曇り時々晴れ。夕方になり少しだけ雨が降った。
予報では5月並みの気温になると聞いていたが
風が強く吹き肌寒いほどだった。
小手毬を庭先に植えている家が多くあちらこちらで見かける。
白い紫陽花に似た大手毬もあるが私は小さいほうが好きだ。
花を千切ることはさすがに出来ないが手のひらに載せてみたくなる。
「小手毬の指先に散る白き夢」短歌ではなく俳句のつもりだが
二十歳を過ぎた頃だったか高知新聞の俳壇で入選したことがあった。
若い頃の感性は殆ど失われてしまった今となっては懐かしい句である。
恋多き頃のこと。「白き夢」とはいったい誰のことだったのだろう。

朝の道で商工会のS子ちゃんに会った。
S子ちゃんのほうが先に私を見つけてくれて思いっきり手を振ってくれる。
私も直ぐに気がつき千切れんばかりに手を振ったことだった。
フロントガラス越しに満面の笑顔が見えてとても嬉しい。
ああ好い朝だなと思う。朝からこんなに笑顔になれるなんて。
おかげでいつもは眠くなる朝の道がとても清々しく感じた。
明日も会えるだろうか。午前8時に四万十大橋である。
週一のリハビリの日だったので3時前に退社。
今日の療法士さんは息子と同年代に見えるM君であった。
私の担当になるのはまだ二回目だが会話が弾む。
「声がだいぶ出るようになりましたね」と言ってくれた。
それから煙草の話になり禁煙の話になり焼酎の話になる。
話しているうちに施術が終ってしまって少し物足りなかった。
わずか20分でもM君の腕や手はくたくただろうと思う。
療法士さんの仕事は思っているよりもずっと大変なのだった。
リハビリが終ると診察があり元気に足踏みをしながら診察室に行く。
医師が「ほほう!」と感嘆の声をあげ愉快でならない。
いつも親身になってくれて本当に有難いことである。
先日杖を忘れて出勤したことを話したらまた「ほほう!」であった。
完治の見込みはないのだとしても良い方向に向かっているのだろう。
薬局で骨粗しょう症の薬をもらったらもう5時になっていた。
その足で「ほっかほか亭」に走る。今夜はまた手抜きである。
今朝娘に相談したら夕飯は要らないから大丈夫と言ってくれたのだった。
夫にステーキ、私にはチキン南蛮を買って帰った。
おかずのみなのでとてもリーズナブルである。
お腹がぺこぺこだったので6時にはもう食べ終えていた。
食器洗いもしなくても良い。なんとも楽で嬉しくてならない。
ふと閃いたのは2週間ごとの手抜きであった。月に2回である。
診察のある日は遅くなるので娘に提案してみようと思う。
その娘であるが昼間重い物を持ったらしく腰を痛めたようだ。
軽いぎっくり腰だと思うが無理を承知でダンス教室へ出掛けて行った。
帰りに食料を買って来てそれから娘達の夕食となる。
あやちゃん娘婿もどんなにかお腹を空かせていることだろう。
娘がずっと家に居てくれると本当に助かる。
家の中も少しずつ片付けてくれて随分と整理整頓が進んでいる。
ずっと失業中とはいかないがついついそう願ってしまうのだった。
あやちゃんの為にもそのほうが良いのではと思う。
今は母と娘が向き合う時間が必要なのではないだろうか。
桜と同じように小手毬もやがて散る時が来るだろう。
季節は春から初夏に変わり溢れんばかりの光がだんだんと強くなる。
春は青く夏は白いのだ。眩しさに目を細めながらどんな夢を見るのだろう。
もう花冷えとは云えないが肌寒い朝となる。
まだまだ暖房器具が必要なのだろう。
日中は晴天に恵まれたが北風が強かった。
ふと「ふゆさん」を思い出す。
転校して行ったのだが元気にしているだろうか。
友達は出来ただろうか。いじめられて泣いてはいやしないだろうか。
今朝はそんな詩を書いたらある方が宮沢賢治の作品世界に通じると
感想を述べてくれてなんと身に余ることだろう。
怖れ多いと云うか私のような者にはもったいない言葉であった。
そう云いつつ私は「ふゆさん」が好きでならない。
自分なりのシリーズとして何作か書いたがどれも好きであった。
しかし松下育夫氏いわく「少年詩か童詩の影響を受けているようだ」と。
それはまるで「ふゆさん」がいじめられたかのように悲しかった。
ここではっきり言わせてもらうが私は何からも影響など受けていない。
私は私の「こころ」から影響を受けながら書いているのである。
松下氏は決して貶した訳ではないと思うが踏みにじられたように感じた。
そうしてそれは「詩の通信教室」を止めるきっかけになったのだった。

今日は午後から損害保険募集人の資格更新試験があった。
5年ごとの更新だがもう何度目なのかは記憶にない。
はっきりと憶えているのは5年前にもうこれが最後だと思ったことだ。
以前は高知市内の試験会場まで出向かなければいけなかったが
コロナ禍の影響もあり今はオンラインで受験することが出来る。
一日がかりだったのが僅か40分で終わるので随分と助かっている。
朝からそわそわと落ち着かなかった。全く学習をしていないのだ。
常識問題だとしてもこの歳であるから物忘れも酷くなっている。
おまけに今は募集人の仕事を一切していなかった。
全て提携先代理店のY君にお任せしているのである。
こればかりはいくらあがいても仕方なく試験に臨むことになった。
今回は試験中にテキストを見ても良かったのだが
いざ問題が出て来るとテキストの何処を見れば良いのか分からない。
あたふたしているうちにどんどん制限時間が迫って来るのだった。
終った時には冷汗が出ていた。当然のことながら自信はゼロに等しい。
合格発表は来週の火曜日とのこと。不合格なら再試験となる。
あれは12年程前だったろうか。母が試験に臨んだ日のことを思い出す。
パソコンを全く使えないため「パソコン教室」に通っていたのだった。
その頃には仕事もパソコンを使うことが多く母は手も足も出せない。
それがよほど悔しかったのだろう。毎日のように言い争っていた。
私が少しでも教えようとすると「今はいい」と言って拗ねるのだ。
そうして挙句には私がパソコンを占領していると言い怒るのだった。
思い出していたらきりがないほど母との確執は絶えなかったが
母は試験に合格した。75点の合格ラインぎりぎりであった。
あの時の母の喜びようはなかった。もちろん満面の笑顔である。
それからしばらくは機嫌が良かったが結局は元の木阿弥となった。
「お母ちゃん懐かしいね」事務所に置いてある母の遺影に話し掛ける。
閉め切っていた窓を開けるとまるで母であるかのように風が吹き抜けた。
| 2024年04月09日(火) |
長い人生のほんの一部分 |
雨上がりの爽やかな朝。風は北風だったようだ。
日中は快晴となりなんと清々しいこと。
職場のすぐ近くの空家に大木がそびえており
その木に絡みつくように藤の花がたくさん咲いていて
強い風に煽られながらゆらゆらとなびいているのが見えた。
おそらく観賞用に植えられた藤ではないのではと思う。
野生の藤があるのか定かではないが雄大な自然の姿に見える。
もう随分と昔から主なき家であった。その揺れる姿もせつないものだ。
今朝は職場に着くなり昨日貸し出した車がありおや?とおどろく。
8時には免許センターに着かなければいけないと言っていたので
道中無事であればもうとっくに着いている時間であった。
一時間ほどしてお客さんから電話があり友人と一緒とのこと。
友人の年齢は定かではないが送り迎えを引き受けてくれたのだそうだ。
それを聞きなんと安堵したことだろう。これでもう大丈夫である。
しかしもう90歳が近い高齢である。免許更新が出来たとしても
今後の運転のことを考えるとやはり心配は尽きないだろう。
中古車を購入してくれることになり準備はしているのだが
どうかそれが仇にならないことを祈るばかりである。
午前中に古くからの友人がタイヤ交換に来てくれた。
会うのは3年ぶりだろうか。ずいぶんと久しぶりであった。
高校生だった娘さんも大学生になっていると聞きおどろく。
3年なんて本当にあっという間のことである。
彼女は私より6歳年下だがそれなりに歳を重ねているのが見て取れる。
雑談をしているうちに孫の話になった。
話して良いものかと一瞬迷ったがあやちゃんのことを話してしまった。
そうしたらおどろいたことに彼女の娘さんも不登校だったのだそうだ。
辛かったこと悩んだことを打ち明けてくれて思いがけなかった。
長い人生のほんの一部分だと云う。それは本当に些細なことなのだ。
中学は殆ど行かなかったが高校に入学し今は大学生である。
とにかく温かく見守ってやるのが一番だと話してくれた。
この話をどれほど娘に聞かせてやりたかったことだろう。
しかし家に帰れば「禁句」となり何も話すことが出来なかった。
当のあやちゃんは今日も機嫌がよく笑顔でいてくれる。
夕飯は「チャーシュー丼」娘が目玉焼きをトッピングしていた。
「春雨の酢の物」も作っていたのでどうかな?と見ていたら
ちゅるちゅると美味しそうに食べてくれていて嬉しかった。
現実を嘆くことは何ひとつないのだと思う。
もうトンネルの出口は見えている。あと少しもう少しである。
日中は霧雨だったが夕方から本降りになる。
もう田植えを始めている農家もあり恵みの雨になることだろう。
桜とバトンタッチをするように藤の花が咲き始めた。
躑躅も菖蒲もである。山吹も小手毬もである。
春から初夏にかけて咲く花のなんと多いことだろう。
鬱々とはしていられない。こころにも花を咲かせなければ。
低迷はまだ尾を引いているようだが少しだけ吹っ切れたようだ。
季節の変わり目のせいかもしれない。気圧も関係しているのだろう。
物事を楽観的に受け止めることが出来ずつい悲観的になってしまう。
けれども何事も気の持ちようなのではないだろうか。
昨日のように嫌なことがあってもさらりと水に流してしまいたい。
いつまでも拘っていたら一歩も前へは進めないだろう。
深い穴を掘って「ああ嫌だ、嫌だ」と叫んでみたい。
気が済むまで叫んだらさっさと穴を埋めてしまえば良いのだ。
そうすればもう済んだこと。二度と気に障ることはないのだと思う。
大切なのは他人の言動に振り回されないことである。
私にだって芯はあるのだ。その芯をなんとしても守らねばならない。

先日自損事故を起こしたばかりの高齢のお客さんが
明日一日だけ代車を貸して欲しいと申し出て来る。
伊野町の免許センターまで運転免許の講習を受けに行くのだそうだ。
近くの免許センターならまだしもかなりの遠方であった。
認知症はまだ大丈夫そうだが長距離運転は心配でならない。
道中何もなければ良いがまた事故を起こす危険もあるのだった。
義父とも相談の上で仕方なく貸すことになったが
慣れない車のせいかすでに発進から運転がおぼつかない。
おまけに伊野町の免許センターの場所もよく分からないらしい。
これは困ったことになった。明日はいったいどうなることだろう。

3時に退社。買い物を済ませ帰宅したら庭に娘の車があった。
店舗の後片付けは今日で終わると言っていたので早目に帰れたのだろう。
全てが終り寛いだ様子。すっきりとした良い顔をしていた。
玄関ではなく座敷にあやちゃんのランドセルと上履き入れがある。
娘は母親として精一杯の準備をしていたのだろう。
それがとても切なかった。赤いランドセルが泣いているように見える。
「やっぱり駄目やったがやね」娘に声を掛けたら「うん」と小さく応えた。
その後に玄関のチャイムが鳴り担任の先生が来てくれていた。
応対している娘の声がやたら大きい。笑い声も聴こえる。
それがなんだか不自然に感じ娘の複雑な気持ちが伝わってくる。
あやちゃんも一緒に居たのだが一言も声は聴こえなかった。
先生は6年生の新しい教科書を届けに来てくれたようだった。
5年生の一年間はなんとか遅れを取らずに済んだが
6年生になると勉強もずっと難しくなることだろう。
いくら努力家のあやちゃんでも心配でならなかった。
娘は何も言わない。だから私も何も言えない。
そうして当然のようにあやちゃんも何も言ってはくれなかった。
夕飯は豚カツ。あやちゃんはレトルトカレーで「カツカレー」だった。
「めっちゃ美味しい」と今夜も満点の笑顔である。
曇り日。花曇りと云いたいところが桜はほぼ散ってしまった。
そうして季節は巡って行く。桜の季節は永遠に訪れるだろう。
ふとそんな季節に逝けたらと思う。花弁のように散ってしまいたいものだ。
低迷が続いており気分転換をしたくてならない。
「退屈たいくつ」と何度も口にしてみたが
夫は聞こえないふりをして無視をするのだった。
そうなると余計に気分が沈んでしまって何もする気になれない。
ひたすら寝る。おそらく5時間ほど寝ていたのではないだろうか。
娘は店舗の後片付けに行ったが夕飯は要らないと言い残す。
だからあえて買い物にも行かず余計に退屈であった。
早く明日になればいい。仕事をしたくてたまらない。

ここに書いて良いものかとずいぶんと迷ったが
SNSは決して楽しい場所ではない。
今日は少し不愉快なことがありもやもやとした気分が収まらずにいる。
以前はミュートしていて発信に目が触れることはなかったが
最近になって解除してしまったのがいけなかった。
一日に何度も発信がある。言葉は悪いがうんざりする程である。
「虫が好かない」と言って良いのかどうにも共感出来ない。
じゃあ再度ミュートすれば済むことだがそれも迷ってしまうのだ。
フォロー解除、ブロックという手もあるがそれは良心が咎める。
決して悪意がある人ではなかった。だから尚更のことである。
あれこれ考え込んでいてはっと気づいたのは
私も誰かから同じように思われているかもしれないことだ。
毎日好きなように発信を続けているが気に食わない人もいるだろう。
誰もが共感してくれることは決して在り得ないことである。
私はよく「お目汚しを」と口にするがそれは謙遜ではなかった。
不愉快な思いをしている人が少なからずいることを感じているのだ。
そうして劣等感は強まりどんどん自信を失くしてしまう。
それでも私は書くことを諦めずにいる。
一握りの光を求めSNSの海を漂っているようなものだ。
この日記もそうだが他に私の居場所は無いに等しい。
だから失うことが怖くてならない。それは死んだも同然に思う。
ゆるしてはくれまいか。認めてはくれまいか。
これからも生きている限り私は在り続けたいと願ってやまない。

あやちゃんがパスタを湯がいていた。
「すごいね、えらいね」と褒めたら「別に・・」と応える。
明日は入学式もありいよいよ新年度が始まる。
めいちゃんはとても楽しみにしていてテンションが高いが
あやちゃんはどれほど複雑な気持ちだろうと気遣わずにいられない。
しかし迷っているふうには見えない。おそらくもう決めているのだろう。
「行かない」選択をどうして周りが責められようか。
新鮮な春である。桜は散ってもまた新たな花が咲くことだろう。
あやちゃんのこころにそっと一輪を添えてあげたいものだ。
曇りのち雨。春らしいやわらかな雨となる。
何処からともなく若い緑の匂いがするような気がした。
雨を受けながらきっと生き生きとしているのだろう。
私はと云えばしんみりとするばかり。
鬱ではないと思うのだが感傷的になってしまうのだ。
例えば若い子は箸が転んでも笑うとよく云われているが
私の場合は箸が転んだら悲しくなってしまうだろう。
無理に微笑むことをせずにいるとどんどん深みにはまって行く。
「そんな時は自分を抱きしめて」それも綺麗ごとにしか思えない。
こうなれば在りのままの自分を愉しむしかないのだった。

今朝は再放送の「オードリー」を見てから2時間近くも眠っていた。
そろそろ買い物に行かなければと気だるさのまま起き出す。
ふっと頭に浮かんだのは「鰤大根」であった。
寒い頃に頂いた大根が冷蔵庫の野菜室で眠っている。
まだ大丈夫だろうと確かめもせずにもう鰤のアラを買おうとしていた。
サニーマートの鮮魚売り場へ行ったら切り身はあるのにアラがない。
もしやと思い店員さんに訊いたらまだ準備中とのこと。
忙しそうにしていたのに奥から出して来てくれてとても助かる。
2パックで7百円、切り身よりもずっと安い。
帰宅したらもう10時を過ぎていた。次はカーブスである。
計測日であったが強制ではないのでさらりとお断りする。
体重もお腹周りももうどうだっていいのだと開き直っていた。
大きな扇風機がいくつか回っているのに流れる汗が半端ない。
それはとても心地よくそれだけで来た甲斐があると思った。
コーチが声を掛けてくれて脂肪が燃えているのだと言う。
それは嘘だろう。そんな誉め言葉に私は騙されはしない。
帰宅する前にほか弁を買いに行く。
全部で6人分。娘とけい君の分もあった。
娘はまだ店舗の後片付けが残っているが疲れが酷いとのこと。
今日も行く予定だったが急きょ休みにしたようだ。
けい君に会うのはお正月以来であった。
少し見ない間に背が伸びていてびっくりしてしまう。
やっとあやちゃんが遊んでくれたのは昼食を終えてからだった。
タブレットとゲーム機、それさえあれば何も要らない。
部屋からは楽しそうな話し声も聴こえていてとてもほっとした。
4時には息子が迎えに来て仕方なくもう帰らなくてはいけない。
つかの間ではあったが息子と少し話すことが出来た。
私の声がまだまともに出ていないのを心配してくれて嬉しい。
けれども最後には「煙草を止めんといかんぞ」と叱られてしまう。
仕事は順調とのこと。元お嫁さんとも度々会っていて
息子が夜勤の時には泊まりに来てくれているそうだ。
季節の変わり目なので心配なこともあったらしいが
今は落ち着いていると聞きどれほど安堵したことだろう。
離婚という息子の決断は決して間違ってはいなかったと思う。
「夫婦」にしばられなくても息子達のような関係もあるのだ。
もう5年生のけい君が辛い思いをすることは今後も決してないだろう。
降り止まぬ雨音を聴きながらこれを記した。
暖かいので窓を開けているが降っているはずの雨は見えない。
気分は相変わらず低迷しているが幸せな一日だった。
霧雨だったのがやがて本降りになる。
気温は朝から殆ど上がらず午後からは肌寒く感じた。
桜の花びらが雪のように舞うのを見ているとやはり切ないものである。
郵便局の桜はもうすっかり葉桜になっておりこれも侘しい。
心にぽっかり穴が空いたように思う。なんとも寂しいものだ。
けれども桜の木は何も失ってなどいないのだ。
嘘だと思うなら桜の木に訊いてみるがいい。
今朝は職場に着くなり大変な忘れ物に気づく。
車から下りようとしたら大切な杖が見当たらなかったのだ。
うっかりではない。おそらく無意識の内のことだろう。
家の玄関を出て車までいったいどうやって歩いたのか記憶になかった。
それだけ痛みが薄れていたのかもしれないがそれも記憶にない。
職場では車から下りて歩くことが出来ず同僚に助けを求めた。
そうしたら家に杖があるからとわざわざ取りに帰ってくれる。
今は老人ホームに入居しているお母さんの杖なのだそうだ。
有難いこと。おかげで一日難儀をせずに済み随分と助かった。
それにしても不思議でならない。今朝はどうしたことだろうか。
義父は早朝から田起こしに行ったらしく留守だった。
車検が3台もう整備は終っており後は検査をするだけである。
ひたすら義父の帰りを待っていたがお昼になっても帰って来なかった。
これは長丁場になるなと察しお昼休みの内に短歌を書いておく。
「しとと雨はらり桜の舞う空は失うことを怖れもせずに」
意味不明かもしれないが分かる人にはきっと伝わるだろう。
何しろ自己満足のうえに自分勝手な者だからこんなもんである。
詩もそうだが短歌も低迷し続けているようだ。
自分では80点だと思っていても現実は厳しく30点としたものだ。
めげるなよ挫けるなよとひたすら自分を励まし続けている日々であった。

義父は2時前にやっと帰って来てくれたが昼食の時間もあり
適合証を書き終えたら3時をとっくに過ぎていた。
同僚と納車を済ませてから4時に退社することが出来る。
今日は娘が家に居てくれたので随分と気が楽だった。
サニーマートへ着いてから娘に電話をする。
残りご飯が多いか少ないかの確認であった。
「いっぱいあるよ」と聞き「鰹のひっつけ寿司」に決める。
鮮魚売り場へ真っ先に行ったら今日も新鮮な鰹があった。
予想に反して少し高く一節で9百円だったが奮発して二節買った。
後は半額の物をあれこれ買ったので総額は予算内で収まる。
我ながら賢い主婦である。半額様々と呟きながら家に帰った。
「鰹のひっつけ寿司」は顎が落ちそうなほど美味しく幸せである。
息子から久しぶりに電話があり明日けい君を預かることになった。
もう5年生になるのでほったらかしでも良いのだけれど
めいちゃんとは遊ばすあやちゃんにべったりのけい君である。
おそるおそるあやちゃんに訊いたら一緒に遊んでくれるとのこと。
それも「おばあちゃんが決めたらえいよ」と言うので意外だった。
友達は居ても誰とも遊ぶことのなかったこの一年である。
けい君とは不思議と気が合いひたすらゲーム三昧をするのだった。
明日はきっと良き気分転換になることだろう。
桜はすっかり散ってしまっても何も失わないと言ったが
樹齢百年を超えた桜の木もあるのだそうだ。
そのほんの一年のことである。桜の季節は永遠に巡って来るのだ。
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