爽やかな晴天。午後には入道雲が現れまるで夏のようだった。
明日は立夏である。季節はもう初夏と云って良いだろう。
昨日植えた花たちのなんと可愛らしいことか。
今朝は水遣りをしながら「よしよし」と声を掛けていた。
「みどりの日」それは緑に限らずすべての植物を指すようだ。
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心を育む日である。
見渡す限りのみどりだった。なんと清々しいことだろうか。

先日から届いていた階段の手摺を夫が取り付けてくれることになった。
面倒くさがりではあるがよく思い立ってくれたと嬉しく思う。
しかしそれが思うようにはいかなかった。
階段の壁が板張りではなく石膏ボードのため補強が必要とのこと。
ホームセンターへ行って合板を買って来なくてはいけないのだ。
夫は直ぐに買いに行く気になっていたが娘がストップを掛ける。
GWで混雑が予想されるため日を変えた方が良いと云うのだ。
娘も今日は出掛ける予定があり手伝えないらしく
夫も一人では心細かったのだろう即延期が決定する。
意気投合するところは流石に親子だなと可笑しかった。
午前中にシーツを洗い久しぶりに敷布団を干す。
私は布団を抱えることが出来ず夫が手伝ってくれて助かる。
たっぷりの陽射しであった。わくわくしながら干した布団を見ていた。
今夜はおひさまの匂いがする布団で眠れるのだと嬉しくてならない。
午後は3時前まで寝ていたが「そろそろ入れないとな」と
夫が取り入れてくれて大助かりである。布団はふかふかになっていた。
掛け布団のシーツや枕カバーも洗っていたので少し忙しくなる。
やっとベットに設えるとまたすぐに眠りたくなってしまった。

夕方までにと短歌を三首書き終え暇つぶしに昨年の5月の日記を読む。
自分で云うのも何だが私の日記は大いに暇つぶしになるようだ。
そこには禁煙を決意しダイエットに励む私がいた。
今の私とはまったくの別人のように思える。
意志よりも「医師」だと禁煙外来にも通い始めていた。
おそらく必死の思いだったのだろう。文面からそれが伝わってくる。
「変わりたい」と記してあったがその時の気持ちは何処に行ったのか。
変わるどころか元の木阿弥となりなんと情けないことだろう。
いつの間にか開き直ってしまったのだ。もう我慢はしないと決めている。
それが堕落でなくて何だろう。そうして今はその堕落を愉しんでいるのだ。
リバウンドは半端ではなかった。煙草の量は増え体重は一気に増えた。
一年前の自分を遠い目で見ている。もう戻れないとさえ思える。
生きてさえいればと覚悟を決めたのかもしれなかった。
どうなっても良いとは思っていないがなるようしかならないのだろう。
意外だったのは5月3日の日記だった。
あやちゃんの11歳の誕生日なのに一切そのことに触れていない。
おそらく複雑な事情があり書くことを躊躇ってしまったのだろう。
ほんの一年前のことなのにその時の心境が思い出せないのだった。
「どん底」ならそう記すべきだったのだ。真実を書くべきである。
けれどもそうすることであやちゃんを傷つけてしまうことも在り得る。
触れたら壊れてしまいそうな硝子細工のようだったのだ。
日々こうして書き綴りながら歳月は流れて行くのだろう。
いや流れるのではない。積み重ねて行くのだと思う。
同じ日は二度とないのだ。だからこそ真実を書き残したいものだ。
| 2024年05月03日(金) |
夢で終わらせてはいけない |
今日も晴れたり曇ったり。夏日にはならず過ごし易い一日だった。
燕が卵を温め始める。無事に雛が生まれることを願って止まない。
巣がまた少し壊れ掛かっているのが気になっている。
いったい何者が悪さをしているのだろうか。
午後、重い腰を上げやっと花を植えることが出来た。
ガザニアとペチュニア。買ってから6日もそのままにしてあった。
娘がそのうち植えてくれるだろうと思っていたが甘かったようだ。
今日も断られもう自分でやるしかないと腹をくくる。
プランターを抱えることは出来ない。
一度座り込めば立つこともままならかった。
それでもやってみるものでなんとか植えることが出来たのだった。
花のある暮らしは良いものだ。惚れ惚れとした気持ちで眺める。
後は枯らさないように毎日見守るだけである。

あやちゃん12歳の誕生日。朝から笑顔で居てくれてなんと嬉しい。
12年前の日記を読み返しながら感慨深い一日となる。
あやちゃんに読ませてやりたかったがさすがにそれは出来なかった。
そこには初孫の誕生に心浮き立つ私の姿があった。
生まれたばかりのあやちゃんが愛しくてならない。
沐浴をしている写真もあり懐かしくて涙が出そうになった。
書き残して置いて良かったと思う。永遠にとはいかなくても
せめてあと8年。あやちゃんが二十歳になるまでは残して置きたい。
ある日突然に消滅することだけは勘弁して欲しいと願っている。
午後、あやちゃんのクラスメイトが5人も遊びに来てくれた。
それはとても思いがけなくどんなにか嬉しかったことだろう。
最初は照れくさそうにしていたがすぐに打ち解け一緒に遊び始めた。
皆でじゃんけんをし堤防で鬼ごっごをしていたようだ。
私はまるで夢を見ているような気がした。
そうしてそれを夢で終わらせてはいけないと強く思ったのだ。
きっかけさえあればきっと明るい光が射し込んで来るだろう。
一歩踏み出す大きな勇気が芽生えたのではないだろうか。
このままではいけない。変わらなければいけない。
そう強制することは決して出来ないけれど
悩み葛藤し続けて来たこの一年は無駄ではなかったと思う。
自分が選んだことを貫く大きな成長ではなかっただろうか。
生まれて来てくれてありがとう。
これからもずっとおばあちゃんはあやちゃんの味方です。
晴れたり曇ったり。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。
さすが風薫る五月である。なんとも清々しいものだ。
今朝は10匹ほどのカメムシ。おそらく昨日の生き残りだろう。
殺虫剤で殺めることも出来たが敢えてそうしなかった。
義父は昨夜早めに事務所の電灯を消し門燈も点けなかったそうだ。
しばらく油断は出来ないがもう昨日のようなことは無いと思われる。
カメムシ情報があり一昨日近所で大木を伐採したのだそうだ。
その時に大量のカメムシが見つかったらしい。
突然居場所を失ったカメムシが一斉に飛んで来たのだと思う。
カメムシにも蜂のように巣があるかは定かではないが
その大木が棲み処だったのは間違いないようだ。
カメムシにとってはこの上ない災難だったことだろう。
例え害虫であってもいのち在るものには違いない。
彼らも生きるために必死なのだった。

週一のリハビリのため今日も3時前に退社する。
明日からGW後半であるが工場の仕事は完了出来ないままとなる。
もう部品が手に入らないのだ。仕方なく諦めるしかなかった。
大手は10日間も休業である。なんと贅沢なことだろう。
いつもの整形外科に着き受付で何気なく診察券を見たら
初心がちょうど2年前の5月2日であった。
もう2年と思うよりまだ2年なのかと思う。
ずいぶんと前から足の痛みがあったような気がしたのだ。
今はもう痛みも薄れて苦痛を感じることも少なくなったが
痛み止めが効かず毎日が辛かったことを一気に思い出す。
杖を付くようになったのはいつからだったのだろう。
それもずいぶんと前からのように思えてならなかった。
帰宅して2年前の日記を読み返していた。
その日は祭日振替で仕事は休みだったようだ。
意を決して整形外科を受診したことが記されていた。
「持病が増えた」とかなりショックだった様子である。
足を痛めたきっかけは何だったのだろう。
5月の日記には何も記されておらず4月の日記も読み返した。
それは海苔養殖場の撤収作業である。よほど無理をしたのだろう。
40年以上も続けて来た家業でもう慣れているはずであった。
それを歳のせいにするのも情けないことだが現実は厳しかったのか。
川の中を歩き回りおそらく水圧が足に負担を掛け過ぎたのだと思われる。
その年の青さ海苔は全滅であった。もちろん収穫はゼロである。
その虚しさを希望に変えるのは並大抵のことではなかった。
そうして休業を決めて2年目の春となったのである。
諦めずに続けていた同業者も多いが今年も全滅だったそうだ。
それでも撤収作業はしなければならない。もう希望どころではあるまい。
掛ける言葉も見つからなかった。なんと気の毒なことだろう。
夫は「おまえの足がきっかけだったかもしれんな」と云う。
私もそう思っている。もう限界だったのだろうと。
手術以外に完治の見込みはないと医師は云うが
私の目下の目標は杖を付かずに歩けるようになることだ。
リハビリを頑張っていればそれも夢ではないだろう。
「野ばら咲く川辺の道を思い出すあの頃は幾らでも歩けた」
夜明け前からの雨が一日中降り続く。
柔らかな絹のような雨だった。
そうして5月が始まる。ほんの少し新鮮になったようだ。
今朝は職場に着くなり大騒ぎになる。
事務所の周りや中までカメムシの大群であった。
死骸が多かったが生きているカメムシも居る
鼻を突くような悪臭が漂いたじろぐような光景である。
臭いさえなければまるでえんどう豆をぶちまけたような有り様。
仕事どころではなくなり同僚に手伝ってもらい払い集める。
玄関の門燈の下が一番酷かった。カメムシの背中にまたカメムシなのだ。
とても数えられなかったがおそらく千匹を越えていたのではないだろうか。
同僚がビニール袋に詰め込んでくれて一件落着となったが
大量発生しているのなら明日の朝も同じ光景になるかもしれない。
カメムシの生態について少し調べてみたら
4月が繁殖期で5月から8月が産卵期なのだそうだ。
寒くなれば家屋に浸入し越冬するとありぞっとする。
一匹や二匹ならともかく大量発生だけは勘弁して欲しいものだ。

午後には仕事が一段落していたので3時前に退社する。
ゆっくりと買い物が出来るのは有難いことだ。
メインは塩焼きそばにしてお刺身用の鰹を買って帰る。
「えらい早いじゃないか」と夫がびっくりしていた。
5時まで夫と一緒に「三匹が斬る」を見ていた。
夫は時代劇が好きで毎日録画をして見ているようだった。
高橋英樹や役所広司のなんと若いことだろう。
それもそのはず30年以上も昔の番組なのだそうだ。
必ず悪代官が出て来て最後には成敗されるのだが
如何にもチャンバラらしく勇ましく斬りまくるのである。
「ねえ、みんな斬られて死ぬの?」夫に訊いたら
「当たり前じゃないか悪者なんだぞ」と笑いながら応える。
悪者の家来でも悪くない人もいるかもしれないのだ。
その家来にも家族が居て小さな子供も居るかもしれない。
そんなことを考えもせずに皆殺しにしてしまって良いのだろうか。
いくら正義の味方でもあまりにも配慮が足らないように感じる。
今日だけでもざっと30人は殺されたようだ。
これが毎日となるとどれほどの命が絶たれることだろうか。
夫に言えば「あほか!チャンバラとはこう云うもんじゃ」と笑う。
「けんど・・けんどよ」と私がもぞもぞと反論しようとすると
「おまえはもう見んでもええ、飯でも作りよれ」となるのであった。
やっぱり夫とは価値観が違うのだなと思うのだが
男の人はみんなそうなのかもしれない。
夫は明日も楽しみにしているようだ。
| 2024年04月30日(火) |
風に訊いてみたかった |
薄雲が広がっていたが概ね晴れ。
気温が28℃まで上がりすっかり初夏の陽気となる。
まるで梅雨の晴れ間のように蒸し暑くてならなかった。
玄関先の燕の巣が何者かに壊されてしまったらしく
今にも崩れ落ちてしまいそうになっていた。
卵が在るのかは定かではないが親鳥の哀しそうな声がする。
今日は必死で修繕作業をしていたのだろう巣が元通りになっていた。
毎年のことだが無事に雛が育つまでは心配でならない。
去年は蛇に襲われてしまったのだ。二度とあってはならないことである。

早いもので4月も晦日。あらあらという間に日々が流れてしまった。
今朝は月末の仕事のことで頭が一杯だったがなんとなるものである。
資金繰りは苦しかったが午前中に全ての支払いを終えることが出来た。
僅かではあったが売掛金の回収も出来お客様は神様だと思う。
義父は全く無関心であった。それだけ私を頼りにしているのだろう。
そう思うとなんとしても乗り越えようと躍起になって来る。
母が仕事から離れてもう何度目の月末だろうか。
いつだったか「あんたは偉いね」と言ってくれたことを思い出していた。
あれは褒めてくれたのではなかった。母はきっと悔しかったのだろう。
それだけ母の苦労は大きく月末は気が狂ったようになっていたのだ。
今の私だって決して易々と乗り越えているわけではない。
ただ会社を守りたい一心で精一杯のことをやっているだけである。
事務所に置いてある母の遺影に「やったよ」と声をかけて退社した。
明日からまた気分一新で仕事に励みたいと思っている。

今日はあやちゃんの短歌を最後に書いた。
「誰一人心の鍵を渡さぬと少女の部屋に吹き抜ける風」
未だ家族の誰もあやちゃんの心に触れたことはない。
鍵はあやちゃん自身が大切に持っているのだろう。
それを奪い取ることがどうして出来ようか。
ただそっと見守るしか出来ないまま一年が過ぎた。
昼下がり窓を開け広げているだろうと思った。
風が吹き抜け長い髪を揺らす姿が見えたような気がしたのだ。
一歩も外に出ることのないあやちゃんにとって風は友達かもしれない。
風となら語り合える。風になら心を開けるのではないだろうか。
詩ならともかく僅か31文字の短歌で表現するのは容易くはない。
読んでくれた人は皆きっと誰のことなのか理解出来なかっただろう。
それでも私は書きたかった。風に訊いてみたかったのだ。
ぽつぽつと雨の一日。今もまだ降り続いている。
東日本ではすっかり夏の陽気だったそうだ。
日本は狭いようで広いものである。
8時半にお大師堂へ集合。当番5人で準備に取り掛かる。
驚いたのは掃除の必要もないほど綺麗に保たれていたこと。
日捲りの暦も今日になっておりSさんとしか思えなかった。
私と従兄弟が遠ざかってからもずっと一人で守ってくれていたのだろう。
ただただ感謝に尽きる。一番喜んでいるのはお大師さんに違いない。
花枝を取り換え小菊を活ける。果物、野菜、お米、お酒等を供えた。
10時前には和尚さんが来てくれて少し早めに仏事を始める。
般若心経の後は観音経で厳かな読経がお堂に響く。
地区長さん、副区長さん、寺総代さんの順にお焼香をした。
後から知ったことだが今日は旧暦の3月21日であった。
弘法大師が高野山奥之院に入定された日とされている。
今年は今日に当たり「御正当日」で「御身拭い」が行われるのだそうだ。
自分がいつも身に着けている物を持参すれば良かったのだが
後の祭りで全く考えてもいなかった。強いて云えば杖だろうか。
杖を付かずに歩けるようになればどんなに助かることか。
10時半には仏事が終り各自寿司折を貰って解散となった。
以前は酒宴をしていたのだがコロナ禍で自粛が続いている。
寿司折はとても豪華でお昼に美味しくご馳走になった。
帰宅してからずっと考えていたことだが
これを最後にしてはいけないと云うことである。
Sさんばかりに何もかも押し付けていることも心苦しかった。
以前のようには出来ないかもしれないが少しでも役に立ちたい。
亡くなった従兄弟のちーちゃんもきっとそう願っているような気がした。
毎日はとても無理だがせめて月に一度はと思う。
今日歩いてみて分かったのだが杖さえあればなんとかなりそうだった。
遠ざかることを足のせいにしていた自分が恥ずかしくも思う。
さらさらと流れる大河。四万十川は大らかに受け止めてくれる。
ひっそりと佇むお大師堂はきっと心の拠り所となることだろう。
| 2024年04月28日(日) |
林檎は赤に決まっちょる |
晴れの予報だったが青空が見えないまま日が暮れようとしている。
気温は高かったのか少し動いただけで汗が流れる。
湿度も高く明日はまた本降りの雨になりそうだ。
葉牡丹の茎を少し残して切り落とす。
桜草も枯れた花を切り落としてしまった。
近くの地場産市場でガザニアとペチュニアの苗を買って来たが
娘の手を借りないと自力で植えるのはとても困難であった。
葉牡丹と桜草の鉢を庭の隅に移動するのを夫に頼んだが
ぶつぶつと文句を言いつつも手伝ってくれて助かる。
けれども買って来た花苗を見るなり叱られてしまう。
「自分で植えも出来ないくせに買って来るな」と言うのだ。
いささか哀しかったが夫の言う通りなのだろう。
玄関先の花など全く無関心な夫である。
こう云うのを価値観の違いと言うのかもしれない。
娘は部屋で寛いでいる様子で声も掛けられなかった。
仕方なく花苗は後半のGWまで置いておくことにした。
自分で出来るかもしれないのだ。とにかくやってみなければ。

午前中は明日の準備でお供え物などを買いに行く。
ビールや日本酒も必要だったので夫を伴ってサニーマートへ。
カートを押してくれるわけでもなく子供のように後ろから付いて来る。
果物売り場でリンゴは選んでくれた。黄色いリンゴもあったのだが
「リンゴは赤に決まっちょる」と偉そうなことを言う。
野菜が3種類、果物も3種類と生菓子の詰め合わせは必須である。
お酒コーナーで日本酒を選ぶのも夫が決めてくれて助かった。
別勘定で我が家の食材も買っていたので大変な荷物となる。
セルフレジへ向かおうとしていたら「おしっこになった」と
トイレに走る夫は本当に子供のようであった。
夫と買い物に行くことはめったになく昨年の大晦日以来である。
よくご夫婦らしい姿を見かけると羨ましく感じることもあった。
けれども嫌なものは嫌。苦手なことは極力避けようとする人である。
今日はおかげで明日の準備が整いなんと助かったことだろう。

昼食後まただらしなく2時過ぎまで寝てしまった。
夕食の鶏の唐揚げの下味をまだしておらず夫に急かされる。
することをしてから寝ろと言わんばかりであった。
鶏肉を切りお酒お醤油、にんにくと生姜で味付けし冷蔵庫で寝かす。
これは長時間漬け込む程良いのだが今日は手抜きになってしまった。
洗濯物はまだ生乾きでもうしばらく干して置くことにする。
それよりも短歌をと思ったのだが今日も気怠くてならない。
例の如くでいったい何本の煙草を吸ってしまったのだろう。
頭がすっきりとしたところで何とか3首書き終える。
自分ではまずまずと思っても反応はそれほど芳しくなかった。
歌人さんと名乗る方が「いいね」をしてくれていたので
お礼がてらその方の短歌を読ませてもらったのだが
「いいね」をしようにも胸に響くような短歌は一首もなかった。
それなのに「いいね」が600を超えているので驚く。
申し訳ないが私にはいったい何処が「いいね」なのか分からなかった。
自分で歌人と名乗るからにはそれなりの自信と実績があるのだろう。
私など足元にも及ばないと少し惨めな気持ちになった。
負け惜しみではないが「卑屈」からは何も生まれないのだと思う。
自信や実績がなくてもひっそりと書き続ける自分でありたいものだ。
改めて「塵も積もれば山となる」と思いたい。
踏むことがなぜに出来よう芝桜恋する人の指先に似て
雲間から薄く陽が射し靴下は風に揺れつつ微笑んでいる
とつとつと君が語るあの夏が扉の向こうで待つ昼下がり
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