曇り日。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。
今夜から明日の朝にかけて激しく降るのだそうだ。
花曇りから桜雨。花に嵐にもなり得るだろう。
今日は義父がずっと工場の仕事をしてくれて助かった。
雨の予報だったので最初から諦めていたのだろう。
私もする仕事は沢山あったがリハビリの日だったので早めに終える。
日によって予約時間が異なり2時半までに着かなければいけなかった。
電話はマナーにしなければならず気にはなっていたが
急ぎの用事があり義父が何度か電話を掛けたらしい。
4時に病院を出たがうっかりしていて着信に気づかなかった。
日が暮れてからやっと気づき折り返し電話をしたのだが
「もういい、もう間に合わん」と義父に叱られてしまった。
そんな些細なことでも私はひどく落ち込んでしまう。
そのせいではないのだが今日は短歌が書けなかった。
言い訳になってしまうが時間の余裕が全く無かった。
今からでも書けないでもないがもう諦めようと思っている。
決して書かなければいけないのではない。
詩も短歌もこの日記も書きたくてたまらないから書いているのである。
日課のひとつが欠けてしまったことが残念でならない。
なんだか片腕を失ってしまったように哀しい。

今日は娘が休みだったのでずいぶんと助かった。
帰宅したのが5時だったので尚更のことである。
掃除機も掛けてくれており洗濯物も畳んでくれていた。
来月からは職を失ってしまうのでしばらく主婦をするらしい。
私は助かるがずっと失業中ともいかないだろう。
まだ先のことは見えないが明るい前途であって欲しいと願っている。
娘が一口カツを揚げてくれた。私は高野豆腐を煮る。
昨日の椎茸が残っておりそれしか思いつかなかった。
ダンス教室があるので娘とめいちゃんは出掛けてしまって
あやちゃんは独りで夕食を食べていた。
「おばあちゃんはお風呂に入ったや。大丈夫やけん」
寂しくはないかと気遣っていても一人気ままが良いようだった。
独りぼっちに慣れてはいけないと老婆心のように思う。
雨は降ったり止んだりのようで今は雨音も聴こえない。
なんだかしんみりとしてしまってどうしようもない。
これからSNSへ飛ぶが短歌が書けるかもしれない。
行ってみないと分からないのだ。こことは全く違う世界である。
夜明け前には檸檬のような月が見えていた。
私はそれを「見られている」と表現する。
そうして詩が書けるのならそれで良かったのだろう。
月の光は果汁である。今にも零れ落ちてしまいそうだ。
夜が明けると雲ひとつない青空が広がっていた。
なんと清々しいことだろう。そうして私の一日が始まる。
職場に着くなり義父がまたそわそわと落ち着かない。
開口一番に「田んぼへ行ってもええか?」と私に問うのだった。
昨日は逃げるように出掛けて行ったのに今日はどうしたことだろう。
まるで小学生が母親に「遊びに行ってもええ?」と問うようであった。
私は愉快でたまらない。「宿題をしてからね」とはもちろん言えない。
お昼過ぎに一度戻って来て契約に行った。
先日の事故のお客さんが新車を買ってくれることになったのだ。
30分もしないうちに「売れたぞ」と上機嫌で帰って来る。
そうしてまた長靴を履くと大急ぎで田んぼに向かったのだった。
おそらく日が暮れるまで農作業をしていたことだろう。
とても80歳とは思えないパワフルな義父であった。

少し早めに仕事を終えられたので3時過ぎにはサニーマートへ着く。
今夜のメニューは八宝菜に決まっておりちゃちゃっと買物をする。
むき海老が半額だったので助かった。椎茸も特売である。
5時になり夕食の支度を始めようとしたらあるはずの白菜がない。
昨日娘が友人から貰ったので冷蔵庫に入っているはずだった。
春らしくなったので鍋物よりも八宝菜だと閃いたのだが
冷蔵庫の野菜室には白菜の菜花のような物が入っていた。
それはそれでざっと湯がいてポン酢マヨで食べたら美味しい。
しかしどうしてそれで八宝菜が出来ようか。
よくよく考えたら今の時期に路地物の白菜があるはずがなかった。
しばらく台所で狼狽えていたが何か他の物を作らなくてはいけない。
豚バラ肉で生姜焼きを作る。むき海老は天婦羅にすることにした。
お風呂上がりの夫がビールを飲み始めたので
大急ぎで鰹のお刺身を作る。まるで小料理屋の女将のようだった。
6時前にやっと娘が帰って来て海老天を揚げてくれ助かる。
夫は八宝菜が好きで中華丼を楽しみにしていたようだが
あやちゃんはあまり好まず海老天の方が嬉しかったようだ。
今日も機嫌がよく笑顔で食べてくれて嬉しかった。
お風呂上りに血圧を測ってびっくり。上が170もあった。
最近はずっと落ち着いてたので「まさか」と疑う。
自覚症状は全くないがおそらく台所で奮闘し過ぎたのだろう。
ストレスではなくパニックだったのだ。
まあどんな日もあるだろうとあまり気にせずにこれを記している。
大丈夫。これくらいで死にはしない。
「春に三日の日和なし」とよく云われるが
今日の快晴が嘘のように明日はまた下り坂なのだそうだ。
明後日には春の嵐になるのかもしれないが
咲き始めた桜のなんと健気なことだろう。
彼女らは何があっても咲くのだ。決して挫けることはない。
夜明けと共に雨はやみ日中は次第に晴れて来る。
午前中は汗ばむ程の暖かさであったが午後から風が強くなった。
明日の朝は平年並みの気温に戻るとのこと。寒暖差がとても激しい。
青空が見え始めると一気に桜の花が咲き始め
朝にはまだ咲いていなかった木にもぽつぽつと花が見え始める。
今日よりも明日と次々に咲き始めることだろう。
仕事が忙しく何から手を付けたら良いのか。
来客も多くしゃがれた声のまま応対に追われていた。
晴れたら義父も田んぼに行きたくてならずそわそわと落ち着かない。
田んぼに水を張る前に田起こしをしなければいけないのだ。
お昼前に逃げるようにして出掛けて行った。
私は昨日の事故車も含めナンバープレートを外す作業をしていた。
それが螺子が錆びついていてドライバーでは外れない。
杖を付きながらの片手作業なので尚更のことだった。
仕方なく同僚の手を借り3台のナンバープレートを外すことが出来る。
次は車検証と一緒に高知市内の代書事務所へ速達で郵送する。
最近の郵便事情はとても悪く普通便では翌日に着かないのだ。
29日までに着けば間に合うのだが何か不備があってはいけない。
廃車は特に気を遣う。来年度の自動車税が掛かれば大変なことになる。
郵便局を出たのが12時40分。今日はお昼休みどころではなかった。
義父が大量の洗濯をしていたのでコインランドリーへ持って行く。
いつものことなのだが10日分程溜めるのが常だった。
下着も作業着も後が無くなるまで洗濯をしないのだ。
母が健在だった頃はこまめに洗濯をしていて
ベランダいっぱいに干していたことを懐かしく思い出した。
でも母は畳むことをしなかった。仕事が忙しく手が回らなかったのだろう。
私が畳むことが多かったがそれも今となってはとても懐かしい。
5本指の靴下の左右を間違えてよく叱られたものだった。
コインランドリーでとても親切な女性に会った。
娘と同じ年位だろうか。乾いた洗濯物を車まで運んでくれたのだ。
私が杖を付きながら苦心しているのに見兼ねたのだろう。
大きな洗濯籠を両手に持って軽々と運んでくれなんと嬉しかったことか。
足が不自由になってからよけいに他人様の親切が身に沁みるようになった。
自分で出来ることはなるべくと思いつつ甘えたり頼ったりする。
無理をしたり強がったりしてはいけないのだと最近よく思う。
でも甘えっぱなしではいけない。恩返しをすることも大切なことだ。

4時に帰宅。今日は「夢に餅」はなく自分で洗濯物を畳んだ。
お昼休みが無かったのでまだ短歌を書いていない。
ふとたまには休もうかと思ったが「毎日」に拘っているようだ。
自室のパソコンに向かい開け放した窓から西の空を仰ぐ。
風は強いがなんと清々しい青空だろうと思った。
西に傾いたおひさまは眩しいほどに輝いている。
そうしているうちに自然に31文字が浮かんで来た。
15分で書ける。我ながら大したものだと己惚れるばかり。
炊飯器の蓋を開けたらご飯が少ししか残っていなかった。
夫に相談したら「素麺が食べたい」と言う。
幸い去年の夏の素麺が沢山あり早速大きなお鍋で湯がいた。
これが大好評で孫達も大喜びで食べてくれて嬉しかった。
三月に素麺も良いものだ。四月だって五月だって素麺だ。
真夏になれば毎日でも素麺が食べたい。
| 2024年03月25日(月) |
「余生」ではなく「与生」 |
いかにも春らしい優しい雨。あたり一面がしっとりと潤う。
同じソメイヨシノでも木によって環境が異なるのだろう。
すでに3分咲の桜もあればまだ蕾のままの桜がある。
四万十川の中流地域では川沿いの桜がもう満開なのだそうだ。
桜に左右されているわけではないが気分は晴れやかである。
鬱々と考え込むこともなくすっきりとししているようだ。
くよくよしても始まらない。すくっと前を向きたいと思う。
桜は咲けば散ってしまうが私はまだ散るわけにはいかない。
「余生」ではなく「与生」なのだそうだ。
与えられた定命をなんとしても全うしたいものだ。

義父が高知市へ出張。緊張感が緩み同僚と共にゆったりと仕事。
同僚は少し鬱気味になっており眠れない夜が続いているらしい。
仕事の忙しさに加え日曜日は農作業をしているのだそうだ。
おそらく過度の疲労で精神的なストレスが溜まっているのだと思う。
先日も義父に相談したが「じゃあ毎日遊んでいればいい」と言う。
人一倍タフな義父にはとても考えられないことなのだろう。
お昼前にお客さんが転落事故を起こしSOSがあった。
ガードレールのない林道を走っていてハンドル操作を誤ったらしい。
義父が不在なので同僚が駆け付けたがとても手に負えない状況である。
幸い任意保険に加入しており専門の業者に依頼することが出来たが
レッカー搬送されて来た車を見て血の気が引けるほど驚く。
助手席は大破しており窓ガラスは割れ車内は荷物が散乱していた。
もし助手席に誰かが乗っていたら命に関わるような事故であった。
運転していたお客さんはかすり傷で済み不幸中の幸いである。
自動車税のこともありすぐに廃車の手続きしなければいけない。
それから新車は買えないので中古車を至急探して欲しいと依頼がある。
明日には早速段取りをするがまた義父が忙しくなることだろう。

いつもより少し早めに帰路に着く。今日は「ちきん館」で買物をした。
「丸っぽ鶏」と「鰹のタタキ」を買い自販機で冷たい缶コーヒーを。
ラジオを聴きながらコーヒーを飲みながら帰った。
帰宅してももう大相撲はない。夫のなんと退屈そうなこと。
しばらくは大相撲ロスが続きそうである。
まだ4時だったので録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたが
例の如くでまた途中から眠りこけてしまっていたようだ。
5時になりまだ洗濯物を畳んでいないことを思い出す。
やれやれと溜息を付きながら乾燥機を覗きに行ったら洗濯物が無い。
夫に訊いたら娘が出勤前に畳んでくれたようだった。
思わず「夢に餅」と声が出る。娘も気忙しかったことだろうに。
夕食は出来合いの物ばかりだったので孫達にワンタンスープを作る。
それからエノキ茸を湯通しし甘酢和えを作った。
夫は今夜もビール。ご飯も普通の白米を食べることが出来る。
酷かった下痢も軟便になったそうでもう大丈夫だろう。
雨はまだ降り続いており雨音が耳に心地よい。
このまま雨音を聴きながら眠るのも良いだろう。
詩が書けた。短歌も書けた。こうして日記も書けた。
思い残すことは何もない一日が終ろうとしている。
桜が咲き始める頃に降る雨を「催花雨」(さいかう)と言うのだそうだ。
花を催促する雨と云う意味である。
桜が咲けば「桜雨」寒の戻りがあれば「花冷え」曇れば「花曇り」
古くからの日本語はなんと風情があり好きだなと思う。
私のように無知で学のない者は少しずつ覚えて行かなければならない。
今日は「催花雨」を覚えたので少しだけお利口さんになった。
夫の体調が心配でならない朝だったが幸い熱は平熱になっており
今朝はいつも通りに起床し一緒に朝食を摂る。
昨夜の雑炊が残っておりお味噌汁も飲んだ。
しかしまだ下痢が治まらず食後はトイレに直行だった。
めいちゃんのダンスの発表会「オムツをしてでも行くぞ」と強がる。
楽しみにしていただけに気合で治そうとする意気込みが伝わってきた。
発表会は午後からだったので午前中は様子見である。
昼食は温かいおそばを食べる。食欲はあるようでほっとした。
その後すべてを出し切ったようだ。とてもすっきりした顔をしている。
土佐清水市までは40分足らず。遠いようでけっこう近い。
雨も小降りになっており久しぶりのドライブであった。
お遍路さんのなんと多いこと。青い目をしたお遍路さんも歩いていた。
行きだけでも10人ほど。春遍路ならず雨遍路である。
雨合羽を着ていても足元はずぶ濡れだろうと気遣う。
土佐清水市民会館へ着いたが既に駐車場は満車状態である。
なんとか一台だけ停めることが出来てほっと胸を撫で下ろした。
一時半の開演でプログラム一番からもうめいちゃんの出番である。
可愛らしい衣装。メイクもしてグレーの付け髪もしている。
親馬鹿ではないが他の誰よりも上手に見えた。
嬉しくてならなかったが夫はもっと嬉しそうな顔をしていた。
無理をしたのかもしれなかったが観に来れて本当に良かったと思う。
発表会は昨年に引き続き2回目であったが
めいちゃんが心から楽しんで好きなダンスを踊っているのが分かる。
ずっと末永く続けられたらと願うばかりであった。
そうして成長していく姿を見続けることが出来ればこの上ない幸せである。
娘達が外食とのことで今夜も夕食の支度を免れる。
あやちゃんにはテイクアウトを買って来るそうだ。
スシローだろうか、はま寿司だろうか定かではないが
あやちゃんも一緒に行ける日が来れば良いなあと思った。
夫がまた雑炊が食べたいと云うので「ちょっと雑炊」を作る。
仕上げに卵を入れるととてもインスタントには見えない。
それから鰤の塩焼き。玉子豆腐もぺろりと平らげる。
さすがにビールはもう一日我慢するように言ったが
どうしても飲みたいと言って聞かないのではらはらした。
あらあらという間に500を一本飲み干し満足したようだった。
今夜下痢がなければもう大丈夫だろう。
それにしても人騒がせなお腹だったこと。
気温は一気に春らしくなったが明日も雨になりそうだ。
桜の蕾はどんどんと膨らみ花開いていくことだろう。
春だからこそ忘れてはいけないことがあったが
いつか自分を赦せる日が来るのだろうか。
| 2024年03月23日(土) |
真っ直ぐでなくてもいい |
曇り日。時おりぽつぽつと小雨が降る。
彼岸明けとなり気温は一気に高くなって春らしくなった。
高知城の桜が今日開花したそうで全国一番の開花宣言がある。
あと一週間もすれば見頃になり春爛漫となることだろう。
深夜に夫が嘔吐と下痢。私は爆睡しており全く気づかなかった。
昨夜きびなごのお造りを食べたのだが食あたりだろうか。
私も食べたが異常はなく原因は定かではなかった。
よほど辛かったのだろう今朝はぐったりとしていた。
もちろん食欲があるはずもなく今朝は独りで朝食を食べる。
テレビを点けていなかったらしんみりと寂しかったことだろう。
娘夫婦も仕事だったので留守にするのが心配だったが
夫が「行ってこいや」と言ってくれその言葉に甘えた。
カーブスを終えるなり山里の職場へと向かう。
今日中に仕上げなければいけない車検があり致し方なかった。
3時間ほど仕事。義父が納車に行ってくれてほっと肩の荷が下りる。
帰り道にお客さんに車検証を届けに行ったら胡瓜をたくさん頂く。
ハウス農家にアルバイトに行っているそうで規格外の胡瓜だそうだ。
大き過ぎたり曲がったりしていると出荷出来ないと聞き憐れでならない。
胡瓜も曲がりたくて曲がっているわけではないのだ。
野菜にだって命が宿っている。どうして粗末に出来ようか。
全部で30本程あっただろうか。帰宅してご近所さんにお裾分けした。
お向かいの奥さんは漬物にすると言って喜んで貰ってくれる。
夫は吐き気は治まっていたがまだ下痢が続いているとのこと。
なんとなく熱っぽいと言うので測ったら37度5分あった。
早目に病院へ連れて行ってやれば良かったと悔やまれてならない。
お昼は軽くお茶漬けを食べることが出来たそうだ。
孫達もそれぞれにカップ麺を作り食べたらしい。
私が留守にしなければもっとまともな物を食べさせてやれただろう。
これも悔やまれたがもう後の祭りであった。
明日はめいちゃんのダンス発表会があり今夜はリハーサルだそうだ。
夕食は要らないと言うので今夜も楽をさせてもらった。
夫は卵入りの雑炊を。あやちゃんは冷食のパスタ。私はチキン南蛮。
まだ6時であったが夫は解熱剤と正露丸を飲んで早めに床に就いた。
明日の発表会を楽しみにしていただけに治ることを願ってやまない。
今はまだ降っていないが明日は大雨になるそうだ。
木の芽には必要な雨かもしれないがお手柔らかに願いたいものだ。
私は燃え尽き症候群ではないかと思うほど無気力になっている。
ひたすらぐっすりと眠りたくてたまらない。
今朝も真冬並みの冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。
気温はさほど高くはならなかったがたっぷりの陽射しが降り注ぐ。
明日以降は雨になるらしいがもう寒の峠は越えたようだ。
仕事で平田町まで行っていたら川沿いの桜並木に沢山の人。
桜はまだ蕾だがぼんぼりを付ける作業をしていたようだ。
去年よりも多いのではないだろうか桜並木が鮮やかになった。
おそらくコロナ禍でお花見を自粛していたのだろう。
今年は大勢の人が訪れるに違いない。微笑ましい光景が目に浮かんだ。
私も仕事帰りにお花見が出来る。わくわくと楽しみでならない。

今朝は目覚めるなり右足の痛みを感じなくなっておりおどろく。
昨夜までの痛みは何だったのだろう。なんだか狐につままれたようだった。
三日目だったので自然に治ったとも考えられたが
母が私の願いを聞いてくれて赦してくれたとしか思えなかった。
これ以上懲らしめたら可哀想だと思ったのに違いない。
生前はよくいがみ合い言い争うことが多かったが
それも今では懐かしい思い出となった。
母はそう遠くはない処に居てずっと私を見ているのだと思う。
おそらくこの日記も読んでいるだろう。
私の心の中はすっかりお見通しで自由自在に操ることも出来る。
姿かたちは見えなくなっても魂とはきっとそんな存在ではないだろうか。
それは決して怖ろしいことではない。むしろ有難いことなのだ。

仕事は怒涛の忙しさで4時までの残業となる。
残り仕事があり明日も出勤することにして帰路に着いた。
サニーマートで買物をし帰宅したらもう5時である。
今日は娘が休みだったのでずいぶんと気が楽だった。
玄関先に来客があり賑やかな話し声がしていて
保健室の先生があやちゃんにお別れに来ていたようだ。
先日教職員の異動が発表となり他校への転勤が決まったらしい。
今日は卒業式と終業式だったのでとうとう最後になってしまったのだ。
あやちゃんが唯一心から打ち解けることの出来た先生だった。
どれほどの優しさだったことだろう。どれほど親身になってくれたことか。
あやちゃんは笑顔で接していたがきっと寂しさでいっぱいだったと思う。
これで縁が切れるとは思いたくないがもう結ぶ糸が見つからない。
しばらくは途方に暮れると思うがそれも試練なのだろうか。
娘は仕方ないよとあっけらかんとしていたが
私はあやちゃんが憐れで可哀想でならなかった。
春はどうしようもなく別れの季節であるが
また新鮮な出会いもきっとある季節である。
どうかどうかあやちゃんがすくっと前を向いて歩いて行けますように。
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