ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年07月20日(土) トマト日和に

最高気温が36℃を超え猛暑日となる。

江川崎では37℃を超えていたが日本一ではなかったようだ。

朝からもう気温が高く何もしなくても汗が流れる。

肥満のせいだろうか随分と汗っかきになった。



仕事は休ませてもらっていたが気になってならない。

今日は車検整備の他にオイル交換やタイヤ交換の予約が入っていた。

義父が待機してくれていたら良いが同僚一人では大変なことだろう。

おまけにこの暑さである。同僚が倒れるのではないかと心配になった。

私が出社したところで何の手助けも出来ないが心苦しくてならなかった。

臨機応変にと思うがもうすっかり週末の休み癖がついている。



午前中にカーブスへ行っていたが絶不調であった。

とにかく汗が止まらず身体を動かすどころではなかったのだ。

心拍数が異常に高くなっておりコーチにも心配をかけてしまう。

無理は禁物と思い早々と切り上げて帰って来た。


午後は例の如くでひたすら寝る。やはり疲れだったのだろうか

3時頃に目覚めると気分も良くすっきりとしていた。

その勢いで日課の短歌を書き自己満足に浸る。



川向に住むお客さんから電話があり「トマト食べんかよ」と。

「いるいる」と応え車を飛ばし貰いに行く。

お客さんは家の裏庭にある菜園で畑仕事をしていた。

なんと上半身裸である。「暑うてのせんぞ」と笑っていた。

トマトは朝獲れだそうで笊にてんこ盛りである。

「全部持って行けや」と云うので遠慮なく頂いて帰る。

路地の新鮮なトマトの美味しいこと。直ぐに食べたくてならない。

お客さんとはもう40年来の付き合いである。

ご夫婦ともに気さくな人達で大好きだった。





市内の商業施設でイベントがありめいちゃんがダンスを踊るとのこと。

夕方かららしいが娘は何も言ってはくれなかった。

勝手に押し掛ける訳にもいかず何とも寂しいものである。

夫と夕食を食べながら今後の不安などを語り合う。


もしどちらかが欠けた時のこと。それは近い将来必ずあり得ることだった。

私でみれば何とかなるだろうが夫は不安でならないようだ。

「俺はほたられるかもしれん」と言う。


昔は優しかった娘の変わりように戸惑うことがよくある。

会話が成り立たないのだ。なんとそっけないことだろうか。

まるで私達夫婦が居候のようでもあった。

面と向かっては言わないがやはり家族ではないのだろう。


先のことを思い煩うのはよそうと私達は互いを宥めるのだった。

そうしてとにかく長生きをしようねと語り合う。

「おまえは俺より先に死ぬなよ」夫の言葉が胸に沁みる。



2024年07月19日(金) ノルマ達成

「土用の入り」立秋までの18日間を云うのだそうだ。

猛暑を乗り越え早く立秋の声を聞きたいものである。

お昼前に四国地方の梅雨明けが発表された。

少し曇り空であったがうだるような暑さとなる。


朝はそうでもなかったがお昼頃から怠くてならない。

生欠伸が出て眠気もあるようだった。

夏バテにはまだ早いだろう。今からくたばるわけにはいかない。

単なる疲労かもしれないが今週は4日しか働いていないのだ。

お昼に少し仮眠をと思い机に突っ伏してみたが眠れなかった。


焦ったのは短歌を書けないこと。たまには休めば良いものを

自分が許さないのだった。それほどまでに課していることなのだろう。

決して完璧主義ではないのだが困った性分である。


午後は同僚が通院のため開店休業となった。

義父も午前中の草刈りが堪えたのか居室に閉じ籠っている。

まだ2時だったがもう帰ろうと思った。

義父に声も掛けずに逃げるように帰路に着く。

とにかく少しでも横になり眠りたくてならない。


案の定睡魔に襲われやっとの思いでサニーマートに着いた。

夕飯のメニューが全く思いつかずぼんやりと買い物をする。

食欲もない。何も食べたくなかったから適当であった。


帰宅するなり倒れ込むようにして眠る。

大きな鼾をかいていたそうだが私が知る由もない。

30分程寝ていたようだ。寝起きの気怠さはなかった。


「書けるかもしれない」二階の自室に上がれば室温は35℃である。

エアコンは我慢し扇風機で涼を取りながらパソコンに向かう。

まずまずの短歌が書ける。自己満足の骨頂としか云いようがない。

そうして「よっし、ノルマ達成」と増々調子に乗るのだった。

「いいね」の数は決して評価ではないのだが

「読みましたよ」の声が聞こえるようだった。


D氏は私の短歌なんか誰も読んでいないと言ったが

それを真に受けるほど私は落ちぶれてなどいないのだと思う。

もう今更何の反論もする気はないが縁を切って正解だったのだろう。


終りがあってこそ始めることが出来る。

きっとチャンスを頂いたのだろうと思うのだった。


明日のことなど何も分からない。

まして未来のことなどどうして分かるだろう。

私はただ与えられた人生を全うするだけである。











2024年07月18日(木) 最後のけじめ

日中は雨の予報だったが殆ど降らず。午後少しだけにわか雨が降った。

とても蒸し暑くエアコン無しではとても過ごせない。


職場の百日紅の花を母だと思って毎朝声を掛けている。

薄情な娘であったがそうそう悪どい人間ではなさそうだ。

きっと根は優しいのだろうと勝手に思うようにしている。


母は日に日に花盛りになっていく。

お化粧を欠かさない母であった。花の色は口紅の色に似ている。

お洒落な服を着せてやりたいが生憎夏草が生い茂っているのだった。

「母さんごめんね」私の声が届いているだろうか。




昨日、参加している同人誌に短歌を16首送信していたのだが

午前中に受け取った旨のメールが届いていた。

いつもは口数少ないD氏だが今日のメールは長かった。


まず詩について。やはり今のままでは認めるつもりはないと。

二度も三下り半を押していながら未だに拘っているようだった。

私はもうすっかり覚悟が出来ているのでもうどうでも良かったのだ。


それから短歌について。私の短歌は誰も読んでいないのだそうだ。

それほど価値のないものだと言いたかったのだろう。

全国に発送しているにも関わらずそこまで明言出来るのだろうか。

しかしもう反論するつもりは一切なくなっていた。

その時点で私は脱会する決意を固めていたのである。

D氏は短歌の専門誌に発表すれば良いと追って記してあった。

とにかく私が目障りでならないのが見え見えだったのだ。

D氏とは若い頃からの長い付き合いであったが

そこまで厳しい人だとは思ってもいなかった。

厳しいと云うよりこれはパワハラにも等しいのではないだろうか。

会社なら「解雇」であり同人誌からは「追放」である。

しかしここで怒り狂ってはD氏の思うつぼになってしまうのだ。


私は冷静に返事を書いた。長年の感謝の気持ちを伝える。

お目汚しばかりだったことを詫びあくまでも平身低頭を貫く。

それが私の最後のけじめであった。


不思議と悔しさはない。悲しみもなければ嘆きもなかった。

上手く言葉に出来ないが一気に闘志が湧いて来たのだった。

言葉は悪いが「今に見ておれ」である。

決して勝ち負けではないがD氏を見返してやりたいと思ったのだ。


折られた木から新しい枝が生まれるようなこと。

それは奇跡のようなことかもしれないが

生きてさえいれば叶うのではないだろうか。


負けないことだ。挫けないことだ。そのための「いのち」だと思う。



2024年07月17日(水) 胸を打たれる準備

梅雨明けを思わすような真夏日。

午前中は風が殆ど吹かず息が詰まりそうな暑さであった。

九州南部が梅雨明けとのこと。四国も直ぐに後を追うだろう。

土用の入りも近く「大暑」も近づいている。

いよいよ本格的な夏の訪れであった。


玄関先の夏すみれが早くも弱り始めている。

昨日一日水遣りを怠ってしまったのだ。

怠慢にも程があると我が身を責めたくなって来る。

「ほら言わんことじゃない」と夫の声が聞こえて来そうだった。

てきぱきとロボットのようにはいかない。

出来ない日があっても良いのだと思いたいが花を枯らすことになる。

私の役目なのだと考えればそうそう疎かには出来ないだろう。




今朝は出勤すると義父が待機してくれておりほっと胸を撫で下ろす。

昨日それとなく車検を頼んでおいたのだ。

忘れずにいてくれたのだろう。どれ程助かったことだろうか。

午前中に車検を済ませその後母の初盆の打ち合わせをした。

お寺さんの都合で来週の23日に読経に来てくれるのだそうだ。

あまりにも早いので何から準備すれば良いのか戸惑うばかりである。

義父の助けがなければ私一人では何も整えることが出来ない。

今日話すことが出来なかったらパニックになるところだった。

「よっし」と週末の内に準備をしてくれるそうだ。

こればかりは疎かにすることは出来ない。

母が無事に帰って来られるように導いてやらねばと思う。



事務仕事は一段落しており3時前に退社する。

義父は夕方にかけて稲の消毒をするそうで準備をしていた。

田植えでお世話になった友人達がコロナで総倒れとのこと。

義父だけは幸いにも逃れられたが「なんか俺もしんどい」と言う。

検査キットで調べることは可能だがそれよりも稲の消毒であった。

熱も測らないと言ってコロナどころではない様子である。

全国的に感染者が増えており11派到来だと言われている。

ノーマスクの人が殆どで危機感の薄れを実感するこの頃であった。



帰宅したら「寺山修司全歌集」が届いていた。

ゆっくりと読む時間はなくぱらぱらとページを捲っただけだが

ぐんぐんと惹き込まれるような胸の震えを感じた。

まるで天から救いの手が伸びて来たようである。

俵万智も岡本真帆も「下がれ頭が高い」と叫びたくなった。


すでに胸を打たれる準備は出来ている。

思う存分に私を打って頂きたい。


きっと涙が溢れ出ることだろう。

短歌も詩もそうでなくてはいけない。



2024年07月16日(火) メダカの一生

曇りの予報だったが思いがけずに陽射しがあった。

気温も久しぶりに30℃を超え真夏日となる。

猛暑を体験したせいかさほど暑さを感じない。

むしろ空に両手を広げ陽射しを受け止めたいほどだった。


すっかり忘れていた夏の花がある。

それはお大師堂の片隅に毎年咲いていたのだが

お参りを疎かにするようになって失念してしまっていた。

大きな花なので人影のように見え白装束のお遍路さんと重なる。

いつも草刈りをしてくれているSさんに切り倒されたことがあって

抗議をする私に「毎年咲くやないか」と反論されたことがある。

おまけにSさんは「この花は好かん」と言ったのだった。


今年は無事だろうか。気になってしょうがないが見に行けない。

いや行けないのではなく行かないのだ。

これも私の大きな怠慢のひとつになってしまった。

だからなのかまるで夢のような花になり心から離れようとしない。

「浜木綿の人影に似て振り向けば大河のほとり行く夏遍路」




連休明けの仕事は怒涛の忙しさだった。

午前中は特に来客が多く対応に追われる。

バイクの一日車検が入っており出掛けていた義父を呼び戻した。

早朝から畔の草刈りをしていたらしくいささかご機嫌斜めである。

けれどもお客さんには愛想よく振舞ってくれなんとほっとしたことか。

バイクはハーレーなので同僚も義父も乗ることが出来ない。

お客さん自ら検査場へ運んでくれて何とか車検を完了する。

書類を作成している間も来客が絶えなかった。


お昼前にやっと一段落して義父は逃げるように田んぼに走る。

「お昼ご飯は?」と訊けば「食べよる暇があるもんか」と

とにかく気が狂ったように見えた。とても80歳には見えない。


午後2時前だった。義父から電話があり空腹で倒れそうだと言う。

一旦帰って来ると云うので大急ぎでお弁当を買いに行く。

売れ残りであったが鶏肉の入っていないのがあって良かった。

冷房の効いた事務所でお弁当を掻き込むとまた直ぐに出掛けて行く。

パワフルには見えたがどれ程身体に堪えていることだろう。

決して弱音を吐かない義父だけに心配でならなかった。



工場は忙しかったが同僚に労いの声を掛け2時半に退社する。

少しでも早く帰って横になりたくてたまらなかった。

いくら火曜日からのスタートでも気負い過ぎてはいけない。

程々に肩の力を抜き週末まで乗り切らなければと思う。



SNSに例の同人誌の主催者の方からメールが届いていた。

とても丁寧な文面で恐れ入る。きっと誠実な方なのだろう。

その人柄を感じるだけに返信にも心を込めなくてはいけない。

遠回りではあったが今は参加する意思のないことを伝えた。

どうして本音が言えようか。私にもそれ位の常識はある。

しばらくは読者側として仲間入りさせて貰うことにしたが

おそらくもう購入することはないだろう。

本当に申し訳ないがそれが私の本音であった。

まるで「メダカの水槽」なのだ。私のプライドが許さなかった。


いったい何様なのだと罵られても私はメダカにはなれない。

もしなれたとしても水槽ではなく自然の川を泳ぎたいと思う。

群れから離れて独り自由気ままに泳いでいたいのだった。


そうそう永くは生きられないだろう。

誰にも守られてはいないのだ。

そんなメダカの一生を書き残して置きたいと願って止まない。



2024年07月15日(月) それぞれの夏

雨の予報だったが降らないまま日が暮れようとしている。

湿度がとても高く今日も不快な蒸し暑さであった。


「海の日」で祝日。昔はカメラを携え海へ行っていたが

20年の歳月はそんな行動力をそぎ落としてしまったようだ。

せめてもと昔撮った海の写真を眺めながら感慨に浸っていた。

おそらくもう砂浜を歩くこともないだろう。

「海」はおんなである。どうしようもなくおんなだと思う。


19歳の夏だったか死ぬ気で夜の海へ入ったことがある。

私は泳げないのだ。だから簡単に死ねると思っていた。

遠浅の海であった。やっと胸まで浸かったところで

叫び声が聞こえ私はしっかりと抱きかかえられていた。

「速水」という名の人だった。「死んでたまるか」とその人は言ったのだ。




今朝は昨日植えた花たちをうっとりと眺めながら心が癒される。

つい欲が出てしまいまた花苗を買って来ようかとも思う。

夫に叱られてしまうだろう。娘にも迷惑を掛けるだろう。

出来ていたことが出来なくなるのはとても切ないものだ。


朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。

ふとこんなスローライフも良いものだと思った。

仕事は好きだがなんと時間に追われていることか。

時間を気にせずのらりくらりと暮らせたらどんなに楽だろうか。

「退屈」は辛いものだが好きなように過ごすことが出来る。

そこまで考えたところで現実に引き戻されてしまうのだった。


パート収入であるがそれで我が家の生活費を賄っている。

その収入が途絶えれば僅かな年金だけが頼りになるだろう。

とてもやっていけるはずはない。現実はとても厳しいのだ。

だからゴールが見えない。生きて在る限りの仕事のように思う。


海苔養殖の収入が途絶えもう三年が経った。

すでに廃業状態で今後の望みは皆無に等しい。

もし再開できることが出来ても夫一人ではとても無理だろう。

自然相手の仕事はそうそう容易いことではなかった。


思い起こせば40年以上もの家業であったが

若かった私達の歴史の一部になろうとしている。

やったらやっただけの事があったのだ。

どれほど励み苦労を重ねて来たことだろうか。

「もうえいよね」と夫と頷き合うことが多くなったこの頃である。





「こころを打たれたい」と昨夜ここに記したが

今日は例の山上秋恵さんが心に沁みるような俳句を発信していた。

素晴らしい感性の持ち主だと思う。才能が溢れ出ている。


短歌を詩をどうして遠ざけてしまったのか残念でならないが

山上さんなりに思い悩み考え着いた結果なのだろう。

私はとても見守るような立場ではないが

心惹かれることで少しでも寄り添えたらと願って止まない。


それぞれの夏である。私も夏を精一杯に生きている。



2024年07月14日(日) 心を打たれたい

雨が降りそうで降らず。今日も不快な蒸し暑さだった。

九州北部では大雨とのこと。特に長崎の五島が酷かったようだ。

今後も線状降水帯が発生する恐れがあるらしく油断は出来ない。

なんだか空が怒り狂っているように感じる。

雨雲さえなければ穏やかな空なのに思うようにはいかないものだ。



午後お昼寝から目覚めてからふと思いつき花苗を買いに行く。

やっと気が向いたのだろう。下ばかり向いていては何も出来ない。

すぐ近くに「彩り市場」と云う地場産品のお店がある。

花苗は市内の障害者施設で育てており直に持ち込まれているようだ。

ホームセンターより苗の質が良く格安なのがとても有難い。


「夏すみれ」と「花すべり」の苗を三株ずつ買い360円の安さである。

苗を段ボールに入れたもののレジまで持って行けなかった。

店員さんに助けてもらい支払い後も車まで運んでもらう。

何としても植えなくてはと思う。やればきっと出来るだろう。


帰宅してまずは枯れた花の処分である。

既に枯れ草のようになっており片手で簡単に引き抜くことが出来た。

スコップで土を均し後は植えるだけであったが

どうにも思うように行かず娘に声を掛け助けてもらう。

夫が家の中から「自分で出来んのに買って来るな」と言う。

出来ると思ったのだ。そんな小言は聞かなかったことにしたい。


植え終わると娘が水遣りをしてくれて何とか整う。

夏の間きっと可愛らしく咲いてくれることだろう。

後は水遣りを怠らないことだと肝に銘じる。





今日は娘婿の出身である「下田地区」の夏祭りだったようだ。

夕方から「提灯台」が地区を練り歩くのだそうで

娘婿も参加しており娘とめいちゃんが楽しみに見に行った。

あやちゃんは行きたがらずまだ夕飯も食べてはいない。

「直ぐに帰るけん」と娘は言ったがそろそろ日が暮れそうだ。

提灯台は見始めたら夢中になってしまい辺りが暗くなるほど見応えがある。

威勢の良い掛け声。鮮やかな提灯の明かりが目に見えるようだった。


私もお祭りが好きだったが今ではすっかり無縁となってしまった。

それは子供の頃の思い出として記憶の片隅に埋もれて行く。

老いだけのせいではない。不自由な足ではどうしようもなかった。




今日も短歌を書くことは出来たが「いまいち」であった。

SNSでは短歌を発信している人も多いが

「これはいい」と思える短歌にはめったに出会えない。

一人を除いて。その人の短歌には「こころ」がある。

決して頭では書いていないのだ。だから惹かれずにはいられなかった。


俵万智の最新歌集「アボガドの種」を読んだが期待外れだった。

もう昔のような感性は何処にも見当たらない。

知名度だけで書いているのだろう。名があってこその短歌に思えた。


四万十市出身の岡本真帆の第二詩集も読んだが

若者だけあって31文字の言葉遊びのように感じた。

感性はあるのだがこれも「こころ」に乏しい。

地元でも脚光を浴びており一躍有名人になったが

「歌人」と認められて少し天狗のようになっているように思う。

おそらく俵万智と同じ道を辿ることになるだろう。


で次はどうするであったが今日は寺山修司の歌集をネットで購入した。

私にとっては藁にも縋る思いである。

心を打たれたい。「こころ」を感じたいその一心であった。

読めばきっと胸に熱いものが込み上げて来るだろう。


私は飢えている。私は彷徨っている。私は孤独である。



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