薄曇りであったが気温が高くなり初夏のような陽気となる。
長袖では暑いくらい。かと云ってまだ半袖は着れない。
表現が間違っているかもしれないが年寄りの冷や水になるだろう。
夜明け前に微かにホトトギスの鳴き声が聞こえた。
毎年燕よりも遅れて渡ってくるのだがもうそんな季節なのか。
日本では夏鳥である。寒さを感じるようになれば南に渡って行くそうだ。
暗闇からその鳴き声がするとなんとなく不気味ではあるが
私は好きである。待ち侘びていただけに今朝は嬉しかった。

今朝はNHKで8時45分から中島みゆきの歌番組があった。
SNSでその情報を知りなんとしても見たくてならない。
歌番組をあまり好まない夫であったが渋々ながら一緒に見てくれた。
「中島みゆきは何歳だ?」と訊くので「あんたと同い年よ」と教える。
最後まで見終わった夫が「ええ歌ばっかりやったな」と言ってくれた。
そうして「今の若いもんの歌よりずっとええぞ」と絶賛してくれる。
私はデビュー当時からの大ファンなのでそれが嬉しくてならなかった。
可笑しい話だけれど自分が褒められたような気がしたのだった。
それからサニーマートへ買い物に。今夜は「すき焼き」に決まっており
半額の白菜やお豆腐も見つけてルンルン気分である。
牛肉は輸入肉が無く仕方なく窪川牛を買ったが2パックで2千円は痛い。
けれども家族の喜ぶ顔が見られたらこの上ない幸せであった。
お次はカーブスへ行き心地よく汗を流す。
脂肪が燃えているらしいがその実感はまったく無いに等しい。
新人コーチの挨拶もあったがどうにも頼りない。
直感で「これはすぐに辞めるな」と思った。
とにかくコーチの入れ替わりが激しいのだ。
仕事自体は楽しそうだがおそらくノルマがあるのだろう。
一番長いコーチで2年。辞めてしまったコーチは数え切れない。

明日は姑さんの7回忌なのでお墓掃除に行かねばならなかった。
お墓はお寺の裏山にあり私の足では到底無理な話である。
夫や義妹にも辛くなり足が遠のくばかりであった。
地区で一番古い納骨堂でもありその老朽化は半端ではない。
けれども荒すわけにはいかない。それは当然のことである。
今日は夫と義妹に娘とめいちゃんも加わり掃除に行ってくれた。
めいちゃんが大活躍したと聞きなんと頼もしいことだろう。
おかげで明日は滞りなく7回忌の法要が出来そうである。
私はおそらくもうお墓参りにも行けないだろう。
心苦しくてならないが仕方ないことだと思う。
もし行くことがあればそれは私の納骨の時である。
そうしてそこで永遠に眠るのだがそれも侘しいものだった。
それならばいっそのこと四万十川に散骨してはくれまいか。
今までそんな例がないのなら私が最初になってもかまわない。
そんなことをふと思った。季節は秋よりも春がいい。
日々のことをひとつひとつ数えるように過ごしている。
与えられた定命が尽きるのはいったいいつのことだろうか。
春らしい穏やかな晴天。風もなく汗ばむほどだった。
山里ではあちらこちらで田植えの光景が見られる。
今は機械であっという間に植えてしまうけれど
昔はどんなにか大変だったことだろう。
私は経験したことがないが母が子供の頃には手伝ったらしい。
子供が家の仕事を手伝うのが当たり前だった時代である。
母が中学を卒業した時に高校へ進学したいと祖父に願い出たら
「百姓の子に学問は要らん」と酷く叱れたと聞いたことがある。
もし母の願いが聞き入れられていたら私はこの世に存在しなかっただろう。
運命なのか宿命なのか母は18歳の若さで私を産んだのだった。
私ももしあの時にああしていればこうしていればとよく思うが
違う道を歩んでいたら今の暮らしも家族にも出会えなかったことになる。
そう思うと人の一生は生まれた時から定められているのかもしれない。
すべてのことが縁だと云っても過言ではないだろう。

義父が田起こしに行ったきり帰って来ない日が続いていた。
田植えが遅れていることにいささか焦りを感じているようである。
工場の仕事も忙しかったが義父なりの優先順位があり
周りがあれこれと口を挟むと大変なことになってしまう。
とにかく義父の思い通りにさせてあげなくてはいけなかった。
今日はもう金曜日。仕上げなくてはいけない車検が4台もあり
来週まで延ばすことはどうしても出来なかった。
義父もそのことは承知していたのでひたすら帰りを待つ。
お昼になっても帰らない。2時になりやっと帰って来てくれた。
昼食も食べないで直ぐに検査に取り掛かってくれてほっと安堵する。
検査が終れば車検適合の書類を書かねばならず私も忙しかった。
目まぐるしいとはこんな時を云うのだろう。トイレにも行けない。
やっと書類を書き終えたらもう4時になっていた。
義父は「よっし、もうええな」と言ってまた一目散に田んぼに向かう。
とうとう昼食を食べる暇もなかった。どんなにか空腹だったことだろう。
義父に比べれば私の疲れなど本当に些細なことである。
後始末をして大急ぎで帰路に着いたが買物をしなければならない。
さすがに二日続けて手を抜くわけにはいかなかった。
サニーマートへ着いたらお刺身が半額になっており嬉しくてならない。
後はお惣菜の鶏のから揚げを買いスンドゥブの素を買った。
絹ごし豆腐とアサリ、ウィンナーを入れて煮込めば直ぐに食べられる。
帰宅したら庭でめいちゃんとお友達が水遊びをしていた。
昼間なら兎も角もう5時を過ぎていて風邪を引きそうである。
二人とも全身びしょ濡れなのでなんともはらはらした。
娘がお風呂の準備をしており直ぐに入ってくれたのでほっとする。
元気なのは嬉しいことだがさすがにまだ水遊びは早いだろう。
夕食時めいちゃんがしきりに学校の話をしていて気になった。
月曜日の朝礼で何かの発表をするのだそうだ。
それはそれで頼もしく喜ばしいことではあったが
あやちゃんが俯いたきりしゅんとしていて気遣わずにいられない。
「ごちそうさま」と小さな声で呟くと逃げるように二階に上がったのだ。
娘夫婦は気づかなかったのだろうか。あやちゃんは葛藤をしている。
それは今に始まったことではないが心境を察するばかりであった。
けれどもそれも試練なのだろう。そう思い直すことにする。
腫れ物に触るような日々であってはならない。
もう以前のような硝子細工ではないのだ。
少々のことでは傷つかない。あやちゃんは少しずつ逞しくなっている。
けれどももし石を投げるような人がいれば私は全力で守りたい。
家族みんながそう思っているのに違いないのだ。
曇り時々晴れ。夕方になり少しだけ雨が降った。
予報では5月並みの気温になると聞いていたが
風が強く吹き肌寒いほどだった。
小手毬を庭先に植えている家が多くあちらこちらで見かける。
白い紫陽花に似た大手毬もあるが私は小さいほうが好きだ。
花を千切ることはさすがに出来ないが手のひらに載せてみたくなる。
「小手毬の指先に散る白き夢」短歌ではなく俳句のつもりだが
二十歳を過ぎた頃だったか高知新聞の俳壇で入選したことがあった。
若い頃の感性は殆ど失われてしまった今となっては懐かしい句である。
恋多き頃のこと。「白き夢」とはいったい誰のことだったのだろう。

朝の道で商工会のS子ちゃんに会った。
S子ちゃんのほうが先に私を見つけてくれて思いっきり手を振ってくれる。
私も直ぐに気がつき千切れんばかりに手を振ったことだった。
フロントガラス越しに満面の笑顔が見えてとても嬉しい。
ああ好い朝だなと思う。朝からこんなに笑顔になれるなんて。
おかげでいつもは眠くなる朝の道がとても清々しく感じた。
明日も会えるだろうか。午前8時に四万十大橋である。
週一のリハビリの日だったので3時前に退社。
今日の療法士さんは息子と同年代に見えるM君であった。
私の担当になるのはまだ二回目だが会話が弾む。
「声がだいぶ出るようになりましたね」と言ってくれた。
それから煙草の話になり禁煙の話になり焼酎の話になる。
話しているうちに施術が終ってしまって少し物足りなかった。
わずか20分でもM君の腕や手はくたくただろうと思う。
療法士さんの仕事は思っているよりもずっと大変なのだった。
リハビリが終ると診察があり元気に足踏みをしながら診察室に行く。
医師が「ほほう!」と感嘆の声をあげ愉快でならない。
いつも親身になってくれて本当に有難いことである。
先日杖を忘れて出勤したことを話したらまた「ほほう!」であった。
完治の見込みはないのだとしても良い方向に向かっているのだろう。
薬局で骨粗しょう症の薬をもらったらもう5時になっていた。
その足で「ほっかほか亭」に走る。今夜はまた手抜きである。
今朝娘に相談したら夕飯は要らないから大丈夫と言ってくれたのだった。
夫にステーキ、私にはチキン南蛮を買って帰った。
おかずのみなのでとてもリーズナブルである。
お腹がぺこぺこだったので6時にはもう食べ終えていた。
食器洗いもしなくても良い。なんとも楽で嬉しくてならない。
ふと閃いたのは2週間ごとの手抜きであった。月に2回である。
診察のある日は遅くなるので娘に提案してみようと思う。
その娘であるが昼間重い物を持ったらしく腰を痛めたようだ。
軽いぎっくり腰だと思うが無理を承知でダンス教室へ出掛けて行った。
帰りに食料を買って来てそれから娘達の夕食となる。
あやちゃん娘婿もどんなにかお腹を空かせていることだろう。
娘がずっと家に居てくれると本当に助かる。
家の中も少しずつ片付けてくれて随分と整理整頓が進んでいる。
ずっと失業中とはいかないがついついそう願ってしまうのだった。
あやちゃんの為にもそのほうが良いのではと思う。
今は母と娘が向き合う時間が必要なのではないだろうか。
桜と同じように小手毬もやがて散る時が来るだろう。
季節は春から初夏に変わり溢れんばかりの光がだんだんと強くなる。
春は青く夏は白いのだ。眩しさに目を細めながらどんな夢を見るのだろう。
もう花冷えとは云えないが肌寒い朝となる。
まだまだ暖房器具が必要なのだろう。
日中は晴天に恵まれたが北風が強かった。
ふと「ふゆさん」を思い出す。
転校して行ったのだが元気にしているだろうか。
友達は出来ただろうか。いじめられて泣いてはいやしないだろうか。
今朝はそんな詩を書いたらある方が宮沢賢治の作品世界に通じると
感想を述べてくれてなんと身に余ることだろう。
怖れ多いと云うか私のような者にはもったいない言葉であった。
そう云いつつ私は「ふゆさん」が好きでならない。
自分なりのシリーズとして何作か書いたがどれも好きであった。
しかし松下育夫氏いわく「少年詩か童詩の影響を受けているようだ」と。
それはまるで「ふゆさん」がいじめられたかのように悲しかった。
ここではっきり言わせてもらうが私は何からも影響など受けていない。
私は私の「こころ」から影響を受けながら書いているのである。
松下氏は決して貶した訳ではないと思うが踏みにじられたように感じた。
そうしてそれは「詩の通信教室」を止めるきっかけになったのだった。

今日は午後から損害保険募集人の資格更新試験があった。
5年ごとの更新だがもう何度目なのかは記憶にない。
はっきりと憶えているのは5年前にもうこれが最後だと思ったことだ。
以前は高知市内の試験会場まで出向かなければいけなかったが
コロナ禍の影響もあり今はオンラインで受験することが出来る。
一日がかりだったのが僅か40分で終わるので随分と助かっている。
朝からそわそわと落ち着かなかった。全く学習をしていないのだ。
常識問題だとしてもこの歳であるから物忘れも酷くなっている。
おまけに今は募集人の仕事を一切していなかった。
全て提携先代理店のY君にお任せしているのである。
こればかりはいくらあがいても仕方なく試験に臨むことになった。
今回は試験中にテキストを見ても良かったのだが
いざ問題が出て来るとテキストの何処を見れば良いのか分からない。
あたふたしているうちにどんどん制限時間が迫って来るのだった。
終った時には冷汗が出ていた。当然のことながら自信はゼロに等しい。
合格発表は来週の火曜日とのこと。不合格なら再試験となる。
あれは12年程前だったろうか。母が試験に臨んだ日のことを思い出す。
パソコンを全く使えないため「パソコン教室」に通っていたのだった。
その頃には仕事もパソコンを使うことが多く母は手も足も出せない。
それがよほど悔しかったのだろう。毎日のように言い争っていた。
私が少しでも教えようとすると「今はいい」と言って拗ねるのだ。
そうして挙句には私がパソコンを占領していると言い怒るのだった。
思い出していたらきりがないほど母との確執は絶えなかったが
母は試験に合格した。75点の合格ラインぎりぎりであった。
あの時の母の喜びようはなかった。もちろん満面の笑顔である。
それからしばらくは機嫌が良かったが結局は元の木阿弥となった。
「お母ちゃん懐かしいね」事務所に置いてある母の遺影に話し掛ける。
閉め切っていた窓を開けるとまるで母であるかのように風が吹き抜けた。
| 2024年04月09日(火) |
長い人生のほんの一部分 |
雨上がりの爽やかな朝。風は北風だったようだ。
日中は快晴となりなんと清々しいこと。
職場のすぐ近くの空家に大木がそびえており
その木に絡みつくように藤の花がたくさん咲いていて
強い風に煽られながらゆらゆらとなびいているのが見えた。
おそらく観賞用に植えられた藤ではないのではと思う。
野生の藤があるのか定かではないが雄大な自然の姿に見える。
もう随分と昔から主なき家であった。その揺れる姿もせつないものだ。
今朝は職場に着くなり昨日貸し出した車がありおや?とおどろく。
8時には免許センターに着かなければいけないと言っていたので
道中無事であればもうとっくに着いている時間であった。
一時間ほどしてお客さんから電話があり友人と一緒とのこと。
友人の年齢は定かではないが送り迎えを引き受けてくれたのだそうだ。
それを聞きなんと安堵したことだろう。これでもう大丈夫である。
しかしもう90歳が近い高齢である。免許更新が出来たとしても
今後の運転のことを考えるとやはり心配は尽きないだろう。
中古車を購入してくれることになり準備はしているのだが
どうかそれが仇にならないことを祈るばかりである。
午前中に古くからの友人がタイヤ交換に来てくれた。
会うのは3年ぶりだろうか。ずいぶんと久しぶりであった。
高校生だった娘さんも大学生になっていると聞きおどろく。
3年なんて本当にあっという間のことである。
彼女は私より6歳年下だがそれなりに歳を重ねているのが見て取れる。
雑談をしているうちに孫の話になった。
話して良いものかと一瞬迷ったがあやちゃんのことを話してしまった。
そうしたらおどろいたことに彼女の娘さんも不登校だったのだそうだ。
辛かったこと悩んだことを打ち明けてくれて思いがけなかった。
長い人生のほんの一部分だと云う。それは本当に些細なことなのだ。
中学は殆ど行かなかったが高校に入学し今は大学生である。
とにかく温かく見守ってやるのが一番だと話してくれた。
この話をどれほど娘に聞かせてやりたかったことだろう。
しかし家に帰れば「禁句」となり何も話すことが出来なかった。
当のあやちゃんは今日も機嫌がよく笑顔でいてくれる。
夕飯は「チャーシュー丼」娘が目玉焼きをトッピングしていた。
「春雨の酢の物」も作っていたのでどうかな?と見ていたら
ちゅるちゅると美味しそうに食べてくれていて嬉しかった。
現実を嘆くことは何ひとつないのだと思う。
もうトンネルの出口は見えている。あと少しもう少しである。
日中は霧雨だったが夕方から本降りになる。
もう田植えを始めている農家もあり恵みの雨になることだろう。
桜とバトンタッチをするように藤の花が咲き始めた。
躑躅も菖蒲もである。山吹も小手毬もである。
春から初夏にかけて咲く花のなんと多いことだろう。
鬱々とはしていられない。こころにも花を咲かせなければ。
低迷はまだ尾を引いているようだが少しだけ吹っ切れたようだ。
季節の変わり目のせいかもしれない。気圧も関係しているのだろう。
物事を楽観的に受け止めることが出来ずつい悲観的になってしまう。
けれども何事も気の持ちようなのではないだろうか。
昨日のように嫌なことがあってもさらりと水に流してしまいたい。
いつまでも拘っていたら一歩も前へは進めないだろう。
深い穴を掘って「ああ嫌だ、嫌だ」と叫んでみたい。
気が済むまで叫んだらさっさと穴を埋めてしまえば良いのだ。
そうすればもう済んだこと。二度と気に障ることはないのだと思う。
大切なのは他人の言動に振り回されないことである。
私にだって芯はあるのだ。その芯をなんとしても守らねばならない。

先日自損事故を起こしたばかりの高齢のお客さんが
明日一日だけ代車を貸して欲しいと申し出て来る。
伊野町の免許センターまで運転免許の講習を受けに行くのだそうだ。
近くの免許センターならまだしもかなりの遠方であった。
認知症はまだ大丈夫そうだが長距離運転は心配でならない。
道中何もなければ良いがまた事故を起こす危険もあるのだった。
義父とも相談の上で仕方なく貸すことになったが
慣れない車のせいかすでに発進から運転がおぼつかない。
おまけに伊野町の免許センターの場所もよく分からないらしい。
これは困ったことになった。明日はいったいどうなることだろう。

3時に退社。買い物を済ませ帰宅したら庭に娘の車があった。
店舗の後片付けは今日で終わると言っていたので早目に帰れたのだろう。
全てが終り寛いだ様子。すっきりとした良い顔をしていた。
玄関ではなく座敷にあやちゃんのランドセルと上履き入れがある。
娘は母親として精一杯の準備をしていたのだろう。
それがとても切なかった。赤いランドセルが泣いているように見える。
「やっぱり駄目やったがやね」娘に声を掛けたら「うん」と小さく応えた。
その後に玄関のチャイムが鳴り担任の先生が来てくれていた。
応対している娘の声がやたら大きい。笑い声も聴こえる。
それがなんだか不自然に感じ娘の複雑な気持ちが伝わってくる。
あやちゃんも一緒に居たのだが一言も声は聴こえなかった。
先生は6年生の新しい教科書を届けに来てくれたようだった。
5年生の一年間はなんとか遅れを取らずに済んだが
6年生になると勉強もずっと難しくなることだろう。
いくら努力家のあやちゃんでも心配でならなかった。
娘は何も言わない。だから私も何も言えない。
そうして当然のようにあやちゃんも何も言ってはくれなかった。
夕飯は豚カツ。あやちゃんはレトルトカレーで「カツカレー」だった。
「めっちゃ美味しい」と今夜も満点の笑顔である。
曇り日。花曇りと云いたいところが桜はほぼ散ってしまった。
そうして季節は巡って行く。桜の季節は永遠に訪れるだろう。
ふとそんな季節に逝けたらと思う。花弁のように散ってしまいたいものだ。
低迷が続いており気分転換をしたくてならない。
「退屈たいくつ」と何度も口にしてみたが
夫は聞こえないふりをして無視をするのだった。
そうなると余計に気分が沈んでしまって何もする気になれない。
ひたすら寝る。おそらく5時間ほど寝ていたのではないだろうか。
娘は店舗の後片付けに行ったが夕飯は要らないと言い残す。
だからあえて買い物にも行かず余計に退屈であった。
早く明日になればいい。仕事をしたくてたまらない。

ここに書いて良いものかとずいぶんと迷ったが
SNSは決して楽しい場所ではない。
今日は少し不愉快なことがありもやもやとした気分が収まらずにいる。
以前はミュートしていて発信に目が触れることはなかったが
最近になって解除してしまったのがいけなかった。
一日に何度も発信がある。言葉は悪いがうんざりする程である。
「虫が好かない」と言って良いのかどうにも共感出来ない。
じゃあ再度ミュートすれば済むことだがそれも迷ってしまうのだ。
フォロー解除、ブロックという手もあるがそれは良心が咎める。
決して悪意がある人ではなかった。だから尚更のことである。
あれこれ考え込んでいてはっと気づいたのは
私も誰かから同じように思われているかもしれないことだ。
毎日好きなように発信を続けているが気に食わない人もいるだろう。
誰もが共感してくれることは決して在り得ないことである。
私はよく「お目汚しを」と口にするがそれは謙遜ではなかった。
不愉快な思いをしている人が少なからずいることを感じているのだ。
そうして劣等感は強まりどんどん自信を失くしてしまう。
それでも私は書くことを諦めずにいる。
一握りの光を求めSNSの海を漂っているようなものだ。
この日記もそうだが他に私の居場所は無いに等しい。
だから失うことが怖くてならない。それは死んだも同然に思う。
ゆるしてはくれまいか。認めてはくれまいか。
これからも生きている限り私は在り続けたいと願ってやまない。

あやちゃんがパスタを湯がいていた。
「すごいね、えらいね」と褒めたら「別に・・」と応える。
明日は入学式もありいよいよ新年度が始まる。
めいちゃんはとても楽しみにしていてテンションが高いが
あやちゃんはどれほど複雑な気持ちだろうと気遣わずにいられない。
しかし迷っているふうには見えない。おそらくもう決めているのだろう。
「行かない」選択をどうして周りが責められようか。
新鮮な春である。桜は散ってもまた新たな花が咲くことだろう。
あやちゃんのこころにそっと一輪を添えてあげたいものだ。
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