七夕の日に晴れるのは珍しいのではないだろうか。
かつては梅雨の最中で雨の日が多かったように思う。
若い頃のように浪漫を追い求めることもなくなり
ああ七夕なのかと漠然と思う。随分と醒めてしまったものだ。
連日の猛暑日。今日は昨日程ではなかったが暑いものは暑い。
静岡では40℃と危険な暑さだったようだ。
体育館でバスケの試合中だった中学生が3人も救急搬送されたらしい。
とても他人事には思えず明日は我が身のように思う。
十分に注意していても熱中症になり得る。特に高齢者にはリスクが大きい。

今朝は夫が「もう冷やし中華が始まっちょるろう」と
すっかり意気投合しお昼に「一風」へ行くことになった。
夢にまで見た冷やし中華である。わくわくと楽しみでならない。
特に一風の冷やし中華は具沢山でとても美味しいのだ。
10時40分に家を出る。11時の開店と同時に入店した。
同級生のなっちゃんが働いており会話が弾む。
「お待たせしました」と運ばれて来た冷やし中華を見て
一瞬おや?と違和感を感じた。昨年までとは具材が変わっているのだ。
焼豚やイカ、海老などの代わりにハム、胡瓜、メンマが載せてある。
悪く言えばごく普通の冷やし中華であった。
けれどもどうして文句が言えよう。味は変わらず絶品である。
おそらく物価高騰のあおりを受けて具材を変えてしまったのだろう。
値上げをせずに提供するには仕方ないことなのだと思う。
改めて飲食業の苦労を思う。いかに満足してもらうかが要であった。
支払いをしながらなっちゃんに「また来るけんね」と告げて帰る。

帰宅するなりまた例の如くで長いお昼寝となる。
3時半には目を覚まししばし二階の自室にこもり短歌を捻る。
それしても暑いこと。部屋の温度は35℃を超えていた。
一時の事と思いエアコンを我慢していたので汗だくになってしまう。
そんな環境でどうして納得のいく歌が詠めるだろうか。
三首ともろくなものでなくなんだかむしゃくしゃとしてくる。
暑さのせいにしている自分に少し腹が立った。
今日は例の同人誌の主催者の方から通知が届いており
とにかく一度読んでみなければ何も決められないことを伝えた。
もしやと思いアマゾンで検索したら在庫があり即購入する。
参加者の方々の詩を読めば少しは心が動くかもしれない。
しかし未だに戸惑っておりなんだか不安でならなかった。
私には居場所がないのかと自問自答する。
ネットの世界を彷徨い続けている塵のようなものなのかもしれない。
塵も積もれば山となるが、その山を見ずに最期を迎えることもある。
いったい私は何処に向かっているのだろう。
平原が続くばかりで一向に山は見えなかった。
二十四節気の「小暑」梅雨が明け本格的な夏になる時候であるが
梅雨が明けないまま連日の猛暑に見舞われている。
これが「大暑」になればいったいどれ程の暑さになるのだろう。
今日も高知県内は全国のトップクラスの気温となる。
本山町、四万十市、黒潮町佐賀などがランクインしていた。
人の体温だと微熱程だが猛暑には違いなかった。
午前9時にはもう30℃である。買い物に行っただけで汗だくになる。
その後カーブスへ行っていたが少し動いただけで滝の汗であった。
その汗が不快には感じずなんと心地よかったことだろう。
これだけは続けなければと思う。とにかく体力を維持しなければいけない。
昼食にざる蕎麦を食べてから倒れ込むようにして寝ていた。
エアコンのなんと有難いこと。まるで天国のようである。
途中で何度か目を覚ましたが結局4時までの長い昼寝だった。
洗濯物を取り入れなければと思いつつぐずぐずしていたら
娘が見兼ねたのだろう。いつの間にか畳んでくれており助かる。
娘の病院勤めも早いものでもうひと月が経った。
慣れて来たのだろう。少しずつ家事も出来るようになったようだ。
夕食も手伝ってくれるので助かりまるで夢のようである。
今夜は久しぶりに「ささ身カツ」を作った。
揚げ物はずっとお惣菜ばかりだったのでとても美味しい。
週末限定となるが食の大切さを改めて感じる。

今朝もSNSの通知を見て驚ろく。
昨日の方から長いコメントが届いており戸惑うばかりであった。
第一印象の軽々しさはもうなくとても丁寧に綴られてある。
昨夜ここに記したことを撤回しなければいけないだろう。
内容はその方が参加している同人誌への参加を促すものであった。
見たことも聞いたこともない詩誌で大いに戸惑う。
「まあ嬉しい是非に」とどうして即答できるだろうか。
とにかくその詩誌を一度読んでみなければ何も分からないのだ。
SNSで発信続けてもその場限りのことだと云う。
活字にして残してこそ詩は生き続けると書いてあった。
確かにその通りである。ある意味私は愚かなことをしているのだろう。
しかしその場限りであっても誰かの心に残るのではないか。
そんな夢まぼろしのようなことを考えずにいられなかった。
いわば一縷の望みである。消え去ることだけに囚われてはいけない。
それが私のスタイルであり信念のようなものだと思う。
長年参加している同人誌ではもう詩の掲載は許されなかった。
私の書いているものは「詩ではない」とはっきり言われたのだ。
それだけレベルの高い詩誌だったのだろうと今は思っている。
プライドは傷つきとても悔しかったが本当のことなのに違いない。
現実を受けとめ負けを認めてこそ私は立ちあがることが出来る。
今もって詩ではないものを書き続けているのかもしれないが
「こころ」であり「いのち」であることには変わりないと信じている。
日陰の身も良いものだ。大樹の下でささやかに咲く花にも名はあり
「まあこんなところに」と見つけてくれる人もきっといるだろう。
梅雨明けを思わすような猛暑日が続いている。
午前8時にはもう30℃になっており驚くばかり。
日中は体温より高い気温となり身の危険を感じる程だ。
幸い山里では平野部より気温が低く助かっている。
熱風ではあったが風の強い一日となった。
予報では梅雨明けからまた一段と暑くなるそうだ。
夏は決して苦手ではないが暑さが身に堪える年頃になった。
仕事は開店休業。同僚が通院のため有給休暇を取っていた。
いつまでも若くはない。内科、整形外科、眼科と通院も多くなる。
同僚に倒れられたら会社はもう終ったようなものだ。
午前中は義父が待機してくれていたが急な来客はなかった。
また稲の消毒に行くと云うので暑さを気遣っていたら
本人も休む気になっていたのだが直ぐに思い直したようだった。
「やっぱり行かんといかん」と準備を始める。
そうなればもう止めても無駄であった。
このままでは雨でも降らない限り休むことはないだろう。
事務仕事は捗り予定通りに税理士事務所へ向かう。
驚いたのは気温である。四万十市に入ると38℃になっていた。
車の温度計なので正確ではないかもしれないが
山里より4℃も高く風も殆ど吹いてはいなかった。
長年お世話になっている職員さんに帳簿を手渡すと肩の荷が下りる。
これでまた週末は気兼ねなく寛ぐことが出来るだろう。

買い物を終え4時過ぎに帰宅。汗だくになり洗濯物を畳み終える。
それからSNSをチェックしていたら驚くような通知があった。
初対面の人であったが私の今朝の詩がいたく気に入ったようである。
私が最も嫌う「素敵」と表現してあり一瞬身構えてしまった。
べた褒めであったが少しも嬉しさを感じない。
その上に初対面だと云うのになんと軽々しい口調だろう。
過剰評価としか思えずなんだかとても不愉快になってしまった。
ずっと以前から私をフォローしてくれていたようだが
その人のホームを見ても何ひとつ共感するポストが無かった。
そんな場合はよくあることでフォロー返しはしないことにしている。
ある程度年齢を重ね礼儀をわきまえている人なら
むやみやたらに声を掛けて来ることは無いと思っている。
それが顔の見えない世界の掟のようなものではないだろうか。
褒められて不愉快になる私も偏屈で変わり者であるが
なんだか馬鹿にされたような気がしてならなかった。
とにかく今後一切「素敵」とは言って欲しくはない。
私は決して素敵な詩など書いてはいないのだ。
頭ではなく心で書いている。その心がどうして素敵なのだろう。
| 2024年07月04日(木) |
なるようにしかならない |
雲一つない青空。今日も各地で猛暑日になったようだ。
静岡では39℃を超えたそうで危険な暑さである。
四万十市は36℃。今日は江川崎より気温が高かったようで驚く。
昨日はロージーのご主人が熱中症で救急搬送されたそうだ。
「ビョーキシタ」「テンテキシタ」と今朝話してくれる。
熱中症は日本だけとは限らないと思うがどんなにか焦ったことだろう。
今朝はもう落ち着いて居ると聞きほっとしたことだった。
心配なのは義父である。今日も午後から稲の消毒に行く。
暑さが身に堪えているはずだが決して弱音を吐かなかった。
それはそれで頼もしくもあるが倒れはしないとどうして言えるだろう。
引き止めることも出来ずはらはらとするばかりであった。
午前中にまたエアコンが効かないお客さんが2人来店する。
義父が待機してくれていたので大助かりだった。
一人はコンプレーサーの故障。もう一人はガス不足である。
原因が直ぐに分かるので対応も早い。さすが義父であった。
事務仕事は元帳が完成し明日は税理士事務所へ行けそうである。
今年はもう30期となり歳月の流れを感慨深く感じる。
今は経理ソフトがあり便利になったが昔は全部手書きだった。
経理のケの字も知らなかった私に一から教えてくれたのは母である。
母は誰にも教えてもらわず独学で学んだようだった。
整備士の資格も持っており今更ながら頭が下がる。
会社は30期だが義父が整備工場を始めてから今年で60年になる。
20代の頃の義父を知っているだけにこれも感慨深いことだった。
小学生だった私にとっては優しいお兄ちゃんで大好きだった。
両親が買ってくれなかったリカちゃん人形も買ってくれたのだ。
よほど縁深かったのだろう。母の恋を知る由もないが
実の父は気づいていたらしくその苦悩を思うと心が痛む。
今思えば運命は「なるようにしかならない」ものなのだ。
どれほど引き裂かれても母は自分の想いを貫いたのだと思う。
けれどもそれは母の運命だけではなかった。
実の父はもちろんのこと私や弟の運命さえも変えてしまったのだ。
もう過ぎ去った事とさらりと水に流せない。
母が死んだ時に私は母を赦し切っていないことに気づいた。
それは今も変わらず心に巣くい続けている灰汁のようなものである。
死んだら母に会えるのだろうか。
私は笑顔で逝かなければならない。
梅雨明けを思わすような晴天。久しぶりにおひさまを見た。
気温はぐんぐんと上がり暑さで有名な江川崎では37.1℃を記録する。
夕方のニュースを見るまで知らなかったが日本一の気温だったそうだ。
山里は平野部より気温は低く凌ぎやすいように思うが
標高が高い分太陽に近いのかもしれない。
陽射しが降り注ぐなか紫陽花はそろそろ尽きようとしている。
やがて枯れ果て化石のようになってしまうのだろう。
もう愛でる人もなくなんとも憐れな姿であった。
炎天下の中、義父は午後から稲の消毒に出掛ける。
その留守中にエアコンが効かなくなったお客さんが来てくれたが
同僚では手に負えずまた出直して来てもらうことにした。
予約なしの突然の来店には戸惑うことが多い。
直ぐに対応出来ないことも心苦しくてならなかった。
義父さえ待機してくれていたらと思うが所詮無理な話だろう。
事務仕事は決算の準備がほぼ整い後は元帳の作成のみとなった。
今週中には完了し税理士事務所へ届けたいものだ。
毎年の事だが年々頭が回らなくなっているように思う。
記帳漏れやミスが多く手直しに時間を取られてしまうのだ。
帰り道に車検証を届けなけれないけないお客さんがあり
3時前に退社。久しぶりに国道を通った。
自動車専用道路が出来てから国道の交通量の少ないこと。
道路沿いの商店も閑散としておりなんだか寂しく思う。
お客さんは在宅しておりしばらく語り合ってから帰路に着く。
国道沿いの「ちきん館」で「まるっぽ鶏」を買った。
ちきん館にはお刺身も売っているのだが今日はもう売り切れていて残念。
まるっぽ鶏は家族皆の好物なのできっと喜んでくれるだろう。
4時に帰宅。洗濯物を畳んでから少し茶の間で横になっていた。
夫が「八丁堀の七人」を見ていたので一緒に見る。
随分と古い時代劇のようだがけっこう面白かった。
驚いたのは元フォーリーブスのおりも政夫が同心役で出ていた。
なかなかの演技力である。十分に俳優でやっていけると思ったのだが
今ではもう全く姿を見ることもなくとても残念でならなかった。
「八丁堀の七人」では人を殺さない。気持ちよく成敗をするのだ。
見終わった後の爽快感が癖になりそうな時代劇であった。
仕事のゴールは未だ見えないが「ある日突然」は在り得るだろう。
する仕事が無くなってしまった私の姿を時々想像する。
毎日が日曜日なのだ。いったい何をすれば良いのだろう。
寝太郎になるかもしれないしテレビっ子になるかもしれない。
そうしてあらあらという間に老いぼれて行くような気がする。
そうなれば次のゴールは「死」しかないではないか。
そんなことを考えていると「いま」がとても幸せに思えて来た。
紫陽花は毎年咲くが私の「いま」はもう二度とない。
梅雨空の予報だったが思いがけずに青空が広がる。
気温も30℃を超えすっかり真夏の暑さとなった。
エアコンの効いた室内に居るのが心苦しくてならない。
同僚は工場で汗だくになって働いてくれていた。
気遣えばもう慣れているのだそうだ。
「夏は暑いに決まっちょるやいか」と笑顔を見せる。
義父は朝から長靴を履いてざわざわとしていた。
田んぼの様子を見に行っていたのだろうか2時間程で帰って来る。
そのまま車検をし書類を書き終えたらもうお昼であった。
今日も車検の予約が入っていたのだがお客さんが来店しない。
何度か電話をしてみたが一向に連絡が取れなかった。
お昼ならと思い再度電話をしたらやっと繋がる。
予約をしたことをすっかり忘れていたのだそうだ。
「イマカラスグイク」外国人のお客さんなので片言の日本語である。
それから5分もしないうちに来てくれて「タイヤチェンジスルヨ」
「オイルチェンジスルヨ」となり代車に乗って帰って行く。
午前中は畑仕事をしていたらしくもんぺ姿が良く似合っていた。
山里へ移住して来てかれこれ8年位だろうか。
最初はご主人の通訳が必要だったが随分と日本語が上手になった。
一番好きなお客さんは?と訊かれたら私は迷わず「ロージー」と応える。

やっと決算の準備を始めたので仕事はいくらでもあったが
あとは明日と決め3時過ぎに退社する。
程よい疲れであった。帰ったら少し横になろうと思っていたのだが
そうは問屋が卸さず洗濯物を畳み終えたらもう5時であった。
夕飯は相変わらずの手抜きだったが胡瓜と蛸の酢の物だけは作る。
サニーマートのお惣菜はどれも家族に不評で頭を悩ます。
いつも残ってしまい翌朝私が後始末をするのが習いである。
もう一品何か作りたいがとても手に負えなかった。
こんなことがいったい後どれほど続くのだろうか。
今朝はほんの遊び心でSNSに高校時代の写真を貼った。
自分で云うのも何だがけっこう可愛らしかったのだ。
しかし50年の歳月の何と残酷なことだろう。
今ではもうその頃の面影など少しも残ってはいない。
目と口はあるがもはや化け物であった。
遊びだったので直ぐに削除しようかと思ったが未だ残してある。
思い出がいっぱいなのだ。17歳の青春の真っ只中のこと。
写真を撮ってくれたのは誰だったのかどうしても思い出すことが出来ない。
海辺の町で潮風に吹かれながら私は少女から「おとな」になった。
曇り時々雨。湿度が百パーセントではないかと思う程の蒸し暑さだった。
七月文月となり今日は半夏生だとか。元々は農事の繁栄を祈る日らしい。
義父の田植えは無事に終わったようで何よりだった。
けれどもまだ後始末があるそうで今日も気忙しそうにしていた。
稲穂が見え始めたので晴天になり次第消毒もしなければいけない。
農薬が年々値上がりしており頭を悩ませている様子だった。
そうかと云ってお米は値上がりしない。とても理不尽に思えるが
それだけお米が有り余っているのだろう。残念なことである。
仕事はけっこう忙しかった。
請求書を作成したり車検案内の葉書を出したりする。
決算の準備もしなければいけないがそこまで手が回らない。
明日こそ明日こそと思っているうちに日々が流れるばかりであった。
昔とは違うのだ。テキパキと何でもこなすほどもう若くはない。
昼休みはあって無いようなものだが日課の短歌だけは書き終える。
SNSへ発信すればほっとして心地よい達成感があった。
それからこの一週間に詠んだ短歌から2首を選び新聞に投稿する。
自分では自信作のつもりだが現実はとても厳しい。
「これでもか、これでもか」と思いながら投稿を続けている。
先日は「高知県文芸賞」の応募案内が届いていた。
毎回応募している者には届く仕組みになっているようだ。
私は短歌よりも詩に重点を置いている。
4年前だったか奨励賞を頂いた時には夢のように嬉しかった。
しかし募集要領には未発表の作品に限ると明記してあり
電話で確認したらSNSで公開した作品は発表したとみなされるのだそうだ。
それを聞いてがっくりと肩を落とす。今回は諦めるしかあるまい。
私の詩や短歌は全て「オン書き」でありノート等に書くことはなかった。
いわば即興であり即詠なのである。悪く云えば行き当たりばったり。
いつの頃からだろうパソコン画面に向かってしか書けなくなってしまった。
その空白があってこそ湧き出す言葉があるのだろう。
今更その書き方を変えるつもりはなかった。
それは私自身の心を見失うことにも等しい。
だからこそ一生涯そんな自分らしさを貫きたいと思っている。
4年前の詩は今だから明かすが古い詩のノートに書いてあったものだ。
父が亡くなった直後に書いた詩だから20年近く経っている。
今思えば私はとても卑怯な真似をしたのかもしれない。
けれども賞を頂いたことで父の供養になったのだと思っている。
誰よりも私の文芸活動を応援してくれていた父であった。
生前の父に最後に会った日に「おまえは短歌をやれよ」と言ってくれた。
私はそれを父の遺言だと思って短歌を忘れることは決してなかった。
詩も短歌もと欲張りなのは重々承知している。
詩人でもなく歌人でもない。詩集も歌集も出すことはないだろう。
私はひたすらパソコン画面に向かって「いのち」を捧げている。
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