爽やかな青空だったが強風が吹き荒れ嵐のような一日だった。
栴檀の木が風に煽られ薄紫の花がまるで雪のように舞う。
夜明け前にはホトトギスが頻りに鳴いていた。
鳴くのは雄だと云うから求愛の合図かもしれない。
それにしてもまだ外は真っ暗闇である。
「眠らない鳥」なのだろうか。いったい何時眠るのだろう。
日本では「夏告鳥」と呼ばれている。確かな夏の訪れであった。
義父が高知市へ出張。早朝5時に出掛けたようだ。
田んぼに行って不在なのとは何となく違う。
工場の仕事も一段落しており同僚と二人のんびりと過ごす。
来客は一人だけ。電話も一切掛かって来ない。
夏告鳥どころか閑古鳥が鳴いているようだった。
お昼もゆっくりと休み午後からものんびりしていたら
突然義父が帰って来て慌てふためいてしまった。
用事が済み次第とんぼ返りをしたらしい。
おそらく昼食も食べてはいなかっただろう。
トラクターの部品が届いており目を輝かせていた。
直ぐに修理に取り掛かり明日はまた田んぼに行ってしまうだろう。
明日は車検の予約が入っておりまた頭を悩ますことになりそうだ。
じたばたしても始まらない。なるようにしかならないのだと思う。

リハビリの日だったので3時前に退社。
病院で息子の元お嫁さんのお母さんに会った。
元気そうに見えたが「変わりないかね?」と声を掛けたら
ふっと暗い表情になり言葉を濁らせたので気になってならない。
余計なことにも思えたが「一人で抱え込んだらいかんよ」と告げる。
決して縁が切れたのではないのだ。私の気持ちはずっと変わらない。
昨年の今頃はお嫁さんの入院で大変だったことを思い出す。
そうして息子が離婚を決意してから一年が経とうとしている。
リハビリはいつもの療法士さんだったが今日は施術が変わっていた。
左側の骨盤の辺りを重点的に揉み解してくれてなんとも心地よい。
痛いけれど気持ちが良いのだ。これは初めての経験だった。
普段は自覚症状が無いが骨盤もかなり弱っているのだろう。
歳を重ねるごとに身体のあちこちにガタが来るのは仕方あるまい。
リハビリに通っていなければと思うとなんだか怖ろしくなった。
来週も楽しみである。完治の見込みはないが確実に良くなっているようだ。
4時半に帰宅。珍しくあやちゃんが出迎えてくれて嬉しかった。
開口一番に「今夜は何?」である。「オクラの肉巻き」と応えると
「やったあ」と喜んでくれたので私は天にも昇る気持ちであった。
気のせいかもしれないが娘が一日中家に居るようになってから
あやちゃんがずいぶんと明るくなったような気がする。
もうお姉ちゃんだからと我慢することもない。
甘えたいだけ母親に甘えることが出来るのだ。
もしかしたらそれが一番に求めていたことなのかもしれないと思う。
まだまだゆっくりと少しずつではあるが前途に光が見えて来た。
誰も背中を押すことはしないが自ら歩み出しているように感じる。
この先どんな日もあるのだろう。辛い日もあるかもしれない。
それはあやちゃんに限らず皆に訪れる日々であった。
私はすくっと立っている。明日はあしたの風が吹くのだもの。
曇り日。風はあったが少し蒸し暑さを感じる。
土手や道端に野薊の花が見られるようになった。
葉も茎も棘だらけであるが花だけはやわらかい。
おそらく手折る人もいないだろう。
そうして自分の身を守り続けている。
秋になると花は綿毛になり自由自在に飛んでいくのだった。
実は私にも棘がある。目には見えないかもしれないが本当の事だ。
私だって身を守らねばならない。そうして自由でありたいと願う。

今朝は山里の職場に着くと義父の姿があった。
田起こしが一段落したのかと声を掛けたら
トラクターが故障してしまったのだそうだ。
一瞬ドキッとする。実は出勤前に母の遺影に手を合わせ
アクシデントがあっても良いから義父を引き留めて欲しいと願った。
その通りになったのだ。きっと母のおかげだろうと思う。
トラクターの修理をするにも今日は部品が手に入らないのだそうだ。
義父もすっかり諦めている様子で工場の仕事をする気になっていた。
なんとほっとしたことだろうか。内心ではしめしめと思う。
午前中からお昼過ぎまで車検完了の書類を作成する。
忙しかったが嬉しくてならない。肩の荷が下りたような気分だった。
私はこれでも専務であり段取り課長でもあるのだが
社長である義父が不在だと手も足も出せないのだ。
ここ数日は空回り状態ですっかり困り果てていた。
仕事は好きだが責任が重い。だからこそ遣り甲斐があるのだと思う。
そうして未だゴールが見えず走る続けるばかりであった。

3時に退社。その前に短歌を書き殴っていた。
お昼休みが取れなかったので仕方ないがやはり後ろめたさがある。
そんな気持ちで書いた短歌に満足出来るはずがなかった。
今日は休めば良かったのだ。発信してから後悔する。
「これだけは」と常に自分に課しているようだ。
「絶対に」となると自分を追い詰めてしまうのだろう。
もっと自由気ままになれないものかと不甲斐なさを感じる。
サニーマートで買い物をし4時過ぎに帰宅した。
嬉しいのは娘が洗濯物を畳んでくれていること。
新たな仕事が見つかればまた忙しくなるだろう。
今のところまだその予定はないらしく毎日寛いでいるようだ。
私もその時が来るまで甘え続けていたいと思っている。
夕飯は予定通りに「破竹の天ぷら」にした。
揚げながら娘と味見をしたら柔らかくなっておりとても美味しい。
大鍋一杯に煮込んでいたのを全部揚げたら大皿にてんこ盛りになった。
とにかくせっせと食べる。無駄にせずに済み何よりだった。
そろそろ8時半になろうとしている。
今日も燃え尽きたのか心地よい達成感しかなかった。
書くことから始まり書くことで終われるなんてなんと幸せなことか。
そのせいかある日突然書けなくなることが怖くてならない。
今日に栞を挟む。そうしてまた明日を開こう。
雲一つない晴天。湿度が低く風がとても爽やかだった。
「さつき晴れ」と云いたいところだが
それは元来梅雨の晴れ間の事を指すのだそうだ。
しかし最近では「ごがつ晴れ」とも云うようになって
テレビのアナウンサーでさえ使うようになった。
日本語の進化だろうか。良いのやら悪いのやら判断に難しい。
職場にお客さんが「破竹」をたくさん持って来てくれた。
今朝獲れだろうか。見た目はとても新鮮で皮も剥いでくれている。
茹でてくれていたらこの上なく有難いのだがそうも言えず
「大好きながよ」と満面の笑顔で頂戴した。
早目に帰って茹でなければと少しプレッシャーを感じる。
破竹は灰汁が少なく米ぬかを入れなくても良いのだそうだ。
「なんちゃあ、すぐに煮えるけん」とお客さんも言ってくれた。
その言葉を信じていつも通りに3時まで仕事をして帰宅する。
帰宅間際に義父が田んぼから帰って来たがまた直ぐに出掛けた。
仕事の報告や相談したい事があったのだが空振りである。
明日も田んぼだろうか。なんだかパニックになってしまいそうだ。
同僚は午後から通院で休み。幸い来客はなく助かったと云うべきか。
会社は自転車操業なのでペダルをこぎ続けていなければならない。
前途はそう明るくはないのだ。ついつい心細くなってしまう。
サニーマートで買い物をし4時に帰宅した。
破竹を数えたら15本もありとても食べ切れそうにない。
お向かいの奥さんに声を掛けたら喜んで貰ってくれて助かった。
早速大鍋に火を点けて破竹を茹でることかれこれ40分。
いつまで経っても箸が通らず堅いままであった。
もしかしたら朝獲れではなかったのかもしれない。
筍類は時間が経つほど堅くなると聞いたことがある。
お向かいの奥さんも困っているだろうなと思ったがもう仕方ない。
取り合えず味付けをして煮込んだがやはり堅くて食べられなかった。
ネットで検索したら新鮮な物なら10分茹でれば良いとある。
10分どころか40分だ。大好物の破竹なのに残念でならない。
娘の提案で明日天ぷらにしてみることになった。
何としても食べるぞと食い意地の張っている私なのである。
せっかく頂いた物をどうして無駄に出来ようか。
旬の物は美味しく頂く。破竹にだって命が宿っているのだもの。
夕暮れ間近、めいちゃんが騒いでいるので何事かと思えば
燕の巣から可愛らしい雛が顔を出していた。
先日残念ながら一羽が死んでしまったがもう大丈夫だろう。
今のところ三羽しか見えていないがもう一羽いるかもしれない。
まためいちゃんが見つけてくれるだろう。我が家の家族である。
この日記を書き始めたのは7時過ぎだったがもう8時を過ぎた。
日課ではあるがのめり込むように日々を綴っている。
書き終えると燃え尽きたようになる。そうして私の一日が終るのだ。
午後7時15分。西の空がまるで燃えているように紅い。
明日は晴れるのだろう。なんだか心がおひさま色に染まりそうだ。
午前中は残り雨。午後から少しずつ陽射しが降り注ぐ。
義父がまるで何かに取り憑かれたように田んぼへ走る。
とにかく引き留めてはいけない。黙って見送るしかなかった。
一度戻って来たので一段落したのかと思いきや
洗車機でトラクターを無我夢中になり洗い始めた。
恐る恐る声を掛けたら田螺が異常発生しており
次の田んぼに行けないのだそうだ。
トラクターにくっ付いている田螺を洗い落としてから
また他の田んぼで作業を続けるつもりらしかった。
そうしなければ全部の田んぼが田螺だらけになってしまうのだ。
「お腹空いたろ?お昼食べてから行ったや」と再び声を掛ける。
「おう、そうじゃな」と素直に聞き入れてくれてほっとした。
夢中になると食事もまともに摂らない。
それは今に始まったことではなくよく身体が持つものだと思う。
リポビタン一本でどうして農作業に精を出すことが出来るだろうか。
そんな心配は無用らしくあまり気遣うと機嫌を損ねてしまう。
見て見ぬふりをするべきなのだろう。それも精神的にきついものである。

同僚に留守番を任せて2時過ぎに退社。少し心苦しい。
アマゾンからメールが届いており今日荷物が届くとのこと。
自室の空気清浄機のフィルターであった。
夫が受け取ると「これは何だ?」となってしまうので
なるべく早く帰宅したかったのだが時すでに遅しとなってしまった。
案の定「ネットであれこれ買うなと言うたろうが」とお小言である。
「これは必要な物やけん」と仕方なく空気清浄機の事を話す。
てっきり喫煙がバレると思っていたのだが深く追求されなかった。
それにしてもなんと後ろめたいことだろう。
愛する夫に隠し事をするなんてもってのほかである。
自室でこそこそとフィルターを交換したが
赤い警告灯が点いたまま消えない。焦ってメーカーに問い合わせたら
リセットボタンを押さなければいけないのだそうだ。
窓からが西日が射し込み汗がだらだらと流れていた。
それから夫のご機嫌取りも兼ねて一緒に大相撲を観る。
あの力士はあの力士の弟だとか訊きもしないのに教えてくれた。
「へえ〜そうながや」そこで私は感嘆の声を上げなければいけない。
夫は上機嫌であった。もう空気清浄機の事など忘れたのに違いない。
夕食は夫の大好きな「オムライス」だった。
機嫌は増々良くなりお代わりをするほどである。
しめしめと私はほくそ笑んでいた。ちょろいもんだなと愉快でならない。
しかし今は違う。もしかしたら夫は何もかもお見通しなのではないか。
知っていても責めようとはしないそれが夫の優しさなのだと思う。
朝のうちは小雨だったが次第に本降りの雨となる。
空の気分をそのままにしんみりと過ごしていた。
気分転換をしたくてならず夫に外食を願い出たが敢え無く却下。
その理由が私の咳だと云うから唖然とするばかり。
確かに所かまわず咳き込むことが多いので反論は出来なかった。
「そのうち治るだろう」と言ってくれたが今は到底無理な話である。
夫は昨年私が禁煙に成功したとすっかり信じているようだ。
だからしつこい咳の原因が煙草だとは思ってもいないのだった。
困ったことになったとすっかり途方に暮れるばかりである。
やはり再び禁煙を志すべきだろうか。酷く追い詰められたような気分だ。

私があまり好きではない「母の日」が今年も来てしまった。
それは少女の頃からの辛い記憶しかなかったのだ。
どれほど母を恨んだことだろう。愛しさは少しもなかった。
まして母に感謝するなどもっての外に思える。
二十歳で母と再会したがもう子供の頃の母ではなかった。
その現実に苛まれながら歳月を乗り越えて来たのだろう。
私はいったい母に何を求めていたのか今もって分からずにいる。
長い闘病生活の果て母は昨年秋に黄泉の国へと旅立ったが
私はあくまでも薄情な娘を貫き涙を流すこともなかった。
悲しくなどなかったのだ。むしろほっとしていたのかもしれない。
最後の最期まで母を赦すことが出来なかったのだろう。
母はそんな私の気持ちを知っていたのだと思う。
義父一人だけに看取られ安らかに息を引き取ったのだった。
18歳の若さで私を産んだ母だった。
初めての子育てでどんなにか戸惑ったことだろう。
それが母の青春だったのかと思うと憐れにも思えて来る。
お腹が空けば泣いただろう。おむつが濡れたら泣いただろう。
母の乳房の温もりさえ知らずにすくすくと育って来たのか。
幼い頃の記憶は殆ど無い。抱かれたことさえ憶えていないのだ。
真実はひとつだけである。母が私を産んでくれたことだ。
母が存在しなければ今の私は存在しない。
そう思うと私の人生は母からの贈り物だったのだろう。
波乱万丈な人生であったがその試練も母が与えてくれたことだ。
辛い思いをしてこその幸せなのだと思う。
涙を流してこその笑顔なのだと思う。
そうして母あってこその私がこうして生きている。
晴れのち曇り。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。
明日は雨らしく夕方には黒い雲に覆われてしまう。
数日前に燕の雛が孵化したようだったが
今日はそのうちの一羽が巣の下に落ちていた。
まだ生まれたばかりで自力で巣から這い出したとは思えない。
他の鳥の仕業かもしれないが以前にもよくあったことで
親鳥が間引きをしたのではないかと思われる。
厳しい子育てで強く逞しく育つ見込みのない子は捨てられてしまうのだ。
残酷なようにも思えるがそれが自然界を生きる燕の掟であろう。
めいちゃんが見つけて夫が直ぐに巣に戻してみたが駄目だった。
しばらくするとまた落ちている。もう諦めた方が良さそうだ。
人間の手が触れてしまうと燕はよけいに嫌うらしい。
それは承知であったがどうして見捨てることが出来ようか。
とうとう亡骸となってしまった雛はまだ温もりがあった。
それが「いのち」でなくて何だろうと思う。

内科の通院日だったので7時半に家を出る。
予約制では無いので一刻も早く順番を取らねばならなかった。
それでも15番でかなり待たなければいけないようだ。
今日は特に混雑しており2時間待ちでやっと名前を呼ばれた。
O先生の優しい笑顔。それだけで待った甲斐がある。
家ではずっと高かった血圧も正常値になっていた。
こればかりは不思議でならない。他の医師では高くなるのだ。
声はまだ少し嗄れているが会話が出来るので良しとする。
しつこい咳の原因はやはり喫煙としか考えられないそうだ。
それは自分でもよく承知しておりもう自業自得でしかなかった。
咳止めの薬を服用するよりも禁煙を目指すべきだろう。
「駄目だ出来ない」ではなく心掛けることが大切だと言われた。
再び禁煙外来に通ってみるのも得策であろう。
いつもの薬を処方してもらって近くの薬局へ行く。
血圧の薬、更年期障害の薬、抗不安薬、抗鬱薬、精神安定剤など。
60日分なので薬代は7千円を超えていた。
薬漬けの日々ではあるがおかげで元気にいられるのだろう。
薬局を出るともう11時前になっておりカーブスを諦める。
先週も休みだったので身体を動かしたい気持ちもあったが
それよりもお腹が空いて早く昼食を食べたかった。
ほか弁を買って帰る。もちろん大好きな「鶏そば」である。
午後は例の如くで2時までお昼寝。目覚めのなんと気怠いこと。
それでも気を取り直して短歌を三首書き終えた。
反応はいつもと変わらない。足るを知るべきだとひたすら思う。
夕飯は夫と二人レトルトカレーで済ませた。
娘達は庭でBBQである。もちろんお誘いはない。
焼き鳥だろうか、いい匂いが家の中まで漂って来ていた。
「これでいいよね」と夫と顔を見合わせ頷き合う。
娘達にとっては何よりも楽しい家族団らんであった。
気分がいい日もあれば酷く落ち込む日もある。
今日はきっと「いい日」だったのだろう。
欲を云えばきりがないのだ。足るを知るは最上の富である。
若葉寒が続いており今朝も全国的に冷え込んだようだ。
けれども日中は大幅に気温が上昇し夏日が続出したらしい。
高知県西部も夏日に近くすっかり初夏の陽気となった。
この時期道路沿いや田んぼの畦道などに黄色い花をよく見かける。
コスモスに似て可愛らしい花だが特定外来生物に指定されていて
駆除対象の花となっておりなんとも憐れでならない。
名を「大金鶏菊」(オオキンケイギク)と云いキク科の植物だそうだ。
繁殖力がとても強く日本の生態系に悪影響を与えるらしい。
花には全く罪はないが「厄介者」になってしまっている。
日本に運ばれてさえ来なければとその運命を嘆かずにいられない。
それはいつ頃のことだろう。子供の頃には見かけなかった花だ。

もう金曜日なのかと思うほど今週は少し物足らなかったが
いつも通りに三時に退社。ラジオを聴きながら家路を急ぐ。
昨日のような気忙しさはなくゆっくりと買い物が出来た。
四時過ぎから夫と一緒にまた時代劇を見ようと茶の間へ行く。
そうしたら「三匹が斬る」は昨日が最終回だったそうだ。
で、「松平なんとか」だが「松平右近の事件帳」であった。
どうやら将軍家斉の実弟が主人公らしい。
主役の里見浩太朗の若いこと。水戸黄門とは大違いである。
「三匹が斬る」と同じような展開で最後に悪人を成敗するのだが
峰打ちではなく確かに斬り殺しているのが見て取れる。
夫に訊いたらそうするために将軍から刀を授かっているのだそうだ。
そうか、そうなのか。また毎日大勢の人が死ぬのだろう。
見終わってからググってみたらなんと42年も昔の時代劇だった。
里見浩太朗は45歳。どうりで若いはずである。
それにしてもテレビは凄い。一気に昔にタイムスリップするのだ。
明後日からは大相撲が始まるのでしばらくは夢中になることだろう。
大勢の人が死んでも見なければ何も知らずに済むことになる。
夫婦とは不思議なもので必ずどちらかの影響を受けやすい。
私の場合は自分はさて置き夫の好みに合わせているようだ。
その方が仲睦まじく会話も弾むような気がする。
それに男と云う者はそれが嬉しくてならないようだ。
私が興味を示してあれこれ質問すると喜んで教えてくれるのだった。
その分私は自分の殻に閉じ籠ることが多い。
一人になるとすっかり自分の世界を愉しんでいるふしがある。
詩や短歌もそうだし何よりもこの日記がそうだろう。
夫は全く興味がないのでこれ幸いと思っているようだ。
感心を持たれたら大いに困る。それが本音である。
夫はいつも俺よりも長生きしろよと言ってくれているが
もし私が先に死んでしまったらいったいどうなるのだろう。
ネット上にばらまかれたモノを見ることがあるのだろうか。
それは嫌だなと思う。出来れば一生知らずにいて欲しいものだ。
私は生きている限り自分の世界を守りたい。
もし踏み込まれたら死んだ方がましだと思っている。
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