ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年06月20日(木) 輝く紫陽花

朝からぽつぽつと小雨が降り続いている。

気温は低く随分と涼しい一日だった。

紫陽花の花がきらきらと輝いて見える。

雨が嬉しくてならないようだ。

梅雨の季節ならではの日本の風物詩なのだろう。


私は夏には咲けそうにない。

雨が降れば項垂れ陽が照れば萎れてしまう。

春の野原には黄色い花が咲くがおそらくその類だろう。

名前はあっても誰も呼ばないのだ。

そうして踏み荒らされていく運命なのに違いない。

ああ、なんて可哀想な私。惨め過ぎて涙が出そうである。




小雨決行で予定通り田植えであった。

今回も義父の友人が二人手伝いに来てくれてなんと有難いこと。

それぞれ仕事を持っているのに休んで駆け付けてくれたようだ。


工場は相変わらず糞詰まり状態であったが

とにかく順調に田植えが終わることをひたすら願う。

明日になればきっと仕事も順調に捗るだろう。

決して焦らないことだ。苛立たないことだ。


とは云えとうとうお客さんから催促の電話があった。

急がないと聞いていたがさすがにもう4日目である。

車検整備は終り洗車も済ませ後は検査待ちであることを伝えると

快く了承してくれてなんとほっとしたことだろう。

もし苦情だったら泣いて謝るしかなかった。

成るようにしかならない。どれほどあがいてもそれは同じことだ。


午後どうしたわけか酷い眠気に襲われる。

少し仮眠をと思ったがそれよりも早く家に帰りたくてならない。

同僚に訳を話しいつもより一時間早く2時に退社した。

帰り道の高速運転でも眠気が襲って来たが事故だけは避けたい。

ラジオの音量を上げ窓を全開にして走り抜ける。

無事にサニーマートまで着きハンドルに凭れ5分程仮眠した。

疲れているのだろうか。自分ではよく分からなかった。

でも元気とは言えない。ただ気が張っているだけのように思う。


お総菜売り場で「チキン南蛮」と「鯵フライ」を買った。

後は茄子と豚バラ肉を買い甘辛く炒めることにする。

ふうふうと息が上がっていた。まさかまだ限界ではあるまい。



食後6時過ぎにあやちゃんの担任の先生が来てくれた。

娘の帰宅に合わせてくれたようで気の毒でならない。

娘の笑い声が聞こえそれが少し痛々しくもあった。

あやちゃんは先生に会ってからとても機嫌が良くほっとする。

決して学校が嫌なわけではないのだろう。

ただきっかけがなく戸惑い続けているように感じた。


この日記を書いていたらあやちゃんが笑顔でやって来て

あれこれと話し掛けてくれて嬉しかった。

今朝のSNSにあやちゃんの後姿の写真を載せてしまったのだ。

事後報告になってしまったが「見せて、見せて」と言ってくれる。

海辺で波と戯れる写真である。まだ一年生の頃ではないだろうか。

「この写真いいじゃん」叱られずに済みとてもほっとした。


思い出は消えない。どれ程の歳月が流れたとしても

少女はやがておとなになるが

きっとまた砂浜を裸足で駆ける時が来るだろう。



2024年06月19日(水) 手抜き祭り

今朝は18℃ほっとするような涼しさだった。

しかし日中は30℃の真夏日である。

温度差のなんと激しいことだろうか。

これからは朝の涼しさは期待出来ないが

日中は35℃を超す猛暑日になるに違いない。

熱中症で亡くなる約半数の人が屋内でのことなのだそうだ。

特に高齢者はエアコンを節約し水分もあまり摂らないらしい。

それもトイレが近くなる単純な理由からであった。


あれはいつの夏だったか息子に酷く叱られたことがある。

かなり暑い日だったが夫と二人で扇風機で涼を取っていた。

まだ我慢できると思っていたのだがそれが大間違いとのこと。

息子に「おとうもおかあも死ぬぞ」と怒鳴られたのだった。

あれ以来我が家ではなるべくエアコンを点けることにしている。

今年はまだ点けていないがそろそろそんな時期なのだろう。

特に梅雨の時期は除湿だけでも良いと思う。

電気代は嵩むが何よりも命を守らなくてはいけない。




仕事は今日も糞詰まり状態だった。もう焦ってもしょうがない。

梅雨の晴れ間も今日までとのこと。明日の午後から雨続きになりそうだ。

義父の精神状態は異常な程に高ぶっている。

トラクターは直ったが今度は田んぼの除草作業であった。

おまけに明日は田植えをするらしい。その段取りもしなければならない。


お昼には帰って来たがまた直ぐに出掛けるとのこと。

「腹が減って死にそうな」それもそのはず朝食も食べていないのだった。

少しでも休むように言い聞かせ近くの地場産店へ走る。

義父の好きなお稲荷さんがあって良かった。

余程空腹だったのだろう犬のようにガツガツと食べていた。


「終わったら車検をせんといかんな」そう言い残して田んぼへ行く。

その目まぐるしい姿を見ていると可哀想でならなくなった。

いくら社長とは云えもう二足の草鞋を履く歳ではないのだ。


3時前に帰って来たが丁度エアコン修理のお客さんが来ていて

同僚に代わり義父が故障個所の診断をしてくれて助かる。

お客さんは90歳の高齢者でとても安心したようだった。

故障の原因が分かったので部品の手配をし後日入庫してもらうことに。

さすが義父だなと思った。エアコン修理では右に出る者はいない。


「いかんな、もう時間がない」私の退社時間が迫っていた。

義父もまだ田植えの準備をしなければいけないようだった。

明日は駄目でも明後日がある。「なんとかなるけん」と義父に伝える。

お客さんには迷惑を掛けるがそこは私がフォローしてみせよう。

催促があればその時のことだ。出来ないものはしょうがない。


3時半に退社。気を揉んだせいかどっと疲れが襲って来る。

とにかく肩の力を抜かなければとそればかり思っていた。

サニーマートへ着くとお総菜売り場に直行する。

揚げたてのきびなごの天婦羅と野菜のつくね巻を買った。


4時半に帰宅。大量の洗濯物を畳み終え10分ほど横になった。

さすがにお惣菜だけではと思いニラ玉と胡瓜のサラダを作る。


6時に娘が帰宅。「手抜き祭りで〜」と私が言えば

「手抜きでええがよ」と娘が言ってくれてほっとした。

あれもこれもと頑張り過ぎてはいけないとつくづく思う。

決して無理をせず出来ることだけにしなければいけない。


まだまだこれからなのだ。くたばるわけにはいかない。

いっぱいいっぱいだとしても「隙間」は必ず出来る。





2024年06月18日(火) 心で書く

夜明け前まで強い雨が降っていたが次第に止み

日中は雲間から薄く陽射しがこぼれていた。

午後7時、今は西の空に夕焼けが見えている。

明日は朝から晴れるのだろう。また厳しい暑さになりそうだ。


強い雨雲は北上し静岡県などに豪雨をもたらしたようだ。

高知県は幸い雨の被害はなかったようだが

東部の田野町では竜巻と思われる突風が吹き荒れ

家屋の屋根が飛んだりビニールハウスが潰れたらしい。


田野町は中学時代を過ごした海辺の小さな町である。

古い友人も多いが敢えて誰にも被害状況を訊くことはしなかった。

薄情なのかもしれないが今更と云う気持ちが大きい。

皆それぞれに家庭を持ち日々の暮らしに精を出しているのだろう。

もし被害に遭っていてもお見舞いを伝えるほど今は親しくはなかった。

反対の立場であってもきっと同じことだろうと思う。





仕事はぼちぼちの忙しさ。今朝も義父が居てくれてほっとしたが

トラクターの部品が届いたそうで修理に夢中になっていた。

車検が2台完了していたが「まあちょっと待て」である。

幸いどちらも急ぎではなかったので明日の納車にすることにした。

田舎あるあるである。ディーラーのような一日車検は到底無理である。


今日もお昼休みを取らず。義父は昼食も摂らずに頑張っていた。

机に突っ伏して少し仮眠をと思ったがそれも気まずくてならない。

いつものように短歌は詠めたが悲哀に満ちた三首となる。

老いて行くせつなさ。儚いいのち。どうして朗らかになれるだろう。

私は決して無理に微笑むことをしない。それが私だからだ。


詩もそうだが短歌も心で書いている。

これだけは誰にも負けない私の「ほこり」であった。

同時にそれは無名だからこそ出来ることだと思っている。

詩人になる気も歌人になる気もない。私以外の何者でもないのだ。


老いれば死に近づくばかりだがいつまでたってもそれが怖ろしい。

いったいいつになったら「もう十分に生きた」と思えるのだろう。


詩集もない歌集もない。けれども私には「こころ」がある。



追伸:血圧は少し落ち着きました。明日も明後日も私は続くでしょう。

   ご心配をおかけしました。



2024年06月17日(月) 日記中毒

曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り出している。

今夜から明日の朝にかけて線状降水帯が発生する恐れがあるとのこと。

災害級の雨と聞くと身構えずにはいられず不安がつのってくる。

無事に強い雨雲が遠ざかることを願ってやまない。



血圧は異常に高かったが自覚症状は全くなく元気に朝を迎える。

無意識のうちに気負いが出ていたのかもしれない。

やはり私にはする仕事が必要なのだなと改めて思う。

もし失ってしまったらどれほど途方に暮れることだろう。


今朝は義父が待機してくれていてとても助かる。

どうやらトラクターの部品が明日入るようだった。

とことん直す気になっており新しいトラクターは諦めた様子。

資金さえあればと可哀想に思えたがこればかりはどうしようも出来ない。

稲作に精を出せるのもせいぜいあと5年位ではないだろうか。

義父にはその自覚が全くなくとてつもなく張り切っているのだが

周りから見れば無謀としか思えないのが憐れでもあった。


午前中に車検が完了。すぐにまた新たな車が入庫する。

今週はぎっしり予約が入っておりかなりの忙しさになりそうだ。

同僚は通院しながらではあるが精一杯頑張ってくれている。

もし同僚に倒れられたら車検整備は出来ず一切お手上げになるのだ。


お昼休みが取れなかったせいか午後はなんとなくしんどかった。

事務仕事は一段落していたので少し早めに退社する。

私の場合は時間給なので臨機応変がまかり通るのだった。

定時はあってないようなもの。その点はとても気楽である。


いつものようにFMラジオを聴きながらの帰り道だったが

なんか変。うるさい洋楽ばかり流れて来て苛々してくる。

番組編成が変わったのかとがっかりしていたのだが

どうやらチューナーが他のFM局に変わっていたようだ。

私しか乗らない車である。こんな不思議なことがあるのだろうか。


サニーマートで買い物をして帰宅。お向かいの奥さんの呼ぶ声がする。

青紫蘇をたくさん頂いた。先日は胡瓜を頂きなんと有難いことだろう。

「海老チリ」を作ったり「胡瓜と蛸の酢の物」を作ったりした。


台所で立ちっぱなしなのが堪えたのか左足が重く痛む。

一気に気が滅入って来たが何のこれしきと頑張り抜いた。


食後一休みしてお風呂に入ろうとしたら湯船が空っぽである。

夫はシャワーなので給湯ボタンを押し忘れたのだろう。

私もシャワーで済ませた。夏場はこれで良いかもと思う。

けれども娘達はやはり湯船に浸かりたいそうで給湯ボタンを押す。


血圧を測ってびっくりした。3回も測ったが同じことである。

上が170に近いのだ。さすがにおっとこれは危ないと思う。


早目に寝ることも考えたがいかんせん日記中毒であった。

倒れるわけにはいかない。死ぬわけにはいかないとこれを記す。


まさか最後の日記にはならないだろう。


なんとしても明日に続く。







2024年06月16日(日) 冷やし中華まであと少し

雨上がりの爽やかな朝とはいかず梅雨らしい蒸し暑さとなる。

日中も真夏日にこそならなかったが厳しい暑さだった。


今朝はすっきりと目覚める。重怠さもなく気分も良い。

溌溂とはいかないが動けることが有難くてならなかった。


朝食時に夫が「そろそろ冷やし中華が始まったかもな」と

宿毛市郊外の「一風」へ久しぶりに連れて行ってくれると言う。

わずか20分程の距離だが出掛けるのが嬉しくてならない。

頭の中が冷やし中華でいっぱいになった。


朝のうちに昨日行っていた洋品店へ。

買ったパンツを履いてみたがなんと不格好なことだろう。

お尻の辺りがふわっとしていて裾が細くなっていた。

まるで工事現場の人が履く作業ズボンのようである。

試着をせずに衝動買いしてしまった私が悪いのだが

無理を言って他のデザインのパンツに取り替えて貰うことにした。

店員さんがあれこれと見繕ってくれてやっと気に入ったのが見つかる。

うきうきと嬉しい。来週末には履こうと楽しみが出来た。


お次は街中の商店街にある精肉店へと走る。

娘達が焼き肉に賛成してくれたのでほっと嬉しい。

ハラミを1キロ、ミックスホルモンを3百グラム買う。

精肉店の奥さんはとても愛想が良く笑顔を交し合った。


まだまだ続く最後はサニーマートであれこれと買う。

ポイントが10倍だったので1週間分の酒類を買った。

セルフレジでもたもたしていたら店員さんが直ぐに来てくれて

袋に入れてくれたりカートに載せてくれて大助かりだった。

吞兵衛一家なので酒類のまとめ買いは本当に大変である。


汗びっしょりになって帰宅。休む間もなく「一風」へ向かう。

11時過ぎに着いたがもうお客さんがいっぱい来ていた。

残念ながら冷やし中華はまだ始めていないとのこと

仕方なくいつものラーメンセットにしたが文句なしの美味しさである。

冷やし中華は今月末に始めるとのこと。来月には食べられるだろう。


帰り道はもう眠くてたまらない。いつものことだと夫が笑う。

帰宅するなりばたんきゅうである。なんと4時まで寝ていたようだ。


洗濯物は夫が取り入れてくれていて娘が畳んでくれていた。

これでこそ家族だと自分に都合よくほくそ笑む。

しかし甘え過ぎてはいけない。出来ることはやらなければと思う。


5時過ぎから焼き肉だったが夫と二人きりである。

これはいつものことでもう慣れてしまったが

皆でわいわいと食べたらもっと美味しいことだろう。

娘達に強制は出来ずこれが私達家族の「カタチ」であった。



夕食後息子から電話があり先日の夜のことなど。

お嫁さんはあるトラブルに巻き込まれており

しばらくはけい君に会す訳にはいかないのだそうだ。

息子はかなり神経質になっており声も弱々しく聴こえる。

何があっても助けたい気持ちでいっぱいになった。

近いうちに夜勤があるので今度こそ夫が泊まりに行くことにする。



すべてのことが順調とは限らないのだ。

運命にも渦があり巻き込まれまいと必死になるが

手足を心さえも引き込まれながらみんなみんな生きようとしている。







2024年06月15日(土) こころの休養

曇りのち雨。雨が降り出すまでのなんと蒸し暑かったことだろう。

気温は23℃と低目だったが汗がぽたぽたと流れる。

朝からもう眠くてならず重い身体を持て余していた。

寝不足とは思えないがその怠さは半端ない。

すっかり無気力になってしまってぼんやりと過ごすばかりであった。


朝ドラ「オードリー」を見終わってから2時間近く眠っていた。

目覚めは悪くなんだか自分が自分でないような気がする。

冷たい珈琲も煙草も効かず気分は沈みもやもやとするばかり。


いつもより30分程遅れてカーブスへ行っていたが

仕事の電話が3回もあり困った。もう筋トレどころではない。

むしゃくしゃしたがここで腹を立てても仕方あるまい。

早目に切り上げコーチの女の子と馬鹿話をしてから帰る。

少しだけ笑顔になれて良かった。気分転換にはなったようだ。


昼食後はまたひたすら眠る。目覚めたらもう3時になっていた。

ふと思い立ち夏服を買いに郊外のショッピングセンターまで走る。

今朝半袖Tシャツをとっかえひっかえ着てみたが

どれもムチムチに小さくなっておりみっともないたらありゃしない。

なんとか一枚だけ着れたがそれも色あせよれよれになっていた。


ブティックではないが中高年向きの洋品店があり助かっている。

おしゃれなTシャツを3枚買い黒いセミロングのパンツを買った。

しめて9900円である。決して高い買い物ではないだろう。


それが良き気分転換になったのか少し朗らかになった気がする。

乾燥機の洗濯物を夫が取り出してくれていたのも嬉しい。

さあやるべきことをやろうと思う。まずは洗濯物を畳むことだ。


夕飯は「しゃぶしゃぶ」だったので手間が省ける。

娘が手際よく準備をしてくれて私は何もすることがなかった。

明日は父の日なので焼き肉にしようかと提案する。

夫はもちろん大賛成だったが娘は考えておくと言い残す。

即答ではなかったのが少し寂しかった。



今に始まったことではないが気分の浮き沈みが激しい。

特に仕事のない週末は落ち込んでいることが多いようだ。

「元気」とか「笑顔」とか遠い世界のことに思えてならない。


こころにも休養が必要なのではないだろうか。

何も考えずにぼんやりしたり無気力もそのひとつであろう。

そうしてその無気力を決して責めてはいけないのだと思う。





2024年06月14日(金) 私の息

全国的に今年初の暑さだったようだ。

高知県西部も真夏日となり陽射しのなんと強いこと。

幸い風があったのでさほど苦にはならずに済む。

明日からは梅雨空が戻ってくるのだそうだ。

暑さは和らぐだろうが雨が続くのは気が滅入りそうである。

その上に豪雨の心配がある。雨は降り過ぎてもいけない。

どんな日があっても受け止めながら過ごして行きたいものだ。



今朝は義父が居てくれてほっと胸を撫でおろす。

トラクターの修理が済み戻って来たが手直しが必要とのこと。

部品を注文したりして気忙しそうにしていた。

おそるおそる仕事を頼んだら思いがけずに頷いてくれる。

おかげで一気に捗り3台の車検が完了した。

お客さんには迷惑をかけてしまったが義父は全く気にしていない。

私なりに精一杯フォローしてきた。それも今日が限界だったのだ。

何があっても一山一山越えて行かなければならない。


午後には仕事が一段落していたので3時前に退社した。

同僚は明日も仕事である。金曜日はいつも心苦しい。

月給制ではなく週給なので今週の賃金を渡し終える。


時間のゆとりがあったのでゆっくりと買い物をした。

娘の再就職から10日目である。私も少しずつ賢くなっているようだ。

まず最初にお総菜売り場へ行きあれこれと見繕う。

揚げ物を買うことが多い。今日は鯵フライを買った。

酒肴は藁焼きの鰹を2節買う。今夜も鰹のタタキである。


帰宅したら参加している同人誌が届いていた。

パラパラと捲り自分の短歌だけ目を通す。

歓びはまったく感じない。ただただ虚しいだけである。

それでもまだ続けるのかと自問自答するばかりだった。

詩ばかりの同人誌に短歌しか載せて貰えないのだ。

勝ち負けではないが勝負のしどころが全くない。


SNSでは今日が11周年の記念日らしかった。

めでたくも何でもないがもう11年かと感慨深い。

来る者は拒まず去る者は追わずであった。

最近やっと心から信頼できる人に出会ったばかりである。

これも生きている限りと思っているが先のことは分からない。

仕様が変わり続けているSNSに未来はあるのだろうか。


けれども私にとっては詩を発信できる唯一の場所である。

読み返すことは殆ど無いが誰かの心の片隅に残り続ければと願う。


儚さを思い知りつつもまた夜明け前に書くだろう。

それは私のいのちであり息そのものに他ならない。


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