曇り日。風はあったが不快な程の蒸し暑さだった。
扇風機ではとても耐えられずエアコンのお世話になる。
娘達は朝からエアコンをフル稼働しており
夫が「俺らが我慢することはないぞ」と苦笑いしていた。
電気代は馬鹿にならないが快適に過ごすことが一番なのだろう。
サニーマートが開店する9時を待ちつつ自室で過ごしていたが。
ひっきりなしに煙草を吸ってしまい我ながらうんざりとする。
とにかく部屋から出なければいけないと茶の間に行ったら
夫が録画してあった洋画を観ていた。
戦争映画のようだったがそれがなんとも残虐である。
後から後から人が死んでいく。小さな子供も乳飲み子さえも。
母親は犯され乳房を抉り取られそうになっていた。
「もう止めて」の一言が云えない。夫は食い入るように観ている。
「コンナヒトナノダナ」と改めて思う。
価値観とはまた違うのだろうがとても共感など出来なかった。
買い物から帰宅すると今度は別の洋画を観ていた。
缶コーヒーのCMによく出ている俳優さんで名前は知らないが
見知った顔なので興味が無きにしも在らずだった。
戦争映画のように残虐ではなかったが怖ろしい場面ばかりである。
途中からだったので夫にあらすじを訊ねたら
ロサンゼルスで地震があって地下の火山が爆発したのだそうだ。
街中には溶岩が流れ込み人々はパニックになり逃げ回っている。
夫にとってはスリル満点のようだが私はひたすら怖ろしくてならない。
「モウイヤダ」と思う。逃げるように自室に向かいまた煙草ばかり。
手も口も切って捨てたい。なんだか気が変になってしまいそうだった。

午後4時過ぎ、あやちゃんが珍しく部屋に入って来て
またSNSの話になった。今日の私のポストを見せる。
そうしたら今朝のポストに昔の写真を載せていたのがいけなかった。
夕陽を背にしたあやちゃんとめいちゃんの写真で
逆光なので顔は判別できないと思っていたのだが
「どう見てもこれ私じゃんか」とお叱りを受ける。
6年前の写真であっても絶対に許さないと言うのだった。
即刻削除を言い渡されあやちゃんの監視のもとに削除した。
「いっぱいいいねが付いていたのに」と私が反論すると
「誰もいいねと思って押してないよ」と真剣な顔をして言う。
SNSとはそう云う場所なのだそうだ。
お説教はまだまだ続きうかつに人を信用しないこと。
顔も知らない人と仲良くなったりしないこと。
最後に「ネットは危険がいっぱいながやけんね」だった。
まるで大人が子供に云うようなことであった。
でもそれだけ慎重に考えて行動しているのだと思う。
とても12歳とは思えないしっかりとした考えだと感心したのだった。
私は自分の迂闊さを深く反省し今後に活かさなければいけない。
思い起こせばネット生活も25年程だろうか。
様々なトラブルに巻き込まれ人を傷つけたりその反対もあった。
それでも私は人を信じることを止められずに今に至っている。
顔が見えないこそ魂が触れ合うのではないだろうか。
心の琴線に触れる「縁」を大切にしたくてならない。
曇り日。風はあったが梅雨時らしい蒸し暑さとなる。
もう幾日も洗濯物を外に干せずにいる。
「今日はどうかな?」と夫に訊けば「止めとけや」と即答だった。
お天気の良い日はいつも夫が洗濯物を庭まで運んでくれるのだ。
何しろ6人分の洗濯物の重いこと。私にはとても無理な話である。
夫はもうそれが自分の役目と心得ていて文句の一つも言わなかった。
だんだんと家事がまともに出来なくなっている。
あと5年後、10年後となればいったい私はどうなっているのだろう。
朝のうちにサニーマートへ買い物に行っていたら
店頭に刃物屋さんが出店していて包丁研ぎもしてくれるそうだ。
確か去年の今頃にも研いでもらって助かったことがあった。
とても愛想の良いお兄さんで今年も頼むことにする。
一度帰宅してから包丁を3本持って行った。
忙しいのか仕上がりは午後になるとのこと。
夕方までに取りに来ることにしてカーブスへ向かった。
カーブスでは滝のような汗で脂肪が燃えているらしい。
実感は全く無いが「私は燃えている」と思い頑張る。
何と心地よいことだろう。気分も明るくなったような気がする。
昨日の肩凝りが嘘のように楽になっていた。
それだけでもカーブスに通う意義があるのだと思った。
カーブスを終え駐車場から夫に電話を掛ける。
「明星鉄板焼きそば」を作ってもらおうと思ったのだけれど
開口一番に「今それどころではない早く帰って来い」と言うのだった。
いったい何が起こったのだろう。気が気ではなくなり大急ぎで帰った。
真っ先に頭に浮かんだのは息子の元お嫁さんのことだった。
まさか自殺。それは常日頃から一番心配していることである。
精神病なので発作的に命を絶つことも十分に考えられた。
帰宅したら台所から笑い声が聞こえているではないか。
夫は焼きそばを作ってくれているようだった。
訊けばあやちゃんが急に腹痛を訴えて苦しんでいたのだそうだ。
娘も買い物に出掛けており夫もパニック状態だったのだろう。
「もう治った」とケロッとしているあやちゃんにほっとする。
便秘だったのだろうかトイレに行ったら楽になったそうだ。
不規則な食生活。運動不足もあるだろうと察する。
とにかく一時的なことで済み何よりだった。
夫の作ってくれた焼きそばの美味しいこと。
焼きそばライスにしてお腹いっぱいになった。
そのまま倒れ込むように寝てしまい目覚めたら4時近くになっていた。
週末はとにかく寝ることである。そうして私は蘇るのである。
アイスコーヒーを飲みながら短歌を捻った。
何が良かったのかすらすらと詠める。
一首5分の早業であった。うん我ながら素晴らしいと悦に入る。
特に2首目が気に入ったので高新文芸にまた投稿してみよう。
ヤフオクで落札した山上秋恵さんの歌集が昨日届いた。
驚いたのは中古本のはずなのにどう見ても新品だったことだ。
これは誰も開いてはいないのだと確信する。
もしかしたら山上さん本人が手放したのかもしれない。
それ程までに辛いことがあったのか。それは知る由もなかった。
短歌は2001年から2013年のものが収録されており
まだ20代だった頃の作者の若々しさが感じられた。
子育ての真っ最中だったのだろう家庭的な短歌が多いようだ。
まだ全てを読み終えてはいないがゆっくりと読みたいと思っている。
風に出会い風を見る。心の琴線に触れる確かな風を感じた。
| 2024年06月28日(金) |
こころはいつも忙しい |
大雨の予報だったが幸い小雨のままで済む。
今はもう止んでいて心地よい夕風が吹いている。
明日は晴れ間もありそうだ。ゆっくりと天気が回復するだろう。
夜明け前に「つゆさん」の詩を書いた。
以前から書いている季節シリーズのつもりであるが
きっと誰にも分からないだろうと思う。
そもそも詩人でもないくせにシリーズなど大それたことだろう。
自己満足以外の何ものでもない。私が好きなのだからそれでいいと思う。
いつもリポストしてくれていた方が家庭の事情でしばらく休むのだそうだ。
当然のことながらリポストは全くなくなってしまった。
しかし今思えばそれも過剰評価だったのではないだろうか。
その方にはとても感謝しているが好意に甘え過ぎていたように思う。
もっと現実を見るべきである。厳しければ厳しいほど私は燃える。
ありったけの心でありったけの命で書き続けて行かねばならない。

仕事は実質的に月末であった。先月は苦しかったが今月は余裕がある。
義父に相談することもなく自分一人で乗り越えられそうだった。
9時半にはもう全ての支払いを終え肩の荷が下りる。
振込も何件かあり出金ばかりではなかったのが幸いだった。
これが順調でなくて何だろうと思う。悦に入っている場合ではないが
山あり谷ありの日々である。油断大敵雨あられもあるだろう。
同僚は通院のため午後からの出社であった。
義父は午後二時になっても姿が見えなかった。
義父の親友であるお客さんがオイル交換に来てくれて
二階の居室にいるはずの義父に声を掛けたが返事がない。
「死んじょるがじゃないか」となってしばしパニックになる。
お客さんが部屋を見に行ってくれようとしていたら
のそりのそりと階段を下りて来る義父の姿があった。
どうやら昨夜田植えの段取りがてら友人達と深酒をしていたらしい。
明日最後の田植えをすることに決まったそうで何よりであった。
それにしても人騒がせなこと。マジで死んだのかと思ったではないか。
余談ではあるが義父の父親は57歳の若さで亡くなっている。
心臓発作だったそうだ。ある日突然にぽっくりと死んだらしい。
そんな不運な血筋である。義父が長生きをするとは限らないのだ。
私は明日の段取りをする。点検と車検の予約が入っていたので
同僚がスムーズに仕事が出来るように準備を整えて置かねばならない。
あれもこれもと何と目まぐるしいことだろう。
それも全て自分が休む為であった。謂わば自業自得である。
4時前に退社。今日は随分と遅くなってしまった。
幸い眠気は無かったが少しでも横になりたくてならない。
しかし買い物をしなければならず洗濯物の山が待っている。
首と肩がパンパンに張っており今にも倒れそうになっていた。
5時半には夫の晩酌開始である。時間をずらすことは可能だが
その分夕食が遅くなるので娘達も戸惑うことだろう。
6時には食べ終えていないと私の入浴も遅くなってしまうのだった。
毎晩の事だが7時にはこの日記を書き始めている。
くだらない日記ではあるが書き終わるまで一時間半程掛かる。
けれども書かずにはいられない私は日記中毒であった。
22年も書き続けて来たのだ。どうして今更止められようか。
こころはいつも忙しい。けれどもその心のおかげで生きている。
ゆらゆらと揺れ続けているがここには真実の私がいる。
曇り時々雨。湿度は高かったが気温が低く過ごし易い一日。
明日は大雨になるそうだがどうか程々の雨であって欲しいものだ。
来週からはしばらく晴天が続き梅雨明けの発表があるかもしれない。
なんとなくダル重。とにかく眠気が凄い。
月曜日の元気は何処へやらである。木曜日辺りが一番しんどいようだ。
もしかしたら年齢に相応しい仕事ではないのかもしれない。
ほぼ一日中事務仕事でパソコンに向かう時間が多いのだ。
けれども70歳を過ぎても現役で働いている人もけっこういる。
私だけではないのだと思うとまだまだへこたれる訳にはいかない。
義父は高知市内へ出張。整備振興会の理事会があった。
スーツ姿がよく似合いとても80歳には見えない。
長靴を履いて農作業をしている時とは大違いである。
出掛けにはバタバタと気忙しかったが義父を送り出すとほっとした。
のんびり仕事をしようと思うのだがその仕事に身が入らない。
まあいいかと思う。のらりくらりとやり過ごすしかあるまい。
車検の予約が入っていたが午後からになるとのこと。
同僚が暇を持て余していたので愛車のオイル交換をしてもらった。
灯台下暗しで私の車のメンテは滅多にしてもらえない。
未だに冬タイヤで走っているのもご愛嬌であった。
同僚がワイパーゴムが破れているのに気がついてくれて助かる。
交換してもらったら見違えるように視界が良くなった。
午後、郵便局のゆみちゃんが大騒ぎしながらやって来て
配達中にバイクのハンドル操作が出来なくなって転倒したのだそうだ。
おそらくパンクだろうと思われるが見た目には異常がなかった。
同僚は車検整備を始めていたが手を止めてバイクを直すことになる。
もう2時だったがゆみちゃんはまだ昼食も食べていないとのこと。
今のうちに食べて来ると言って急いで郵便局へ帰って行った。
私よりひとつ年下で今年の年末にはやっと退職できるのだそうだ。
バイクに乗って勇ましく働くゆみちゃんにどれほど励まされたことか。
「お姉も頑張らないかんぜ」といつも言ってくれて嬉しかった。
転倒した時に脇腹を強く打ったらしい。
今は痛みがなくても明日の朝にはどうなっていることやら。
いくらタフなゆみちゃんでも心配でならなかった。
皆みんな弱音を吐かずに頑張っている。
けれどもゆみちゃんに会えなくなったらと思うと寂しくてならない。
私にはゴールがない。とにかく行ける処まで行くしかなかった。
雨の予報だったが思いがけずに青空が広がる。
風は殆ど吹いておらず相変わらずの蒸し暑さであった。
盛りを過ぎた紫陽花が少しずつ枯れ始めた。
白い紫陽花は特に憐れで目を背けたくなるのだが
最後まで見届けてあげなければあまりにも可哀想である。
毎年のことだが我が身を重ねずにはいられない。
清楚な純白ではないにしろ花には違いないのだろう。
老いは意思には関わりなく身に降りかかる宿命のようである。
紫陽花の季節は何度でも巡って来るが
ひとはただ命の終いへと押し流されて行く。
潔く散れれば良いがそれを許さない掟があるらしい。
今生の花としていったい何を残すことが出来るのだろうか。

仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。
今週も木曜日に予約が取れず今日がリハビリの日であった。
理学療法士は話好きのO君で楽しく会話が弾む。
ただ話に夢中になると手を止めることが多かった。
それも個性だろう。咎めることなどどうして出来ようか。
娘さんが二人いるらしく独身のはずはないのだが
料理が趣味なのか「しめじ料理」を伝授してくれた。
しめじに白出汁を掛けてレンジでチンするだけの簡単料理である。
これは明日にでも早速作ってみようと思う。
しめじに限らずキノコ類は身体に良くダイエット効果もあると
延々と話し続けていたが最後に左の腰の付け根を集中的に揉んでくれ
それがなんと気持ち良いこと。思わず声が出るほどだった。
施術が終ってからは杖がなくても歩けるようになる。
リハビリの成果は確実に表れていることが分るのだ。
リハビリ後は医師の診察があった。3週間ぶりである。
私は医師の顔を見ると一瞬お茶目になる。
そうして医師の笑顔を見ると今度は乙女になるのだった。
これほどまでに親身になってくれる医師が他にいるだろうか。
心が惹かれるのも無理はあるまい。誰も咎めはしないだろう。
診察のある日は遅くなるので夕飯は「ほか弁」が習いである。
ご飯はあるのでおかずだけ買えば良いので安上がりだった。
3600円。普段の食費とほぼ同じである。
とにかく臨機応変にと思う。作れない日は何も作れないのだ。
今夜はどうしたわけか酷く眠くてならない。
生欠伸が絶えず目も虚ろになって来ている。
目覚めれば朝だとしてもそれは決して当たり前のことではない。
眠っている間も「いのち」は息をし続けている。
朝方少し雨が降ったが日中は薄く陽射しがある。
気温も29℃まで上がり不快な程の蒸し暑さとなった。
朝の道の「お遍路さん休憩所」には新たな花が活けられており
紫陽花にグラジオラス、向日葵に似た黄色い花。
どれも今の季節の花で可愛らしくほっこりと心が和む。
時間帯のせいもあるだろう休憩しているお遍路さんを見たことはないが
すぐそばには自動販売機も備えて在り渇いた喉を潤すことも出来る。
私も今朝はアイスコーヒーを買った。なんと百円の安さである。
そうしてふっと自動販売機の横を見ると露草の花が咲いていたのだった。
雑草扱いされることが多いがなんと慎ましやかで可憐な花だろう。
真っ青なその色に心惹かれる。なんだか懐かしくてならなかった。
おそらく子供の頃から慣れ親しんできた花だからだろう。

仕事は朝のうち義父が待機してくれていて大助かりだった。
BMWのお客さんが来てくれてエアコンが全く効かないと言う。
ガスは満タンなのにコンプレッサーが回っていないことが判る。
原因はマグネットスイッチの不良であることを義父が究明した。
さすがだなと思う。義父が留守だったら対応することも出来なかった。
高知市内の外車センターに問い合わせたら見積りが20万を超すらしい。
お客さんは困り果ててしばらく考えてみると肩を落として帰って行った。
原因を究明した義父の得意顔ったらなかった。
そんな時は大いに「よいしょ」するように心掛けている。
「やっぱりおとうさんは凄いね」と褒めたたえるのである。
一仕事終わったので次は田んぼである。
「よっし行くぞ」と勇ましく出掛けて行った。
2時間程して帰って来てやっと全ての代掻きが終ったのだそうだ。
いよいよ最後の田植えである。お天気次第だと義父は言う。
私は稲作には全く無知であったが最近少しずつお利口さんになって来た。
まず田起こしと代掻きの違いである。
田起こしをしてから田んぼに水を張るのだ。
それから土をさらに細かく砕き丁寧にかき混ぜ
土の表面を平らにする作業が代掻きである。
そうしてやっと田植えにこぎつけるのだからその労苦は大きい。
それを80歳の義父がたった一人で遣り遂げたのだから凄いことである。
後10年はとても無理に思えるが義父が健在である限り応援したいと思う。

昨夜ここに歌人の「山上秋恵さん」のことを記したが
長いこと読者でいてくれている方が貴重な情報を知らせてくれた。
時間を割いて調べてくれて本当に有難いことである。
1975年生まれらしいので私よりもずっと若いことが判った。
様々な賞を受賞されておりとても偉大な方である。
私のような者が興味を持つことも畏れ多いような気がするが
それはもう直感を信じるしかなかった。
風としか言いようがないのだ。その風に吹かれるのではない。
私はその風を見るべきなのだと思っている。
歌集が落札出来るまで後4時間足らずになった。
明日の朝にはメールが届くことだろう。
念願が叶うまであともう少しである。
ただ少し気になっているのは山上秋恵さんはその歌集の発刊で
酷く傷ついたのだそうだ。SNSではそう発信されていた。
いったい何があったのだろう。どれ程の辛さだったのか。
てっぺんまで上り詰めたひとにも哀しみはあるのだろう。
まるで薔薇の花のように誇らしげには咲いていないのだ。
ひっそりと慎ましやかに咲く露草のようなひとなのかもしれない。
梅雨らしい雨の一日。時おり強く降る時間帯もあった。
気温はそう高くないのに不快な程の蒸し暑さである。
関東では猛暑日となり栃木の佐野市では36.8℃を記録したそうだ。
佐野には古くからの友人が住んでいるが身体に堪えたことだろう。
近況は何も分からない。年に一度の年賀状だけで繋がっている。
西日本はしばらく梅雨空が続きそうだ。
田んぼの稲が日に日に青づいて順調に生育しているのが分かる。
高知平野ではもう稲穂が見え始めているそうだ。
やがて全国のトップを切って稲刈りが始まることだろう。
義父はまるで外遊びを禁じられた子供のように過ごしていた。
まだ全部の田植えが終わっていないので気が気ではない様子である。
あれほど頑張っていたのにと思う。それだけ作付け面積が広いのだ。
午前中は工場の仕事をしてくれてとても助かったが
お昼前になり合羽を着て田んぼに行くと言い出す。
事務所のスケジュールボードには午後から事業者講習会となっていた。
「おとうさんいかんよ、昼から会があるけん」と慌てて引き止める。
「なに?そうか、すっかり忘れちょった」と思い出したようだ。
「まだ時間があるけんちょっとでも休んだや」と告げると
「そうじゃな、昼飯食うて休もうか」と言ってくれてほっとした。
夢中になると大切な約束でさえ忘れてしまうひとなのだ。
そんな80歳の高齢者も珍しいのではないだろうか。
それは決してただの物忘れではないことを私は知っている。
なんだか気疲れがしてしまって2時半に退社した。
義父のせいにしては気の毒だがそうとしか思えない。
会話がとにかく諄いのだ。日頃からとことん話し込む癖があった。
いつもより30分早いだけで買い物が楽しい。
かと云ってあれこれ作る気にはならず簡単に「牛丼」にする。
最近鰹がとても安く助かっている。お刺身は欠かせない我が家であった。
後は例の如くお惣菜である。茄子の挟み揚げと鶏の甘酢あんかけを買う。
それから店内にある百均で夏用のソックスを買った。
あれこれとゆっくり見て回るのが好きで不要な物までつい買ってしまう。
帰宅したらいつもと同じ4時である。随分と長い買い物だったようだ。
先日ここに記した歌人さんの歌集が見つかった。
なんと奇跡のようにヤフオクに出品されていたのだ。
残り後一日となっており慌てて入札をする。
もし他に入札者があればメールが来るのだが今のところまだない。
しめしめとほくそ笑んでいる。もうすでに手に入れたも同じである。
ちなみにその歌人さんは「山上秋恵さん」
歌集は「オレンジの墓標」で」第一歌集のようだった。
SNSのプロフィールには個人情報の公開はなく
年齢も居住地も定かではないがとても親近感を感じている。
もしかしたら私と同じ年頃ではないのだろうか。
ずっと若い方だったら申し訳ないが。
ネットで検索しても歌集以外の情報は得られなかった。
どんな短歌を詠まれているのかもまったく定かではない。
私にとっては「風」なのだ。その直感を信じたいと思う。
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