今朝は5月とは思えない程の冷え込みとなる。
全国的に冷え込んだようで北海道では氷点下の処があったようだ。
日中は23℃まで気温が上がり過ごし易い一日となる。
それにしても寒暖差が激しく体調管理が大変であった。
今思えば真冬の寒さをよく乗り越えたものだと思う。
暖冬とは云え雪の日もあり厳しい寒さだった。
入浴中に死ぬのではないかと怖くてならなかったお風呂も
案ずるより産むが易しだったのかいつの間にか乗り越えている。
生命力と云えば大げさだが寒さに負けなかったのだろう。
これからは真夏の暑さとの闘いである。気を強く持たねばならない。

週一のリハビリを楽しみに3時前に退社した。
予約時間よりも早く着き過ぎたが直ぐに名前を呼ばれる。
マッサージは意識が遠のくほどに心地よい。
うっとりと目を閉じると窓からそよ風が吹き込んでくる。
女性の療法士さんは無口だがその分施術に集中しているのだろう。
今日も完璧であった。痛みは楽になり杖を付かなくても歩ける。
医師の診察がある日だったので廊下の長椅子に腰掛け待っていた。
いつもは30分も待てば名前を呼ばれるのに今日の遅いこと。
途中で突然咳き込み始めて焦った。例のしつこい咳である。
周りの人達に迷惑をかけてしまうので困り果てていたら
隣に座っていた70歳位の男性が「これを舐めてみいや」と言って
のど飴を手渡してくれてなんと嬉しかったことだろう。
おかげで咳は直ぐに治まり気分も楽になった。
その男性もよく咳が出るので常にのど飴を持ち歩いているそうだ。
一時間待ちやっと名前を呼ばれる。その男性の次だった。
膝にヒアルロン酸注射をするのだそうだ。「めっそに痛いぞ」と言う。
毎週木曜日に来ているらしく「また会おうな」と別れる。
私ものど飴のお礼をしっかりと言えて良かった。
薬局で骨粗しょう症の薬を受け取ったらもう5時を過ぎていた。
娘と相談のうえ今夜は夫と二人分の夕食で良かったので助かる。
ビールを切らしていたので大急ぎでサニーマートへ行く。
お総菜売り場で鶏南蛮とサラダの盛り合わせを買った。
それから鮮魚売り場で鰹のタタキを一人前だけ買う。
帰宅したら夫は入浴中だった。ぎりぎり晩酌に間に合いそうだ。
なんと忙しない一日だったことか。取り合えず自室で一服する。
夕食後にやっとSNSをチェックすることが出来た。
気になっていたのは今日の短歌である。
お昼休みに書くことが出来ず帰宅寸前に書いたものだった。
それもぎりぎりでなんとか間に合ったシロモノである。
当然ながら駄作であるが自分ではまずまずと思っていた。
私の自惚れはとてつもなく大きいのが自慢でもある。
反応は決して評価ではない。「見ましたよ」の「いいね」が多い。
たまに短歌を志している人からあるととてもほっとするのだった。
最善なのは反応を気にしないことだ。分かっていても気になってしまう。
いい歳をした婆さんなのに子供みたいなところがある。
「ねえねえ、これ書いたよ見て」「あらまあ上手に書けたわね」
世間はそうそう甘くはないが私はまるで蜜蜂のように飛び交っている。
一度甘い蜜を吸ってしまうと他の蜜では満足出来なくなるのだ。
もっともっと苦い思いをしなければならない。
それが一番自分の為になるだろう。
晴れたり曇ったり。気温はあまり上がらず過ごし易い一日。
爽やかな風が吹き抜けていく。周りの山が動いているように見えた。
職場に居ながら森林浴をしているようである。
始業前には看板猫のみい太を囲んで雑談をするのが習いだが
どうやら妻猫が子猫を産んでいるらしかった。
黒い野良猫でいつもお腹を空かせているのが見て取れる。
可哀想でならないが絶対に餌をあげてはいけないと義父のお達しだった。
みい太も野良猫だったのになんと恵まれた待遇なのだろう。
義父曰く「差別ではない区別だ」いくらみい太の妻猫であってもだ。
子猫は同じ敷地内の鉄工所に居るようだ。まだ姿は見せないが
鳴き声が聞こえているらしい。鉄工所のK君が言っていた。
私は見たくてならないのだが見れば情が湧くだろう。
K君も見ないようにしているらしい。皆気持ちは同じである。
気になってならないのは子猫たちの授乳であった。
痩せ細った母猫から果たしてお乳が出るのだろうか。
子猫たちが死んでしまうのではないかと思わずにいられない。
誰からも餌を与えられず自然界で逞しく生きている猫は多い。
何処だったか野良猫ばかりの島もあるそうだ。
人間と一緒に共存しているのだろう。それは平和にである。
母猫もそうであって欲しいと願わずにいられない。

仕事は決算月なので伝票入力が主だった。
経理の仕事はまとめてすることが多く振替伝票が半年分ほどある。
一気に入力すると肩が凝るので今日は2ヶ月分で終えた。
3時に退社。FMラジオは母の日特集で母に因んだ歌ばかり流れる。
それも昔の歌が多く島倉千代子の「東京だよおっかさん」とか。
昭和32年の歌らしいが私でも知っているので有名な歌なのだろう。
今日も手抜きは出来ずサニーマートであれこれ買って帰る。
帰宅して2階に上がろうとしていたら階下に居たあやちゃんが
「邪魔だから早くして」と言う。私が駆け上がれるはずなどない。
階段の隅に身体を押し付けるようにして「お先にどうぞ」と言ったら
ぷんぷんと怒ったような顔をして階段を駆け上がって行った。
「どうしてそんなにおばあちゃんをいじめるの」つい声を荒げる。
怒ってなどいなかった。悲しくてやりきれなかったのだ。
傷つけてはいけないとどれほど気を遣っていることだろう。
あやちゃんには何も伝わっていないのかもしれない。
たとえ家族でも思い遣ることの大切さを学んで欲しいものだ。
求め過ぎてはいけないが願うことは出来る。
それは祈りにも通じる大切なことではないだろうか。
| 2024年05月07日(火) |
明日も書かせて下さい |
雨上がりの爽やかな風。なんと清々しい朝だったことか。
5時前にはもう夜が明け始める。ずいぶんと早くなったものだ。
昨日までとは打って変わって晴れやかな気分だった。
わくわくしながらそわそわする。まるでスタートラインに立ったよう。
走ることなど出来ないのに今にも走り出してしまいそうだった。
する仕事があるのは本当に有難いことである。
いつからこんな仕事人間になってしまったのだろう。
決して生真面目ではない。活力が有り余っているわけでもない。
ただ日常の規則正しい生活が心地よくてならないのだと思う。
逆に云えば不規則が苦手である。どうでも良いような感覚が。
そのくせ休日は堕落しまくっているのでこれは大きな矛盾であろう。

山里は一面の新緑である。そうして田んぼの稲のなんと可愛らしいこと。
数日見ない間にすくすくと伸びて一斉に風に揺れている。
あと三ヶ月もすればもう稲刈りである。その生育の早さに驚く。
人間と同じように病気にもなり水害で全滅することもある。
それを思えばなんと健気な「いのち」であろうか。
その「いのち」を人間が有難く頂いているのだった。
義父は連休の間に田起こしを全て終わらせたようで上機嫌である。
田植えはまだまだ続く。次は飼料米で最後に自家用米であった。
自家用米には我が家の分も含まれており随分と助かっている。
義父の作ったお米はとても美味しく市販のお米とは比べ物にならない。
工場の仕事は連休前の残り仕事がやっと片付く。
宿毛市まで義父が納車に行ってくれてとても助かった。
明日からの予約も入っておりまた忙しくなりそうだ。
同僚には苦労を掛けるが私は忙しいのが大好きである。
3時に退社。昨夜のこともありあれこれと買い物をした。
とにかくあやちゃんの好きな物を作らなくてはいけない。
気に入ってくれるだろうか。笑顔で食べてくれるだろうか。
今朝はもしかしたら登校するかなと思っていたがやっぱり駄目だった。
5時までまた夫と一緒に「三匹が斬る」を見る。
まだアイドルだった頃の柏原芳恵が出ていてびっくりした。
歌はもちろん上手いが演技も上手だったので意外に思う。
そう云えばレギュラーに長山洋子も出ているのだった。
とにかく30年以上も昔のドラマなので見応えはある。
しかし今日もたくさんの人が死んでしまった。
これを書き始めたのは7時だったがもう9時が近くなっている。
作家ではないので執筆とは言えないが「書く作業」に等しい。
日々が自己満足に過ぎないが私にとっては生きがいのようなこと。
明日も書かせて下さいとノートパソコンに手を合わせてから眠る。
午後7時。外はまだ薄明るく雨に煙る川向の山が見えている。
真っ直ぐな雨だ。正直で規則正しい雨だ。
近所の県道沿いに大きな枇杷の木があり実が鈴なりになった。
ひたすら雨に濡れているのを見るとなんだか切ない。
収穫はしないのだろうか。このまま朽ちてしまうのだろうか。
昔は子供のおやつになったが今の子供は喜ばないだろう。
実の割に種が大きい。種の無い枇杷など聞いたことがなかった。
GW最終日。静かな雨音を聴きながら気怠く過ごす。
鬱ではないと思うのだが明るい気分にはなれなかった。
深い谷底に居るようである。空を見上げることもせず
ひたすら地面に爪を立てているようだった。
気分転換も出来ない。自分が自分で無いようで落ち着かない。
起きていると煙草ばかり吸ってしまうので苛立ちが募る。
朝のうちにサニーマートへ行ったが満車状態であった。
開店と同時に来ればよかったと悔やまれたが
仕方なく入口近くの駐車区域ではない場所に車を停める。
咎められたらその時のこと。傘を差し杖を付くのがやっとであった。
お昼はお好み焼きにした。夫がホットプレートを準備してくれる。
見た目は美味しそうだったがなんとなく粉っぽい。
どうやらうっかりしていて卵を入れ忘れていたようだ。
「まあええじゃないか」と夫が言ってくれてほっとする。
午後は茶の間で横になり夫と録画番組を見ていた。
いつものことだが夫優先でまずは「鬼平犯科帳」である。
途中から眠ってしまって目が覚めたら「松平なんとか」だった。
松平健ではない。夫が教えてくれたが今はもう忘れてしまった。
またうとうとと眠ってしまい3時前にやっと目覚める。
よろよろと二階の自室に行き短歌を三首書く。
今日は我ながら上出来だと思ったのだが単なる自惚れだろう。
それでいいのだと開き直る。自分が好きだと思えるのが一番だ。
ぽつぽつと「いいね」を頂く。本当に有難く感謝しかない。
それから乾燥機から大量の洗濯物を引っ張り出した。
私が休みだと娘は一切ノータッチなのだ。
平日は頼りっぱなしなので畳むのは私の役目である。
あやちゃんと娘のTシャツの区別がつかない。
もう着る物はすっかり大人サイズになった。
5時までまだ時間があったのでまた茶の間で横になる。
今度は「三匹が斬る」今日もたくさん死ぬのだろう。
何しろ正義の味方なのだ。悪者は成敗しなければならない。
ふと「暴れん坊将軍」の話になり吉宗も悪者を殺すのかと夫に訊いた。
そうしたら夫が「あれは峰内だ」と教えてくれてほっとする。
いくら将軍吉宗でも悪者を斬り殺すわけにはいかないだろう。
でも「三匹が斬る」は違う。確かに人の血が流れているのだった。
だからと云って殺人罪で奉行所に引っ張られることはない。
「お咎めなしなのさ」と夫が笑いながら教えてくれた。
夫と一緒に時代劇を見ているとけっこう勉強になって面白いものだ。
夕飯は我が家の定番「天下茶屋」であったが
あやちゃんが気に入らない様子でしばらく食べようとしなかった。
娘が宥めてくれてなんとか「もやし」だけは食べてくれる。
「あやちゃんありがとうね」と声を掛けたらにこっと微笑んでくれた。
気分が沈んでいる時は些細なことで泣きそうになるが
それはあやちゃんも同じなのだろうと思った。
みんなみんな自分の機嫌を取るのに精一杯である。
雨はまだ降り続いているが明日は青空に会えそうだ。
曇り日。湿度の割に爽やかな風が吹く。
土地の言葉では「沖の風」と云う。海からの南風のことである。
「立夏」暦の上では今日から初夏となった。
梅雨も近くなるがなんと心地よい響きであろうか。
夏が立つのである。すくっと前を向いて立つのである。
私は春を見送りに別れ道まで行かねばならない。
夫が「宇和島方面へ行ってみるか」と言ってくれたのだが
娘達があやちゃんを残して高知市内へと出掛けて行ったので中止する。
いくらもう12歳でも独りで留守番をさせるわけにはいかない。
先日の地震から度々余震がありもしものことを考えずにいられなかった。
結局退屈を持て余すことになったがそれなりに過ごす。
以前なら読書三昧だったが今はそれすら出来なくなった。
気分が散漫とし煙草ばかり吸ってしまうのだった。
集中力は全く無いに等しく落ち着くことが出来ない。
早目に昼食を済ませ横になればすぐに眠くなってしまう。
3時間ほど眠っただろうか。目覚めたら2時を過ぎていた。
洗濯物を確かめに外に出るとなんとか乾いていてほっとする。
今にも雨が降り出しそうな濃い灰色の空だった。
お昼寝をすると寝起きの気だるさは半端ない。
アイスコーヒーを飲みつつ立て続けに煙草に火を点ける。
そんな自分に嫌気が差してくるがどうしようも出来なかった。
やっと頭が冴えて来て短歌を三首書くことが出来る。
いつまで経ってもそれは自己満足に過ぎなかった。
私が発信してから10分もしないうちに俵万智さんが発信していた。
「こどもの日」の短歌である。一首だけ好きだなと思う短歌があった。
反響が凄い。どんどん「いいね」が増えて行くのだ。
知名度と実力である。当然のことながら私とは雲泥の差であった。
比べること自体が愚かではあるが私は口惜しくてならない。
そうして自信を失くし自滅の道へと進んで行くのだった。
けれども書くことを諦めてはいない。私は私の短歌を書くしかない。
そうでなければ生きていた証を残すことが出来ないのだ。

あやちゃんが朝からカップうどんしか食べていなかったので
空腹ではないかと気になり声を掛けたらとても機嫌が悪かった。
干渉と老婆心の区別がつかない。そっとしておくべきだったのだ。
まだ子供だけれど「こども」ではないのだと思う。
そうして「こどもの日」が何事も無かったように暮れて行く。
先日から寝る前にSNSでこの日記のことに触れているが
そんな姑息なことは今後一切やめようと思っている。
以前にもここに書いたことがあるが「一見さんお断り」を貫きたい。
長いことこの日記を読んで下さっている方には理解して頂けるはずである。
決して興味本位で読むような日記ではないと思っている。
包み隠さず真実を書き続けられるのは読者を信頼しているからこそだ。
22年も書き続けて来られたのはその方達のおかげだと思っている。
日記を公開する以上覚悟が必要なのは当然の事だろう。
その覚悟の上で今夜もありのままの一日を記した。
雨の匂いがし始めた立夏の夜のこと。
爽やかな晴天。午後には入道雲が現れまるで夏のようだった。
明日は立夏である。季節はもう初夏と云って良いだろう。
昨日植えた花たちのなんと可愛らしいことか。
今朝は水遣りをしながら「よしよし」と声を掛けていた。
「みどりの日」それは緑に限らずすべての植物を指すようだ。
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心を育む日である。
見渡す限りのみどりだった。なんと清々しいことだろうか。

先日から届いていた階段の手摺を夫が取り付けてくれることになった。
面倒くさがりではあるがよく思い立ってくれたと嬉しく思う。
しかしそれが思うようにはいかなかった。
階段の壁が板張りではなく石膏ボードのため補強が必要とのこと。
ホームセンターへ行って合板を買って来なくてはいけないのだ。
夫は直ぐに買いに行く気になっていたが娘がストップを掛ける。
GWで混雑が予想されるため日を変えた方が良いと云うのだ。
娘も今日は出掛ける予定があり手伝えないらしく
夫も一人では心細かったのだろう即延期が決定する。
意気投合するところは流石に親子だなと可笑しかった。
午前中にシーツを洗い久しぶりに敷布団を干す。
私は布団を抱えることが出来ず夫が手伝ってくれて助かる。
たっぷりの陽射しであった。わくわくしながら干した布団を見ていた。
今夜はおひさまの匂いがする布団で眠れるのだと嬉しくてならない。
午後は3時前まで寝ていたが「そろそろ入れないとな」と
夫が取り入れてくれて大助かりである。布団はふかふかになっていた。
掛け布団のシーツや枕カバーも洗っていたので少し忙しくなる。
やっとベットに設えるとまたすぐに眠りたくなってしまった。

夕方までにと短歌を三首書き終え暇つぶしに昨年の5月の日記を読む。
自分で云うのも何だが私の日記は大いに暇つぶしになるようだ。
そこには禁煙を決意しダイエットに励む私がいた。
今の私とはまったくの別人のように思える。
意志よりも「医師」だと禁煙外来にも通い始めていた。
おそらく必死の思いだったのだろう。文面からそれが伝わってくる。
「変わりたい」と記してあったがその時の気持ちは何処に行ったのか。
変わるどころか元の木阿弥となりなんと情けないことだろう。
いつの間にか開き直ってしまったのだ。もう我慢はしないと決めている。
それが堕落でなくて何だろう。そうして今はその堕落を愉しんでいるのだ。
リバウンドは半端ではなかった。煙草の量は増え体重は一気に増えた。
一年前の自分を遠い目で見ている。もう戻れないとさえ思える。
生きてさえいればと覚悟を決めたのかもしれなかった。
どうなっても良いとは思っていないがなるようしかならないのだろう。
意外だったのは5月3日の日記だった。
あやちゃんの11歳の誕生日なのに一切そのことに触れていない。
おそらく複雑な事情があり書くことを躊躇ってしまったのだろう。
ほんの一年前のことなのにその時の心境が思い出せないのだった。
「どん底」ならそう記すべきだったのだ。真実を書くべきである。
けれどもそうすることであやちゃんを傷つけてしまうことも在り得る。
触れたら壊れてしまいそうな硝子細工のようだったのだ。
日々こうして書き綴りながら歳月は流れて行くのだろう。
いや流れるのではない。積み重ねて行くのだと思う。
同じ日は二度とないのだ。だからこそ真実を書き残したいものだ。
| 2024年05月03日(金) |
夢で終わらせてはいけない |
今日も晴れたり曇ったり。夏日にはならず過ごし易い一日だった。
燕が卵を温め始める。無事に雛が生まれることを願って止まない。
巣がまた少し壊れ掛かっているのが気になっている。
いったい何者が悪さをしているのだろうか。
午後、重い腰を上げやっと花を植えることが出来た。
ガザニアとペチュニア。買ってから6日もそのままにしてあった。
娘がそのうち植えてくれるだろうと思っていたが甘かったようだ。
今日も断られもう自分でやるしかないと腹をくくる。
プランターを抱えることは出来ない。
一度座り込めば立つこともままならかった。
それでもやってみるものでなんとか植えることが出来たのだった。
花のある暮らしは良いものだ。惚れ惚れとした気持ちで眺める。
後は枯らさないように毎日見守るだけである。

あやちゃん12歳の誕生日。朝から笑顔で居てくれてなんと嬉しい。
12年前の日記を読み返しながら感慨深い一日となる。
あやちゃんに読ませてやりたかったがさすがにそれは出来なかった。
そこには初孫の誕生に心浮き立つ私の姿があった。
生まれたばかりのあやちゃんが愛しくてならない。
沐浴をしている写真もあり懐かしくて涙が出そうになった。
書き残して置いて良かったと思う。永遠にとはいかなくても
せめてあと8年。あやちゃんが二十歳になるまでは残して置きたい。
ある日突然に消滅することだけは勘弁して欲しいと願っている。
午後、あやちゃんのクラスメイトが5人も遊びに来てくれた。
それはとても思いがけなくどんなにか嬉しかったことだろう。
最初は照れくさそうにしていたがすぐに打ち解け一緒に遊び始めた。
皆でじゃんけんをし堤防で鬼ごっごをしていたようだ。
私はまるで夢を見ているような気がした。
そうしてそれを夢で終わらせてはいけないと強く思ったのだ。
きっかけさえあればきっと明るい光が射し込んで来るだろう。
一歩踏み出す大きな勇気が芽生えたのではないだろうか。
このままではいけない。変わらなければいけない。
そう強制することは決して出来ないけれど
悩み葛藤し続けて来たこの一年は無駄ではなかったと思う。
自分が選んだことを貫く大きな成長ではなかっただろうか。
生まれて来てくれてありがとう。
これからもずっとおばあちゃんはあやちゃんの味方です。
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