雨が降りそうで降らず。今日も不快な蒸し暑さだった。
九州北部では大雨とのこと。特に長崎の五島が酷かったようだ。
今後も線状降水帯が発生する恐れがあるらしく油断は出来ない。
なんだか空が怒り狂っているように感じる。
雨雲さえなければ穏やかな空なのに思うようにはいかないものだ。
午後お昼寝から目覚めてからふと思いつき花苗を買いに行く。
やっと気が向いたのだろう。下ばかり向いていては何も出来ない。
すぐ近くに「彩り市場」と云う地場産品のお店がある。
花苗は市内の障害者施設で育てており直に持ち込まれているようだ。
ホームセンターより苗の質が良く格安なのがとても有難い。
「夏すみれ」と「花すべり」の苗を三株ずつ買い360円の安さである。
苗を段ボールに入れたもののレジまで持って行けなかった。
店員さんに助けてもらい支払い後も車まで運んでもらう。
何としても植えなくてはと思う。やればきっと出来るだろう。
帰宅してまずは枯れた花の処分である。
既に枯れ草のようになっており片手で簡単に引き抜くことが出来た。
スコップで土を均し後は植えるだけであったが
どうにも思うように行かず娘に声を掛け助けてもらう。
夫が家の中から「自分で出来んのに買って来るな」と言う。
出来ると思ったのだ。そんな小言は聞かなかったことにしたい。
植え終わると娘が水遣りをしてくれて何とか整う。
夏の間きっと可愛らしく咲いてくれることだろう。
後は水遣りを怠らないことだと肝に銘じる。

今日は娘婿の出身である「下田地区」の夏祭りだったようだ。
夕方から「提灯台」が地区を練り歩くのだそうで
娘婿も参加しており娘とめいちゃんが楽しみに見に行った。
あやちゃんは行きたがらずまだ夕飯も食べてはいない。
「直ぐに帰るけん」と娘は言ったがそろそろ日が暮れそうだ。
提灯台は見始めたら夢中になってしまい辺りが暗くなるほど見応えがある。
威勢の良い掛け声。鮮やかな提灯の明かりが目に見えるようだった。
私もお祭りが好きだったが今ではすっかり無縁となってしまった。
それは子供の頃の思い出として記憶の片隅に埋もれて行く。
老いだけのせいではない。不自由な足ではどうしようもなかった。

今日も短歌を書くことは出来たが「いまいち」であった。
SNSでは短歌を発信している人も多いが
「これはいい」と思える短歌にはめったに出会えない。
一人を除いて。その人の短歌には「こころ」がある。
決して頭では書いていないのだ。だから惹かれずにはいられなかった。
俵万智の最新歌集「アボガドの種」を読んだが期待外れだった。
もう昔のような感性は何処にも見当たらない。
知名度だけで書いているのだろう。名があってこその短歌に思えた。
四万十市出身の岡本真帆の第二詩集も読んだが
若者だけあって31文字の言葉遊びのように感じた。
感性はあるのだがこれも「こころ」に乏しい。
地元でも脚光を浴びており一躍有名人になったが
「歌人」と認められて少し天狗のようになっているように思う。
おそらく俵万智と同じ道を辿ることになるだろう。
で次はどうするであったが今日は寺山修司の歌集をネットで購入した。
私にとっては藁にも縋る思いである。
心を打たれたい。「こころ」を感じたいその一心であった。
読めばきっと胸に熱いものが込み上げて来るだろう。
私は飢えている。私は彷徨っている。私は孤独である。
朝方少しだけ雨が降ったが日中は曇り空。
気温はそう高くないのに不快な蒸し暑さであった。
エアコンのお世話になりながらなんと有難いことだろうと思う。
週間天気予報を見ていたら来週の中頃には梅雨明けとなりそうだ。
松山の土砂崩れ現場から3人の遺体が発見されたとのこと。
行方不明になった時点から生存は絶望的であったが
一瞬のうちに土砂に巻き込まれどんなにか苦しかったことだろう。
なんとも痛ましいことで胸が苦しくてならない。
二度とあってはならないことだが自然の猛威の容赦ないこと。
とても運命の一言で済まされることではなかった。
ただただ亡くなられた方達の冥福を祈ることしか出来ない。

三連休を頂いたがほぼ一日中寝て過ごす。
週末はいつものことだが自分でも呆れるほどだった。
横になってしまうとすぐに寝てしまいなんとだらしないこと。
玄関先の花たちが全て枯れてしまった。
猛暑が続いていた時に水遣りを怠ってしまったせいだろう。
今更悔やんでも仕方がないが可哀想なことをしてしまった。
新しく花苗を植えることも考えたがやる気が出ない。
そうかと云ってそのままにして置くことも気が引ける。
今まで花を絶やしたことなどなかったので余計にそう思う。
「気が向いたら」なんと無責任な言葉だろう。
積極的に気を向けようとしないのだ。怠慢としか言いようがない。
他にも疎かにしていることが沢山ありもう手の付けようがなかった。
あやちゃんの足は腫れが引き何とか歩けるようになったようだ。
部屋から出るのはトイレに行く時だけで早朝に会ったきりだが
娘も何も言わないのでもう病院の必要はないのだろう。
大事に至らなくて何よりだった。明日は今日よりも楽になっているはず。
とにかく干渉されるのを嫌がる。静かにそっと見守るしかない。
何かある度に思うのだが娘達との間に大きな壁がある。
同じ一つの家に暮らしながら家族ではないような気がするのだった。
夫は「もう我が家は乗っ取られている」とよく口にするのだが
まるで私と夫は居候のような暮しを強いられているようだ。
老いては子に従えと云うがもう夫は大黒柱ではないのだろう。
同居を始めてもう直ぐ10年になろうとしている。
「いつまでもここにはいないから」と言った娘の言葉が遠ざかる。
悶々としていた気持ちが和らぎまた創作意欲が湧いて来た。
詩も短歌も今のところ限界を感じていない。
私はわたしを認めながら精一杯の「いのち」を表現したいと思っている。
どれほど踏みにじられても嘆きはしない。
私は私の「いのち」を守り続けて見せよう。
明け方まで雨が降っていたが次第に止み
日中は薄く陽が射す曇り空となった。
大雨注意報が出ていた松山市では城山が崩れ土砂が住宅街を襲う。
未明の事で就寝中の人が多く3人の方が行方不明になっている。
捜索中にもまた土砂崩れがあり救助もままならないようだ。
なんとも気の毒でならずただただ心を痛めるばかりであった。
強い雨雲は北上し各地に被害をもたらしたようだ。
自然災害はどうすることも出来ず想定外のことが起こるものである。
もうこれ以上の災害がないことをひたすら祈るしかない。
仕事はそこそこの忙しさだった。
出社するとトイレの水漏れが直っておりなんとほっとしたことか。
昨日のうちに義父が直してくれたようだった。
雨が止んでいたので畔の草刈りに行く予定だったらしいが
2時間程待機してくれてエアコンが効かないお客さんに対応してくれた。
そのお客さんは私と同じように足が悪く杖を付いている。
「車もいかんがわしももういかん」と弱音を吐くので
「一緒に頑張ろうよ」と励ましたら笑顔を見せてくれた。
皆それぞれに身体の不具合を抱えているけれど
弱気になってはいけないのだと思う。もちろん私もだ。
仕事中はなるべく杖に頼らないように心掛けている。
まともには歩けないがそれもリハビリになっているのだろう。
郵便局のゆみちゃんが「おねえ偉いやんか」と褒めてくれた。

内科の薬が切れそうなので2時に退社し病院へ向かった。
処方箋だけのつもりであったが主治医のO先生が在勤とのこと。
受付の職員さんが「会って行けば」と診察を勧めてくれる。
そうして思いがけずにO先生に会うことが出来た。
心療内科の専門医でもあるので顔を見ただけでとてもほっとする。
血圧も正常。煙草は止めなくても良いので減らしましょうと。
とにかくストレスを感じない生活が一番のようだ。
昨日のショックがまだ尾を引いていただけに気分がとても楽になった。
私は踏みにじられたのかもしれないがもう嘆きはしない。
向かい風に立ち向かって行こうと改めて思う。

帰宅したら夫が「あやが大変だ」と云うので驚く。
どうやら捻挫をしたらしく左足が酷く腫れているのだった。
病院へ連れて行こうとしたが嫌がるので様子を見ていたらしい。
骨折なら激しく痛むだろう。幸いさほどの痛みはないようだった。
娘が帰宅したが明日まで様子を見ることになった。
腫れさえ引いたらきっと大丈夫だろう。
いつものように夫と先に夕飯を済ませたのだが
娘夫婦が晩酌を始めテーブルには孫達の姿がなかった。
余計な事と分かってはいたが娘に訊ねるとなんともそっけない。
家族4人揃ってと思うのはやはりお節介だったようだ。
そんな「カタチ」もあって良しなのだろう。
今週はダメージが大きかったのかあまり元気ではない。
明日から三連休なのでゆっくりと回復したいと思っている。
私はわたしを否定できず在りのままを受け入れたい。
どんな私であっても「わたし」なのに違いない。
見栄やプライドは時には妨げにもなり得るけれど
信じてやらなければ決して前へは進めないだろう。
ぽつぽつと雨が降ったり止んだり。
幸い大雨にはならかったが山陰地方では豪雨になったようだ。
水害もあったようで心を痛めている。とても他人事ではなかった。
高知県もしばらく雨の日が続きそうだが一日も早い梅雨明けを願っている。
仕事は今日も小休止状態だった。
義父はお葬式へ。友人のお父様が亡くなったのだそうだ。
お昼過ぎには帰って来たが2階の居室から一切下りて来なかった。
たまには骨休みも良いだろうと思う。雨の日にしか休めないのだ。
事務所の軽水洗トイレの水道が水漏れをしており大変なことに。
床は水浸しになっておりその水が便槽へと流れ込んでいた。
義父に助けを求めたが「バケツでも据えて置け」である。
水道修理の技術があるのに直す気はないようであった。
とにかくやる気になるまで待つしかない。明日だろうか明後日だろうか。
なんだか気疲れしてしまって仕事も手に付かなかった。
リハビリのある日だったので2時半に退社する。
週一の癒しの時間である。足だけではなく心も解された気がした。
今日は特に心に沁みる。気分が酷く落ち込んでいたのだろう。

午前中に参加している同人誌の主催者であるD氏に電話したのだった。
次号から詩の掲載を認めてもらおうと思っていたのだが
3年の歳月は自分が思っていたよりも短かかったようだ。
3年前と同じことを言われる。私の詩は「詩になっていない」と。
D氏は高知新聞詩壇の選者もしていて何度か投稿したのだが
「ダメ駄目、あんなんじゃ詩とは言えない」とはっきり言われた。
おまけに私の詩は「愚痴みたいなもんだ」と言うではないか。
それにはさすがに反論せずにはいられなかった。
「私は愚痴なんか書いていません」ときっぱりと告げる。
D氏曰く「今のままじゃいつまで経っても同じことぜ」と。
私は変わらなければいけないのだろうか。
どうすれば変わることが出来るのだろう。
頭ではなく心で書いているつもりであった。
その「こころ」を変えることなどどうして出来ようか。
私は変われないと思った。私以外の誰になれと云うのだろう。
悲しくてならなかったが結局D氏の言いなりになるしかない。
「短歌16首ね」「はい、分かりました」と電話を切った。
結論から云うと一生かかってもD氏に認められることはないと思う。
私がD氏の詩を好きでないようにD氏も私の詩を好きになれない。
相性が悪いと云ってしまえばそれまでだが
まさか再び三下り半を押されるとは思ってもいなかった。
私は私の詩が好きだがそれはきっと思い上がりなのだろう。
悪く云えば自己満足であり自己陶酔に他ならない。
それでも書かずにはいられないのはただ生きるためである。
やはり私は花にはなれずに種を蒔き続けなければいけない。
母が死んでも涙一つ流さなかったのに今日は少しだけ泣いた。
曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。
久しぶりの雨であったがほんのつかの間のことだった。
気温は30℃程、猛暑は和らいだがとにかく蒸し暑い。
義父は高知市へ出張。また整備振興会の理事会であった。
ネクタイを締めてスーツ姿になるともう農作業どころではない。
役職に就いているので理事会には必ず出席しなければいけないのだ。
工場は車検整備の仕事があったが同僚はえらくのんびりとしていた。
喫煙所で煙草を吸いながらスマホを操作していたので
注意をしたら「たまにはええろう」と口ごたえをする。
「社長元気で留守が良い」なのは私も同じであった。
とにかく肩の力を抜こうと私ものらりくらりと仕事を始める。
農作業の時は突然に帰って来ることがあるが
今日は夜まで帰って来ないことが分っている。
郵便局へ行ったりJAへ行ったりしたが後は手持無沙汰だった。
貧乏性のせいか暇なのが苦痛でならない。困った性分である。
同僚に相談して今日も2時過ぎにさっさと退社した。
サニーマートでゆっくりと買い物が出来たが半額品は一切ない。
やはり早過ぎたのだろう。もう後の祭りであった。
帰宅して洗濯物を畳み終えてから夫と「八丁堀の七人」を見る。
盗賊が12歳位の丁稚の少年を切り殺してしまった。
いくら時代劇とは云えあんまりではないかと怒りが込み上げて来る。
血を流さないドラマだと思っていたのでとてもショックだった。
盗賊は全員お縄になり一件落着となったが死んだ少年は還らない。

例の同人誌への参加を断ることに決めたが
今のところメールも届かないのでそっとして置くことにする。
狡い性分なのだろう言い訳ばかり考えているのだった。
このままこの話は無かったことになればどれほど助かるだろう。
ふと思いついたのは短歌を掲載してもらっている同人誌のこと。
私の詩は「詩ではない」と三下り半を押されてからもう3年が経った。
悔しさをバネには出来なかったかもしれないが
私は私なりに成長できたのではないだろうかと思う。
今月末が締め切りなので一度相談してみようと思い始めている。
駄目で元々なのだ。一生駄目でも私は嘆きもしないだろう。
私は花にはなれないけれど毎日種を蒔き続けている。
雨が降れば恵みの雨と天を仰ぎ猛暑の陽も受け止めて来た。
花でもないくせにとは決して言わせない。
種あってこその花ではないだろうか。
雲が多かったが概ね晴れ。最高気温が34℃で猛暑日にはならず。
お天気は明日から下り坂でまた梅雨空が戻って来そうだ。
いよいよ梅雨の末期だろう。どうか程々の雨であって欲しい。
今日は日本海側の島根県でかなりの豪雨が降ったようだ。
昨夜は爆睡。おかげで昨日の「ぐるぐる」は治まっていた。
前途を悲観していたがなるようになるだろうと思う。
幸いと言って良いのか仕事も小休止状態だった。
オイル交換のお客さんが2人だけで同僚も楽そうである。
義父は今日も畔の草刈りで相変わらずの忙しさであった。
精米に行けなかったようでお昼のお弁当を頼まれる。
鶏肉が嫌いなので入っていないのを探すのが大変だった。
鯵フライや塩サバ等の入ったのがありそれを買って帰る。
12時半に帰って来て事務所でお弁当を平らげると
ろくに休みもせずにまた出掛けて行った。
食欲は旺盛なのが何よりである。とにかく体力勝負なのだ。
午後は来客無しで気が抜けたように過ごしていたが
ふと思い立ち髪を切りたくてたまらなくなった。
同僚に相談し2時過ぎに逃げるように退社する。
美容院はサニーマートの店内にありとても便利である。
ちょうど空いていて直ぐにカットしてもらえた。
真夏だからと思い切って短くする。なんと耳出しカットだった。
これは初めての試みであるがなんとさっぱりと心地よい。
自分ではとても気に入り嬉しくてならなかったのだが
帰宅するなり夫が「なんだその頭は」と笑い転げるのだった。
まあそのうち慣れてくれるだろうと気にしない気にしない。

アマゾンで注文していた例の同人誌が届いていた。
とにかく読んでから決めようと思っていただけに少し緊張する。
しかし第一印象はお値段以下であった。内容はと云うとこれも
正直云って期待外れとしか言いようがない。
その時点で仲間にはなれないと即決したのだった。
親切に誘ってくれた方には本当に申し訳ないが
本音を云うわけにもいかずどうしたものかと頭を悩ませている。
いかに角を立てずに断るかなのだ。さあ困った困った。
やはり私は一匹狼的な人間なのだろう。
それは今までもずっと感じて来たことだが
群れることがとても苦手であった。
だからいつも孤立しているし孤独でもあるのだろう。
崖っぷちに立ち遠吠えのように詩を書き続けるだけである。
快晴の夏空。幸い猛暑はほんの少し和らぐ。
人間の身体とは不思議なもので一度でも猛暑を経験すると
35℃の気温が随分と過ごし易く感じるようだ。
今日は風もあり昨日よりもずっと楽であった。
職場の荒れた庭に母が遺した百日紅の花が咲き始めている。
鉢植えなので小さな木だが薄紅色の花のなんと鮮やかなことだろう。
辺りには夏草が生い茂っており花には気の毒であるが
手入れなどすることも出来ず母にも申し訳なく思う。
百日咲くと云う夏の花である。
昨年母が亡くなった時も鮮やかに咲いていたことを思い出す。
生前の母が愛でていたことを思うとなんとも切ないものだった。

スイッチオンと仕事に行く。する仕事のあるのは有難いことである。
職場に着くなり来客があり同僚と対応に追われていた。
エアコンが効かないのだ。しかし肝心の義父の姿が見当たらない。
電話を掛けてもなしのつぶてで諦めるしかなかった。
お客さんはまた出直してくると言ってくれたがなんと申し訳ないこと。
先週も同じことがあったばかりで度重なると信用もなくなるだろう。
そこをいかにカバーするかである。お客様は神様であった。
お昼にやっと帰って来てくれたが早朝から畔の草刈りをしていたらしい。
空腹で倒れそうだと云うので急いでお弁当を買いに走る。
いつもならご飯を炊いているのだがお米を切らしてしまったようだ。
もちろん玄米はあるが精米に行く時間がないとぼやいていた。
とにかく忙しいのだ。それは言われなくても知り尽くしている。
午後もひっきりなしの来客。またエアコンが効かないお客さんだった。
義父が居てくれたので大助かりである。ガス不足だったようだ。
それから事故車を引き取りに行ってくれた。
なんと新車納車からまだ5日目のお客さんである。
86歳の高齢者なので心配していた通りになった。
自損事故で相手がいなかったのが幸いと思いたい。
ぐるぐるぐると歯車が回っているような忙しさである。
お昼休みもなかったので短歌どころではなかったが
何を拘っているのか「休む」ことだけはしたくなかった。
2首はなんとか書けたが3首目が思うように書けない。
退社寸前になってやっと3首目を書き終えることが出来た。
決して暇をもて余しているわけではないのだ。
時間の余裕の全くないところから生まれる短歌は如何なものだろう。
まるで崖っぷちで叫んでいるようなものである。
3時半に退社。帰宅すれば洗濯物の山である。
もう5時近くなっていたが10分だけSNSをチェックしていた。
何とも知れない短歌に少しでも反応があると嬉しいものだ。
仏壇に供えていたコーヒーを持って階下に下りたが
うっかりしてカップを落としてしまった。
なんとそれがめいちゃんのプール袋の中であった。
もう泣きそうである。早く後始末をしなければと焦りまくっていた。
床に座り込めば今度は立ち上がることが出来ない。
夫に抱きかかえてもらってやっと立ち上がることが出来た。
もうとっくに5時を過ぎていたが洗濯物を畳む。
メンタルがどんどん落ちて行く。情けないったらありゃしない。
大きな溜息をつきながら前途を悲観するばかりであった。
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