ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月25日(木) 石ころと雑草

雲一つない晴天。なんと清々しい朝だったことだろう。

日中は気温が高く夏日となったが爽やかな風に助けられる。


朝の道で民家の庭先にアマリリスが咲いているのを見つけた。

今は色んな品種があるが昔ながらの真紅の花だった。

懐かしく思うのは子供の頃に庭に植えていたのだろう。

おぼろげな記憶であるが母が好きだったのに違いない。


春の花が終れば初夏の花が咲き始める。

嘆くことはなにひとつありはしないのだ。




連休が近くなり仕事は一段落する。

義父は友人宅の田植えを手伝いに行き留守だった。

車検が一台入庫していたが急がないとのことで助かる。

昭和39年製のトヨペットコロナであった。

もう部品も手に入らないクラシックカーである。

人間なら60歳。お客さんはとても大切にしていた。

エンジン音はしっかりとしておりまだまだ乗れるのではないだろうか。



平田町まで車検証を届けに行ったついでにローソンでお弁当を買う。

まだお昼ではなかったが駐車場の奥で早弁をした。

葉桜の下の木陰は最高である。桜が咲いていたらもっと良かっただろう。

それにしてもミックスのり弁のボリュームが凄い。

チキン南蛮、コロッケ、竹輪の磯部揚げ、白身魚のフライである。

満腹になり少し胸やけがしたが美味しかったので良しとした。


3時前に退社。今日は週一のリハビリの日だった。

FMラジオからは尾崎豊の歌が三曲も流れる。

「盗んだバイク」はヤマハのパッソルだったのだそうだ。

少年らしいなあと微笑まずにはいられない。

惜しい命だった。生きていればと若き日の歌声に想いを馳せる。



リハビリが終ってから骨密度の検査があった。

骨粗しょう症の薬は服用しているがまだ芳しくないとのこと。

とにかく転ばないことだ。転べば骨折は免れないだろう。

仕事にも行けなくなったら大変なことになる。



夕飯は今日も手抜き。買い物は近所のローソンで済ます。

夫は「ロースかつ丼」私は「ペペロンチーノ」にした

娘達はダンス教室が終ってから食料を買って来ることになった。

しめしめである。二週間前の作戦通りではないか。




短歌はお昼休みに書き終えていた。

今日も自分では上出来だと思っているが自惚れかもしれない。

詩もそうだが短歌も自己満足に過ぎないのだろう。

愚か者だから「いいね」の数に一喜一憂している。

それは評価だとは限らないのだ。もっと思い知るべきだろう。

私は詩人でも歌人でもないことを忘れてはいけない。


詩集も歌集も出せないまま一生を終える覚悟は出来ている。

石ころでいいのだ。雑草でいいのだ。

名誉や地位よりも大切なのは誇りなのではないだろうか。



2024年04月24日(水) 希望だったよあの日の蕾

小雨が降ったり止んだり。午後少しだけ陽射しがあったが

また直ぐにどんよりとした曇り空になった。


職場の隣地に住宅が建つそうで先日から重機が入り整地をしている。

その土地は40年余りうちの会社が借地契約をしていた土地であった。

廃車置き場として利用しておりとても助かっていたのだけれど

昨年地主さんが突然明け渡して欲しいと言って来たのだった。

どうやら先祖代々の土地で思い切って売却を決めたらしかった。

仕方なく廃車はスクラップとして処分することが出来たが

境界に植えていた栴檀の木、やまももの木等が邪魔になるらしい。

まさかそれらの木まで処分されるとは思ってもいなかった。


チェーンソーの音が鳴り響き栴檀の木は無残に切り倒された。

夏になれば薄紫の花が咲き秋になればオリーブ色の実を付ける。

とても好きだった木だけに哀しく残念でならない。


やまももの木はかろうじて枝を切り落とされるだけで済んだ。

もうすぐ甘酸っぱい実が成り職場のシンボルでもある。

毎年楽しみにしているお客さんも多く助かって何よりに思う。


今日は八つ手の木であった。つい先日まで白い花を咲かせていたが

その花を知ってか知らずか根元から容赦なく切られてしまった。

その八つ手は母が植えていたのだそうだ。よほど好きだったのだろう。

なんだか母のからだを八つ裂きにされたようで無念でならない。


長年いのちを育んできた木々たちである。

それがどうして邪魔になるのか私には理解できなかった。

広い土地である。聞けば住宅が2軒も建つのだそうだ。

いったいいくらで売却したのかは知る由もないが

地主さんに「こころ」があるのなら見せて欲しいものである。





仕事は一日車検が入庫しており完了するまで帰れなかった。

同僚が頑張ってくれて3時には整備が終っていたが

不具合が見つかり手直しにまた時間を費やす。

検査を終え書類を書き終えたらもう4時半を過ぎていた。

娘に電話をし帰宅が遅くなることを伝える。


久しぶりに「ちきん館」に寄り「まるっぽ鶏」を買う。

後は「鰹のタタキ」お惣菜の「八宝菜」を買い急いで帰宅した。

車を停めるとめいちゃんが走り出て来てくれて

荷物を運んでくれなんと助かったことだろう。

良く気の付く優しい子である。


夫は一番風呂に入り終え晩酌の肴を待ち兼ねていたようだ。

鰹のタタキは新鮮だったが少しタレが酸っぱいと文句を言う。

八宝菜をご飯に掛けて中華丼にして食べるのが好きだが

一口食べると顔をしかめて「これはいかんぞ」と騒ぎ出す。

どうやら夫の苦手なピーマンが入っていたらしい。

ご飯に掛ける前に気が付いて良かったと思う。

まるっぽ鶏は家族皆の好物で喜んでくれて嬉しかった。

めいちゃんは特に好きで足の部分を選んでかぶりついていた。


食後はふうっと一気に疲れが出て来る。

仕事は好きだが歳には勝てないようだ。

入浴前に一服しながらSNSを見ていたら

今日の短歌にいっぱい「いいね」が付いていた。

自分でも今日の短歌は好きだったのでとても嬉しい。




自らを水に変えてはみたけれどさらりさらりと流れはしない


雨上がり雀の子らが水浴びる母さんは何処僕らここだよ


ツツジ落ち血も流さずに枯れていく希望だったよあの日の蕾





2024年04月23日(火) これが私だろうか

「筍梅雨」とも云うのだそうだ。今日も降り止まない雨である。

午後は風を伴い激しく降りまるで春の嵐のようであった。

満開だったツツジが花ごと落ち始めている。

散るのではなかったのだ。椿のように落ちてしまうのだ。



午前中と午後と身に感じる地震がある。

先日の地震の余震と思われるがなんとも不気味なものだ。

すっかり臆病になってしまって風で窓が鳴っても地震かと思う。

南海トラフとの関連性はないと云われているが怖いものは怖い。

どれほど平穏無事を祈っていても決して避けられないことなのだろう。





午前中にP社から返答のメールが届く。

やはり誤配送だったらしく丁重な文面であった。

思いがけなかったのは例のお茶は返送不要とのこと。

自由に処分してくれるようにと書かれてあった。

はて?処分とはと一瞬戸惑ってしまったが

無料で頂いても良いと云うことなのだろう。

ラッキーと云って良いのか得をした気分になった。

お茶よりも珈琲派だが娘と一緒に飲んでみようと思っている。

12箱だ。毎日飲んでも一年分はあるのではないだろうか。

実際に注文していた「階段手摺」は予定通りの納品とのこ。

これで一件落着となり安泰となった。


今回は貴重な体験をさせてもらったように感じる。

同時にネット通販利用の教訓にもなっただろう。

夫にも散々言われたが今後は慎重に利用しなければいけない。

全ての店舗が今回のように良心的とは限らないのだと思う。





3時半に退社。買い物を済ませ帰宅したら4時半になっていた。

今日は職場で短歌を書けなかったので自室のパソコンに向かう。

制限時間は30分である。しかし焦りは禁物であった。

窓の外の降りしきる雨を眺めながらなんとか3首書き終える。

当然のことながら上出来ではなかった。書き直したいくらいである。


それからあやちゃんがノックもせずに部屋へ入って来て

昨夜の食べ残しのカツカレーを今朝食べてしまったことを問い詰められる。

ラップを掛けてあったがてっきり捨てるものだと思っていたのだ。

もったいないと思いチンして食べたのだがそれがいけなかったらしい。

「やっぱり犯人はおばあちゃんね」と言ってドアを乱暴に閉める。

直ぐに後を追い駆けひたすら謝り続けたのは云うまでもない。

こんなことで傷つけてしまったらとそればかり思っていた。

しばらく謝り続けていたらさすがに許してくれたようで

「もうえいけん」と少し困ったようにはにかんでくれた。

食べ物の恨みはけっこう怖いのだ。以後は気を付けなければいけない。



これを書いているうちに土砂降りの雨になった。

風も強く唸り声を発していてざわざわとするばかり。

後は寝るだけだがその前にSNSで戯言を発信するのが日課だった。

ほろ酔い気分なものだから馬鹿げたことばかり書いている。

けれども嘘はつかない。そこには在りのままの私が居るようだ。


夜が明けて真っ先に確認するが「これが私だろうか」といつも思う。



2024年04月22日(月) 妄想の果てに

一日中霧雨が降り止まず今も静かに辺りを潤している。

今朝まで知らなかったが「春霖」と呼ぶのだそうだ。

「菜種梅雨」は早春なのに対して仲春から晩春にかけて降る

春の長雨のことを云うらしい。「霖」(りん)は三日続けて雨が降ること。

日本語は奥深くてもっともっと学びたいものである。



うんざりとしていた週末を終えやっと月曜日となる。

職場で一仕事してから例の「日本緑茶センター」に電話してみた。

係の女性が親切に対応してくれたが発送した経由に着いては

納品書に記載されていたK社からの依頼だったらしい。

K社の担当の人に事情を説明してくれたのだが

お昼まで待っても連絡がなく私の方から電話を掛けざるを得なかった。

おそらく忙しくて後回しになっていたのだろう。


担当の人は男性で一瞬あの人ではないかと思ったが違うようだ。

親身になってくれ詳しく調べてくれたのだが

そのK社も横浜にあるP社から発注を受けたのだそうだ。

ネット通販のしくみは思っているよりも複雑なのだった。


そのP社には心当たりがあった。メールも届いており間違いない。

一週間程前に階段の手摺を注文してあったのだった。

納期が少し遅くなると連絡があったばかりである。


しかしそのP社がどうしてお茶を送って来たのだろう。

K社の担当の人が言うには他の人が注文した商品ではないかと。

何かの手違いがあり誤って発注したとしか思えないのだそうだ。

とにかくP社に問い合わすことになったのだが

電話では一切対応出来ないのだそうだ。メールしか手段がなかった。

届いていたメールに問い合わせフォームがありそこから送信する。

直ぐに返答があるだろうと夕方まで待ったがなしのつぶてであった。


夫には散々叱られる。「ネットで買物なんかするからだ」と

近くにホームセンターがあるのに行けば良かったのだと言う。

私もそうすれば良かったといくら後悔しても後の祭りである。



それよりも何よりも私がショックだったのはK社のことだった。

妄想が大きく膨らみてっきりあの人が勤めている会社だと思っていた。

昨日はストリートビューでK社の玄関まで行ったのだ。

スーツ姿のあの人が目に浮かび立派な社会人になったのだなと

どんなにか安堵し嬉しかったことだろう。

あの頃はまだ大学院生だったから尚更のことである。


地震見舞いでもラブレターでもなかったのだ。

おそらくもう私のことなど忘れているではないだろうか。

「馬鹿みたい、ほんとうに馬鹿みたいだ」とつくづく思った。

そうしたら可笑しくてたまらなくなって涙が出るほど笑ってしまう。



明日にはP社から返答があるだろう。

もし何もなければ通販サイトに相談出来るらしい。

26日には階段の手摺が届く予定であるが

首を長くして待っている何処かのお茶好きの人に届くのかもしれない。



2024年04月21日(日) 雨だれが歌っている

春の長雨のことを「菜種梅雨」と云うが

3月から4月にかけて降る雨のことなのだそうだ。

じゃあ4月から5月にかけて降る長雨はなんと云うのだろうか。

今日は一日中小雨が降り明日も明後日も雨になるらしい。


気圧のせいか気分が沈みがちであった。

鬱ではないと思うのだがどうにもすっきりとしない。

自室でパソコンに向かえば鎖のように煙草を吸ってしまう。

これではいけないと思い茶の間へ行けばすぐに寝てしまうのだ。

行動力はもちろんのこと活気が全くなかった。

生きながら死んでいるような気がしてならない。


明日になれば例の宅急便の真相も分かるだろう。

仕事も忙しくなり精一杯に働くことも出来るだろう。

明日が待ち遠しくてならない。





お昼過ぎに地区の副区長さんが訪ねて来て

4月29日に「お大師さん」の行事を執り行うのだそうだ。

我が家を頭に3軒が当番で段取りや準備をしなければいけない。

夫が私の足を気遣い「お前は無理だろう」と言ってくれたが

たとえ足手まといになっても参加したくてならなかった。


最後にお大師堂にお参りに行ったのは一昨年の暮れだったか。

信心も何処へやらあれ以来すっかり足が遠のいている。

Sさんに訳を話しお大師堂の管理を全て任せたのだった。

快く引き受けてくれたが一人ではさぞかし荷が重いことだろう。

お参り仲間の従兄弟、ちーちゃんも既に亡くなってしまった。

ひっそりと寂しくなった光景が目に見えるようである。


地区の当番は約3年ごとに回って来るが行事は沢山あって

「お大師さん」の当番は今回が初めてだった。

これも縁なのに違いないと思っている。

ちーちゃんが背中を押してくれているようにも感じるのだ。

夫が何と云おうと私は行かなければいけない。


おそらくお大師さんに会えるのは今度こそ最後になるだろう。

そんな弱気ではいけないのだがもう高望みは出来なくなった。

これまでどれほど守ってくれたことだろうか。

しっかりと恩返しをしたいと心からそう思っている。



雨は今も降り続いている。

夜明け前に「雨だれが歌っている」と詩を書いたが

いったいどんな気持ちで書いたのか自分でもよく分からない。

でも好きだなと思った。希望なくしてどうして書けようか。



         雨だれが歌っている
         
         軽やかのようでいて 
         
         せつない歌のようだ

         

         それはいつかの哀しみ
          
         涙色の幕が開いたとき
          
         観客席にあのひとがいた

        
         真っ直ぐに見ている
          
         その瞳に映るのは
         
         儚い夢の結末であった

        
         歌は希望でなくてはならない

         
         空は知っている
          
         雨は知っている

         
         歌い続けていれば
         
         きっと光に満たされると



2024年04月20日(土) 謎の宅急便

晴れのち曇り。夕方からぽつぽつと雨が降り出す。

うっかり失念していたが昨日は二十四節気の「穀雨」であった。

穀物を潤す春の雨が降る頃。それだけ大切な時候の訪れである。

そうして八十八夜、立夏と季節は夏へと移り変わって行く。



お昼に私宛の宅急便が届いた。ネット通販はよく利用するが

「日本緑茶センター」と記してあり全く身に覚えがない。

キャンペーンなどに応募した覚えもなく戸惑うばかりであった。

佐川急便の送付状には送り主も受け取り人にも私の名が書かれてあった。

夫が心配して「開けるなよ」と言ってくれたのだが

とにかく中身と納品書を確かめてみないと気が済まない。

中には高価そうなフルーツティーが12箱も入っていた。

しかし納品書には金額の記載がない。振込用紙も入っていないのだ。

まさかカード決済では。それならば犯罪にも繋がるだろう。


居ても立っても居られなくなりネットで「日本緑茶センター」を調べた。

様々な種類のお茶を販売している信用できる会社のようである。

しかし今日は定休日で電話で問い合わすことが出来なかった。


「188」の消費者相談センターも同じく今日は電話が繋がらない。

仕方なく警察署に相談をしたら親切な署員さんが対応してくれて

佐川急便に確認を取って見るようにとアドバイスをいただく。


佐川急便も親身になってくれて「荷物は開けてないですよね」と。

まだ開けていなかったらそのまま送り返すことが出来るのだそうだ。

「だから開けるなと言うたじゃないか」と夫に散々叱られる。


もうどうすることも出来なくなってしまい月曜日まで待つことにした。

とにかくその「日本緑茶センター」に問い合わせするしかないだろう。

こんな不可解なことは初めてのことで私は焦りまくっていた。


それから一時間ほど経ち落ち着いてからもう一度納品書を確認する。

すると納品書の宛先が私ではなく大阪市にある会社名が書いてあった。

今度はその会社を調べてみたら確かに実在する会社なのである。

従業員数が2百人を超えているのでそこそこ大きな会社らしい。

納品書の通りだとその会社が注文し私に送ってくれたことになる。

けれどももちろん全く知らない会社なのだ。いったい何故なのだろう。


もしかしたらと一人だけ思い当たる人が居た。

もう20年近くも音信不通であるが大阪と云えばその人しかいない。

末永くとはいかなかったが私にとってはとても縁の深い人だった。

先日の地震を知り私のことを思い出してくれたのかもしれない。

そうだとしたらなんと有難いことだろうか。


お酒には弱くお茶を好む人だった。今もきっと愛飲しているに違いない。

だとすると「日本緑茶センター」と一本の線で繋がって行く。


娘に話したら「じゃあ電話して確かめてみれば」とさらりと言う。

しかし今更どうしてそんなことが出来よう。

あの頃の私は必死の思いで遠ざかることを決めたのだった。

けれどもその人は一生忘れることの出来ない人になった。


月曜日になれば真相が分かるだろう。今はそっとしておくことを選ぶ。

なんだかとても遠い処から舞い込んだラブレターのようだ。








2024年04月19日(金) 私は今日も生きていました

この春何度目の夏日だろうか。日中は汗ばむ程の陽気となる。

燦々と降り注ぐ陽射しに樹々の若葉がきらきらと輝いていた。


田植えがやっと一段落したようだ。

今朝は義父の姿がありほっと胸を撫で下ろす。

わずか二日であったが工場の仕事の溜まっていたこと。

金曜日でもあり今日も田植えだったらどうしようと頭を悩ませていた。


午前中に検査を済ませ車検完了の書類を作成する。

午後は一般整備の部品注文等と義父でなければ出来ない仕事があった。

3時半に退社。何とも言えない清々しい達成感である。

FMラジオからは中島みゆきの歌が流れ嬉しくてならない。


私は目の前のことをひとつひとつクリアーして行くのが好きだ。

それが山積みであるほどやる気が出て来るのである。

する仕事のあることは本当に有難いことだ。





このところずっと仕事中に短歌を書いていて心苦しいが

帰宅してからはとても無理で致し方なかった。

今日のように忙しくても周りの目を盗むようにしながら書いている。

そのせいかもしれないが出来はとても悪い。

自分が納得いかないものに誰が共感してくれるだろうか。

それでも書かずにはいられない「さが」のようなものがある。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが弾が自分に当たっているのだ。

それならばいっそ止めてしまえば良いのだが思い切ることが出来ない。


夜明け前に書いている詩は我ながら上出来なのではないだろうか。

それが自惚れだとしても私は自分の書いた詩がとても好きだ。

好きになってやらねばあまりにも可哀想に思う。

自分を卑下してはならない。それは私の心を否定することに等しい。


今もって歌人でも詩人でもないがおそらく一生今のままだろう。

以前はそれが口惜しくてならなかったが今は違う。

要するに誇りを持つか持たないかのモンダイではないだろうか。

自信はないが誇りはある。それは誰にも劣らないと思っている。


この日記を読んで下さっている方の中には興味のない方もいるだろう。

それよりも今夜のおかずは?と歯がゆく思っているかもしれない。

時には脱線するが今夜は自分の書きたいことを書かせてもらった。


日記とはそもそも公開するものではないのだが

22年目となったからには腹を括るような気持でいる。

包み隠さずありのままの私を受け止めてもらえたら幸いである。


もし突然死んでしまっても「死にました」とは書けないのが残念だ。

だからこそ「生きています」と最後まで書き続けたいと思う。


今日も生きていました。読んで下さり有難うございます。




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