ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月04日(木) 桜吹雪が舞う

二十四節気の「清明」すべての命あるものが生き生きと光り輝く頃。

桜はもちろんのこと樹の若葉。道端の草やてんとう虫もである。

人間はどうだろう。輝けるはずがないと嘆く人もいるだろうが

自然を仰ぎ心を清々しくしながら穏やかさを保とうとすることは出来る。


私のように歳を重ね落ちぶれてしまった者でも歓びはある。

そうして微笑めば奇跡のように輝くことが出来るのではないだろうか。

くすぼっていてはいけないのだ。諦めてしまってはいけないのだ。

自分の可能性を信じる。生きてさえいればきっと叶う日が来るだろう。




週一のリハビリの日だったので3時前に退社。

余裕を持って早めに行って良かった。病院に着くなり直ぐに順番が来る。

私は待ち時間が苦手なのだ。些細なことでもストレスを感じてしまう。

夫いわく病院は待つのが当たり前なのだそうだ。

「おまえは辛抱が足らんがじゃ」とよく言われる。


今日の療法士さんは若い男性でちょっと胸がときめく。

しょっぱなからの手触りがなんとも優しくうっとりとしてしまった。

それなのに突然咳き込み始めて焦りまくる。

一度咳が出始めるとなかなか止まらないのだった。

マスクをしていてもこれほど迷惑なことはないだろう。

療法士さんが気遣ってくれて「喘息ですか?」と訊ねてくれた。

煙草を吸った直後ならまだしも私にも原因がよく分からないのだった。

血行が良くなり身体が温まると出るような気もするが

そんな病気があるのだろうか。それにしても困った咳である。



サニーマートで買物をして4時半に帰宅する。

今日は遅くなるかもしれないと思いお昼休みに短歌を書き終えていた。


「あのひとのことなどもう忘れたいよ歌詞のようにはいかない恋だ」

なんとお粗末でふざけた短歌だろう。自分で呆れながらも愉快である。

突然、浜田省吾の「片思い」が頭に浮かんで来たのだった。

ちなみに私には忘れたいひとなど一人もいない。

二度と帰れない青春である。忘れてたまるものかと思っている。


洗濯物を畳もうとしていたらあやちゃんの姿が見えたので

「ただいまあ」と声を掛けたら「おかえりい」と言ってくれて嬉しかった。

今日も機嫌の良い証拠である。精神的にも落ち着いているのだろう。

春休みも残り少なくなったが期待はせずにいようと思っている。

背中を押すことも決してしてはならない。

でもあやちゃんにはもうトンネルの出口が見えているような気がする。

そこには散り始めた桜の花びらが春の空を舞っていることだろう。



2024年04月03日(水) 大丈夫よ心配しないで

雨が時おり激しく降る。春雷も鳴り空が割れてしまいそうだった。

季節を真っ二つに引き裂くような一日ではなかったろうか。


桜散らしの雨だと思い込んでいたが見上げる桜のなんと健気なこと。

まるで雨を愉しんでいるかのように微笑んでいるのだった。

「大丈夫よ心配しないで」そんな声が聴こえて来る。


嘆いてはいけないのだ。何があっても強く生きなければばらない。

桜にとっては覚悟の雨だったのに違いない。

逃げることも隠れることも出来ないのなら立ち向かうしかないのだ。





義父が午前中出掛けていたため午後から一気に忙しくなった。

どうやら久しぶりに友人達と喫茶店で盛り上がっていたようだ。

農閑期にはよくあることだがそんな息抜きもなくてはならない。

ストレス発散になったのか機嫌よく帰って来たので私も嬉しかった。

午後からは「さあやるぞ」である。パワフル満開になっていて愉快。

心配していた同僚も今日は体調が良さそうで何よりだった。


3時半に退社。いつもより遅くなり大急ぎで帰路に着く。

夕飯は何にしようかと考えながら運転していた。

それから短歌である。今日は書く時間がないかもしれない。


良心市で手に入れた新玉葱があったので親子丼にすることにした。

サニーマートで格安のブラジル鶏を買う。

お刺身は鰹、新鮮な鰹が安くてなんと助かる。


4時半に帰宅。洗濯物も畳まずに二階の自室に駆け上がった。

ちょうど大きな雷が鳴り始めてめいちゃんが怖がっていた。

「ごめんねめいちゃん、おじいちゃんと一緒におってや」

私を頼ってくれたのになんと薄情なおばあちゃんだろう。

制限時間は20分である。なんとしても書くぞと気合が入る。


「春雷に折れそうになる老いた樹に寄り添う花の優しさを見る」





洗濯物を畳むのに20分も掛かってしまった。

もう5時を過ぎていたが少しだけ寝転がってしまう。

なんだかとてもしんどかった。ひどく疲れを感じる。

歳のせいだとは思いたくはないが無理をしているのかもしれない。

夕食の支度をしなければと思いつつ直ぐには起き上がれなかった。


その時である。娘が早めに帰って来てくれたのだった。

今日も遅くなると聞いていたのでなんと嬉しかったことだろう。

ゲンキンなもので直ぐにやり気満々になった。

店舗の片づけは明日で終わりそうとのこと。

男手が無いので店長と娘だけで頑張っているのだそうだ。

じゃあ明後日からずっと家に居てくれるのかなと期待がふくらむ。

ずるい性格なのでもう楽をしようと目論んでいる私であった。


先のことは何も分からないがだからこそ前を向いていたい。

ひと針ずつ縫い続けているような日々であった。


いったい何が出来上がるのだろう。この目で確かめようと思う。



2024年04月02日(火) 明日は散るかな桜花

花冷えだろうか今朝は少し肌寒かったが

日中は風もなくずいぶんと暖かくなった。

雨が近づいているらしく午後には雲が広がり

何処からともなく蛙の鳴き声が聞こえていた。


出勤時に四万十大橋を渡っているとS子ちゃんの車とすれ違った。

12年もの間村の商工会に勤めていたのだが

この春の異動で黒潮町に転勤になったのである。

「また会える日もあるよね」と笑顔で別れたのだが

まさかこんなに早く再会できるとは夢にも思っていなかった。

あっS子ちゃんのプリウスだと気づいたのは一瞬のことで

窓を開けて手を振ることも間に合わずとても残念に思う。

けれども明日がある。明後日もある。これから毎朝会えることだろう。

私もぼんやりしていてはいけない。手を振る準備をしておかなくては。

そう思うと朝の道が楽しみでならずなんだかわくわくとしてきた。




仕事は3月の繁忙期を乗り越えたようにも思えるが

まだまだ油断は出来ず既に来週いっぱいは予約で埋まった。

来週には義父が田植えを始めるらしいがどうなることだろう。

どちらもも順調に捗るようにと願ってやまない。


気になるのは同僚の体調のこと。昨日は不整脈の発作が起きてしまい

仕事を終えてから救急外来へ行っていたそうだ。

ゆっくりと休ませてあげたいが今日も無理をさせてしまった。

義父に相談しても無理な話で「煙草の吸い過ぎじゃ」と怒るばかり。

一歩間違えればパワハラである。もう少し親身になってあげて欲しい。




3時に退社。今日は娘が店舗の片付けに行っていて遅くなるらしい。

昨日の歓びもつかの間であったが今日は今日のことをと思う。

サニーマートであれこれと悩みながらとにかく半額品を買った。

鮭の切り身が半額。脂がのっていてとても美味しそうだった。

後は特売の茄子と南瓜を買い天婦羅にすることにする。


南瓜の素揚げが大好きなあやちゃんにお手伝いを頼んでみたが

部屋に閉じ籠っており応答がなかった。

私もつい苛立ってしまって「じゃあもういい」と怒鳴り散らす。

いけないいけない。また血圧が上がってしまいそうだ。


とにかく落ち着こうとパソコンに向かい短歌を書いた。

何度か深呼吸をしたのが良かったのだろう我ながら上出来である。

ここだけの話だが俵万智の短歌よりずっと優れていると思った。


「雨近く花を曇らせ薄紅の恋したひとも明日は散るかな」


今はまだ降っていないが今夜遅くからまとまった雨になりそうだ。

おそらく桜散らしの雨になることだろう。

儚いようで潔い。そんな花のいのちが愛しくてならない。






2024年04月01日(月) 「いのち」の花

今日こそはと快晴。黄砂の飛来もなく真っ青な空だった。

気温はほぼ夏日であったが爽やかな風が吹く。


郵便局へ行ったら入口に桜の花びらが沢山落ちていて

もう散り始めたのかと切なくてならない。

ソメイヨシノより少し早く咲いていたのだった。

局長さんが大島桜だと教えてくれたのはつい先日のこと。

純白の桜でソメイヨシノより花が大きく葉が緑なのが特徴である。

私はこの桜がとても好きで毎年咲くのを楽しみにしていた。

思いがけない桜吹雪だった。なんと儚いことだろうか。


帰り道の平田町ではソメイヨシノが満開になっており

お花見客が多く見られた。乳母車の赤ちゃんもいる。

青空に吸い込まれてしまいそうな桜を仰いでいると

なぜか胸が熱くなり涙がこぼれてしまいそうになる。

ふとどうしてしまったのだろうと自分が分からなくなった。

母が死んでも涙ひとつこぼさなかった私がである。

「そうか、そうか咲いたのか」と心の中でつぶやいていた。

誰に語り掛けていたのだろう。あの子かもしれないとふと思った。

咲かせてあげたかったのだ。それは「いのち」の花である。




帰宅すると当たり前のように娘が居る。

夕陽を受けて娘の車がきらきらと輝いて見えた。

なんだか嫁いだ娘が里帰りをしているような気がする。

「おかえりなさい」と言われてはっと我に帰った。


この安心感はなんだろう。肩の荷が下りたようにほっとする。

気が抜けたようになりつつ日課の短歌を書いた。

制限時間は30分である。おかげで穏やかな気持ちで書けたようだ。


「断捨離の母の春着に手を添えて懐かしきかなあの日の笑顔」



久しぶりに娘と肩を並べて夕食の支度をする。

もうばたばた慌てることもない。もちろん血圧も上がらない。

5時半には晩酌を始める夫には鯛のお刺身を作った。

後は「椎茸のタタキ」「豚ロースの味噌焼き」

いつものように夫と二人で先に食べ始めていたのだが

娘夫婦が庭で何かこそこそとやっているのが気になった。

何かを焼きながらビールを飲んでいるらしいのだが

いったい何だろう。匂いも漂って来ないのだった。

夫が口に指を当てて「黙っていろよ」と合図をする。

好きなようにさせるのが一番なのだろう。

もう10年も一緒に暮らしているとあれこれ秘密もあるらしい。


日が暮れると何事も無かったように家の中に戻ってくる。

「さあご飯食べようかね」と娘が言うのでくすっと可笑しかった。

あやちゃんは今夜もご機嫌である。それが何よりも嬉しく思う。


我が家の居間にはメモリアルボードが飾ってあって

歩き始めた頃のあやちゃんの写真もある。

そのあどけない笑顔が私は好きで好きでたまらない。

10年ひと昔と云うがまるで昨日のことように思う時がある。







2024年03月31日(日) 弥生尽く

快晴かと思いきや午後から花曇りとなった。

昨日初燕を見たばかりだがなんと元気に飛び交うことだろう。

長い旅を終えたばかりとはとても思えない。

さえずりも可愛らしく聴いているだけで心が和む。

  
いつもは朝から寝てしまう日曜日だが

今朝は冬物を片付けようと押し入れを開けていた。

まだ花冷えもあるだろうがもう着ることもないだろう。


母のもはや形見になってしまった衣類も沢山あった。

アパートを引き払う時にかなり処分はしていたのだが

衣装持ちの母のことである。とても捨て切れなかったのと

施設に入居しても普段着の必要な時もあり残して置いたのだった。

高価だった衣類が多く状態はとても良かったが心を鬼にする。


一枚一枚確かめるように手に取り母を懐かしく思い出す。

ああこれは好きだったな。ああこれもよく着ていた。

懐かしんでいたらきりがなく思い切ってビニール袋に詰め込む。

もちろんゴミではなく市のリサイクル施設へ持ち込むのだ。

繊維資源として何か他の物に生まれ変わるのかもしれない。

衣類のまま発展途上国へ送られるのかもしれなかった。

これも断捨離なのかと思う。母を断つ。母を捨てる。母と離れる。


空っぽになった衣装ケースに夫と私の冬物を入れた。

もしもの時には娘が処分してくれるだろう。

無事に生きていればまた寒くなったら着れば良いのだ。




午後は2時間ほどお昼寝。暖か過ぎて炬燵も要らない。

いつの間にか曇っていたので早めに洗濯物を取り入れようとしていたら

外で遊んでいためいっちゃんが駆け寄って来てくれて手伝ってくれた。

背が伸びたのだろう。高い所にも手が届きなんとも頼もしい。

洗濯物を畳んでいたら台所からがちゃがちゃと音が聞こえる。

なんとめいちゃんが流しにいっぱいだった食器を洗ってくれていた。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。思わず目頭が熱くなるばかりである。

自分から進んでお手伝いが出来るようになった大きな成長だと思う。



その後、冷たいコーヒーを飲みながら短歌を書く。

このひと月のあいだ最後には「あの子」のことを書いて来たが

今日で終わりにしようと思っていた。

わずか31首であったが少しは供養になったのだろうか。

身勝手な自己満足に過ぎないが書くことで救われたようにも思う。


「毎日が命日だった弥生尽く忘れぬことが供養だろうか」





6時半に娘が帰宅。やれるだけのことをやったのだろう機嫌が良い。

心身ともに疲れ切ってしょんぼりして帰って来るのではと思っていた。

もしかしたら空元気かもしれないが鼻歌まで聞こえているのだった。

あれこれと訊ねてはいけないと思いただ微笑むばかりの母である。


明日はもう卯月四月。きっと新鮮な春になることだろう。

弥生三月は去ろうとしている。そうしてやがて過去になるのだ。



2024年03月30日(土) 桜が満開になった日

晴れのち曇り。今日も汗ばむ程の陽気となる。

市内の桜の名所「為松公園」では桜が満開になったそうだ。



さすがにもう冬物の服は着れなくなってしまって

今朝は春物を引っ張り出して着てみたがなんと不格好なこと。

この一年で体重が8キロも増えてしまったのだ。

ダイエットもすっかり諦めてしまったので体重は増える一方である。

今日はなんとか凌いだが明日はいったい何を着れば良いのだろう。

昼食を食べ過ぎてしまいまるでお相撲さんのような姿であったが

意を決して市内の衣料品店へ買い出しに行っていた。

「しまむら」へ行けば安いが品が悪く長持ちしないのが難点だ。

体型をカバー出来るベストのような物を二着買い

ゆったりサイズのおしゃれTシャツを二着買った。

総額一万円を超えけっこう痛い出費となる。

けれども背に腹は代えられない。これで少しは恰好が付くだろう。


日々醜態を晒していてもうかつての面影もなくなった。

年齢を重ねると次第に痩せてくるらしいが私には当てはまらない。

小食にもなるらしいがとんでもないほどの大食いである。

だからと云ってなんとかしなければとはもう思わなくなった。

なるようになるだろうと開き直っているような気もしている。

幸か不幸か太っているおかげで顔の皴はあまり目立たない。

全体にむちむちしていてふっくらと可愛らしいのかもしれないのだ。




娘の働いているセリアが明日で閉店となるため

在庫商品すべてが半額と知り様子を見がてら買物に行って来た。

商品は少なくなっていたがお客さんのなんと多いこと。

娘はレジに居たがひっきりなしに清算をしていた。

台所商品を8点ほどカゴに入れレジに行ったら娘の機嫌が悪かった。

「なんで来たの」と言わんばかりである。

他のお客さんには笑顔で接しているのに私には愛想が悪い。

これではまるで邪魔者扱いではないかと思ったが

腹が立つどころかなんとも切なくてならなくて涙が出そうになる。


高卒で就職試験に2度も失敗し途方に暮れていた娘に

アルバイトで良いから働いてくれないかと声を掛けてくれた人がいた。

娘も就職が決まるまでと思って気軽に勤めるようになったのだった。

それから25年目の春である。娘はもうアルバイトではなかった。

正社員となり副店長にまでなった。結婚もし子供にも恵まれたのだ。


娘にとってはとても縁の深い職場だったのだと思う。

沢山の出会いもあり何よりもずっと笑顔の日々だったことだろう。

最後には「閉店」となり世間の荒波に呑み込まれてしまうが

娘の心の内を思うととても言葉に出来ないような寂しさがあった。


さっちゃん長いことご苦労様。いっぱいいっぱい頑張ったね。

母はそんなさっちゃんを誇りに思っています。

明日もうひと踏ん張りしたらしばらくはゆっくりと休もうね。



2024年03月29日(金) 発作のようなこと

昨夜は殆ど雨は降らず春の嵐ではなかったようだ。

今朝は晴天となっており日中は20度を超え汗ばむ程の陽気となった。

桜が次々と咲き始めなんだかわくわくとしてくる。

例の平田町の桜並木も3分咲き程になった。

週末にはお花見客もあるだろう。夜にはぼんぼりに火が灯るかもしれない。

夜桜も好いものだ。昔は家族揃って行ったことがとても懐かしい。



3月最後の金曜日。村役場等は年度納めだったようだ。

異動があった職員は引き継ぎに忙しそうにしていた。

義父がいつも懇意にしていた農林業課の職員も異動とのこと。

もう相談も出来ないと義父は少し途方に暮れている。

それも新年度が始まってみないと分からないことだ。

また良き職員に巡り合えるかもしれないではないか。


会社は5月決算なのでいつもと変わらない月末となった。

資金繰りが順調だったので気苦労もなく順調に終える。

中古車の納車が一台あったがオーディオが不良とのこと。

昨日の義父の電話はその件で部品注文が間に合わなかったのだ。

今朝はもう叱られずに済んだがやはり心苦しくてならない。


3時半まで仕事。なんだか疲れてしまって明日はお休みを頂く。

サニーマートへ行ったら今日は「肉の日」だと騒いでいる。

「天下茶屋」にしようと窪川産の牛肉を買ったが特売ではなかった。

2パックで2500円。輸入肉が見当たらず残念だった。


4時半に帰宅。2階の窓からめいちゃんが手を振ってくれて嬉しい。

おまけに外まで駆け出して来てくれて重い荷物を運んでくれた。

春休みの間は学童の「たけのこ学級」に通っているが

3時までなのでおじいちゃんがお迎えに行っていたようだ。


昼間は新任の保健室の先生と教頭先生が来てくれたとのこと。

あやちゃんは緊張することもなく笑顔で応対していたと聞きほっとする。

どんな先生なのだろう。気になってしょうがないが

あれこれ詮索するなよと夫からきつく言われてしまった。

話したくなったらきっとあやちゃんから聞けることだろう。



5時までに短歌を書こうと自室にこもりパソコンに向かった。

制限時間は15分ほど。一首につき5分となかなか厳しい。

考えている時間はないのでまるで発作のようにして書いた。

自己満足に過ぎないが書き終えた後のなんと清々しいこと。

思わず「今日もやったね」と声が出る。

実は昨夜もあれから書けてしまったのだ。

おかげで思い残すこともなく心地よい達成感があった。


どれほど忙しくても心を亡くしてはいけないと思う。

私にとって書くことは生きることに等しいが

それは同時に「生きたい」欲なのではないだろうか。

その欲を手放すことはとても考えられないことである。


些細なことであっても「いのち」を注ぎ込めるような

そんな生き方をしたいと願ってやまない。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加