ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年07月28日(日) しゃっくりは止まらない

猛暑日。これでもかこれでもかと汗が流れる。

全国一の暑さかと思いきや上には上があるもので

千葉の牛久では39.8℃を記録したようだ。

体温どころか高熱である。猛暑と云うより酷暑であった。


朝の少しでも涼しいうちにと冷蔵庫の掃除をしたのだが

野菜室の酷いこと。目を覆いたくなるほどの有様であった。

奥の方に娘がスイカを入れていたらしく既に腐敗している。

娘に訊けばいつ入れたのかよく憶えていないとのこと。

お向かいの奥さんに頂いたことがあったのでその残りと思われる。

食べ切れず粗末にしてしまいひたすら申し訳なかった。


それから大量のピーマン。これはめいちゃんのお友達のお宅から。

遊びに来てくれる度に持って来てくれるので食べ切れなかったのだ。

ハウス農家さんなのでおそらく売り物だったのだろう。

せっかくの好意を無駄にしてしまいこれも申し訳ないことだった。


夏場の冷蔵庫を甘く見てはいけない。

野菜は頂くことが多いがなるべく早く食べるように心掛けようと思う。





サニーマートへ行ったら友人のSさんに会った。

彼女も創作活動をしており唯一の同士である。

同人誌追放の報告をしたらとても残念がってくれた。

「それってあまりにも失礼じゃないの」と言ってくれる。

彼女は毎号楽しみにしてくれていていつも読んでくれていたのだった。

「負けたらいかんよ、挫けたらいかんよ」と励ましてくれて嬉しかった。

誰かに話したくてならなかったのだ。決して同情を求めるのではなく

私自身の「在り方」を認めて欲しかったのだと思う。


もう立ち向かう程の若さはないが我が道を行くことは出来る。

一歩一歩着実にだ。それは自分を信じることに等しい。



短歌の発信スタイルを変えてからけっこう調子が良い。

思い浮かんだ時に書くので自由自在だからだろう。

突然に思い浮かぶことが多くそれも愉しくてならなかった。

まるで発作のようだ。いや、しゃっくりのようなものか。

明日からはまた仕事だがしゃっくりは止まらないかもしれない。

いいじゃないかそれで。好きなように愉しめば良いのだ。


詩も短歌も既に生活の一部になっている。

全部にする程暇ではないのでそれは無理な話だが

出来ることがあるのはとても幸せなことではないだろうか。


「種になるその時までと向日葵は猛暑に耐えて仰ぎ見る空」



2024年07月27日(土) さらさらさら

夜明け前まで小雨が降っていたが日中は概ね晴れ。

幸い猛暑日にはならず過ごし易い一日だった。


肩の力がすうっと抜けて無気力を愉しむばかり。

朝寝を一時間程。昼寝はなんと四時間にも及ぶ。

寝れば寝るほど元気になりゲンキンな者である。


カーブスも好調。楽しく身体を動かすことが出来た。

自然と笑みがこぼれる。これが本来の私なのかと思った。

ほか弁を買って帰る。ノンアルビールも飲んだ。

最高の気分であった。もう鬱だなどと言ってはいられない。

何事も気の持ちようなのだろう。そう肝に銘ずるばかりである。





ふと思いついて短歌を書くスタイルを変えてみた。

今までは時間を作り集中して三首書いていたのだが

そうするように自分に課していたのだと思う。


もっと自由気ままに好きなように書いてみたらどうだろう。

思い浮かんだ時に書く。そうして発信してみることにした。

さらさらさら。まるで川面に浮かぶ笹船のようである。

たとえそれが一首であってもきっと海に辿り着くだろう。

それはちっぽけなプライドを捨てることにも等しい。

もう拘らない。もう縛られない。私はただ流れて行くだけである。


幸いと言うべきかもう同人誌に掲載されることはない。

毎回16首を選んでいた苦労からも解放されたのだ。

これほどの自由が他にあるだろうかと思う。

SNSは儚い世界かもしれないが「拡散」されることも在り得る。

それを一縷の望みに思うのもささやかな希望に繋がるだろう。


私のような者。それ以上でもそれ以下でもあるまい。

どれほど落ちぶれていても「わたし」であることを誇りに思う。


いつかは最期を迎えるがそれが「いま」ではないことが救いである。

「陽は西に私も西に沈むのか明日は東の希望に会いに」



2024年07月26日(金) 虫の居所

雨が降ったり止んだり。通り雨のようだった。

陽が射す時間帯もあり一気に蒸し暑くなる。


梅雨時もそうだったが今年は雨量が少ないようだ。

田んぼの水が枯れ始めているらしく義父が頭を悩ませている。

順調に稲刈りまで漕ぎつけることが出来るだろうか。



朝からダル重。身体だけではなく気分も沈む。

久々の鬱状態のようだった。

SNSでは毎朝声を掛けてくれる人がいるのだが

今朝は返信が面倒でならなかった。

いつもは嬉しいのにどうしたことだろう。

そっとして置いて欲しい朝がある。ニンゲンダモノ。


職場へ着けばみい太が餌をせがみにゃおにゃおとうるさい。

可愛らしいはずのみい太をつい睨んでしまった。

なんの罪があるのだろう。私の虫の居所が悪いだけである。



同僚が整備士研修のため丸一日留守。

開店休業のつもりでいたが義父が仕事をしてくれ大助かりだった。

長いこと待たせていたエアコン修理が完了する。

すぐさま義父と一緒に納車に行っていた。


お昼前から眠くてならない。机に突っ伏して10分程仮眠する。

月曜日から一切休んでいなかったのだ。やはり疲れていたのだろう。

仕事は好きでやる気満々なのだが身体はとても正直であった。


2時に退社。その足で宿毛市のお得意様の元へと走る。

急ぎの見積書を頼まれていたので今日中に届けたかった。

郵便事情の悪さには辟易としている。直に届けた方がずっと早い。


宿毛市和田から四万十市まで自動車専用道路があり快適である。

時速90キロで走れば30分で着くのだった。

3時にはもうサニーマートまで帰り着きゆっくりと買い物をする。

しかし献立が思い浮かばない。出来れば何も作りたくなかった。

とにかく早く家に帰り横になりたくてたまらない。


3時半過ぎに帰宅。洗濯物を畳んでからやっと横になることが出来た。

珍しく息子から着信。けい君が明日の晩泊りに来たいとのこと。

夏休みで退屈しているのだろう。可哀想ではあったがお断りする。

息子も我が家の事情を心得ていてくれて無理にとは言わなかった。

けい君が不憫でならないが息子が言い聞かしてくれるそうだ。


気兼ねなく泊まりに来れるような我が家になることはもうないだろう。

それが情けなくもあったが現実を受け止めるしかない。

私も夫も居候度が日に日に増しているこの頃であった。


現状を無理に変えようとしては行けない。

在るがままを受け入れてこそ穏やかに過ごすことが出来るのだと思う。


けい君また背が伸びただろうな。けい君に会いたいな。



2024年07月25日(木) 迷える子羊

猛暑は和らいでいたが大気が非常に不安定とのこと。

ほぼ晴れているにも関わらず突然にわか雨が降ったりした。


山形県では記録的な豪雨に見舞われ水害に繋がったようだ。

しかも停電になっている地域が多く困惑していることだろう。

どうか一刻も早く雨が止むことを願うばかりであった。


自然災害は容赦なかった。用心の仕様がないのだ。

皆それぞれに自分の命を守ることしか出来ない。




仕事が忙しく独楽鼠のように働く。

木曜日ともなれば体力的にかなり厳しい。

お昼休憩が全く取れず肩の力を抜くことも出来なかった。

時間の余裕がなくなると心の余裕もなくなってしまう。

まず短歌が書けない。もちろん集中することも出来ないのだった。

独楽鼠が迷える子羊になってしまい途方に暮れるばかりである。


決して暇を持て余して書いているのではない。

如何にして時間を作るのかと躍起になっているのだった。

自分に課すとはそう云うことではないだろうか。

出来ない日があっても良いはずだがそれでは自分が納得しない。

何としてもと思う。まるで自分との闘いのようである。


一首は書けたがもうそれが精一杯であった。

子羊はもう何処にも行けない。ただ蹲るだけである。

限界はそうして訪れる。もう行き止まりに等しい。


D氏に言われたことを忘れたくても忘れられなかった。

「誰も読みやしない」それ程までに私を貶める発言があるだろうか。

優等生ばかりの同人誌に私のような劣等生が存在したことは認めるが

心を踏みにじってまでも私を追放したかったのだろうか。

D氏の人間性を疑う。もう信頼の一欠片も残ってはいなかった。


けれども未来は無いようである。気長に書き続けていればきっと

犬が棒に当たるようなこともあるだろう。

そのために私は追放されたのだと思いたいのだった。


「子羊になって迷える道すがら野の草を食むめえと鳴きつつ」





2024年07月24日(水) 3匹の鰻

曇りの予報が外れ今日も晴天となる。

気温は猛暑日に届かず過ごし易い一日だった。

関東は猛暑。北海道は大雨。沖縄は台風である。

日本は小さな島国だが気候の差は著しいものだ。


ここ数日のうちに稲穂が黄金色に近くなった。

高知平野では既に稲刈りが始まっているらしいが

山里は来月の中旬頃になるようだ。

また義父がどんなにか忙しくなるだろう。

畔の草刈りは一段落したようだが消毒に追われている。

無農薬のお米は商品価値がないのだそうだ。

「いもち病」は一ヵ所で発生するとどんどん広がって行くらしい。



今日はエアコン修理があり工場の仕事に専念してくれ大助かりだった。

長いことお客さんを待たせていたのでもう限界になっていたのだ。

「俺がやらんで誰がやる」と思ったのだろう。

作業を始めると昼食を摂る時間も惜しむ程精を出すのだった。

その技術を同僚に伝授してくれたらと思うが

「無理だ」の一言で済ませてしまう優秀な熟練工である。


私は車検完了の車を納車に行っていた。

予約なしで入庫していたのでなんと6日も待たせてしまった。

お客さんは代車で辛抱してくれたがどんなにか不便だったことだろう。

お詫びの印しに粗品のティッシュとリポビタンを持って行く。

そうしたら大喜びしてくれて私もほっと肩の荷が下りた。

商売人が一番恐れるのは苦情である。

ご機嫌取りではないが如何に誠意を示すかで決まって来る。

そうしてリピーターになって貰ってこその商売なのだ。





2時半に退社。その足で税理士事務所へと向かう。

決算書が出来上がり税理士報酬も支払って来た。

今年から大幅値上げで苦しかったが止む終えないことだ。

累積赤字が大きいが今期は黒字だったようでほっとする。

後何期続くのやら。もしかしたら今期が最後かもしれない。


さて夕飯は何にしようと考えながらサニーマートへ行ったら

店頭で鰻を焼いており今日が丑の日なのを思い出した。

一匹3200円と高価ではあったが奮発して3匹買う。

一年に一度のことだ。家族皆の喜ぶ顔が見たかった。


今は養殖ウナギがメインであるが昔は天然鰻がいくらでも食べられた。

夫は川漁師の息子なのでもちろんであるが

私も子供の頃から夏場は毎日のように食べていたのだった。


学校から帰ると母が七輪で鰻を焼いていた。

買ったのではない母が自ら獲った鰻である。

母は地元の人に教わって「ころばし漁」をしていたのだった。

竹で編んだ筒に餌のミミズを入れて川に仕掛けるのである。

それが毎日のように大漁だったから面白くてならなかったのだろう。

母は誰に習ったのか鰻を捌くのも上手だった。

にょろにょろしているのを錐でえいやっと頭を突くのだった。

包丁捌きも見事で子供心に「すごいな」と感心したことを憶えている。


母も食べたいだろうなと思いつつ鰻を頂く。

3匹の鰻は一口大に切りお皿に盛り付けてあった。

夫が遠慮して「4切れは食べてもええかな」と言う。

「ええろう」と言いつつ私も4切れの鰻を食べた。

夫と顔を見合わせながら明日からは雑魚と味噌だなと笑い合う。


6匹の鰻がどうして買えよう。

貧乏人には相応しいそれなりの食がある。

一切れの鰻でさえ食べられない人がいることを忘れてはならない。



2024年07月23日(火) 神様とんぼ

猛暑が少し和らぐ。とは云え猛暑日には変わりないが

35℃だとずいぶんと過ごし易く感じた。

人間は暑さに慣れるのだろう。耐久性に優れた生き物である。


今朝は工場に真っ黒い蜻蛉が入り込んでいた。

飛ぶこともせずに一ヵ所に留まり羽根を広げたり閉じたりしているのだ。

一瞬母ではないかと思う。そうして次第に母なのに違いないと思う。


「羽黒とんぼ」と云うのだそうだ。昔からの言い伝えで「神様とんぼ」とも

あの世とこの世を結び亡くなった人の魂が宿っているのだそうだ。

母の初盆供養のある日だったのでそう信じずにいられなかった。

人一倍霊感の強い母であった。じっとしてはいられなかったのだろう。

「ちょこっと帰って来ちゃった」とお茶目な声が聞こえたのだ。

母らしいなと思う。気づいて欲しくて躍起になっていたのに違いない。


午後からお寺さんが来てくれて初盆供養が執り行われた。

義父と二人きりのつもりであったが伯母や叔母も来てくれて嬉しかった。

母もきっと喜んだことだろう。「まあ夢に餅」と笑顔が見える。

読経が終りお焼香の後皆でお念仏を唱えた。

「南無阿弥陀仏」が心に沁みる。何度も何度も唱え続けたのだった。


やはり母は死んでしまったのかなと思う。

これが悪ふざけのはずは決してなかった。

そう思いつつも母は主役になり切って演技をしているのでないか。

注目されて悦に入っているのでないかと思う。

今にマイクを握りしめて演歌を歌い出すような気さえしたのだ。


もう何処にも居ないのではない。

今朝この目で確かに母の姿を見たのだ。

神様とんぼはふらりと何処かへ飛んで行ったが

母の魂はまたきっと会いに来てくれることだろう。




2024年07月22日(月) 魂の行方

二十四節気の「大暑」一年で最も暑さが厳しい頃。

その名の通り今日も全国的に猛暑を記録したようだ。

次の節気は「立秋」である。そうなれば残暑となり

次第に暑さが和らぐのではないかと期待している。

もう少しの辛抱と言い聞かせながら過ごすしかあるまい。


相変わらずの滝汗である。多汗症ではないかと思うほどだ。

エアコンの効いた室内で仕事をしていても汗が流れる。

水分を補給しても直ぐに汗になってしまっているようだ。


今日は尿意を全く催さず膀胱炎の前兆のようであった。

やっとお昼にトイレに行ったが少ししか出ない。

これはやばいなと思い水分を補給すればまた汗になってしまうのだ。

幸い排尿後の痛みがないのでまだ大丈夫だと思うが

若い頃から夏場は必ずと云っていいほど膀胱炎に罹っていた。

市販の薬では効かず結局は病院に行かなければならない。

それだけは避けたくてとにかく予防に徹しようと思う。

自分の身体は自分で守るのがベストであろう。




今日は義父の姉にあたる伯母が手伝いに来てくれて

明日の初盆供養の準備をしてくれて大助かりだった。

義父も田んぼどころではなくなり半日掛かりとなる。

私は仕事が忙しく何も手伝うことが出来なかった。

そもそも足が不自由なので座敷に上がることが出来ないのだ。

伯母もそれは心得てくれていて何の気兼ねもなく任せてしまった。

お昼前に「出来たぞ」と義父から電話がありやっと駆け付ける。

玄関先からではあったが母の位牌に手を合わすことが出来た。

明日は這ってでも座敷に上がり初盆供養に参加しなければいけない。

未だに母の死を受け止められずにいるが

初盆が終れば直ぐに一周忌である。

母は生きているのにと思うばかりで戸惑うことが多い。

夢に出てくる母をどうして亡き人に思うことが出来ようか。

もし本当に死んだのなら母はいったい何処にいるのだろう。

天国にいるとは思えない。母は私の直ぐ近くにいるような気がする。


魂の行方は誰も知らない。

輪廻転生を繰り返すらしいが母はきっと母のままだろう。

そうしてまた私を産み育てるのに違いない。




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