日中は雨の予報だったが殆ど降らず。午後少しだけにわか雨が降った。
とても蒸し暑くエアコン無しではとても過ごせない。
職場の百日紅の花を母だと思って毎朝声を掛けている。
薄情な娘であったがそうそう悪どい人間ではなさそうだ。
きっと根は優しいのだろうと勝手に思うようにしている。
母は日に日に花盛りになっていく。
お化粧を欠かさない母であった。花の色は口紅の色に似ている。
お洒落な服を着せてやりたいが生憎夏草が生い茂っているのだった。
「母さんごめんね」私の声が届いているだろうか。

昨日、参加している同人誌に短歌を16首送信していたのだが
午前中に受け取った旨のメールが届いていた。
いつもは口数少ないD氏だが今日のメールは長かった。
まず詩について。やはり今のままでは認めるつもりはないと。
二度も三下り半を押していながら未だに拘っているようだった。
私はもうすっかり覚悟が出来ているのでもうどうでも良かったのだ。
それから短歌について。私の短歌は誰も読んでいないのだそうだ。
それほど価値のないものだと言いたかったのだろう。
全国に発送しているにも関わらずそこまで明言出来るのだろうか。
しかしもう反論するつもりは一切なくなっていた。
その時点で私は脱会する決意を固めていたのである。
D氏は短歌の専門誌に発表すれば良いと追って記してあった。
とにかく私が目障りでならないのが見え見えだったのだ。
D氏とは若い頃からの長い付き合いであったが
そこまで厳しい人だとは思ってもいなかった。
厳しいと云うよりこれはパワハラにも等しいのではないだろうか。
会社なら「解雇」であり同人誌からは「追放」である。
しかしここで怒り狂ってはD氏の思うつぼになってしまうのだ。
私は冷静に返事を書いた。長年の感謝の気持ちを伝える。
お目汚しばかりだったことを詫びあくまでも平身低頭を貫く。
それが私の最後のけじめであった。
不思議と悔しさはない。悲しみもなければ嘆きもなかった。
上手く言葉に出来ないが一気に闘志が湧いて来たのだった。
言葉は悪いが「今に見ておれ」である。
決して勝ち負けではないがD氏を見返してやりたいと思ったのだ。
折られた木から新しい枝が生まれるようなこと。
それは奇跡のようなことかもしれないが
生きてさえいれば叶うのではないだろうか。
負けないことだ。挫けないことだ。そのための「いのち」だと思う。
梅雨明けを思わすような真夏日。
午前中は風が殆ど吹かず息が詰まりそうな暑さであった。
九州南部が梅雨明けとのこと。四国も直ぐに後を追うだろう。
土用の入りも近く「大暑」も近づいている。
いよいよ本格的な夏の訪れであった。
玄関先の夏すみれが早くも弱り始めている。
昨日一日水遣りを怠ってしまったのだ。
怠慢にも程があると我が身を責めたくなって来る。
「ほら言わんことじゃない」と夫の声が聞こえて来そうだった。
てきぱきとロボットのようにはいかない。
出来ない日があっても良いのだと思いたいが花を枯らすことになる。
私の役目なのだと考えればそうそう疎かには出来ないだろう。

今朝は出勤すると義父が待機してくれておりほっと胸を撫で下ろす。
昨日それとなく車検を頼んでおいたのだ。
忘れずにいてくれたのだろう。どれ程助かったことだろうか。
午前中に車検を済ませその後母の初盆の打ち合わせをした。
お寺さんの都合で来週の23日に読経に来てくれるのだそうだ。
あまりにも早いので何から準備すれば良いのか戸惑うばかりである。
義父の助けがなければ私一人では何も整えることが出来ない。
今日話すことが出来なかったらパニックになるところだった。
「よっし」と週末の内に準備をしてくれるそうだ。
こればかりは疎かにすることは出来ない。
母が無事に帰って来られるように導いてやらねばと思う。

事務仕事は一段落しており3時前に退社する。
義父は夕方にかけて稲の消毒をするそうで準備をしていた。
田植えでお世話になった友人達がコロナで総倒れとのこと。
義父だけは幸いにも逃れられたが「なんか俺もしんどい」と言う。
検査キットで調べることは可能だがそれよりも稲の消毒であった。
熱も測らないと言ってコロナどころではない様子である。
全国的に感染者が増えており11派到来だと言われている。
ノーマスクの人が殆どで危機感の薄れを実感するこの頃であった。
帰宅したら「寺山修司全歌集」が届いていた。
ゆっくりと読む時間はなくぱらぱらとページを捲っただけだが
ぐんぐんと惹き込まれるような胸の震えを感じた。
まるで天から救いの手が伸びて来たようである。
俵万智も岡本真帆も「下がれ頭が高い」と叫びたくなった。
すでに胸を打たれる準備は出来ている。
思う存分に私を打って頂きたい。
きっと涙が溢れ出ることだろう。
短歌も詩もそうでなくてはいけない。
曇りの予報だったが思いがけずに陽射しがあった。
気温も久しぶりに30℃を超え真夏日となる。
猛暑を体験したせいかさほど暑さを感じない。
むしろ空に両手を広げ陽射しを受け止めたいほどだった。
すっかり忘れていた夏の花がある。
それはお大師堂の片隅に毎年咲いていたのだが
お参りを疎かにするようになって失念してしまっていた。
大きな花なので人影のように見え白装束のお遍路さんと重なる。
いつも草刈りをしてくれているSさんに切り倒されたことがあって
抗議をする私に「毎年咲くやないか」と反論されたことがある。
おまけにSさんは「この花は好かん」と言ったのだった。
今年は無事だろうか。気になってしょうがないが見に行けない。
いや行けないのではなく行かないのだ。
これも私の大きな怠慢のひとつになってしまった。
だからなのかまるで夢のような花になり心から離れようとしない。
「浜木綿の人影に似て振り向けば大河のほとり行く夏遍路」

連休明けの仕事は怒涛の忙しさだった。
午前中は特に来客が多く対応に追われる。
バイクの一日車検が入っており出掛けていた義父を呼び戻した。
早朝から畔の草刈りをしていたらしくいささかご機嫌斜めである。
けれどもお客さんには愛想よく振舞ってくれなんとほっとしたことか。
バイクはハーレーなので同僚も義父も乗ることが出来ない。
お客さん自ら検査場へ運んでくれて何とか車検を完了する。
書類を作成している間も来客が絶えなかった。
お昼前にやっと一段落して義父は逃げるように田んぼに走る。
「お昼ご飯は?」と訊けば「食べよる暇があるもんか」と
とにかく気が狂ったように見えた。とても80歳には見えない。
午後2時前だった。義父から電話があり空腹で倒れそうだと言う。
一旦帰って来ると云うので大急ぎでお弁当を買いに行く。
売れ残りであったが鶏肉の入っていないのがあって良かった。
冷房の効いた事務所でお弁当を掻き込むとまた直ぐに出掛けて行く。
パワフルには見えたがどれ程身体に堪えていることだろう。
決して弱音を吐かない義父だけに心配でならなかった。

工場は忙しかったが同僚に労いの声を掛け2時半に退社する。
少しでも早く帰って横になりたくてたまらなかった。
いくら火曜日からのスタートでも気負い過ぎてはいけない。
程々に肩の力を抜き週末まで乗り切らなければと思う。
SNSに例の同人誌の主催者の方からメールが届いていた。
とても丁寧な文面で恐れ入る。きっと誠実な方なのだろう。
その人柄を感じるだけに返信にも心を込めなくてはいけない。
遠回りではあったが今は参加する意思のないことを伝えた。
どうして本音が言えようか。私にもそれ位の常識はある。
しばらくは読者側として仲間入りさせて貰うことにしたが
おそらくもう購入することはないだろう。
本当に申し訳ないがそれが私の本音であった。
まるで「メダカの水槽」なのだ。私のプライドが許さなかった。
いったい何様なのだと罵られても私はメダカにはなれない。
もしなれたとしても水槽ではなく自然の川を泳ぎたいと思う。
群れから離れて独り自由気ままに泳いでいたいのだった。
そうそう永くは生きられないだろう。
誰にも守られてはいないのだ。
そんなメダカの一生を書き残して置きたいと願って止まない。
雨の予報だったが降らないまま日が暮れようとしている。
湿度がとても高く今日も不快な蒸し暑さであった。
「海の日」で祝日。昔はカメラを携え海へ行っていたが
20年の歳月はそんな行動力をそぎ落としてしまったようだ。
せめてもと昔撮った海の写真を眺めながら感慨に浸っていた。
おそらくもう砂浜を歩くこともないだろう。
「海」はおんなである。どうしようもなくおんなだと思う。
19歳の夏だったか死ぬ気で夜の海へ入ったことがある。
私は泳げないのだ。だから簡単に死ねると思っていた。
遠浅の海であった。やっと胸まで浸かったところで
叫び声が聞こえ私はしっかりと抱きかかえられていた。
「速水」という名の人だった。「死んでたまるか」とその人は言ったのだ。

今朝は昨日植えた花たちをうっとりと眺めながら心が癒される。
つい欲が出てしまいまた花苗を買って来ようかとも思う。
夫に叱られてしまうだろう。娘にも迷惑を掛けるだろう。
出来ていたことが出来なくなるのはとても切ないものだ。
朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。
ふとこんなスローライフも良いものだと思った。
仕事は好きだがなんと時間に追われていることか。
時間を気にせずのらりくらりと暮らせたらどんなに楽だろうか。
「退屈」は辛いものだが好きなように過ごすことが出来る。
そこまで考えたところで現実に引き戻されてしまうのだった。
パート収入であるがそれで我が家の生活費を賄っている。
その収入が途絶えれば僅かな年金だけが頼りになるだろう。
とてもやっていけるはずはない。現実はとても厳しいのだ。
だからゴールが見えない。生きて在る限りの仕事のように思う。
海苔養殖の収入が途絶えもう三年が経った。
すでに廃業状態で今後の望みは皆無に等しい。
もし再開できることが出来ても夫一人ではとても無理だろう。
自然相手の仕事はそうそう容易いことではなかった。
思い起こせば40年以上もの家業であったが
若かった私達の歴史の一部になろうとしている。
やったらやっただけの事があったのだ。
どれほど励み苦労を重ねて来たことだろうか。
「もうえいよね」と夫と頷き合うことが多くなったこの頃である。

「こころを打たれたい」と昨夜ここに記したが
今日は例の山上秋恵さんが心に沁みるような俳句を発信していた。
素晴らしい感性の持ち主だと思う。才能が溢れ出ている。
短歌を詩をどうして遠ざけてしまったのか残念でならないが
山上さんなりに思い悩み考え着いた結果なのだろう。
私はとても見守るような立場ではないが
心惹かれることで少しでも寄り添えたらと願って止まない。
それぞれの夏である。私も夏を精一杯に生きている。
雨が降りそうで降らず。今日も不快な蒸し暑さだった。
九州北部では大雨とのこと。特に長崎の五島が酷かったようだ。
今後も線状降水帯が発生する恐れがあるらしく油断は出来ない。
なんだか空が怒り狂っているように感じる。
雨雲さえなければ穏やかな空なのに思うようにはいかないものだ。
午後お昼寝から目覚めてからふと思いつき花苗を買いに行く。
やっと気が向いたのだろう。下ばかり向いていては何も出来ない。
すぐ近くに「彩り市場」と云う地場産品のお店がある。
花苗は市内の障害者施設で育てており直に持ち込まれているようだ。
ホームセンターより苗の質が良く格安なのがとても有難い。
「夏すみれ」と「花すべり」の苗を三株ずつ買い360円の安さである。
苗を段ボールに入れたもののレジまで持って行けなかった。
店員さんに助けてもらい支払い後も車まで運んでもらう。
何としても植えなくてはと思う。やればきっと出来るだろう。
帰宅してまずは枯れた花の処分である。
既に枯れ草のようになっており片手で簡単に引き抜くことが出来た。
スコップで土を均し後は植えるだけであったが
どうにも思うように行かず娘に声を掛け助けてもらう。
夫が家の中から「自分で出来んのに買って来るな」と言う。
出来ると思ったのだ。そんな小言は聞かなかったことにしたい。
植え終わると娘が水遣りをしてくれて何とか整う。
夏の間きっと可愛らしく咲いてくれることだろう。
後は水遣りを怠らないことだと肝に銘じる。

今日は娘婿の出身である「下田地区」の夏祭りだったようだ。
夕方から「提灯台」が地区を練り歩くのだそうで
娘婿も参加しており娘とめいちゃんが楽しみに見に行った。
あやちゃんは行きたがらずまだ夕飯も食べてはいない。
「直ぐに帰るけん」と娘は言ったがそろそろ日が暮れそうだ。
提灯台は見始めたら夢中になってしまい辺りが暗くなるほど見応えがある。
威勢の良い掛け声。鮮やかな提灯の明かりが目に見えるようだった。
私もお祭りが好きだったが今ではすっかり無縁となってしまった。
それは子供の頃の思い出として記憶の片隅に埋もれて行く。
老いだけのせいではない。不自由な足ではどうしようもなかった。

今日も短歌を書くことは出来たが「いまいち」であった。
SNSでは短歌を発信している人も多いが
「これはいい」と思える短歌にはめったに出会えない。
一人を除いて。その人の短歌には「こころ」がある。
決して頭では書いていないのだ。だから惹かれずにはいられなかった。
俵万智の最新歌集「アボガドの種」を読んだが期待外れだった。
もう昔のような感性は何処にも見当たらない。
知名度だけで書いているのだろう。名があってこその短歌に思えた。
四万十市出身の岡本真帆の第二詩集も読んだが
若者だけあって31文字の言葉遊びのように感じた。
感性はあるのだがこれも「こころ」に乏しい。
地元でも脚光を浴びており一躍有名人になったが
「歌人」と認められて少し天狗のようになっているように思う。
おそらく俵万智と同じ道を辿ることになるだろう。
で次はどうするであったが今日は寺山修司の歌集をネットで購入した。
私にとっては藁にも縋る思いである。
心を打たれたい。「こころ」を感じたいその一心であった。
読めばきっと胸に熱いものが込み上げて来るだろう。
私は飢えている。私は彷徨っている。私は孤独である。
朝方少しだけ雨が降ったが日中は曇り空。
気温はそう高くないのに不快な蒸し暑さであった。
エアコンのお世話になりながらなんと有難いことだろうと思う。
週間天気予報を見ていたら来週の中頃には梅雨明けとなりそうだ。
松山の土砂崩れ現場から3人の遺体が発見されたとのこと。
行方不明になった時点から生存は絶望的であったが
一瞬のうちに土砂に巻き込まれどんなにか苦しかったことだろう。
なんとも痛ましいことで胸が苦しくてならない。
二度とあってはならないことだが自然の猛威の容赦ないこと。
とても運命の一言で済まされることではなかった。
ただただ亡くなられた方達の冥福を祈ることしか出来ない。

三連休を頂いたがほぼ一日中寝て過ごす。
週末はいつものことだが自分でも呆れるほどだった。
横になってしまうとすぐに寝てしまいなんとだらしないこと。
玄関先の花たちが全て枯れてしまった。
猛暑が続いていた時に水遣りを怠ってしまったせいだろう。
今更悔やんでも仕方がないが可哀想なことをしてしまった。
新しく花苗を植えることも考えたがやる気が出ない。
そうかと云ってそのままにして置くことも気が引ける。
今まで花を絶やしたことなどなかったので余計にそう思う。
「気が向いたら」なんと無責任な言葉だろう。
積極的に気を向けようとしないのだ。怠慢としか言いようがない。
他にも疎かにしていることが沢山ありもう手の付けようがなかった。
あやちゃんの足は腫れが引き何とか歩けるようになったようだ。
部屋から出るのはトイレに行く時だけで早朝に会ったきりだが
娘も何も言わないのでもう病院の必要はないのだろう。
大事に至らなくて何よりだった。明日は今日よりも楽になっているはず。
とにかく干渉されるのを嫌がる。静かにそっと見守るしかない。
何かある度に思うのだが娘達との間に大きな壁がある。
同じ一つの家に暮らしながら家族ではないような気がするのだった。
夫は「もう我が家は乗っ取られている」とよく口にするのだが
まるで私と夫は居候のような暮しを強いられているようだ。
老いては子に従えと云うがもう夫は大黒柱ではないのだろう。
同居を始めてもう直ぐ10年になろうとしている。
「いつまでもここにはいないから」と言った娘の言葉が遠ざかる。
悶々としていた気持ちが和らぎまた創作意欲が湧いて来た。
詩も短歌も今のところ限界を感じていない。
私はわたしを認めながら精一杯の「いのち」を表現したいと思っている。
どれほど踏みにじられても嘆きはしない。
私は私の「いのち」を守り続けて見せよう。
明け方まで雨が降っていたが次第に止み
日中は薄く陽が射す曇り空となった。
大雨注意報が出ていた松山市では城山が崩れ土砂が住宅街を襲う。
未明の事で就寝中の人が多く3人の方が行方不明になっている。
捜索中にもまた土砂崩れがあり救助もままならないようだ。
なんとも気の毒でならずただただ心を痛めるばかりであった。
強い雨雲は北上し各地に被害をもたらしたようだ。
自然災害はどうすることも出来ず想定外のことが起こるものである。
もうこれ以上の災害がないことをひたすら祈るしかない。
仕事はそこそこの忙しさだった。
出社するとトイレの水漏れが直っておりなんとほっとしたことか。
昨日のうちに義父が直してくれたようだった。
雨が止んでいたので畔の草刈りに行く予定だったらしいが
2時間程待機してくれてエアコンが効かないお客さんに対応してくれた。
そのお客さんは私と同じように足が悪く杖を付いている。
「車もいかんがわしももういかん」と弱音を吐くので
「一緒に頑張ろうよ」と励ましたら笑顔を見せてくれた。
皆それぞれに身体の不具合を抱えているけれど
弱気になってはいけないのだと思う。もちろん私もだ。
仕事中はなるべく杖に頼らないように心掛けている。
まともには歩けないがそれもリハビリになっているのだろう。
郵便局のゆみちゃんが「おねえ偉いやんか」と褒めてくれた。

内科の薬が切れそうなので2時に退社し病院へ向かった。
処方箋だけのつもりであったが主治医のO先生が在勤とのこと。
受付の職員さんが「会って行けば」と診察を勧めてくれる。
そうして思いがけずにO先生に会うことが出来た。
心療内科の専門医でもあるので顔を見ただけでとてもほっとする。
血圧も正常。煙草は止めなくても良いので減らしましょうと。
とにかくストレスを感じない生活が一番のようだ。
昨日のショックがまだ尾を引いていただけに気分がとても楽になった。
私は踏みにじられたのかもしれないがもう嘆きはしない。
向かい風に立ち向かって行こうと改めて思う。

帰宅したら夫が「あやが大変だ」と云うので驚く。
どうやら捻挫をしたらしく左足が酷く腫れているのだった。
病院へ連れて行こうとしたが嫌がるので様子を見ていたらしい。
骨折なら激しく痛むだろう。幸いさほどの痛みはないようだった。
娘が帰宅したが明日まで様子を見ることになった。
腫れさえ引いたらきっと大丈夫だろう。
いつものように夫と先に夕飯を済ませたのだが
娘夫婦が晩酌を始めテーブルには孫達の姿がなかった。
余計な事と分かってはいたが娘に訊ねるとなんともそっけない。
家族4人揃ってと思うのはやはりお節介だったようだ。
そんな「カタチ」もあって良しなのだろう。
今週はダメージが大きかったのかあまり元気ではない。
明日から三連休なのでゆっくりと回復したいと思っている。
私はわたしを否定できず在りのままを受け入れたい。
どんな私であっても「わたし」なのに違いない。
見栄やプライドは時には妨げにもなり得るけれど
信じてやらなければ決して前へは進めないだろう。
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