| 2024年03月23日(土) |
真っ直ぐでなくてもいい |
曇り日。時おりぽつぽつと小雨が降る。
彼岸明けとなり気温は一気に高くなって春らしくなった。
高知城の桜が今日開花したそうで全国一番の開花宣言がある。
あと一週間もすれば見頃になり春爛漫となることだろう。
深夜に夫が嘔吐と下痢。私は爆睡しており全く気づかなかった。
昨夜きびなごのお造りを食べたのだが食あたりだろうか。
私も食べたが異常はなく原因は定かではなかった。
よほど辛かったのだろう今朝はぐったりとしていた。
もちろん食欲があるはずもなく今朝は独りで朝食を食べる。
テレビを点けていなかったらしんみりと寂しかったことだろう。
娘夫婦も仕事だったので留守にするのが心配だったが
夫が「行ってこいや」と言ってくれその言葉に甘えた。
カーブスを終えるなり山里の職場へと向かう。
今日中に仕上げなければいけない車検があり致し方なかった。
3時間ほど仕事。義父が納車に行ってくれてほっと肩の荷が下りる。
帰り道にお客さんに車検証を届けに行ったら胡瓜をたくさん頂く。
ハウス農家にアルバイトに行っているそうで規格外の胡瓜だそうだ。
大き過ぎたり曲がったりしていると出荷出来ないと聞き憐れでならない。
胡瓜も曲がりたくて曲がっているわけではないのだ。
野菜にだって命が宿っている。どうして粗末に出来ようか。
全部で30本程あっただろうか。帰宅してご近所さんにお裾分けした。
お向かいの奥さんは漬物にすると言って喜んで貰ってくれる。
夫は吐き気は治まっていたがまだ下痢が続いているとのこと。
なんとなく熱っぽいと言うので測ったら37度5分あった。
早目に病院へ連れて行ってやれば良かったと悔やまれてならない。
お昼は軽くお茶漬けを食べることが出来たそうだ。
孫達もそれぞれにカップ麺を作り食べたらしい。
私が留守にしなければもっとまともな物を食べさせてやれただろう。
これも悔やまれたがもう後の祭りであった。
明日はめいちゃんのダンス発表会があり今夜はリハーサルだそうだ。
夕食は要らないと言うので今夜も楽をさせてもらった。
夫は卵入りの雑炊を。あやちゃんは冷食のパスタ。私はチキン南蛮。
まだ6時であったが夫は解熱剤と正露丸を飲んで早めに床に就いた。
明日の発表会を楽しみにしていただけに治ることを願ってやまない。
今はまだ降っていないが明日は大雨になるそうだ。
木の芽には必要な雨かもしれないがお手柔らかに願いたいものだ。
私は燃え尽き症候群ではないかと思うほど無気力になっている。
ひたすらぐっすりと眠りたくてたまらない。
今朝も真冬並みの冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。
気温はさほど高くはならなかったがたっぷりの陽射しが降り注ぐ。
明日以降は雨になるらしいがもう寒の峠は越えたようだ。
仕事で平田町まで行っていたら川沿いの桜並木に沢山の人。
桜はまだ蕾だがぼんぼりを付ける作業をしていたようだ。
去年よりも多いのではないだろうか桜並木が鮮やかになった。
おそらくコロナ禍でお花見を自粛していたのだろう。
今年は大勢の人が訪れるに違いない。微笑ましい光景が目に浮かんだ。
私も仕事帰りにお花見が出来る。わくわくと楽しみでならない。

今朝は目覚めるなり右足の痛みを感じなくなっておりおどろく。
昨夜までの痛みは何だったのだろう。なんだか狐につままれたようだった。
三日目だったので自然に治ったとも考えられたが
母が私の願いを聞いてくれて赦してくれたとしか思えなかった。
これ以上懲らしめたら可哀想だと思ったのに違いない。
生前はよくいがみ合い言い争うことが多かったが
それも今では懐かしい思い出となった。
母はそう遠くはない処に居てずっと私を見ているのだと思う。
おそらくこの日記も読んでいるだろう。
私の心の中はすっかりお見通しで自由自在に操ることも出来る。
姿かたちは見えなくなっても魂とはきっとそんな存在ではないだろうか。
それは決して怖ろしいことではない。むしろ有難いことなのだ。

仕事は怒涛の忙しさで4時までの残業となる。
残り仕事があり明日も出勤することにして帰路に着いた。
サニーマートで買物をし帰宅したらもう5時である。
今日は娘が休みだったのでずいぶんと気が楽だった。
玄関先に来客があり賑やかな話し声がしていて
保健室の先生があやちゃんにお別れに来ていたようだ。
先日教職員の異動が発表となり他校への転勤が決まったらしい。
今日は卒業式と終業式だったのでとうとう最後になってしまったのだ。
あやちゃんが唯一心から打ち解けることの出来た先生だった。
どれほどの優しさだったことだろう。どれほど親身になってくれたことか。
あやちゃんは笑顔で接していたがきっと寂しさでいっぱいだったと思う。
これで縁が切れるとは思いたくないがもう結ぶ糸が見つからない。
しばらくは途方に暮れると思うがそれも試練なのだろうか。
娘は仕方ないよとあっけらかんとしていたが
私はあやちゃんが憐れで可哀想でならなかった。
春はどうしようもなく別れの季節であるが
また新鮮な出会いもきっとある季節である。
どうかどうかあやちゃんがすくっと前を向いて歩いて行けますように。
今朝は真冬並みの冷え込みとなる。
日中も気温が上がらず寒い一日となった。
彼岸が明ける週末にはやっと春本番になるとのこと。
もう少しの辛抱だ。そうして桜の季節がやって来る。
右足の痛みは相変わらずで昨夜の湿布も効かなかったようだ。
これまでどれほど右足を頼りにしていたことだろう。
労わることもせずに酷使していたことを今更ながらに感じる。
ふと頭を過るのはこれは罰ではないかと
神様でも仏様でもなく母の仕業なのに違いないと思ったのだ。
昨年の49日の法要以来お線香の一本も上げていない。
巳の日正月もしないまま年を越してしまったこと。
彼岸も同じく何ひとつ供養らしきことをしていないのだ。
そんな薄情な娘に母が黙っているとは思えない。
懲らしめてやろうと母ならあり得ることである。
私の部屋には小さな仏壇があり父と母の遺影を祀ってあるが
おそらくそれも気に入らないのだろう。
とっくの昔に離婚した父と一緒に居るのが耐えられないのだと思う。
それはあくまでも私の都合なのだ。なんと身勝手なことだろう。
だからと云ってどうしようも出来ない。
母はきっと許してくれるに違いないと勝手に思い込んでいた。
怒っているのなら夢でもいいからそう伝えて欲しい。
私は試練だと受け止めて耐えて見せようと思っている。

お昼休みにいつものように短歌を三首。
残った時間で同人誌に送る16首をやっと選ぶことが出来た。
メールで送信するのだが何の手応えもないのはいつものことである。
虚しくてならない。そうしてどっと気疲れが襲って来る。
やはり潮時なのかもしれない。これが最後かもしれないと思う。
午後も仕事が忙しくリハビリの予約時間に間に合いそうになかった。
病院に電話をしたら4時の予約に変更出来て助かる。
車検完了の納車を済ませてから大急ぎで病院に向かった。
今日は初対面の療法士さんで最初は少し緊張したが
あれこれと話し掛けてくれて一気にリラックス出来る。
右足の痛みも気遣ってくれてなんとも優しい施術であった。
やはり左足を庇うため酷使し過ぎたのだろうと言う。
ふくらはぎの筋肉はパンパンに張っている。
揉み解してもらってずいぶんと楽になった。
母の罰だとしても後悔しているのかもしれない。
可哀想だと思ったらもう赦してはもらえないだろうか。

今夜は娘が職場のお別れ会で留守にしている。
夕食は要らないと言うので楽をさせてもらった。
めいちゃんと娘婿はダンス教室が終ってから何か買って来るそうだ。
あやちゃんには娘が出掛けに冷凍のたこ焼きをチンしていた。
そんな物で良いのかと気遣うと今夜はたこ焼きの気分なのだそうだ。
それだけではあんまりだと思っていたら昨夜の寄せ鍋の残りも
嫌がらずに食べてくれて嬉しかった。鶏肉が残っていて良かった。
夫と私は寄せ鍋におうどんを投入しぐつぐつ煮て食べる。
後はサニーマートの鰹のタタキとイカの唐揚げがあった。
寄せ鍋はまだ残っており明日の朝が最後の勝負である。
いつも作り過ぎてしまうのだ。でも捨てる訳にはいかない。
明日の朝も冷えるのだろうか。暖かくして眠ろう。
明日はあしたの風が吹くらしいがどうか春の風でありますように。
春分の日。彼岸の中日でもある。
一気に春らしくなる頃であるが「寒の戻り」となり
朝から強い北風が吹き荒れ真冬のような寒さとなった。
もう少し気温が低ければ雪がチラついたことだろう。
今朝は目覚めるなり右足が酷く痛んでいた。
寝ている間に筋がつったのだろうか原因は不明である。
日頃から痛む左足を庇って酷使していたせいなのかもしれない。
両足が不自由となればまとも歩くことも出来ず困惑するばかり。
とりあえず湿布を施し様子を見ていたが痛みは治まらなかった。
朝のうちに2時間ほど寝る。そろそろ買い物に行かねばならない。
めいちゃんが一緒に行ってくれることになりなんとも心強い。
カートを押してくれて食材を籠に入れてくれとても助かった。
寒いのでお昼はおうどん。夜は寄せ鍋にすることにした。
グレの切り身、白身魚のすり身、牡蠣、鶏団子などを買う。
帰宅したらもうお昼。4人分のおうどんを急いで作る。
玉子を入れて「月見うどん」にした。
嬉しかったのはあやちゃんも一緒に食べてくれたこと。
お汁まで飲み干して「美味しかった」と言ってくれた。
いつもはカップうどんを食べることが多く珍しかったのだろう。
もしかしたら初めて食べたのではないかと思った。
だとしたら今日は「月見うどん記念日」である。

身体がぽかぽかと温まりまた眠くなってしまった。
炬燵に潜り込むなり直ぐに寝ていたようで目覚めたらもう4時である。
あまりに寝るので夫は呆れるよりも心配をしていた。
私も異常だと思う。今日は朝から6時間も眠っていたのだ。
もちろん寝ている間は何も出来ない。
それだけ時間を無駄にしていることになる。
今日は同人誌に送る短歌を選ぼうと思っていた。
16首どころか一首も選べずいったいどうなることだろう。
いつまでたっても精力的に取り組むことが出来ない。
それ程までに無気力になってしまったのだろうか。
寝起きの気だるさはあったが今日の短歌は詠むことが出来た。
相変わらずの塵芥である。けれども誰かが見つけてくれるだろう。
諦めてはいけないのだと思う。私は塵を積み重ねていかねばならない。
塵を見つけた人はゴミ箱に入れてくれるだろうか。
いや丸めてぐしゃぐしゃにして放り投げてしまうかもしれない。
そうしたら風に乗って何処までも飛んでいけるのだ。
曇り日。午後から少しだけ雨が降る。
寒の戻りなのだろう。気温も上がらず肌寒い一日となった。
明日は今日よりも冷え込むらしい。まるで冬があがいているようである。
今朝はなんとなく動悸がしふたふたと落ち着かない。
また眩暈の前兆かもしれないと安定剤を服用したのがいけなかった。
運転中にいつも以上の眠気に襲われ危うく事故を起こしそうになる。
一瞬眠っていたのだろうはっと気づけば反対車線を走っていた。
対向車が目前に見え慌ててハンドルを切ったが危機一髪であった。
気をつけようにも成す術もない。まるで命がけの運転である。
毎朝の眠気にはもうすっかり慣れているつもりだが
以前に医師に相談した時には誰にでもあることだと言われた。
あまり神経質になってもいけないようである。
もしかしたら自己暗示に掛かっているのかもしれない。

今日もお昼休みに短歌を詠んだ。3首詠むのに30分程かかる。
直ぐにスイッチが入るのは良いことだが決して上出来とは言えない。
同人誌の締め切りも近づいており16首選ばなければいけないが
どれもこれも塵か芥のような短歌ばなりで頭を抱えている。
今日はいっそのこと同人誌なんか止めてしまおうかと思った。
それよりもSNSでひっそりと発信し続ける方が気楽である。
掲載費を支払ってまで活字にする必要があるのだろうかとも思う。
このところずっと三首目には「あの子」のことを書いているが
ただただそれがささやかな供養になればと思っている。
「あの子」のことを知っている人は数少ないはずだ。
この日記を昔から読んでくれている人に限られる。
もう今更おおやけにするつもりはない。
だから誰に何と言われようと「あの子」を守らなければいけない。
「抱くことも叶わなかった魂が野を彷徨っている春彼岸」

今日も3時半まで仕事。小雨降る道を突っ走るように帰る。
昨日よりも今日と咲く枝垂桜を見たが停車せずに走り抜けてしまった。
きっと写真を撮ろうと思っている。やはり晴れた日が良いだろう。
サニーマートでは半額品をあれこれ仕留めご機嫌も麗しい。
塩焼き用の鰤、イカの浜焼き、アスパラベーコン、むき海老。
とにかく買って帰ればなんとかなるだろうと思っていた。
そうしたら何と言うことでしょう。帰宅したら車庫に娘の車があった。
一気に目の前が明るくなる。「夢に餅」とはこのことである。
久しぶりに娘と肩を並べて夕飯の支度をした。
娘は今月いっぱいで失業するのでしばらくは暇になるようである。
新しい仕事が見つかるまでは私も楽をさせてもらえそうだ。
あやちゃんもめいちゃんもご機嫌。笑顔のまま一日が終ろうとしている。
陽射しはたっぷりとあったが風は冬のようだった。
強風注意報が出ていたようだ。北風は暴れん坊である。
今朝は国道沿いの白木蓮がすっかり散っており詫びしいこと。
僅かに残っている花も冷たい風に震えているように見えた。
お遍路さんがひとりふたり背中を押されるように歩いている。
ここ数日の間に増えたようで全部で6人のお遍路さんに会えた。
追い越しながら会釈をするばかり。もちろん一方通行の会釈である。
声を掛けるきっかけがつかめない。その前にまだまともに声が出ない。
仕事を始めて2時間ほど経った頃だったろうか。
いきなり眩暈がし始め一瞬倒れるのではないかと思った。
数年前にはよくあったことだが最近ではすっかり忘れていた眩暈である。
昨日はゆっくり休んでおり疲れとは考えられない。
もしやと思い血圧を測ってみたがこれも正常であった。
木の芽起こしの頃であり季節の変わり目でもある。
寒暖差も著しくおそらく自律神経の乱れではないだろうか。
いつも持参している安定剤を服用ししばらく様子を見ていた。
お昼休みに30分程クルマのシートを倒しうとうとした。
それが良かったのか午後からは少し元気になる。
体調を崩すと直ぐにパニックになってしまう。
そうして死ぬのではないかと不安でいっぱいになってしまうのだ。

3時半まで仕事。買物もしなければ、洗濯物も畳まなければ
気ばかり焦って車を飛ばしていたら県道沿いの枝垂桜に目が留まる。
桃色の桜である。いつの間に咲いたのだろうと思った。
近くにはソメイヨシノの並木もあるが真っ先に咲いたようだ。
帰り道の楽しみが出来た。明日は車を停めてみようと思う。
夕飯はオムライス。それから南瓜の素揚げ。
お刺身はびんなが鮪がお買い得になっていた。
オムライスは簡単そうでけっこう手が掛かる。
南瓜を揚げながら作ろうとしていたが手に負えなくなった。
あやちゃんは料理クラブの気分ではなかったようだが
「あやちゃん助けて〜」と呼んだらすぐに二階から下りて来てくれる。
そうして南瓜を全部揚げてお皿に盛りつけてくれたのだった。
私は感激で胸がいっぱいになり涙が出そうなくらい嬉しかった。
6時前に娘が帰宅。褒められたあやちゃんの笑顔が輝いている。
今日は自主的ではなかったがどれほど助かったことだろう。
「出来ることがある」それはきっと自信に繋がるに違いない。
学校はもうすぐ卒業式があり春休みに入る。
その春休みの間に事態が好転するかもしれないと
期待ではなくひたすら祈るような気持でいる。
もう新鮮な春が始まっているのだもの。
小糠雨降る一日。気温はさほど低くはなかったが肌寒く感じた。
彼岸の入り。あちら側とこちら側に真っ二つに分かれてしまいそうだ。
正しい日本語なのかは定かではないが私はよく「寒の別れ」と表現する。
「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人はよく言ったものだ。
夫72歳、母が生きていれば86歳の誕生日である。
夫と出会った若き日に「運命」を感じたが果たしてどうなのだろう。
苦労も多かったが今のこの幸せを噛みしめずにはいられない。
45年目の春である。共に白髪の生えるまではとっくに過ぎた。
あと何年添え遂げられるのだろうとそればかり考えている。
「俺より先に死ぬなよ」残された私はどうやって生きていけばいいのだろう。

朝のうちに髪を切りに行きさっぱりと心地よくなった。
私にはいつも2センチの憂鬱があるようだ。
生きている証なのだろう。2ヶ月で2センチ髪が伸びる。
義父から何度も着信がある。どうやら一人で仕事をしていたようだ。
昨日二日酔いでサボってしまったのでよほど心苦しかったのだろう。
逐一報告してくるのでまたまた子供みたいだと可笑しくなる。
かなり仕事が捗ったようで明日が楽しみであった。
夕方、めいちゃんが食卓の周りに飾り付けをしてくれる。
折り紙で作った花や風船まで飾ってくれ夫のなんと喜んだこと。
プレゼントと手紙まで渡してくれて夫は涙ぐんでいた。
私はふと不安になった。もしかしたら最後の誕生日ではないかと。
いやいやそんなはずはないと振り払うように思い直す。
いつも優しいめいちゃんの成長した姿だったのだろう。
大好きなおじいちゃんのために心を尽くしてくれたのだと思う。
夫も母も彼岸に生まれ春に祝福されたことだろう。
桜の花が咲き嬰児の瞳に鮮やかに映ったに違いない。
母には今年の桜を見せてあげることが出来なかったが
夫よ。どうかどうか長生きをして下さい。
私より先に逝かないで下さい。
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