真夏日の一歩手前。午後から一気に暑くなる。
耐えられなくなりとうとう事務所のエアコンを点けた。
同僚は扇風機で暑さを凌いでいて気の毒でならない。
まだまだ序の口の暑さである。やがて梅雨が明ければ
いったいどれ程の猛暑が襲って来るのだろう。
陽射しをいっぱいに浴びた紫陽花も憐れであった。
ぐったりと項垂れたように見えて哀しい色をしている。
週末には梅雨空が戻ってくるのだそうだ。
どんなにか雨を待ちわびていることだろう。

車検整備終了の車が2台あったがまた義父に逃げられてしまった。
引き止めたら「それどころではない」と暴言を吐く。
もう呆れ返って何も言う気にはなれない。
長閑な山里だからこそそれでも成り立っているが
街中の車検場ならとっくに潰れていることだろう。
とにかく風向きが変わるのをじっと待つしかないようだ。
やる気にさえなればとことんやる人である。
3時前に退社。その足で整形外科へと向かう。
週一のリハビリが楽しみでならなかった。
待合室で久しぶりにお嫁さんのお母さんと会う。
顔色が悪くげっそりとやつれているように見えた。
声を掛けたがあまり話したくなさそうだった。
お嫁さんの様子を訊きたかったが何も訊けずに別れる。
リハビリは順調で帰りには杖が要らないくらいだった。
このまま順調にと願わずにいられない。
痛みのない暮らしを続けられたらどんなに楽だろうか。
「ほっかほか亭」に寄りほか弁を買って帰る。
娘達は夕食不要と言ってくれたのでなんとも気楽である。
夫は息子のマンションへほか弁を持って行く手筈になっていた。
6時前に出掛けたがどうした訳かとんぼ返りをして来て驚く。
なんとマンションへ行ったらお嫁さんが来ていたのだそうだ。
入院していると聞いていたので狐につままれたようである。
「もう大丈夫ですから」と言ったそうだ。
そうして夫が持参して行ったほか弁を「ご馳走になります」と。
「おらの弁当を取り上げられた」とまるで笑い話のようである。
どうやら息子も知らなかったようだ。帰宅してから驚くことだろう。
お嫁さんは母親としての役目をしっかり努めようとしたのだと思う。
「統合失調症」ここで初めて病名を明かすが珍しい病気ではない。
発症しても治療さえすれば落ち着く病気なのだそうだ。
息子は離婚を選んだが決して見捨てたわけではない。
けい君の母親として尊重し共に支え合おうと決めたことである。
風はどちらから吹き何処へ流れて行くのか。
誰にも決められずただ風に吹かれるしかないのだと思う。
梅雨入りをしてから夏日の日が続いている。
今日も蒸し暑かったがエアコン無しで過ごしていた。
暑さで有名な江川崎では32℃もあったようだ。
私の生まれ故郷であるが子供の頃にはそれほど暑さを感じなかった。
気温もせいぜい30℃に留まっていたのだろう。
その頃にはまだ「地球温暖化」と云う言葉さえなかったのだ。
学校から帰ると真っ先に駅前の商店へ走りアイスキャンデーを買った。
一本5円だったのだ。今では信じられないような安さである。
お小遣いは一日十円。ミレービスケットが一枚50銭で買えた。
生まれ故郷であっても官舎住まいで父は転勤族だったから
江川崎で過ごしたのは小学3年生までだった。
でもおとなになって「出身は?」と訊かれると「江川崎」と応える。
それだけ郷愁がありいつまでたっても懐かしい「ふるさと」に他ならない。

仕事はそこそこの忙しさ。朝から義父も居てくれたが
自動車免許の高齢者講習がありお昼前に出掛けて行く。
なんだか苛々しているように感じたが気のせいだったのかもしれない。
思うように農作業が出来ないので当たり散らしているようだった。
新しいトラクターがどうしても欲しいのだそうだ。
まるで子供がプラモデルを欲しがるように駄々をこねる。
会社にはそんな余裕はなく自力で何とかしようとしているのだが
もう80歳の高齢である。借金は無謀としか思えない。
昔蓄えていたお金を母が勝手に使ったのだそうだ。
おそらく会社の運転資金になったのだろう。
母の苦労を顧みず昔のことをほじくり返すのは義父の悪い癖だ。
おまけに母の生家を売り飛ばすと云うからすっかり呆れ返る。
自棄としか思えないが反論すれば雷が落ちるだけであった。
3時に退社。今夜は昨日亡くなったお客さんのお通夜があるので
義父と同僚が参列する予定だった。同僚は4時で早退するらしい。
義父はまだ帰宅していなかったが机の上にお香典を置いて帰って来た。
突然の事だったのでご家族の悲痛を思うと心が痛んでならない。
サニーマートで買い物をしていたら息子から着信があった。
明日の夜けい君を預かってくれないかと言う。
訊けば夜勤の時に来てくれていた元お嫁さんがまた入院したらしい。
今回は今までとは異なる症状で詳しいことはまだ分からないとのこと。
実家のご両親もどんなにか困惑していることだろう。
離婚したとは云えけい君の母親である。それは大きな心配事だった。
帰宅して夫に相談したら自分がマンションへ泊りに行くと言う。
我が家ではどうしても娘夫婦に迷惑を掛けてしまうので
特に娘婿には気を遣わずにいられなかった。
娘にとっては血の繋がった甥っ子であるが娘婿には他人なのだろうか。
あれこれと考えていると複雑な心境になり辛くなるばかりである。
息子に提案したが未だ返事が無かった。
息子も悩んでいるのだろう。それが憐れでならない。
私と夫も一つ返事で快諾してやれなかった事がとても心苦しかった。
我が家はもう私達夫婦だけの家ではないことを思い知らされる。
とんとん拍子だった日常が大きく傾いてしまった一日だった。
曇り時々晴れ。湿度が高かったのだろう蒸し暑い一日となる。
今朝は夜明け前に虫の声を聴いた。まるで夏の終りのようだ。
季節外れではあるが草むらにちいさな「いのち」を感じる。
本物の秋が来れば一斉に鳴き出すことだろう。
職場に着くなり訃報が舞い込む。
昨日車検を受けてくれたお客さんが今朝には亡くなっていたのだそうだ。
なんとも驚き信じられない気持ちでいっぱいになる。
80歳を超えた高齢ではあったが昨日まであんなに元気だったのに
穏やかで人当たりが良くいかにも好々翁とした人であった。
聞けば昼間は大好きな庭いじりをし花苗も植えたのだそうだ。
暑い中無理をし過ぎたのだろう夕方から体調を崩していたらしい。
寝れば治ると早めに床に就いたらしいがそのまま亡くなってしまったのだ。
死因は心臓麻痺とのこと。なんと無念な最期だったことだろう。
「やはり人は死ぬのだ」そう受け止めるしかなかった。
それも突然に。病気ならともかく何の心構えも出来ないのである。
私もそんなふうに最期を迎えるかもしれないと思うと不安でならない。
平穏無事に朝を迎えることさえも奇跡のように思えて来る。
「生きたい」欲も跡形もなく消滅してしまうのだ。
魂は永遠だと信じているがいったい死んだら何処に行くのだろうか。

義父も同僚もショックを隠し切れないまま仕事に励む。
生きている者には与えられた日常があるのだ。
トラクターの故障で農作業が出来ない義父もすっかり諦めた様子で
工場の仕事に精を出してくれてどれ程助かったことだろう。
やり始めたら休むことを知らない。私も昼休みどころではなかった。
3時過ぎまでぶっ続けに働く。義父は昼食も食べていないのだ。
疲れはあったが心地よい疲れである。
夕食はすっかり手抜きでサニーマートで揚げ物を買って帰った。
作ったのは鰹のお刺身とレタスのオイスターソース炒めだけである。
6時過ぎに娘が帰って来て「ご覧の通りよ」と自慢すれば
「上等じゃん」と褒めてくれて「ご苦労さんやね」と言ってくれる。
それがとても嬉しかった。私はやれるだけのことをやったのだろう。
まだまだこれからが長いのだ。決して頑張り過ぎてはいけない。
この日記を書き終えると後は眠るだけだが
無事に朝を迎えられるかどうかは誰にも分からない。
連続ドラマのように「つづく」で終れたらどんなに良いだろうか。
雨上がりの爽やかな晴天のはずが午後から一気に曇る。
大気が不安定なのはやはり梅雨のせいなのだろう。
今朝は車のエンジンが掛からず焦る。
セルは回っていてもう少しで掛かりそうなのに駄目なのだ。
夫が何度か試してみてくれて何とか掛かりほっとした。
10年目で16万キロも走ったオンボロ車である。
おそらくバッテリーの寿命が近くなっているのだろう。
とにかく職場まで一気に走り切ることにした。
アイドルストップが作動しなくなっている。
職業柄それがバッテリーの寿命なのが分かった。
エコバッテリーは高価だが会社の修繕費で落とす。
それが金庫番の特権でもあった。おまけに専務なのである。
通勤距離が長いので車の不調は大きなストレスとなる。
お客様優先なので修理は後回しになるが
今日は特別に無理を言って同僚にバッテリーを交換してもらった。
同僚が「請求書を出すけんね」と言って大笑いになる。

「時の記念日」は息子の誕生日でなんとびっくり45歳になった。
生まれた時のこと幼い頃のことが走馬灯のように目に浮かんでくる。
私も初めての子育てに必死だったが息子のおかげで母になれた。
大人になってからの苦労は決して並大抵ではなく
二度の離婚を経験し今はシングルパパとして頑張っている。
心配は尽きないが余程困った時しか連絡を寄こさない。
私に似て神経質な性質で落ち込む時も多いのだが
便りの無いのは元気な証拠と信じて日々は流れるばかりだった。
電話をしても仕事中かも知れず短いメールを送ってみる。
そうしたら夕方になり返信がありとても嬉しくほっとした。
「変わりないかね?もう45になったがやけん身体に気をつけて
ぼちぼち頑張りよ」と母。
「ほ〜いほ〜い変わりないけんね」と息子。
短いやり取りであったがささやかに繋がってくれていた。
息子とはこれからも程よい距離を保ちたいと思っている。
仕事に家事に子育てにと苦労は続くだろうが
息子ならきっと乗り越えて行けるだろうと信じてやまない。
母はいつまでも母である。息子は幾つになってもこどもである。
九州南部の梅雨入りに続き四国地方も梅雨入りとなった。
いかにもそれらしく朝からずっと雨が降り続いている。
なんとなくしんみりとしてしまうのは雨のせいだろうか。
気力はあるようでなくまるで容器の底に沈んだように過ごしていた。
振れば混ざるだろう。分かっているけれど何も出来ない。
午前中は横殴りの雨。買い物に行っていたが雨に濡れてしまった。
杖と傘を両方持つのはけっこう大変である。
けれども車椅子の人も居るのだ。これ位のことで嘆いてはいけない。
サニーマートで新しい失禁パンツを買った。
手触りもよくゆったりしていて「速乾」と記してある。
ネットで3枚も買ってしまったことが未だに悔やまれてならない。
箪笥に仕舞ってあるが思い切って捨ててしまおうと思う。
そうすれば綺麗さっぱりと忘れてしまえるだろう。

娘は昨日から寛いでいて今朝も遅くまで寝ていたようだ。
洗濯物の乾燥が終っていたので取り出そうとしたら
洗面台で顔を洗っている娘と一緒になった。
もしかしたらと期待する。畳んでくれそうな気がしたのだった。
しかし娘は見て見ぬふりをするかのように立ち去ってしまう。
がっくりだったが「もう当てになんかするもんか」と思った。
洗濯物を畳みながら虚しさが込み上げて来る。
私は生きている限り洗濯物を畳み続けるのだろう。
畳むだけではない。毎朝干すのも私の役目であった。
決して嫌いな家事ではないが途方に暮れるような気持ちである。
夫が「そのうちあやが畳んでくれるようになるろう」と言ってくれたが
それはいったい何時のことだろう。今はとても考えられなかった。
午後はひたすらごろごろと寝てばかりだったが
日課の短歌だけは書き終える。これだけは気力があるようだ。
今朝の高知新聞にちらっと短歌が掲載されていて嬉しかった。
落選続きの時が多いがたまには「ご褒美」があるようだ。
ささやかなことでも励みになる。また頑張ろうと思う。
5時になり夕食の支度を始めた。
娘を当てにしないと決めたのでとても気が楽である。
もう肩を並べて料理をすることもないだろうとさえ思う。
そうしたら娘が二階から降りて来て黙って手を出し始めた。
私は無意識のうちにツンツン尖っていたのかもしれない。
元来卑屈な性格である。それは在り得ることだろう。
「もういい、全部自分でやる」と心の声が聞こえたような気がした。
まだまだこれから先が長いのだ。今から躓くわけにはいかない。
そのうち娘も仕事に慣れて家事も少しずつ出来るようになるだろう。
私はやはり「肝っ玉母さん」でいなければとつよく思った。
これを書いているうちに雨が止んだようだ。
風も出て来て雨雲が東に流れているのが分かる。
梅雨入りはしたが明日は晴れるとのこと嬉しくてならない。
思い煩うことなく淡々と過ごしたいものだ。
ぽつぽつと小雨だったが午後から激しく降る時間帯もあった。
九州南部が梅雨入りとのこと。四国も直ぐに後を追うだろう。
雨が止んだ頃玄関のチャイムが鳴り夫が応対に出てくれたが
なんと全身ずぶ濡れのお遍路さんが立っていたのだった。
荷物も濡れてしまったのだろう乾いたタオルを欲しがっており
娘と私が応対を代わりバスタオルとフェイスタオルをお接待した。
新品のタオルもあったがそれでは水気を吸い難いので
使い晒しの洗ったタオルの方が良さそうである。
訊けば雨具は一切持っていないとのこと。
なんだか無謀にも思えたが初めてのお遍路ではないのだそうだ。
23年ぶりだと言う。遠路はるばる茨城県から来たらしい。
目のくりくりっとした60代位の男性だった。
もう4時近かったので今夜の宿を心配すればお大師堂へ向かうと言う。
ほっとしたがお風呂に入ることも出来ないので憐れでならない。
民泊なら入浴はもちろんのこと温かい食事も食べられただろうに。
これまでも野宿だったのだろうか。そこまでは訊けなかった。
お遍路さんは皆それぞれに事情を抱えているのだと思う。
観光がてら優雅な旅をしている人もいれば
節約しながら切り詰めて旅をしている人もいるのだった。
今日のお遍路さんは間違いなく後者だと思われた。
これもささやかな一期一会なのだろう。我が家を選んでくれたのだ。
田舎とは云え密集した住宅地のことである。
Sさんならきっとお風呂のお接待をしたのに違いない。
そう思えば私は薄情だとも取れるだろう。どうかお許し願いたい。

娘はゆっくりと休めたようだ。今夜は夫婦で外食に出掛けている。
夫とめいちゃんは義妹宅にお呼ばれしご馳走になっているようだ。
義妹が「鶏飯」を持って来てくれた。これがとても美味しいのだった。
私とあやちゃんはそれで済ます。簡単で楽ちんな夕食であった。
朝のうちはカーブスへ行っていたが午後からは寝てばかり。
なんだか身体が怠けてしまってよけいに疲れを感じている。
気分転換がしたくてならないが何も思い当たることがなかった。
嬉しいことはなくてもいい。新鮮な何かに出会いたいものだ。
先日からこの日記の閲覧数が17人に落ち着いた。
それはとても喜ばしいことでほっと安堵している。
「ゆらゆら茶屋」の固定客に他ならない有難い存在なのだった。
だから決して不愉快な思いをさせてはいけないのだと思う。
かと云っていつもにこにこ笑顔でいられないのが申し訳ない。
浮き沈みの激しい性分である。その上に偏屈と来ているからしょうがない。
「三十四の瞳」に見守れられてこその私であった。
| 2024年06月07日(金) |
季節は何度でも巡ってくる |
晴れのちくもり。気温は27℃と高かったが爽やかな風が吹く。
まだ事務所の冷房も要らず自然の風がとても心地よかった。
くちなしの花が枯れ始めてなんとも切ない。
まるで純白の衣装に泥を塗られたように朽ちていく。
しっかりと最後まで見届けてやらねばならない。
決して目を反らしてはいけないのだと思う。
季節は何度でも巡ってくる。それは永遠の「いのち」なのだ。
花は枯れ朽ち果てても逞しく根を張っていることだろう。
そんなふうに生きられたらどんなに良いだろうか。

今朝はあたふた。食後にいつもの薬を服用しようとしたら
昨日整形外科でもらったはずの薬が何処にも見当たらないのだった。
昨夜確かに台所のワゴンの上に置いたことはしっかりと覚えている。
それがどうして忽然と消えてしまったのか狐につままれたようだった。
燃えるごみの日だったのであれこれと不要な物を袋に放り込んだが
おそらく薬の能書きと一緒に捨ててしまったのではないだろうか。
ごみはもう収集所に持ち込んでおりどうしようも出来なかった。
夫が病院で再処方してもらえば良いと言ってくれたのだが
内科の薬と違って飲まなくても身体に支障があるとは思えない。
骨粗しょう症の予防薬とカルシウムのようなものである。
3週間分なので少し気になったが今回はもう諦めることにした。
以前にも車のキーをごみ袋に入れて捨ててしまったことがある。
無意識とは云えそんな年頃になってしまったのだろう。
情けないが「笑い話」だと思えばもう過ぎたことである。

仕事はそこそこの忙しさだったが3時に退社。
同僚も通院があり一緒にタイムカードを押した。
義父は昨日トラクターがまた故障して困り果てていた。
いつもは部品を注文し自分で修理をするのだが今回は手に負えないらしい。
焦りもあるだろうがなんだか気が狂ったように嘆くばかりである。
新しいトラクターを買ってやりたいが会社も火の車であった。
「順調」は決して当たり前ではないことをつくづく感じる。
買い物をして4時に帰宅。今夜こそまともな夕食になりそうだ。
福岡産の剣先イカが半額だったので二杯買いお刺身にする。
娘婿は蛸は食べるがイカを好まずお刺身用の鰹を買って来ていた。
とにかく酒肴さえあれば後は何とかなる我が家であった。
「親子丼」「胡瓜とカニカマのサラダ」レトルトの「ミートボール」
娘が帰宅してから「枝豆ペペロンチーノ」を作ってくれた。
明日は休みなので気が楽だったのだろう。今日は昨日よりも元気だった。
夕食後あやちゃんの同級生達が5人も訪ねて来てくれる。
聞けば修学旅行から帰ったばかりなのだそうだ。
岡山のお土産をそれぞれが持って来てくれてなんと有難いこと。
それなのにあやちゃんは部屋から一歩も出て来なかったのだ。
照れくささもあれば気まずい気持ちもあったのだろう。
どうしてそれを責められようかと思った。
もう一年以上も学校に行っていないのにみんなが気にかけてくれている。
その優しさをあやちゃんはどんな気持ちで受け止めたのだろう。
トンネルの出口は見えているはずだが蹲っている姿が見えた。
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