ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月25日(土) 未来に向けて

爽やかな晴天。気温は夏日であったが風があり過ごし易かった。

全国的に気温が高いなか北海道では雪が降った処があるそうだ。

寒さには慣れているとはいえどんなにか戸惑ったことだろう。

日本は狭いようでいて広い。それぞれの土地で皆精一杯に生きている。



今日は小学校の運動会だった。

熱中症対策だろうか今年から5月に行われるようになったようだ。

開始時間も8時半と早く学校側も暑さに用心しているようである。


めいちゃんは準備係。いつもより早く元気に登校する。

開会式が終るとすぐに百メートル走があった。

めいちゃんの速いこと。我が孫ながら誇らしくてならない。

6年生の競技も多かったが当然のようにあやちゃんの姿はなかった。

寂しさはもちろんのことだったが少し胸が締め付けられる。

あやちゃんはどんな気持ちで留守番をしているのだろうと思う。

小学校最後の運動会であった。思い出にもならないことが切ない。


伝統競技の「一輪車パレード」これは見事であった。

皆の先頭を切ってめいちゃんがすいすいと走り抜けて行く。

練習中には何度も転んで擦り傷が絶えなかったが

本番では努力の成果を発揮出来たのだと思う。

きっと良い思い出になったことだろう。拍手喝采であった。


あやちゃんも4年生の時には一生懸命練習をしていた。

同級生たちは皆乗れるのにあやちゃんだけ乗れなかったのだ。

悔しさもあっただろう。情けない気持ちもあっただろう。

けれども本番ではちゃんと乗ることが出来たのだった。

それが自信に繋がると誰もが信じていた。

まさかそれが最後になるなんてどうして思えただろうか。


嘆こうと思えばいくらでも嘆くことは出来る。

けれども在りのままの現実から目を反らしてはいけない。

あやちゃんにだって未来があるのだ。

どんな環境であろうとどんな境遇であろうと

それはすべての子供に平等に訪れるものである。


この先大人になった時に後悔しない生き方をして欲しい。

自分で選んだ道なのだ。何があっても貫いて欲しいのだ。


「きっかけ」は必ずあるのだと信じて止まない。



2024年05月24日(金) 風だったのか海だったのか

曇り時々晴れ。午後には30℃となりすっかり夏の暑さだった。

気になっていた熱低は台風一号となりゆっくりと北上しているようだ。

梅雨前線を刺激して大雨にならないことをひたすら祈る。


山里の義父は田植え。第二弾か三弾か忘れてしまったが

あと一回で全ての田植えが終るのだそうだ。

そうこうしているうちに直ぐに稲刈りになるだろう。

稲作の苦労は並大抵ではなかった。


今回も義父の友人が三人も手伝いに来てくれていて

お昼のお弁当を田んぼまで届けるようにと申し付かっていた。

そのせいか朝からそわそわと落ち着かない。

不手際があってはいけないとそればかりを思う。


10時過ぎに近くの地場産店へ買い求めに行ったが

念のためにと思い先に電話をしてみて本当に良かった。

いつも義父を助けてくれている例の女性が準備してくれているとのこと。

それならそうとどうして早朝にでも知らせてくれなかったのだろう。

そう云えば以前にも同じことがあった。

あの時も義父は私に何も知らせてはくれなかったのだ。

少し寂しい気持ちになったが今回もお役御免である。

明日も田植えの予定だがもうお弁当の心配はしなくても良いだろう。


とにかく順調に田植えが終わって欲しい。

義父が落ち着けば会社の経営も軌道に乗るだろう。

月末に向けて助けて欲しいことがたくさんある。




特に急ぎの仕事もなかったので2時に退社。

同僚も早退して通院の予定だった。

職場はもぬけの殻になるが今に始まったことではない。

長閑な田舎のことである。来客があっても出直して来てくれるだろう。

サニーマートで買い物をし3時には帰宅していた。


SNSをチェックしていたらお昼に発信した短歌の評判が良く

「3首とも好きです」と言ってくれた方が二人もいて驚く。

こんなことはかつて一度も無かったことで正直言ってとても嬉しい。

自己満足ではなかったのだ。伝わる人にはちゃんと伝わる。

書いた甲斐があると云うもの。そうしてとても励みになった。


君の声忘れられずに夏が来る風だったのか海だったのか


道端の花にも宿るたましいが野を越えていく天を目指して


トンネルの出口に向かい歩く君その背にそっと天使の声を


やっとスランプを抜け出せたように思えた日。

詩も短歌も自分の為に書いてはいけない。

それはあくまでも誰かのこころに届けるもの。

それが言葉の役目なのではないだろうか。


道端の雑草のように石ころのように生きている。

踏まれても蹴られても書き続けられる私で在りたい。




2024年05月23日(木) 綺麗ごと

朝方まで小雨が降っていたが直ぐに止む。

そのまま陽射しはなく20℃程の気温で随分と涼しく感じた。

明日は晴れて30℃の予報である。寒暖差がとても激しい。

おまけに南海上の熱低が間もなく台風一号になるのだそうだ。

まだ5月なのに台風とは驚き戸惑うばかりである。



SNSのタイムラインに紫陽花の花が見られるようになった。

過去写真なのかもしれないがこちらはまだ色づいておらず

いったい何処に住んでいる方なのだろうと不思議でならない。

桜前線があるように紫陽花前線もあるはずであった。


そのSNSで今朝はいささかストレスを感じることがあり

ついくよくよと考え込んでしまった。

「思い煩うことなかれ」ではなかったのか。自分が情けない。


その方は毎朝声を掛けてくれていたので楽しみにしていたのだが

今朝はそれがぷっつりと途絶えてしまった。

その上に昨夜から「いいね」も全く見えなくなっていたのだった。

もしかしたら昨夜の私の発信が不愉快だったのかもしれない。

そう考えだしたらきりがなくどんどん卑屈になって行く。


たまたま多忙だったのかもしれないと思い直してみたが

その方の発信はいつも通りに発信され続けていた。

そのひとつに「綺麗ごとを並べるのなら実行するべし」とあり

誰かを批判するような言葉を見つけたのだった。

どうしてもさらりと読み流すことが出来ない。

あれこれと考える前に私のことに違いないと思うに至った。

昨夜の私の発信が正にそれだったからだ。


私ほど綺麗ごとを並べる人間もないだろう。

実行も出来ないくせに言葉を巧みに飾り立てようとしている。

正直どころか大嘘つきなのだ。その方はそれを見抜いたのだと思う。

ストレスと云うより大きな自己嫌悪に他ならなかった。

悲しくてやり切れない。今日ほど自分が情けなく思ったことはない。


だからどうするなのである。私は起き上がり小法師ではなかったか。

親友だったRに言わせれば「何処の馬の骨か分からない」のだ。

そんな馬の骨の云うことをいちいち気にしていたら果てが無い。


馬の骨はあまりにも酷過ぎるがそう思えば気が少し楽になる。

批判や攻撃はネットの世界では日常茶飯事なのだろう。

それをどう受け止めるかが肝心なことなのだと思う。


さらりさらりと水に流す。あっけらかんと受け止めることだ。

そうして私は私であることを貫かねばならない。

誰に何と言われようと自分の言葉に責任を持って書き続けて行く。


実行できない綺麗ごとであっても立ち向かうために生きているのだから。





2024年05月22日(水) 思い煩うことなかれ

雨が降りそうで降らず。蒸し暑さはなく過ごし易い一日。


道端の野薊がもう綿毛になっていてはっとする。

夏の間ずっと咲き続けるとばかり思い込んでいたのだ。

春から初夏の花なのだろう。とんだ勘違いであった。

けれどもたんぽぽの綿毛のように旅をするのに違いない。

それもすべていのちである。そうして辿り着いたところで根付く。

人間も綿毛のように生きられないものだろうか。

風に吹かれながら自由気ままに旅をしてみたいものである。



「思い煩うことなかれ」今朝はSNSでそう発信し

まるで自分の言葉に励まされるように過ごしていたのだが

どこでどう間違ったのか邪念のような思いに苛まれる。

いくら振り払っても気がつけばとんでもないことを考えているのだった。


仕事は好きなはずなのにゴールを思い浮かべていた。

縁起でもない話だがそれは義父の「死」しかないのである。

どんな死に方をするのだろうとそこまで考えてしまう。

事故死なら保険金が入るが病死なら何も入って来ないのだ。

会社の後始末はどうすれば良いのだろう。多額の借金もある。

それを全部私が背負わなければいけないのだった。

そこまで考えてしまうともう崖っぷちである。


なんと薄情で罪深いことか。義父に申し訳なく涙が出そうになった。

「思い煩うことなかれ」なのだ。何事もなるようにしかならない。

難破船のような会社であるが広い海を漂い続けているのだ。

もしかしたら何処かの島に辿り着くかもしれないではないか。

どうして悪い方へとばかり考えてしまうのだろう。

なんとも愚かな自分を殴りたくなった。

そうして義父の姿に手を合わすように謝り続けていた。





いつも通りに3時に退社。ラジオからは高田みづえの「私はピアノ」

口ずさみたくても思うように声が出ないのが情けない。

情けないことはいっぱいあるが数えてみてもどうしようもないのだ。

とにかくさらりさらりと水に流す。余計なことを考えてはいけない。


夕食時、めいちゃんが土曜日にある運動会の話をしていて

あやちゃんが不機嫌になるのではとはらはらしていたのだが

そのあやちゃんが「めいは赤組?白組?」と訊いたのでほっとする。

「赤ぐみ〜」めいちゃんが元気な声で応えるとあやちゃんが微笑む。


そんなものなのだ。みんなみんなあっけらかんと生きている。



2024年05月21日(火) 起き上がり小法師

雲が多かったが概ね晴れ。午前中からもう蒸し暑くてならない。

とうとう最高気温が30℃に達し今年初の真夏日となった。

沖縄、奄美地方は梅雨入りとのこと。四国も直ぐに後を追うだろう。


いま午後7時を過ぎたところ。外はまだ随分と明るい。

いつもなら涼風が吹き込んでくるのだが今日は無風状態である。

お風呂上がりの汗が引かず我慢出来なくなってしまって

押し入れから扇風機を引っ張り出して稼働させている。

まだ5月なのだ。この先いったいどれ程の暑さが襲って来るのだろう。



今朝も7時50分に家を出る。毎朝同じ時間に出るのは理由があって

商工会のS子ちゃんに会うためだった。白いプリウスである。

山里の商工会から黒潮町へ転勤になってからほぼ毎朝会えるのだった。

千切れんばかりに手を振ってくれてなんと嬉しいことだろう。

そうしてお互いが笑顔のままで出勤出来るのだから有難いことである。

2分でも家を出るのが遅くなってしまうと会えないのだった。

S子ちゃんが四万十大橋を渡り切ってしまうまでが勝負である。

なんだか恋をしているような気分で愉快にも思える朝の光景であった。



今日は高知市の整備振興会で理事会があり義父が出掛けて行った。

午後からの会なので帰りは早くても夕方になるだろう。

緊張感がすっかり薄れてしまって同僚と二人のんびりと仕事をする。


いつものことだが早弁をしようとカップ焼きそばにお湯を注いだ。

朝食が早いのでお腹が空いてもう我慢が出来ない。

とにかく3分待とうと耐えていたその時であった。

車検の予約をしてくれていたお客さんがやっと来てくれたのだった。

「おそようさん」とひょうきんな声で満面の笑顔である。

会うのは久しぶりだったのでそれからしばらく話し込んでしまう。

途中で「やばいな」と思いこっそりと焼きそばのお湯切りをしたのだが

そのまま一時間近くも箸を付けることが出来なかった。

お客さんを見送りやっと餌にありつける子豚の気持ちである。


焼きそばはうどんのようになっていた。一口食べてなんと不味いこと。

べちゃべちゃになっておりとても食べられるような代物ではない。

けれども空腹には耐えられず仕方なく掻き込むしかなかった。

それから胃がもたれムカムカと気分が悪かったのは言うまでもない。



義父が留守なのを幸いに一時間お昼休みを頂く。

意を決して同人誌へ送る短歌を16首選ぶことが出来た。

いちかばちかである。迷うことも一切せずにメール送信する。

これで肩の荷が下りた。もうストレスを感じることもないだろう。


その勢いで今日の短歌を三首書く。

昨日はあれほど辛かったのに今日は嘘のようにすんなりと書けた。

これでこそ私だと思う。何だってやれば出来るのだ。


「起き上がり小法師のように生きている試すなら今君のその手で」


ああこれは好いなと思う。我ながら素晴らしい短歌っであった。

誰も褒めてはくれないのでひたすら自分で褒めるしかない。

そうしないとどんどん落ち込んでしまう。起き上がれなくなるのだ。



またまた義父の留守を幸いに2時で退社する。

まっしぐらにサニーマートの店内にある美容院へと向かった。

ぼさぼさだった髪を短く切り白髪染めもしてもらう。

シャンプーのなんと気持ち良かったこと。

すっかり生まれ変わったような気分である。

夕食の買い物を済ませ車のバックミラーでうっとりと眺めた。

やはり私は起き上がったのだと思う。もう完璧なのに違いない。



長い人生である。この先どれほど転ぶことだろう。

悲観をし嘆き弱音を吐き続けたとしてもだ。

誰の助けも借りずに自分の力で起き上がって見せたい。

出来るか出来ないか。試されるために生きているのだと思う。










2024年05月20日(月) 父の遺言

二十四節気の「小満」あらゆる命が満ち満ちてくる頃。

全ての命が光り輝き一年で一番好い季節に思える。


雨上がりの爽やかな晴天であったが日中はかなり暑くなった。

最高気温が28℃。真夏日の一歩手前である。

太っているせいか汗が酷い。とても代謝が良いとは思えなかった。

これからの猛暑に果たして耐えられるのだろうかと不安になる。



7時50分に家を出て山里の職場には8時20分に着く。

義父が居てくれたのでほっとしたのもつかの間

仕事の頼みごとをしたら「まあ先に田んぼじゃ」と言って逃げられる。

朝から溜息はつきたくないがどうしてつかずにいられようか。

お昼前に帰って来てくれたがそれから車検完了の書類を作成していたので

お昼休みが取れなかった。まあこれは今に始まったことではないのだが。


困ったのは短歌を書く時間がないこと。その上にしんどくてならない。

富士薬品の「リッチミン」を飲んだら少しシャキッとして来た。

午後の仕事の合間に一首ずつ短歌を捻り出していたが

まるで便秘であるかのようにすんなりと出て来ない。

正直言って辛かった。どうしてこんな思いをしてまで短歌に拘るのか。

書けない日があっても良いではないかと思うのだが

そんな自分が許せない。なんとしても書きなさいと命じるばかり。


無理をして書いたところで誰が喜ぶだろう。

どうせろくなものなど書けやしないのだ。

たとえ反応があってもそれは決して評価ではない。

なんと愚かで馬鹿げているのだろうと思わずにはいられなかった。


3時の退社ぎりぎりになってやっと発信を済ませる。

自己満足どころか自己嫌悪そのものであった。

やはり今日は書くべきではなかったのだとつくづく思う。


短歌の話ばかりで申し訳ないがもう一つ困っていることがある。

参加している同人誌の締め切りが迫っており今回もまた

16首の短歌を選ばなくてはいけなかった。

2ヶ月分で183首あるがどれも駄作ばかりである。

自信作が全くないのにいったいどうすれば良いのだろうか。

「休みます」の一言が云えない。つゆほどの勇気もなかった。


帰り道で亡き父の言葉を思い出していた。

生前の父に会った最後の日のことである。

「短歌を忘れるな、ずっと書き続けんといかんぞ」

私はそれを父の遺言だと思って書き続けて来たのだった。


けれども失われていく感性はどうすることも出来ない。

父の声が聴きたい。私は慰めて欲しくてならないのだ。


「たまには休んだらええわ」きっとそう言ってくれるのに違いない。




2024年05月19日(日) どくだみの花

しとしとと雨の一日。気温は朝よりも低くなり肌寒さを感じた。

明日は晴れそうだがそろそろ梅雨入りも近いことだろう。

梅雨は無くてはならない季節なのだそうだ。

豪雨災害に繋がる場合もあるが何よりも飲み水である。

世界的に見ても日本ほど水に恵まれている国は無いと云う。



どくだみの花をあちらこちらで見かけるようになった。

けれども昔ほどではない。今は雑草扱いにされることが多い。

白い十字架のような可憐な花で私はとても好きである。


以前にSNSで熱湯を掛けて処分したと発信していた人がいたが

なんと惨いことをするのだろうと悲しかったことを憶えている。

「いいね」が沢山付いていた。どくだみに何の罪があるのだろう。

「私もやってみますね」とコメントしていた人もいて嘆かわしかった。


それがつい最近の事どくだみを刈って陰干しした人がいた。

昔は何処の家でもそうしていたが今は珍しい光景である。

その人はどくだみの効用についても発信しておりひたすら尊敬する。

貴重な存在であった。大げさかもしれないが神様のように思えたのだ。


私は45年前に妊娠4ヶ月で嫁いできたが

姑さんが身体に良いからと言って「どくだみ茶」を飲ませてくれた。

臭みは全くなく香ばしくとても美味しかったことを憶えている。

厳しかった姑さんにあまり良い思い出はないが

どくだみの花を見る度に姑さんのことを懐かしく思い出す。





雨で洗濯物も干せず朝からごろごろと寝てばかりだった。

例の「失禁パンツ」も一緒に乾燥機に入れてみる。

これで乾かなかったら捨ててしまおうと思っていたのだが

思いがけずに乾いており畳んで箪笥の奥に仕舞った。

もう履くことはないだろうが「もったいない」が先に立つ。


最低限の家事である。買物に行って昼食を済ますとまた寝ていた。

2時前に一度目を覚まし自室でパソコンに向かい短歌を書く。

今日も駄作であったがそれが精一杯であった。

自分に出来ることをと思う。上を目指すほどの才能はない。


夫が大相撲を観ていたので一緒に観戦するつもりがまた寝ていた。

「いい加減に起きないか」と夫の声で4時にやっと目を覚ます。

鼾をかいて寝ていたらしく夫はひたすら苦笑いである。


昼間それだけ寝たら夜は眠れないだろうと思いがちだが

私の場合はとことん熟睡するのである意味異常なのだろう。

寝ることと食べることだけが楽しみであると云っても過言ではない。


大相撲を観ながら夕食の支度。大の里が勝ったので嬉しかった。

娘が「一口カツ」を揚げてくれていたので私は「アスパラベーコン」と

「スンドゥブ」を作る。夫は「たこわさ」でもう晩酌を始めていた。


食べ終わると一服し食器を洗い終えるとお風呂である。

そうしてだいたい7時頃この日記を書き始めるのが日課であった。


毎日が淡々と過ぎて行く。その淡々が心地よくてならない。

特別な事など無くても良いのだ。平凡こそが幸せだと思う。


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