ぽつぽつと雨が降ったり止んだり。
幸い大雨にはならかったが山陰地方では豪雨になったようだ。
水害もあったようで心を痛めている。とても他人事ではなかった。
高知県もしばらく雨の日が続きそうだが一日も早い梅雨明けを願っている。
仕事は今日も小休止状態だった。
義父はお葬式へ。友人のお父様が亡くなったのだそうだ。
お昼過ぎには帰って来たが2階の居室から一切下りて来なかった。
たまには骨休みも良いだろうと思う。雨の日にしか休めないのだ。
事務所の軽水洗トイレの水道が水漏れをしており大変なことに。
床は水浸しになっておりその水が便槽へと流れ込んでいた。
義父に助けを求めたが「バケツでも据えて置け」である。
水道修理の技術があるのに直す気はないようであった。
とにかくやる気になるまで待つしかない。明日だろうか明後日だろうか。
なんだか気疲れしてしまって仕事も手に付かなかった。
リハビリのある日だったので2時半に退社する。
週一の癒しの時間である。足だけではなく心も解された気がした。
今日は特に心に沁みる。気分が酷く落ち込んでいたのだろう。

午前中に参加している同人誌の主催者であるD氏に電話したのだった。
次号から詩の掲載を認めてもらおうと思っていたのだが
3年の歳月は自分が思っていたよりも短かかったようだ。
3年前と同じことを言われる。私の詩は「詩になっていない」と。
D氏は高知新聞詩壇の選者もしていて何度か投稿したのだが
「ダメ駄目、あんなんじゃ詩とは言えない」とはっきり言われた。
おまけに私の詩は「愚痴みたいなもんだ」と言うではないか。
それにはさすがに反論せずにはいられなかった。
「私は愚痴なんか書いていません」ときっぱりと告げる。
D氏曰く「今のままじゃいつまで経っても同じことぜ」と。
私は変わらなければいけないのだろうか。
どうすれば変わることが出来るのだろう。
頭ではなく心で書いているつもりであった。
その「こころ」を変えることなどどうして出来ようか。
私は変われないと思った。私以外の誰になれと云うのだろう。
悲しくてならなかったが結局D氏の言いなりになるしかない。
「短歌16首ね」「はい、分かりました」と電話を切った。
結論から云うと一生かかってもD氏に認められることはないと思う。
私がD氏の詩を好きでないようにD氏も私の詩を好きになれない。
相性が悪いと云ってしまえばそれまでだが
まさか再び三下り半を押されるとは思ってもいなかった。
私は私の詩が好きだがそれはきっと思い上がりなのだろう。
悪く云えば自己満足であり自己陶酔に他ならない。
それでも書かずにはいられないのはただ生きるためである。
やはり私は花にはなれずに種を蒔き続けなければいけない。
母が死んでも涙一つ流さなかったのに今日は少しだけ泣いた。
曇り日。午後少しだけにわか雨が降る。
久しぶりの雨であったがほんのつかの間のことだった。
気温は30℃程、猛暑は和らいだがとにかく蒸し暑い。
義父は高知市へ出張。また整備振興会の理事会であった。
ネクタイを締めてスーツ姿になるともう農作業どころではない。
役職に就いているので理事会には必ず出席しなければいけないのだ。
工場は車検整備の仕事があったが同僚はえらくのんびりとしていた。
喫煙所で煙草を吸いながらスマホを操作していたので
注意をしたら「たまにはええろう」と口ごたえをする。
「社長元気で留守が良い」なのは私も同じであった。
とにかく肩の力を抜こうと私ものらりくらりと仕事を始める。
農作業の時は突然に帰って来ることがあるが
今日は夜まで帰って来ないことが分っている。
郵便局へ行ったりJAへ行ったりしたが後は手持無沙汰だった。
貧乏性のせいか暇なのが苦痛でならない。困った性分である。
同僚に相談して今日も2時過ぎにさっさと退社した。
サニーマートでゆっくりと買い物が出来たが半額品は一切ない。
やはり早過ぎたのだろう。もう後の祭りであった。
帰宅して洗濯物を畳み終えてから夫と「八丁堀の七人」を見る。
盗賊が12歳位の丁稚の少年を切り殺してしまった。
いくら時代劇とは云えあんまりではないかと怒りが込み上げて来る。
血を流さないドラマだと思っていたのでとてもショックだった。
盗賊は全員お縄になり一件落着となったが死んだ少年は還らない。

例の同人誌への参加を断ることに決めたが
今のところメールも届かないのでそっとして置くことにする。
狡い性分なのだろう言い訳ばかり考えているのだった。
このままこの話は無かったことになればどれほど助かるだろう。
ふと思いついたのは短歌を掲載してもらっている同人誌のこと。
私の詩は「詩ではない」と三下り半を押されてからもう3年が経った。
悔しさをバネには出来なかったかもしれないが
私は私なりに成長できたのではないだろうかと思う。
今月末が締め切りなので一度相談してみようと思い始めている。
駄目で元々なのだ。一生駄目でも私は嘆きもしないだろう。
私は花にはなれないけれど毎日種を蒔き続けている。
雨が降れば恵みの雨と天を仰ぎ猛暑の陽も受け止めて来た。
花でもないくせにとは決して言わせない。
種あってこその花ではないだろうか。
雲が多かったが概ね晴れ。最高気温が34℃で猛暑日にはならず。
お天気は明日から下り坂でまた梅雨空が戻って来そうだ。
いよいよ梅雨の末期だろう。どうか程々の雨であって欲しい。
今日は日本海側の島根県でかなりの豪雨が降ったようだ。
昨夜は爆睡。おかげで昨日の「ぐるぐる」は治まっていた。
前途を悲観していたがなるようになるだろうと思う。
幸いと言って良いのか仕事も小休止状態だった。
オイル交換のお客さんが2人だけで同僚も楽そうである。
義父は今日も畔の草刈りで相変わらずの忙しさであった。
精米に行けなかったようでお昼のお弁当を頼まれる。
鶏肉が嫌いなので入っていないのを探すのが大変だった。
鯵フライや塩サバ等の入ったのがありそれを買って帰る。
12時半に帰って来て事務所でお弁当を平らげると
ろくに休みもせずにまた出掛けて行った。
食欲は旺盛なのが何よりである。とにかく体力勝負なのだ。
午後は来客無しで気が抜けたように過ごしていたが
ふと思い立ち髪を切りたくてたまらなくなった。
同僚に相談し2時過ぎに逃げるように退社する。
美容院はサニーマートの店内にありとても便利である。
ちょうど空いていて直ぐにカットしてもらえた。
真夏だからと思い切って短くする。なんと耳出しカットだった。
これは初めての試みであるがなんとさっぱりと心地よい。
自分ではとても気に入り嬉しくてならなかったのだが
帰宅するなり夫が「なんだその頭は」と笑い転げるのだった。
まあそのうち慣れてくれるだろうと気にしない気にしない。

アマゾンで注文していた例の同人誌が届いていた。
とにかく読んでから決めようと思っていただけに少し緊張する。
しかし第一印象はお値段以下であった。内容はと云うとこれも
正直云って期待外れとしか言いようがない。
その時点で仲間にはなれないと即決したのだった。
親切に誘ってくれた方には本当に申し訳ないが
本音を云うわけにもいかずどうしたものかと頭を悩ませている。
いかに角を立てずに断るかなのだ。さあ困った困った。
やはり私は一匹狼的な人間なのだろう。
それは今までもずっと感じて来たことだが
群れることがとても苦手であった。
だからいつも孤立しているし孤独でもあるのだろう。
崖っぷちに立ち遠吠えのように詩を書き続けるだけである。
快晴の夏空。幸い猛暑はほんの少し和らぐ。
人間の身体とは不思議なもので一度でも猛暑を経験すると
35℃の気温が随分と過ごし易く感じるようだ。
今日は風もあり昨日よりもずっと楽であった。
職場の荒れた庭に母が遺した百日紅の花が咲き始めている。
鉢植えなので小さな木だが薄紅色の花のなんと鮮やかなことだろう。
辺りには夏草が生い茂っており花には気の毒であるが
手入れなどすることも出来ず母にも申し訳なく思う。
百日咲くと云う夏の花である。
昨年母が亡くなった時も鮮やかに咲いていたことを思い出す。
生前の母が愛でていたことを思うとなんとも切ないものだった。

スイッチオンと仕事に行く。する仕事のあるのは有難いことである。
職場に着くなり来客があり同僚と対応に追われていた。
エアコンが効かないのだ。しかし肝心の義父の姿が見当たらない。
電話を掛けてもなしのつぶてで諦めるしかなかった。
お客さんはまた出直してくると言ってくれたがなんと申し訳ないこと。
先週も同じことがあったばかりで度重なると信用もなくなるだろう。
そこをいかにカバーするかである。お客様は神様であった。
お昼にやっと帰って来てくれたが早朝から畔の草刈りをしていたらしい。
空腹で倒れそうだと云うので急いでお弁当を買いに走る。
いつもならご飯を炊いているのだがお米を切らしてしまったようだ。
もちろん玄米はあるが精米に行く時間がないとぼやいていた。
とにかく忙しいのだ。それは言われなくても知り尽くしている。
午後もひっきりなしの来客。またエアコンが効かないお客さんだった。
義父が居てくれたので大助かりである。ガス不足だったようだ。
それから事故車を引き取りに行ってくれた。
なんと新車納車からまだ5日目のお客さんである。
86歳の高齢者なので心配していた通りになった。
自損事故で相手がいなかったのが幸いと思いたい。
ぐるぐるぐると歯車が回っているような忙しさである。
お昼休みもなかったので短歌どころではなかったが
何を拘っているのか「休む」ことだけはしたくなかった。
2首はなんとか書けたが3首目が思うように書けない。
退社寸前になってやっと3首目を書き終えることが出来た。
決して暇をもて余しているわけではないのだ。
時間の余裕の全くないところから生まれる短歌は如何なものだろう。
まるで崖っぷちで叫んでいるようなものである。
3時半に退社。帰宅すれば洗濯物の山である。
もう5時近くなっていたが10分だけSNSをチェックしていた。
何とも知れない短歌に少しでも反応があると嬉しいものだ。
仏壇に供えていたコーヒーを持って階下に下りたが
うっかりしてカップを落としてしまった。
なんとそれがめいちゃんのプール袋の中であった。
もう泣きそうである。早く後始末をしなければと焦りまくっていた。
床に座り込めば今度は立ち上がることが出来ない。
夫に抱きかかえてもらってやっと立ち上がることが出来た。
もうとっくに5時を過ぎていたが洗濯物を畳む。
メンタルがどんどん落ちて行く。情けないったらありゃしない。
大きな溜息をつきながら前途を悲観するばかりであった。
七夕の日に晴れるのは珍しいのではないだろうか。
かつては梅雨の最中で雨の日が多かったように思う。
若い頃のように浪漫を追い求めることもなくなり
ああ七夕なのかと漠然と思う。随分と醒めてしまったものだ。
連日の猛暑日。今日は昨日程ではなかったが暑いものは暑い。
静岡では40℃と危険な暑さだったようだ。
体育館でバスケの試合中だった中学生が3人も救急搬送されたらしい。
とても他人事には思えず明日は我が身のように思う。
十分に注意していても熱中症になり得る。特に高齢者にはリスクが大きい。

今朝は夫が「もう冷やし中華が始まっちょるろう」と
すっかり意気投合しお昼に「一風」へ行くことになった。
夢にまで見た冷やし中華である。わくわくと楽しみでならない。
特に一風の冷やし中華は具沢山でとても美味しいのだ。
10時40分に家を出る。11時の開店と同時に入店した。
同級生のなっちゃんが働いており会話が弾む。
「お待たせしました」と運ばれて来た冷やし中華を見て
一瞬おや?と違和感を感じた。昨年までとは具材が変わっているのだ。
焼豚やイカ、海老などの代わりにハム、胡瓜、メンマが載せてある。
悪く言えばごく普通の冷やし中華であった。
けれどもどうして文句が言えよう。味は変わらず絶品である。
おそらく物価高騰のあおりを受けて具材を変えてしまったのだろう。
値上げをせずに提供するには仕方ないことなのだと思う。
改めて飲食業の苦労を思う。いかに満足してもらうかが要であった。
支払いをしながらなっちゃんに「また来るけんね」と告げて帰る。

帰宅するなりまた例の如くで長いお昼寝となる。
3時半には目を覚まししばし二階の自室にこもり短歌を捻る。
それしても暑いこと。部屋の温度は35℃を超えていた。
一時の事と思いエアコンを我慢していたので汗だくになってしまう。
そんな環境でどうして納得のいく歌が詠めるだろうか。
三首ともろくなものでなくなんだかむしゃくしゃとしてくる。
暑さのせいにしている自分に少し腹が立った。
今日は例の同人誌の主催者の方から通知が届いており
とにかく一度読んでみなければ何も決められないことを伝えた。
もしやと思いアマゾンで検索したら在庫があり即購入する。
参加者の方々の詩を読めば少しは心が動くかもしれない。
しかし未だに戸惑っておりなんだか不安でならなかった。
私には居場所がないのかと自問自答する。
ネットの世界を彷徨い続けている塵のようなものなのかもしれない。
塵も積もれば山となるが、その山を見ずに最期を迎えることもある。
いったい私は何処に向かっているのだろう。
平原が続くばかりで一向に山は見えなかった。
二十四節気の「小暑」梅雨が明け本格的な夏になる時候であるが
梅雨が明けないまま連日の猛暑に見舞われている。
これが「大暑」になればいったいどれ程の暑さになるのだろう。
今日も高知県内は全国のトップクラスの気温となる。
本山町、四万十市、黒潮町佐賀などがランクインしていた。
人の体温だと微熱程だが猛暑には違いなかった。
午前9時にはもう30℃である。買い物に行っただけで汗だくになる。
その後カーブスへ行っていたが少し動いただけで滝の汗であった。
その汗が不快には感じずなんと心地よかったことだろう。
これだけは続けなければと思う。とにかく体力を維持しなければいけない。
昼食にざる蕎麦を食べてから倒れ込むようにして寝ていた。
エアコンのなんと有難いこと。まるで天国のようである。
途中で何度か目を覚ましたが結局4時までの長い昼寝だった。
洗濯物を取り入れなければと思いつつぐずぐずしていたら
娘が見兼ねたのだろう。いつの間にか畳んでくれており助かる。
娘の病院勤めも早いものでもうひと月が経った。
慣れて来たのだろう。少しずつ家事も出来るようになったようだ。
夕食も手伝ってくれるので助かりまるで夢のようである。
今夜は久しぶりに「ささ身カツ」を作った。
揚げ物はずっとお惣菜ばかりだったのでとても美味しい。
週末限定となるが食の大切さを改めて感じる。

今朝もSNSの通知を見て驚ろく。
昨日の方から長いコメントが届いており戸惑うばかりであった。
第一印象の軽々しさはもうなくとても丁寧に綴られてある。
昨夜ここに記したことを撤回しなければいけないだろう。
内容はその方が参加している同人誌への参加を促すものであった。
見たことも聞いたこともない詩誌で大いに戸惑う。
「まあ嬉しい是非に」とどうして即答できるだろうか。
とにかくその詩誌を一度読んでみなければ何も分からないのだ。
SNSで発信続けてもその場限りのことだと云う。
活字にして残してこそ詩は生き続けると書いてあった。
確かにその通りである。ある意味私は愚かなことをしているのだろう。
しかしその場限りであっても誰かの心に残るのではないか。
そんな夢まぼろしのようなことを考えずにいられなかった。
いわば一縷の望みである。消え去ることだけに囚われてはいけない。
それが私のスタイルであり信念のようなものだと思う。
長年参加している同人誌ではもう詩の掲載は許されなかった。
私の書いているものは「詩ではない」とはっきり言われたのだ。
それだけレベルの高い詩誌だったのだろうと今は思っている。
プライドは傷つきとても悔しかったが本当のことなのに違いない。
現実を受けとめ負けを認めてこそ私は立ちあがることが出来る。
今もって詩ではないものを書き続けているのかもしれないが
「こころ」であり「いのち」であることには変わりないと信じている。
日陰の身も良いものだ。大樹の下でささやかに咲く花にも名はあり
「まあこんなところに」と見つけてくれる人もきっといるだろう。
梅雨明けを思わすような猛暑日が続いている。
午前8時にはもう30℃になっており驚くばかり。
日中は体温より高い気温となり身の危険を感じる程だ。
幸い山里では平野部より気温が低く助かっている。
熱風ではあったが風の強い一日となった。
予報では梅雨明けからまた一段と暑くなるそうだ。
夏は決して苦手ではないが暑さが身に堪える年頃になった。
仕事は開店休業。同僚が通院のため有給休暇を取っていた。
いつまでも若くはない。内科、整形外科、眼科と通院も多くなる。
同僚に倒れられたら会社はもう終ったようなものだ。
午前中は義父が待機してくれていたが急な来客はなかった。
また稲の消毒に行くと云うので暑さを気遣っていたら
本人も休む気になっていたのだが直ぐに思い直したようだった。
「やっぱり行かんといかん」と準備を始める。
そうなればもう止めても無駄であった。
このままでは雨でも降らない限り休むことはないだろう。
事務仕事は捗り予定通りに税理士事務所へ向かう。
驚いたのは気温である。四万十市に入ると38℃になっていた。
車の温度計なので正確ではないかもしれないが
山里より4℃も高く風も殆ど吹いてはいなかった。
長年お世話になっている職員さんに帳簿を手渡すと肩の荷が下りる。
これでまた週末は気兼ねなく寛ぐことが出来るだろう。

買い物を終え4時過ぎに帰宅。汗だくになり洗濯物を畳み終える。
それからSNSをチェックしていたら驚くような通知があった。
初対面の人であったが私の今朝の詩がいたく気に入ったようである。
私が最も嫌う「素敵」と表現してあり一瞬身構えてしまった。
べた褒めであったが少しも嬉しさを感じない。
その上に初対面だと云うのになんと軽々しい口調だろう。
過剰評価としか思えずなんだかとても不愉快になってしまった。
ずっと以前から私をフォローしてくれていたようだが
その人のホームを見ても何ひとつ共感するポストが無かった。
そんな場合はよくあることでフォロー返しはしないことにしている。
ある程度年齢を重ね礼儀をわきまえている人なら
むやみやたらに声を掛けて来ることは無いと思っている。
それが顔の見えない世界の掟のようなものではないだろうか。
褒められて不愉快になる私も偏屈で変わり者であるが
なんだか馬鹿にされたような気がしてならなかった。
とにかく今後一切「素敵」とは言って欲しくはない。
私は決して素敵な詩など書いてはいないのだ。
頭ではなく心で書いている。その心がどうして素敵なのだろう。
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