ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年06月15日(土) こころの休養

曇りのち雨。雨が降り出すまでのなんと蒸し暑かったことだろう。

気温は23℃と低目だったが汗がぽたぽたと流れる。

朝からもう眠くてならず重い身体を持て余していた。

寝不足とは思えないがその怠さは半端ない。

すっかり無気力になってしまってぼんやりと過ごすばかりであった。


朝ドラ「オードリー」を見終わってから2時間近く眠っていた。

目覚めは悪くなんだか自分が自分でないような気がする。

冷たい珈琲も煙草も効かず気分は沈みもやもやとするばかり。


いつもより30分程遅れてカーブスへ行っていたが

仕事の電話が3回もあり困った。もう筋トレどころではない。

むしゃくしゃしたがここで腹を立てても仕方あるまい。

早目に切り上げコーチの女の子と馬鹿話をしてから帰る。

少しだけ笑顔になれて良かった。気分転換にはなったようだ。


昼食後はまたひたすら眠る。目覚めたらもう3時になっていた。

ふと思い立ち夏服を買いに郊外のショッピングセンターまで走る。

今朝半袖Tシャツをとっかえひっかえ着てみたが

どれもムチムチに小さくなっておりみっともないたらありゃしない。

なんとか一枚だけ着れたがそれも色あせよれよれになっていた。


ブティックではないが中高年向きの洋品店があり助かっている。

おしゃれなTシャツを3枚買い黒いセミロングのパンツを買った。

しめて9900円である。決して高い買い物ではないだろう。


それが良き気分転換になったのか少し朗らかになった気がする。

乾燥機の洗濯物を夫が取り出してくれていたのも嬉しい。

さあやるべきことをやろうと思う。まずは洗濯物を畳むことだ。


夕飯は「しゃぶしゃぶ」だったので手間が省ける。

娘が手際よく準備をしてくれて私は何もすることがなかった。

明日は父の日なので焼き肉にしようかと提案する。

夫はもちろん大賛成だったが娘は考えておくと言い残す。

即答ではなかったのが少し寂しかった。



今に始まったことではないが気分の浮き沈みが激しい。

特に仕事のない週末は落ち込んでいることが多いようだ。

「元気」とか「笑顔」とか遠い世界のことに思えてならない。


こころにも休養が必要なのではないだろうか。

何も考えずにぼんやりしたり無気力もそのひとつであろう。

そうしてその無気力を決して責めてはいけないのだと思う。





2024年06月14日(金) 私の息

全国的に今年初の暑さだったようだ。

高知県西部も真夏日となり陽射しのなんと強いこと。

幸い風があったのでさほど苦にはならずに済む。

明日からは梅雨空が戻ってくるのだそうだ。

暑さは和らぐだろうが雨が続くのは気が滅入りそうである。

その上に豪雨の心配がある。雨は降り過ぎてもいけない。

どんな日があっても受け止めながら過ごして行きたいものだ。



今朝は義父が居てくれてほっと胸を撫でおろす。

トラクターの修理が済み戻って来たが手直しが必要とのこと。

部品を注文したりして気忙しそうにしていた。

おそるおそる仕事を頼んだら思いがけずに頷いてくれる。

おかげで一気に捗り3台の車検が完了した。

お客さんには迷惑をかけてしまったが義父は全く気にしていない。

私なりに精一杯フォローしてきた。それも今日が限界だったのだ。

何があっても一山一山越えて行かなければならない。


午後には仕事が一段落していたので3時前に退社した。

同僚は明日も仕事である。金曜日はいつも心苦しい。

月給制ではなく週給なので今週の賃金を渡し終える。


時間のゆとりがあったのでゆっくりと買い物をした。

娘の再就職から10日目である。私も少しずつ賢くなっているようだ。

まず最初にお総菜売り場へ行きあれこれと見繕う。

揚げ物を買うことが多い。今日は鯵フライを買った。

酒肴は藁焼きの鰹を2節買う。今夜も鰹のタタキである。


帰宅したら参加している同人誌が届いていた。

パラパラと捲り自分の短歌だけ目を通す。

歓びはまったく感じない。ただただ虚しいだけである。

それでもまだ続けるのかと自問自答するばかりだった。

詩ばかりの同人誌に短歌しか載せて貰えないのだ。

勝ち負けではないが勝負のしどころが全くない。


SNSでは今日が11周年の記念日らしかった。

めでたくも何でもないがもう11年かと感慨深い。

来る者は拒まず去る者は追わずであった。

最近やっと心から信頼できる人に出会ったばかりである。

これも生きている限りと思っているが先のことは分からない。

仕様が変わり続けているSNSに未来はあるのだろうか。


けれども私にとっては詩を発信できる唯一の場所である。

読み返すことは殆ど無いが誰かの心の片隅に残り続ければと願う。


儚さを思い知りつつもまた夜明け前に書くだろう。

それは私のいのちであり息そのものに他ならない。



2024年06月13日(木) 風を待つ

真夏日の一歩手前。午後から一気に暑くなる。

耐えられなくなりとうとう事務所のエアコンを点けた。

同僚は扇風機で暑さを凌いでいて気の毒でならない。

まだまだ序の口の暑さである。やがて梅雨が明ければ

いったいどれ程の猛暑が襲って来るのだろう。


陽射しをいっぱいに浴びた紫陽花も憐れであった。

ぐったりと項垂れたように見えて哀しい色をしている。

週末には梅雨空が戻ってくるのだそうだ。

どんなにか雨を待ちわびていることだろう。




車検整備終了の車が2台あったがまた義父に逃げられてしまった。

引き止めたら「それどころではない」と暴言を吐く。

もう呆れ返って何も言う気にはなれない。

長閑な山里だからこそそれでも成り立っているが

街中の車検場ならとっくに潰れていることだろう。

とにかく風向きが変わるのをじっと待つしかないようだ。

やる気にさえなればとことんやる人である。


3時前に退社。その足で整形外科へと向かう。

週一のリハビリが楽しみでならなかった。

待合室で久しぶりにお嫁さんのお母さんと会う。

顔色が悪くげっそりとやつれているように見えた。

声を掛けたがあまり話したくなさそうだった。

お嫁さんの様子を訊きたかったが何も訊けずに別れる。


リハビリは順調で帰りには杖が要らないくらいだった。

このまま順調にと願わずにいられない。

痛みのない暮らしを続けられたらどんなに楽だろうか。



「ほっかほか亭」に寄りほか弁を買って帰る。

娘達は夕食不要と言ってくれたのでなんとも気楽である。

夫は息子のマンションへほか弁を持って行く手筈になっていた。

6時前に出掛けたがどうした訳かとんぼ返りをして来て驚く。

なんとマンションへ行ったらお嫁さんが来ていたのだそうだ。

入院していると聞いていたので狐につままれたようである。

「もう大丈夫ですから」と言ったそうだ。

そうして夫が持参して行ったほか弁を「ご馳走になります」と。

「おらの弁当を取り上げられた」とまるで笑い話のようである。


どうやら息子も知らなかったようだ。帰宅してから驚くことだろう。

お嫁さんは母親としての役目をしっかり努めようとしたのだと思う。

「統合失調症」ここで初めて病名を明かすが珍しい病気ではない。

発症しても治療さえすれば落ち着く病気なのだそうだ。

息子は離婚を選んだが決して見捨てたわけではない。

けい君の母親として尊重し共に支え合おうと決めたことである。



風はどちらから吹き何処へ流れて行くのか。

誰にも決められずただ風に吹かれるしかないのだと思う。





2024年06月12日(水) 私のふるさと

梅雨入りをしてから夏日の日が続いている。

今日も蒸し暑かったがエアコン無しで過ごしていた。

暑さで有名な江川崎では32℃もあったようだ。


私の生まれ故郷であるが子供の頃にはそれほど暑さを感じなかった。

気温もせいぜい30℃に留まっていたのだろう。

その頃にはまだ「地球温暖化」と云う言葉さえなかったのだ。

学校から帰ると真っ先に駅前の商店へ走りアイスキャンデーを買った。

一本5円だったのだ。今では信じられないような安さである。

お小遣いは一日十円。ミレービスケットが一枚50銭で買えた。


生まれ故郷であっても官舎住まいで父は転勤族だったから

江川崎で過ごしたのは小学3年生までだった。

でもおとなになって「出身は?」と訊かれると「江川崎」と応える。

それだけ郷愁がありいつまでたっても懐かしい「ふるさと」に他ならない。





仕事はそこそこの忙しさ。朝から義父も居てくれたが

自動車免許の高齢者講習がありお昼前に出掛けて行く。

なんだか苛々しているように感じたが気のせいだったのかもしれない。

思うように農作業が出来ないので当たり散らしているようだった。

新しいトラクターがどうしても欲しいのだそうだ。

まるで子供がプラモデルを欲しがるように駄々をこねる。

会社にはそんな余裕はなく自力で何とかしようとしているのだが

もう80歳の高齢である。借金は無謀としか思えない。

昔蓄えていたお金を母が勝手に使ったのだそうだ。

おそらく会社の運転資金になったのだろう。

母の苦労を顧みず昔のことをほじくり返すのは義父の悪い癖だ。

おまけに母の生家を売り飛ばすと云うからすっかり呆れ返る。

自棄としか思えないが反論すれば雷が落ちるだけであった。



3時に退社。今夜は昨日亡くなったお客さんのお通夜があるので

義父と同僚が参列する予定だった。同僚は4時で早退するらしい。

義父はまだ帰宅していなかったが机の上にお香典を置いて帰って来た。

突然の事だったのでご家族の悲痛を思うと心が痛んでならない。


サニーマートで買い物をしていたら息子から着信があった。

明日の夜けい君を預かってくれないかと言う。

訊けば夜勤の時に来てくれていた元お嫁さんがまた入院したらしい。

今回は今までとは異なる症状で詳しいことはまだ分からないとのこと。

実家のご両親もどんなにか困惑していることだろう。

離婚したとは云えけい君の母親である。それは大きな心配事だった。


帰宅して夫に相談したら自分がマンションへ泊りに行くと言う。

我が家ではどうしても娘夫婦に迷惑を掛けてしまうので

特に娘婿には気を遣わずにいられなかった。

娘にとっては血の繋がった甥っ子であるが娘婿には他人なのだろうか。

あれこれと考えていると複雑な心境になり辛くなるばかりである。


息子に提案したが未だ返事が無かった。

息子も悩んでいるのだろう。それが憐れでならない。

私と夫も一つ返事で快諾してやれなかった事がとても心苦しかった。

我が家はもう私達夫婦だけの家ではないことを思い知らされる。


とんとん拍子だった日常が大きく傾いてしまった一日だった。



2024年06月11日(火) 明日につづく

曇り時々晴れ。湿度が高かったのだろう蒸し暑い一日となる。

今朝は夜明け前に虫の声を聴いた。まるで夏の終りのようだ。

季節外れではあるが草むらにちいさな「いのち」を感じる。

本物の秋が来れば一斉に鳴き出すことだろう。



職場に着くなり訃報が舞い込む。

昨日車検を受けてくれたお客さんが今朝には亡くなっていたのだそうだ。

なんとも驚き信じられない気持ちでいっぱいになる。

80歳を超えた高齢ではあったが昨日まであんなに元気だったのに

穏やかで人当たりが良くいかにも好々翁とした人であった。


聞けば昼間は大好きな庭いじりをし花苗も植えたのだそうだ。

暑い中無理をし過ぎたのだろう夕方から体調を崩していたらしい。

寝れば治ると早めに床に就いたらしいがそのまま亡くなってしまったのだ。

死因は心臓麻痺とのこと。なんと無念な最期だったことだろう。


「やはり人は死ぬのだ」そう受け止めるしかなかった。

それも突然に。病気ならともかく何の心構えも出来ないのである。

私もそんなふうに最期を迎えるかもしれないと思うと不安でならない。

平穏無事に朝を迎えることさえも奇跡のように思えて来る。


「生きたい」欲も跡形もなく消滅してしまうのだ。

魂は永遠だと信じているがいったい死んだら何処に行くのだろうか。





義父も同僚もショックを隠し切れないまま仕事に励む。

生きている者には与えられた日常があるのだ。


トラクターの故障で農作業が出来ない義父もすっかり諦めた様子で

工場の仕事に精を出してくれてどれ程助かったことだろう。

やり始めたら休むことを知らない。私も昼休みどころではなかった。

3時過ぎまでぶっ続けに働く。義父は昼食も食べていないのだ。


疲れはあったが心地よい疲れである。

夕食はすっかり手抜きでサニーマートで揚げ物を買って帰った。

作ったのは鰹のお刺身とレタスのオイスターソース炒めだけである。

6時過ぎに娘が帰って来て「ご覧の通りよ」と自慢すれば

「上等じゃん」と褒めてくれて「ご苦労さんやね」と言ってくれる。

それがとても嬉しかった。私はやれるだけのことをやったのだろう。

まだまだこれからが長いのだ。決して頑張り過ぎてはいけない。



この日記を書き終えると後は眠るだけだが

無事に朝を迎えられるかどうかは誰にも分からない。

連続ドラマのように「つづく」で終れたらどんなに良いだろうか。



2024年06月10日(月) 45年の歳月

雨上がりの爽やかな晴天のはずが午後から一気に曇る。

大気が不安定なのはやはり梅雨のせいなのだろう。


今朝は車のエンジンが掛からず焦る。

セルは回っていてもう少しで掛かりそうなのに駄目なのだ。

夫が何度か試してみてくれて何とか掛かりほっとした。

10年目で16万キロも走ったオンボロ車である。

おそらくバッテリーの寿命が近くなっているのだろう。

とにかく職場まで一気に走り切ることにした。

アイドルストップが作動しなくなっている。

職業柄それがバッテリーの寿命なのが分かった。

エコバッテリーは高価だが会社の修繕費で落とす。

それが金庫番の特権でもあった。おまけに専務なのである。


通勤距離が長いので車の不調は大きなストレスとなる。

お客様優先なので修理は後回しになるが

今日は特別に無理を言って同僚にバッテリーを交換してもらった。

同僚が「請求書を出すけんね」と言って大笑いになる。




「時の記念日」は息子の誕生日でなんとびっくり45歳になった。

生まれた時のこと幼い頃のことが走馬灯のように目に浮かんでくる。

私も初めての子育てに必死だったが息子のおかげで母になれた。


大人になってからの苦労は決して並大抵ではなく

二度の離婚を経験し今はシングルパパとして頑張っている。

心配は尽きないが余程困った時しか連絡を寄こさない。

私に似て神経質な性質で落ち込む時も多いのだが

便りの無いのは元気な証拠と信じて日々は流れるばかりだった。


電話をしても仕事中かも知れず短いメールを送ってみる。

そうしたら夕方になり返信がありとても嬉しくほっとした。

「変わりないかね?もう45になったがやけん身体に気をつけて

ぼちぼち頑張りよ」と母。

「ほ〜いほ〜い変わりないけんね」と息子。

短いやり取りであったがささやかに繋がってくれていた。


息子とはこれからも程よい距離を保ちたいと思っている。

仕事に家事に子育てにと苦労は続くだろうが

息子ならきっと乗り越えて行けるだろうと信じてやまない。


母はいつまでも母である。息子は幾つになってもこどもである。



2024年06月09日(日) 容器の底

九州南部の梅雨入りに続き四国地方も梅雨入りとなった。

いかにもそれらしく朝からずっと雨が降り続いている。

なんとなくしんみりとしてしまうのは雨のせいだろうか。

気力はあるようでなくまるで容器の底に沈んだように過ごしていた。

振れば混ざるだろう。分かっているけれど何も出来ない。


午前中は横殴りの雨。買い物に行っていたが雨に濡れてしまった。

杖と傘を両方持つのはけっこう大変である。

けれども車椅子の人も居るのだ。これ位のことで嘆いてはいけない。


サニーマートで新しい失禁パンツを買った。

手触りもよくゆったりしていて「速乾」と記してある。

ネットで3枚も買ってしまったことが未だに悔やまれてならない。

箪笥に仕舞ってあるが思い切って捨ててしまおうと思う。

そうすれば綺麗さっぱりと忘れてしまえるだろう。




娘は昨日から寛いでいて今朝も遅くまで寝ていたようだ。

洗濯物の乾燥が終っていたので取り出そうとしたら

洗面台で顔を洗っている娘と一緒になった。

もしかしたらと期待する。畳んでくれそうな気がしたのだった。

しかし娘は見て見ぬふりをするかのように立ち去ってしまう。

がっくりだったが「もう当てになんかするもんか」と思った。


洗濯物を畳みながら虚しさが込み上げて来る。

私は生きている限り洗濯物を畳み続けるのだろう。

畳むだけではない。毎朝干すのも私の役目であった。

決して嫌いな家事ではないが途方に暮れるような気持ちである。

夫が「そのうちあやが畳んでくれるようになるろう」と言ってくれたが

それはいったい何時のことだろう。今はとても考えられなかった。



午後はひたすらごろごろと寝てばかりだったが

日課の短歌だけは書き終える。これだけは気力があるようだ。

今朝の高知新聞にちらっと短歌が掲載されていて嬉しかった。

落選続きの時が多いがたまには「ご褒美」があるようだ。

ささやかなことでも励みになる。また頑張ろうと思う。


5時になり夕食の支度を始めた。

娘を当てにしないと決めたのでとても気が楽である。

もう肩を並べて料理をすることもないだろうとさえ思う。

そうしたら娘が二階から降りて来て黙って手を出し始めた。

私は無意識のうちにツンツン尖っていたのかもしれない。

元来卑屈な性格である。それは在り得ることだろう。

「もういい、全部自分でやる」と心の声が聞こえたような気がした。


まだまだこれから先が長いのだ。今から躓くわけにはいかない。

そのうち娘も仕事に慣れて家事も少しずつ出来るようになるだろう。

私はやはり「肝っ玉母さん」でいなければとつよく思った。



これを書いているうちに雨が止んだようだ。

風も出て来て雨雲が東に流れているのが分かる。

梅雨入りはしたが明日は晴れるとのこと嬉しくてならない。

思い煩うことなく淡々と過ごしたいものだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加