雨が降ったり止んだり。通り雨のようだった。
陽が射す時間帯もあり一気に蒸し暑くなる。
梅雨時もそうだったが今年は雨量が少ないようだ。
田んぼの水が枯れ始めているらしく義父が頭を悩ませている。
順調に稲刈りまで漕ぎつけることが出来るだろうか。
朝からダル重。身体だけではなく気分も沈む。
久々の鬱状態のようだった。
SNSでは毎朝声を掛けてくれる人がいるのだが
今朝は返信が面倒でならなかった。
いつもは嬉しいのにどうしたことだろう。
そっとして置いて欲しい朝がある。ニンゲンダモノ。
職場へ着けばみい太が餌をせがみにゃおにゃおとうるさい。
可愛らしいはずのみい太をつい睨んでしまった。
なんの罪があるのだろう。私の虫の居所が悪いだけである。
同僚が整備士研修のため丸一日留守。
開店休業のつもりでいたが義父が仕事をしてくれ大助かりだった。
長いこと待たせていたエアコン修理が完了する。
すぐさま義父と一緒に納車に行っていた。
お昼前から眠くてならない。机に突っ伏して10分程仮眠する。
月曜日から一切休んでいなかったのだ。やはり疲れていたのだろう。
仕事は好きでやる気満々なのだが身体はとても正直であった。
2時に退社。その足で宿毛市のお得意様の元へと走る。
急ぎの見積書を頼まれていたので今日中に届けたかった。
郵便事情の悪さには辟易としている。直に届けた方がずっと早い。
宿毛市和田から四万十市まで自動車専用道路があり快適である。
時速90キロで走れば30分で着くのだった。
3時にはもうサニーマートまで帰り着きゆっくりと買い物をする。
しかし献立が思い浮かばない。出来れば何も作りたくなかった。
とにかく早く家に帰り横になりたくてたまらない。
3時半過ぎに帰宅。洗濯物を畳んでからやっと横になることが出来た。
珍しく息子から着信。けい君が明日の晩泊りに来たいとのこと。
夏休みで退屈しているのだろう。可哀想ではあったがお断りする。
息子も我が家の事情を心得ていてくれて無理にとは言わなかった。
けい君が不憫でならないが息子が言い聞かしてくれるそうだ。
気兼ねなく泊まりに来れるような我が家になることはもうないだろう。
それが情けなくもあったが現実を受け止めるしかない。
私も夫も居候度が日に日に増しているこの頃であった。
現状を無理に変えようとしては行けない。
在るがままを受け入れてこそ穏やかに過ごすことが出来るのだと思う。
けい君また背が伸びただろうな。けい君に会いたいな。
猛暑は和らいでいたが大気が非常に不安定とのこと。
ほぼ晴れているにも関わらず突然にわか雨が降ったりした。
山形県では記録的な豪雨に見舞われ水害に繋がったようだ。
しかも停電になっている地域が多く困惑していることだろう。
どうか一刻も早く雨が止むことを願うばかりであった。
自然災害は容赦なかった。用心の仕様がないのだ。
皆それぞれに自分の命を守ることしか出来ない。

仕事が忙しく独楽鼠のように働く。
木曜日ともなれば体力的にかなり厳しい。
お昼休憩が全く取れず肩の力を抜くことも出来なかった。
時間の余裕がなくなると心の余裕もなくなってしまう。
まず短歌が書けない。もちろん集中することも出来ないのだった。
独楽鼠が迷える子羊になってしまい途方に暮れるばかりである。
決して暇を持て余して書いているのではない。
如何にして時間を作るのかと躍起になっているのだった。
自分に課すとはそう云うことではないだろうか。
出来ない日があっても良いはずだがそれでは自分が納得しない。
何としてもと思う。まるで自分との闘いのようである。
一首は書けたがもうそれが精一杯であった。
子羊はもう何処にも行けない。ただ蹲るだけである。
限界はそうして訪れる。もう行き止まりに等しい。
D氏に言われたことを忘れたくても忘れられなかった。
「誰も読みやしない」それ程までに私を貶める発言があるだろうか。
優等生ばかりの同人誌に私のような劣等生が存在したことは認めるが
心を踏みにじってまでも私を追放したかったのだろうか。
D氏の人間性を疑う。もう信頼の一欠片も残ってはいなかった。
けれども未来は無いようである。気長に書き続けていればきっと
犬が棒に当たるようなこともあるだろう。
そのために私は追放されたのだと思いたいのだった。
「子羊になって迷える道すがら野の草を食むめえと鳴きつつ」
曇りの予報が外れ今日も晴天となる。
気温は猛暑日に届かず過ごし易い一日だった。
関東は猛暑。北海道は大雨。沖縄は台風である。
日本は小さな島国だが気候の差は著しいものだ。
ここ数日のうちに稲穂が黄金色に近くなった。
高知平野では既に稲刈りが始まっているらしいが
山里は来月の中旬頃になるようだ。
また義父がどんなにか忙しくなるだろう。
畔の草刈りは一段落したようだが消毒に追われている。
無農薬のお米は商品価値がないのだそうだ。
「いもち病」は一ヵ所で発生するとどんどん広がって行くらしい。
今日はエアコン修理があり工場の仕事に専念してくれ大助かりだった。
長いことお客さんを待たせていたのでもう限界になっていたのだ。
「俺がやらんで誰がやる」と思ったのだろう。
作業を始めると昼食を摂る時間も惜しむ程精を出すのだった。
その技術を同僚に伝授してくれたらと思うが
「無理だ」の一言で済ませてしまう優秀な熟練工である。
私は車検完了の車を納車に行っていた。
予約なしで入庫していたのでなんと6日も待たせてしまった。
お客さんは代車で辛抱してくれたがどんなにか不便だったことだろう。
お詫びの印しに粗品のティッシュとリポビタンを持って行く。
そうしたら大喜びしてくれて私もほっと肩の荷が下りた。
商売人が一番恐れるのは苦情である。
ご機嫌取りではないが如何に誠意を示すかで決まって来る。
そうしてリピーターになって貰ってこその商売なのだ。

2時半に退社。その足で税理士事務所へと向かう。
決算書が出来上がり税理士報酬も支払って来た。
今年から大幅値上げで苦しかったが止む終えないことだ。
累積赤字が大きいが今期は黒字だったようでほっとする。
後何期続くのやら。もしかしたら今期が最後かもしれない。
さて夕飯は何にしようと考えながらサニーマートへ行ったら
店頭で鰻を焼いており今日が丑の日なのを思い出した。
一匹3200円と高価ではあったが奮発して3匹買う。
一年に一度のことだ。家族皆の喜ぶ顔が見たかった。
今は養殖ウナギがメインであるが昔は天然鰻がいくらでも食べられた。
夫は川漁師の息子なのでもちろんであるが
私も子供の頃から夏場は毎日のように食べていたのだった。
学校から帰ると母が七輪で鰻を焼いていた。
買ったのではない母が自ら獲った鰻である。
母は地元の人に教わって「ころばし漁」をしていたのだった。
竹で編んだ筒に餌のミミズを入れて川に仕掛けるのである。
それが毎日のように大漁だったから面白くてならなかったのだろう。
母は誰に習ったのか鰻を捌くのも上手だった。
にょろにょろしているのを錐でえいやっと頭を突くのだった。
包丁捌きも見事で子供心に「すごいな」と感心したことを憶えている。
母も食べたいだろうなと思いつつ鰻を頂く。
3匹の鰻は一口大に切りお皿に盛り付けてあった。
夫が遠慮して「4切れは食べてもええかな」と言う。
「ええろう」と言いつつ私も4切れの鰻を食べた。
夫と顔を見合わせながら明日からは雑魚と味噌だなと笑い合う。
6匹の鰻がどうして買えよう。
貧乏人には相応しいそれなりの食がある。
一切れの鰻でさえ食べられない人がいることを忘れてはならない。
猛暑が少し和らぐ。とは云え猛暑日には変わりないが
35℃だとずいぶんと過ごし易く感じた。
人間は暑さに慣れるのだろう。耐久性に優れた生き物である。
今朝は工場に真っ黒い蜻蛉が入り込んでいた。
飛ぶこともせずに一ヵ所に留まり羽根を広げたり閉じたりしているのだ。
一瞬母ではないかと思う。そうして次第に母なのに違いないと思う。
「羽黒とんぼ」と云うのだそうだ。昔からの言い伝えで「神様とんぼ」とも
あの世とこの世を結び亡くなった人の魂が宿っているのだそうだ。
母の初盆供養のある日だったのでそう信じずにいられなかった。
人一倍霊感の強い母であった。じっとしてはいられなかったのだろう。
「ちょこっと帰って来ちゃった」とお茶目な声が聞こえたのだ。
母らしいなと思う。気づいて欲しくて躍起になっていたのに違いない。
午後からお寺さんが来てくれて初盆供養が執り行われた。
義父と二人きりのつもりであったが伯母や叔母も来てくれて嬉しかった。
母もきっと喜んだことだろう。「まあ夢に餅」と笑顔が見える。
読経が終りお焼香の後皆でお念仏を唱えた。
「南無阿弥陀仏」が心に沁みる。何度も何度も唱え続けたのだった。
やはり母は死んでしまったのかなと思う。
これが悪ふざけのはずは決してなかった。
そう思いつつも母は主役になり切って演技をしているのでないか。
注目されて悦に入っているのでないかと思う。
今にマイクを握りしめて演歌を歌い出すような気さえしたのだ。
もう何処にも居ないのではない。
今朝この目で確かに母の姿を見たのだ。
神様とんぼはふらりと何処かへ飛んで行ったが
母の魂はまたきっと会いに来てくれることだろう。
二十四節気の「大暑」一年で最も暑さが厳しい頃。
その名の通り今日も全国的に猛暑を記録したようだ。
次の節気は「立秋」である。そうなれば残暑となり
次第に暑さが和らぐのではないかと期待している。
もう少しの辛抱と言い聞かせながら過ごすしかあるまい。
相変わらずの滝汗である。多汗症ではないかと思うほどだ。
エアコンの効いた室内で仕事をしていても汗が流れる。
水分を補給しても直ぐに汗になってしまっているようだ。
今日は尿意を全く催さず膀胱炎の前兆のようであった。
やっとお昼にトイレに行ったが少ししか出ない。
これはやばいなと思い水分を補給すればまた汗になってしまうのだ。
幸い排尿後の痛みがないのでまだ大丈夫だと思うが
若い頃から夏場は必ずと云っていいほど膀胱炎に罹っていた。
市販の薬では効かず結局は病院に行かなければならない。
それだけは避けたくてとにかく予防に徹しようと思う。
自分の身体は自分で守るのがベストであろう。

今日は義父の姉にあたる伯母が手伝いに来てくれて
明日の初盆供養の準備をしてくれて大助かりだった。
義父も田んぼどころではなくなり半日掛かりとなる。
私は仕事が忙しく何も手伝うことが出来なかった。
そもそも足が不自由なので座敷に上がることが出来ないのだ。
伯母もそれは心得てくれていて何の気兼ねもなく任せてしまった。
お昼前に「出来たぞ」と義父から電話がありやっと駆け付ける。
玄関先からではあったが母の位牌に手を合わすことが出来た。
明日は這ってでも座敷に上がり初盆供養に参加しなければいけない。
未だに母の死を受け止められずにいるが
初盆が終れば直ぐに一周忌である。
母は生きているのにと思うばかりで戸惑うことが多い。
夢に出てくる母をどうして亡き人に思うことが出来ようか。
もし本当に死んだのなら母はいったい何処にいるのだろう。
天国にいるとは思えない。母は私の直ぐ近くにいるような気がする。
魂の行方は誰も知らない。
輪廻転生を繰り返すらしいが母はきっと母のままだろう。
そうしてまた私を産み育てるのに違いない。
連日の猛暑が続いている。最高気温は37.8℃であった。
日本一ではなかったが高知県下では一番の暑さだったようだ。
エアコンを点けていても異常な程に汗が流れる。
特に額から顔が酷く俯けばぽたぽたと汗が落ちるのだった。
おかげで朝描いた眉毛はお昼には消えておりすっかり笑い話である。
今朝は夫が食欲不振を訴えお味噌汁さえ飲めなかった。
おそらく寝冷えか夏風邪だろうと思われる。
微熱がありとてもしんどそうであった。
まさかコロナではあるまいと一日様子を見ることにする。
軽トラックの車検が切れるため山里の職場に行く予定だったが
さすがに無理だろうと夫に延期を提案したが
どうしても行くと言って聞かない。俺は大丈夫と言い張る。
仕方なく朝の涼しいうちに山里へ向かった。
もう川仕事をすることもないだろう。軽トラックは不要であったが
やはり無いと不便だと言ってもう一度だけ車検を受けることにした。
夫にとっても私にとってもとても愛着のある車であった。
平成8年式でもう28年にもなる。オンボロだがエンジンの調子は良い。
川船同様に川仕事には必要でこれまでどれほど助けてもらったことか。
廃車にしてスクラップにするにはなんだか名残惜しいものである。
お昼に冷やしうどんを作ったら少しだけ食べることが出来てほっとする。
頓服の解熱剤を飲み午後は安静にして過ごしていた。
それが良かったのか夕方には熱が少し下がっており
いつも通りにビールを飲みたがるようになっていた。
もう大丈夫だと思う。明日の朝にはきっと元気になっているだろう。
猛暑はまだまだ続きそうだが体調管理を怠ってはならない。
私も用心しなければと改めて思ったことだった。
今も汗が流れ続けている。室温は27℃に設定しているので
十分に涼しいはずなのだがなんと不可解なことだろう。
このままでは汗だくのまま眠りに就くことになりそうだった。
年齢と共に体質が変わっているのかもしれないが
なんとも戸惑うことが多いこの頃である。
歳を取ると汗をかき難くなると聞いたが私は若返っているのだろうか。
最高気温が36℃を超え猛暑日となる。
江川崎では37℃を超えていたが日本一ではなかったようだ。
朝からもう気温が高く何もしなくても汗が流れる。
肥満のせいだろうか随分と汗っかきになった。
仕事は休ませてもらっていたが気になってならない。
今日は車検整備の他にオイル交換やタイヤ交換の予約が入っていた。
義父が待機してくれていたら良いが同僚一人では大変なことだろう。
おまけにこの暑さである。同僚が倒れるのではないかと心配になった。
私が出社したところで何の手助けも出来ないが心苦しくてならなかった。
臨機応変にと思うがもうすっかり週末の休み癖がついている。
午前中にカーブスへ行っていたが絶不調であった。
とにかく汗が止まらず身体を動かすどころではなかったのだ。
心拍数が異常に高くなっておりコーチにも心配をかけてしまう。
無理は禁物と思い早々と切り上げて帰って来た。
午後は例の如くでひたすら寝る。やはり疲れだったのだろうか
3時頃に目覚めると気分も良くすっきりとしていた。
その勢いで日課の短歌を書き自己満足に浸る。
川向に住むお客さんから電話があり「トマト食べんかよ」と。
「いるいる」と応え車を飛ばし貰いに行く。
お客さんは家の裏庭にある菜園で畑仕事をしていた。
なんと上半身裸である。「暑うてのせんぞ」と笑っていた。
トマトは朝獲れだそうで笊にてんこ盛りである。
「全部持って行けや」と云うので遠慮なく頂いて帰る。
路地の新鮮なトマトの美味しいこと。直ぐに食べたくてならない。
お客さんとはもう40年来の付き合いである。
ご夫婦ともに気さくな人達で大好きだった。

市内の商業施設でイベントがありめいちゃんがダンスを踊るとのこと。
夕方かららしいが娘は何も言ってはくれなかった。
勝手に押し掛ける訳にもいかず何とも寂しいものである。
夫と夕食を食べながら今後の不安などを語り合う。
もしどちらかが欠けた時のこと。それは近い将来必ずあり得ることだった。
私でみれば何とかなるだろうが夫は不安でならないようだ。
「俺はほたられるかもしれん」と言う。
昔は優しかった娘の変わりように戸惑うことがよくある。
会話が成り立たないのだ。なんとそっけないことだろうか。
まるで私達夫婦が居候のようでもあった。
面と向かっては言わないがやはり家族ではないのだろう。
先のことを思い煩うのはよそうと私達は互いを宥めるのだった。
そうしてとにかく長生きをしようねと語り合う。
「おまえは俺より先に死ぬなよ」夫の言葉が胸に沁みる。
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