夕陽が燃えながら沈もうとしている。
燃え尽きはしないのだ。灰になることもありはしない。
日中は38.7℃全国3位の猛暑だったようだ。
8月の声を聞くなり黄花コスモスが咲き始めた。
職場のすぐ近くに咲いておりほっと心が和む。
誰かが植えたとは思えず何処からか種が飛んで来たのだろう。
自然の営みのなんと素晴らしいことだろうか。
秋桜の仲間だと思われるが小さな秋を見つけたような気がした。
秋が立てばきっとあちらこちらで誇らしげに咲くのに違いない。
終らない夏はありはせず季節はゆっくりと秋に向かっている。
その気配を感じなければいけない。自然はきっと教えてくれるだろう。

義父がまた高知市へ出張。毎月のように理事会がある。
何か揉め事があるらしく頭を悩ませているようだ。
稲刈りも近くなり気が気ではない様子が伝わってくる。
あれもこれもと背負い過ぎなのだ。人一倍責任感も強い。
とても身が持たないと気遣うがそんな義父が誇りでもあった。
工場の仕事も気になるらしく二度電話があった。
同僚と連携し今日の仕事はなんとか終えることが出来る。
事務仕事も忙しかったが3時前に退社。
週一のリハビリの日で整形外科へと向かう。
今日は朝から杖に頼らずに過ごしていた。
最初は心細かったが次第に慣れて来る。
よっしいけるぞと思い杖なしで病院の門をくぐった。
療法士さんの驚いたこと。「調子良さそうですね」と言ってくれる。
施術中も全く痛みを感じず絶好調であった。
一時的な事かもしれないが明らかに快方に向かっているのだと思う。
完治の見込みはなくても日常生活に支障が無くなるのが望みだった。
今後も希望を持ってリハビリを続けようと強く思う。
もう駄目だと諦めることは決してないだろう。
サニーマートで買い物をして5時前に帰宅。
もうゆっくりする時間はなかったがパソコンに向かった。
「短歌写真部」なるものがあるのを知って一度挑戦してみようと思う。
短歌一首に写真を貼り付ければ良いのだそうだ。
オリジナルの砂浜の写真を選んだ。そうして一首を捻る。
「さらさ砂足跡さえも残さずに深まる夏を追う君がいる」
これは年甲斐もなく恋の歌であった。
何しろ写真が20年以上も昔の写真である。
私はまだ「おんな」であり恋多き年頃であった。
木っ端恥ずかしいたらありゃしない。
あああ馬鹿みたいと思う。でももう後の祭りである。
溺れる者は藁をも掴むと云うが今日はその藁を掴んだ。
藁どころか雲を掴むような愚かな私であった。
連日の猛暑日。焼けつくような強い陽射しだった。
七月は尽き「立秋」まで後7日である。
厳しい残暑は覚悟しているがせめて朝晩の涼しさがあればと願う。
SNSを通じて知り合った友人の命日だった。
一年が経つのがなんと早かったことだろう。
未だに生きているような気がしてならない。
気さくで優しい人だった。そのぬくもりが愛しい。
ひとはどうしようもなく死んでしまう。
たとえ定命だとしてもあまりにも残酷である。
残されたご家族の気持ちを思うと胸が張り裂けそうだった。
夜明けまえに「日にち薬」の詩を書いた。
ご家族に伝わればと思ったのだがどうやら駄目だったようだ。
今日も薬。明日も薬である。永遠に癒されない哀しみなどないのだと思う。

月末の仕事を無事に終えたが今日も怒涛の忙しさだった。
軽く眩暈がしてそのまま倒れてしまいそうになる。
幸いお昼に10分程休むことが出来る。
義父は今日も昼食を摂れない。後から後から仕事があるのだった。
同僚も汗だくである。見ているだけで気の毒でならなかった。
4時半に退社。すっかり遅くなり買い物を諦める。
帰り際に「ほか弁」を注文しそのまま受け取りに行っていた。
5時20分に帰宅。お素麺を湯がこうと大鍋でお湯を沸かす。
お湯が沸くまでに大量の洗濯物を畳み終えた。
少しでも横になりたかったがとてもそんな余裕はなかった。
いくら私の帰宅が遅くても夫はいつも通りである。
5時半にはビールを飲み始めるので苛々としてしまう。
お素麺をすする口元がぞっとするほど気持ちが悪い。
夫には本当に申し訳ないが生理的に受け付けられないのだった。
いったいいつからそうなってしまったのだろう。
老いだけのせいではないと思うのだが理由が見つけられなかった。
夕食後は疲れがピークに達していたが
沈む夕陽をぼんやりと眺めているとふうっと短歌が浮かんでくる。
「文月の尽きて夕陽が沈む頃ほおずき色の記憶が暮れる」
明け方まで強い風が吹いていたが夜明けと共にぴたりと止む。
日中は今日も猛暑となりうんざりするような暑さになった。
関東ばかりではなく九州も40℃近くまで気温が上がったようだ。
大分県豊後大野市で39.2℃と今日の日本一を記録する。
昔はせいぜい30℃超えではなかっただろうか。
それが真夏の気温だと誰もが思っていたのだった。
年々過酷な暑さになっている。10年も経てば40℃が当たり前になりそうだ。
エアコンの無い時代、昼寝をするのに母が団扇で風を送ってくれた。
そんな記憶も遠い夏の思い出となっていく。

仕事は今日もエアコン修理。予約なしの突然の来客である。
義父は友人と農機具の展示会に出掛けており留守であった。
お客さんに訳を話し出直してもらおうと思ったのだが
義父が帰るまで待つと言って聞かない。
幸い近くの喫茶店で時間を潰してくれることになり助かる。
午後一時前に義父が帰りすぐさま修理に取り掛かってくれた。
ガスは満タンなので他の不具合が考えられる。
念入りに検査をしやっと故障個所が判明した。
部品は明日入るとのこと。お客さんも納得して帰って行く。
義父は今日も昼食を摂らず一生懸命に働いてくれた。
そのまま畔の草刈りに行くと云うので心配でならない。
それでもまったく苦にする様子も見せず頭が下がるばかりであった。
余程気が張っているのだろう。無我夢中なのが伝わってくる。

3時に退社。車に乗ると外気温が43℃になっており驚く。
少し走ると36℃になりそれが正解なのだろう。
自動車専用道路を時速90キロで走り抜ける。
サニーマートで買い物をし4時に帰宅した。
玄関先の夏すみれがぐんにゃりと弱っている。
今朝水遣りをしてから出掛けたのだが余程陽射しが堪えたのだろう。
水道の水は生温くしばらく庭に打ち水をしてから冷たい水を待った。
「帰宅する我を待ちたる夏すみれ水道の水冷たくなあれ」
しゃっくりのような短歌はまずまず順調であった。
以前のように時間を決めていないのでとても気楽である。
良し悪しは兎も角として自由に詠めるのが愉しい。
自信はないが誇りはある。それは矛盾しているかもしれないが
いかに自分らしさを貫くことではないだろうか。
詩も短歌も好きでならない。それは同時に自分を好きであることに等しい。
どれほど踏みにじられても私は「わたし」を守り続けるだろう。
雲一つない快晴。陽射しは容赦なく照りつける。
広い範囲で猛暑日となり特に関東は危険な暑さとなった。
栃木県の佐野市では41℃と信じられないような猛暑である。
佐野には古い友人が住んでいて気になりながらも
暑中見舞いをするでもなくついつい疎かにしてしまうのだった。
そうしてだんだんと疎遠になって行くのだが仕方ないことだろう。
私はせっかくの縁を自ら遠ざけてしまうことがよくある。

仕事は怒涛の忙しさだった。エアコン修理が一気に三台もあり
義父の助けがなければとても手に負えない。
義父もそれを承知していて身を粉にしてくれたのだった。
例の如くで昼食も摂らず汗びっしょりになって働いてくれる。
それにしても今年の夏はエアコンのトラブルがとても多い。
猛暑のせいもあるだろうがひっきりなしに入庫している。
事務仕事は午後には一段落しており2時半に退社出来た。
FMラジオは「五輪真弓特集」で聴きごたえがある。
哀愁が漂うと云うかしんみりと聴き惚れてしまうのだった。
夏らしい明るい歌も良いがやはり「枯葉舞う季節」が好きである。
夕方めいちゃんが癇癪を起こしキムチが食べたいと叫び出す。
泣き喚く前にと大急ぎでローソンへ買いに走った。
すると外のベンチで外国人の青年が二人アイスクリームを食べていた。
目が合って笑顔を交した後に「おいしい?」と訊いたら
二人が声を揃えて「おいしー」と言ってくれて嬉しかった。
咄嗟に英語が出て来ない。おいしいは英語で何と云うのだっけ。
「デリシャス」かなと思ったが自信がなかったのだ。
でも日本語が通じて良かった。これもささやかな一期一会だろう。
キムチを買って外に出たら二人の笑顔が待っていた。
「グッナイ」と手を振ったら「グッナイ」がこだまするように返ってくる。
ちょうど夕陽が沈む頃でなんだか映画のワンシーンのようだった。
荷物は見当たらなかったがもしかしたらお遍路さんだったのかもしれない。
お大師堂から歩いて来たような気がしてならなかった。
4月に行事の当番をした時にお大師ノートを見たのだが
英語やフランス語やそれは沢山の書き込みがあったことを思い出す。
小さなお堂ではあるが人気の宿になっているのだろう。
私の足はすっかり遠のいてしまったがずっと気になりながら過ごしている。
心の拠り所だったのだ。これまでどれほど癒されて来たことだろう。
遠のくことは容易いのかもしれない。
ただ億劫だと云う理由だけではないのだと思う。
信心する気持ちはまったく薄れず朝に晩に手を合わし続けている。
父と母の遺影の傍にはいつも「お大師さん」が居てくれるのだった。
| 2024年07月28日(日) |
しゃっくりは止まらない |
猛暑日。これでもかこれでもかと汗が流れる。
全国一の暑さかと思いきや上には上があるもので
千葉の牛久では39.8℃を記録したようだ。
体温どころか高熱である。猛暑と云うより酷暑であった。
朝の少しでも涼しいうちにと冷蔵庫の掃除をしたのだが
野菜室の酷いこと。目を覆いたくなるほどの有様であった。
奥の方に娘がスイカを入れていたらしく既に腐敗している。
娘に訊けばいつ入れたのかよく憶えていないとのこと。
お向かいの奥さんに頂いたことがあったのでその残りと思われる。
食べ切れず粗末にしてしまいひたすら申し訳なかった。
それから大量のピーマン。これはめいちゃんのお友達のお宅から。
遊びに来てくれる度に持って来てくれるので食べ切れなかったのだ。
ハウス農家さんなのでおそらく売り物だったのだろう。
せっかくの好意を無駄にしてしまいこれも申し訳ないことだった。
夏場の冷蔵庫を甘く見てはいけない。
野菜は頂くことが多いがなるべく早く食べるように心掛けようと思う。

サニーマートへ行ったら友人のSさんに会った。
彼女も創作活動をしており唯一の同士である。
同人誌追放の報告をしたらとても残念がってくれた。
「それってあまりにも失礼じゃないの」と言ってくれる。
彼女は毎号楽しみにしてくれていていつも読んでくれていたのだった。
「負けたらいかんよ、挫けたらいかんよ」と励ましてくれて嬉しかった。
誰かに話したくてならなかったのだ。決して同情を求めるのではなく
私自身の「在り方」を認めて欲しかったのだと思う。
もう立ち向かう程の若さはないが我が道を行くことは出来る。
一歩一歩着実にだ。それは自分を信じることに等しい。
短歌の発信スタイルを変えてからけっこう調子が良い。
思い浮かんだ時に書くので自由自在だからだろう。
突然に思い浮かぶことが多くそれも愉しくてならなかった。
まるで発作のようだ。いや、しゃっくりのようなものか。
明日からはまた仕事だがしゃっくりは止まらないかもしれない。
いいじゃないかそれで。好きなように愉しめば良いのだ。
詩も短歌も既に生活の一部になっている。
全部にする程暇ではないのでそれは無理な話だが
出来ることがあるのはとても幸せなことではないだろうか。
「種になるその時までと向日葵は猛暑に耐えて仰ぎ見る空」
夜明け前まで小雨が降っていたが日中は概ね晴れ。
幸い猛暑日にはならず過ごし易い一日だった。
肩の力がすうっと抜けて無気力を愉しむばかり。
朝寝を一時間程。昼寝はなんと四時間にも及ぶ。
寝れば寝るほど元気になりゲンキンな者である。
カーブスも好調。楽しく身体を動かすことが出来た。
自然と笑みがこぼれる。これが本来の私なのかと思った。
ほか弁を買って帰る。ノンアルビールも飲んだ。
最高の気分であった。もう鬱だなどと言ってはいられない。
何事も気の持ちようなのだろう。そう肝に銘ずるばかりである。

ふと思いついて短歌を書くスタイルを変えてみた。
今までは時間を作り集中して三首書いていたのだが
そうするように自分に課していたのだと思う。
もっと自由気ままに好きなように書いてみたらどうだろう。
思い浮かんだ時に書く。そうして発信してみることにした。
さらさらさら。まるで川面に浮かぶ笹船のようである。
たとえそれが一首であってもきっと海に辿り着くだろう。
それはちっぽけなプライドを捨てることにも等しい。
もう拘らない。もう縛られない。私はただ流れて行くだけである。
幸いと言うべきかもう同人誌に掲載されることはない。
毎回16首を選んでいた苦労からも解放されたのだ。
これほどの自由が他にあるだろうかと思う。
SNSは儚い世界かもしれないが「拡散」されることも在り得る。
それを一縷の望みに思うのもささやかな希望に繋がるだろう。
私のような者。それ以上でもそれ以下でもあるまい。
どれほど落ちぶれていても「わたし」であることを誇りに思う。
いつかは最期を迎えるがそれが「いま」ではないことが救いである。
「陽は西に私も西に沈むのか明日は東の希望に会いに」
雨が降ったり止んだり。通り雨のようだった。
陽が射す時間帯もあり一気に蒸し暑くなる。
梅雨時もそうだったが今年は雨量が少ないようだ。
田んぼの水が枯れ始めているらしく義父が頭を悩ませている。
順調に稲刈りまで漕ぎつけることが出来るだろうか。
朝からダル重。身体だけではなく気分も沈む。
久々の鬱状態のようだった。
SNSでは毎朝声を掛けてくれる人がいるのだが
今朝は返信が面倒でならなかった。
いつもは嬉しいのにどうしたことだろう。
そっとして置いて欲しい朝がある。ニンゲンダモノ。
職場へ着けばみい太が餌をせがみにゃおにゃおとうるさい。
可愛らしいはずのみい太をつい睨んでしまった。
なんの罪があるのだろう。私の虫の居所が悪いだけである。
同僚が整備士研修のため丸一日留守。
開店休業のつもりでいたが義父が仕事をしてくれ大助かりだった。
長いこと待たせていたエアコン修理が完了する。
すぐさま義父と一緒に納車に行っていた。
お昼前から眠くてならない。机に突っ伏して10分程仮眠する。
月曜日から一切休んでいなかったのだ。やはり疲れていたのだろう。
仕事は好きでやる気満々なのだが身体はとても正直であった。
2時に退社。その足で宿毛市のお得意様の元へと走る。
急ぎの見積書を頼まれていたので今日中に届けたかった。
郵便事情の悪さには辟易としている。直に届けた方がずっと早い。
宿毛市和田から四万十市まで自動車専用道路があり快適である。
時速90キロで走れば30分で着くのだった。
3時にはもうサニーマートまで帰り着きゆっくりと買い物をする。
しかし献立が思い浮かばない。出来れば何も作りたくなかった。
とにかく早く家に帰り横になりたくてたまらない。
3時半過ぎに帰宅。洗濯物を畳んでからやっと横になることが出来た。
珍しく息子から着信。けい君が明日の晩泊りに来たいとのこと。
夏休みで退屈しているのだろう。可哀想ではあったがお断りする。
息子も我が家の事情を心得ていてくれて無理にとは言わなかった。
けい君が不憫でならないが息子が言い聞かしてくれるそうだ。
気兼ねなく泊まりに来れるような我が家になることはもうないだろう。
それが情けなくもあったが現実を受け止めるしかない。
私も夫も居候度が日に日に増しているこの頃であった。
現状を無理に変えようとしては行けない。
在るがままを受け入れてこそ穏やかに過ごすことが出来るのだと思う。
けい君また背が伸びただろうな。けい君に会いたいな。
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