ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年06月28日(金) こころはいつも忙しい

大雨の予報だったが幸い小雨のままで済む。

今はもう止んでいて心地よい夕風が吹いている。

明日は晴れ間もありそうだ。ゆっくりと天気が回復するだろう。


夜明け前に「つゆさん」の詩を書いた。

以前から書いている季節シリーズのつもりであるが

きっと誰にも分からないだろうと思う。

そもそも詩人でもないくせにシリーズなど大それたことだろう。

自己満足以外の何ものでもない。私が好きなのだからそれでいいと思う。

いつもリポストしてくれていた方が家庭の事情でしばらく休むのだそうだ。

当然のことながらリポストは全くなくなってしまった。

しかし今思えばそれも過剰評価だったのではないだろうか。

その方にはとても感謝しているが好意に甘え過ぎていたように思う。


もっと現実を見るべきである。厳しければ厳しいほど私は燃える。

ありったけの心でありったけの命で書き続けて行かねばならない。




仕事は実質的に月末であった。先月は苦しかったが今月は余裕がある。

義父に相談することもなく自分一人で乗り越えられそうだった。

9時半にはもう全ての支払いを終え肩の荷が下りる。

振込も何件かあり出金ばかりではなかったのが幸いだった。

これが順調でなくて何だろうと思う。悦に入っている場合ではないが

山あり谷ありの日々である。油断大敵雨あられもあるだろう。


同僚は通院のため午後からの出社であった。

義父は午後二時になっても姿が見えなかった。

義父の親友であるお客さんがオイル交換に来てくれて

二階の居室にいるはずの義父に声を掛けたが返事がない。

「死んじょるがじゃないか」となってしばしパニックになる。

お客さんが部屋を見に行ってくれようとしていたら

のそりのそりと階段を下りて来る義父の姿があった。


どうやら昨夜田植えの段取りがてら友人達と深酒をしていたらしい。

明日最後の田植えをすることに決まったそうで何よりであった。

それにしても人騒がせなこと。マジで死んだのかと思ったではないか。


余談ではあるが義父の父親は57歳の若さで亡くなっている。

心臓発作だったそうだ。ある日突然にぽっくりと死んだらしい。

そんな不運な血筋である。義父が長生きをするとは限らないのだ。


私は明日の段取りをする。点検と車検の予約が入っていたので

同僚がスムーズに仕事が出来るように準備を整えて置かねばならない。

あれもこれもと何と目まぐるしいことだろう。

それも全て自分が休む為であった。謂わば自業自得である。


4時前に退社。今日は随分と遅くなってしまった。

幸い眠気は無かったが少しでも横になりたくてならない。

しかし買い物をしなければならず洗濯物の山が待っている。

首と肩がパンパンに張っており今にも倒れそうになっていた。


5時半には夫の晩酌開始である。時間をずらすことは可能だが

その分夕食が遅くなるので娘達も戸惑うことだろう。

6時には食べ終えていないと私の入浴も遅くなってしまうのだった。


毎晩の事だが7時にはこの日記を書き始めている。

くだらない日記ではあるが書き終わるまで一時間半程掛かる。

けれども書かずにはいられない私は日記中毒であった。

22年も書き続けて来たのだ。どうして今更止められようか。


こころはいつも忙しい。けれどもその心のおかげで生きている。

ゆらゆらと揺れ続けているがここには真実の私がいる。



2024年06月27日(木) のらりくらり

曇り時々雨。湿度は高かったが気温が低く過ごし易い一日。

明日は大雨になるそうだがどうか程々の雨であって欲しいものだ。

来週からはしばらく晴天が続き梅雨明けの発表があるかもしれない。


なんとなくダル重。とにかく眠気が凄い。

月曜日の元気は何処へやらである。木曜日辺りが一番しんどいようだ。

もしかしたら年齢に相応しい仕事ではないのかもしれない。

ほぼ一日中事務仕事でパソコンに向かう時間が多いのだ。

けれども70歳を過ぎても現役で働いている人もけっこういる。

私だけではないのだと思うとまだまだへこたれる訳にはいかない。



義父は高知市内へ出張。整備振興会の理事会があった。

スーツ姿がよく似合いとても80歳には見えない。

長靴を履いて農作業をしている時とは大違いである。


出掛けにはバタバタと気忙しかったが義父を送り出すとほっとした。

のんびり仕事をしようと思うのだがその仕事に身が入らない。

まあいいかと思う。のらりくらりとやり過ごすしかあるまい。


車検の予約が入っていたが午後からになるとのこと。

同僚が暇を持て余していたので愛車のオイル交換をしてもらった。

灯台下暗しで私の車のメンテは滅多にしてもらえない。

未だに冬タイヤで走っているのもご愛嬌であった。

同僚がワイパーゴムが破れているのに気がついてくれて助かる。

交換してもらったら見違えるように視界が良くなった。


午後、郵便局のゆみちゃんが大騒ぎしながらやって来て

配達中にバイクのハンドル操作が出来なくなって転倒したのだそうだ。

おそらくパンクだろうと思われるが見た目には異常がなかった。

同僚は車検整備を始めていたが手を止めてバイクを直すことになる。


もう2時だったがゆみちゃんはまだ昼食も食べていないとのこと。

今のうちに食べて来ると言って急いで郵便局へ帰って行った。


私よりひとつ年下で今年の年末にはやっと退職できるのだそうだ。

バイクに乗って勇ましく働くゆみちゃんにどれほど励まされたことか。

「お姉も頑張らないかんぜ」といつも言ってくれて嬉しかった。


転倒した時に脇腹を強く打ったらしい。

今は痛みがなくても明日の朝にはどうなっていることやら。

いくらタフなゆみちゃんでも心配でならなかった。


皆みんな弱音を吐かずに頑張っている。

けれどもゆみちゃんに会えなくなったらと思うと寂しくてならない。


私にはゴールがない。とにかく行ける処まで行くしかなかった。



2024年06月26日(水) 今生の花

雨の予報だったが思いがけずに青空が広がる。

風は殆ど吹いておらず相変わらずの蒸し暑さであった。


盛りを過ぎた紫陽花が少しずつ枯れ始めた。

白い紫陽花は特に憐れで目を背けたくなるのだが

最後まで見届けてあげなければあまりにも可哀想である。


毎年のことだが我が身を重ねずにはいられない。

清楚な純白ではないにしろ花には違いないのだろう。

老いは意思には関わりなく身に降りかかる宿命のようである。


紫陽花の季節は何度でも巡って来るが

ひとはただ命の終いへと押し流されて行く。

潔く散れれば良いがそれを許さない掟があるらしい。

今生の花としていったい何を残すことが出来るのだろうか。




仕事はそこそこの忙しさであったが2時半に退社する。

今週も木曜日に予約が取れず今日がリハビリの日であった。

理学療法士は話好きのO君で楽しく会話が弾む。

ただ話に夢中になると手を止めることが多かった。

それも個性だろう。咎めることなどどうして出来ようか。


娘さんが二人いるらしく独身のはずはないのだが

料理が趣味なのか「しめじ料理」を伝授してくれた。

しめじに白出汁を掛けてレンジでチンするだけの簡単料理である。

これは明日にでも早速作ってみようと思う。

しめじに限らずキノコ類は身体に良くダイエット効果もあると

延々と話し続けていたが最後に左の腰の付け根を集中的に揉んでくれ

それがなんと気持ち良いこと。思わず声が出るほどだった。

施術が終ってからは杖がなくても歩けるようになる。

リハビリの成果は確実に表れていることが分るのだ。


リハビリ後は医師の診察があった。3週間ぶりである。

私は医師の顔を見ると一瞬お茶目になる。

そうして医師の笑顔を見ると今度は乙女になるのだった。

これほどまでに親身になってくれる医師が他にいるだろうか。

心が惹かれるのも無理はあるまい。誰も咎めはしないだろう。



診察のある日は遅くなるので夕飯は「ほか弁」が習いである。

ご飯はあるのでおかずだけ買えば良いので安上がりだった。

3600円。普段の食費とほぼ同じである。

とにかく臨機応変にと思う。作れない日は何も作れないのだ。



今夜はどうしたわけか酷く眠くてならない。

生欠伸が絶えず目も虚ろになって来ている。


目覚めれば朝だとしてもそれは決して当たり前のことではない。

眠っている間も「いのち」は息をし続けている。








2024年06月25日(火) 露草の花

朝方少し雨が降ったが日中は薄く陽射しがある。

気温も29℃まで上がり不快な程の蒸し暑さとなった。


朝の道の「お遍路さん休憩所」には新たな花が活けられており

紫陽花にグラジオラス、向日葵に似た黄色い花。

どれも今の季節の花で可愛らしくほっこりと心が和む。


時間帯のせいもあるだろう休憩しているお遍路さんを見たことはないが

すぐそばには自動販売機も備えて在り渇いた喉を潤すことも出来る。

私も今朝はアイスコーヒーを買った。なんと百円の安さである。

そうしてふっと自動販売機の横を見ると露草の花が咲いていたのだった。

雑草扱いされることが多いがなんと慎ましやかで可憐な花だろう。

真っ青なその色に心惹かれる。なんだか懐かしくてならなかった。

おそらく子供の頃から慣れ親しんできた花だからだろう。





仕事は朝のうち義父が待機してくれていて大助かりだった。

BMWのお客さんが来てくれてエアコンが全く効かないと言う。

ガスは満タンなのにコンプレッサーが回っていないことが判る。

原因はマグネットスイッチの不良であることを義父が究明した。

さすがだなと思う。義父が留守だったら対応することも出来なかった。

高知市内の外車センターに問い合わせたら見積りが20万を超すらしい。

お客さんは困り果ててしばらく考えてみると肩を落として帰って行った。


原因を究明した義父の得意顔ったらなかった。

そんな時は大いに「よいしょ」するように心掛けている。

「やっぱりおとうさんは凄いね」と褒めたたえるのである。


一仕事終わったので次は田んぼである。

「よっし行くぞ」と勇ましく出掛けて行った。

2時間程して帰って来てやっと全ての代掻きが終ったのだそうだ。

いよいよ最後の田植えである。お天気次第だと義父は言う。


私は稲作には全く無知であったが最近少しずつお利口さんになって来た。

まず田起こしと代掻きの違いである。

田起こしをしてから田んぼに水を張るのだ。

それから土をさらに細かく砕き丁寧にかき混ぜ

土の表面を平らにする作業が代掻きである。

そうしてやっと田植えにこぎつけるのだからその労苦は大きい。

それを80歳の義父がたった一人で遣り遂げたのだから凄いことである。

後10年はとても無理に思えるが義父が健在である限り応援したいと思う。




昨夜ここに歌人の「山上秋恵さん」のことを記したが

長いこと読者でいてくれている方が貴重な情報を知らせてくれた。

時間を割いて調べてくれて本当に有難いことである。

1975年生まれらしいので私よりもずっと若いことが判った。

様々な賞を受賞されておりとても偉大な方である。

私のような者が興味を持つことも畏れ多いような気がするが

それはもう直感を信じるしかなかった。

風としか言いようがないのだ。その風に吹かれるのではない。

私はその風を見るべきなのだと思っている。


歌集が落札出来るまで後4時間足らずになった。

明日の朝にはメールが届くことだろう。

念願が叶うまであともう少しである。


ただ少し気になっているのは山上秋恵さんはその歌集の発刊で

酷く傷ついたのだそうだ。SNSではそう発信されていた。

いったい何があったのだろう。どれ程の辛さだったのか。


てっぺんまで上り詰めたひとにも哀しみはあるのだろう。

まるで薔薇の花のように誇らしげには咲いていないのだ。


ひっそりと慎ましやかに咲く露草のようなひとなのかもしれない。



2024年06月24日(月) 直感を信じる

梅雨らしい雨の一日。時おり強く降る時間帯もあった。

気温はそう高くないのに不快な程の蒸し暑さである。


関東では猛暑日となり栃木の佐野市では36.8℃を記録したそうだ。

佐野には古くからの友人が住んでいるが身体に堪えたことだろう。

近況は何も分からない。年に一度の年賀状だけで繋がっている。


西日本はしばらく梅雨空が続きそうだ。

田んぼの稲が日に日に青づいて順調に生育しているのが分かる。

高知平野ではもう稲穂が見え始めているそうだ。

やがて全国のトップを切って稲刈りが始まることだろう。



義父はまるで外遊びを禁じられた子供のように過ごしていた。

まだ全部の田植えが終わっていないので気が気ではない様子である。

あれほど頑張っていたのにと思う。それだけ作付け面積が広いのだ。


午前中は工場の仕事をしてくれてとても助かったが

お昼前になり合羽を着て田んぼに行くと言い出す。

事務所のスケジュールボードには午後から事業者講習会となっていた。

「おとうさんいかんよ、昼から会があるけん」と慌てて引き止める。

「なに?そうか、すっかり忘れちょった」と思い出したようだ。

「まだ時間があるけんちょっとでも休んだや」と告げると

「そうじゃな、昼飯食うて休もうか」と言ってくれてほっとした。


夢中になると大切な約束でさえ忘れてしまうひとなのだ。

そんな80歳の高齢者も珍しいのではないだろうか。

それは決してただの物忘れではないことを私は知っている。


なんだか気疲れがしてしまって2時半に退社した。

義父のせいにしては気の毒だがそうとしか思えない。

会話がとにかく諄いのだ。日頃からとことん話し込む癖があった。


いつもより30分早いだけで買い物が楽しい。

かと云ってあれこれ作る気にはならず簡単に「牛丼」にする。

最近鰹がとても安く助かっている。お刺身は欠かせない我が家であった。

後は例の如くお惣菜である。茄子の挟み揚げと鶏の甘酢あんかけを買う。


それから店内にある百均で夏用のソックスを買った。

あれこれとゆっくり見て回るのが好きで不要な物までつい買ってしまう。

帰宅したらいつもと同じ4時である。随分と長い買い物だったようだ。



先日ここに記した歌人さんの歌集が見つかった。

なんと奇跡のようにヤフオクに出品されていたのだ。

残り後一日となっており慌てて入札をする。

もし他に入札者があればメールが来るのだが今のところまだない。

しめしめとほくそ笑んでいる。もうすでに手に入れたも同じである。

ちなみにその歌人さんは「山上秋恵さん」

歌集は「オレンジの墓標」で」第一歌集のようだった。

SNSのプロフィールには個人情報の公開はなく

年齢も居住地も定かではないがとても親近感を感じている。

もしかしたら私と同じ年頃ではないのだろうか。

ずっと若い方だったら申し訳ないが。

ネットで検索しても歌集以外の情報は得られなかった。

どんな短歌を詠まれているのかもまったく定かではない。


私にとっては「風」なのだ。その直感を信じたいと思う。



2024年06月23日(日) おまえはもう死んでいる

晴れたり曇ったりにわか雨が降ったり。

沖からの風が強く吹いていたが酷く蒸し暑い一日だった。

耐え切れずにエアコンを稼働する。もう節電どころではない。


道路沿いの民家の庭にアガパンサスが見事に咲いていて

前を通る度にほっこりと心を和ませている。

紫陽花と同じ季節の花だがなんとなく日陰の身なのだろう。

紫陽花程には愛でられずひっそりと慎ましく咲いているのがいい。


花ならばそんなふうに生きたいものだ。




朝のうちにサニーマートへ。また一週間分の酒類を買い込んで来た。

これが私にはいささか重労働で汗がぽたぽたと落ちる。

先週は店員さんが助けてくれたが今日はそうはいかなかった。

マイバックではなくマイカゴを準備した方が良さそうである。

カゴならそのまま車に積み込めるのできっと楽に違いない。

しかし今からこの有り様では先が思いやられる。

80歳になった私が悪夢のように目に浮かんだ。


昼食は冷やし中華。麺を茹でてスープを掛けるだけのシンプルなもの。

「一風」の具沢山の冷やし中華が食べたくてならない。

夫が来週には電話確認をしてから行ってみようかと言ってくれる。

どうか始めていますように。もうすっかり食べたような気持になった。



3時間程昼寝をしたが久しぶりに母の夢を見た。

なんともリアルな夢で母の死など嘘のように思える。

7月20日から海外へ旅行に行くのだそうだ。

誰と一緒に行くのだろうかと問えば我が家のお向かいの奥さんだった。

だからその奥さんを私の代わりに会社で雇ったのだと言う。

私はもうクビらしい。母の偉そうな顔が憎たらしくてならない。


北斗の拳ではないが「おまえはもう死んでいる」と叫んだ。

母は一瞬悲しそうな顔をして見せたがすぐにケロッとする。

なんだか馬鹿にされているような気がして悔しくてならなかった。


母でありながら母ではない。いつまで経っても会社の上司である。

いざこざが絶えなかった頃を思い出さずにはいられなかった。

子供の頃の優しかった母はいったい何処に消えてしまったのだろう。

たとえ夢でも一生会うことは叶わないのかもしれない。


もしかしたら寂しくてたまらないのではと思った。

遺骨は空家同然の家にそのまま放置してあり

誰一人手を合わす人もなく月日が流れるばかりであった。

この夏は初盆であるが母は無事に帰ることが出来るのだろうか。

「もう私のことなんか忘れたがやね」と母の声が聞こえる。


どうして忘れることが出来ようか。伝える術もないが

朝に晩に遺影に手を合わせている娘を見失わないで欲しい。


魂は永遠だと信じている。来世には私が母になろうではないか。





2024年06月22日(土) 風を待つ

曇りのち雨。いかにも梅雨らしい一日だった。

暑さは和らぐが湿度が高いのでじめじめ感が半端ない。

また鬱々としてしまいそうだったが気分は良かった。

肩の荷が下りたのだろう。もう何も考えることがない。

あれこれと思い煩わないことだ。私はいつも深刻過ぎる。

感受性も強いのだろう。些細な事でも気になってしょうがないのだ。

もっとあっけらかんと生きられないものかと思うばかりであった。



今朝は「オードリー」を見終わってから1時間程寝ていた。

平日なら出勤時間である。週末は得をしたような気分になる。

無気力もそこそこに買い物に行きカーブスにも行っていた。

まずまずの元気である。明るい気持ちが嬉しくてならない。


昼食後はまた2時間程お昼寝をして疲れを癒す。

だらだらとしているようでそうでもなかった。

不思議と寝起きの怠さもなく何かしなくちゃと思う。


まずは短歌といつものように3首詠んでみたが

満足するようなものは書けなかった。

日によって波があるようだ。大波小波ではないが

風が吹けば揺れるような水面の静かな波である。

ひたひたと水が満ちて来る。そんな歌を詠みたいものである。

日々風まかせであった。窓の外は雨ばかり降り続いている。


SNSでは私と同じように詩や短歌を発信している人が多いが

これは素晴らしいと共感する作品とはめったに巡り会えない。

私は見つけたくてならず躍起になるが思うようにはいかないものだ。


それが今日はとある歌人さんと巡り会った。

短歌ではなく俳句であったがなんと素晴らしい一句だったことか。

リポストせずにはいられない。もちろんフォローもした。

そうしたらその方も私の短歌を見てくれたらしい。

感動の「いいね」を頂きおまけにフォローまでしてくれたのだった。


その方の短歌を読みたくてならず歌集を探したが在庫切れである。

入庫予定は無しとのことでまるで夢を掴むような歌集となった。

アマゾンが駄目ならブックオフと中古本も探したがこれも在庫切れ。

とりあえず「入庫待ち」の手続きをしてみたがこれも無理かもしれない。

なんとしても読みたい気持ちは今も宙を彷徨っている。


その人こそ私の「風」なのかもしれないと思う。

なんとかしてその「存在」を風に変えられないものだろうか。





4時を過ぎて乾燥機の洗濯物を畳み終えてからふと思いつき

ホームセンターへ走る。娘達の衣類をなんとかしたかった。

勝手なことをしてと叱られるのを覚悟で衣類用のカゴを買って来る。

とにかく仕分けをしないと座敷中に衣類が散乱しているのだった。

娘も週末は疲れ切っているようで整理どころではないのだろう。

カゴは4個、それぞれの衣類を仕分けしてとてもすっきりした。

今後も私は「洗濯係」なのに違いない。

決して嫌なわけではないが畳んだ後のストレスはこれで解消される。

娘は「もう整理せんよ」となんとちゃっかりしていた。


娘と肩を並べて夕食の支度をするのも久しぶりである。

夫は相変わらず5時半から晩酌を始めていたが

鰹のタタキを頬張る口元が何とも気持ち悪くてならない。

自分でもどうしてか分からないのだが夫の口元を見るのが嫌だった。

何か生理的なものだろうか。もう男でも女でも在りはしないのに。

おそらく夫も私の仕草を見ながら同じことを思っているのだろう。

それは今更どうすることも出来ない「老い」の姿であった。


歳月は愛しくもあるが時には残酷でもある。

それでも生き永らえていかねばならない。


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