ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月11日(土) 足るを知るべき

晴れのち曇り。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

明日は雨らしく夕方には黒い雲に覆われてしまう。


数日前に燕の雛が孵化したようだったが

今日はそのうちの一羽が巣の下に落ちていた。

まだ生まれたばかりで自力で巣から這い出したとは思えない。

他の鳥の仕業かもしれないが以前にもよくあったことで

親鳥が間引きをしたのではないかと思われる。

厳しい子育てで強く逞しく育つ見込みのない子は捨てられてしまうのだ。

残酷なようにも思えるがそれが自然界を生きる燕の掟であろう。


めいちゃんが見つけて夫が直ぐに巣に戻してみたが駄目だった。

しばらくするとまた落ちている。もう諦めた方が良さそうだ。

人間の手が触れてしまうと燕はよけいに嫌うらしい。

それは承知であったがどうして見捨てることが出来ようか。


とうとう亡骸となってしまった雛はまだ温もりがあった。

それが「いのち」でなくて何だろうと思う。





内科の通院日だったので7時半に家を出る。

予約制では無いので一刻も早く順番を取らねばならなかった。

それでも15番でかなり待たなければいけないようだ。

今日は特に混雑しており2時間待ちでやっと名前を呼ばれた。


O先生の優しい笑顔。それだけで待った甲斐がある。

家ではずっと高かった血圧も正常値になっていた。

こればかりは不思議でならない。他の医師では高くなるのだ。


声はまだ少し嗄れているが会話が出来るので良しとする。

しつこい咳の原因はやはり喫煙としか考えられないそうだ。

それは自分でもよく承知しておりもう自業自得でしかなかった。

咳止めの薬を服用するよりも禁煙を目指すべきだろう。

「駄目だ出来ない」ではなく心掛けることが大切だと言われた。

再び禁煙外来に通ってみるのも得策であろう。


いつもの薬を処方してもらって近くの薬局へ行く。

血圧の薬、更年期障害の薬、抗不安薬、抗鬱薬、精神安定剤など。

60日分なので薬代は7千円を超えていた。

薬漬けの日々ではあるがおかげで元気にいられるのだろう。


薬局を出るともう11時前になっておりカーブスを諦める。

先週も休みだったので身体を動かしたい気持ちもあったが

それよりもお腹が空いて早く昼食を食べたかった。

ほか弁を買って帰る。もちろん大好きな「鶏そば」である。


午後は例の如くで2時までお昼寝。目覚めのなんと気怠いこと。

それでも気を取り直して短歌を三首書き終えた。

反応はいつもと変わらない。足るを知るべきだとひたすら思う。



夕飯は夫と二人レトルトカレーで済ませた。

娘達は庭でBBQである。もちろんお誘いはない。

焼き鳥だろうか、いい匂いが家の中まで漂って来ていた。

「これでいいよね」と夫と顔を見合わせ頷き合う。

娘達にとっては何よりも楽しい家族団らんであった。



気分がいい日もあれば酷く落ち込む日もある。

今日はきっと「いい日」だったのだろう。

欲を云えばきりがないのだ。足るを知るは最上の富である。



2024年05月10日(金) 自分の世界

若葉寒が続いており今朝も全国的に冷え込んだようだ。

けれども日中は大幅に気温が上昇し夏日が続出したらしい。

高知県西部も夏日に近くすっかり初夏の陽気となった。


この時期道路沿いや田んぼの畦道などに黄色い花をよく見かける。

コスモスに似て可愛らしい花だが特定外来生物に指定されていて

駆除対象の花となっておりなんとも憐れでならない。

名を「大金鶏菊」(オオキンケイギク)と云いキク科の植物だそうだ。

繁殖力がとても強く日本の生態系に悪影響を与えるらしい。

花には全く罪はないが「厄介者」になってしまっている。

日本に運ばれてさえ来なければとその運命を嘆かずにいられない。

それはいつ頃のことだろう。子供の頃には見かけなかった花だ。




もう金曜日なのかと思うほど今週は少し物足らなかったが

いつも通りに三時に退社。ラジオを聴きながら家路を急ぐ。

昨日のような気忙しさはなくゆっくりと買い物が出来た。


四時過ぎから夫と一緒にまた時代劇を見ようと茶の間へ行く。

そうしたら「三匹が斬る」は昨日が最終回だったそうだ。

で、「松平なんとか」だが「松平右近の事件帳」であった。

どうやら将軍家斉の実弟が主人公らしい。

主役の里見浩太朗の若いこと。水戸黄門とは大違いである。

「三匹が斬る」と同じような展開で最後に悪人を成敗するのだが

峰打ちではなく確かに斬り殺しているのが見て取れる。

夫に訊いたらそうするために将軍から刀を授かっているのだそうだ。

そうか、そうなのか。また毎日大勢の人が死ぬのだろう。


見終わってからググってみたらなんと42年も昔の時代劇だった。

里見浩太朗は45歳。どうりで若いはずである。

それにしてもテレビは凄い。一気に昔にタイムスリップするのだ。


明後日からは大相撲が始まるのでしばらくは夢中になることだろう。

大勢の人が死んでも見なければ何も知らずに済むことになる。


夫婦とは不思議なもので必ずどちらかの影響を受けやすい。

私の場合は自分はさて置き夫の好みに合わせているようだ。

その方が仲睦まじく会話も弾むような気がする。

それに男と云う者はそれが嬉しくてならないようだ。

私が興味を示してあれこれ質問すると喜んで教えてくれるのだった。


その分私は自分の殻に閉じ籠ることが多い。

一人になるとすっかり自分の世界を愉しんでいるふしがある。

詩や短歌もそうだし何よりもこの日記がそうだろう。

夫は全く興味がないのでこれ幸いと思っているようだ。

感心を持たれたら大いに困る。それが本音である。


夫はいつも俺よりも長生きしろよと言ってくれているが

もし私が先に死んでしまったらいったいどうなるのだろう。

ネット上にばらまかれたモノを見ることがあるのだろうか。

それは嫌だなと思う。出来れば一生知らずにいて欲しいものだ。


私は生きている限り自分の世界を守りたい。

もし踏み込まれたら死んだ方がましだと思っている。



2024年05月09日(木) 優しいのど飴

今朝は5月とは思えない程の冷え込みとなる。

全国的に冷え込んだようで北海道では氷点下の処があったようだ。

日中は23℃まで気温が上がり過ごし易い一日となる。

それにしても寒暖差が激しく体調管理が大変であった。


今思えば真冬の寒さをよく乗り越えたものだと思う。

暖冬とは云え雪の日もあり厳しい寒さだった。

入浴中に死ぬのではないかと怖くてならなかったお風呂も

案ずるより産むが易しだったのかいつの間にか乗り越えている。

生命力と云えば大げさだが寒さに負けなかったのだろう。

これからは真夏の暑さとの闘いである。気を強く持たねばならない。




週一のリハビリを楽しみに3時前に退社した。

予約時間よりも早く着き過ぎたが直ぐに名前を呼ばれる。

マッサージは意識が遠のくほどに心地よい。

うっとりと目を閉じると窓からそよ風が吹き込んでくる。

女性の療法士さんは無口だがその分施術に集中しているのだろう。

今日も完璧であった。痛みは楽になり杖を付かなくても歩ける。


医師の診察がある日だったので廊下の長椅子に腰掛け待っていた。

いつもは30分も待てば名前を呼ばれるのに今日の遅いこと。

途中で突然咳き込み始めて焦った。例のしつこい咳である。

周りの人達に迷惑をかけてしまうので困り果てていたら

隣に座っていた70歳位の男性が「これを舐めてみいや」と言って

のど飴を手渡してくれてなんと嬉しかったことだろう。

おかげで咳は直ぐに治まり気分も楽になった。

その男性もよく咳が出るので常にのど飴を持ち歩いているそうだ。


一時間待ちやっと名前を呼ばれる。その男性の次だった。

膝にヒアルロン酸注射をするのだそうだ。「めっそに痛いぞ」と言う。

毎週木曜日に来ているらしく「また会おうな」と別れる。

私ものど飴のお礼をしっかりと言えて良かった。


薬局で骨粗しょう症の薬を受け取ったらもう5時を過ぎていた。

娘と相談のうえ今夜は夫と二人分の夕食で良かったので助かる。

ビールを切らしていたので大急ぎでサニーマートへ行く。

お総菜売り場で鶏南蛮とサラダの盛り合わせを買った。

それから鮮魚売り場で鰹のタタキを一人前だけ買う。


帰宅したら夫は入浴中だった。ぎりぎり晩酌に間に合いそうだ。

なんと忙しない一日だったことか。取り合えず自室で一服する。

夕食後にやっとSNSをチェックすることが出来た。

気になっていたのは今日の短歌である。

お昼休みに書くことが出来ず帰宅寸前に書いたものだった。

それもぎりぎりでなんとか間に合ったシロモノである。

当然ながら駄作であるが自分ではまずまずと思っていた。

私の自惚れはとてつもなく大きいのが自慢でもある。


反応は決して評価ではない。「見ましたよ」の「いいね」が多い。

たまに短歌を志している人からあるととてもほっとするのだった。

最善なのは反応を気にしないことだ。分かっていても気になってしまう。

いい歳をした婆さんなのに子供みたいなところがある。

「ねえねえ、これ書いたよ見て」「あらまあ上手に書けたわね」


世間はそうそう甘くはないが私はまるで蜜蜂のように飛び交っている。

一度甘い蜜を吸ってしまうと他の蜜では満足出来なくなるのだ。


もっともっと苦い思いをしなければならない。

それが一番自分の為になるだろう。



2024年05月08日(水) 大切なこと

晴れたり曇ったり。気温はあまり上がらず過ごし易い一日。

爽やかな風が吹き抜けていく。周りの山が動いているように見えた。

職場に居ながら森林浴をしているようである。



始業前には看板猫のみい太を囲んで雑談をするのが習いだが

どうやら妻猫が子猫を産んでいるらしかった。

黒い野良猫でいつもお腹を空かせているのが見て取れる。

可哀想でならないが絶対に餌をあげてはいけないと義父のお達しだった。

みい太も野良猫だったのになんと恵まれた待遇なのだろう。

義父曰く「差別ではない区別だ」いくらみい太の妻猫であってもだ。


子猫は同じ敷地内の鉄工所に居るようだ。まだ姿は見せないが

鳴き声が聞こえているらしい。鉄工所のK君が言っていた。

私は見たくてならないのだが見れば情が湧くだろう。

K君も見ないようにしているらしい。皆気持ちは同じである。


気になってならないのは子猫たちの授乳であった。

痩せ細った母猫から果たしてお乳が出るのだろうか。

子猫たちが死んでしまうのではないかと思わずにいられない。


誰からも餌を与えられず自然界で逞しく生きている猫は多い。

何処だったか野良猫ばかりの島もあるそうだ。

人間と一緒に共存しているのだろう。それは平和にである。

母猫もそうであって欲しいと願わずにいられない。





仕事は決算月なので伝票入力が主だった。

経理の仕事はまとめてすることが多く振替伝票が半年分ほどある。

一気に入力すると肩が凝るので今日は2ヶ月分で終えた。


3時に退社。FMラジオは母の日特集で母に因んだ歌ばかり流れる。

それも昔の歌が多く島倉千代子の「東京だよおっかさん」とか。

昭和32年の歌らしいが私でも知っているので有名な歌なのだろう。


今日も手抜きは出来ずサニーマートであれこれ買って帰る。

帰宅して2階に上がろうとしていたら階下に居たあやちゃんが

「邪魔だから早くして」と言う。私が駆け上がれるはずなどない。

階段の隅に身体を押し付けるようにして「お先にどうぞ」と言ったら

ぷんぷんと怒ったような顔をして階段を駆け上がって行った。


「どうしてそんなにおばあちゃんをいじめるの」つい声を荒げる。

怒ってなどいなかった。悲しくてやりきれなかったのだ。


傷つけてはいけないとどれほど気を遣っていることだろう。

あやちゃんには何も伝わっていないのかもしれない。

たとえ家族でも思い遣ることの大切さを学んで欲しいものだ。


求め過ぎてはいけないが願うことは出来る。

それは祈りにも通じる大切なことではないだろうか。






2024年05月07日(火) 明日も書かせて下さい

雨上がりの爽やかな風。なんと清々しい朝だったことか。

5時前にはもう夜が明け始める。ずいぶんと早くなったものだ。


昨日までとは打って変わって晴れやかな気分だった。

わくわくしながらそわそわする。まるでスタートラインに立ったよう。

走ることなど出来ないのに今にも走り出してしまいそうだった。


する仕事があるのは本当に有難いことである。

いつからこんな仕事人間になってしまったのだろう。

決して生真面目ではない。活力が有り余っているわけでもない。

ただ日常の規則正しい生活が心地よくてならないのだと思う。

逆に云えば不規則が苦手である。どうでも良いような感覚が。

そのくせ休日は堕落しまくっているのでこれは大きな矛盾であろう。




山里は一面の新緑である。そうして田んぼの稲のなんと可愛らしいこと。

数日見ない間にすくすくと伸びて一斉に風に揺れている。

あと三ヶ月もすればもう稲刈りである。その生育の早さに驚く。

人間と同じように病気にもなり水害で全滅することもある。

それを思えばなんと健気な「いのち」であろうか。

その「いのち」を人間が有難く頂いているのだった。


義父は連休の間に田起こしを全て終わらせたようで上機嫌である。

田植えはまだまだ続く。次は飼料米で最後に自家用米であった。

自家用米には我が家の分も含まれており随分と助かっている。

義父の作ったお米はとても美味しく市販のお米とは比べ物にならない。


工場の仕事は連休前の残り仕事がやっと片付く。

宿毛市まで義父が納車に行ってくれてとても助かった。

明日からの予約も入っておりまた忙しくなりそうだ。

同僚には苦労を掛けるが私は忙しいのが大好きである。


3時に退社。昨夜のこともありあれこれと買い物をした。

とにかくあやちゃんの好きな物を作らなくてはいけない。

気に入ってくれるだろうか。笑顔で食べてくれるだろうか。

今朝はもしかしたら登校するかなと思っていたがやっぱり駄目だった。



5時までまた夫と一緒に「三匹が斬る」を見る。

まだアイドルだった頃の柏原芳恵が出ていてびっくりした。

歌はもちろん上手いが演技も上手だったので意外に思う。

そう云えばレギュラーに長山洋子も出ているのだった。

とにかく30年以上も昔のドラマなので見応えはある。

しかし今日もたくさんの人が死んでしまった。



これを書き始めたのは7時だったがもう9時が近くなっている。

作家ではないので執筆とは言えないが「書く作業」に等しい。

日々が自己満足に過ぎないが私にとっては生きがいのようなこと。

明日も書かせて下さいとノートパソコンに手を合わせてから眠る。






2024年05月06日(月) お咎めなし

午後7時。外はまだ薄明るく雨に煙る川向の山が見えている。

真っ直ぐな雨だ。正直で規則正しい雨だ。


近所の県道沿いに大きな枇杷の木があり実が鈴なりになった。

ひたすら雨に濡れているのを見るとなんだか切ない。

収穫はしないのだろうか。このまま朽ちてしまうのだろうか。

昔は子供のおやつになったが今の子供は喜ばないだろう。

実の割に種が大きい。種の無い枇杷など聞いたことがなかった。



GW最終日。静かな雨音を聴きながら気怠く過ごす。

鬱ではないと思うのだが明るい気分にはなれなかった。

深い谷底に居るようである。空を見上げることもせず

ひたすら地面に爪を立てているようだった。

気分転換も出来ない。自分が自分で無いようで落ち着かない。

起きていると煙草ばかり吸ってしまうので苛立ちが募る。



朝のうちにサニーマートへ行ったが満車状態であった。

開店と同時に来ればよかったと悔やまれたが

仕方なく入口近くの駐車区域ではない場所に車を停める。

咎められたらその時のこと。傘を差し杖を付くのがやっとであった。


お昼はお好み焼きにした。夫がホットプレートを準備してくれる。

見た目は美味しそうだったがなんとなく粉っぽい。

どうやらうっかりしていて卵を入れ忘れていたようだ。

「まあええじゃないか」と夫が言ってくれてほっとする。


午後は茶の間で横になり夫と録画番組を見ていた。

いつものことだが夫優先でまずは「鬼平犯科帳」である。

途中から眠ってしまって目が覚めたら「松平なんとか」だった。

松平健ではない。夫が教えてくれたが今はもう忘れてしまった。

またうとうとと眠ってしまい3時前にやっと目覚める。


よろよろと二階の自室に行き短歌を三首書く。

今日は我ながら上出来だと思ったのだが単なる自惚れだろう。

それでいいのだと開き直る。自分が好きだと思えるのが一番だ。

ぽつぽつと「いいね」を頂く。本当に有難く感謝しかない。



それから乾燥機から大量の洗濯物を引っ張り出した。

私が休みだと娘は一切ノータッチなのだ。

平日は頼りっぱなしなので畳むのは私の役目である。

あやちゃんと娘のTシャツの区別がつかない。

もう着る物はすっかり大人サイズになった。


5時までまだ時間があったのでまた茶の間で横になる。

今度は「三匹が斬る」今日もたくさん死ぬのだろう。

何しろ正義の味方なのだ。悪者は成敗しなければならない。


ふと「暴れん坊将軍」の話になり吉宗も悪者を殺すのかと夫に訊いた。

そうしたら夫が「あれは峰内だ」と教えてくれてほっとする。

いくら将軍吉宗でも悪者を斬り殺すわけにはいかないだろう。

でも「三匹が斬る」は違う。確かに人の血が流れているのだった。

だからと云って殺人罪で奉行所に引っ張られることはない。

「お咎めなしなのさ」と夫が笑いながら教えてくれた。

夫と一緒に時代劇を見ているとけっこう勉強になって面白いものだ。



夕飯は我が家の定番「天下茶屋」であったが

あやちゃんが気に入らない様子でしばらく食べようとしなかった。

娘が宥めてくれてなんとか「もやし」だけは食べてくれる。

「あやちゃんありがとうね」と声を掛けたらにこっと微笑んでくれた。


気分が沈んでいる時は些細なことで泣きそうになるが

それはあやちゃんも同じなのだろうと思った。

みんなみんな自分の機嫌を取るのに精一杯である。



雨はまだ降り続いているが明日は青空に会えそうだ。

















2024年05月05日(日) 夏が立った日

曇り日。湿度の割に爽やかな風が吹く。

土地の言葉では「沖の風」と云う。海からの南風のことである。


「立夏」暦の上では今日から初夏となった。

梅雨も近くなるがなんと心地よい響きであろうか。

夏が立つのである。すくっと前を向いて立つのである。

私は春を見送りに別れ道まで行かねばならない。



夫が「宇和島方面へ行ってみるか」と言ってくれたのだが

娘達があやちゃんを残して高知市内へと出掛けて行ったので中止する。

いくらもう12歳でも独りで留守番をさせるわけにはいかない。

先日の地震から度々余震がありもしものことを考えずにいられなかった。


結局退屈を持て余すことになったがそれなりに過ごす。

以前なら読書三昧だったが今はそれすら出来なくなった。

気分が散漫とし煙草ばかり吸ってしまうのだった。

集中力は全く無いに等しく落ち着くことが出来ない。


早目に昼食を済ませ横になればすぐに眠くなってしまう。

3時間ほど眠っただろうか。目覚めたら2時を過ぎていた。

洗濯物を確かめに外に出るとなんとか乾いていてほっとする。

今にも雨が降り出しそうな濃い灰色の空だった。


お昼寝をすると寝起きの気だるさは半端ない。

アイスコーヒーを飲みつつ立て続けに煙草に火を点ける。

そんな自分に嫌気が差してくるがどうしようも出来なかった。


やっと頭が冴えて来て短歌を三首書くことが出来る。

いつまで経ってもそれは自己満足に過ぎなかった。

私が発信してから10分もしないうちに俵万智さんが発信していた。

「こどもの日」の短歌である。一首だけ好きだなと思う短歌があった。

反響が凄い。どんどん「いいね」が増えて行くのだ。

知名度と実力である。当然のことながら私とは雲泥の差であった。

比べること自体が愚かではあるが私は口惜しくてならない。

そうして自信を失くし自滅の道へと進んで行くのだった。

けれども書くことを諦めてはいない。私は私の短歌を書くしかない。

そうでなければ生きていた証を残すことが出来ないのだ。





あやちゃんが朝からカップうどんしか食べていなかったので

空腹ではないかと気になり声を掛けたらとても機嫌が悪かった。

干渉と老婆心の区別がつかない。そっとしておくべきだったのだ。

まだ子供だけれど「こども」ではないのだと思う。

そうして「こどもの日」が何事も無かったように暮れて行く。



先日から寝る前にSNSでこの日記のことに触れているが

そんな姑息なことは今後一切やめようと思っている。

以前にもここに書いたことがあるが「一見さんお断り」を貫きたい。

長いことこの日記を読んで下さっている方には理解して頂けるはずである。

決して興味本位で読むような日記ではないと思っている。

包み隠さず真実を書き続けられるのは読者を信頼しているからこそだ。

22年も書き続けて来られたのはその方達のおかげだと思っている。


日記を公開する以上覚悟が必要なのは当然の事だろう。

その覚悟の上で今夜もありのままの一日を記した。


雨の匂いがし始めた立夏の夜のこと。








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