず姿も見えないが母の魂はいったい何処にいるのだろう。
|